じんせい詰め合わせ   作:湯切

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星に願いを 上の続きです

『下』の更新に合わせて『上』に5000文字くらい追加しているので、以前読んでくれていた人は『上』から読んだ方がいいかもしれません
読まなくても多分大丈夫



星に願いを 下

「このような本格的な場を設けていただく必要はなかったのですが……」

 

 火影屋敷のとある一室。上座に座る三代目火影は目尻の皺を濃くさせる。人の良さが滲み出たような柔らかいものだった。

 

「フガク殿。必要は“ある”じゃろう。我々が一対一で話をすることなどそうあることではない」

「では早速本題に入らせていただきます」

 

 三代目が「物事には順序がある」と言い、スッと立ち上がりオレの目の前までやってきた。そのまま綺麗な所作で腰を下ろす。

 同じ目線。どちらかがクナイを握った腕を伸ばせばいとも簡単に相手の心臓を貫くことさえ叶いそうな――そんな無防備な距離。

 

「今だけは木ノ葉隠れの長でもうちは一族の長でもない。貴方が最初に『一人の親』としてワシに話しておきたいことがあると言っていたように、これが正しいお互いの話し合う距離じゃろう」

「…………」

「それに、ワシは以前からフガク殿と腹を割って話をしてみたいと思っておったのじゃ」

 

 三代目が快活に笑う。あまりにも隙だらけだ。

 

「火影様が私のような者と……恐れ多いことです」

 

 一度頭を下げ、話し始めるのは――長男であるスバルのこと。

 最初は穏やかな様子で耳を傾けていた三代目の表情が徐々に険しくなっていく。

 

「ダンゾウが暗部養成部門、根の者に呪印を施していることは知っておったが……まさかそのようなことまで」

「スバル本人に確認していただいても構いません」

「……その必要はないじゃろう。ワシは、フガク殿が偽りを口にするとは思っておらぬ」

 

 三代目は額に手を当て、眉を寄せた。

 

「最近のあの者の言動は目に余る」

 

 三代目は立ち上がり、腰に手を添えた状態で窓の向こうを眺めている。その後ろ姿からは葛藤と寂寥が感じられた。

 

「……失礼ながら、なぜ火影様はダンゾウ様を側近に?」

 

 言外にあの男は相応しくないと伝えてしまったが、三代目は顔だけで振り返って困ったように笑うだけだった。

 

「ワシの右腕はダンゾウ以外あり得ぬ。ワシの隣に立てるのは……立っていてほしいのはあの者だけなのじゃ」

 

 力強い言葉だった。

 三代目が火影の座に就く前。三代目とダンゾウは良き好敵手(ライバル)同士だったと聞いている。

 

「ただそれだけじゃったが……ワシのこのエゴが多くの者を苦しめてきたのかもしれぬな」

「…………」

「ご子息に関してはワシに任せてくれぬか? 必ずダンゾウの元から救い出すと約束しよう」

 

 決意を固めたような表情。オレは三代目の言葉を信じて託すことしか出来なかった。

 

 

 

 三代目の尽力もあり、スバルが根から通常の暗部へと転属になった。

 前々から「スバルにいさんはどこにいるの?」「いつ帰ってくる?」とミコトやイタチに質問攻めにしていたサスケが一番喜んでいたと思う。

 実家暮らしをするようになったスバルから片時も離れたくないようで、常にその背中をついて回っている。昨夜も自室で寝る支度をしていたスバルの元へいそいそと枕を持っていったとミコトが話していた。

 昔はイタチも同じことをしていたなと思い出し、懐かしさに目を細める。スバルもスバルでオレとの修行をほったらかしてイタチと遊びに出かけたり、二人で手裏剣術の練習をしていたり。優先順位に関しては物申したいことがたくさんあるが、兄弟仲がいいのは悪いことじゃない。

 

 

 

 南賀ノ川下流に位置する南賀ノ神社。

 地下には一族の秘密の集会場があり、写輪眼を開眼した者にしか読むことのできない石碑がある。

 

「お前が九尾の人柱力と接触したことは一族の者が数人目撃している。その場にイタチやサスケもいたそうだな」

 

 石碑の前に立つのは、オレとスバル。スバルは僅かに眉を寄せていた。

 スバルは以前から一族のことにイタチたちを巻き込むことに否定的で、こういった話をすると必ず不機嫌になる。イタチを戦争に連れていくと言った時と全く同じ反応だ。

 

「一族の中には九尾の人柱力を利用しようと画策する者もいる」

《とうさんは ちがうと?》

「……一族の意思は俺の意思でもある」

 

 これ以上軽率な行動は取るべきではないと諌めたつもりだったが、応じるつもりはないようだった。

 

《あのこは かんけいない》

「九尾の人柱力がどう考えていようと、利用する側は相手の都合を考慮しようとはしないだろう」

 

 スバルは呆れたようにため息を吐く。相変わらず親を親とも思わない失礼な態度だ。

 

 石碑に手を伸ばし、表面を指で撫でる。

 

「我々が持つ九尾を支配しコントロールする力……お前は、なぜこのような力をうちはが持っていると考える?」

 

 ヤシロ達は、我々を淘汰しようとする存在から一族を守るために授けられた力だと言っていた。晩年のマダラが初代火影である千手柱間との戦いで九尾を操り使役していたように。

 九尾は、手段。それ以上でもそれ以下でもないと。

 

「…………」

 

 スバルは答えない。馬鹿らしい質問だと思ったのだろうか。

 

「木ノ葉上層部との確執はこれからも深まる一方だろう」

 

 フッと万華鏡写輪眼になっていた瞳が元に戻る。

 

「うちはが彼らと手を取り合う未来などない。我々は修羅の道を歩まねばならん」

 

 スバルが、イタチが、サスケが――彼らの子どもたちが。

 

 犠牲なくして何が得られると言うのだ。

 オレたちの親の時代から、うちは一族はその強力な瞳力のせいで守ったはずの里の人間に畏怖され、敬遠され。上層部には巧妙に権力や政から遠ざけられてきた。

 

 はじめは対等だったはずなのに。

 

 千手柱間とうちはマダラが腑を見せ合い、手を取り合い、一から木ノ葉隠れの里を作り上げた。

 いわば、この里の存在自体が“証明”だったのだ。

 何度も捻れて絡み合ってしまった互いの糸を一本ずつ解き、結び直してきたという、過去と現在と未来を繋ぐ証明。

 

 それが今はどうだ。

 

 うちは一族の中で里の運営に関わる重要な立場(ポスト)にある者はいない。

 二代目火影によって警務部隊という役割は与えられたものの、里の人間を独自に取り締まる立場というのはそれだけで不満が集中する。まるで里から()()()()()()()()()ように見えるのも問題だった。

 これ以上うちはが里から孤立すればどうなるかなんて、火を見るよりも明らかだろう。

 

 沈黙を貫いていたスバルの指が迷いなく動く。

 

《さんだいめは うちはのことを かんがえている》

「…………」

 

 脳裏に浮かび上がるのは、自らこちら側へ歩み寄り、一人の人間としてオレの言葉に耳を傾けようとしてくれた三代目の姿。

 

 首を横に振る。

 志村ダンゾウを闇とするなら、三代目は光。彼が光の立場から木ノ葉をより良き未来へと導こうとしていることは理解しているつもりだ。

 ……ただ、あの方は上に立つにはあまりにも優しすぎる。

 

《ならば どうして》

 

 スバルが意識的に自身の脇腹に触れた。

 

《じゅいんのことを さんだいめに?》

 

 真っ直ぐにこちらを見つめてくる瞳。先に目を逸らすことは憚られた。

 

《いちぞくのことは いい》

 

 スバルがオレに対してここまで一度に話をするのは初めてだった。

 

《とうさんは さんだいめを しんじてる》

「……何をバカなことを」

 

 三代目の何を信じていると?

 

 里と一族の蟠りはそう簡単に解消されるものではない。

 

《あゆみよらなくては》

「無駄だ。そんなことをしたところで……」

 

 歩み寄る? 三代目へ――木ノ葉隠れの里へ?

 

 何も知らない子どもの戯言だと一蹴すればいいだけ。なのに、スバルの言葉は簡単に無視できない力強さがあった。あの日の三代目のように。

 

「…………」

 

 この道が。これしかないと思っていた修羅の道が。仮に犠牲のなく健全なものだったとしたら。一族はとっくにそれを選び取っていたはずだった。 

 ここからまたスタート地点に立って存在するかも分からない道を探すなど……出来るものか。オレはともかく()()が許さない。一族が里へ向ける感情は悲しみではなく“怒り”や“憎しみ”だ。より強く、手をつけられない感情。

 

 ――――いちぞくのことは いい

 

 …………ああ、そうだ。オレは()()()を望んでなどいない。まだ別の何かを探そうとしている自分がいる。

 

 だが、スバル。オレもお前もうちはの名を背負って生まれてきた。それも変えることのできない事実。

 

 スバルの肩に手を置いてから、先に集会場を離れる。

 

 その日以降、スバルが一族のことに口を出すことは一度もなかった。

 

 

 

 木ノ葉上層部に対してイタチの暗部への推薦状を提出した。

 スバルという前例のおかげもあってすんなりと受理され、今ではスバルと共に火影直属の暗部として任務に明け暮れる日々を送っている。

 スバルとは班が違うらしく、それとなくイタチの様子を聞いても《よくやってる》としか言わない。そもそもスバルからイタチへのマイナス発言が出てくるはずがなかった。どうやらオレは尋ねる相手を間違えたらしい。

 

 

 イタチが暗部入りしてからというもの、イタチから得られる上層部の情報は皆無に等しく、また参加した会合での態度も悪化の一途を辿っていた。

 

「フガク殿、ご子息のあの反抗的な態度は一体」

「長男であるスバルはよくやってくれているというのに……」

「イタチは一族(われわれ)を裏切るつもりかもしれません」

 

 今日行われた定例の会合ではイタチとシスイは不参加だった。

 昔は下座にいたスバルも、今ではオレの手が届く位置に座って皆と意見を交わすようになっている。

 

「スバルはどう感じている」

《おれは いたちのことは あまり》

「……そうか。暗部の任務に我々との会合、イタチを気にかける暇はないだろう」

「…………」

「だからシスイにイタチの監視を命じているが……フガク殿、ご自宅でもイタチの不審な行動はないのですか?」

「ああ」

「イタチは優秀な忍とはいえまだまだ若い。大した考えもなしに我々に反抗しただけかもしれぬ」

「そういうものでしょうか」

 

 好き勝手に想像を膨らませることも……よくあることだ。

 すでにイタチは一族からの信頼を失った。親であるオレにもアイツの考えていることは分からない。

 

「……今日の会合はここまでとする」

 

 

 

 急遽開かれた会合にて。専らの話題は、警務部隊に対して木ノ葉上層部が提出した予算削減案についてだった。

 

「スバルも暗部の任務があったのにすまないな」

《かまいません》

 

 今日のために三代目に休暇を申請したスバルをテッカとイナビが労っている。

 

「予算削減案について事前に知らせはあったか?」

《いいえ》

「少しでもいい。今後情報を得たなら教えてくれ」

《はい》

 

 スバルがヤシロの言葉に頷く。

 

「シスイ。例の件はどうだ」

 

 “例の件”とはイタチのことだ。息子であるイタチが一族に監視され、あまつさえイタチの親友であるシスイに監視役を任せている状況。

 シスイは一族の為ならばと引き受けてくれたが、心身ともに負担は大きいだろう。

 

「……様子を見ている限りでは不審な点はないかと」

「そうか」

 

 この場にはイタチ本人もいる。無神経な質問をしたイナビを睨みつけると、彼は驚いたように瞠目し、取り繕うように咳払いをした。

 ……勝手なことを。

 

「次の会合がクーデター決行への大きな一歩となる」

「フガク殿、それではついに」

「ああ。次回の会合では決行日について話し合う」

 

 その場にいたほぼ全員が立ち上がった。

 

「スバル、シスイ。この計画の要はお前たちだ。必ずや一族を勝利に導いてくれ」

 

 スバルが小さく頷き、シスイは顔を逸らして俯くだけ。皆の勢いに萎縮しているんだろう。

 

「それでは解散」

 

 模索する段階はとうに過ぎた。我々は前進する。道は――たった一つしか見えていない。

 

 シスイの遺体が南賀ノ川を流れたのは、それから間も無くのことだった。

 

 

 

 うちはシスイの死。

 

 ヤシロ達はイタチがシスイを殺したと考えているようで、今後イタチを会合に参加させることはなかった。

 イタチはますます口数が少なくなりサスケやミコトとも言葉を交わさなくなっている。

 変わったのはイタチだけじゃない。

 

「スバル」

 

 以前よりも緩慢な動きで振り返り、以前よりも時間をかけて丁寧に指文字を綴るスバルが不思議そうな表情をしていた。“ようにみえる”ではなくハッキリとそうだと分かるくらいに。

 

《とうさん》

「たまには朝の鍛錬を休んでもいいんじゃないか? 昨日も帰りが遅かっただろう」

《いちにちでも さぼると なまるから》

「……それもそうだな。だが休息も必要だ。今日はそれくらいにしておきなさい」

《わかった これがおわったら へやにもどる》

「…………」

 

 一緒に暮らしている人間にしか分からない僅かな変化。いや、顕著とも呼べる変化。

 側から見ればいつもの無表情だろうが、明らかに以前より表情が豊かになっていて、口数(というよりは指数)が増えている。

 これまでのスバルなら無言で部屋に戻ることもあれば、指文字を使ったとしても《なまるから》《わかった》で終わらせているところだろう。

 スバルが長めに話すのは本当に大切だと判断した時だけだ。

 

「……スバル。最近のお前はやけにオレと会話をしようとしているな。何か言いたいことがあるんじゃないか?」

「…………」

 

 スバルの表情に滲むのは、困惑、動揺。

 ……どうしたというのだ。イタチもスバルも。

 

《いいたいことは ない》

「……そうか。それならいい」

 

 スバルが庭に出していた手裏剣と的を回収して自室へと消えていく。

 

「…………」

 

 あれから一度もスバルが体術を使っているところを見たことがない。鍛錬では必ずと言っていいほど型を確かめていたのに。

 

「ミコト」

「あなた。スバルはまだ鍛錬中かしら」

「いや……」

 

 居間に顔を出すと、すでに食事の用意をしてくれていたミコトがしゃもじ片手に微笑んでいる。

 

 ちゃぶ台の前に座れば出来たての白ご飯が湯気と共に出てくる。

 ……ミコトには顔が上がらない。一族の長としても一人の男としても。オレは任務や一族のことで不在が多く、家のことはほぼ任せっきりだった。ミコトが愚痴をこぼしているところなど一度も見たことがない。

 

「あ、あ……り、」

「?」

「……なんでもない」

 

 ズズッと味噌汁をすする。ミコトは口元に手を当ててくすくすと笑った。

 

「ええ。分かっていますよ」

「…………」

「口下手なあなたが言葉にしようとしてくれただけで前進かしら。結婚する前からこの人の妻は私にしか務まらないと思っていたの」 

 

 ミコトは目を細め「いいえ、違う」と己の言葉を否定する。

 

「あなたが私じゃないとダメなのよね」

「…………そうだ」

「ふふ」

 

 ミコトは自分で振っておきながら照れくさそうに眉を下げていた。

 ふと人の気配を感じて振り返る。

 

「…………」

「…………」

 

 そこには何とも言えない表情で立っているスバルがいた。

 

 

 

 シスイの死からおよそ一年。

 スバルは一日のうちほとんどを家以外で過ごし、滅多に帰ってこなくなっていた。どうやら暗部の任務に頻繁に駆り出されているらしく、詳しく聞き出そうとすれば妙な笑みを浮かべて誤魔化すばかり。

 イタチはイタチで相変わらずまともに口を利こうともしない。

 サスケはそんな兄たちの板挟みになってしまっているようだ。

 

「…………」

 

 クーデター決行前日である今日は偶然にも警務部隊の任務はなく、一族は全員が明日に向けて水面下で準備を進めている。

 早朝から任務に出ていったスバルとイタチ、そして遅れてアカデミーへ向かったサスケ。家にはオレとミコトしかいない。

 

「いよいよね」

「ああ」

「スバルは……無事に役目を遂げるかしら」

 

 滅多に聞くことのないミコトの弱音だった。

 忍具の手入れを続けながら口を開く。

 

「すべては明日にならなければ分からない。だが……スバルはオレたちの息子だ」

「ええ……そうね。きっと大丈夫」

 

 ふと思い出してミコトに尋ねる。

 

「……イタチに恋人がいたこと、知っていたか?」

「イタチに? スバルではなく?」

「…………スバルに恋人がいるのか?」

 

 どちらにせよ意外なことだった。

 

「スバルが中忍試験を受けるために実家に滞在していた頃かしら。女の子が訪ねてきたことがあったのよ」

「……オレは聞いていない」

「私が話さなかったもの。あの子がわざわざ言うとは思えないし当然ね」

「……シスイの件があった後、家にイズミが来たことがある」

「……私は聞いてないわよ」

「オレが話さなかったからな」

 

 ミコトは眉を寄せて「悪い人ね」と言う。お互い様だ。

 

「…………イズミは、オレがイタチは不器用だが優しいやつだと言えば『知っています』と」

「そう……あの子が」

 

 あの日は雨が降っていた。久しぶりに非番で誰もいない家で体を休めていると彼女がイタチを訪ねてやってきた。

 うちはイズミ。九尾襲撃事件で父親を亡くし、母親であるうちはハズキと共に集落に戻ってきた娘だ。

 ハズキはオレより二つ下で、彼女が結婚して一族を離れるまでは頻繁に顔を合わせ言葉を交わす仲だった。

 

 あの時イズミのイタチを想う心に胸を打たれた。

 それは完全に一族から孤立しているイタチへの心配であり、ずっと胸につっかえていた棘でもある。

 ……イタチは里側につくだろう。

 明日のクーデターが成功する保証などない。どちらに転ぶにせよイタチには味方がいる。うちはイズミという真っ直ぐイタチに心を向ける美しい少女が。

 それだけで十分だった。

 

 

「…………あなた?」

「オレから離れるな」

 

 手入れの途中だったクナイを手に持ったまま立ち上がる。オレのただならぬ雰囲気を察したミコトが護身用の武器を片手に頷く。

 

 やけに外が騒がしい。一体何が起きている?

 

 音も立てずに二人で玄関まで出てきた。

 

 ――――いる、扉一枚隔てた先に。

 

 背中に隠したミコトの息をのむ音がハッキリと聞こえてきた。

 すうっと向こう側から伸びてきた黒い影が扉に触れる。影は手を引く動作をして、徐々にその容貌が明らかになっていく。

 

 血を一滴も浴びていない真っ白な猫のお面に、両腕が露出した忍装束を纏った男。

 男が右手に持つ忍刀も血を吸っていないように見える。

 

「…………何者だ」

 

 低く、これまでに聞いたことのない声が響いた。

 

『うちはフガクと、うちはミコトだな』

 

 男の左腕には暗部の証である刺青が彫られている。

 

「火影の……いや、根の暗部。外の騒ぎはお前たちの仕業だったのか?」

『…………』

 

 それは三代目直属の部下がこのようなことをするはずがないという“信頼”に基づく消去法だった。

 目の前の男が騒ぎの元凶だとして、間違いなく他にも仲間がいる。男の味方がここにくる前に仕留めなければならない。

 

 真っ直ぐ心臓を狙って振り下ろしてきた刀をクナイで受け止め、力で押し返す。

 シロネコ面の男は一瞬バランスを崩したように見えたが、脅威の体幹で持ち直していた。間に余計な動きを挟まずこちらに向かってくる。

 

「……ミコトッ!」

 

 玄関に続く狭い通路では身動きが取れない。場所を変えなければ。

 ミコトの肩を掴んで走り出す。男はオレよりもミコトを狙った方が良いと判断したのか、複数の手裏剣が彼女めがけて飛んでくる。それら全てを弾き飛ばしたが、そのうちの一つがミコトの足首を掠めてしまった。

 短く上がった悲鳴にさらに頭が真っ白になる。

 冷静さを欠いてはいけない――頭のどこかでは理解していても視界が真っ赤に染まるのはあっという間だった。

 

 足を引きずっているミコトをここから一番近い部屋――スバルの部屋に押し込み、乱暴に障子を閉める。

 

「お前は何者だ! どこで我々の企みを知ったのだ!!」

 

 背を向けていたオレに斬りかかろうとしていた男が、振り向いたオレの瞳に宿るものを見て瞬時に腕で目元を覆い隠し後退する。

 対写輪眼戦を熟知しているようだ。

 

 男が腕を下ろし、そこには――――

 

「……あなた!」

「出てくるな、ミコト!!」

 

 頬を涙で濡らしながら部屋から出てこようとするミコトを片腕で制しながらも、オレはシロネコ面の男から目を離せないでいた。

 

 お面に二つあいた穴から見えるのは――赤色の灯火。

 

「写輪眼だと……お前は一体」

『…………』

 

 直後、耳を劈く独特の金属音。男はいつの間にか手に持っていた忍刀を手放し、素手でこちらに向かってきていた。

 掛けられそうになった足払いを回避して飛び上がると、これを待っていたかのように重い拳が鳩尾を抉るように繰り出される。

 

「うっ……!!」

 

 吐血。骨が軋む音。受け身も取れずに吹き飛ばされ、背中が柱に打ち付けられた。

 …………今の体術は。

 

 頭上に影がさす。次の攻撃がくる。動け、動くんだ。オレの命などどうでもいい。ミコトだけは……彼女だけは。

 

 ぐぐっと両腕に力を入れて立ち上がろうとする。耳元で風を切る音がした。

 

「――もうやめて、スバルッ!」

 

 ぴたっと耳の真横で蹴りが止まる。

 

 障子に必死にしがみつき痛む足を引きずりながら、ミコトがもう一度悲痛な声を上げる。

 

「スバル……スバル……! 貴方なんでしょう…………?」

 

 目の前の男が振り上げていた足を下ろした。男は唖然といった様子でミコトの一挙一動を見守っている。

 這ったままやってきたミコトは震える手で確かめるように男の腕に触れ、支えられるようにして立ち上がる。

 

「ああ…………」

 

 ミコトの瞳からぼろっと大粒の涙が流れていく。彼女はお面越しに男の頬を撫で、まるで己の身体を預けるように抱きしめた。

 

「昔も今も……私は母親失格ね。こうなるまで、貴方の心に気づきもしなかった」

 

 シロネコ面の男は抵抗するどころか、金縛りにでもあったかのように動かない。

 やがて、またあの聞き慣れない声が響いた。

 

『…………母さん』

 

 それは子どもが親に向ける無条件の愛のような。もしくは愛すら知らない子どもの戸惑いのような。

 そんないくつもの感情が複雑に絡まったような声だった。

 

 二言ほど言葉を交わし男がミコトを抱き上げて自室へと運んでいく。

 その後ろ姿を追いかければ、確かに背格好が似ている。一つ結びにされた髪の長さも同じくらいで……いや、いい。

 本当はあの体術を受けた時から気づいていた。スバルと同じ動きにお面の内側で光る写輪眼。疑う余地はどこにもなかった。

 

 スバルがミコトを部屋の中央に下ろす。オレがその隣に座れば、スバルがこちらを見下ろしていた。

 

「……お前は里側についたのか」

 

 一度迷う素振りを見せて、スバルが目の前に腰を下ろす。

 

「…………顔を見せてくれ。確認がしたい」

 

 情けないことに縋るような、懇願するような響きになってしまった。

 スバルがお面の両端に手を添える。ゆっくりと外されたお面の内側から現れたのは――――

 

「……スバル」

 

 ミコトがたまらずといった様子で名前を呼ぶ。

 スバルはすぐにお面をつけ直した。

 

『俺はお面がないとこのように話せない』

 

 お面による淡々とした物言いに胸に鈍い痛みが走る。

 今この場にいるのがスバルではなくイタチだったら、もっと簡単に事実を受け止められただろう。

 なぜ、スバルが。

 息子というよりも同志のような存在になっていた。共に一族について悩み、模索し、大切なものを守るために歩んできた。

 

 拳に力がこもる。ミコトは否定していたが、“裏切られた”という気持ちが大きかった。

 

「お前はどこまでも木ノ葉の忍だったということか……」

『それは違うよ』

 

 スバルから発せられたものとは思えないほど柔らかな言葉が降ってくる。

 

『木ノ葉の忍でも根の忍でもない――俺はうちは一族のスバル。そうありたいと願って生きてきた』

 

 唯一見える二つの瞳が優しげに細まる。

 

『俺がうちはであるという事実が、俺をイタチとサスケの兄にしてくれた……この世で最も大切なことに気づかせてくれたんだ』

 

 気がつけば頬を涙が流れていた。ぽたぽたと膝の上で握ったままだった拳を濡らしていく。

 

 そうか。スバルは……他でもない、イタチとサスケを守るために。

 

『俺はこれからもうちはの名を背負って生きていく』

 

 泣き崩れてしまったミコトを抱き寄せ、その肩に顔をうずめる。

 

 ――最初は、ただ無事に生まれてくれればそれでよかった。 

 

 愛する妻との間に一番最初に生まれた命の灯火は小さく、すぐに消えてしまうのではと不安で仕方なかった日々。

 

 無事に生まれてくれたら。健康でいてくれたら。普通の人と同じように声を出せたら。

 ――立派な跡取りとして優秀な子であれば。

 

 お産に立ち会った時の感情は時を重ねるごとに薄れ、いつしかオレは怪物になっていた。

 

 幼いスバルに投げかけた「一族の期待を裏切るな」という言葉。あれはかつてオレ自身が父親に口癖のように言われたものだった。不器用な父なりの愛情表現だったことは理解している。

 だからこそスバルにも同じ言葉を使った。父親からの期待。オレはお前に期待している。

 だから……だから…………なんだというんだ。

 幼いスバルがオレの言葉に傷つき、さらに心を深く閉ざしたことにも気づいていながら全て見て見ぬ振りをした。

 

「…………」

 

 一族を守りたかった。

 家族を守りたかった。

 だが、オレの腕はたった二つしかない。長という立場から“一族”を優先すればこの腕から“家族”がこぼれ落ちてしまう。

 それが忍としての正しい姿だ。里という“集”を生かすためならば、自分や自分の大切な存在という“個”の犠牲すら厭わない。そう思う気持ちは今でも変わっていない。

 

「一族の未来の為にと始めたことが、結果としてお前やイタチを苦しめてしまった……」

 

 うちは一族の木ノ葉中枢への参画に、集落解体、そして――――うちはが火影の座につくこと。

 

 大義のための犠牲ならば仕方がない。だからといって……その犠牲をスバルやイタチが背負い尻拭いしなければならないこの状況を、オレは本当に望んでいたのだろうか?

 全てはうちは一族の未来を担う子どもたちのために始めたことだった。

 未来の子どもにイタチとスバルを含むことがなぜ許されない?

 

 ――あゆみよらなければ

 

 あの日、自らオレに歩み寄り対等な立場で耳を傾けてくれた三代目のように。

 

 三代目への不満を垂れる前に、彼の考えに賛同し彼を支えていくために努力することが――オレたちには必要だったんじゃないのか?

 

 力づくで火影の座を奪うよりも、三代目と共により良い未来を作ることが……できたかもしれないのに。

 

 オレたちはそれすらもしなかった。相手からの歩み寄りを待つばかりで、お互いを理解する過程すらも蔑ろにした。

 

 

「刀を持ちなさい、スバル」

『…………』

「終わらせるのはお前にしかできない」

 

 スバルが立ち上がり、部屋の前に落ちていた忍刀を持って戻ってくる。

 

「イタチとサスケは無事なんだな?」

『…………うん』

 

 お面によるものなのかスバルの口調は思っていたものと少し違ったが……不思議と違和感はない。 

 こんな状況なのにオレは笑っていた。いつぶりだろうか。

 

「お前の望む通りにやればいい」

『…………俺の望み』

「お前はオレの子だ。オレは一度たりとも自分の中のお前への愛を疑ったことはない」

 

 ああ……やっと言えた。もっと早く言うべきだった。誰よりもお前たちを愛していると。

 

 現実から乖離した場所で両腕を伸ばす。手を伸ばした先には――小さな背中を丸めて心細そうにしている小さな子どもがいる。

 俺は子どもを抱きしめ、何度も何度もある言葉を呟いた。

 

 スバルが手に持つ忍刀が僅かな音を立てた。 

 小さな足音が俺とミコトの間を通り過ぎて真後ろで止まる。

 

「スバル」

 

 目を閉じる。ミコトがオレの拳に自分の手のひらを重ねたのが分かった。

 

「あとは頼む」

 

 この道を選び取ったスバルはこれからどうなるのだろう。誰よりも険しく困難な道を歩んでいくことは間違いない。 

 

「お前なら大丈夫だ。なんせ……お前はオレ()()の子だからな」

『…………』

「私たちの分までイタチとサスケをお願いね――お母さんの、最期のお願いよ」

 

 目を閉じていても後ろに立っているスバルが刀を持ち上げたのが分かる。

 

『俺は』

 

 お面から紡ぎ出される音だというのに、その声は震えていた。

 

『父さんと母さんのことを…………愛していた』

 

 思わず目を開く。

 

 オレの前にはさっきまで抱きしめていたはずの小さな子どもが立っている。

 こちらを振り返った子どもは無邪気な表情で笑っていて。

 

「おとうさん」

 

 オレをそう呼んだ。

 

 その直後、腹に衝撃があったが不思議と痛みはなかった。支えを失った身体が前屈みに倒れる。

 

「ああ」

 

 音になったかは分からない。なっていればいいとも思う。

 震える手を小さな手のひらがぎゅっと握りしめてくれた。

 

「オレもお前を愛している」

 

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