ジャシン教のジャシン様   作:湯切倉庫

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三途の川

 ふと目が覚めたらいくつもの顔がオレを見下ろしていた。

 

 腕を動かそうとしたがぴくりとも動かない。手首には縄できつく縛られた跡が色濃く残っているものの、今のオレを拘束するものは何一つなかったはずなのに。

 

「そろそろ殺してみるか?」

 

 顔の一つが物騒なことを口にする。そろそろご飯食べるか? くらいの気軽さで人を殺そうとするなんてとんでもない奴だ。

 硬くて冷たい台のようなものに寝かされてるオレは、ゆっくりと目を伏せる。

 

 ――――そうか、もう壊れかけているのか。

 

 オレの痩せこけた頬に誰かが触れた。その手は布ごしでも温かい。終わらせてくれる気になったのならここは喜ぶべきだろう。

 

 やっと…………死ねる。

 

 目を閉じる。頬に触れていた誰かの手のひらは、もう満足に力も入らないオレの腕を持ち上げて強く握りしめていた。まるで何か奇跡を待ち望んでいるかのように、祈るように。

 その手の温もりは、どうしてか先ほどよりもはっきりと感じられた。

 

「邪悪なる存在よ……その身に宿りし天恵を我々にお授けください」

 

 すでに微睡の中にいたオレの元に、その祈りが届くことはなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 かつて、湯の国にある忍の隠れ里で呪われた子どもが生まれ落ちた。

 

 子どもに名は無い。正確には()()()()()()()()

 子どもが母親の胎内から頭を出した時には、すでに母親は恐ろしい形相のまま息絶えており、お産に立ち会っていた父親や助産師を含む全員が、喉に異物を詰まらせて窒息死していたという。

 解剖によって喉の異物は摘出されたが、湯の国のあらゆる専門家の知識をもってしても、その正体を突き止めることは出来なかったらしい。

 

 周りの大人たちから向けられる畏怖などまったく意に介さず、曰く付きの子どもはすくすくと育っていく。

 湯の国と隠れ里の上層部によって、他国どころか自国民にすらその存在は秘匿され、子どもは一度も日の光を見ることなく地下深くでひっそりと暮らしていた。

 

 子どもは不思議な力を持っていた。

 

 この不気味な子どもを殺すために、一体どれほどの人間が犠牲になっただろう。

 

 子どもに素手で触れた者は一人残らず発狂した。舌を噛み切って自害したり、喉を掻きむしって死ぬなど。死因は様々だったが、どれも口周辺に関係していたのは単なる偶然ではなさそうだった。

 

 触れなければ害されることがないのかというと、そうでもない。

 一番の問題は子どもの瞳だった。子どもの瞳を直接見た者は喉に異物を詰まらせて窒息死する。この異物は後に高密度なチャクラの塊だと判明したが、血継限界を持つわけでもない、一般的な忍夫婦から生まれた子どもが何故このような力を持つのかは永遠に謎のままだ。

 

 さらに恐るべきは、子どもはどのような傷を負おうとも、自身の能力で誰かを殺す度にその肉体は再生し、より強靭なものへと作り替えられていくようだった。

 

 この時、世の中は第三次忍界大戦真っ只中。小国が生き延びる為には、例え邪悪な力であろうとも利用しなければやっていけない。

 

 子どもの管理を任されていた里の上層部は、悪魔に魂を売ることを決意した。

 

 初めて外の世界に出た時、すでに子どもは三歳になっていた。

 全身を二重の布で覆い隠してゴーグルまで装着している仲間と共に、ひたすら敵国の忍を屠ることに専念した。子どもにとって人を殺すというのは息をするように簡単なこと。この瞳で相手を見るだけ、もしくは手袋を外した手のひらで触れるだけで、相手は勝手に苦しみながら死んでいく。

 

 ただただ機械のように単調な作業を繰り返すだけの日々が過ぎ、長く続いた戦争がようやく終わりを迎える。

 子どもの存在は世界中に知れ渡り、湯隠れの悪夢、神の力、とまで囁かれるほどになっていた。戦争が終わった途端に地下での生活に戻っていた子どもにとってはどうでもいいことであった。

 

 戦争が終わり、里の方針が平和主義へと舵を取り始めると、子どもの存在価値は戦争で役立つ殺戮兵器からただの被検体へと成り下がった。

 

 なぜ突然変異のようにこのような力を持つ存在が生まれたのか。それがなぜ小国である湯の国でなければならなかったのか。

 巨大な力を持って生まれてくる存在というものは、偶然ではなく必然として大国に集まる傾向があった。血継限界以外で小国に規格外な力が誕生するケースは少ない。

 

 平和という名のぬるま湯にうんざりしていた貪欲な研究者たちにとって、子どもは至高の存在である。

 毎日のようにあらゆる非人道的な研究が行われ、平和主義を謳う隠れ里の地下では継続して死体の山が積み重なっていった。

 滑稽な話ではあるが、理想と現実のギャップや聞こえが良い言葉で塗り固められた虚構というものは、どこにも存在し得るものだろう。

 

 子どもはついに少年と呼ばれる年齢へと成長し、すでに己が何者であるかを悟るようになっていた。

 この世に生まれ落ちたその日から繰り返される単調で退屈な日々。窓はなく、決まった時間にしか開かない頑丈な扉。訪ねてくる研究者たちの欲望に(まみ)れた瞳に滲む狂気と恐怖。

 

 少年は死にたがっていた。

 

 目に見える傷は見知らぬ誰かの死によって再生を繰り返そうとも、心の傷はその限りではない。それどころか、生と死の狭間を行き来する度にどんどん擦り減っていく。

 常に手首まで隠れる服を着せられ、自分の意思では手袋を外すことすら許されない。出入りする人間は必ず眼鏡かゴーグルを着用しているが、少年自身に目隠しを施すこともあった。

 

 ――オレは何のために生まれて、何のために死んでいくのだろう。

 

 少年は思考する。手首を縛られ、身動きすら出来ない状態でも頭だけは妙に冴えていた。

 邪神のようだと畏れられた力でさえも、こんなにも無力である。少年は神ではなく、ただのちっぽけな人間にすぎなかった。

 

 ゴーグル越しに温度の感じられない瞳が見下ろしている。それは一つではない。これまでに何度も見てきた顔が揃っていた。

 

「これより被検体“U-0”の研究を凍結する」

 

 ――被検体Unknown、そのオリジナルを意味する、ゼロ。

 

 これが最後であるならと、研究者たちは対象の身体を最低限気遣うことすらしなくなった。

 危険な薬物の投与、一般人であれば致死量である採血、そのどれもが、これまで少年が奪ってきた命の数だけ頑丈になっていた身体を完全に破壊するまでには至らない。しかし、それらは蓄積するものである。

 

 少年の肉体は確実に弱っていき、ついには自力では立ち上がれなくなった。すでに拘束具は全て外されているというのに、指一本すら動かせない。

 長い期間誰の命も吸わずに生きてきた少年は自分の限界を見た。はじめての感覚に、歓喜に似た感情で震えが止まらない。

 

「そろそろ殺してみるか?」

 

 もう耳が聞こえているかも怪しい少年の姿に、ある研究者が提案する。一人くらいはあと少しだけと駄々をこねる者が現れるかと思ったが、意見はすんなりと通った。

 

「呪われた神とやらの死に様はどんなものだろうな」

 

 この場にいる研究者たちは神の存在を信じていない。現実主義に基づく無神論者だ。

 精一杯の皮肉を込めた言葉にも、少年は一切の反応を見せない。つまらないが、これから壊そうとしている玩具への興味はとっくに尽きている。

 価値を失った道具にしては、生かしておくにはあまりにも危険な存在だった。

 

「なあ、祟りなんてあると思うか?」

 

 ある研究者は冗談半分で隣にいる男に問いかけた。しかし、予想した反応は帰ってこない。隣に立っていた男はただただ無言で少年を見つめている。

 

 被検体U-0を処分すると上から通達があった時、ある団体から猛反対を受けたという。被検体を本物の神だと崇めている頭のおかしい連中だ。

 目の前で死にかけている少年が神か否かなどわざわざ論じる必要もないというのに。

 

「なんだよ」

 

 面白くないなと研究者は思った。この男は確か、半年前に入ってきた新入りだったはずだ。

 

 いつの間にか目を覚ましていた被検体と目が合う。急に自分がゴーグルを付けているか心配になった。両手にもしっかりと手袋をつけているというのに。

 

 目の前で死にかけているだけの人間……取るに足らない存在……。そのはずなのに、最後まで少年の力を恐れている自分がいる。

 

 他の研究者が被検体を最後はどのような手で殺すか熱く語っているのを耳にしながら、そこに混ぜてもらおうかと、研究者は振り返る。

 

 コツン、と靴音がした。

 

「……私はきっと、貴方様の為だけに生まれてきたのでしょう」

 

 ある研究者の隣に立っていた男だった。男が少年の頬に手を添えている。その場にいた少年以外の全員が何を言ってるんだとお喋りすらも中断して黙り込む。

 男はするりと自分のつけていた手袋を外した。そのまま少年の手を強く握りしめる。

 

「おまっ、一体何を…………!」

 

 すでに固く閉じられていた少年の瞼が僅かに痙攣する。

 

「邪悪なる存在よ……その身に宿りし天恵を我々にお授けください」

 

 男の首元でシンプルなデザインのペンダントが揺れている。

 その直後、男は自分の喉を勢いよく掻きむしって絶命した。

 

「おい……! まさか今ので…………」

 

 瞬き一つする間に少年の肉体は小さな光に包まれて、両腕の夥しい量の注射痕も、切断された右足も全てが元に戻っていた。むしろ以前より調子はいいようで、実験台から起き上がった少年の瞳は以前より輝きが増している。

 

「早く取り押さえるんだ!」

 

 少年がゆっくり自分の手のひらを見つめる。喉を掻きむしった男が触れたばかりの、その手を。

 

「…………なんだ」

 

 少年の小さな呟きは、不思議とはっきりと耳に届いた。その声は掠れているのに、妙な力強さを感じる。

 

「まだ生きてるのか、オレは」

 

 少年の瞳がはっきりと自分を取り囲む研究者たちの姿を捉えた。その瞳に滲むのは――増悪。

 

「ギィ、アアアアッ!!」

「やっ、やめて、やめてくれ……」

 

 ゴーグルをつけて手袋も付けてるはずの研究者たちが次々と喉を掻きむしって死んでいく。

 最後に残った、ある研究者はすっかり腰を抜かしていた。

 

「あ……あ、ああ…………」

 

 少年はすでに実験台から降りて、ふらつく足で床に足をついていた。

 

「三途の川が見れたからかな。おかげで気分がいいよ」

 

 少年がにっこり笑う。震えが止まらない様子の研究者の前でしゃがんで、怯える顔を覗き込む。

 

()()()極限まで追い詰められた状態であれば、再生すらもこんなに心地良いものだとしたら…………」

 

 少年の手のひらが流れる涙を拭うように頬を包む。それは紛れもなく、絶望の淵に立つ者への救いだった。

 

「殺戮は、地上で生きる人間に与えられた唯一無二の娯楽なのかもしれないなあ」

 

 

 

 最後の一人が喉を掻きむしった後、血の匂いが充満する地下を訪れる影があった。それは一つや二つではない。

 

 影たちは、血塗れの実験台の上で退屈そうに胡座をかいていた少年の前で跪いた。

 

「我々からの贈り物はお気に召していただけたでしょうか?」

 

 影の一つが、変わったペンダントを首からぶら下げた死体を、予め用意していた袋に押し込んでどこかへと運び出していく。

 

 少年はやはりそれを退屈そうに見送るだけだった。

 

「ずっとお待ちしておりました――ジャシン様」

 


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