ほとんどの本を取るのに脚立が必要な大図書館、その隅の扉の奥に、彼女はいた。
「きたよー」
規格外に大きいベッドの真ん中で一人ぼんやり天蓋を見つめている。お腹の上を小さな机が覆っていて、なにやら書き散らされていた。日付はもう二日前。
「あれからどうしてるかなって思って」
事態が悪化している。結局図書館から出られなかったようだ。
「……この百年間で、こんなに一秒を長く感じたことってないわ」
帰れと言われなかったので安心した。言われれば従う他なく、そうなると彼女と会話できるものが一人としていなくなる。
「それでいて、なにかする気にもなれないものよね。誰かとお話することはあるの?」
「ないわ。みんなできるだけ放っておいてくれる。もしお節介なんか焼かれたら、そいつのこと嫌いになってるかも。やっぱりレミィが一番良くわかってて、みんなを止めてるみたい。たまにフランがいたずらしに来るけど」
フランドール。短気で場当たり的なようで、全てを見通していて、恐ろしくクレバーな悪魔。彼女の恐れるべきはその能力ではなく、あえて己の感情に従って動いていることと、賢さだ。展開をどこまで見据えていて、何をどうするために動いているのか、姉でさえもわからないらしい。
「それは……大丈夫? ほらあの子って、何をしたいのか、よくわからないときがあるから。危ないこと考えてないといいけれど」
「危ないことは派手にやりたいタイプなのよ。変なことしてたらすぐに気づくわ。付き合いも長いし。あなたがフランのこと、いかれてるとか気が触れてるとか、言わなくてよかった」
「ふふ。いかれてるったって、疾患だったり人格だったり、いろいろじゃない。こういうのを投げやりな言葉で片付けちゃあね」
「……フランの行動がどうであれ、この館の誰もがそれを許すわ。あの子、他にどこにも居場所がないもの。あの性格は別に生まれ持ってきたものじゃないし」
長年付き添った果ての覚悟、あるいは諦念だろうか。話し終えて、深く咳込んだ。
「ごめんなさい。掃除もさせてないもんだから埃っぽくて」
「そういえば、山に喉をよくする妖怪がいるわ。診てもらったらどうかしら」
「喘息の炎症ってアレルギーのせいで、アレルギーは体質だから、対症療法はあっても根治はできないのよ」
天蓋を見つめる。
「外には出ないまでも、他人と関わらなきゃいけないのはわかってる。でももう人と関われるくらい人のことを好きになれなくなったのよ」
「前お話したときよりも好きじゃなくなってるの?」
「……ええ。なんでかしら、人が私を、控えめに言って、良く思ってないんじゃないかって、思えてならないの。本当はそんなはずないのにとも言えなくなっちゃった」
「私は私自身ががどうであれ、あなたとこうやって関わっている限りあなたの側にいるし、館の面々だって、心配してたり、むしろあなたなら大丈夫だから心配ないとか、思ってるはずよ。そう思ってくれているのは、もちろんあなたの味方でいることを当たり前に受け入れているからこそだわ」
「……外の人とも話さなきゃならないかしら」
「話さなきゃいけないわけではないけれど、一般に言われているよりも、多数との希薄な関係を持っていることって、すごく大切なの。同じコミュニティから一歩も出ないでいることは、いずれ誰とも話さないことと大差なくなってくるわ。コミュニケーションの目的のひとつは、誤謬を互いに訂正し合うことだと思う。それこそ、自分のことを良く思ってないんじゃないかと思ったら、実際に話してみるしかないのよ。そういえば、ここの人らは夜中のパーティに人を呼ぶ(幻想郷縁起より)そうじゃない」
結局ここの主ははしゃいで騒ぐのが好きなだけなので、賑やかしに人を招き入れては自分のわがままに散々付き合わせ、朝になったら寝るということを繰り返している。そして特にそれが男だったとき、無自覚にもその人を誑かし、運命を狂わせてしまうのだそうだ。
「ええ。がきんちょのわがままに付き合ってくれる心優しい勘違い野郎がのこのこやってくるわ。レミィのことは私はもう好き以外になくなっちゃったけど、振られた話題をいちいち膨らませて返すのが苦手だから、ほとんど顔を出さないの」
「その場にいるだけでいいわ。話しかけないでほしいオーラを出すのは得意でしょ。そうしたら話しかけられることはないだろうし、レミリアちゃんなら絶対に察してくれるはずよ。みんながお話してる中で、好きな話にだけ聞き耳を立てていればいいと思う」
「……長く生きてると、前に聞いたような話題っていうのが増えていくの、わかるわよね。だから里の人間の話なんて車輪の再発明でしかなくて、聞く必要なんかないって思ってたけど、若い頃の考え方を思い出すいいきっかけにはなるかもしれない」
「そう。自分の中にある一貫していない気持ちの悪い部分を思い出して、それもまた自分であると受け入れる。そのプロセスは、自分ひとりじゃ難しいわよね」
「こんな心理状態じゃ何かしようだなんて少しも思えない。これが一過性のものだろうから、元気にさえなれれば、何かしようと思えるはずなのよ」
「んー、手っ取り早いのは、さっさと抗鬱剤を飲むことね」
「まさか自分がこんなことになるなんて思ってなかったから、作り置きしてないわ」
「永遠亭までちょっかいでもかけに行ってこようかしら。貰ってくるわ」
鬱病患者との会話は恐ろしく時間がかかります。一つ言葉を返し始めるのに十秒かかると思っていいかもしれません。またそんなときにこんな長話を仕掛けるのはよろしくないです。こういうときはさっさと抗鬱剤を飲んで、ベッドで死んだように倒れているのが一番です。僕は鬱状態になった/なりかけているとき、少し元気が出てくるのを見計らって映画を観ます。動かずしてワクワクできるからです。