『鬼族の神童』
目次
・『其は鬼神の童子』
・『初恋はピーマルの味』
・『生まれて初めて』
・『其は世界で最も疎まれる大罪』
・『鬼愛の二人』
ドーゾ。一万二千字
『前編』
◆◇◆
──
額に二本の角を携えて。
──
幼くして陽魔法を完璧に操り角を生やすこともなく里長を打倒した。
──
自身に負けぬ力を持つ
──
……振られた。
やけ酒に潰れた男が目を覚ました時。
すでに里はなくなっており、
惚れた女もおらず、
そこにあったのは──。
──気味の悪いローブを纏った死体の山だけだった。
◆◇◆
「どうしたもんかのぅ。困ったのー。誰ぞ生きとりゃせんかー」
反応はない。あるのは物言わぬ死体だけである。
「小うるさい爺も死んでおるし、父も母もそこに首が転がっておる。我が
そう。
青年にとって大事なのは里でも家族でもない。
見たところそれらしい死体はなく、またその妹の死体もない。
(そもあやつがそう簡単にくたばるはずもなし。あやつは我が見初めた女だ)
と、なれば──。
「──よかろう。ならば我自ら見つけ出してくれる。そしてその時こそ──我が伴侶となるがいい! ハーッハッハッハッハ!!」
青年は死体の散乱する廃墟にて高笑いする。
これもまた生の余興であると。
そして叫ぶ、その者の名を。その者にまで届くように。
「待っていろ──ラム!!」
青年は里だった場所を吹き飛ばす勢いで──跳んだ。
青年の影は空高く浮かぶ雲に風穴をあけ、瞬く間にその姿を消した。
ただただ強く、身勝手で──傲慢なオニが、世界へと解き放たれた。
◆◇◆
「──ッ!」
厄介な輩に付き纏わられる哀れな少女は、敏感にその悪寒を感じ取り其の方へと振り向いた。
「おややぁどーぅかしたのかい?──ラム」
「……いいえ。それより気安く私の名を呼ばないで」
「おやおやこれは手厳しーぃね。これから共に暮らすというのに」
ことこと揺れる馬車の中、膝で眠る妹をあやしながらラムは応える。
「レムの為仕方なくよ。私があなたの悲願とやらに協力する代わりにラムとレムの身の安全を保障する、そういう契約でしょ」
「あぁ……君は私の唯一無二の希望だ。もちろん契約は遵守するとも」
「当然ね」
未だ概略しか知らぬ道化の格好をした男の野望にラムは心底興味がない。
しかし妹の為、これからの生活の為、男に契約を守らせる為、ラムは幼いながらも対等に接する。
「しーぃかし、君には、君たち双子には私の屋敷でメイドとして働いてもらうつもりだ。その言葉遣いは矯正させてもらうよ」
「愚問ね。公私の切り替えぐらいラムは当然できるわ」
「あはーぁ、あの閉鎖された環境でよくもまぁそこまでの知恵を身に付けたものだ。流石は鬼族史上かつてない『神童』と言ったところかーぁな」
男は知らない。存在するはずのないソレを。ソレは叡智の書に記されない存在。ソレは世界に存在を否定されているということ。ソレはこの世界に紛れ込んだ異物。異端。
彼がそれを認知するまでその存在が書に記されることはない。
「(……確かにラムは強いし最高にかわいいけど──一番強いのは私じゃないわ)」
「……なんだって?」
「……別に」
ラムからすれば、言ったところで何が変わるわけでもないただの事実。
しかして道化の未来を、その悲願の達成を決定づける今にして過去は──。
(一番強いのは、ライよ)
「さーぁ、着いたよ。ようこそ──我がメイザース領へ」
すれ違ったまま、捻じ曲がったまま──世界は正史を外れた。
◆◇◆
◆◇◆
◆◇◆
「魔女教大罪司教『強欲』担当、レグルス・コルニアス」
「魔女教大罪司教『暴食』担当、ライ・バテンカイトス」
「魔女教……!」
時は進んで現実。
そこには魔女教、それも大罪司教と呼ばれる幹部二人がいた。
その正面には淡い青髪をもった愛らしい少女。
(……どう考えても、レムに生き残る
二人が長々と話している間に何か、なにか策を考えなければ……。
少女──レムは状況が差し迫った中、冷静に思考していた。
『強欲』はたまたま偶然居合わせたと
『暴食』……白鯨をペットだと語り、しかし白鯨の報復ではなくそれを倒した者たちこそを狙ってきたと言う。まずレムを逃がすつもりなどないだろう。
偶然か必然か“あの人”と同じ名を名乗った大罪司教。
偶然にしても腹立たしい。
あの人がいてくれればと思わない日はなかった。恨んですらいた人だ。
しかし、レムにはもう愛しい英雄がいる。
レムはもう救われた。
そしてこれからもそのそばに、レムの英雄に寄り添っていたい。
だから、ここで死ぬわけにはいかない。
こんなところで死にたくない。
──だから──。
絶対に頼らないと決めていた。
筋違いにも恨んですらいた人に頼ることを、レムは躊躇わない。
──頼ったところで助けなんか来ないかもしれない。
遥か昔の
生きているかすらわからないけど……でも──。
──生き残れる可能性が少しでも上がるのなら、やるしかない。
レムは決意し、全力で空気を吸い込む。
全身全霊で何かを覚悟したかように動き出したレムに、しかし『強欲』はただ訝しげに、『暴食』は期待するように見ているだけだった。
◆◇◆
◆◇◆
◆◇◆
あの人は、物心ついた時からずっと私たち双子の、いいえ姉様のそばにいた。
家にも普通に入ってくるものだからはじめは本当の兄なのだと思っていた。
しかし、成長するにつれてそれが間違いであったことに気づいた。
曰く、彼は鬼族最強である。
曰く、彼は幼子に恋している変態である。
曰く、彼と彼女はお似合いである。
兄だと思っていた存在は兄ではなく私から姉を奪わんとする簒奪者だった。
彼はほとんど常に、それこそ“すとーかー”の如く姉様と一緒にいたが、姉様が本気で嫌がっている時はおとなしくそばを離れていた。
──そうしてそういう時は決まって私に愚痴をこぼしていた。
彼はいつも無視する私に一方的に話しかける。
「──それでなお前さんの
愚痴というより惚気だったかもしれない。
うっとおしいことこの上ない。
(お姉ちゃんが褒められるのなんて……もう聞き飽きた)
その日は虫の居所が悪くて、弱気な私は目を瞑り耳をふさぎ
「──もういいっ!もうやめて!」
「お? 久しぶりに返事してくれたな」
「もういいの、もういいから静かにして! この、このっ“へんたい”っ!」
毎度毎度無視しても延々と語りかけてくる男。いったい何がしたいのだろう。お姉ちゃんと違って何の役にも立てない私への嫌がらせだろうか。
「おうおう、今日は威勢がいいのちびっこ」
「お姉ちゃんは私のお姉ちゃんなのっ、あなたみたいなへんたいにお姉ちゃんは渡さないんだから!」
「クッ──ハーッハッハ!! このオレさま相手に吠えるか! 存外、お前さんもいい女だの」
「 え゛」
いいオンナ、いいオンナ……?
レムは耳に入ってきた言葉を理解できずしばし思考が停止した。
まさか姉だけでなく自分まで狙っているとでもいうのだろうか。
レムの困惑をよそに男は言葉を続ける。
「村の女は媚びてくるものばかりでほんにつまらんくてのう」
男は畏怖されていた。
里で一番強くとても恐れられていた長老を幼くして圧倒したその力は、平和にぬくぬくと過ごしてきた村人には恐怖でしかなかった。
彼は両親にすらうやうやしい態度をとられている。
女は媚びた笑みを、男を引き攣った笑みを彼に向ける。
しかし彼はもうそのようなこと気にも留めていない。
彼は見つけたから──己に負けぬ力を持った
そして──恋を知ったから。
「とはいえ鬼としての力が弱すぎるの。双子故同じだけの力は持っているはずだが」
男が何気なく言ったその言葉は少女の暗い感情を呼び起こした。
(……結局、鬼としての力がないと認められないんだ)
お姉ちゃんに角が二本あったらなんて言葉はもう何度も聞いた。
私に姉と同じだけの力などあるはずない。
どれだけ頑張ったってわたしにはできないことを、お姉ちゃんは平然とこなすのだ。
少女の暗澹たる心など知らぬとばかりに男は笑う。
「ま、角など使わずとも里長程度は相手にならぬけどな!ワッハッハ!」
(……この人も、そう)
私が持って生まれなかった
こんな人が姉と同じほどの力を持っているなんて、レムは悔しかった。
私がいなければ姉はこの人をも上回っていたかもしれないと、そう自分でも考えてしまい泣きそうになる。
しかし続けて、彼は言った。
「だから、お前さんもいずれできるようになるさ。
──期待してるぞ」
そういって、彼は慰めるように、あやすように、私の頭に手を置いた。
私はそれを拒絶──しなかった。できなかった。
だって、彼の私の頭をなでるその手は──。
(……お姉ちゃん)
姉を思わせるほど優しく、ただただ温かいものだったから。涙は零れ落ちることなく、暗い気持ちは撫でられるたび流されていく。
いつもはあんなに口数が多いのに、今は無言で私を撫でつけてくる。
どうしたのだろうと、顔を上げて見てみれば、
──彼はただ静かに微笑んでいた。
その目には、その顔には『失望』も『悲観』も『憐憫』もなく、本当にただ私の明日を期待するように、
──私を見ていた。
──私は、その瞳に──
「…………あ、あの──」
「──おっと」
私が声をかけようと声を出したその時、彼はおどけたように声を出しその場を飛びのいた。──すると、横合いから飛来するは風の刃。
「──レムに触れるなッ!!」
「……お姉ちゃん」
お姉ちゃんだ。そうだ、この人は。
男の視線は、姉に注がれるその瞳は──途端に輝いたようで。
「おいおい、ちょっとお喋りしてただけだぞ?」
「黙りなさい変態。その汚い手でラムの妹に触れることは許さないわ。──大丈夫? レム」
「……うん」
(──ああ、レムは最低だ)
お姉ちゃんの力を奪って、それなのに、こんなに大切にしてくれるお姉ちゃんが、レムは──■■い。
男の視線はもうレムには注がれず、その目は口ほどに、如何にラムに恋をしているか物語っていた。
◆◇◆
それはライさんと普通に話すようになってから暫く経った頃だった。
「のうレムよ。お前さんの姉さまはどうしたら求婚を受け入れてくれるだろうか」
「…知らない」
知ってても教えてなんてあげないもん。
「我も色々と策を弄しているのだが、なかなかうまくいかなくてのう」
「その話し方とか?」
少し前まで自分のことオレさまって言ってたのに。
私はオレさまって好きだったんだけどな。
「おう。『オレさまなんてガキっぽい一人称恥ずかしくないの。恥じなさい』なんて言われてしまってな。ここは恰好よく我と名乗ることにしたのだ。……『上から目線ね。不愉快だわ』と不評だったが。……格好いいよな?我」
「私は前の方も、その、好き、だよ」
妙にうまい声真似でお姉ちゃんが言いそうな台詞を言うライさん。
「おおそうかそうか。ありがとうな」
「…えへへ」
そう言って頭を撫でてくれる。うれしい。
「あ、そういえば『ラムに気に入られたければレムの為になることをしなさい』ってラムは言っていたな、前に」
(…それは多分私に近づくなって意味だと思う。…言わないけど)
「ではレムよ。何かしてほしいことはあるか?」
「え?してほしいこと?…うーん」
して欲しいことなんて決まってるけど、ちょっと、恥ずかしい。
「…なでてほしい、な」
「ハッハッハ。ほんにお主は愛い奴よのう」
そう言って笑って、また撫でてくれる。
ライさんは“愛い”なんて言ってくれるが、きっと私のことを妹のように思ってくれているのだろう。
──それが嬉しくて、ちょっと悲しい。
「他には何かないのか?」
「べつに、ないよ」
「そうか…」
お願いしたって、叶うはずもないのだ。
──■として見て欲しい、なんて。
ライさんは少しの間うんうん唸って、言った。
「よし!決めたぞ。──お前さんが助けを必要とした時、我を呼べ。さすれば必ずやお主を救って見せよう」
「守って、くれるの?」
──それは──。
「おうとも。どれだけ離れていようと聞きつけて、何をおいても助けに
「──お姉ちゃんよりも?」
──あ。
つい、言ってしまった。
ああ、そんなのききたくない。嫌われたくない。
「む?ラムよりも、か……まぁ、あ奴は強いからの。二人別々に危機に陥ったのならお前さんを先に助けてからあ奴の方へ行こうかの」
「………」
──彼は今なんと言ったのだろうか。
耳をふさごうと上げかけた手をばたつかせてレムは問う。
「ふぇ。え、わたしを先に助けに来てくれるの?ほんとうに!?」
「おう。ま、そんなときはそうそうないだろうしな。あるとしても二人一緒だろうよ」
ライさんは何か言っているがそんなのどうでもいい。
──助けてくれる。お姉ちゃんよりも私を優先してくれる。
それだけのことなのに。それだけのことが──凄く嬉しい。
「ぜったい!ぜったいいつか私を、助けに来てね!」
「おうおう。ラムより早く駆けつけてみせるぞ。そうさな、呼ぶときは…──。──…というがいい」
「わかった!」
──ああ。
お姉ちゃんより弱くて良かったなんて。
──生まれて初めて。
◆◇◆
──レムはライさんのことが好きだ。
あの手が、その声が、あの髪が、その瞳が、レムに触れて、声をかけて、風に揺れて、向けられることが──何よりも嬉しい。
──でもそれと同じくらい、私はお姉ちゃんのことが大好き。
生まれた時からずっと一緒にいる。ずっと一緒にいてくれた。手を握ってくれた。私を何よりも──大切にしてくれた。
魔法も料理もなんにもできない役立たずな私を愛してくれた。
──そんな大好きな二人だから、レム自身お似合いなのだと思ってしまう。
二人が一緒にいるとき、ライさんはいつも笑顔で、お姉ちゃんも適当にあしらいながらときどき楽しそうに笑っている。
本当に──オニアイ。
二人を見ていた私が転んだ時なんて二人ともとっても息ぴったりに心配してくレタ。
里の人はもう二人が一緒になることを疑っていない。
両親だってそう。
長老は二人の子供を大いに期待していた。
もはや二人の意思は関係なく、政略的に二人は結ばれる『運命』なのだ。
──お姉ちゃんだって、そうだ。
口ではいろいろ言っていても、ライさんのことを本気で嫌ってなんていない。
ライさんは政略とか子供とか関係ない、純粋にお姉ちゃんのことを好いている。
歳の差も鬼の力も関係なく、ただ自分を見て好きだと言ってくれる人を──嫌いになんてなれはしない。
──わかるんだ、双子だから。
政略的に結ばれることをお姉ちゃんは拒まないだろう。
それでもお姉ちゃんがライさんに刺々しいのは──私がいるから。
ライさんは良い人だけど、それ以上にレムのことを大切にしてくれているのだ。
──お姉ちゃんは多分、私の気持ちを知っている。
──双子だから、伝わってしまう。
だからお姉ちゃんは邪険にする。
私に悪いから。私を一人にしてしまうから。
それをライさんも知っている。その不器用な優しさを。
だから好きだとか愛してるだとかは伝えても、『告白』はしない。
──それを私は、知らんぷりする。
意味なんて、ない。
どうせいつかは結ばれるのだから、今だけは、もう少しぐらいは。
そうやってもう少し一緒に居られたら、納得できるかラ。
──だからその日が来ても、レムは大丈夫。私は大丈夫。
『──ダイジョウブ』
だから……婚姻前夜にライさんがお姉ちゃんに告白しているのを見た時も、その告白をお姉ちゃんが断ったのを聞いた時も、ライさんが泣いていたの、を……見て、聞いても、それでも私は……──。
──世界は何かの切れる音を聞いた。
それは我慢の緒か、感情の堤防か、あるいは──。
──姉妹の絆か。
◆◇◆
「──レム。そこにいるんでしょう」
草むらから見慣れた青髪の頭が出てくる。
ラムからレムの表情は
──隠れた瞳は何を写しているのか。
レムはこちらに目を向けぬまま声を出す。
「…お姉ちゃん。──どうして」
その疑問は、隠れていたことがバレていたことでは当然ない。
「…聞いていたのでしょう?私は彼のことを──好きでも何でもないわ」
「…嘘。嘘つき。お姉ちゃんの嘘つき。──そんなこと思ってないくせに」
「…嘘じゃないわ。政略的に婚姻を結ぶことは認めるけれど──彼と一緒に行く決断はできないわ」
──彼はラムと駆け落ちしようとしていた。
だからラムは断った。その理由は当然──。
「そっか。私を言い訳にするんだ」
「──ッ違うわ。私は私の意思で──」
「ううん。嘘。わかるよ──双子だもん」
──お姉ちゃんの嘘つき。
嘘つきと、そう言ってこちらを睨む潤んだ瞳は『■■』を写していた。
レムは走り去り、ラムは何かを失った喪失感をただ感じ、その場に佇んだ。
そうして、自分は何か間違っただろうか、とそう自問するが──答えは出ない。
※ ※ ※ ※ ※
自らの感情から逃げ出したレムは足を
(──っ私さえいなければ、お姉ちゃんは絶対に彼の手を取った。お姉ちゃんは、この里を嫌っているから。私がいるから、お姉ちゃんは自分の気持ちに嘘を吐いた)
──それは慈悲であって、慈愛じゃない。
ラムは優しい。──優しすぎるほどに。
その優しさは身内と認めたものにのみ捧げられ、彼女は身内にとことん甘い。
しかし、彼女の不器用な優しさは時として甘い甘い──毒となる。
◆◇◆
『──我と共に生きよう!こんな里飛び出して我と、俺と一緒に世界を見よう!力も
『…ラムにレムを置いて行けと言いたいの』
『…ああ』
『そんなことできるわけないでしょッ!!』
『今はまだ早いのは分かっているッ…!だが、いずれあいつも大人になる!自分の道は自分で見つけるだろう。お前はあの子に与えすぎだ。それに……俺は政略などではなく──俺の意思で、お前に気持ちを伝えたかった』
『………お断りよ。ならラムはラムの意思で──あなたを振るわ』
『──そうか。そうだろうな』
『──俺は絶対に諦めないぞ。俺とお前以外のすべてが関係ない。──お前を俺のものにする』
『──っ』
◆◇◆
許さない。許せない。許したくない。
誰のせいか。誰が原因か。誰が悪いのか。
あの炎の夜に、姉様以外のすべてを失った。
いいえ、姉様の未来すらも奪った。
あの夜に侵された許されざる大罪を。
滅ぼすことのできない本当の罪の愚かさを。
──レムは忘れない。
◆◇◆
──お姉ちゃんなんて知らない。
ライさんを泣かせた。その想いを裏切った。許せない。
レムは一人ベッドに
──その涙の意味は、悲しみか、悔しさか、あるいは■びか。
私には決して向けられない愛を一身に受けているのに。
──ライさんの、両親の、里の。
私の持っていないものをすべて持っているのに。
──力も才能も、愛情も……。
──そんなの、ずるい。ずるいよ……。
もし、私だったら……私にもお姉ちゃんと同じ力が、同じだけの才能が、彼の想いが得られたなら──どんなに幸せだろう。
──ああ、私はお姉ちゃんを■み■み■んでいる。
──■■している。
身に余る感情の大波に少女は疲れ眠りに落ちる。
◆◇◆
──目が覚めた。
外はもう明るいが、まだ眠い。もう少し寝ていたい。
もう一度眠りにつこうと目を閉じかけたレムは──奇妙な音を聞いた。
(なんの音だろう)
途切れ途切れに聞こえてくる──なにかの音。
不気味さに目を覚ましたレムは扉へと向かう。
だんだんと聞こえてくる音は近づくほどに、はっきりと輪郭を持ち始める。
──そうして聞こえてきたのは──。
『グシャッ』
『ゴチャッ』
『ゴゴゴ』
『グチャッ』
「キュイン」
『ドサッ』
『ゴシュッ』
『ブシャッ』
「キャああアッ…」
『ゴゴゴゴゴ』
「ヒュン」
『ドスッ』
「ウァぁあああウッ…」
『ゴキッ』
『パキッ』
『ペチャ』
『プチッ』
『──ゴゴゴゴゴゴゴ』
聞いたことのない音。聞いたことのある音。聞いたことのある声。
ゴーゴーと鳴り響く──炎の音。
ドアノブを握りしめる手が震える。
開けてしまえば、すべてが終わってしまう予感がして。
しかし、そこにはお姉ちゃんがいるはずだから。
──お姉ちゃんがいれば大丈夫なはずだから。
──何かあってもライさんが助けてくれるはずだから。
レムは、扉を開けた。
そして映り込む──『赤』。
『赤い、紅いあかい赤い紅いあか赤紅いあか赤い紅あか赤紅あかい赤紅いあか赤い紅あか赤紅あかい赤紅あか赤紅いあか赤い紅あか赤紅いあ桃赤紅あかい赤紅あか赤い紅あか赤い紅あか赤い紅あか赤紅あか赤紅いあか赤紅あかい赤紅あか赤紅あか赤い紅──あかい』
──視界のすべてが赤く染まっている。
それは炎か、血か、火を写す銀の刃か。
──赤髪の少女が戦っている。
否、それは髪を炎に照らされたラムだ。下衆に彼女の髪を汚すことなど、出来るはずがない。
少女が腕を振るえば、肉が裂け、骨が断たれ、頭が飛ぶ。
正体不明の輩は命を投げ捨てるかの如く仲間もろともに火の玉を投げ、剣を投げ、突き刺し、振るう。
しかし──。
──それら一切の犠牲は意味を持たない。
──少女に届くことはない。
──少女は強い。
敵を殺す高揚感が角をより輝かせ、振るわれる風の刃は万物を断ち、その命を絶つ。風の如く軽やかに敵を殺し、妹の眠る家を守る。
──ラムは強い。
延々と送り続けられる破壊衝動の波を強靭な精神力で
守り切れない同胞たちが一人、また一人と散るところを見ても、両親の首が飛ぶところを見ても、少女は動揺しない。暴走しない。憤怒しない。
彼女はこの事態に守るべきものをもう定めている。
見捨てた同胞たちに報いるため、愛する者を守る為、絶え間なく迫り来る狂人を殺し尽くす。
──少女は頼らない。
己を飲み込まんとする万能感に。
己より強く、すべてを滅ぼせる力を持つ男に。
──例えそれで守れる命が増えようと、己が助かろうと。
──ラムは頼らない。
それは驕りか優しさか嫌悪か。あるいは──信念か。
「お姉ちゃんッ!!」
レムは戦う姉に向かって叫ぶ。
──何故出てきたのか。
外に出てきてしまった守るべき者の声を聴き、されど冷静にその者へと近寄る不届きな輩を両断する。
そうしてレムの目を見て──。
「…──レム。家に戻ッ…──ッ」
──煌めく銀閃。
──飛び散る血。
──中空を舞う──白い角。
常に戦いに冷静であった少女は──。
死闘に極限の集中を齎していた鬼の本能は──。
──妹を前に正気を取り戻した。
その代償は、その対価は、一本の角。
──戦う少女は頼らなかった。
──叫ぶ少女は願わなかった。
それは『傲慢』か。それは『怠惰』か。
あるいは──。
──やっと、折れてくれた。
◆◇◆
レムはずっと恨んでいた。
──レムを裏切った英雄を。
レムはずっと思い込んでいた。
あの日あの夜──自分は助けを願ったのだと。
レムはずっと、気づいていた。
私はあの日──『助けて』とそう口にしていないことに。
──それでも助けて欲しかった。
自分のせいで姉様の角が二度と戻らないなんて思いたくなかった。
なんで口に出さなかったかなんて、その理由を自覚したくなかった。
──己の醜い部分から目を背けたかった。
──でも、もうレムは自分の弱い心から逃げられない。
レムはレムの英雄を自身のわがままで立ち上がらせたのだから。
その弱音を、その自己嫌悪を、その自己否定を──その悲痛な叫びを聞いて、レムは心が軋むような痛みを感じた。
スバルくんが思い描いた英雄ではなかったことへの落胆などではない。断じてない。
レムはスバルくんに、レムの英雄に立ち上がってほしかった。
だって──。
スバルくんが感じていた罪悪感は──レムの過去そのものだったから。
レムは彼の言葉に自分を重ねた。
──レムも
鬼としての力も魔法の才能も人を魅了する人間味も。
──しかし当然のように
──レムも知恵がなかった。
料理の仕方も人を喜ばせる方法も知らない。
──しかし当然のように
──レムも無駄にあがいた。
ライさんに好きになってもらえるよう頑張ったわけでも、姉様より魅力的になろうとしたわけでもない。
──ただ、いづれ来る日から目をそらし続けた。
いつだって
何にもできないのに心のうちでは偉そうだった。
自分はあの炎の夜に何もしなかったのに、恨み言だけは一人前だった。
──彼は言った。
『何様のつもりだ!?よくもまぁ恥ずかしげもなく生きてられるもんだよなぁ!なぁ!?』
彼が彼自身に向けて発した言葉なのだとわかっていて尚、レムはレムの犯した罪に対する呪詛なのだと思った。
──彼はまだ続ける。
もうやめて欲しい、もう聞きたくないと、そう心が悲鳴をあげてもレムに耳を塞ぐことは許されなかった。
『空っぽだ』『何もしてこなかった』『あれだけ時間があって、自由があって』『何にもしてこなかったのに何かを成し遂げたいだなんて』『何も変わっちゃいない』『自分を正当化してただけ』『頑張っているふりをしているだけ』『人の目ばっかり気にしてる』『小さくて』『卑怯で』『薄汚い』
『──
──すべてがすべて自身に向けられた言葉なのだと、これは罰なのだと思った。
スバルくんの語った自己否定すべてがそっくりそのままレムが気づいてすらいなかった過去の否定だった。
──何の力も知恵も得ようと努力しなかった
──拾っていただいてメイドとして過ごした
──一人無謀にも魔獣を狩り尽くしに森に入った
──そして姉様の代わりになろうとしていた
それらの後悔が悔恨が、英雄を立ち上がらせようと開けかけた口をつぐませた。
しかしそれでも──。
「それでもスバルくんはレムの英雄なんです」
──それはヒロインを救ったからか。否。
──それは尊い自己犠牲の精神を表したからか。
──否である。
「スバルくんは私と似ているようで全然違いました。
スバルくんは私と同じか、それ以上の後悔や苦悩に苛まれています。そんなスバルくんが、そんなスバルくんだったからこそ。
──レムは救われたんです」
それは──憧憬。
──レムとは比べ物にならないほど気高い姉様でも。
──レムとは桁違いに強大なライさんでもなく。
──レムと同じ。
『ちっぽけで』『ずるくて』『泥臭い』
『──あなたのおかげで』
──私が救われたから。
──だからこそ。
レムはナツキスバルを、レムの英雄を立ち上がらせた。
──だからこそ。
レムが自分の心から目をそらすことは許されない。
レムは救われたから。
レムにはもう愛しい英雄がいるのだから。
──レムはもう大丈夫だから。
レムは逃げない。目をそらさない。
◆◇◆
絶対に頼らないと決めていた、筋違いにも恨んですらいた人に頼ることをレムはもう躊躇わない。
遥か昔の約束。
絶望の夜より前の、苦しく辛かったあの里での唯一覚えている明るい約束。
──レムはずっと覚えていた。
──レムはずっと忘れられなかった。
ずっとずっとそれこそあの里で生まれてからずっと──。
──助けてほしかったから。
自分はもう救われているけれど。
願う資格なんてないけれど。
──それでも、そんなこと関係なくレムのことをまだ妹と思ってくれているのなら。
──一度でいいから。
このどうしようもない状況を──。
どうしようもない運命を──。
──どうか捻じ曲げてください。
レムは願う。妹は願う。
──だから──。
◆◇◆
「……助けて……お兄ちゃん─ッ!!!!!」
「おや?」
「あァ?」
──沈黙。
数度周囲を警戒したが何も訪れないことを確認した二人はほくそ笑み嘲笑う。
「おやおや絶望して諦めて神頼みならぬ身内頼みとはね。それってずいぶんと傲慢だと思わない?自分は何もしないのに救われようなんて恥知らずな真似、僕にはとても理解できないよ。だいたい誰かが助けに来たところで僕たちを相手にできるわけないじゃないか。その愚かな願いで死ぬ愚かな誰かが可哀そうだね。ある程度の年齢になるまで過ごしてきたのなら察して欲しいんだよね。そういうの。──そんな都合のいいことあるわけがないって」
何の音沙汰もないことに流石に無望かと心がくじけそうになる。
──しかしレムは知っている。
レムの恥が、後悔が、罪が、その存在の埒外さを知っている。
──だから、信じる。
──レムの
「……いいえ、きっと来てくれます。あなたたちなどモノともしない──
「へェ、英雄。そいつぁ俺たちも楽しみだ。さぞやそいつも美味なんだろうなァ」
「メルヘン女の戯言だろ?」
「いいねぇいいよぉいいさ、いいな、いいとも、いいじゃないか!いいだろうとも!!あァそんな英雄がいるなら俺たちの飢餓も満たされるかもしれないッ!そらもっと泣いて呼び叫べ!暴飲!暴食!」
「くッ!」
「は、付き合ってられないね」
興奮して襲い掛かってくる『暴食』に咄嗟に鬼化して対応するものの鉄球は弾かれ氷柱は砕かれる。──絶望が脳裏をよぎる。
迫り来る狂刃を前にレムは場違いにも思う。──スバルを想う。
──スバルくんはレムの初恋について話したらヤキモチを焼いてくれるでしょうか、なんて。
──果たして『暴食』は牙だらけの口を大きく開き──『権能』を行使する。
「──イタダキマ──」
──刹那。
『強欲』も『暴食』もレムも。誰もが反応できぬ速度で飛来するナニカ。
──それは天空より雲を穿ち大地へと到来する
影が二人を分かつように大地をえぐり、遅れて発生する衝撃波。
それが『暴食』とレムを突き放す。
突然の襲撃に動揺する『強欲』はしかし冷静に少しずつ晴れる砂煙から覗く敵を凝視した。
──火花を散らすほど濃縮されたマナを纏い。
──血のような赤みを帯びた黒曜の髪は邪なものを連想させ。
──こちらを睨む双眸は憤怒の色に染まっている。
額に獰猛な魔獣を
──鬼神が降臨した。
◆◇◆