一誠に彼女ができたというその日の夜、春雄はなかなか寝つけず、ずっと天井を見上げては物思いに沈んでいた。
天野夕麻という少女は、誰もが美人と認めるほど顔立ちは整っていた。
一目惚れで、恋に慣れていない初々しさが可愛らしく、それでいて清楚な感じは崩していない。
正直、あの変態な兵藤一誠には勿体ない気もしなくはないが、黙っていればあの男は顔がいい。
ワイルドな野生的イケメンにはかなりお似合いな感じもする。
本当なら素直に応援したいところだったが…
「なんだ…あの夕麻という少女から嫌な匂い………
………血の匂いがするのは…」
鋭敏になった感覚が、あの女が只者ではないことを告げる。
本能が「敵」と判断している…
「探りを入れてみてもいいかも…」
翌日、僕はいつも通りの身支度をし、イッセーと一緒に登校する。
比較的朝早めなこの時間、他に通行人も自動車も通らない道路で、並列して学校に向かっている。
ふと隣のイッセーの表情を見ると、少々浮かれ気味だ。
まぁあれだけの美貌を持つ彼女さんだ。
デレデレするのも頷けるけど、ちょっとは隠してほしい…さもないと…
「「彼女ができたってぇぇぇえええ!?」」
松田と元浜がひっくり返りそうになるほど驚いている。
長らくエロ馬鹿トリオは下の話ばかりしてきたために、女性との付き合いの経験はない。
少しその言動を控えれば、二人にだっていずれ…
「おい、春雄!本当にこいつに彼女できたのか!?」
血涙を流す松田が僕の肩をガッチリと掴んで迫る。
怖い怖い。
「うん。この目でしっかりと見たからね。一目惚れしたらしいよ」
すると一瞬フリーズの後、松田は叫びながら僕の肩を揺すった。
そして隣では元浜が頭を抱えて、まるでこの世の終わり間近のような絶望的な表情で天をあおいでいた。
「嘘だろ…なぁ…嘘と言ってくれぇぇぇえええ!」
元浜の悲痛な叫びが木霊する。
それに対しイッセーは、
「ところがどっこい、これは現実なんだよな」
二人を逆撫でするように、鼻を鳴らして胸を張っていた。
その後二人がイッセーに関節技を決め込み、僕が止めに入ると学校へ入っていった。
なんやかんやでこの生活はすごく楽しい。
次の日、イッセーは夕麻さんとデートをするそうで、いつにも増して気分は高揚しており、どこか緊張している様子だった。
「普段からあんなこと言ってるのに、いざってなると緊張するんだね」
「そりゃ…まあ緊張すんだろ…初めて女の子と真っ当に話すんだからな…」
「デートだからね。一線超えたらダメだよ?」
ちょっと揶揄ったら、イッセーは顔を赤くして「うるせ…」と小さく呟いた。
そうして足速に玄関を出ていくのを見送った。
「さて…」
僕も暫くしてから靴を履き、イッセーの後を追うことにした。
デートは思いのほか、わりと普通だった。
ところどころ表情とか仕草が硬いところもあるけど、それなりに順調ではある。
「特に変なところは無しか…」
二人は公園で向かい合っていた。
夕方に差し掛かり、そろそろ楽しいひとときが終わろうとしていた。
名残惜しそうなイッセーの背中は、オレンジ色の光に照らされ、さらに雰囲気を出していた。
そういえば、今日のために必死になって考えてたな…
なんて今日の頑張りを心の中で讃えようとした時、空気は変わった。
二人の会話に耳を傾ける。
そして妖艶な笑みを向けながら、夕麻は言い放つ。
「死んでくれない?」
瞬間、ゾッとするほど美しい声がし、辺りの景色に違和感を覚えた。
何もかもがこの世のものとは思えない。
再び耳を傾ける。
「結界だと…!?」
次の瞬間僕の瞳に、何かに腹を貫かれ、夥しい血を噴き出して仰向けに倒れるイッセーが映った。
地面には鮮血が水溜りのように広がっていく。
そして意識が朦朧とするイッセーを、相変わらずにこやかに見る夕麻。
流石に狂気的にも見えてくる。
そんなことよりもイッセーだ!
「イッセー!」
思わず叫んでしまったが、もういい!
急いで駆け寄り、その容態を確認する。
大きな穴が空いた腹には、グチャグチャな内臓が見え、大量に出血している。
悟ってしまった…
…間もなくイッセーは死んでしまう。
…殺される理由はあったか?
いや、ない。
目の前の女は命などどうでもよく、微笑んでいる。
「どうやって結界の中に入ったかはわかんないけど、あなたも殺してあげる」
人の生命を軽んじる発言。
大切な人を手にかけ、あまつさえ僕をも殺そうとしている。
そして彼女の背中から生える黒い翼。
その翼を見た途端………
………怒りが込み上げてきた。
気がつけば僕はあの女に、本能のまま襲いかかった。
夕麻は面倒ごとを避けたい。
殺人現場を見られ、通報などされたら迷惑以外の何ものでもない。
仕方ないが、目撃者は生かしておけず、再び槍のようなものを構える。
「ごめんね、どこかの誰かさん」
そう言って槍は放たれた。
突撃してくる春雄に槍が向かっていく。
そのスピード、とてもじゃないが一般人が躱すのは無理がある。
一仕事を終え、面倒くさい事を避けるべく、早めに撤退しようと背を向ける。
すると、
ガギンッ!
まるで金属が激しくぶつかったような甲高い音が鳴り響く。
振り向くと、槍が宙を待っており、すぐ目前にまで手が迫っていた。
その時一瞬捉えた春雄の顔を見て、夕麻は圧倒された。
その瞳には殺意、闘志、何より尋常でない怒りが込められていた。
まるで獣、いや、そんなものが生ぬるく感じてしまう。
相手はただの人間のはず。だが圧倒的な存在感で動けなくなってしまった。
そして硬い拳は、そのまま彼女の端正な顔に迷うことなく振り抜かれた。
「…!なんなの…いったい…」
吹き飛ばされた衝撃で、僅かながらに意識が飛んでいた。
夕麻は起き上がると、まだこちらを睨みつける者がいた。
「くっ…この!よくもこの私を!」
再び黒い羽を生やす。
彼女は人間ではなく、信じられないようだが堕天使だ。
あくまでも彼女達堕天使は、自分達の種族を高貴な存在と自負しており、人間を見下している。
そんな人間である春雄に恥をかいたのだ。プライドを傷つけられた彼女はワナワナと震えている。
「絶対に殺す!」
今度は先程よりも多くの槍を飛ばした。
次こそは、と思う彼女だったが…
「な…」
避けようとせず、むしろ向かってくる春雄。
そして飛んでくる槍を、全て腕で薙ぎ払い、再び距離を縮めてくる。
本能的に彼女は命の危険を感じた。
「こんな人間に…くそっ!」
悔しさで顔を歪ませ、急いで逃げようとするが、
「なに!?」
飛び去ろうとする彼女の足首に噛みつき、逃すまいと踏ん張る春雄の姿があった。
その手は、槍によってズタズタに傷つけられており、血が滴っていたが原型はとどめている。
そしてその瞳と目が合った彼女は、先程までプライドを持って挑んだ姿はなく、完全に恐怖の対象とし、早く逃げようと翼を動かす憐れな姿になった。
「いや…は…離して…!」
だがその噛み付く力は強くなり、彼女は激痛と恐怖で涙を流す。
そんなことはお構いなしに、春雄は体全体に力を込め、ブンブンと無造作に振り回す。
幾度と地面に叩きつけられ、飛ぶ気力すらなくなった。
そして最後に、倒れている彼女の頭を掴み、片手で放り投げると、そのまま少し離れた空き家に激突させた。
暫くそこを見つめるが、彼女の気配は感じない。
鼻を鳴らす春雄。次に気配を感じて振り向くと、そこには赤く長い髪を持つ、スタイル抜群の女性がいた。
結界は徐々に崩壊し、至って普通の公園に戻り、警戒する必要のなくなった春雄は、いくらか表情を落ち着かせ、イッセーの元に歩み寄る。
幸い息はしているが、もう長くないだろう。
とりあえず仇は取ったつもりだが、そんなことをしても助からない。
どうしようもできず、涙を流していると、
「あなたは兵藤春雄君…よね?」
「…ええ、そうですが。何ですか?」
「説明は後で必ず、納得できるまでするから…彼を私に預けてくれないかしら?」
春雄は再び警戒する。
一誠を守るように立ち、殺意を向ける。
一瞬目の前の彼女は怯みそうになる。
「落ち着いて…私は彼を助けたいの。時間がないのはわかってるでしょ?」
春雄は彼女の瞳を見つめる。
やや怯えが見られるが、真っ直ぐな確かな瞳をしていた。
この状態の一誠をどうにかできるとは思えないが、信じるだけの価値はあると思えた。
「あなたを信じましょう…」
すると徐々に意識が遠のいていき、疲れがドッとくる。
「必ず…イッセーを…」
そう言うと、糸の切れた人形のように倒れてしまった。
彼女は二人を運ぶため、仲間を呼んだ。
「絶対に助けるわ」
春雄の耳元で呟くと、彼を仲間に任せ、彼女は一誠を大切に抱えると、コウモリのような黒い翼を生やして飛ぶ。
春雄はムクリと起き上がり、目を擦って時計を確認する。
時刻は午前7時。
いつもより少し時間は遅いが、充分学校には間に合う。
「イッセーを起こさないと…」
フラフラと隣のイッセーの部屋まで歩いていく。
その間、昨日までのことを思い出す。
(そう言えば…昨日デートだったっけか?尾行して行ったけど…)
順序よく昨日の記憶が蘇る。
街を歩いて回ったり、服屋で一緒に服を選んでいたり、カフェで向かい合いながら談笑していたり………
………公園で殺されたり…
「イッセー!」
僕は勢いよく扉を開けた。
だがそこにはイッセーはいない。
その瞬間僕は膝から崩れ落ちた。
「イッセー…」
拳を力一杯握りしめた。
その時滴る血が僕の太股の上へ垂れた。
「戻ってきてよ…死なないでよ………」
「勝手に俺を殺すなよ」
頭に軽くチョップをくらった僕は、急いで振り返ると、そこにはイッセーが立っていた。
「生きていたんだ!」
「はぁ?俺は死んでねえだろ?」
「え、でも昨日デートしていた時…」
「いや、デートはしていたけどよ。まぁ記憶が曖昧であまり覚えてねぇんだが」
記憶がない?いや、デートしていた時までの記憶はあるけど、死んだところは覚えてないってことかな?
まぁ死んだらそりゃ覚えてないけど。
でもこうしてイッセーは目の前にいる。
う〜ん…わからなくなってきたぞ…
「まぁいいや。とりあえず学校に行こうぜ」
ひとまずいつも通りご飯を食べ、準備をした後、いつもより遅めに家を出た。
なんだったんだろうか。
実のところ、僕もイッセーがあの女に殺されてからの記憶が曖昧だった。
気づけば目の前に…えーと…誰だ?どこかでみたことある顔だけど。
赤い髪の女性に会って…そしたら家にいて朝を迎えていた。
…わからん。
僕は一旦考えるのをやめて、学校へと急いだ。