そんな疑問に駆られ、先生に聞いてみることにしました。
会話を通じて、文章を書くことの意味を知る。
今回はその方に会いに行った時の話です。
ある日のことです。
私は、そろそろ日本人として文書を書く時期だと思いました。
もちろん、それは小説ではなく、個人的な趣味の世界でした。
しかし、いざ筆をとってみると、なかなか難しい。
見出しは面白く、結末は明確に......。
文章初心者の私には、その「基本」すら守るのが大変でした。
そこで、先生に教えてもらうことにしたのです。
見慣れた先生の事務所に行くと、書類が散乱している中で先生が仕事をしている。
これはいつものことなので、遠慮なくノックを。
すると、教授はいつもの笑顔で私を迎えてくれた。
「そうか、遠くから来たのか、まあ、そこに座りなさい。」
「はい、じゃあ、失礼します。」
この会話は何度目かわからないが、私はそっと座り慣れたソファに腰を下ろす。
教授は椅子の上で振り返り、私に尋ねる。
「今日は、小論文を書くにはどうしたらいいかを聞きに来たと聞いたが。
そのためのテクニックを聞きに来たということでよろしいか?」
「ええ、それもそうですが......。
テクニックだけでなく、書くときの精神についてもお聞きしたいのです。
先生のような方が毎日文章を書き、それを社会に発表できるようになるには、どのような心構えが必要なのでしょうか。」
というのが私の疑問でした。
スキルは、いくらでも練習すれば補えるということは知っています。
でも、いくら練習しても、完璧な文を書ける人間にはなれないんです。
彼らは何を持っていたのだろう。
それが知りたかったのだ。
先生は考えて、
「語弊があるが…私たちは何も考えていないよ」
と答えた。
「本当に何も考えていないんだ。
文章を書くのに一番大事なのは、書きたいという気持ち。
それがないと、いい文書が書けない。
それがなければ、良い文書は書けない、それだけのことだ。」
私は十分に理解出来なかった。
よくわからなかったので、もう1つ質問することにしました。
「書きたいという気持ち…。
でも、他人の目や日々の余裕を考えると、なかなか難しいのではないですか?」
それを身につけるにはどうしたらいいのか、私は尋ねる。
先生は二度ほど頷くと、もう一つ知恵を授けてくれた。
「それは、誰もが通る道だよ。
最初のうちは、みんな人の目が気になるし、お客さんが来ると次号のことが気になる。」
「でも、それは成長の過程なんだよ。
そのうち、書きたいことが自然に出てくるようになることだろう。」
本当にそうなんだろうか?
私は少し悩んでしまった。
しかし、教授はそんな私を見て、にっこり微笑んだ。
「そんなに難しく考える必要はない。
文学に素直になればいいんだ。
言わば、文学に正直であることが大事なんだ。
技術的なことは必要ない。
それだけでいいんだ。」
"文学に誠実であること"か。
確かにそれは誰でもできる。
文学を愛し、文学に誠実であること。
それだけのことだ。
しかし、素直になるのはそう簡単なことではない。
心の片隅で、地位や名声や財産を考えてしまうのだろう。
自分は本当に何のために書いているのだろう?
私は本当に書くことが好きだったのだろうか?
あるいは...。
下を向いて、こっそり、静かに自分の気持ちを伝える。
もしかしたら...、教えてくれるかもしれない。
そんな期待を込めて。
「私は...文学に素直ではありません。」
「書く理由は、認められたいからです...。
長い間、まともなことができず、私にできることは...書くことだけでした。」
「でも、それは文学と呼ぶにはあまりにも幼い。」
だけど...
どうしたらいいのかわからず、言葉に詰まった。
しかし、優しい先生は私を宥め、まぁまぁ、と。
「文学は一種の修行なんだ。
だから一朝一夕には何も解らないんだよ。
今、悟りを開いている者でも、過去には苦悩にまみれたことがあるはずだし、そもそも私だって、この職業に生まれてきたわけでない。
だけど、繰り返しているうちに、いつか見えてくるものがある。」
「それは明日かもしれないし、1年後かもしれないし、100年後かもしれない。
でも、それまでは、しがらみにとらわれていても、大丈夫です。
要するに、待てばいいのだよ」
そう言って、彼は私の肩にそっと手を置いた。
「今日の授業はこれでおしまいです。
お疲れさま。
また何かあったら、いつでも来てください。」
私は丁寧にお礼を言って、部屋を後にした。
私も、いつか目が見えるようになる日が来るのだろうか、と思う。
ただ、できるだけ誠実でありたい。
そう思いながら帰路につく。
その後、私がどうなったかはまだ誰も知らない話だ。
会話文による作文の練習でした。
日本語が上達するといいなと思います。
個人の感想が書かれていますが、多様な意見があると思います。
それについての議論はしません。
また、私や作中の先生は架空の存在です。