『金森を、でありますか……!? そ、それはぁ……!』
「出せない理由があるのか?」
天津風の泣き顔を見てしまった俺は、甚だしい思い違いをしていたのだと痛感した。
いつから《柱島泊地の艦娘だけが苦しんでいる》と思い込んでいたのだろうか。
呉でも、佐世保でも、舞鶴でも――他の鎮守府でも、苦しんでいる艦娘は存在している。
柱島に集められた彼女らは全国からやってきたと聞いていたじゃないか、それなのにどうして。
浮かれに浮かれ艦娘の練度向上のためだとかそれらしい理由付けをし、指輪まで渡して私欲を優先させる俺と、今しがた電話越しに聞こえる松岡のひっとらえた金森との違いはあるのだろうか。
くそ。くそっくそっくそっ!!
噛み締め過ぎた奥歯が痛み、口内に鉄の味が広がる。
ここで呉鎮守府であったように癇癪を起して怒鳴り散らすか?
ダメだ。そんな事をしたって良い方向に転がるはずがない。
あれら一連のことが上手く回って着地点を得たのは、紛れもなく艦娘の努力と、山元や清水の誠実さがあってこそ。一度悪い事をしたと自覚した彼らは変わったじゃないか。それを期待して、甘えて、ただ怒りに任せて声を荒げるなど、大人の、まして提督のすることじゃない。
長峰少佐に落ち着けと再三言った手前もあって、俺は声を荒げずに済んでいた。
だが、こういう時に限って事は上手くいかず。
『海原閣下は今、舞鶴、でしたでしょうか……』
「そうだ」
『軍規、が、あります、ので……いくら閣下とて収容されている金森と電話を繋ぐことは、できません』
「どうしてもか」
『っ……申し訳、ございません』
軍規と言われたらば仕方がない。社畜で言わば内規。曲りなりにも軍人として生きることとなった自分は井之上元帥と同じ場所へ腰を据えている。
ならばそれを破ることなど決してあってはならない――が、俺は未熟者だ。
そして松岡や長峰が知らぬだけで、井之上さんら軍部中枢の数名は俺を知っており、また、俺の癇癪を察して天津風を連れて出て行ってくれた大淀を含む柱島の全員が、俺の
仕事においては他力本願が主力のポンコツ極まるお湯被り変態クソ提督でもそれなりに頑張るつもりだが、こと、艦娘においては――他者の理屈など知ったことではない。
無理を通せば道理は引っ込むのだ。屁理屈提督の俺にとって、顔も知らねば遠方におり会うことも叶わない金森であれ、艦娘を虐げた者との会話など、能わず。
ごつ、ごつ、と革靴の音を立てて室内を犬のように歩き、沸々と湧き上がる感情を呑み込もうと、設置されているウォーターサーバーへ近づき、サーバーの横に重ねられた紙コップを手に取ってくるりと半回転させる。
「軍規ならば仕方あるまい。それで、私が金森と話せぬ軍規とは何だ?」
『……』
電波が悪いのだろうか、と携帯から耳を離して画面を見るも、きちんと電波は届いている様子だった。ならばマイクの問題か、と俺はスマホを数度タップしてオンフックにし、耳から離した状態のままカップへ水をいれる。
放り出したままの長峰少佐が手持無沙汰にならないようにと「軍規の載っている書類はあるか」と問えば、彼女は大急ぎでキャビネットをひっくり返し、分厚い本を差し出した。
なみなみと水の入ったそれを一気にあおってから、長峰少佐から本を受け取って自然と執務机に近づいていく。
はっとしてちらりと彼女の顔を見れば、何も言わぬまま頭を下げたので「借りるぞ」と一言ことわってから腰をおろした。
松岡が未だ黙りこくったままで、こちらも無言のまま。
意味があるかも分からないまま軍規の載った本を必死に捲る音だけが室内を支配した。
『……軍規違反、並びに、重大な犯罪を犯しているのです、あいつは。日本の司法にかかれば否が応でも死刑になるでしょう。なれば超法規的措置として軍法を曲解し適用する他無かったのは、閣下が一番ご存じではないですか……!』
歯噛みするような松岡の声に、俺は手の平を返すような言葉を投げつける。
「そんなものは知らん」
『閣下……! ご理解ください、どうか』
「理解したくもない。舞鶴鎮守府を訪問して挨拶の一つでもしようとしたら、軍服を見ただけで駆逐艦が泣き出したのだぞ。何を理解しろというのだ」
『……』
捲り続けていた本の字を適当に目が追うなかで、一つ、文言が。
「
『閣下、それは……!』
小難しい文章を理解するとなれば難しい話だが、それとなく意味を汲み取ってただ口にするだけならば簡単なことである。
社会人とは往々にして流れに逆らわぬためにとこういった手法を取る。
ただし、社畜に限る。真似しちゃダメだぞ。
「指揮官は艦娘が危険な状態、またはそれに準ずる状態になると判断できる場合において救護しなければならない。海軍における軍規第三章三十五条だ」
『お待ちください、閣下がそのような事を口になされば――』
「敵前であらば須らく死刑。これを作ったのは誰だろうな? はは、褒めてやりたいよ。当然だ、指揮官たる者が艦娘を差し置いて敵前で逃亡などもってのほか。なあ、松岡?」
『っ……』
正直なところを言えば、俺の頭は真っ白だった。
怒りに任せて暴れ回りたいのを抑え込むのに必死で、必死で、どうにもならず、居ても立っても居られないと走り出して天津風を泣かせた顔も知らない金森とかいう奴を馬乗りになってぶん殴ってやりたかった。
それは、ただのエゴだ。
艦娘を愛する俺を最優先し、艦娘の気持ちや海軍内での処断を軽視し、俺を受け入れてくれた井之上さんや軍部中枢の者達への軽視行為となる。
自分よりも年若い長峰少佐すら慎重に対応しているであろうことなど明らかだったじゃないか。それを、どうしてこの場で年長たる俺が翻せようか。
けれど俺は止まらず、分厚い本を捲り、文字を指でなぞり、時折感情の泡が弾けるように叩く。
「八章七十八条……これか? これで決着をつけたんだな?」
『う、ぐっ……』
「読み上げてやる。間違いならば遠慮なく言え」
酒も飲んでいないのに喉が焼けるようだった。
低い声で文言を読み上げれば、松岡の息遣いがスピーカーを揺らす。
「八章、七十八条。海軍の艦娘、航空機、戦車、工場、防衛の用に供する建造物、電車、自動車もしくは橋梁または海軍の軍用に用を供すものを貯蔵する倉庫を
『……っは、その、通りであります』
「で、生きているか?」
『っは』
「ならば懲役となっているわけだな。生きているのに、話せない理由はなんだ?」
『調書が完成しており、既に送付を……あとは、調書をもとに詳しい調査を行い、その真偽を確認し、改めて報告書としてまとめ――』
「それでは解決できんのだが」
『~~~! 情報の塊なのであります! 金森は! 何卒ご理解ください閣下! 既に調書をまとめ海軍情報部へ文書を提出してしまっているのです! 電子文書ですからすでに届いているはずです! 迅速に調査を行いますから! この順序無くして秩序の維持など――』
「既に届いているのか。ふむ……すぐにかけなおす、待っていろ」
松岡は未だ大声をあげていたが、構わず通話を切る。
「長峰、水を貰えるか」
怒りを抑え続けるのには、思ったよりも膨大な体力を要する。
立ち上がるのも億劫で、部下とはいえ初対面の女性に対して失礼な態度なのは百も承知。
「ど、どうぞ……」
「すまんな」
癇癪起こす社畜でごめんね、と茶化すような胸中のまま、電話を操作して発信すれば、数コールで別の男の声がスピーカーから響かせた。
『おお、海原閣下。何か御用ですかな?』
「忠野か。連日連絡ばかりですまんが、少し頼みがある」
『おや、もしやあの新兵装の増産でも?』
「違う。松岡から文書が送られているはずなのだが、すでに届いているだろうか」
『……金森の自供について、ですな。ああ、それについては今こちらに――』
「すぐに破棄してもらいたい」
『はっ!? いくら海原閣下の命令とて、これは必要なことでありますからなあ……う、うーむ……! 如何な理由であれ、情報部としても、それは、流石に……』
「今、舞鶴鎮守府に訪問しているのだがな」
長峰少佐と挨拶を交わして艦娘の様子を窺おうとしたところ、呼び出しには応じてくれたが、軍服を見ただけで過呼吸を起こす有様。
舞鶴鎮守府における運営が正常でなかったのは明らかだが、それ以外にも根深い問題がある可能性を考えていること。
手短に伝えれば、忠野は俺にこう問うた。
『……艦娘が、泣いていたのですな』
「そうだ」
『そうして閣下は、動かざるを得ない状況であると判断なさったと』
「ああ」
『……ふぅぅうう』
かちり、と妙な音が聞こえたかと思えば、今度は大きなため息を吐かれた。
ただ、どうにも忠野の声音は俺を落ち着かせ、怒りこそ消沈しなかったものの、愉快な現実逃避が出来るくらいには、冷静さを取り戻させた。
ごめんて忠野。我儘言ってるのは分かってるって。
でもあまつん泣いてたんだから仕方ないだろ。
社畜の我儘の一つくらい聞いてくれよナイスミドル! な!
あまつんに挨拶して「いい風きてる?」とか言われたかった俺の気持ちも汲んでくれよ!
と、まあ、冷静さを取り戻したのか愉快な脳内は冷静ではないと言うべきなのかややこしいところだが。
忠野は数度息を吐き続けたあとに、しばしお待ちを、と言った。
声が離れたかと思えば、離れた位置から『それを貸せ』という呆れ返ったような声。
『失礼。閣下、今丁度こちらに文書が届きましたが、これは陸軍法務部の松岡中将が幾日もかけて聞き出した重要情報であります。閣下は情報部の長であるこの私に、捨てろ、と言うのですな?』
「そうだ。秩序維持のために必要であるとは聞いているが、私は、天津風を泣かせた金森の口から、どうして、いや、この場合は、どのようにして泣かせたのかを聞かねばならん。聞かねば、我慢ならんのだ」
『な、る、ほ、ど……しかしてこの文書も重要であるとは、ご理解していただけますか? 国家に反逆した者の調書であると』
「……ああ。私がとんでもない事を言っている自覚もある」
『っくくく、ははははは! とんでもない事を言っている自覚がある上で、情報部を握りつぶそうなどと、はーっはっはっはっは! 自分らは井之上元帥閣下にすら秘匿情報を開示しないのでありますよ? 無論、海原元帥閣下においても……それなのに、くくくく、ふははっ……!』
おぉいッ! 忠野コラァッ! 何わろてんねん!
天津風が大泣きしたくらいに大事なんだぞ! 金森とかいう提督のお陰で舞鶴は滅茶苦茶だ!
今しがた舞鶴を滅茶苦茶にしているのはお前だ、みたいな視線が長峰少佐から飛んで来ているような気もするけども! それでもおま……お前ェッ!
「何がおかしい」
『し、しつ、ふふ、失礼しました。いやはや、やはり全艦娘の指揮官ともなれば、断固たるものですな。実は、海原閣下よりお話を伺った新兵装について、艦政本部の明石達ともども、迷ったのです。如何な理由とて艦娘と海原閣下の関係を動かすべきであるのか否かと』
「何の話だ忠野、私は金森と話をするのに軍規がどうのと言われたから、それに即して逆らわぬように――」
『我々は海軍。国民を守らねばならぬ存在であり、語弊を恐れず言わば、艦娘は仲間でありますが、我々の主力兵器であります。それもまた、ご理解いただけますな?』
分かっている。艦娘が兵器という一面を持っていることなど、誰よりも分かっているつもりだ。
それでも、彼女らが戦う相手は――人じゃないだろう。
我慢して、一度落ち着いて、少しだけ茶化して。
そんな目まぐるしい胸中から湧き上がる想いが、喉元を突き抜けて口から声となって放たれた。
「――いい加減にしろッ!! 彼女らは深海棲艦と戦っているのだ!! 桜と錨に砲塔を向けているわけではない!! 穏やかな海に魚雷を放ちたいわけではない!! 忠野、お前も分かっているだろう!? 彼女らが戦うべき相手を見失いかけているのが、我々海軍の責任であると!!」
『
「そうだッ! これでは仕事もままならん……彼女らに恰好の一つくらいつけられんで、何が軍人かッ!」
『ふふ、それでこそ、海原閣下、というべきですかな。……おぉ、白石。こっちに来い。これを破棄しろ。どうやら松岡中将閣下は我々に違う文書を送っていたようだ』
『ぇ、は、はぁっ!? 忠野閣下、それは今、秘匿通信で送られて――』
『おや? この私が間違えていると言っているのだが、ふむ……おかしいな。海原閣下と今、電話をしていてな。どうにも中身を間違えているのではと疑われてなあ……確認したところ、なるほど、中身が違うじゃないか、と。であるからして、破棄だ』
『封を開けてもいないではありませんか! って、い、今……う、海原閣下と、お話し中と申しましたか……?』
『うむ。代わるか?』
『い、いえいえいえいえ! 結構であります! 自分は達者にしているとお伝えください! では、そ、その、そちらは……本当に、破棄、で……?』
『ああ、そうだ、間違えた文書をやり取りした記録が残っては陸軍法務部も面目が立つまい。記録もろともな。そうさなあ……海原閣下の仕事が終わり次第、この文書が届くのだろう。通信記録はその時刻で、開封も、その時が丁度よいと思われる』
『ではそれまで保管……いえ、破棄、でありましたね』
『うむ、
『……っは、そのように』
「忠野……」
『――失礼、海原閣下。どうやら自分の目が節穴だったようであります。文書の方は中身を見ず破棄いたしましたので、こちらからもう一度松岡中将閣下へ送りなおせ、と一報しましょう』
「……手間をかける」
『なに、手間というほどでも。しかし閣下、こちらからも一つ』
「なんだ」
ごめん忠野……マジでごめん……今度むつまるに金平糖を持って行かせるね……。
『そちらの長峰少佐に代わっていただけますかな?』
「あ、あぁ……」
そうだこれ長峰少佐も聞いてるんだった……なんだこのクソ提督……とか思われてるよ絶対にぃ! あぁもう大淀戻って来てぇッ!
「長峰少佐。情報部の忠野だ、話してやってくれ」
「ぅぇえええっ!? た、忠野中将閣下、ですか……!? あの、わ、私は、そのぉ……! うぅぅぅ――お、お電話代わりました! 長峰燈少佐でありますッ!」
長峰少佐が電話を手に取って耳に当てると、自然とオンフックが切れて会話の内容が分からなくなるも、良い話ではないだろうなと考え土下座をかましたくなる俺。
突然上司と板挟みとなるなど、社畜時代を思い出して胃が痛くなる。
あとで長峰少佐にも金平糖を上げて許してもらおう。
『長峰少佐、舞鶴鎮守府に着任早々すまんな。耳の痛い事を聞いてしまうが、少佐は着任して早々とはいえ、どれくらいになる?』
「す、数週間、以上は……」
『そうだな。それだけの時間があったが、艦娘とはうまくいっておらんか』
「……申し訳ありません」
『今ならばまだ舞鶴鎮守府から異動は可能だぞ?』
「それは……!」
『嫌か? 後方勤務になれば給与の減額はあれど楽は出来る。私から口添えしたって構わん』
「それではあの子達は……!」
『海軍の兵器に向かって、あの子達、だと?』
「そ、そのような言い方……! ぅ、うぅ……じ、自分は、その……」
『数週間そこらで、君は艦娘の何を見た』
「……泣き顔しか、見ておりません」
『であれば――』
「だからっ! 自分は、納得、できないので、あり、ます……」
『ほう、納得か』
「せ、僭越ながら、艦娘は人を守るために蘇った艦艇であると習った記憶があります。しかし私の目には、どうしたって少女にしか見えず、海で戦闘が可能な超常的な存在であれ、私には……私、には……」
『人に見えるとでも?』
「いえ……あの子達は、人じゃ、ありません……」
『ならば兵器だろう?』
「しかし! へ、兵器などとも考えておりません! あの子達は、人ではありませんが……か、艦娘です!」
『……っくく、真理、だなあ』
「う、ぅぅ……申し訳ありません忠野中将閣下、真理、とは……?」
『いや、こっちの話だ。気にするな。しかし数週間も経って話の一つも出来ておらんのは問題だ。海原閣下においては大問題だぞ』
「申し訳も、ございません……」
『いいや、軍務であるからには連帯である。我々全員の責任であるのは海原閣下の仰るところと変わりない。そこで、だ、長峰少佐。君に舞鶴鎮守府の運営の他、任務を追加したく思う』
「……っは」
『艦娘を想うとは何か、軍人とは何か……今一度よく考えて欲しいのだ。海原閣下を見てみればいい、飽きない人だぞ。それらを見て君が何を感じ、何を思ったか、また私に聞かせてくれんか?』
「はっ……? そ、それは一体どういう――」
『話は以上だ』
「えっ、あ……了解、しました……」
執務机の上に綺麗にまとめられた書類を見ながら、長峰少佐はきっと柱島鎮守府の執務机を見たら泡を吹いて倒れるかもしれないなとしょうもない事を考えていると、長峰少佐から携帯を差し出される。
どうやら話は終わったようだと受け取って耳に当てれば、ツーツーツー、という……切れてるじゃねえか! 忠野チクショウがよォッ! じゃあ、またあとでね! くらい言えッ!!
電話切れてるのに耳に当てて「代わったぞ」とか言いかけたわ! バーカ!
悟られぬよう、静かに携帯を机に置く俺。
気まずそうな顔をする長峰少佐。
地獄みたいな沈黙である。誰か役立たず社畜の俺を殺してくれ。
「……あ、あのっ」
長峰少佐が口を開いたと同時に携帯電話が鳴り響く。
俺が顔を向けるも、少佐は「いえ……」と顔を伏せてしまった。
タイミング考えろよ電話ぁ……と画面を見れば、松岡の二文字。
松岡てめぇッ! 小難しいこと言って金森を遠ざけやがって!
社畜をなめたらどんな目に遭うか教えてやっから覚悟しろィッ!
「海原だ」
でも冷静にね。カームダウン、カームダウン。
俺が冷静でいると、周りが冷静じゃなくなるというのを、今日、学んだ。
『閣下! ま、まさか情報部を握りつぶすなど……重大な軍規違反でありますぞッ!』
待って待って、待ってって松岡。違うて!
軍規違反にならないように、文書をもう一度送りなおしてもらうと、ね?
その間に俺が金森と話そうが、まだ文書は届いてないんだから問題無いだろ!?
こういうの会社でも何度かあったし! 島風悪くないもん!
うーん、島風は本当に悪くないどころか関係ないね。まもるが悪いもんね。
「文書が届いていないのならば、また作成すればいいだろう。その間に少し金森から話を聞くだけだが……問題あるか?」
組織というものは体裁が必要。もちろんのこと、ルールだって必要である。
それらを守り、維持する事こそが運営には肝要であるが、例外がないわけじゃない。
その例外をいくつも作ってしまうと組織そのものが瓦解してしまいかねないため、ルールを曲解し、時折こうした搦め手を用いるのだ。
社畜の心得だぞ、松岡。
そして俺は心を鬼にして、責任転嫁する。
最低最悪の屑提督である。でも艦娘が泣いてたからノーカンでオネシャス!
今度柱島に来たら遊ばせてやっから! な!?
うーちゃんの悪戯を味わわせてやっから!
その時は是非足元に気を付けてくれよな! 紐で転ぶとか漫画みたいなことになるぜ!
大井っちにチクればバレてケツをひっぱたかれる卯月も見れるぞ!
「軍規に違反はしていないが。松岡、お前が送る文書を間違えていたのだろう? 忠野に聞けばそのように答えると思うが」
『……新見のように、見逃してはいただけないのでしょうか』
「新見?」
誰ですかその人。知らないよそんなの。
「見逃すもなにも、私は金森から話を聞きたいだけだ。舞鶴から巣鴨へ移動してはこちらの仕事が滞るだろうが」
俺の仕事は舞鶴で艦娘と遊――違う違う。
この舞鶴鎮守府で金森が不正のために滅茶苦茶にした記録を正しいものへ戻すくっそ面倒な仕事をせねばならないのだ! 帰ってうーちゃんと遊びたいっぴょん! って気持ちを押し殺して柱島を出て来たんだからな! 早くしろ松岡ァッ! 大淀にチクってやろうか!? あぁ!?
『ん、んー……! ほ、本当に舞鶴におられるのです、よね……? 突然、その、収容所に来られるような事など……!』
あーもう面倒くせえなあお前もよぉ! 何で舞鶴にいる事を疑われてんだ俺!?
ちっ、と思わず舌打ちをしつつ携帯電話をずいっと長峰少佐に押し付ける。
長峰少佐! 言ってやってくださいこの分らず屋に!
「お、お電話代わりましたっ! 舞鶴鎮守府の長峰燈少佐でありますっ!」
『長峰少佐……ほ、本当に舞鶴におられるのだな!?』
「は、はぁ……そうですが……」
『舞鶴にいながら情報部を電話一つで握りつぶすなど……どこの誰が思いつくか、そんなものっ! あーもう! 陸軍法務部中将の松岡忠だ! もういい、分かったから海原閣下に代われ!』
「ひぅっ!? しょ、承知しました……」
……ごめんね長峰少佐。金平糖を倍にして伊良湖の最中もつけるね。
携帯電話を改めて受け取れば、諦めに声音が弱くなった松岡が言った。
『新見然り、自分の部下に慈悲をかけていただいた御恩を忘れたわけではありません……電話のみです。いいですね』
「最初からそう言ってるだろう」
俺まで溜息出ちゃうよ。あと新見って誰だよ。
* * *
大淀と天津風は今頃何をしているだろうか、と電話口に金森が出る間、ぼけーっと執務室を見回していた。
柱島鎮守府よりも豪華な室内には、俺が使っているキャビネットよりも高級そうなものが並んでいる他に、コーヒーメーカーや勝手に使っちゃったウォーターサーバー。
最新式であろう綺麗なエアコンに調度品がいくつも壁に並んでいる。
柱島泊地の執務室を見せてやりたい。紙とファイルしかない。
あとこのあいだ第六駆逐隊がお絵描きした画用紙しかない。折り紙とか。
どうあがいても見せた瞬間に「何やってるんですか海原さぁん!」とフチなし眼鏡の鋭利な角で喉元を掻っ切られるだろう。
長峰少佐は新人社員が如き初々しい様相だが、これでも俺より大きな拠点を任せられている軍人である。女性だからとなめることなかれ。むしろ艦娘と同じく女性こそ恐ろしい存在なのだ。お母ちゃんとか怖いだろ。それと一緒だ。
癇癪を起しかけて何とか我慢したが、結局無関係の忠野というオッサンに向かって怒鳴り散らしたのだから俺の評価は最低最悪に違いない。
挽回すっから待ってろよ少佐。あまつんの笑顔を取り戻してみせるぜ!
と、気合を入れて髪をぐっとかきあげる。
そういえば軍帽を天津風に渡しちゃったままである。
今頃俺の頭皮の匂いにやられているかもしれないので、仕事を迅速に進めねばならない。
『閣下、今、金森と代わりますが、スピーカーにさせていただきますよ』
「やっとか」
はぁ、と本日何度目かも分からない溜息。
それから聞こえて来たのは、ねばついた声だった。
『……貴様が海原か。やっと声が聞けたな』
天津風を泣かせるばかりか舞鶴の艦娘を泣かせた張本人に慈悲は無し。
だが理由を訊くまでは、穏やかに、出来るだけ、静かに、と心を落ち着ける。
「初めまして、金森殿。私は海原というものだ。早速で申し訳ないのだが、金森殿にいくつか聞きたい事があってな」
抑揚なく言葉を紡げば、向こう側から空気の流れるようなノイズが数秒。
「……金森殿? 聞こえているか?」
『っ……ふ、ふぅ、ふぅ……聞こえて、いる……何を、聞きたい……』
息遣いの荒い金森の声に、うげ、と顔を顰めるも、長峰少佐に分からないよう、座っている椅子を半回転させて背を向ける。
きぃ、と椅子のきしむ音がやけに響いた。
「どうした。体調でも悪いか?」
『ひ、ひひっ……生かさず殺さず、勝った気か、なあ……!』
なんの話だこいつ。
「なんの話だ? んん、すまない、こちらも仕事があるので手短に答えてもらいたい。この際、金森殿が舞鶴鎮守府でどのような不正をしたかなど、気にしてはいないのだ」
『ひっ、ひっ、気にしていないと、きたか……ははは……!』
「起こった事はしかたがないだろう? 壊れたものは直せばいい、奪われたなら取り戻せばいい、襲われたのなら退ければいい。だが……」
金森に使う時間が惜しい、と俺はありとあらゆる感情を込めた声で言った。
「……艦娘が流した涙は、どうすれば元に戻るのだろうな?」
『……』
驚くことに、本当に数分間、沈黙が続いた。
答えを待つ俺、黙ったまま直立不動の長峰少佐、電話の向こうから気配すら窺えない金森に、松岡。
そうしてやっとのことで、低く、ざらついた金森の声。
『――殺せ……俺を殺せェッ!』
怨嗟の声は受話口を突き破るようで、思わず携帯電話を耳から離す。
「そのようなことはしない、私はただ話を――」
『取引だ海原ッ! 私が話せば殺すと約束しろッ!』
「えぇ……」
何言ってんだよオッサン……やだよ……。
「それは出来ない。だが話してもらう」
『~~~~~ッ! 海原ぁぁ……ッ!』
「そういう相談は松岡にしてくれんか。私にも仕事があるのでな、そういうことは松岡に一任したい」
『こうなれば……おま……を……』
『何を言っている金森。聞こえんぞ。閣下に聞こえるように話せ』
「……」
『執務室の近くに、資料室が、あるだろう……』
『金森、貴様何を笑って――』
「ああ、あったな」
ようやく喋った金森の言葉通り、大淀に案内されて執務室に来る時にそのような場所を見た記憶があったので肯定する。
立ち上がった俺は、それが天津風が泣いていることとどのように関係しているのかを考えながら執務室を出ようと歩を進めた。
後ろからついてこようとした長峰少佐を手の平を向ける事で制止し、耳から携帯電話をするりとずらして言う。
「私が行ってくるから、ここで待っていてくれるか。気になる事があれば大淀が戻った時にでも伝えればいい、大体解決する」
天下の大淀様だからな。知らない事なんて無いだろう。多分な。
「し、しかしっ」
「心配するな、仕事をしてくるだけだ」
執務室を出ながら、金森の言う資料室へ足早に向かうと、再び問う。
「資料室の前まで来たが、ここに何がある」
『全てだ、お前達が俺に聞きたがっていた全てが、そこにある……ひ、ひ……』
「天津風が泣いていた理由が、ここにある、と?」
『ああ、そうだ……あいつがそこを覚えていれば、の話だがなぁ……誰も覚えちゃいないさ……だぁれも……』
意味深長な気持ちの悪い笑い声を抑えるが如き金森に不信感を抱いたこの時点で、俺の運命は決していたのかもしれない。
資料室に入ると、小学校や中学校の頃、指折り数えられるくらいにしか通わなかった図書室程度の広さの室内にずらりと並ぶ棚に圧倒され、う、と声が出そうになる。
この中から探し出せとでも言うつもりか?
しかし金森からの指示は、不思議なもので
『番号が振ってあるだろう……資料はまだ残っているか?』
「ああ、大量にあるようだな」
『っひ、ひひ、そうかそうか、ならお望みのものはすぐだ……十二番の棚にある、特別拘禁室とあるファイルを探せ……』
「……特別拘禁、特別拘禁……と、と……たぁ、ち、つ、て……これか」
頭文字順にならべられている灰色のファイル群の中から一つ抜き出して開いてみれば、なんてことはない。どの艦娘が命令違反をしただの、出撃拒否しただのと書いてあるくだらないものだった。嘘かどうかなど、気にするべくもない。
片手でぱらぱらとめくりながら金森へ憮然とした声を上げる。
「……なんだこの、これは」
『そのまま、それを持って、入り口から左手の壁にある二十八番の棚へ行け』
「左手……執務室側か?」
『あぁ、くひっ……そうだ……』
ピ、という電子音。
は? と驚く前に、棚が後方、壁へと吸い込まれていく様をぽかんとした顔で見ていた。
「金森……これは……」
『行け海原……お前が知りたがってたものが全部あるはずだ……ほら、行け……』
『何を言っている金森! 海原閣下、何かあったのですか? 閣下?』
「こんなくだらんものを、作っていたのか、お前」
『閣下……? お答えください閣下!』
松岡の声を受けながらも、俺の足は自然と動き出す。
この世界は現実なのだと受け入れてようやく慣れて来たところに、まるでゲームの隠し要素とばかりに開かれた地下への道。
不思議な事に、大仰な仕掛けのくせに、音が殆どしなかった。
「……確認してくるから、待っていろ」
何故か、行かねば、と本能が告げる。
明かりのひとつもない階段を数段下りると、背後でガチンと音が聞こえ、持っていた携帯電話からノイズが走り始める。
『ひゃ、ひゃぁははは! ひ、ひひっひひひひひっ! ザザッ――俺を殺しておけば――もう逃げられ――ザーッ……ザッ……』
『金森貴様、なにを笑っている! ……閣下? ノイズが……応答を 閣下――ザザッ……』
それから、ツー、という通話の切れた音。
背後を見ても暗闇、前方を見ても暗闇。
「……ふむ」
ゲームじゃないんだからさ。ね。
携帯電話を操作してカメラのライトを起動し、頼りない明かりで足元を照らしながら、汚れた石の階段を下りていく。画面には圏外の文字。
ざりり、ごつん、さり、ごつん、と足音が壁や天井に吸い込まれていく。
そうして階段を下りた先にずらりと並ぶ牢に、くらりと眩暈を覚えた。
「金森、嘘だろ……艦娘に、お前、何を……」
誰にともなく、声に出さずにはいられなかった。
どす黒い染みがいくつもある鉄格子や床の汚れをライトで照らしつつ進む中で、黒いきんちゃく袋のようなものが落ちているのに気づいて、しゃがみ込んで拾ったその時のこと。
「……ぅ、う……だ、れ……?」
ボロボロな姿で横たわって、薄目を開いてこちらを見る艦娘がいた。
声を、声をかけねば、なにか、声を。
施錠されてもいなかった扉を開いてその艦娘の傍に片膝をつき、静かに言う。
「海原鎮……提督だ。聞こえるか」
その艦娘は、ぽろ、ぽろ、と涙を零しながら、黒く汚れた両手で軍服の裾を掴んだ。
今にも落ちてしまいそうなくらいに弱弱しい力だった。
俺は根拠が無かろうとも言わねばならないと口を開く。
「ごめ、なさ……も、っと、頑張ります、から、捨てな、い、で……」
「私はな、お前を助けに来たのだ――まるゆ」