死にたくないから生きてるだけで 作:猿も電柱に登る
二階級降格
意外と良くあるバッドエンド。
角から曲がってきた車に轢かれて死亡。
私の人生はそんなテンプレによって締め括られた。
とはいえ、死ぬことは怖くなかった。
いや、怖くないというのは語弊があるだろう。
私は『死にたくはない』のだけれど、別に生に執着があるわけでもない。
要するに悟り系だの何だの言われているだけの普通の人間だ。
良くある若者のはずである。
夢もなければ、誇れるほどの勉学を積んでもない、趣味もなければ、特別快楽を求めるわけはない。
何かを求めることのない欲のない人間であったはずだ。
ならば、何故だろうか
『ヒヒーン!』
仏陀よ!私は畜生道へ堕ちるほどの悪事を働いたのでしょうか。
それとも虫の一匹でも殺せば地獄行きと呼ばれる輪廻の輪の中では優しい行いなのだろうか。
いや、二つも下の道へ堕とされるのはあまりにも無慈悲である。
許せぬは六道を作りし神であるが、あいにくこの馬の身体は、そのような難しいことを思案するのにはいっとう向かないのだ。
今はただ乳を飲み草をはむ生活に怠惰なまま甘えているのが良いだろう。
それが幸せなのかと言われれば、とても幸せとも思えないが、今の私も生前と同じく、快楽を求めることはなく肥えさせられたならお肉になることも是としている。
そんなこともあって幸せであることはなくとも、幸せではあるという矛盾を抱えていた私であったが、唯一楽しみと呼べるものがあった。
「サチー、放牧だよー」
何を言っているかわからんだろう。
私も彼ら人間の言葉を理解することはできていないが、その音のリズムでなんとなく何を語っているかはわかるのである。
おそらく今のは
「うまー、散歩にいくぞー」
という意味合いの言葉であるだろう。
この散歩というのが、怠惰で食べることと寝ることしか許されぬ馬の身において、もっとも楽しい遊びであった。
生前は、人並みに遊ぶことをしていたものだが、それが趣味かと聞かれると途端に言葉に詰まる。
勉学に励むよりはましである程度のものだ。
そしてこの馬としての生活、比較となる勉学もなく、娯楽もないのなら、野山を駆け回る幼児のような行いすら、ただ暇を感じさせることのない素晴らしい快楽と言えるだろう。
この人間、おそらく牧場の人であろう、は、随分と都合の良い存在であった。
目の届かないような所へ走っても、怒鳴ることはなく、帰ってきたらナデナデと頭を撫でてくれる。
おまけに飯をくれるときたものだから頭が上がらない。
こんなに都合の良いことがあるとは、あとで揺り戻しがあるに違いないと身構えていれど、その時が訪れる気配はない。
それどころか、昼だけであった散歩を夜にもして良いというのだ。
これはたまげたと嘶く。
どうやらここは畜生道ではなく、天道か極楽ではないかと、遊んでいるだけで飯を食える日々に喜んでいたのも束の間、仕事が舞い込んできた。
「よし、ハミを着けるから大人しくしておくれ」
『バフッ』
どうやら私は、乗馬の馬だったのだろうか、首に手綱らしきものを装着させられている。
馬肉になることは当分先のことになるだろうと思って、喜びに震える。
人間は私が不快に思ったのかと考え手綱の位置をずらしているが、さっきのが一番良かったもんだから、自分でちょっとずつずらしてその場所にしておいた。
そしたら人間もずれたのかと思って直す、私かまたずらす、直す、ずらすといたちごっこになった。
最終的にはずらした場所が一番良いと理解してくれたようで、そこにきっちりと固定してくれた。
その次の日は鞍を背に乗せてもらったり腹巻きを巻いてもらったりと、気分は乗馬のされる前の気分、今すぐにでも乗せてやろうと屈むと、まだ何か着けるということで立たされてしまった。
そんな幸せな日々は、まだ続く。
「乗るぞー、サチ」
「ありがとうなサチ、お前はいいサラブレッドだな……、G1だって取れるかもしれないぞ………」
今度は立派な鞍にいつもの人間が乗っかってきた。
始めは想像より軽いもんで、自分の世話をしている人間は小さな子供だったのかと驚いてしまったが、ぴょんと降りて頭を撫でる手はやはり大きくて、馬が車を引いていたという時代は本当だったのだと、密かに先人、否、先馬への敬意を抱いた。
そういえは、友の話を忘れていた。
人間に愛想を振り撒くようなことも、同じ馬に愛想を振り撒くこともしなかったが、群れのはぐれ者のような奴から、随分と懐かれたもんで、寄ると頬をすりすりとされ、離れるととてとてと着いてくる。
正確な時がわからんもんだから、私がどれだけの年を生きてきたかを覚えてはおらんが、明らかに年下に対してこうも懐いてくるものだから友達などいなかったのだろう。
もっとも、人間として生きることを止めさせられ畜生に身を堕とした私は人の言葉はわからん、そんでもってなまじ人としての性質が抜けず仕舞いなもんで、馬の言葉もわからん。
楽しそうにペチャクチャと会話している姿は可愛らしいが、何かわからん言葉をぶつけられるのはなんだか腹立たしくて何度か蹴って追い払おうとしてみたものの、めげることなく私に語りかけてくるその姿には、健気なものを感じて、側にいることを許したというわけだ。
そんな友は今日もペチャクチャと言葉を話すが、眠ることを優先した私には、その騒音も聞こえることはなかった。
そんなある日のことだ。
ドシンと音を立てそうなでかいトラックがブーンと音を立ててこちらへ来た。
人間たちがヘコヘコし合っているのをみて、人とは大変なものだと思ったものの、果して誰が出荷されるものかと、不安になってきた。
健気なあれは、若くないだろうから、馬肉にされることはないだろうが、万が一というものがある。
もし、あれの小屋に行くようなものなら、足止めはしてやろうと強く誓う。
だが
「今からトレ·センに行くんだぞ、立派なサラブレッドになって、元気で帰ってこい」
ドナドナされたのは私だった。
良くわからん場所に良くわからんまんま連れてこられたもんだから、びっくり仰天して、空を仰ぐ。
馬の首で空を見ることの大変さを知るだけで終わった。
それからの日々が地獄に変わったのかと言われれば、そんなことはなかった。
ここでは私を肥えさせるという意思を感じないのである。
その代わりといってはなんだが、坂道を延々と走らされたり、プールでの遊びが増えたりした。
運動量は増えたが、それは楽しいもんだし、不快に感じることはない。
ただ、ここまで来れば知識のない私でも流石に気が付く、どうやら私はサラブレッドのようだった。
後ろから追ってくる馬を躱す訓練だとか、並んで走る訓練だとか思っていたそれは、おそらく実践形式の練習だったのだろう。
となると、今度からの練習は本気で走った。
上の人間に言われる通りに、全力で何度も走ったもんだから、自分の限界がわからなくなった。
毎日全力で走る上に、言葉も話せない奴が後ろから追いかけてくるなんて恐怖でしかないだろうに、私の隣で走っていた馬たちは、良く頑張っている。
すぐに追い越して、そのままゴールしたけれども………、彼らの健闘は素晴らしかったが、幼少期から意味もなく走り回っていたせいで、早く走る方法や疲れない走り方などは何となく知っている。
おそらく、私は早熟な馬として、数回走ったあとに食卓に出されることになるだろう。
屠殺されるときは、痛くなければ良いと切に願いながら、今日の夜を終えたのだった。
途中で筆致が変わり続けているのは、作者が多重人格という設定にしておきます。