死にたくないから生きてるだけで   作:猿も電柱に登る

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 一応、前世も今世も男の子です。



不幸な馬

 

 灰色

 

 1985年、とある牧場に産まれた競走馬の卵

 

 名馬ザテトラークの血をひく、と言えば聞こえは良いが、その父も母も、挙げ句の果てには、祖父も祖母も聞き覚えのないような馬しかいない。

 ヘロド産馬を残したいという意思を持ったオーナーが、必死で集めた祖母であったのだが、その子供はろくに走らず、高まっていた競走馬への熱も冷めて、知り合いの牧場に預けた。

 

 そんな不名誉な馬である。

 

 曾祖父から譲り受けた葦毛は、その特徴的な斑模様ではなく、話題を呼ぶような真っ白なものでもなく、ただ少し黒い、灰色のものであった。

 いや、灰色の毛並みが悪いというわけではない。

 ただ葦毛は走らないという噂がまことしやかに囁かれているこの日本に置いて、中途半端な葦毛というのはハンデでしかなかった。

 

 そんな運命の元産まれてきた彼であったが、その出産もまた酷かった。

 

 特に暴れることもなく、安全に取り出されたと思いきや、突然母親から踏みつけられそうになり、職員に救出されてからも、母親からは嫌われ、冷たい目で見られることになった。

 

 故に母の元を去って職員の手で直接育てられることになったのだが、その姿は無気力で、いつも虚空を見つめていて、食欲も薄く、職員がどこを触っても怒りを露にすることもないという、全てを諦めたような馬であった。

 

 総数で見れば数えきれないほど多い競走馬に彼と同じような経験をした存在も多かっただろうが、牧場の職員たちは、その境遇を哀れんで、その仮の名前を

 

 『サチ』

 

 と名付けた。

 どうかこの子の一生に幸があらんことを、そんな願いを込められたその馬は、職員の助けによってすくすくと成長した。

 

 

 「サチー、放牧だよー!」

 

 無気力に思えたサチであったが、どうやらそれは杞憂に終わったのかもしれない。

 放牧を促すと、元気に走り回るのだ。

 全力で走っては止まったり、ゆったりと歩いては跳ねたり、曲芸でもしているかのような動きは、愛らしくて、職員たちも、そのたてがみをふさふさと撫でる。

 

 すると喜んでまた走り出す。

 

 そんな繰り返しで、貧相な身体は成長していき、職員の見えないところまで走って行きそうになるような元気溌剌な子に育った。

 

 これでサチという明るい名前に相応しい子になったのか、それとも名前の加護のようなものなのか、サチは幸せに過ごしているように見えた。

 

 だけれどもサチは馬の友達がいなかった。

 

 一頭、父親から話しかけられることはあって、随分と気にかけてくれている彼のことを気に入ってはいるようだが、友達と呼べるような存在はいない。

 

 なぜ友達ができないのかと思い、獣医に相談したのだが、その結果は残酷なものだった。

 

 「聴覚障害です……」

 

 サチは耳がほとんど聞こえていないというのだ。

 人間より圧倒的に耳が良い馬という動物の単位なので、どれほどのものかとはわからないが、同族の言葉がほとんど聞き取れていないそうだ。

 

 となるとなぜ人間の声は聞こえるのかと、当然の疑問が浮かぶが、それにも

 

 「男性からの言葉では反応が鈍かったりしませんか?」

 

 心当たりがあった。

 

 日常的に使う低音は、聞き取ることが難しいということらしい。

 

 となると、馬の群れに馴染むことは難しくなるわけで、競走馬としての道も、通常よりもハンデを背負っているわけだ。

 

 なんと、不幸なことだろうか。

 

 サチに幸せはないというのだろうか、あまりにも無慈悲な運命へ怒りの声をあげる。

 

 だが

 

 「代わりと言ってはなんですが、内臓機能が異常なほど強いようですね」

 

 天は二物を与えずとも、釣り合いの取れる一物を与えることを許したようである。

 競走馬として完成されたようなその身体機能は、他の馬とは一線を画すほどのものであり、その聴覚を除けば、素晴らしい名馬に育つ逸材であろう。

 

 だが聴覚のハンデは小さくない。

 それを乗り越えられるだけの才能があるか、それを見極めることができるほど、職員たちは馬に触れることを許されてこなかった。

 

 すがったのは蜘蛛の糸か、それとも太いしめ縄か、一頭の馬の命運を、一つの牧場の存続を賭けた大勝負が始まろうとしていた。

 

 

 「よし、ハミを着けるから大人しくしておくれ」

 

 競走馬としての一歩目、馬具を着けることを嫌がるかどうかだ。

 幸いにもサチは、首を撫でている間は、非常に大人しくしていてくれる。

 ハミを着けるところまでは成功した。

 

 『バブッ』

 

 おっと、どうやら場所が悪かったようである。

 少しずつ調整しながら、改めて着け直す。

 

 すると

 

 

 くいっ!

 

 ハミがずれる

 

 戻す

 

 くいっ!

 

 ずれる

 

 戻す

 

 くいっ!

 

 ずれる

 

 戻す

 

 

 そんなことを繰り返すうちに、どうやら初めの場所が一番良かったようで、満足そうに首を振る姿は、人間臭くて、思わず笑みが溢れるのだった。

 

 その後も、装具を着けていくことには抵抗のない様子で、人を乗せたらどうなるかと思い、それを結構した今日。

 

 「サチー、乗るぞー!」

 

 できるだけ高い声で叫びながら、その背中に乗る。

 今思えば、叫んでも驚いたりしないところからも、聴覚障害があることの理解はできたのだろう。

 自分たちの学の無さに不甲斐なく思う一方、サチに奥さんができたら、どうなるだろうかと夢を膨らませる。

 

 もっとも、競走馬は基本的にワンナイトラブ、一生を連れ添うお嫁さんはできないだろうが。

 

 特に訓練もしていないのに、乗り手を気遣うような素振りを見せるサチに、底知れない才能を感じながら、ゆっくりと、地面に降りる。

 

 「ありがとなサチ、お前はきっと一人前のサラブレッドに成れるさ、G1だって取れるかもしれんぞ!」

 

 サラブレッドとは、イギリスで改良された品種からの血脈のことなのだが、難しい言葉を使っても、馬はわからないだろうと思い、そのまま言葉をかける。

 

 当然のように馬が話を聞いている前提で会話をしているつもりになっている。

 これはいけないと、頬を叩いて正気に戻るが、撫でてと身体をすりすりするその姿に絆され、結局は意味のない会話をするのであった。

 

 そして彼の誕生から一年が過ぎる少し前、育成牧場に行くこととなった。

 

 同族と馴染めない彼にとって、それから追いかけられたり、隣にいることを強制されるのは恐ろしいことだと思う。

 もし、馴染めないようなら、うちの牧場に帰ってきてくれると嬉しい。

 大人しい子だから、乗馬用の馬としても活躍してくれるだろうし……

 

 そんな思いに……、名残惜しいと思っているのはこっちかとなる。

 

 

 

 「よろしくお願いします!」

 

 「いえいえ、それでその子は……」

 

 「あっ、それは……」

 

 輸送に来た育成牧場の人間である彼は、今日、受け取り来た馬に想いを馳せる。

 

 聴覚障害という欠点を持った馬。

 あまり期待してはいないし、話を聞くに観光客を乗せる乗馬用の馬になった方が良いと思えるが……

 

 「こいつですよ」

 

 

 灰色で小さい

 

 その姿を捉えた一瞬では、そんな感想しか出てこない平凡な馬。

 

 しかし

 

 「これが一歳未満の馬の馬体ですか……」

 

 それは、普通の競走馬を基準とした場合。

 その身体は明らかに大きく、落ち着いた姿で美しく、それでいながら足の筋肉は完璧な形で釣り合いが取れている。

 

 はっきり言って異常な馬であった。

 

 「遊ぶのが好きでして、良く散歩をしたりするんです、散歩した日は、良く食べてくれるもんだから、自分たちも嬉しくてですね」

 

 早熟だったとしても、早すぎる上に凄まじい勢いで成長し続けているというのだから、他の馬がかわいそうになるほど完成されていた。

 

 それでも

 

 「聴覚障害はどの程度ですか」

 

 馬自身が距離を測るのに重要な聴覚のハンデは、妨害や接触を回避することが求められる競馬において、大きなものであった。

 

 「かなり高い声じゃないと音として認識できないみたいです……」

 

 「聞こえはするんですか?」

 

 「?、はい」

 

 ひとまずは、大丈夫なようだ。

 

 「それではこちらへ」

 

 馬を輸送車に乗せる。

 

 『サチ』

 

 この馬は多くの幸運に恵まれている。

 

 これの行先は、光ある栄光の道か、それとも暗雲立ち込める凡才の道か

 

 これからの気になる馬である。

 

 大袈裟に手を振る牧場の人へ挨拶をして、目的地を目指すのであった。

 

 





 競馬界において、天才以外は全て凡才だと思ってる。

 次回は育成牧場でのお話
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