皺くちゃな小さな命が産声も上げなかった時、その命の灯火が消えかかっているのではないかと柄になく取り乱したことをよく覚えている。
産声どころかその後一度も声を出さないことを訝った医師と看護師によって別室に連れられてしまったあの子は、妻が家に戻ってきてからもなかなか退院できなかった。
――最初は、ただ無事に生まれてくれればそれでよかった。
退院したばかりでまだ体調が戻らない妻を家に置いて、何度病院に足を運んだことだろう。
「低体重児でもありますので、もう暫くは病院で様子を見てみましょう」
出産にも立ち会ってくれた医師の言葉。疑ってはいない。それでもやるせない。
父親と母親になったというのに、オレたちは一度も息子をこの腕に抱けていなかったのだから。
病院からの帰り道、夜空は美しい光に満ちていて、祈るような気持ちでそれを見上げる。
スバルという名前は生まれたその日につけた。
星に声などないだろうが、いつかあの子があの星たちのような瞬きを見せてくれないだろうかという願いを込めて。
「非常に稀なことだと思います」
何度目かの検査を経て、スバルが声を出すことのできない体質なのだと知らされた時は目の前が真っ暗になった。
「どこにも異常は見当たりませんでしたので、いずれ他のお子さんのように声を出せる可能性も……」
うちは一族にとって大切な跡取り。
これから変貌を遂げていくであろう一族を導いていく存在――そうなるはずだった。
しかし、言葉も話せないのではそれも難しい。これでは、一体何のために……?
オレは愚かだった。せっかく腕に抱けた小さな命が無垢な瞳でこちらを見つめていることにも気づかず、己にのしかかる一族という“重荷”のことしか頭になかったのだから。
「おとうさん」
そんな声が聞こえた気がして振り返るとスバルがいた。
まさかなと思ってじっと見下ろしていると、一人息子は無表情のままことりと首を傾けた。
やはり気のせいか。いつまでも望みを捨てきれない自分に嫌気がさす。
「お前は誰よりも努力しなければならない」
二歳になったばかりの息子は、どこか不思議そうな表情でオレの言葉を待っている。
スバルは一歳の頃から文字を理解するような努力家だと知っていたのに。
「努力をしようとも才能がなければ開花することはない。だが、お前はうちは一族のスバルだ。オレたちの息子だ。一族の期待を裏切るようなことはするな」
この時のオレは息子の些細な表情の変化には気づけなかったが、後になって当時の記憶を本のページを捲るように思い返してみれば……。
こくりと静かに頷いたスバルの瞳には、薄らと寂しさが滲んでいた。
元々感情の起伏がほとんどなかったスバルがこの頃から完全に心を閉ざすようになった。
それにいち早く気づいたのが母であるミコトで、彼女は「まだ幼いスバルには修行が厳しすぎるのではないか」「もっと親子としての時間を作りたい」と言ったが、オレは首を縦には振らなかった。
スバルは文字の読み書きこそ早いうちから出来ていたものの、忍としての才は未知数。飲み込みは悪くない。
しかし、そろそろ忍術や幻術など生きていくために必要なことを教えていかなければならなかった。
木ノ葉はまだまだ不安定だ。スバルがいつ戦争に駆り出されるかも分からない。他でもないこの子のためになることだと妻だけでなく自分にも言い聞かせる。
オレの願いは今度こそ聞き届けられたのか、スバルは低体重で生まれてきたとは思えないくらいすくすくと順調に成長していった。
「スバルが笑ったの。あんな年相応な表情は初めて……それほど弟ができて嬉しかったのね」
イタチが生まれて後継の重圧から解放されたせいだろう。妻の穏やかな笑みを見るのも久しぶりだった。
「スバルが?」
オレはこれまでスバルの笑った顔どころか、嬉しそうにしているところすら見たことがない。
「最初はイタチを“なんだこれは”って目で警戒してたのよ。でも抱き上げてからはすごく優しい目をしてた。手まで握って、それはもう幸せそうだったんだから」
あなたにも見せたかったとミコトが目尻に浮かんだ涙を拭いながら言う。
「そうか……」
口にはしなかったが――見てみたかった。
息子の笑った顔を想像すらできないなんて妙な話だろう。
その日の夜。ミコトに見守られている雰囲気を察知しつつ、こっそりと子供部屋に顔を出した。
子供たちはもう眠っている時間。いつもは自分の部屋にいるはずのスバルが、今日はイタチの世話をしている間に一緒に寝てしまったらしい。
子供部屋の中央に置かれたベビーベッドの真横には敷布団がいくつも積み重ねられていた。
まだ身長が足りないスバルがベビーベッドを覗き込むために用意したものだろう。
今となっては重ねた布団の上で横になり、目を閉じてすうすうと寝息を立てている。
イタチの乳児特有のむっちりとした体はベッドの柵のギリギリに食い込んでいた。
そのもみじ饅頭のような小さな手でスバルの指を握りしめて満足そうな表情で眠っている。
「まるでボンレスハムね」
ぽつりと呟いたミコトの言葉に思わず吹き出しそうになってしまった。
オレは音を立てないように押し入れから毛布を取り出してスバルに掛ける。こうやってゆっくり息子たちの寝顔を見つめるのも久しぶりだった。
警務部隊の仕事を終えて帰宅する。台所にも居間にも誰もいない。
怪訝に思って子供部屋に足を運ぶと、四つの瞳があっという間にオレの姿を捉えた。
「ここにいたのか」
「…………」
「ごめんなさい。もうそんな時間だったのね」
「構わない」
洗濯物を畳んでいる妻と、隣に座っているスバル。そんなスバルに抱っこされながら眠っているイタチ。
「……なんだこれは?」
足元に転がっていたものを拾い上げる。クマの人形だ。他にもいくつか、子供用の玩具と思われるものが落ちている。
「スバルがイタチにどうかって。さっき買い物に行った時に買ったの」
「忍にこういったものは」
「スバルが何かを欲しがるなんて初めてでしょう。まさか反対なんてしないわよね?」
「…………」
にっこり。そんなわざとらしい音が聞こえてきそうなくらい完璧な笑みだった。
結婚する前後のミコトはもっとお淑やかで控えめな性格だった気がするが、子供が生まれてから変わった。強くなった……と言ってもいいかもしれない。
ため息をつく。これでは何を言ったって無駄だろう。
「好きにしろ」
「ふふ。そうさせてもらいます」
くいくいっとズボンの裾を引っ張られる。そこにはイタチをミコトに預けたスバルが立っていた。
「……どうした、スバル」
このまま見上げているのはしんどいだろう。そう思って畳に膝をつく。そんなオレを見たミコトが嬉しそうに微笑んでいる。
とんとん。スバルが自分の左手を右手の人差し指で叩く。そこを見ろということだろうか。
スバルはオレの視線の先を確認してから、左の手のひらに人差し指で何かを書くような動作をした。
《あ》
少し歪な文字が目に見えるようだった。
《りがとう》
そう言って、スバルは少しだけ……本当に少しだけ穏やかな表情になる。
「…………」
こんな顔もできたのか……。
じわりじわりと胸の奥底から小さな熱が湧き上がってくる。
伸ばした手のひらは、ほぼ無意識にスバルの頭を撫でていた。
「!?」
「…………」
しかし、びくりと身体を震わせたスバル本人によって弾かれ、オレの手は宙を彷徨った。
「あなた……泣いてるの?」
「泣いてない」
なぜなんだ、スバル。
スバルは実はふざけているのではと疑ってしまうくらいには、忍術と幻術の才能がなかった。
相変わらずの無表情でシャボン玉レベルの豪火球の術を披露したり、分身の術のはずが顔と腕だけを分身させて阿修羅像と化していたり。
むしろどうやったらそうなるんだ。
やはりふざけてるのではないかと思い、再度一ミリも動かないその表情を見ては「いや、まさかな……」を繰り返す日々。
スバルの修行を本格的に開始してから情緒が不安定になっている気がする。
しかし、スバルはとにかく努力家だった。
体術に関してはどこに出しても恥ずかしくないレベルまで磨かれており、苦手な忍術も最終的にはアカデミー卒業レベルまで習得した。
練習量を考えると割に合わないとは思うが、寝る間も惜しんで励んでいた姿を知っているからには文句をつけられるはずもない。
だからだろうか。本来は後を継ぐ人間に託すべき忍術――うちは流多重影分身の術をスバルに習得させてみようと思ったのは。
この術を考案した人物はうちはマダラの弟子で唯一の理解者でもあったと言われている。
その者の名は、うちはトクチ。
彼に対する記述は少ない。うちはマダラですらあまりに強力な瞳術を持っていたせいか、一部が御伽話のように語られているくらいだ。
ただ、トクチは特別優れた忍ではなかったという。
うちは一族の“変わり者”で、戦に出たり忍術を極めるよりも、忍という存在そのものに強い興味を抱いていたそうだ。
彼はマダラに里を抜けようと誘われると「まだ千手扉間の術を盗んでないから」と断って里に留まったものの、禁術「うちは流多重影分身の術」を完成させた直後に里を抜けた。
その後のトクチの動向は不明である。マダラと合流したのかしなかったのか、それさえも。
彼は研究に没頭するあまり身を守る術を持たず、どこかで野垂れ死んだのだろうという説が有力だった。
うちはトクチとスバルに共通点があるわけではない。
ただ、トクチが最後に残した術を次の世代に託そうと考えた時――何故か真っ先にスバルの顔が浮かんだ。
それが不利な一面を持って生まれてしまった息子への精一杯の親心だったのか、うちは一族の長として、ひたむきに修行に励む幼い子どもの姿に心を打たれたのかは分からない。
少なくとも期待とは別のものだろう。これは後に残された一族の誰にも扱えなかった禁術だ。仮にスバルが優秀な忍だったとしても成功しない可能性の方が高い。
スバルは一つの課題を与えると睡眠時間すらも削って血眼で(無表情だが)成功させようとするところがある。
だから高すぎる目標を与えればいい気分転換にもなるだろうと思った。
「なんだこれは……?」
アカデミーに通い始めたスバルの修行を久しぶりに見ていた時のことだった。
もくもくと立ちのぼる煙が風で流れて消えていくと、目の前には粘り気のある液体のようなものがぽつんと存在している。
それらは、ふにふにと上下左右に伸びたり縮んだりしたかと思えば、ぽんっと音を立てて分裂していく。
スバルは無表情の中に僅かな困惑を滲ませて、足元で蠢いている謎の物体を見下ろしていた。本人にもこれが何なのか分からないらしい。
うちは流多重影分身の術から人型を保ってすらいない生き物が誕生するなんて、聞いたことがない。
スバルはいつものように失敗したと思い込んで肩を落としていたが、オレはどうにも腑に落ちなかった。
その日の夜。スバルと三歳になったばかりのイタチが揃った席で、ミコトを除く家族全員が戦争で前線に配置されることを伝えた。
前線とはいっても途中から補充される部隊だからまだマシな方だろう。
イタチの反応は予想通りだったが、スバルがあれほど怒りを露わにするとは思わなかった。
まだ本格的に忍としての訓練を積んでいないイタチが戦争に駆り出されることに不満を抱いているらしい。
隣で平然と食事を進めているミコトとは違って、オレは困惑を隠しきれずにいた。
《むだじに させるつもり なのか?》
すっかり板についた指文字を綴るスバル。
――無駄死に。
スバルの口から出てきたとは思えないほど直情的で子供らしく、忍としては未熟な言葉だった。
「忍として名誉ある死を無駄とするかは、お前の決めることではない」
スバルはまだ納得がいかない様子だったが、オレとミコトの言葉にこくりと頷いてくれた。
その顔にはありありと「不満はあるけど我慢する」と書かれている。
そんなスバルはイタチのおねだりを受けて慣れた手つきで肩車すると、おやすみも言わずに自分たちの寝室へと消えてしまった。
戦争が終結してようやく肩の荷が一つ降りたかと思えば、スバルが暗部の根に所属することとなった。
あれほどイタチの側を離れたがらなかったスバルが自ら暗部入りを宣言するとは。
まだ七歳だというのに、もう親離れ弟離れする時期が来てしまったのだろうか。
自室。スバルの暗部入りが決まってからというもの、部屋に篭って一族の過去の記録を調べたり、同志たちと会合を開く機会が増えていた。
うちはマダラが危惧したように、いずれうちは一族の居場所はなくなってしまうだろう。
どうしたものか……。オレたちの世代はまだいい。三代目、そして四代目が表に立っている限り、今すぐうちは一族が機能しなくなるようなことにはならないはずだ。
だが、スバルや彼らの子供世代はどうなる? 常に火影の座を狙っているという悪評のあるダンゾウや、彼の息のかかった後継者が火影になったら?
「そもそも、木ノ葉の歴史の中で千手一族に連なる者や、その意志を継ぐ者だけが火影に選ばれているのが問題ではないのか?」
定例の会合において、ヤシロ達の主張はこうだ。うちは一族こそが次の火影に相応しいと。彼らの思想に完全に共感、同意したわけではないが、同じだけの危機感は持っているつもりだった。
「なんとかしなければ……」
家族と一族。全てを守るためにはどうすればいいのだろう。もうヤシロ達の示す道しか残っていないのか?
……いいや、まだあるはずだ。うちは一族と今の里が共存できる道が。必ず、どこかに。
そんな淡い期待は、里に降り注いだ“厄災”と共に、いとも簡単に振り払われることとなった。
「フガク殿!! 集落に火の手が……!」
「ご子息がまだ集落に残っているのでは!?」
警務部隊が守るべき里は突如姿を現した九尾によって蹂躙され、里中の建物が崩れ、激しい炎に包まれた。
それはうちは一族の集落も例外ではない。
九尾襲撃を知らされた時、オレたちはすぐさま自分達のすべきことをしようとした。
警務部隊とは、里内で起きるあらゆる事故や事件から里そのものやそこに住む人々を守るために命をかける組織である。
ここにいる全員が己の役割を理解していた。
「写輪眼を開眼している者はオレと共に九尾の元へ! そうでないものは、自力で避難することが困難な者の手助けを!」
「はい!」
集落に残してきたイタチやサスケ、今日は定期検診で木ノ葉病院にいるはずの妻のことが一瞬頭をよぎる。よぎるだけだ。オレは夫であり、父であり、その前にうちは一族の代表者だ。警務部隊のトップという肩書きすら持っている。
任務中に私情を挟むことは許されるはずがなかった。
「我々に九尾を止められるでしょうか……」
「やってみないことには分からないだろう」
うちはマダラが一族特有の瞳力をもって九尾を手懐けた……いや支配したというのは、ただの御伽話である。一族の誰もが知っている。あれは
どれだけの記録を探そうとも、うちはマダラ以外にそんなことができた人物は存在しない。
隣に立っていた一族の若者の手が震えている。死にに行くようなものだと理解しているのだろう。
写輪眼持ちが集まり、ついに九尾の元へという時。先に木ノ葉上層部へと使いにやっていた男が戻ってきた。男の顔色は悪く、真っ青だった。
「フガク様……我々は、討伐には参加するな、と」
「なんだと?」
「住民の避難を優先するようにと指示を受けました……」
この場にいた全員がざわついた。
「まさか…………」
信じられない、といった様子で誰かが叫んだ。
「我々が九尾を招き入れた……もしくは、九尾と接触すれば里へさらなる被害を招くと、上層部は判断したのか……!?」
そうとしか考えられなかった。九尾が里に現れるという未曾有の事態に、里内で一二を争う戦力を誇るうちは一族を討伐に参加させないなんて。
うちは一族の並外れた力への偏見は昔からあった。
同じように木ノ葉最強を謳う日向一族と違うところは、過去があるかないか。……うちはマダラという前例の有無である。
「…………このまま住民の避難を優先する。怪我人には率先して手を貸してやれ」
「しかし……!!」
「木ノ葉上層部にも何か考えがあるのだろう」
今は宥めるような言葉しかかけられない。
渋々ながらこの場を離れていく部下達を見送り、ふと空を見上げる。
「……あれは、四代目か?」
遠くの方で、黄色い光が弾けたように見えた。
四代目が亡くなった。その命と引き換えに、木ノ葉隠れの里を守り抜いて。
四代目の後釜には三忍を推す声もあったそうだが、結局は三代目が穴を埋めることになった。
「どういうことなんですか……?」
「なぜ三代目は志村ダンゾウの提案を受け入れているんだ」
「やはり三代目も我々の存在を疎ましく思っているのでは?」
九尾襲撃事件後、うちは一族の集落は警務部隊ごと里の隅へと追いやられた。
各一族の代表者のみが集められた会議にて、ダンゾウの提案にはすぐさま抗議したものの、オレの意見が通ることはない。
それを知った一族の反応は想像していた通りのもので、誰も彼もが怒り、戸惑い、最後には「これから自分たちはどうなっていくのだろう」と不安を吐露していた。
これまで一度も便りを寄越さなかった長男が帰ってきた。
ずっとスバルの身を案じていたミコトは目に涙を溜め、何度も「お帰りなさい」と口にしてスバルを抱きしめている。
「……よく戻った」
ミコトに抱きしめられたまま、スバルが顔を上げてこちらを見た。その目は相変わらず色を映さないが、少し驚いているようにも見える。
……いつの間にか、こんなに大きくなっていた。
身長は伸び、顔つきも大人のそれに近づいただろうか。生まれた時はあんなにも小さく、頼りない手のひらだったというのに。
ぎこちなくミコトの背中に回されたスバルの手は大きく、まるで知らない誰かのようにも感じられた。
スバルが戻ってきたことによって、またしても上層部による一族への仕打ちが浮き彫りになり、その後の会合は荒れに荒れていた。
「守秘義務は理解できます。暗部となれば表に出してはならない事柄の一つや二つはあることでしょう」
「ただやり方が気に入らない。聞けば、通常は呪印は痛みが伴うものではないとか」
スバルがダンゾウに付けられた呪印はどうやら特殊らしかった。
先日の会合において、根に関する情報を紙に書き出そうとしたスバルの、苦痛に歪む表情を思い出す。何度も、何度も。あれからずっとだ。
これまで何があろうと、ほとんど表情を動かすことのなかった子が。それほどの痛みを与えられたということだろう。
「ご子息はあれから?」
「…………呪印については詳しく話せないそうだ。翌日には体調も元に戻って問題なく過ごしている」
スバルの呪印のことを知ったミコトは、自分を責めていた。どうして気づかなかったのか。……どうして、暗い噂しかない根にスバルを送り出してしまったのだろうと。
スバルの暗部入りが決まった時。不安がなかったわけじゃない。ただ、それ以上に一族の為になると喜んだ。
……スバルがこうなったのはオレのせいだ。
「しかし、スバルにはこのまま暗部に所属していてもらう必要がありますね」
「ええ。クーデターにおいて、一番の障害となるのがダンゾウですから。あの男の動向を把握しておく為にも、彼には耐えてもらわなければ」
会合に集まった全員がオレを見た。膝に置いた拳に力がこもる。……勝手なことを。
「……スバル本人の意思を尊重する」
答えなんて分かりきっているのに、そう言わずにはいられなかった。
「そうか、最終試験まで残ったか……さすがオレの子だ」
スバルはなんとも言えない顔をして(いつもこんな顔だと言われればその通りだが)、こくりと小さく頷いた。
うちはの演習場。ここにスバルと来るのは初めてだった。スバルが幼かった頃、何度も足を運んだ演習場は、九尾襲撃事件が起きてからここに移動している。
一族の者たちは感情が先行してしまっていて、現在の演習場ごと“気に入らない”と言うが、オレ個人はある程度気に入っていた。
ここなら思いきり豪火球の術を練習できる。手裏剣術の訓練を行う十分なスペースだってある。正直、文句のつけようがない。
「…………」
一歩踏み出した足が、ぬるりと泥濘みに嵌ったような感覚。足元を見てその正体に気づいたオレは思わず脱力した。
「……もういいだろう。消しておきなさい」
《うん》
スバルが“うちは流多重影分身の術”を解除する。
それから、何を考えているのか、ぼんやりと演習場全体を見渡している。
「スバル」
名を呼べば、無機質な二つの瞳がこちらを見る。
「オレに……いや、父さんや母さんに言わなくてはならないことがあるんじゃないのか」
「…………」
スバルは言葉を探すように視線を彷徨わせた。……とくに思いつかなかったようで、指文字を綴ることもなく、ただじっと見つめ返してくる。
小さくため息をつく。スバルにとって、あれは取るに足らない……些細なことだとでもいうのか?
「お前が根であのような扱いを受けていたとは知らなかった」
スバルが「ああそれか」といったように、流れるように指を動かす。
《いわなかったから》
「…………」
スバルが休暇を得て一時的に実家に戻ってきた日。
なぜ一度も便りを出さなかったのかと問うたオレに返ってきたのは、根では手紙は受け取る側であろうと送る側であろうと全て監視されており、自由にはならなかったという答えだけ。
機密事項の漏洩を危惧しているのなら、スバルが出す手紙だけを確認すればいい。なのに、なぜオレやミコト、さらにはイタチが出した手紙まで監視対象になる?
……うちは一族は、それほどまでに里側の信頼を失ってしまっているのか。
「オレは…………」
――違う。そんなことが言いたいんじゃない。今は一族のことはどうでもいいんだ。
「そうだ。お前は言わなかった……何も……定例会でのことがなければ、恐らくこの先もオレが知ることはなかっただろう」
スバルの目が細まる。僅かに眉が寄り、怪訝そうだ。
「お前にも事情があったことは理解している。……だが、辛いことは辛いと口にしていい。頼ってもいいんだ。お前は、オレたちの息子なのだから」
スバルの表情は変わらない。
「お前が辛いのなら、暗部は辞めたっていい」
変わらないように思えた表情が、ここではっきりと強張った。スバルは僅かに唇を震わせ、ぎゅうっと結ぶ。
ゆっくりと持ち上げた手のひらは、迷うように言葉を紡いだ。
《おれは》
強烈な既視感だった。以前にもこうなったスバルを見たことがあるような気がして、額に手を当てる。……思い出せない。
《じぶんのために あのばしょにいる》
だから何も心配するなとスバルは続ける。
頼ったところでオレには何もしてやれないことや、一族の長として、このままスバルに暗部を継続して欲しい気持ちに気づかれているのだろう。
「…………そうか」
こうなることは分かっていたはずだ。
スバルの頭に手を伸ばす。以前のように振り払われるかと思ったが、意外にも大人しく受け入れている。
「そろそろ帰るか」
スバルは離れていくオレの手のひらを目で追いかけ、やがて小さく頷いた。
本編でイタチが「前の家(九尾襲撃事件で破壊されちゃった家)には子供用の玩具があった気がするけど」って言ってたのがこれです