俺がそう問うとロビーに、ざざっというノイズが響き、数か月ぶりの声が耳朶へ蘇る。
『想定していたより早く結論にたどり着いたな。やはり、違う視点からの意見があると物事はスムーズに運ばれるようだ』
ロビーのどこかに設置されているのであろうスピーカー越しに、『A』の声が届く。
以前と変わらない口調が、その健在ぶりを示していたが、俺は思わず下唇を噛んでしまった。
「……人が悪いですよ、『A』。目的の為に手段は選ばない……それが世界唯一の顧問探偵と呼ばれた貴方のやり方ではありますが」
『それこそお前には言っていたはずだが? 私は甘くない、と』
「っ! それは、そうですが……」
『だが、全てが嘘だったわけでもない。私が老いと衰えを自覚したのは事実だ。だからこそ力がある内に、『怪盗283の正体』を突き止めたくなったのだからな。……全員に問うが』
『A』は声のトーンを落とし、唐突に質問を俺達へ投げ掛けた。
『探偵諸君の中にたったの一度も、『怪盗283の正体』を知りたいと考えたことがない人間はいるかな?』
ロビーにいる誰かの口から、「え……」という声が漏れ、八宮さんの目が少し細くなる。
思わず胸に苦いモノが広がり、俺は俯いてしまう。
『……その反応から察するに、我が弟子はこの問いを予想していたようだな。お前が終始、感情的にならずにいられたのはそれが理由だろう?』
「それは……」
俺は言葉を濁しそうになったが、みんなの視線が説明を求めていたので、ゆっくりと話し出す。
「本来なら桑山さん、幽谷さんは何らかの咎を負うべきなのかもしれません。ですが、私には彼女達を裁く意思も権利も最初からないんです」
その解答に、園田さんが不思議そうな表情を浮かべて首を傾げる。
「ど、どうしてですか? わ、私だって二人をどうこうしようなんて思いませんけど、『怪盗283』に興味を持ったことはありますよ?」
「甘奈もそうだよ。でも、お弟子さんがそこまで言うのなら、理由があるんだよね?」
二人の指摘に俺は頷く。
「ええ。正体不明にして神出鬼没の怪盗。その正体を……謎を明かしたいと思うのは探偵の性です。同類という意味で、私達に桑山さんや幽谷さんを責める資格はありません。事実」
そこまで言って俺は天を仰いで一度息を吐き、続けた。
「今日の朝も私は八宮さんに、『今、目の前にいる八宮めぐるは、本当にあの怪盗283なのか?』と問いました。その性を持っている以上、立場が違えば桑山さんや幽谷さんと同じ行動を取る可能性は充分にある。……だから私は彼女達を責めることはできないし、その資格もないんです」
「お弟子さん……」
その答えに桑山さんと幽谷さんが一度だけ俺の名を呟き、他の二人は黙り込むが、再び軽やかな拍手がロビーへ響いた。
主はもちろん、八宮さんだ。
「キミの弟子は素晴らしいな、『A』。黒を白へ変え、他者を責める前に自分を顧みて、許してしまうとは。……そうなると、ますます師匠であるキミの結論が気になる。それで、分かったのかな? 私が、『怪盗283本人』なのか、『怪盗283を名乗る別人』なのか」
少しの間、ロビーに沈黙が落ちたが再び、ががっとノイズが鳴り、『A』の声が響く。
『……それは我が弟子に聞いてみてはどうかね? 彼はもうその答えを知っていると思うが』
「……?」
『A』の意味深な発言を受け、八宮さんの視線が俺へ向く。
そして俺は、最後の詰めとなる事実を口にした。
「『A』の得意分野を思い出して下さい。今日、二人で話していたと思います」
「得意分野?」
「ええ、八宮さん自身が言ったんです、『自分の口で犯行を自白させること』と」
「……? あっ」
一瞬、間が空いたが、やがて八宮さんは顔をしかめ、悔し気に片目を閉じて見せた。
「そういうことです。……今回に関しては犬にかまれたと思って、忘れるのが一番だと思いますが」
「しかし、いや……そう考えるしかないか……」
八宮さんは頭を掻き、指先を眉間に当てたが当然、大崎さん達にその意味は伝わらないので俺が説明する。
「俺と二人で話している時、八宮さんは、『個人で動くことが多い』、『今まで一人だった』と既に口にしているんです。『A』のことだから、洋館での会話も筒抜けだったでしょうし、それが証拠ですよ」
そこでようやく少し回復した様子の幽谷さんが、か細い声で問う。
「じゃ、じゃあ……八宮さんが、『怪盗283』本人……?」
そして八宮さんは瞳を閉じ、薄く笑って答えた。
「そうだね、私が、『怪盗283』だ。替え玉を用意したこともない。それがこういう形で明るみになるとは、予想していなかったが。……これで満足したかな、『A』?」
『随分としおらしいな。言い逃れはないのか?』
「キミのことだから、この数か月の監視でアタリは付けていたんだろう? 今日の出来事は詰めろをかける為に起こしただけで、それに気付かなかった私の負けさ。だが……」
八宮さんはそこまで言った後、奇妙に乾いた口調で告げる。
「真実なんて、こんなものだ。明かされて見れば、案外みすぼらしい。世界唯一の顧問探偵と呼ばれた人間の幕引きとしては少々、派手さに欠けると思うがね」
『……結構だ、そういうことには慣れているつもりでね。だが、最後らしく置き土産もしていこうと思っている。……我が弟子よ』
「え?」
全部が終わったと思い、ぼうっとしてしまった俺へ、『A』が声をかける。
『何をぼんやりしている。このまま彼女を放り出しては、目覚めが悪いだろう。……そこで提案だ』
「提案?」
『そうだ。まず、彼女の身柄はお前の預かりとしよう。そして以後、この洋館は『283パレス』とし、探偵達へ開放せよ』
「……は?」
発言の意味が分からず、素っ頓狂な声を上げてしまう。
「か、開放って、どういうことですか、『A』!?」
『私が思うに八宮めぐるが怪盗足れたのは、彼女自身が色を持たなかったからだ。一人で生きるのなら、そういう在り方にもなるだろうが、そうでない生き方を模索するのも悪くないだろう?』
「そ、それはそうですが……」
『なら、仲間は多い方がいい。堅苦しい契約書を作るつもりはない。洋館をどう使うかも各々の自由だ。好きな時に来て遊び、語り合って、青春を謳歌すればいい。……これを聞いている25人の探偵諸君、異論はあるかね?』
想像していなかった言葉に俺の口から、「え」と間抜けな声がこぼれ落ちる。
しかし次の瞬間には、
『い、異論なんて、ありません……! 一緒に頑張ろうね、めぐるちゃん!』
『ふふ、これは楽しいことになりそうだ。すぐに支度をしないとね』
『じゃ、じゃあ、みんなでジャスティスVを見られるんですか!?』
『なーちゃんと千雪さんは……そのまま休んでて……。甜花、すぐ行くから……!』
『楽しいこと、いっぱいっす! 上がってきたっすよ!』
『あは~、なんだか分からないけど、楽しくて幸せそう~!』
『やっぱりみんな、変わってる』
と、スピーカーよ割れてしまえ、とばかりに全員が一斉に喋り出し、ロビーが色とりどりの声で満たされた。
大崎さん達は顔をしかめて耳を押さえているが、その表情には暖かな苦笑が浮かんでいる。
そして呆気に取られる俺の隣へいつの間にか来ていた八宮さんは、肩をすくめて見せた。
「ふふ、これは一本、取られたようだね。お弟子さん?」
「……全くです。『A』の本当の目的は、この結末を導き出すことだったんでしょう」
「随分と無茶をする。まあ、これが世界唯一の顧問探偵のやり方ってことか。……甘いのかそうでないのか、分からない男だな」
その口調は呆れつつも柔らかなもので、俺が安心しつつ頷くと、騒がしさの中なんとか、『A』の声が耳へ届く。
『繰り返しになるが、私が老いと衰えを感じたのは事実だ。幕を下ろすついでに、善行の一つ位しておくのも悪くないと思ってね』
「は、はぁ……。善行、ですか」
『……そう奥歯に物が挟まった様な言い方をするな、我が弟子よ。はづきは変わらずお前に付けるし、私はこれで本当に引退だ。折角死んだ身になれたのだから、今後は気ままに世界を旅して生きるのもいいだろう』
「『A』……」
どう言葉を返したらいいのか分からない間に、『A』のスピーカーの音量が小さくなっていく。
『では、さらばだ我が弟子……いや、新たな『A』よ。その人生に素晴らしい事件と謎が満ちていることを願っているぞ』
そう最後の言葉を残し、スピーカーから、『A』の存在感が消える。
とはいえ、他のみんなとの通信は繋がったままだから、俺の頭は変わらずぐわんんぐわん揺れ続けているのだが。
隣に立つ八宮さんが手を振りながら、苦笑する。
「事件と謎、だそうだ。これは今後も大変そうだね、お弟子さん?」
「もうお腹いっぱいですよ……。勘弁して下さい……」
こうして四月の終わらない嘘は幕を下ろし、ロビーに響く騒がしい声の中、俺はがっくりと肩を落としたのだった。