作戦会議室改め、第二執務室にやってきた司令官は大淀とウチに向かって遅くなってすまんと言ったあと、資料に囲まれた仰々しい内装に驚くことも、自らの執務室であるのに感慨深そうな表情を見せるでもなく執務机に歩み寄って、どっかりと腰をおろした。
司令官が入室する寸前、扉の向こう側に頭を下げている女性士官が見えたので、恐らくは執務室であることを聞いていたから驚いてなかったのかもしれないが、ウチには彼が浮かない顔をしているようにも見えて声を掛けずにはいられなかった。
「どないしてんや司令官、会談で疲れてもうたんか?」
会談の予定があるなら先に言っておけ、と言葉に含みを持たせわざとらしく言ったつもりだった。
大淀はウチの心情を知っているため苦笑して「まあまあ」と言いながら冷たいお茶を淹れて、甲斐甲斐しく振舞う。
「……急遽呼ばれたんだ。予定には無かった」
おや? と思ったのはウチだけじゃなく大淀も同じ様子で、二人して顔を見合わせる。
「アメリカ海軍の上級将校が来ていたというのに急なのもおかしな話ですね。井之上元帥だけで対応する予定だったのを変更したのでしょうか?」
大方、そうだろう。同意を示して頷くウチに、司令官はちらりと視線を向けた。
しばらく無言でウチを見つめてくるものだから「なんやの、見んといてよ」と手を振ってしまう。
するりとウチから視線を逸らした次に、大淀へ顔を向けて、またしばしの無言。
「提督、どうかしましたか?」
「ああ、いや……」
言い淀む司令官。そんな顔をされては聞かずにいられない。いられるはずもない。
ウチはそういった性格で、気になったらすぐに口をついて言葉が出る。問うてしまう。
他のウチがどういった性格をしているかは知らないし興味もないが、往々にしてこういった性格をしているのだろうと心のどこかで自然と考えた。
「なんやねんな、気になるやん。気にせんといて、は無しやで」
なあ? と大淀を煽れば、彼女も「そうですよ。私達が力になれることなら」と言ってくれた。
こういう察しの良さやら気立ての良さに司令官は惚れ込んだんやろか?
「――私は提督どころか、軍人につくづく向いていないと考えさせられたところだ」
「は?」
そう反応したのはウチで、大淀は力になれることなら、と言って目を細めて微笑んだ状態のまま固まっていた。
「お前達の戦闘記録を見たんだ」
司令官は夜半に降る小雨みたいに消え入りそうな声で、軍帽を脱いで額をおさえながら机に両肘をついて語った。
「これでは、昔と変わらんではないか。モニターの向こうで必死になって世界を守るお前達を見ていることしか出来ないなんて。ただでさえ仕事も満足にこなせない私がどうして海軍にいられると安心していたのだか、分からなくなった。周りは出来ることをやっている。常に最善を選びぬいて自らの役目を全うしていたのを、この目で見てきた。私は……私は本当にお前達の傍にいる資格があるのだろうか」
会談で戦闘記録を見た――恐らくは井之上元帥がアメリカ海軍との交渉に記録を用いたのだろう。
楠木少将が亡き今、アメリカを含む諸外国との交渉を一手に引き受けて精力的に活動しているのは井之上元帥で、柱島泊地に届く新聞や雑誌から得られる情報でも様々な活動がスムーズに進み始めていることを知っている。
もちろん新聞や雑誌に載っているような事柄には手が加えられている。真偽を確かめねば疑わしい情報だってある。それでも井之上元帥のことや、外交が上手くいってないにもかかわらず良好だ、なんざ得もない嘘を吐くとは思えない。
アメリカ海軍との交渉が失敗して、司令官は戻ってきた? いいや、それならもっと別の言い方をするはずや。彼は今、自分を「軍人に向いていない」と言った。そうして「昔と変わらない。見ていることしか出来ない」とも。
それらが意味するのは――
「……言い訳ばかりで、逃げてばっかりだ」
――戦場の空気に当てられた、人として正常な反応であること。
「司令官、こっち」
ウチが呼べば、大淀が司令官よりも早足でウチの座る応接用ソファまでやってきて、一人分の空間をあけて座った。そして、同じように言う。
「提督、こちらへ」
二人して座れとソファを叩いて示すと、司令官は困ったような顔をした。
「いや、私は――」
「ええからええから! はよ!」
司令官には悪いと思いつつ、ウチはどこか期待していた。
彼はどこまでも強いようだけど、ちゃんと人としての弱みがあるのだ、と。
椅子から立ち上がってソファまでやってきた司令官は、今度は静かに腰をおろした。
「ほんで? なんや、言うてごらんよ。大淀先生とりゅーちゃんが聞いたろやないの」
「提督の全てを知っている、とまでは言いませんが、少なくとも他の人達よりは知っているつもりですから。いいんですよ、私達になら」
口々に言うと、司令官は両手で顔を覆って膝に肘をつき、ふう、と長い長い溜息を吐いた。
「あー、いや、その、だな……すまない。なんてザマだ。やはり忘れて――」
「あかんてここまで引っ張ったんやから! 言うまで仕事させへんで?」
ばしばしと背を叩いてみせれば、その口がゆっくりと開かれた。
「私のいた世界と、この世界は違うだろう。艦娘がいて、深海棲艦がいて、苦しんでいる人がいて、どうにかしようと皆がもがいている。戦争をしているんだ」
「うぉぉ、重いやん」
「龍驤さん」
「あっはは、ごめんごめん、茶化し過ぎやな」
少しでも彼の背負うものを分けて欲しい。ウチと同じか、きっとウチよりも切に思っている大淀は真剣な表情で司令官を覗き込んだ。
「提督、少しでもいいですから、ね?」
話してください、と大淀が言えば、途切れた言葉が再び紡がれる。
「……私は深海棲艦を、轟沈した艦娘であると考えている」
「おう、長門にも聞いたし司令官も言ってたな。流石に人から言われたらむっちゃビビったけどなあ」
「そう、ですね……」
突如として世界に現れ、牙を剥いた深海棲艦。
同時期に出現し、深海棲艦から人類を守った艦娘。
ウチらの関係はまだ謎に包まれたままで、その多くが未解明だ。
艦娘としての身体の頑強さ、常軌を逸した破壊力を持つ私達にしか扱えない兵器。
正反対でいて、特徴を並べてみれば殆ど同じ存在である深海棲艦。
人型か否かを置いておいても、人類の持つ兵器が通用しない頑強さを持ち、常軌を逸した破壊力を秘めた兵器で世界を、人を破壊する深海棲艦。
ウチらと深海棲艦は、矛先が違うだけ。
戦闘記録を見た時、司令官も似たようなことを考えたんやろか。
「これは戦争なのだから、私はお前達を守り――敵を、沈めねばならん」
指の隙間から、司令官の瞳が見えた。
その目に宿る感情は、ウチの知らん感情やった。
「……怖気づいたんか?」
率直に問えば、彼は否定した。
「いいや、お前達が居れば負けないだろう。ああ、私は確信している。決して負けんと」
ならどうして、と大淀が口にすると、司令官は顔を上げて記録に埋もれる壁を見て言った。
「沈めるのはお前達なんだ。私はそれを指示するだけで、直接手を下すのは全部……お前達なんだ」
ウチの心は反射的に「違う」と否定した。司令官の言葉通り、怖気づいたわけでもなければ、軍人に向いていないと嘆く理由は根本的に別の場所にある。
大淀が首を傾げてウチを見たけど、ウチはそれをすぐに理解してしまった。
彼はウチら艦娘を心から想ってくれている。だからこそ、海を往くウチらにジレンマを抱いているのではないか。
自分の手ではなく、他ならないウチらの手で敵を沈めている事実が――彼に自責や罪過を背負わせているのではないか。
重い、と茶化した手前、続けて冗談は言えへんかった。
本当に重たい考えを持って帰って来たんやから。
「なあ、司令官。それが嫌なんか?」
ウチの声に大淀が続けて訊く。
「私達が深海棲艦を沈めていて、自分は何も出来ていない、とお思いなのですね?」
続けざまに問われて司令官は困ったような表情をさらに歪めた。
「いつもなら適当に茶化すだろうな。そうすれば時間も過ぎる、事態も進む、いつの間にかどこかの誰かが解決する。私はそうやって生きてきた」
ぐっと眉を寄せ、喉に何か引っかかっているような声で彼は吐露した。
彼が茶化す? ウチみたいに? そんなところは見たことがない。でも多分、彼にとって――嘘じゃないのだろう。感覚の違いなのかもしれない。
「……我ながら不誠実な男だと、自己嫌悪してしまったのだ」
会談から戻る道中、悶々と考え込んだのだろう。
柱島泊地に来たばかりの頃より幾ばくかマシになった目元の隈が、血の巡りによってか、少し濃くなっているように見えた。
どういった言葉をかけてあげればいいのだろう。ウチは司令官を救える言葉を持っとるんやろか。
んん、と言葉にならない声をあげて考えるも、気の利いた言葉など浮かんでこなかった。
「提督は私達をいつも助けてくれるじゃないですか。敵を沈めるのは確かに私達ですが、だから何も出来ていないというのは飛躍していますよ。出来ているから、私達は海を進むことができるんです」
ここに来てからも思っていたが、一皮むけたようにすっきりとしていて、堂々とした雰囲気になった大淀の言葉は常に真っ直ぐだ。飾り気のない事実かつ、彼女の感情が見える言葉は何よりも強く室内の鉛じみた空気を打った。
「呉の艦娘だけじゃなく、山元大佐や清水中佐を立ち上がらせました。舞鶴で我が身を顧みず忘れ去られていたまるゆさんだって救い出しました。提督はとても凄い方ですよ。自己嫌悪することなんて、ありません」
司令官は大淀に顔を向けたが、いや、しかし、なんて言葉をこぼす。
艦娘と深海棲艦を同じ存在であると考えているから悩んでいるのならば、こういった話はウチがすべきやろうか、と腕を組んで、足も組んで、ソファの背もたれに身体を預けて暫く虚空を見つめて考えたあと、ウチは言った。
「……おっしゃ、りゅーちゃんがおもろい話したるわ」
ウチが語るのは、戦場の話。
十年も前から感じていた不思議な話。
誰にも言ったことのない、とある真実。
司令官から深海棲艦と艦娘の関係性を聞いたときに腑に落ちてしまった、認めたくない話でもある。
しかしながら、それよりも大きな安心という感情が、ウチにこの話をすることを許してくれた気がした。
「ウチらが深海棲艦とやりあう時、何を考えてるかとか、わかる?」
「先程、会談の途中で明石に会ってな、記録を確認した所感を聞いた時に少しばかり聞かせてもらった。悲しさや悔しさを感じると」
「ほぉん? 明石がおんねや? ま、大本営やしどの艦娘がおってもおかしくないけどや……ままま、そやね、そんなん感じたりするわけや。そしたら司令官はその明石から、なんで悲しいんか、なんで悔しいんか、聞いた?」
「いや……」
今までにないくらい縮こまってしまう司令官を見るのも新鮮だったが、あんまりに不安そうな顔をするものだから驚いてしまって、ウチは腕組みを解いて彼の太ももを弱く何度も叩きながら言う。
「なーんちゅう顔してんねや、もー。大淀、ほれ、お茶持ってきたって。司令官もちょい落ち着きぃな。別に君がどんだけアホやって海軍から飛ばされたとしてもウチらが何とかしたるから」
ははは、と笑ってみせたが、彼の表情は変わらぬまま。
執務机に置き去りにされたお茶を持ってきた大淀がカップを手渡せば、一口だけ含み、口内を洗うようにゆっくりと飲み下して息を吐き出した。
「ウチが初期型って呼ばれてんのは、知ってるやろ? 深海魚どもとバッチバチにやりあって、もう十年や」
ああ、と短い返事。
「大淀も登録で言うたら若い方ちゃうん?」
大淀は改めてソファに座って頷いた。
「ええ、そうですね」
「なら、口にせえへんだけでウチとおんなじ事を考えて、悩んでもうた事があるはずや――深海棲艦を沈めた瞬間、どうしようもないくらい悲しなるのと同時に、良かった、もう大丈夫やって思ったことあれへんか?」
「それは……」
「戦闘が終わったことに対しての安心感とは別に、や」
「……」
ウチが間髪容れずに言い切ったところで、大淀はちらりと司令官を見た後に「はい」とはっきり言った。
司令官の暗かった表情に驚愕の色が滲んだのを認めて、ウチはさらに語る。
どれだけ有能な指揮官であれ、ここに居るのが例え井之上元帥であったとしても語らなかったであろうウチら艦娘の間だけにある感情を。
「司令官から深海棲艦が轟沈した艦娘って考えとるのを聞いた時は、なるほどなあって思った子ぉらばっかりやったやろうな。柱島泊地におるんは他の拠点から弾かれた子ばっかり、いやそれしかおらん。厳しい状況で戦闘を強いられることもあったやろし、滅茶苦茶な戦場を生き抜いた子もおる。ウチもそうや。深海棲艦の正体なんざ司令官から聞くまで言葉にして考えたこともあらへんし、どう足掻こうがウチらの敵や。何もせず海の底でじっとしとるんなら話は別やけどな。人に手ぇ出すんやから、そらウチらかて戦うわな。当たり前の話や」
そう。深海棲艦が暴れたりしないのならば、手を出すことなんてない。
だが司令官は言葉を汲み取れない様子でウチを見る。じっと見つめる黒い瞳に、大本営に行く前のような緊張や気恥ずかしさは感じなかった。ただ、彼に伝えてあげたいという気持ちが強く、声を届ける。
艦娘としての声を。
「深海棲艦を沈めるとな、へーんな感覚になるんや。安心してもうて、これで終わりやなって思ったら――昔のことをぴたっと思い出さんようになるんや」
「昔のことを、思い出さなくなる……? 龍驤、それは記憶が消えるという――」
「あー、ちゃうちゃう! あはは、ウチの言い方が悪かったんやな。勘違いさせてもうたわ。……君のせいやで?」
にしし、と笑えば、やっと消えたと思った彼の困惑の表情が色濃く戻って来てしまい、大淀に咎められる。
「龍驤さん……」
「ごめんてぇ! 元気出してもらおうとしたりゅーちゃんの小粋なジョークやがな!」
「もぉ……」
大淀も本気で咎めているわけではない。苦笑して、続きを促すように黙り込む。
「龍驤っちゅう艦娘であるウチは、ウチ以外にもおるやろ? せやから同じように昔の記憶を持っとる。生まれた後の記憶は別やで? そんでも軍艦であった頃の記憶は一緒や。不思議なもんで、ある意味バケモンって呼ばれるのも分からんでもない存在や。そんなウチらでも、やっぱり昔の事を思い出したら悔しいし悲しいねん。やりきれん気持ちが我慢できひんくらい溢れて、戦いに必死になっとるんか、悲しさを誤魔化すのに必死になっとるんか分からんくらいぐちゃぐちゃな中でやりあう――思い出すなっちゅう方が無理な話やろ。ウチかてもっともっと活躍したかったわ! 周りの奴らぜんっぶ片付けて翔鶴と瑞鶴に追いついてたら未来は変わっとったかもしらん!」
徐々に大きくなるウチの声。しかしふと、落ち着く。
まるで深海棲艦を沈めた時のように。
「……こういう気持ちがな、すぅーっと落ち着くねん。ああ、終わったんやな、ってな。腑に落ちるて言うたらええんかな。あの時は、あれで良かったんやと思えてまう。沈んでいく深海棲艦をぼけーっと眺めながら妙な感慨に浸ってまうこともあるくらいに、心が鎮まるんや。そうしたら昔の事を思い出さんようになる。夢にも出てけえへんようになんねや。自分から思い出そうとせえへんかぎり」
言い終えてしばしの沈黙のあと、大淀がウチの言葉を両手で掬うように声を紡いだ。
「それは提督のもとに来て、さらに鮮明になった……違いますか?」
「……ん。その通りや」
ここまで話したところで、やっとしっかりと顔をあげた司令官が、ウチと大淀を、顔をふって交互に見た。
「どう、いう……」
「ここまで話して分からんって言うんか! かぁぁ……ほんっま鈍い男や君はぁ!」
「提督、流石にそれは……」
「す、すまない! 私は別に、お前達の気持ちを蔑ろにしようとか、そういうつもりでは――!」
慌てた姿が、どうにも。
ウチより何倍も強い想いが湧きあがったのであろう大淀が、くすくすと笑って、ウチの前だというのに司令官の肩に頭を乗せるように寄りかかった。
ウチの前やっちゅうのにや!!
ならウチは身体ごといったる! と体勢を変えて背もたれではなく、司令官に背を預けるように力を抜いた。
彼はウチの無礼とも言える行動を咎めることも、止めることもせずに受け止めた。
「なん、なんだ二人とも、悪かった、私の思慮が浅かったから二人を傷つけてしまったのだろう。本当にすまなかった」
「ちゃうて! ……大淀もようこんなんに毎日付き合うなあ」
「今の体勢の龍驤さんに言われたくありませんね」
「おぉ? なんや言うやんけ。歴戦のりゅーちゃんにそないな口利けるなんて強気やん?」
「連合艦隊旗艦ですよ? これくらい強気じゃなければまとめられません」
「ははは、そらまあ、その通りや」
ウチと大淀のやり取りにあたふたして縮こまったままの司令官に、分かりやすく一言にまとめて言ってあげるべきだろうと口を開いた時、大淀も同時に言った。
寸分も違わず、声が重なる。
「せやから、司令官やないとアカンねや」
「だからこそ、提督じゃなければダメなんです」
「……す、すまない……その、も、もう一度言ってもらっていいか、聞き取りづらかったのだが」
ウチと大淀は、また同じタイミングで噴き出して、笑ってしまう。
「っぷ……あはははは! 聞き取りづらかったのだがー、やて! あっはっはっはっは! 会談で何があったか知らんし司令官にも悩みくらいはあると思っとるけどやな、ウチらの悩みまで取らんとってよ」
「ふふ、そうですね。提督が悩んでいらっしゃるのと同じように、私達もたくさん悩んでいるんです。でも、この悩みは……私達だからこその悩みでもあります。提督に渡すわけにはいきません」
艦娘だけの、艦娘のためにある悩みと葛藤。
深海棲艦を沈めた瞬間に私達を包む安心と納得は、言葉にすれば兵器を抱えた化け物と揶揄されたっておかしくないものだ。
司令官が苦しんでいるところ、こう考えてしまうのは悪いかもしれないけれど――
「きっと君やから、助けられてるんやろうな」
――君やから、救われているのだと気づけたんや。
これだけは決して間違いなんかじゃないと確信があった。
もしかすると、これも共鳴の一種なんやろか? ウチは顔を動かして大淀を見る。
またも同じタイミングで大淀もウチを見てたもんやから、それがなんだか面白くて、笑ってしまう。
戦争をしているのに、どうして笑えるやろ?
どうして、安心してしまうんやろか?
彼だって言っているじゃないか。これは戦争なんだと。
「……司令官。この戦争を、どない思う?」
突如として鋭い刃のような言葉を突きつけたウチやったけど、やはり彼には、敵わなかった。
「戦争、そう、だな……戦争なんだと、そういうことについて井之上元帥達と話していたんだが……ここに戻って来るまで色々なことを考えていたのに、その……お、覚えてないのだ。お前達のことを思うと、ああ、次の仕事をせねばと、考えてしまって……それで、こうやって目を背けて、なんて情けないんだと……」
戦争の罪過を背負い、自責に苦しんでジレンマを抱えているのに――次の仕事をしなければと進もうとする。
忘れた? 分かりやすい嘘を……否、本当に、忘れてしまったのかもしれない。
一時であれ、全てを忘れるくらいに仕事に打ち込んでしまう彼の言葉を、胸の内で反芻する。
お前達を守ることが私の仕事だ。そんな言葉を。
「仕事のことを考えて戦争について考えてたのを忘れたんか!? 司令官、君……っぷは、あっははははは! アカン、ほんまのアホや君は! あーっはっはっは!」
「龍驤さん、し、失礼ですよ提督に向かって――っく、ふふ」
「君かてわろてもうてるやないか! わかるで、大淀。この人ったら、もう……とか思ってるんやろ」
わざとらしく眼鏡を押し上げる真似をして揶揄うと、大淀もとうとう声を上げて笑った。
「だって! あれだけ真剣に悩んでるお顔をされていたのに、オチが次の仕事があるから忘れちゃったって、ふふふ、そんなのおかしいじゃないですか! 俯いていた内容を忘れるって、ふふふふふ、あっはっはっはっは!」
「なっ、わ、笑い過ぎだ二人とも! いい加減にしないか! 私だって真剣に悩んでいるのだ!」
「忘れたのに?」
ウチがすかさず言うと彼は、うぐ、と黙り込んでしまう。
笑い声に誘われたように司令官の軍服のポケットから妖精が飛び出してきて、ふわふわとウチらの周りを飛んだ。妖精までも、笑っていた。
声を聞けるはずもなかったが、司令官は妖精に向かって冗談みたいに真剣な顔で抗議していた。
妖精もウチや大淀と同じようなことを言っていたのかもしれない。
「なっ……お、お前まで……! だから、私は本気で考えていると言っているだろう!? さっきまで眠っていた癖にお前は……!」
日本海軍元帥にアメリカ海軍の上級将校まで同席していた重要な会談で、戦闘記録まで持ち出された場所で、妖精が眠っていた?
それが何よりもの証明じゃないか、と笑い過ぎて目じりに浮かんだ涙を指で拭った。
「こらアカンわ。柱島泊地のヒエラルキーが決まってもうたな」
「りゅ、龍驤? それはどういう意味だ?」
はっとしてウチを見た司令官が、ウチではなく大淀が言葉を紡いだのに顔をぐりんと反転させる。
「上から、妖精さんと私達、その下に提督、ですね。二段しかありませんが」
「……うむぅ」
「否定もせえへんやん」
「で、出来ないからな……」
否定が出来ない? 違う、司令官、君は否定しないんや。
自らの立場すらも、この戦争すらも君は簡単に捨ててまう。
時には自らも捨ててしまう危うさがあれど、それは何よりもウチらを想ってのこと。
だからウチらは受け入れられたんや。
深海棲艦が、過去の記憶の成れの果てである、その真実を。
こうまで想われて、どうしてウチらが君を否定できるんや。
「……お前達を心配させぬよう、精進する。どのような仕事でも必ずやり遂げるから、安心してくれ」
ひとしきり笑った後、ウチと大淀の声が再び重なった。
「安心できへんなあ」
「安心できませんねえ」
「うぐぅっ……ほ、本当に、仕事はきちんとする、本当だ!」
ああ、もう、これ以上は無理や。頬が緩んで、落ちてしまう。
言葉にせず、じゃあ、仕事をするために行動しようかと立ち上がった。
「ほれ、資料が必要なんやろ? 大淀がそこにまとめてくれとるで。ウチはどうしたらええ?」
「そっ、そうだな、仕事、仕事だな。うむ。大湊警備府の戦闘記録を確認したいのと、行動調書に出来る限り目を通しておきたい。それで龍驤には大淀と一緒に準備してもらいたいものがあってだな……」
「うっしゃ、そしたらちゃっちゃとやってまおか」
「はい。何でも仰ってください、提督」
「ちゃんと仕事はするからな? 本当に、お前達のためならなんでもやってみせる。どんなことでもだ! だから安心して――」
「せやから安心できへんって言うてるやろ」
「私達を安心させるよりも仕事をしてください、提督」
「……うむぅ」
大淀とウチは顔を見合わせ、何度目か分からないくらい、笑みを浮かべあう。
安心しろ、安心しろと、心配性な人や。
君の隣にいられるなら、ウチはそれで満足なんや。
きっとウチや、大淀、柱島泊地の艦娘にも同じことを言うんやろうな。
もしウチや大淀が化け物であったとしても、変わらず同じことを言うんやろ。
私がいる。安心しろ、と。
だから、ウチらはこれ以上にないくらいに安らいどる。
君がおるから、ウチらは――海を往けるんや。
※地の文の一人称や一部文章を修正しております。