「おはようございます、八宮さん。もう起きていたんですね」
身支度を整え、正面玄関前のロビーへ向かった俺はジャケットを着直していた彼女へ声をかけた。
「あ、おはよー、お弟子さん! 今日もいい天気だね!」
八宮さんは元気な声で答え、明るく表情をほころばせて見せる。
手を振りながら俺の近くへ駆け寄り、キョロキョロと周囲へ視線を巡らせた。
「他のみんなはまだ寝てるのかな?」
「他の……? ああ、大崎さんに園田さん、幽谷さんのことですか。彼女達はお休みのようですよ。……昨晩も、ずいぶん盛り上がっていたようで」
俺が最後に付け加えた言葉に八宮さんは、「あ、あはは、そうだったかもね?」と苦笑する。
その目線は窓の外、晴れた早朝の光へ向けられており、外気には暖かさが満ちているようだった。
「た、たまに会うと積もる話もあるってことだよ~! でも、日付が変わる前には寝たし! ……騒がしくしちゃったかな?」
少し申し訳なさそうに彼女は肩をすくめて見せ、俺はあの四月の事件から今日までの日々を思い出す。
「……あの事件があってから、皆さんがこの洋館をホテルのように使っていらっしゃるので、慣れました。……ええ、お仕事も忙しいようで何よりです」
「も、もう~、そんなこと言わないでよ~。部屋はたくさんあるんだし?」
「それはそうですが、後で掃除をするのは私とはづきさんなので。……とはいえ、『怪盗283』ともあろう者が簡単に姿を人前にさらしてもいいのですか?」
その言葉を聞いた八宮さんは一度頭を掻いた後、ロビーに設えてあるソファーへ腰を下ろした。
そして正面の椅子を指差して見せたので、俺はそれにならってそこへ座る。
やがて、八宮さんは声色を中性的なものへ変えて話し出した。
「そう堅くなる必要もないさ。山の奥に隠れ住むより、人里へ降りた方が却って見つからないものだからね」
「……っ!」
その捉えどころのない口調に俺は驚きながら、言葉を返す。
「あの事件以来、ふと考えてしまいます。……『今、目の前にいる八宮めぐるは、本当にあの怪盗283なのか?』と」
「ふふ、それは誉め言葉として受け取っておくよ。正体不明にして神出鬼没こそ、怪盗の神髄だからね」
「……」
そう答え、底知れない微笑みを湛える彼女の真意を測ることはできない。
八宮さんが、『怪盗283本人』なのか、『怪盗283を名乗る別人』なのか、それが判明する日はいつになるのか……。
押し黙ってしまった俺へ、彼女は朗らかに笑って言った。
「も~、眉根にしわを寄せてたら、幸せが逃げちゃうよ? ただでさえ探偵は幸薄い職業なんだし!」
そして目を細める彼女の仕草は普段のものだったので、俺は肩から力を抜いて苦笑する。
「そうですね、世知辛い世の中に、世知辛い職業です。せめて気持ちくらいは、明るくありたい」
「そうだよ~。だから、笑って? にーって!」
言いながら八宮さんは左右の人差し指で口角を引っ張り上げる。
その仕草が面白くて俺は思わず笑ってしまったが、まあ、結論を急いでも仕方ないと考え直して席を立つ。
「笑う門には福来る、ですね?」
「うんうん、万国共通のおまじない! こうやって笑っていれば幸福が――」
更に指先へ力を入れた時、上の階から女性の鋭い悲鳴がロビーへ響き、俺達の笑顔が固まってしまう。
その方向は四月、あの事件が起きた『A』の部屋近くから――。
「……その幸福が、来たようです」
「……探偵に仕事が来るって、いいことなのかなあ?」
俺達は苦い表情でため息を吐き合い、額に手を当ててしまう。
「絶対、よくないことが起きてると思うんですよ……」
「そうだよねえ……。因果な職業だなあ……」
そして俺達は悲鳴の聞こえた上階へ向かって走り出す。
あの四月を経た、第二の事件がその先で待っていることを予感しつつ――。