陽射しは清々しいと言い難く、梅雨明け特有のまだ湿気の残っているかのような肌にまとわりつく空気がやけに重たく感じられる日だった。
海原は柱島泊地を離れ、はるばる九州は鹿児島に足を運んでおり、最近はいつもぴったりと横にくっついていた大淀を柱島へと置いてきていた。彼女は最後まで私も行きますと言っていたが、海原に「お前がいなくなったら誰がこの柱島泊地をまとめるんだ……」と困り顔で言われて渋々に承諾していたのを思い出し、海原は微笑みながら通りすがったコンビニで買った缶コーヒーをあおる。
このところ柱島泊地で健康的な生活を送っていたせいか、海原は市販の缶コーヒーの得も言われぬ香料の強さと味の濃さに懐かしさを感じて、休憩がてらに座っているベンチの背もたれに片腕を乗せて大きく息を吐いた。
そんな海原の付き人として九州まで付いてきているのは――川内型軽巡洋艦の一番艦である。
川内も海原と同じ缶コーヒーを彼に買ってもらっていたのだが、口に合わなかったらしく、一気に飲み干して既に空き缶を捨ててしまっており、冷気の名残を感じるように手を揉んでいた。
人影もまばらな公園とはいえ、公共の施設で缶コーヒーをあおりながら一休みしている軍服姿の男と艦娘がいれば嫌でも人目を引く。それに柱島泊地を出たのは朝方で、今は既に昼を過ぎようとしている頃なのだから、昼食を済ませたような人々が真っ白な軍服にぎょっとしてしまうのも無理はない。
油断しているのかしていないのか、やはり掴みどころのない海原の姿を、同じベンチに座り、人ひとり分くらいの距離をあけた先から、川内は言う。
「提督、脱がないの……それ……?」
鹿児島について、目的地の最寄り駅から数十分程度とは言え日光をもろに浴びながら顔色一つ変えずに歩いてきた海原の顔を横目に見る川内は、
海原は缶コーヒーの残りをぐっと飲み干してから答えた。
「うむ。昔からスーツで移動する事も多かったからな。慣れたものだ」
「あ、そう……でも、取材は慣れてないはずでしょ」
すかさず別の問いを投げる川内に、涼し気だった海原の表情が苦笑に崩れる。
柱島泊地から呉を経由し、鹿児島に来るまでの二時間だったか、三時間のうちに、海原は幾人かの一般人に声を掛けられ、記者らしき者の取材に追われてここまで来た。
一般人に「あの、が、頑張ってください!」とか「応援してます!」と会話の前後も無く感情をぶつけてくるような真似をされても、表情一つ変えずに「仕事ですので」と潜り抜け――取材陣には「公務中だ」と一蹴……慣れているとしか言いようのない対応の仕方に川内は舌を巻いた。
彼女が素直にすごいと褒めれば、
「……現実味が無いだけだ。私の話を聞いても面白くなかろうに」
などと微妙な表情で言っていた。日本海軍の中でも偉業を成した生ける伝説と言っても過言ではない人物の話が面白くないわけがないのだが、という川内の胸中のツッコミなどつゆ知らず、海原は空になった缶をベンチの横にあるごみ箱へ捨てて、腕時計を見た。それは先日、井之上元帥から勲章とともに贈られたものである。
時計の針は頂点を過ぎたあたりを指しており、予定ではそろそろ合流できるはずなのだが、と海原が言えば――丁度良いタイミングで額に浮かぶ汗を拭いながら歩いてくる大男が川内の目に入った。
「お待たせして申し訳ありません!」
海原の姿を認めると小走りにやってきた大男、山元大佐は上着を羽織っておらず――当然だ、この直射日光に耐えられるわけがない――半袖制服だったが、それでも胸元や背中を汗でびっしょりと濡らしていた。
これが普通なんだよ、という川内の視線にも気づかず、海原はベンチから立ち上がって山元大佐を迎えるように右手を振った。
「おお、来たか。今日は陽射しが強いな」
「閣下の感覚はどうなっていらっしゃるのか……暑くないのですか……?」
「うん? もちろん暑いが?」
「表情と合っておりませんよ……車両を回して来ましょう」
「いいや、挨拶とは言えどせっかくの外出なのだ。もう少し歩こう」
「呉から鹿児島まで護衛を付けるというから憲兵の同行は無しという閣下のお言葉を呑み込んだのですよ! 待ち合せ場所も閣下の指定で! 閣下が待っておられなかったらどうしようかと……公共交通機関を使うとなれば騒ぎになるかもしれないとも注意したでしょう! それなのにまだ歩くと……散歩ではないのですよ!」
「まぁまぁ、落ち着かんか山元。大の大人が遠出も出来んとあれば誰にも顔向けできんだろう、情けない。騒ぎにもなっていないとも。人はそこまで私に興味など無いさ」
川内は小声で「えぇ?」と漏らすも、初夏の風にさらわれて消えていく。
「はぁぁ……閣下のお立場を考えてください……ここは前線では無いのですよ……」
本日の目的は――岩川基地の提督、郷田航少将へ挨拶に行くことである。
大規模作戦が完了した暁には支援したのだから挨拶へ寄越せと啖呵を切っていたらしいとは山元大佐曰く。海軍元帥となった大将を呼び出そうとは肝の据わった男だと言えようが、川内からすれば、いいや、改革の進んでいる海軍からすれば旧体制を背負う男の横暴とも受け取られかねない事だが、海原は二つ返事でそれを了承したのだった。
理由を訊けば「挨拶に行くだけだ。そこに身分も何もあるまい」というのだから、こちらもこちらで肝の据わった男である。
海原の内心は「書類から逃げられるゥッ! ヒューッ!」と決して艦娘の前では口にして欲しくない言葉が躍っていたのだが、柱島泊地の艦娘達がそれを知る由もまたないのだった。
そもそも逃げたところで、提督として決裁せねばならない書類は大淀も処理できないので残ったままなのに海原は気づいていない。むつまる達はきっと、帰ってきたらどう弄ってやろうかと示し合わせてニヤニヤしている事だろう。
それはさておき。
自由奔放、型にはまらず――そんな海原の様相に軍帽に汗が付着しないようにと額をしきりに拭う山元の表情は、暑さとは裏腹に真っ青だった。
川内は頭の片隅で山元に同情しつつ――しかし、こうして長い時間、海原と一緒に外の世界を歩くことができる役得な環境に、嬉しさや楽しさに胸がそる。
そんな姿が山元には堂々としているように見えたのだろう。海原に向かって小言をこぼしつつも、川内を見るや「川内殿が護衛ならば安心する気持ちも分かりますが……」と微妙に納得する。
川内型軽巡洋艦一番艦の彼女は――海原鎮の専属護衛なのだ。
「では、行くか」
海原が言えば、山元が「こちらです」と先頭を歩き案内を始める。
そうして十分もしないうちに岩川基地に到着した。
昔にあった岩川基地は鹿児島県肉用牛改良研究所となっており、戦前の面影など無かったが、それが現在では研究所を移転させ、再びそこを基地として利用しているというのだから感慨深い。
当時はボロと呼ぶに相応しい滑走路とも呼べないものが並んでいたものが、今は現代の技術と資源によって立派な基地として運営されており、艦娘達の艦載機が利用されるために空を飛ぶ事は減ったと言えど有事の際には国内を飛び回る航空機もちらほらと窺えた。
「……挨拶に来させろ、とは申しておりましたが、その、郷田少将も悪い人ではないんですよ」
基地の入り口近くまで来たところで山元が口を開いた。
海原は作戦中にあったやり取りの大筋を、ここに来る前日には聞いていたので、ああ、と短く返事をするにとどまる。
山元が自分の上席たる郷田を親し気に呼んでいるのも、彼が郷田と先輩後輩の関係であったからだ。
海原の祖父が消えて空いた穴というのは海軍にとって大きなもので、それらを埋め合わせるには人員の階級をいくらか繰り上げる事で仕事を割り振るしかなかったという、なんとも厳しい現実が横たわっていた。
そこで航空隊を駆使して佐世保鎮守府や鹿屋基地と並び九州地方を防衛していた岩川基地の郷田に白羽の矢が立ち、郷田大佐は少将となったわけだ。大本営に大手を振って出入りできる立場というものは軍人にとってかなりのステータスなのだ。それが出来るのと出来ないのとでは、大きな違いがある。
自らが運営する基地の処遇も大きく変わる。
それが今では、どのような拠点であれ海原の一声で改善が可能なのだから、山元や郷田の心情は如何ばかりか。
海原は井之上に対して人間を辞めているような、と印象を抱いているが、井之上を含む日本海軍からしたら海原の仕事処理能力の方が人外であるのは言うまでもない。
それが通称は大将とは言え、元帥にまで成り上がって全艦娘の指揮官としての軍務と柱島泊地の運営を並行しながら、こうして鹿児島まで散歩のように出歩くくらいには余裕がある――そう見えるだけで、本人としては必死である――山元の危惧も理解出来なくはない、と海原の後ろを歩く川内はぼんやりと考えた。
「郷田……郷田なぁ……一通り将官達の顔を見ておかねばと、大本営から取り寄せた資料に目を通しておいたのだが、それを見て思い出したよ。私と郷田は一度会った事がある」
「会ったのですか? 一体どこで――」
「柱島泊地に着任した日、私を岩国まで送ったのが郷田だった。あの時は私も目が覚めたばかりで気が動転していてな、ここはどこだと聞いて、これはどういう事だと問うて……今のお前と違って、郷田は私の事情など知らず祖父の海原鎮と思い込んでいたのだから無理もないが、戦果のなさに憤慨されて鼻っ柱を殴られたのをよく覚えている。何もしていないのに何故殴るんだと思ったが、向こうからしたら失踪扱いされていた祖父が逃げ出したように思えたのだろうな。実際のところを知らないのであれば、仕方あるまい」
「殴っ……!? か、閣下、郷田はその、確かに短気な人ではありますが! あの方なりに思う所があって、我慢ならずといった――……が、我慢はすべきだったかもしれませんが、あー……!」
基地の手前であたふたと本人でもない山元が釈明を始めたのがおかしかったのか、海原は軍帽を被りなおしながら笑った。
「はは、言っただろう。互いが事情を知らなかったのだから、話が噛み合わずそうなってしまった事くらい私とて理解している。ここで私が郷田少将に対して求めるものは無いとも。挨拶に来いと言われたから挨拶に来た……そのついでに、戦果も上がって海軍の改革も進んでいるから文句も無かろうと言うだけだ。あの時の事も……彼なりの理由があったはずだからな」
「閣下……」
「出来れば、挨拶がてらにその理由も聞けたらとは思う。無理に問いただしたりはしないから、心配するな」
川内が海原の広い背中を見つめながら考えていた事を、山元が代わりと言わんばかりに口にした。
「――本当に会社員でした?」
「何だお前突然」
「いえ、やはり会社員らしくないな、と」
「会社員だったと言っているだろう。嘘をついてどうするんだこんなこと」
「真実だと言っても、軍部以外はきっと信じませんね」
「……お前は最近、遠慮を忘れているなあ」
「失礼、調子に乗りました」
笑いながら浅く頭を下げた山元に対して苦笑して溜息を吐いた海原は、基地の入り口に立つ歩哨の声に立ち止まる。
「――海原元帥閣下!? それに山元大佐まで……!」
「ご苦労。私を知っているとは」
海原の言葉に敬礼する歩哨は、今にも泡を吹いてしまいそうなくらい慌てていた。
大方、山元大佐から連絡を受けていた郷田とて本当にここまで足を運ぶとは思っておらず、周知させていなかったのだろう。
「し、知っているも何も……ほ、本日はどのようなご用向きでしょうか……!」
「郷田少将に挨拶に来た。通してもらえるか?」
「は、はい、お待ちください!」
門扉の背後にある小屋に走って行った歩哨は、数分すると走って戻り、どうぞ、と海原達を案内した。
滑走路を除けば基地はそこまで広くなく、郷田少将がいるであろう執務室まではあっという間だった。
歩いている間、歩哨の男がチラチラと海原の顔色を窺っていたが、海原は視線に気づくことも無く基地を見回して、提督以外の男がいるのが珍しい、というような顔をしていた。
廊下の窓からも見える格納庫の付近で、技術員であろう男達が談笑している風景がある。よくある光景だ。
どちらかと言えば、山元や川内にとって男が一人である柱島泊地の方が珍しい。
執務室に到着すると、先導していた歩哨が海原と山元に会釈した後に扉をノックして軍帽を脱いだ。
それから扉をほんの少し開き、
「――警備区三班
と言ったところで、海原が小声で「大将だ」と伝える。正式には元帥なのだから、わざわざ通称を使わせなくとも良いのに、と山元と川内は正田一等兵曹を憐れんだ。一等兵曹にとって山元大佐が来ただけでも心中は穏やかでないだろうに、全艦娘の指揮官となったばかりの元帥が足を運んだとなれば卒倒ものである。
「げん、す……んんっ、た、大将閣下がお見えになりました!」
「……入れ」
返って来たのは冷たい声だった。案内役の正田一等兵曹が扉を開いて半身を翻し、入室を促せば――室内には軍帽を脱いでぴんと背筋を伸ばして立った郷田の姿があった。
彼は山元と目が合うと一瞬だけ眉をひそめたが、海原を見て瞬時に真面目な表情になり、さっと軍帽を被り敬礼してみせる。
海原と山元が答礼したのを境に、郷田が応接用のソファを指してどうぞと言いながら、先ほどまで仕事をしていたのであろう机をさっさと片付けて二人の正面へ回り、ソファへ腰をおろした。川内は海原の背後に立ち、目を伏せる。
海原は気を遣わせないようにと先に腰をおろしており、案内役の一等兵曹に向かって「案内、ありがとう」と手を振って退室を促した。
郷田はそれを見て、腹をくくったように目を閉じて息を吐き出してから、再び目を開いた時、一等兵曹へ頷いた。そして、こう言った。
「人払いを頼めるか、正田」
「は、はっ……! その、郷田少将――!」
「それから、駆逐艦電を呼んで来てくれ」
「……了解、しました」
この時点で、山元は郷田が何を考えているか分かった。川内も同じく察したが、海原だけは――相も変わらずというか。
ほどなくしてやってきた電は、入室してからすぐ、沈黙に包まれたままの執務室の雰囲気に怯えながら目に涙を溜めて郷田の後ろに身を隠すように立つ。
「仕事が立て込んでいるようだな」
海原の低い声に、郷田はさっと頭を下げる。
「はい。引き継がねばならない事が多いもので」
「引継ぎ?」
「……」
郷田は険しい表情のまま暫く応接用テーブルに視線を落としていたが、ちらりと海原を見た。
海原が不思議そうに見つめ返しているのを見た山元が声を挟み込む前に、郷田が言葉を紡ぐ。
「――あの時、戦果を挙げず姿を消したからという理由があれど、自分が上官に向かって暴力をふるった事実は消えません。自分に如何様な処分を下されても岩川基地の運営が可能なようにするための引継ぎでありますので、こればかりはご容赦ください」
「……ああ」
海原は合点がいったように返事した。
「第二次大侵攻における指揮、軍部への通達も含め一切隙のない手腕、感服致しました。分を弁えず元帥閣下を呼びつけるような真似をしたことも、重ねてお詫び申し上げます」
すっと立ち上がって深く頭を下げた郷田に、あーあー、と山元が声を漏らすも、海原は言う。
「挨拶に行くか来るかの違いなど私にとって些事だ。今回は顔合わせついでに、そうだな……柱島泊地に着任する前のやり取りについて、少し話がしたいくらいだ」
「っ……」
海原がさらに言葉を紡ごうとした時、縮こまっていた電が一歩前に出た。
そして、郷田の横に並ぶと――ばっと音がするくらいの勢いで頭を下げる。
「あ、あのっ……あのぉっ……! 司令官さんを、許してあげてほしいのですっ」
「駆逐艦……お前……!」
「うぅ……!」
郷田の声にびくりと肩を震わせた電だったが、涙をぽろぽろと零しながら必死に声を上げた。
「お、お話は聞いているのです! 司令官さんは、一生懸命、お仕事してるのです! ちょっと厳しいところも、ありますけど……いつも電や皆に優しいのです!」
「やめろ駆逐艦!」
「でもっ!!」
海原は目を白黒させながら、そのやり取りを見ていた。
川内と山元は、これに極めて似通った経験があるために困り顔である。
山元はすぐにでも止められるが、あえて止めたりはしなかった。
このやり取りを見れば、郷田に殴られた海原も、彼に対するイメージが変わるだろうと確信を持っていたからだ。
一方川内は、このまま勘違いを進行させては話がこじれると思い、そっと後ろから海原の背中を指でついてから耳打ちする。
「提督……相手は何も知らないんだから、あんまり怖がらせないであげてね」
「お、おぉ……そうだな……」
こそこそと話し合う川内と海原を見た電は、さあっと顔を青くしてまた頭を下げた。
「ほ、本当なのです! 電がどんなに失敗しちゃっても、どうして失敗したのかを一緒に考えてくれたり……そ、それから、それからぁ……司令官は、悲しい思いをする人を減らしたいって、いつも言っているのです! 電にだって、本当は戦わせたくないって――!」
「やめんかっ!!」
郷田の鋭い声が飛んで来ても、電はさらに「皆の体調も毎日気にしてくれてるのです!」と言う。
それらが決め手となったように、海原は右手で膝をぱちんと叩いた。
「そうか。電を戦わせたくないか」
「い、いえっ! 戦ってこその艦娘であります、今のは――」
「電が嘘をついたと?」
「うぐっ……」
「郷田、あれから顔を合わせるのは二度目で、互いを知らんわけではないのだ――私と話をせんか」
「……」
郷田は諦めたように、はい、と小さく返事してから、電をちらりと見た後に椅子に座りなおし、隣に座らせてもよろしいでしょうかと海原に言う。
もちろん、と返事を聞いてから自分の隣に彼女を座らせた後に、海原からの言葉を待つように黙り込んで顔を伏せた。
「まず……私はあの時の事を詰めに来たわけでもなければ、挨拶に来いと言われたからどうこう文句をつけてやろうとも考えていない。仕事で執務室にこもりきりだったから、遠出するのに丁度良い理由をくれて感謝しているくらいだ。だから顔を上げろ。電をあまり泣かせてやらんでくれ」
思っていた事と百八十度違う事を言われた郷田はぽかんと口を半開きにして海原を見た。
「自分は相当な口を利いたと思うのですが……」
郷田の言葉に、うむ、と頷く海原。
「確かにな。しかし互いに事情があった、それでいいだろう。ただ、郷田には悪いが、どうして私が六年ものあいだ動きが無かったのかの回答は出来ん。軍機に抵触するのでな。第二次大侵攻の戦果を以て、それだけは了承してもらいたい」
「……楠木ですか」
「否定はしないでおこう。これで許してくれんか?」
「――っは。十分です」
それから、海原は郷田と電を交互に見て問う。
「互いが海軍内でどうなっているかなど、ここで話さずとも分かる事だ。それよりも――電を戦わせたくない、というのがどういう事か教えてくれんか?」
「そ、それは、本当に私的な事でありまして――!」
「いいじゃないか。艦娘に面と向かって戦わせたくないとは面白いじゃないか、聞かせてくれ」
郷田は逡巡したが、どう足掻いたところで自分が海原にしでかした事に比べれば、いくら私的な事であれ隠し立てするまでもないと結論付けて、脱いでいた軍帽を電に手渡してから話した。
「本当に、私的な事であります」
「うむ。構わん」
「……自分には、娘がおりました」
海原はすぐに言わんとする事を察知し、あ、と声を漏らしそうになった。
「第一次大侵攻があった時、深海棲艦の艦載機が本土に襲来し、岩川基地と鹿屋基地、佐世保鎮守府から空母、軽空母が応戦しましたが……ある程度の被害が出てしまいました。そのある程度の被害に……自分の娘は、巻き込まれてしまったのであります」
「……そうだったのか」
「丁度、小学五年生になったばかりでした」
「もう結構。話してくれてありがとう、郷田」
「いえ、礼を言われる事では――」
「戦わせたくないという理由には十分だ。だが、電は艦娘だ、分かるな?」
「……っは」
山元は会話を止めなかった自分を褒めてやりたかった。
郷田は海原の祖父をここにいる海原と思い込んで殴ってしまったが、今いる海原もそれを咎めるつもりは無いと言った上で、郷田の事情も呑み込んでくれている。
全艦娘の指揮官として、彼は郷田にどう言うのだろうか。そちらの方が気になった。
「悲しい思いをさせたくないと言うのならば、そうならないように我々が指揮するしかない。柱島の艦娘を救った航空隊を指揮した男だろう? 二度とそうならないように出来る男なのだぞ、お前は」
「……」
そうだ、郷田は第二次大侵攻に際して哨戒班と第一艦隊の即席連合艦隊を支援した男だ、と山元は剛勇の二人を交互に見た。
川内も色褪せぬ記憶を虚空に見るように視線を泳がせる。
「だから駆逐艦、などと味気ない呼び方をしてやるな。彼女には、電という立派な名がある」
海原が言葉を切ると、郷田は隣の電を見つめて、複雑な表情をした。
亡き娘を思い出しているのかどうかは、誰にもわからない。
「……幼子を戦わせている海軍は、狂っているとは思いませんか」
「ご、郷田少将……!」
流石の山元も声を挟み込むが、海原は郷田に同意した。
「ああ、そうだな。だから――終わらせるのだ、戦争を」
「……閣下の人となりを、なんとなく理解しました」
「ふむ、ならば挨拶に来たかいがあったな」
「自分の指揮と運営方法を変える気はありませんが――それも呑み込んでいただけるのでしょうか?」
少しばかり強気に出た郷田に、海原は顎を撫でながら言葉を返す。
「電があれだけ頭を下げるくらいには慕われているのだから、変える必要も無かろう。ただ、私以外は殴らないようにな。ああ、もう私も殴らないでくれよ?」
冗談交じりの言葉に、郷田は「承知しました、元帥閣下」と丁寧に、それでいて少し口元を緩ませて頭を下げたのだった。
* * *
あれからは、山元も川内も信じられないというくらいにたわいもない会話ばかりだった。
鹿児島まで遠出したのだから、川内に美味いものを食わせてやりたいのだが、おススメの店はあるか? など……郷田も郷田で、砕けた会話をする海原に毒気を抜かれたように、実は……と、岩川基地に所属している艦娘をたまに連れて行くらしい店を紹介してくれたのだった。
残念ながら山元はすぐに呉鎮守府へ戻らねばならなかったため、岩川基地を出てからすぐに別れたが、川内にとってそれは幸運とも呼べる出来事で――
「ほ、本当にいいのかな、私だけ……」
「出張、と言うと変な話だが、こういうのが醍醐味だろう。私と川内だけの秘密にしておけばいいさ」
――郷田の紹介してくれた定食屋に来た二人は、そこで平和な時間を過ごした。
ただ食事をして、道中で見たあの風景が綺麗だったとか、今度は違う場所にも行ってみたい、とか、そんな会話ばかり。
「川内、ありがとうな」
「うぇっ!? な、なにが!?」
がね、と呼ばれるさつまいもの入ったかき揚げを食べていた川内は、むせそうになりながら海原を見る。
「今や私の事情を知っているお前は、郷田と話しているときにフォローしてくれただろう」
怖がらせないであげて、とは言ったが、果たしてあれがフォローであったのか、川内には分からない。
しかし感謝されているのならば素直に受け取っておこうと川内は微笑んだ。
「いいのいいの、お礼なんて。私は提督の護衛なんだからさ」
「……頼りになる護衛だよ、お前は」
「へへ、でしょ?」
人の影として生きて来た川内は――この人の影になれるのならば本望だと、海原を熱のこもった目で見つめるのだった。