柱島泊地日記帳   作:まちた

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教え⑧ 【艦娘side・大淀】

 舞鶴鎮守府の敷地はかつて自分が所属していた時よりも数倍以上広く感じられ、赤レンガばかりが並ぶ風景を右に左にと捜索を続けている私は迷宮にでも閉じ込められたような錯覚に陥っていた。

 長峰少佐は執務室のある中央棟から離れた倉庫群と艦娘寮を見てみると言い、天津風は工廠や建造ドックのある場所を探すと言って、私は正門から続く中央棟を探すこととなり、はや一時間。永遠のようでいて、あっという間に過ぎてしまう。

 

 時刻はヒトハチマルヒト。本来の予定ならば既に舞鶴鎮守府を出て、舞鶴駅から二人で柱島泊地へ向けて帰路についているはずだった。

 電車を乗り継ぎ、途中で新幹線に乗って、遅くとも柱島泊地の食堂まで我慢するか、諦めてこっそりと二人で弁当を食べてしまうかなんて話していたかもしれない時間に、私は一人で彼を呼んでいる。

 

「はぁっ……はぁっ……三階にも、二階にも、どこにもいないじゃない、ですか……!」

 

 中央棟の周辺を植え込みに至るまでくまなく探すも見つからず、建物内も上から下へ一室も見逃さなかったにもかかわらず、痕跡の一つすらなかった。

 空を照らす茜色に群青色が差し込み始めた頃には、私の額に浮かぶ汗に触れる風が気持ちよいものから、冷たいものへ。

 どこに、と独り言を漏らしながら汗にずれた眼鏡を手の甲で押し上げると、かちりと指輪がぶつかって音が立つ。音に自然と視線が指輪へ移ると、息が詰まった。

 

 舞鶴鎮守府の艦娘を心配して艦娘寮に行って様子を見ていたりするかもしれない、それか、他の鎮守府はどのように工廠管理をしているのか気になって見に行ったのかもしれない。そんな淡い思いは、天津風の通信によってあっという間に砕かれた。

 

《ザッ――お、大淀さん、天津風、ですっ》

 

 息を整えて応答すれば、天津風の声が鼓膜を打つ。

 

《こちら大淀》

 

《工廠には、海原元帥は、いませんでした……工廠班の人達も、見てないって……》

 

 柱島泊地と違って本土の鎮守府には軍人や軍属が多くいる。

 艦娘の装備を整えるのに人の手を使うとなれば相当数が必要となるため、巨大な拠点である舞鶴に至っては工廠を預かるのに数人では利かない。

 大勢がいて一人も見ていない? 艦娘のように自室待機を命じた覚えもないから通常通り艦娘の兵装やドックのメンテナンスを行っているはずだから、大勢の中から一人や二人くらいは休憩を取ったりしているはずだろう。工廠から大きく外れて出て行くことはないにしろ周囲で長峰少佐以外の見知らぬ白い軍服の男が歩いていれば一目で気づくはずだ。

 

 とすれば、工廠には近寄ってもいないということ。

 

 考えずとも分かると思われるかもしれないが、こうした一つ一つの単純な確認が大事なのだと言った海原提督の言葉の通りに、私は自然と可能性を考慮しては、潰し、消し去る。

 

 工廠、もしくは工廠付近での目撃情報が無いとすれば、残るは中央棟か艦娘寮、倉庫群のどれかになる。

 最初に長峰少佐が正門や倉庫群にある裏口の出入りを確認したが、出入りはなかったと証言もあるから、外に出た可能性は殆どないと言っていいだろう。殆ど、というのもまた、希望的観測でもあり疑心暗鬼でもある。警備の嘘を考慮したものだ。

 

 嘘を吐く理由もメリットも思いつかないが、海原提督の肩書に圧されて口を噤んでいる可能性も無いわけではない。

 それにしたって海原提督が仕事を放り出して警備に対し黙認するよう言いつけ、舞鶴鎮守府から出て行く理由が無いのだから、ゼロに等しいと考えていいだろう。

 

 ここまで考えるのに、たったの数秒。

 

《了解しました。では天津風さんは長峰少佐と――あー、いえ、中央棟に戻って私と合流して、一緒に捜索を続けてもらえますか?》

 

 長峰少佐と言葉を交わせるとは言え、金森提督から受けた仕打ちを打ち明けたばかりの相手、まして同じ立場の軍人と二人きりにするのは彼女にとって良くないかもしれない。

 そう判断して言いなおした私に、天津風は短い返事をして通信を切る。

 

 それからまた、思考の海へ漕ぎ出す私。

 

 海原提督が居なくなったのをいつと仮定するか。

 長峰少佐が言うには、私と天津風が出て行って忠野中将や松岡中将と一悶着あってから資料室へ行ったというのだから、さほど時間は経過していないと予想出来る。

 長峰少佐の言う通りならば、海原提督の口振りから察するに、天津風のみならず舞鶴鎮守府における艦娘への待遇について金森提督とも言葉を交わした。それもかなりの怒気をはらんで。短い会話ながらも確信できるものがあったのかもしれない。

 彼女が提督の覇気に気圧されて大袈裟に話していることも疑われるが、彼はどうしてか一般人とは考えにくい、いや、考えられないような圧を持っているため、これもまた事実として受け止めていいだろう。

 

 舞鶴鎮守府に到着して長峰少佐と話していた時間、私と天津風が出て行って話していた長い時間、執務室に戻ってから聞かされた一連の流れから海原提督が資料室へ出向いた時間――。

 天津風と私が出て行ってからは、言葉こそ少なかったが結構な時間を過ごしていた。購買へ移動していた頃には、海原提督は中将達と話していたのだから、殆ど同時に事が起きたと考えて差し支えないだろう。

 

 そうなると――既に、四時間前後が経過していることになる。

 

 事情は違う。私は真実を知っている。

 だというのに、過去に海原提督が()()()()()()()であると勘違いしていた時を思い出して、妙に嫌な考えが頭を過る。

 

 六年間も失踪していたと勘違いしていた、あの時。

 

 もし、彼が忽然と姿を消し、このまま失踪してしまったら?

 

 馬鹿な。そんなはず、あるわけがない。

 

 何をもとにあるわけがないと考えているのだろうか?

 

 彼は元々一般人で、ただのサラリーマンだ。

 如何に艦隊これくしょんというゲームを知っていて、私達艦娘を知っていて、深海棲艦を理解しているからと言って、失踪しないこととイコールにはならないじゃないか。

 海軍の闇を見て、触れて、その上で重責を背負い立っている。

 並々ならぬ想いがなければ成し得ないことを、彼は軽々とこなした。

 

 それでも、それらに耐えきれるかと言われたら、私ならば、どうだろうか。

 

 ぎゅっと左手を握りしめ、彼から受け取った指に光るそれを撫で、深呼吸。

 

「……大丈夫」

 

 自分に言い聞かせて、ただ冷静に、私がすべきことを、出来ることをと思考を無理矢理に捻じ曲げた。

 そうしなければ、きっと私は不安で、この場でへたり込んでしまうと思ったのだ。

 

 天津風が来る前にと眼鏡のつるに指をあて、通信する。

 

《こちら大淀、こちら大淀、柱島泊地へ。応答願います》

 

 今日の補佐艦は誰だったか、と思い出す前に、その人物の声が返って来る。

 

《こちら柱島泊地、鳳翔です。お疲れ様です大淀さん、進捗確認ですか?》

 

 柔らかな声に、いくらか気持ちが落ち着くも、根の部分にある靄は晴れずにいた。

 

《えー、と、ですね》

 

 通信しておいて、ああ、これはどう話すべきだと声に詰まっていると、鳳翔の優しい声が柱島泊地の様子を話す。

 食堂でする世間話のような気軽さは、その靄の表面を少しだけ吹き飛ばしてくれた。

 

《進捗なら心配ありませんよ。演習の報告書も、開発の報告書も受け取りましたから。もう暫くしたら、哨戒班の皆さんと、潜水艦隊の皆さんも戻るはずです》

 

《……ありがとうございます》

 

《いえいえ、大淀さんのようにはいきませんけれどね。これでも、大淀さんと同じ立場の艦娘ですから》

 

 鳳翔の声が意味するところを考えながら、ああ、彼の事を想うのは私だけじゃないのだと、自然と言葉が紡げた。

 

《落ち着いて聞いてください、鳳翔さん。今、舞鶴鎮守府にいるのですが――提督が、どこにもいないんです》

 

《どこにも、いない……?》

 

 かいつまんだ事情を説明すると、鳳翔は吐息が漏れるような声を出した。

 

《ふぅむ……それは、問題ですね》

 

 普段からふわふわと柔らかな印象を持つ鳳翔だが、それは彼女の持つ性質の薄皮に過ぎない。彼女は間違いなく歴戦の艦娘の一人である。ならば彼女の思考の辿る先は、私と同じもの。

 

《現在は舞鶴鎮守府の長峰少佐と、秘書艦である天津風さんという駆逐艦の三人態勢で捜索している状況です。いなくなったであろう時刻から考えて、三時間か、四時間か……》

 

《舞鶴鎮守府にいるとなれば元帥がいなくなりましたと大袈裟にしてしまうわけにもいきませんものね。けれど、選択肢は増やすべき、と》

 

 以心伝心している、と思った。

 私の考えが伝わり、私の次の行動を予測している。

 

《はい。無為な不安を煽るわけではありませんが、提督の身の安全が第一です、万が一があっても動けるように、皆さんにお伝えいただけますか?》

 

《補佐艦も気楽な仕事ではありませんね》

 

《……すみません》

 

《ふふ、大淀さんを責めているのではありません。提督を責めているのですよ》

 

 それって……と言った私に対して、鳳翔は声だけでもニコニコとしているのが伝わるようだった。それも、悪い方の意味で。

 

《仕事熱心なのは恰好良いことなのでしょうが、寒心に堪えないことばかりしないでほしいものです》

 

《帰ったら全員で叱ってやってください》

 

《それは大淀さん主導で?》

 

《ええ、私が主導しましょう》

 

《あら、これは帰還後が楽しみですね? ……んんっ》

 

 鳳翔の咳払いで、空気に緊張が戻る。

 彼女はこうした切り替えが上手い艦娘だ。どれだけ落ち込んでいようが、どれだけ興奮していようが、中立へと引っ張ることができる。

 

 作戦行動以外でも役立つものだとは、などと考えながら、私は言う。

 

《――大事にすべきではありませんが、長峰少佐も捜索に乗り出してくださっていますから、舞鶴鎮守府全体を捜索範囲にして艦娘寮を含む全てを探してみます。それと、軍属の皆さんから無用な情報を出さないよう、視察調査に関してもかん口令を敷けるよう軍上層部に許可を取ります》

 

《了解しました。では私は柱島泊地所属の全艦に提督が行方不明になった事実をお伝えしましょう。捜索中である、とも。そちらへ派遣出来るように準備を整えましょうか?》

 

《いえ、それには及びません。提督については軍上層部も動かざるを得ないでしょう。調査の名目もありますから、むしろ軍上層部の協力を得られるのならばかん口令にも説得力が出るというものです。問題は――》

 

《提督の失踪に混乱が起こるのではないか、ですね?》

 

《それは、もう》

 

 当然でしょうとばかりに言えば、鳳翔はゆっくりとした口調で言う。

 

《この立地ですから、無茶をする娘はいないでしょう。ですが……最上さんが、非番ということもあって提督と広島まで出ていたんです。心配するならば最上さんでしょうね》

 

 外出許可で広島に出ている艦娘がいるとあれば、騒ぎが拡大してしまう恐れがある。私はすぐさまこう返す。

 

《広島ならば呉鎮守府へ行かねば正式に出撃は出来ないですから、そちらで待機させましょう。ある程度の混乱は予測されますが、抑え込むことは不可能ではありません》

 

《分かりました。山元大佐にも協力を要請します》

 

《山元大佐が無茶をするようなことは――》

 

 冗談ではなく、可能性の一つとして口にした言葉だった。

 山元大佐もまた、海原提督に魅せられた一人である。

 

《私が思うに、艦娘に関して無茶をするのは海原提督が一番かと……大佐は海原提督の起こした奇跡を重ねた上に立っているような軍人ですから、横紙破りを二度も三度もすれば軍籍を剥奪なんてことになりかねません。冷静に対処していただけるかと思います》

 

《……では、お願いします》

 

 通信を切ってから暫くして天津風と合流した私は、一度舞鶴鎮守府をしらみつぶしに探せるように見取り図を再確認しよう、と執務室へ向かった。

 私が軍上層部の忠野中将と橘中将へ通信している間にも長峰少佐は艦娘の居室一つ一つを探してくれたようで、見つかりはしなかったが捜索範囲をさらに絞ることが出来たのだった。

 

 工廠、艦娘寮、倉庫群のどこにもいない。

 もう一度探すにしろ、中央棟から範囲を広げるようにして探すのが効率的であろうと、息を切らして走り回った。

 

 途中から忠野中将達の命令を受けて派兵されてきた近隣駐屯地の将兵が正門から入場してすぐに捜索を開始したあたりで、大事にしないつもりだが、どうしても目立ってしまうのは避けられなかった。

 近隣住民への説明はどうしたものか。非常時のための訓練とすべきか、否か。

 

 何をしているんですか、提督。

 一体、どこで、何を。

 

 

 

* * *

 

 

 

「捜査本部の設置を考慮すべき時期かもしれません」

 

 そう言ったのは、長峰少佐だった。

 捜索を開始して、鳳翔を通して柱島泊地へ連絡したのも既に二時間前。

 今やとっぷりと日は暮れて時刻はフタマルマルマルを過ぎた頃である。

 

 海原提督が居なくなってであろう時刻から既に六時間は経過した。

 

 長峰少佐の言う通り、目立たないよう秘密裏に処理するのは無理だと判断せざるを得ない状況だ。大々的とまではいかずとも捜査本部を設置して……いや、しかし、この一日の視察とて艦娘に自室待機を命じるくらいには重大な任務だったのだ、これ以上この拠点の機能を麻痺させるわけにはいかない。

 

 深海棲艦の侵攻頻度を予測出来るようになったとはいえ、不測の事態に備えられていないなどあってはならないのだ。

 この舞鶴鎮守府もまた国民を守る盾であり剣なのだから、この一日で提督を発見せねばならない。

 

 しかし問題は――私の電探にすら引っかからないことである。

 

 海原提督に言われて常日頃から艦隊司令部施設という広域通信網を装備している私は、それに加えて柱島泊地の工作艦明石と夕張が共同で試作した()()()()を装備している。

 ただの電探に引っかからないのであれば範囲外にいるのであろうと結論付けることも可能だが、この試作電探が私を舞鶴鎮守府へ縛り付けていた。

 

 電探とは主に陸上見張用や艦上見張用とある程度の分類がある。

 俗にいう一号や二号と名付けられるものがそれにあたるのだが、私の装備している試作電探は複合型と呼ばれるもので、その名の通り連続波とパルス波、メートル波を意識的に使い分けることで水陸両用を実現しているものだ。

 試作型が故に実戦配備は行われていないものだが、索敵ならぬ捜索範囲で言わば舞鶴鎮守府どころか周辺地域を覆ってもまだまだ余裕がある性能を誇る。

 

 しかし、それらに提督の反応は見られない。

 捜索を開始するまでに時間があったために範囲外へ速やかに出ていったとすれば、舞鶴鎮守府の警備を疑うしか選択肢はなくなってしまうし、それは既に否定された事項。

 

 堂々巡りの無限迷宮に、長峰少佐の言葉を受けてもなお見取り図から顔を上げられないでいる私は、うめき声のような返事しか出来なかった。

 

「うぅん……捜索本部、ですか……」

 

「大淀殿、事が事ですから、早期に発見すべきです。捜査本部の立ち上げの通達を遅らせれば、末端までこの話が届く前に軍部中枢で収束するでしょう」

 

 長峰少佐が私を気遣って決定権を譲っていることなど分かっていた。

 いくら海原提督、海軍元帥の艦娘とはいえ、指揮権などは無いのだから。

 

「はぁ、すみません、長峰少佐。気を遣わせてしまって」

 

「何を仰いますか。元帥閣下が心配なのは私も同じです。それに、天津風が自分で話せるようにと連れて来てくださった大淀殿の心中も察しているつもりです」

 

「……です、か。そうですね、はい。ありがとうございます、少佐」

 

「いえ。では捜査本部の設立を要請します」

 

 長峰少佐が軍上層部へかけあえば即座に対応されるはずだろう、と額の脂汗を手で拭い、見取り図からようやく顔を上げてから顎に手を当て唸る。

 緊張と無意識の興奮で体温が上がっているのか、暑さを感じて私は電話を持ち上げようとする長峰少佐に一言「窓を開けても?」と訊いた。

 

「暑いですか? 今空調を――」

 

「いえいえ、窓を開ける程度で大丈夫です」

 

 開けますね? と窓に歩み寄って手をかけた時、うん? と声を出してしまう。

 二重窓――それに、鍵が無い――?

 

 私が舞鶴鎮守府にいた頃に窓など気にしたこともなければ、そう言えば開けようと思ったこともなかった。

 節電目的かは定かではないにしろ今のように空調が切れていることもなく、常に快適な温度に保たれたままだった執務室だったからかもしれない。金森提督はそういった面倒なことをしない人で、いちいち電気を消して、エアコンを消して、と私が切り替えようとするだけで文句を言う人だったから、私もいつしかそういったことに気を回さなくなってしまったから、気づかなかったのだろう。

 

「はぁぁ……恐らくは例の改造、かと」

 

 長峰少佐の溜息に顔を向けると、天津風の、金森提督の顔を思い出してしまったかのような悲しげで苦しそうな表情が目に入る。

 

「改造とは、あの、営倉のような?」

 

「えぇ、その類のものです。窓を開けるなら、この机の、ほら、ここにあるスイッチを私が押している間でなければ窓を開けられないのですよ。全く、どういった意味があるんだか」

 

 引き出しの一つを開けば、そこには物が入るスペースなどなく、スイッチがいくつか並んでいるのが見えた。

 そのうちの窓、と書かれたシールの貼ってあるスイッチを押すと、かちん、と音がした。

 妙な寒気が走ったのと同じくして、窓は簡単に開いた。

 

「なんの意味が……はぁ、金森提督の考えることは、やっぱり分かりません……」

 

「ぁ、ぁぁっ……は、はぁっ……はぁっ……!」

 

 急に呻いて呼吸が荒くなった天津風に驚いて窓から手を離し駆け寄ると、同じく長峰少佐がスイッチから手を離して声を荒げる。

 

「どうした天津風!」

 

「天津風さんっ」

 

 長峰少佐がスイッチから手を離した瞬間、窓が大きな音を立てて閉じた。

 ばん、という音に身体を震わせてへたり込んだ天津風に寄り添った長峰少佐は、両肩を掴んで「大丈夫か、おい!」と声をかけ続ける。

 

 天津風は――何か、ジェスチャーをしていた。

 

 何もない空間を掴むような動きをしながら、それを、ゆっくり動かし、自らの頭に被るような。

 

「天津風! おい! 何をしてるんだ! 天津風っ!」

 

「ぁ、お、おも、おもい、だ、だし……ハーッ……ハーッ……!」

 

 震えというより、それはもう痙攣と言うべき様相だった。

 

「えい、そ、じゃ、無いです……営倉なんかじゃ、ないっ……」

 

 その動きが何なのか察したのは、私も、長峰少佐も、同時だっただろう。

 

「金森提督のことは後でいいんだ! そんなもの思い出さなくたっていい! 天津風、どうして今そんな……!」

 

 自分でいいながら長峰少佐はハッとして執務机に振り返る。

 

「あ、れか……? あ、あのスイッチ、他に意味があるのか!?」

 

 天津風の瞳から、ようやく止まったのに再び滂沱の涙が流れる。

 

「少佐、窓というシールがありましたが、あれは!?」

 

 私の問いに少佐は言う。

 

「最初から貼ってありました! はじめは触るべきではないと思いましたが、シールのある部分ならば何が連動するか分かるので、つい……」

 

 ちりばめられた点が、繋がっていく感覚。

 それは私が戦場で幾度も経験した、活路を見出した感覚。

 

「……」

 

「大淀殿?」

 

「はっ……はぁっ……はぁっ……」

 

「大淀殿、どうなさったのです!」

 

「静かにッ」

 

 私の声に長峰少佐と天津風がびくりとしたのが目に入るも、思考は途切れず。

 

「……少佐、もう一度窓のスイッチを押してください」

 

「ま、窓の?」

 

「お願いします」

 

 怪訝そうにしながらも長峰少佐は天津風の肩を数度撫でて立ち上がり、スイッチを押した。

 ぞわりと背筋が凍る感覚に、窓の音。外から吹き込む夜風。

 

 知っている。

 

 私はこの()()を、覚えている。

 

「――金森提督は、楠木少将と繋がって戦果を得ていたのでしたね」

 

「くっ、楠木少将とは、あの、殉職なされた……」

 

 その真実は闇の中。長峰少佐は知る由もないこと。

 

「スイッチから手を離して、結構です。これ以降、決してそれに触れないでください」

 

「は、はあ、それは、その、了解しましたが……何故――」

 

「――深海棲艦の使用する波長です」

 

「なッ……!」

 

 これ以上は、まだ知らせるべきじゃない。

 知るにしたって、私の口から語られるべきではない。

 

 全ては、繋がっている。

 

 私は応接用テーブルに畳んでおいた見取り図を乱暴に開き、両目を見開いて一つも見逃してなるものかと睨みつける。

 なにか、この舞鶴鎮守府には大変な秘密が隠されているはずだと。

 

 見取り図を睨んだままに、天津風へ問うた。

 

「天津風さん、今、あなたは何を思い出したのですか」

 

「大淀殿! 急にそんな!」

 

 彼女を心配する長峰少佐の声を押し退け、もう一度同じことを口にすれば、天津風は震える声を返した。

 

「なん、ど、も、何度も、夜に、連れて、行かれた、場所が、あるんです……暗くて、気持ち悪い空気が、溜まってた、場所、でした……」

 

 呼吸はまだ荒かったが、彼女はそれでも言葉という形にしてくれた。

 驚いた長峰少佐の「天津風……?」という声が、溶けていく。

 

「きっと、海原提督はこの鎮守府に眠る地獄へたったの一歩で踏み込んだのでしょう――あの人は、そういう人ですから」

 

「ひ、ぅ……う、海原、提督は、だ、だいじょ――」

 

「分かりません。ですから、あなたの記憶が頼りです」

 

 見取り図から天津風の方へ視線を移してみれば、彼女はぎゅっと両目をつぶって荒い息を吐きながら、また、記憶を再現するように身体を動かす。

 頭になにかを被るような仕草をしたあとに、その場から数歩下がり、くるりと反転。両目を閉じているのに、その足は、執務室の扉へ向いていた。

 

 見取り図を持ったまま天津風に追従する私に、長峰少佐。

 

 一歩、二歩、三歩。扉の前に来て長峰少佐が開くと、天津風は進んでいく。

 目を閉じているので、倒れないように私は背を支えた。

 

「ぅ、う……っ」

 

 彼女は歩く。闇の中を。苦痛の記憶の中を。

 辿った先は――資料室だった。

 

「資料室……」

 

 呟く私を置いて、長峰少佐は殆どけ破る勢いで扉を開き、室内に入って一番に大声を上げた。

 

「海原元帥閣下! いらっしゃいませんか! 海原閣下っ!」

 

 天津風は入口で止まって数秒すると、ふら、ふら、と一つの棚へ歩んだ。

 まだ、両目は閉じたまま。

 

 身体が覚えてしまうくらい常習的に歩いていた証左である。

 

 天津風が立ち止まった棚には、十二番の番号が割り振られていた。

 見てみると、ずらりと並ぶのは――始末書ばかり。

 その一つを手に取って見れば、日付は私が所属していた頃のものだった。

 

 今見ても明らかな虚偽である命令違反の数々に、任務失敗の文字がいくつも並んでいる。

 大淀、赤城、加賀、夕立の名がかなり多くあるのを見て、鼻で笑ってしまう。

 怒りが込められた笑いだった。

 

 どたどたと室内を探し回る長峰少佐を横目に、天津風に「ここに、なにか?」と問えば、天津風は首をゆるゆると横に振った。

 

「ここ、じゃ、ない、んです……ここ、じゃ……」

 

 ここではない? とファイルを棚に押し込みながら思考と共に視線をさ迷わせる。

 ふと、一つ棚に違和感を覚えた。

 

 頭文字で分けられたファイルを仕切る何も挟まっていないボードが、隣り合っている部分があるのだ。

 タ行《ト》とナ行はじめの《ナ》と記された空っぽのファイルが目に入り、声に出してしまう。

 

「トの部分にだけ、ファイルが――」

 

「ぁ、そ、れ、ですっ……そ、そこ……私、何度も、そこにっ……」

 

「と? と、に連れていかれ……?」

 

「特別……拘禁室、です……!」

 

 天津風は、また、ふらりと歩みを進める。

 長峰少佐が戻って来て、歩調を合わせて行先を見定める。

 

 今度は、壁際にある二十八番の棚へ。

 

 そこで、ぴたりと足を止めた天津風はようやく目を開いた。

 

「ぁ、れ……?」

 

「天津風さん、ここに今度は何の資料が?」

 

 急かすような私の声に、天津風は不安げな瞳を向ける。

 

「ち、ちが、違う、違うんです、あ、あれ、おか、しいです、私、ここ、ここに」

 

 棚を指差して言うも、そこには棚と壁があるだけだ。

 見取り図を見たって――そのように記載がある。

 

「……大淀殿、失礼。貸していただけますか?」

 

「は、はい」

 

 長峰少佐が横から割りこんで見取り図を手に取って、壁を見てから、また見取り図を見る。

 そうしてツカツカと室外へ出て行って、数十秒もしないで戻って、また壁を見て、見取り図と見比べる。

 

「少佐、何か分かりましたか?」

 

「……この資料室の隣は、備品倉庫ですよね」

 

 見取り図を指しながら言う長峰少佐に頷いて見取り図へ視線を落とす。

 並びにすれば、執務室、備品倉庫、資料室だ。

 備品倉庫は狭いもので、執務室で使うコピー用紙やファイルの予備、文房具などといった小物類しか置かれていないため、非常に狭い一室である。

 

 言われてみれば、と私は見取り図にある執務室と資料室を指でなぞった。

 

「この、空間は何でしょう……? 特に何も、記載がないですが、壁にしては」

 

「そう、厚すぎるんです。備品倉庫がもう少し広くても問題無いくらいには」

 

 それから、天津風の言葉が解となる。

 

「ここ、入ったこと、あんまり、無かったんですけど……私、ここから、階段に……」

 

 資料室にあまり立ち入ったことのない秘書艦というのも変な話だが、だからこそ、辻褄があう。

 

「入ったことがあまりなかったのではなく……誰も立ち入らないようにしていた、と言う方が正しいのかもしれません」

 

 どんどんと、噛み合う。

 

「ああ、確か、この資料室だけ着任時に別途鍵が渡されましたね……金森提督のこともありましたから、セキュリティの面で鍵を交換したものとばかり……鍵を交換したのではなく……」

 

「交換しなければならなかった」

 

 私が静かに言うと、丁度、捜索の進捗報告に私達を探し回っていたであろう軍人の一人が、開かれたままの扉から顔を覗かせた。

 

「第三駐屯地、本庄伍長であります! 倉庫第一から第四に海原元帥閣下はおられませんでした! また、艦娘寮駆逐、軽巡、重巡、戦艦寮ともに姿は見られません! これより周辺倉庫の確認を――」

 

 本庄と名乗った伍長は顔を埃で真っ黒にしており、文字通り倉庫の中身をひっくり返して捜索してくれていたのだろう。

 忠野中将や橘中将の命令で動いているにしろ、心強かった。

 

 だからか、私はその場でバサバサと二十八番の棚の資料を引っこ抜きながらどんどんと天津風に手渡しながら言った。

 

「本庄伍長! この壁を壊せるものを持ってきてください! 何でも構いません!」

 

 どうかお願いします、と許しを得るように長峰少佐に顔を向けるより前に、私の顔の横を声が突き抜けていく。

 

「私が許可する! すぐに持って来い! その他は捜索を続行し、周辺倉庫への人員をこちらに少し割いて連れて来てくれ! ()()を外に運び出すのに人数が必要になる!」

 

「っは!!」

 

 全速力で駆けていく本庄伍長が見えなくなってすぐに、長峰少佐は資料をばさばさと適当に地面に投げ捨て始める。

 

「どうして気づかなかったのか、くそ、まだまだだな、私も……!」

 

「長峰少佐、資料を、そんな」

 

「いいんですよ大淀殿。私の鎮守府なのですから、引継ぎもまともに出来ない前任の残した嘘っぱちの資料など役に立ちません。シュレッダーにかけるのも億劫です」

 

「少佐……」

 

「天津風、君もそんなもの抱えなくて結構だ。ほら、こっちに投げておけ」

 

「ぁ、あぅ、あの」

 

「――よく思い出してくれた。大戦果だ」

 

 敵も倒さず大戦果。意味が分からないといった顔の天津風だったが、

 

「わ、わた、し、役に」

 

「大いに役立っている。次は私と茶を飲む方法でも覚えてくれ」

 

 ふふん、と切れ長の目を緩ませる長峰少佐に、はい、と小さく答えた。

 それから、すぐにどたばたと大勢の足音が近づいてくる。

 

「本庄伍長、戻りました! 番号ッ!」

 

「いちッ!」

「にッ!」

「さんッ!」

「しッ!」

「ごッ!」

 

 ずらりと並ぶ、総勢十名以上の将兵。その手には、バールやスコップが握られていた。

 長峰少佐の凛とした迫力のある綺麗な声が響く。

 

 

 

 

 

 

「この棚は壁に取り付けられているが、破壊して構わん! とにかく壁をぶち壊せッ!」

 

「「「はっ!!」」」

 

「掘削――始めッ!」

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