柱島泊地日記帳   作:まちた

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艦娘として
北へ


 深海棲艦の声が聞こえた。足が不可視の手に掴まれたように動かせない。

 そんな不穏な報告を受けてから既に数ヵ月が経過していた。

 

 鹿屋基地の清水中佐と呉鎮守府の山元大佐の協力によって再現性があるか何度も検証が重ねられているが、同じ現象は起こらなかったという。

 艦政本部でも検証されているというが、結果は変わらず。

 これだけならば清水中佐が船から転落した際に恐怖を感じて幻視したか、幻聴を聞いたなんて強引な理由付けも出来るのだが、未だ検証は続けられている。

 

 組織として体制変更がようやく落ち着いてきた海軍において艦娘という超常的存在だけでも十二分に信ぴょう性に欠けるファンタジーであるというのに、艦娘に付随して妖精という存在がさらにそれらを加速させている。

 その妖精が検証に協力的である、という清水中佐の言が、検証を中断させない大きな理由の一つ。

 山元大佐も清水中佐と条件こそ違えど同じ検証を続けており、妖精も協力しているのだが、やはり新たな展開に繋がるような結果は得られていないという。

 

 それと同じくして、深海棲艦側に動きがあった。

 

 柱島泊地をはじめ西日本の各拠点は基本的に南方や南西から攻め込んでくる深海棲艦の撃退を主としているのだが、定期的に出現する《はぐれ》と呼ばれる少数の敵艦隊を除き大きな動きを見せなくなってきているのだ。不気味な静けさ、と言おうか。

 入れ替わりに、東日本側の各拠点が忙しなくなってきていると大本営から全拠点へ報告として挙げられた。はぐれ艦隊の増加にくわえ、北方からの侵攻が激しくなってきているというのだ。

 

 現在は呉鎮守府、舞鶴鎮守府の二つの巨大拠点から艦娘を数名送り込んで北方海域における新たな防衛ラインの設置を慎重に行っている最中である。

 

 

 

* * *

 

 

 

「……なんの冗談だこれは」

 

 呉鎮守府から送られてきた、最近の海原にとってちょっとした楽しみとなっている新作の缶コーヒーが、かつんと机に置かれる。

 海原の呟きは執務室に漂う紙とコーヒーの香りに染み込んで、窓から執務室を洗うように吹き込んできた冷たい風がさらっていった。

 季節は秋に差し掛かり、残暑もやっと落ち着いたという頃である。

 

「井之上元帥閣下からの書状や、冗談やったら大問題やろ」

 

《大湊警備府ヲ調査セヨ》

 

 軽空母龍驤が茶を啜りながら言う。

 簡潔にまとめればそう記載されている書状を開いた状態で、海原は執務室の天井を仰ぎ見た。

 

「そうか……冗談じゃないのか……」

 

「どんだけ嫌がっとんねん司令官。りゅーちゃんに見せてみい」

 

 くっと茶を飲みほしてから補佐官の机から立ち上がった龍驤に手渡される書状。

 彼女は「ほんほん」と声を漏らしながら内容を一通りざっと読んでから、

 

「なんの冗談やこれ……」

 

 と呟いた。

 

「井之上さんからの書状だ……冗談だったら大問題だろう……」

 

「さ、さよか……冗談やないんか……」

 

 なんて掛け合う。

 海原は井之上元帥から下令される新たな任務について頭を抱えたい一方で、柱島泊地に来てからこのように気楽な瞬間が時折顔を覗かせるのを嬉しく思うマーブル模様の心持をしばし楽しみ、ふう、と切り替えるように龍驤から書状をひょいと取り上げた。

 

「んぁ、まだ読んでんのにぃ」

 

「いくら読んだところで内容は変わらん。まずは情報収集と……龍驤、鳳翔を呼んでくれ」

 

「なんやのん、その切り替えの早さは。今度は大湊警備府で足でも折ってくるつもりなんか?」

 

「ただの調査だろう、怪我などしない」

 

「舞鶴鎮守府に行ったんもただの調査やったはずやんか」

 

「……んんっ。鳳翔を」

 

「へぇへぇ、呼んでくるわ」

 

 執務室から出て行く龍驤を見送り、海原は再び書状に視線を戻す。

 数枚にわたって北方、大湊警備府の現状が記されたそれには、海原からしては信じられない内容ばかりだった。さらに言うならば、佐世保、呉、舞鶴と三つの大きな問題に首を突っ込んだ本人が経験も想像もしたことのないものであるのが、衝撃であった。

 

 考えてみれば《あり得ないことがあり得ない》世界なのだから、こういった問題も起こって当然ともいえよう。

 

 ――所属艦娘による横暴。

 

 日本のみならず世界中を襲う深海棲艦に対して人類が持つ唯一の対抗手段たる艦娘が横暴を働く姿を想像できない海原は、むぅ、と声を漏らす。

 妙なところでステレオタイプな男で、艦娘が権力や暴力によって支配されているところを実際に見てきたのも相まって問題を解決してこられたが、しかし今回、彼に課せられた任務の環境は真逆である。

 

 艦娘が権力と暴力で人を支配している。そんな現場だ。

 人類を救う唯一の手段であるからこそ理屈としてはそちらの方が通っているような気もする、と考えるが、多くの艦娘を見て来た海原をして想像しにくいというのが現実。

 まして人に暴力を振るえない艦娘が、暴力を抜きにした横暴さで人を支配しているなどさらに考えづらい。

 

 ただでさえ多くの仕事を柱島泊地の艦娘に振り分けていると思い込んでいる海原は、今度こそ仕事をしろとせっつかれてしまうのではないかと悪い想像を働かせながら龍驤が鳳翔を連れてくるのを待った。

 

「軽空母鳳翔、入ります」

 

「おぉ、鳳翔。急にすまないな。少し頼みが――」

 

 ノックしてからしずしずと入室してきた鳳翔に、執務机の傍で立った状態で言葉を紡ぎかける海原。

 

「承知しました」

 

「……まだ何も言っておらんが」

 

「龍驤さんからおおよそ聞いております。出張、なされるんですね?」

 

「う、うむ」

 

「はぁ……また怪我をして帰って来るなんて、皆にどう説明したら……」

 

「まだ怪我はしておらんだろう!? 怪我をする予定があるように言わんでくれ、縁起の悪い!」

 

「今度は足ですか……?」

 

「なっ……全く。龍驤だな?」

 

 海原がそう言うと、まだ半開きになっていた扉から龍驤が顔を出して笑った。

 

「へへへ」

 

「あまり揶揄わんでくれよ。それで鳳翔、どうやら私が大湊警備府の調査に乗り出すのは秘匿されているらしいので、その間の運営について相談をしたいのだ」

 

「大淀さんも大本営に行っておられますから、私に出来ることなら何でもお申し付けを」

 

 ふふ、と笑いながら言う鳳翔に、海原は苦笑しながら話す。

 

「うむ、助かる。基本的にはいつものルーティンを続けてもらうことになるが、各種開発と艤装製作についてはストップしてもらいたいのだ。長期出張にはならんだろうが、出来る限り資源の貯蔵に回して例外的な対応が発生した場合の保険にしたい。お前達が動くのに余剰分があれば今の資源を減らさずに済む」

 

「承知しました。入渠の方はいかがいたしましょう?」

 

「開発できない明石から文句が出ても困るのでな。損傷の程度によっては明石の泊地修理で対応してもらえるか? ただし哨戒組は遠慮なく入渠させてくれ。演習や訓練での損傷のみを泊地修理の対応とする」

 

「はい、承知しました」

 

 元一般人とは思えぬスムーズなやり取りも一年近くで様になったものである。

 ふと、龍驤が海原に問う。

 

「そしたらウチは鳳翔の補佐をしたらええの?」

 

 海原はしばし唸ったが、いや、と前置いて言った。

 

「鳳翔ならば問題あるまい。大湊警備府の調査には龍驤が必要になるかもしれん」

 

「ウチが? なんや、別に調査が得意っちゅうわけでもあらへんのに」

 

「今回の調査は特殊だ。龍驤のような艦娘が適任だろう」

 

「艦娘の調査にぃ? もっと賢い子ぉ連れて行きぃな」

 

「いいや、お前がいい」

 

 任務を明確に拒否したわけではないが、別の艦娘にしろと自分を除外する物言いをされても海原は彼女を選んだ。そも、上官命令ならば拒否権は無いのだが、海原はこうして彼女らが自分の意思を示すようになっただけでも嬉しいのか、不謹慎ながらも思わず微笑みが零れてしまう。

 

「なっ……んな顔せんといてや、もお……わぁった、ついてったらええんやな」

 

「うむ。龍驤がいれば私も安心というものだ」

 

「それ他の子にも言うてるやろ」

 

「何をだ?」

 

「……はぁぁ」

 

 龍驤の盛大な溜息にくすくすと笑う鳳翔。

 当の本人は意味を理解しかねている様子で眉間にしわを寄せている。

 

「たらしやなあ、君ぃ」

 

 と言われて、海原がはっとして鼻元へ手を持って行ってすんすんと鼻をすすり始めたあたりで龍驤と鳳翔は笑ったのだった。

 

「あかんわ、こんなん勝たれへん」

 

「ふふふ、そうね。提督ったら、鼻なんかすすって、もう、ふふふ」

 

「な、なん、え? 何だ、すまん、どういう意味だ。教えてくれ」

 

「ほな準備してこよか」

 

「では私も明石さんへ通達を……」

 

「ま、待て二人とも! 変な事をしたのなら謝るから! なあ!」

 

 

 

* * *

 

 

 

 呉鎮守府を経由して広島駅へ。海原にとって慣れた道のりで、龍驤にとっては非番で外出許可をもらった際に何度か通っただけの道。

 

「任務で外出ってのも久々やわ。大湊に行くのに飛行機使わへんねや?」

 

「途中で大本営に寄らねばならんのでな、東京を経由する。前の鎮守府ではこういった出張は無かったのか?」

 

「あるわけないやんか。ぜーんぶ海の上やで?」

 

「ならばせっかくだ、弁当でも買って行こう。こういうのが醍醐味なんだ」

 

「醍醐味て。任務やで司令官、しっかりしてや」

 

「仕事にも潤いがなければならんのだ、潤いが」

 

「潤いて……」

 

 広島駅から新幹線と電車をいくつも乗り継ぐことになるからと、道中で龍驤に説明がてらに話をする。

 

「調査の内容は、私が行くことが秘匿されているように抜き打ちの形になる。龍驤も同じように抜き打ちで運営が正常であるかを判断してほしい。軍規に準拠する判断で構わないが、気になる事があれば遠慮せずに相談してくれ」

 

「あいよ、了解や。抜き打ち調査っちゅうんも向こうさんからしたらけったいな話やろけど、気になる事ってウチが引っかかったことでもええんか?」

 

「無論だ。寧ろ、艦娘でなければ気づけないことだってあるだろう。みなをよく見ている龍驤だからこそ、頼らせてもらいたいのだ」

 

「んふふー、そら気分ええわ。おっしゃ、りゅーちゃんに任しとき! でも大湊警備府かあ、寒そうやなあー」

 

「大湊警備府と言えば明石が所属していた警備府の近くになるのか。明石のいた警備府では酒保に関して一悶着あったと記録で見たが、人が艦娘を虐げている現場ばかり見てきたものだから大湊警備府の現状が信じられんな」

 

「んー、そんなもんなん?」

 

「私は、な」

 

「まあ艦娘は人に手ぇ出されへんし、そらそうか」

 

「龍驤のように手を出していると言う事だろうか」

 

「ウチ!? いやいやいや手ぇ出してへんがな! なんでそうなんねん!」

 

 びっと手の甲で海原の腰あたりを叩く龍驤に、海原は「これだ、これ」と真顔で言う。

 

「ツッコミやこれぇ!」

 

「……なるほど」

 

「ツッコミで艦娘が横暴や言うて井之上元帥が調査せえっておかしいやろ!」

 

「確かに」

 

「アカン、司令官ほんま仕事のし過ぎちゃうんか? 大丈夫か? 脳みそちゃぷちゃぷになってへん?」

 

「ちゃぷちゃぷ……んんっ。冗談だ、冗談。だが本当に想像しにくいのだ。ここに来て多くの艦娘を目にした私が偏っていると言われたらそれまでだが、お前達は一人一人に違いがあっても、根底に同じ思いを持っている。それを踏みにじるのはいつだって人だった。だから、どうにも……」

 

 話すうちに駅構内にある券売機に到着し、海原は二人分の切符を購入し、改札を通り抜ける。

 ちょこちょことついてくる龍驤に切符を手渡しながら、その足はコンビニへと向かっていた。

 

「司令官は頭ええけど優しいから想像でけへんのかもな」

 

「私の頭が? それこそ冗談だろう」

 

「冗談ちゃうて。真面目にや、真面目に。司令官の真似して言うなら……そやなぁ……人にも色々おるやろ?」

 

「当然だ」

 

「なら、艦娘にも色々おっておかしいわけないやんか」

 

「うーむ……」

 

「なんで無条件に艦娘が優しいって思うんや。それこそ不思議やわ」

 

「だが柱島泊地のみなは優しいだろう。龍驤だってこうして私の補佐をしてくれている。お前の優しさに私は救われ続けているんだ、昔も今も」

 

「んなっ、や、やめてや人もいっぱいおるのに……」

 

 コンビニに入店して、飲み物を選びならがしれっと言い切る海原はいつもの白い軍服ではなく、北国へ行くこともあって衣替えの時期より少し早く濃紺の軍服を身に纏っている。

 軍服というだけでかなりの注目を浴びるというのに、濃紺の軍服の男にサンバイザーのような艤装を一部のぞかせる艦娘の組み合わせはどうしたって人の目を引く。

 それを気にもしない風に言うものだから、龍驤は俯いてサンバイザーで必死に顔を隠してしまう。

 

 会話の内容こそ前後もなければ聞き耳を立てない限り分からないにしろ、雰囲気で何を言ったのかは伝わるもの。

 龍驤は顔を赤らめて俯いており、普段通りの真顔で今度は弁当を選び始めた海原という組み合わせは周囲の人を変な笑顔にするのだった。

 

「龍驤、おこのみやき弁当あるぞ」

 

「空気読め空気ィッ!」

 

「おぁ!? す、すまない、こだわりがあったか……?」

 

「ちゃうて、もぉぉ……」

 

 そうして、低くない頻度で広島駅を利用する海原に気づいた店員の一人が、あ、と声をかける。

 

「海原さんじゃないですか。お疲れ様です。お仕事で?」

 

「ああ、どうも。これからちょっとした出張です」

 

 海原は軍属や軍人に対しては威厳のある接し方をするが、元の性格もあってか一般人相手になると途端にニコニコとした営業マンの顔が出てくる。

 余談だが、広島を牛耳っていたと言っても過言ではない山元大佐を更生させたお偉いさんとして恐れられていた海原が見せるこの一面こそ、周辺住民からのイメージアップに繋がっているのだから、面白いものである。

 

「出張ですか、大変ですねえ。頑張ってください!」

 

「ありがとうございます。そちらも勤務、頑張ってください」

 

 二人分の弁当を購入してコンビニから出て行く際、龍驤は振り返って店員や客を見ながら言った。

 

「もう全員顔見知りやん」

 

「全員ではないさ」

 

「えー?」

 

 龍驤の言うように、道中も龍驤と話しながら歩いているだけで手を振られたり挨拶されたりと忙しいものだった。

 広島から一歩出てしまえば、これが好奇の目に変わるのだろうな、と龍驤は考えつつ、海原の手からコンビニ袋をさっと取った。

 

「ウチが持つわ」

 

「……優しいなあ」

 

「ほ、褒め過ぎ! やめてえや、もぉ!」

 

 そうして、駅のホームへ。

 新幹線が到着するまで暫く時間がある、と海原は弁当と一緒に購入したお茶とは別に自販機であたたかい飲み物を二つ購入して、一つを龍驤へ手渡す。

 

「お茶で良かったか?」

 

「ウチはなんでも。おおきに」

 

「さ、て……調査、調査か。どうしたものか」

 

 お茶のペットボトルへ口をつけながら、龍驤は目だけで海原を見る。

 

「なにか気になるん?」

 

「軍規を知らんわけではないし、私なりに学んだつもりではあるが……軍規に則った運営でなければ大本営に報告を上げねばならんだろう?」

 

「そらそうや」

 

「その……そこにいる艦娘に対する措置や処遇が気にかかってしまうのだ」

 

「おろ、司令官知らんのか」

 

「決まった処遇があるのか? まあ、ほら、私は元々」

 

「自称やろ。そら軍規違反した艦娘にもちゃんと措置くらいあるよ」

 

「自称では……」

 

 ぽつりと反論する海原だったが、龍驤は気にせずに人差し指を立てて、足をぷらぷらとさせながら言った。

 

「艦娘の訓練施設に送られるんや。しかもただの訓練施設やあらへんで。再教育施設っちゅうてな、まあ単純な話、艦娘が生まれて配備されるまでにやらなあかん訓練をぎゅっと詰め込んだもんをやらされるとこや」

 

「訓練を詰め込んだ……というのは、短い期間で同程度の訓練を積まされるという意味か?」

 

「そや、そんだけ」

 

「それだけって……ふむ、だが訓練してから拠点に配置されたあとも、実戦配備までに別途訓練があったりするだろう? そう考えると二度手間に思えるが……」

 

「二度手間やで。でも、やるんや。無駄なことを、きびしーくやらされる場所……それが再教育施設やね」

 

「艦娘からさらに反感を買いそうなもんだがなあ」

 

「そうでもないんやなあ、これが。ちなみにウチは再教育施設を知っとるで。何度か行ったわ」

 

「そうなのか……! では、どのような――」

 

「ぜーんぶ無駄なこっちゃ。ほんまに、ぜーんぶ。復習や反復訓練や、どんな理由付けしたって無駄やと思える訓練ばっかりやで。ただここに意味があるっちゅうたら、まあ、意味あるやろなって納得できるかな」

 

「そこまでして無駄な訓練を積む意味が? そんなことをするくらいならば、具体的な解決策と再発防止案を提示したほうが建設的だろう。それを周知するほうが例にも残るのだから、それぞれが対応しやすいだろうに」

 

「司令官はそう言うやろなあ」

 

 なはは、と笑う龍驤の顔はいつもの変わらぬ飄々としたものだったが、海原の目は誤魔化せなかった。

 

「すまない、変な話を聞いたな。もう聞いたりしないから、心配するな」

 

 突然頭を優しくなでられた龍驤は、失われたはずの熱で頬を焼かれる。

 

「きっ……急に撫でるんはアカン! ダメ!」

 

「おあ、す、すまん……」

 

「もぉ、なんやねんな……わぁったて、そんな顔せんといて」

 

 無意識に眉尻が下がっていた海原の表情に苦笑した龍驤は語る。

 

「あそこはなー……なんて言うたらええやろ……思い出されんねん。自分が生まれた時のこと。いやーな形でな」

 

「龍驤、無理に話さなくたっていいんだ。私が悪かった」

 

「ええよええよ、この話も任務に必要になるかもしれんやんか」

 

「しかし」

 

 躊躇う海原の手を握り、龍驤は笑ってみせた。

 右手を伸ばした龍驤が握る海原の手袋越しに、龍驤の薬指にあるものと同じ指輪の感触。

 

「一緒におってくれるんやろ?」

 

「それはもちろんだ」

 

「なら、へーき」

 

「……」

 

 そうして、改めて龍驤は遠くを見るような目をして話した。

 

「再教育施設の訓練っちゅうたら海上訓練より、座学の方が多いんや。ほんで、どうして艦娘が必要なんか、自分らがしっかり戦わんかったらどうなるんかっちゅうのを教え込まれる。あ、でも、今は司令官と井之上元帥の新体制やからおんなじかどうか知らんで? ウチの時は、ね」

 

「……うむ」

 

「どうなるんか見せられるのは、まあ、そやな……単純なこっちゃ。記録を見せられんねん。深海棲艦の被害に遭った現場を、一片の嘘もなく」

 

「それは――」

 

「砲撃や空襲で崩落した家屋、ほんで、それに潰された人、逃げ遅れて焼けてもうた家族に、燃える海岸……色々な記録を見せられる。そしたら不思議とな、思い出すんや。自分らが生まれた瞬間のこと、深海棲艦と戦ってきた今までのことが、ぜーんぶ、きっちり。再教育施設っちゅうんも、はー、考えられた名前やなって思うわ」

 

 そこまで話した龍驤だったが、言葉が続かなかった。

 海原が手を強く握り返したことと、龍驤が驚いて顔を向けた時、真正面に真っ黒な目が二つ、自分を映していたからだ。

 

 彼女は自分が一番不安になる夜の空を思い出した。

 どれだけ綺麗な空であっても、海にいるとその瞬間だけは一番危険な場所である。

 そのはずなのに、その危険な空が彼の目のようだと思うと、どうしてか龍驤はどこまでも溶けていくように安心してしまう。

 

「もういい、龍驤。ありがとう」

 

「ぁ、ウチは、別に……その……」

 

「龍驤、私に出来ることは多くない。だが、お前の傍にいることは出来る」

 

「う、うん、うん。わかってるて、もう、やめてえやいきなり――」

 

「悲しい想いをさせないよう、努力する」

 

「……うん」

 

 今は瞬きすらしちゃだめだと龍驤はしっかり目を見開いた。

 一度でも瞼を閉じてしまえば、涙がこぼれてしまいそうだったからだ。

 

 しかし、次の瞬間には呆れて、笑ってしまう。

 

「……よし、飯を食おう、飯を! 少し早いが、こういう時はな、飯を食えば元気になるんだ」

 

「おぉいッ! 今の空気からよぉ飯食おうとか言えるな君ぃ!」

 

「龍驤、飯を食え。どれだけ過酷な仕事をしても飯を食えば何とかなる。本当だぞ」

 

「なんっちゅう男や……何でウチは、こんなアホに……」

 

「龍驤、おこのみやき弁当でいいか?」

 

「なんでもええてッ! ちゅうか新幹線ん中で食べるんやないんか!」

 

「うむ……? まだ時間はあるだろう……?」

 

「はぁぁ……あっはは、もうええわ。わかった、一緒に食べよか。ふふふ」

 

 賢しい提督で、愚かな男。

 龍驤の脳を埋め尽くしていた暗い色は一瞬にして霧散し、冴え冴えとした空のような青色に染まった。

 

 

 

 

 

 

 

「長い道のりになるからな、しっかり食べておかねばならん」

 

「ん」

 

《〇番線ホームに参りますのは――〇〇九十二号――東京行きです――》

 

「おぉいッ!? 新幹線来てもうとるやないか!」

 

「なに!? しまった……一本勘違いしていたのか……」

 

「大丈夫かいな、もぉぉ……」




追記:一文が抜けており、青森に向かうのに新幹線のみとか正気か? という状態になっていましたので修正しております。

違:>「任務で外出ってのも久々やわ」
  >「前の鎮守府ではこういった出張は無かったのか?」

正:>「任務で外出ってのも久々やわ。大湊に行くのに飛行機使わへんねや?」
  >「途中で大本営に寄らねばならんのでな、東京を経由する。前の鎮守府ではこういった出張は無かったのか?」


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