柱島泊地日記帳   作:まちた

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北へ⑧

「では明日から工廠の各員の指示に従い、励むように」

 

 熊谷少将から威厳を凝縮した太い声を掛けられ、海原はドアの方をちらりと見ながら立ち上がって作業帽を被り、無表情のまま大声で返事する。

 

「はいっ! 頑張ります!」

 

 龍驤は厳めしい表情をした。社会人として一般企業で働いていたにしてはやけに手慣れている上下関係の維持――ましてや相手は大湊警備府の司令長官熊谷少将である。実際のところは海原が彼の上官であると言っても、演技をするならば身体までそれについていってしまいそうなものだが、海原はまるで「立場を忘れるな」とでも言いつけんばかりの態度だった。

 声音だけ高々としていて表情を動かさぬ相手を前に、熊谷少将は言葉に反して緊張を隠せない様子だった。

 自分以外にも見せてやりたい。龍驤がそう思わざるを得ない光景。

 

 直立不動で気を付けの恰好をして命令口調で話す熊谷少将。

 声高に返事をして、聞くだけならば最敬礼をしているか、腰を深く曲げてお辞儀していそうなのに、実物は堂々とただ立っているだけの海原。

 それどころか扉の方を指で示しながら顎を振って逆に命令している。言葉すらなく。

 

「……んんっ」

 

 熊谷少将が一つ咳払いして言う。

 

「誰かいるのか」

 

 かたん、と扉の向こうから物音がして、次にノックの音。

 入れと熊谷少将が言うと、遠慮がちに扉が開かれた。

 

 ほんの少ししか開けられなかった扉の向こうから室内を覗くようにして顔を出したのは、ある艦娘だった。

 

「忙しいなら、後にしておくけれど」

 

 暁型駆逐艦二番艦、響である。

 照明から降る光を反射するような綺麗な銀髪が零れるように扉から室内へ入り込む。

 

「挨拶を済ませただけだ。構わんとも」

 

 熊谷少将は二度目の驚愕に狼狽しかけるも、鋼鉄の理性で表情を固める。

 挨拶を済ませた、と声にした時点で視線を海原に向けたところ、彼の表情が一瞬にして、まるで右も左も分からないという新人の顔になっていたからだ。

 そのうえ、大湊警備府のように固有の艦隊を持たぬ場所とは違って多くの艦娘を保有する柱島泊地の頂点たる彼は、まるで響という艦娘を初めて間近で見たと言わんばかりの興味津々な瞳をしていた。

 

「な、何だい? 私、どこか変なところでも――」

 

 キラキラとした目を向けられてたじろぐ響に、海原は作業帽を脱いで頭を下げる。

 

「す、すみません! 響さん、ですよね?」

 

「そう、だけど……」

 

「初めて見たので、驚いて……失礼しました! それでは、自分はこれで!」

 

 すぐに作業帽を被って熊谷少将、龍驤、響の順に頭を三度下げてから退室する海原。三者三様の表情で彼を見送った後、響はすれ違って歩いていく背を数秒見つめたあと、ふい、と熊谷少将へ向き直って入室する。

 

「それで、どうした響」

 

 熊谷少将が執務机の対面に置き去りにされたままの椅子を壁際へ持っていきながら訊けば、響は龍驤を視界に収めながらも隠し立てすることなく口にする。

 

「明日の哨戒についてなんだけれど、彼女は置いていきたい」

 

「ん、ウチ?」

 

「龍驤を? 理由は」

 

「昨日、司令官が突然言うものだから木曾さんが哨戒ルートで接敵した際の連携に不安があると言っていたんだ」

 

「ほう。それをどうして本人ではなく、響が言いに来たんだ?」

 

 熊谷少将が執務机に腰をもたれて問えば、響は龍驤に視線だけを向けて言う。

 

「私達はまだ彼女をよく知らないからね。ここのところ、はぐれが多いだろう? 五隻になればすぐに片付くなんて簡単な任務じゃないのは私が言うまでもないこと……司令官は、分かっていると思うけど」

 

「木曾を呼んで――」

 

「木曾さんを呼んだら解決する、と思っているのかい?」

 

「……」

 

 短いやり取りだが、龍驤は心の内で「確かに、横暴としか表現できん状況やな」と改めて認識した。

 司令官に向かって意見具申、というより、それはお互いに理解しているのだからと押し付ける物言いである。

 

「響の言い分も分かっているが、龍驤は大本営から増派された戦力だ。連携が取れないかもしれないと言うのなら、航空支援を主軸に運用すれば問題なかろう」

 

 熊谷少将もやり手で賢しい軍人である。即座に言い返せる反射神経もある。

 

「艦載機に飛び回られるのも嫌がりそうだけどね」

 

 だが響もまた彼の部下である。賢しく反射も速い。

 龍驤は沈黙を貫く。

 空母が故に艦載機を嫌がられるなど腹を立てるなと言う方が無茶な話だが、それでもこれが任務だと口を閉じ続けた。

 彼女の荒ぶらんとする心を落ち着かせる錨は、言うまでもなく海原である。

 

「大抵の我儘は聞いてやる。だがな響。木曾を含め命令違反ギリギリのグレーゾーンを行ったり来たりする行動はもう看過出来んところまできている。龍驤の前で話されたくも無いだろうから、航空支援は受け入れろ。さもなくば私も彼女に今の大湊水雷団はかようにも我儘であると教えねばならん」

 

「……」

 

「返事は」

 

「でも」

 

「はぁ、響、そう何度も無茶を言われてはこちらも――」

 

 このタイミングかな、と龍驤は沈黙を破った。

 

「面白そうな話ですね。ウチにも聞かせてくださいよ」

 

 訛りが殆ど消え失せた口調に、熊谷少将は目の色を変えた。

 

「大湊水雷団の我儘っぷり、気になりますね」

 

 煽るように鼻で笑った龍驤を、かっと顔を赤くして響が睨む。

 つらつらと、訛りの少ない口調のままに龍驤は言った。

 

「実はウチ、昔はここに所属していたんです。熊谷少将もウチの事を覚えていらっしゃるでしょう?」

 

「あ、ああ、うむ」

 

「あの時からすれば、ある意味、平和に貢献出来ていたんだと実感しました。軽巡洋艦の我儘一つで編成が変えられるかもしれないんですから」

 

「前に所属していたからって先輩面とは、面白い人だね。もう君はここの艦娘じゃないのに」

 

 海原の行動を見るに、彼は良い人で通して調査をするのかもしれない。

 ならば横暴の正体を一番近くで見ることになるであろう自分は、悪い艦娘、もとい嫌味な艦娘として彼女らの本性を暴いてやろう。

 

 そう考えて龍驤はサンバイザーに指をかけて押し上げながら、上目遣いに笑って見せた。

 

「またここに所属になったんですから先輩ですよ。駆逐艦ちゃん」

 

「っ……! 木曾さんに会えば、その態度もすぐに変わることになるよ」

 

 熊谷少将は不機嫌そうに顔を歪め、分かった、と口を開いた。

 

「木曾を呼んで来い。本人が龍驤に直接理由を話せばいいだろう。私が仲裁する。妥当と判断出来ねば、予定通り大湊水雷団に龍驤を編成し明日の哨戒を行ってもらうとしよう。先に言っておくが、連携が取れない、など杜撰な言い訳は無しだ。いいな」

 

「……呼んでくるよ」

 

「ああ」

 

 ニヤニヤとしたまま響を見送る龍驤。

 一度振り返った響は龍驤の表情を見て舌打ちし、扉を乱暴に閉めて出て行く。

 

「はぁ、龍驤」

 

 溜息交じりに咎めようとした熊谷少将だが、彼女がぱっと表情を明るくしたことに毒気を抜かれてしまう。

 

「ごめんてー! ほれ、司令官がああいう風に新人さんを装うっぽいから、ウチかて不本意で仕方なく、嫌ぁーな先輩面してるんやんか!」

 

「……変わったな」

 

「お?」

 

 熊谷少将はしばし沈黙し、彼女を見つめた後にしみじみと言った。

 

「とても、良い顔をしている」

 

「え? あ、はは、そんなことないやろ」

 

「いいや、変わったよ龍驤は。前はまるで地獄の鬼をも撃沈せんという顔をしてボロボロになりながら――」

 

「だぁぁ!? やめてや熊谷少将! 今は可愛いりゅーちゃんなんや! どこで司令官が聞いてるかもわからへんのに……。ウチから話すのと熊谷少将から話されるんは訳がちゃうんやからな!」

 

 ぶつぶつと口を尖らせる龍驤に笑ってしまう熊谷だったが、すぐ表情をきゅっと引き締めて空気を切り替えた。

 

「まぁ、御覧の通りだ。お前がここに来たら、昔話でもしながら海原閣下の話も聞かせてもらおうかと思ったのだが……そうもいかんな」

 

「司令官の? 何が聞きたいんや」

 

 応接用ソファに全身を埋もれさせるように気楽な姿勢のまま、両足をぱたぱたと揺らす龍驤に、熊谷少将はせっかく真面目な顔をしていたのに、頬を緩めた。

 

「第二次に際する軍議で、閣下の出自を知り、妖精を初めて見た。それにな――ほら」

 

 熊谷少将は執務机を回りこんで引き出しの一つを開くと、そっと何かを取り出した。

 取り出されたそれを見た龍驤から無意識に「おあ」と驚愕の声が漏れる。

 

「……私のもとにも、妖精が現れるようになったのだ」

 

「す、すごいやん熊谷少将! 前は妖精なんておらんって言うてたのに!」

 

「前って、何年も昔だろうに」

 

 手のひらに乗せられた妖精はきょとんとした表情で熊谷少将を見上げており、龍驤を見て、細くて小さな手で龍驤を示し首を傾げる。

 

「彼女は私の上官の艦娘だよ。初めて会うだろう」

 

「熊谷少将、も、もしかして妖精の声が聞こえるんか……?」

 

 さも普通に話しているのでそう問えば、熊谷少将は首を横に振った。

 

「いいや、全然だ。だが話しかけない理由にはならないじゃないか」

 

「……はは、熊谷少将も変わってるやんか。ウチらがどんだけ妖精や結界や言うても目にしてないものは考慮出来ん! とか言うてた癖に」

 

「その考えは変わっていないぞ。目にしたものを的確に処理出来ねば軍人として任務を全う出来んからな。だが妖精はこうして私の目の前に現れた。触れられるし、掌に重みだって感じる。ならばどのように非現実めいた存在であれ、事実として私は受け止める。それだけだ」

 

「んでも実は?」

 

「ペンを取り出そうと引き出しを開けた時、妖精が居るのを見てひっくり返ったよ」

 

「あはははは! ノリええやんか!」

 

「冗談抜きでひっくり返ったぞ」

 

「それでも妖精が熊谷少将のとこにおるだけで、ウチはここにおった事を誇れるで」

 

「妖精基準なのか」

 

「そら、ウチは艦娘やし」

 

「艦娘の艤装には常に妖精がいるものな」

 

 熊谷少将の言葉に頷く龍驤。彼の言う通り、艦娘の艤装には妖精がついている。空母ならば艦載機に搭乗していたり、水上艦の砲塔にだって姿を見せる。

 しかし熊谷少将は妖精が見えなかった十年も昔、その存在を否定した。

 理屈を付けられない艤装の動きや強度、破壊力を妖精などという荒唐無稽も甚だしい文言で片付けるのは理性が許さなかった。

 艦娘が如何に屈強とて、それらが不可視の存在によって左右されるなど意味が分からないと。

 

 だが今ならばその理由が分かる。

 目の前にいる龍驤と――現在の大湊水雷団の違いもはっきり理解出来ると熊谷少将は小さく唸った。

 

「龍驤と一緒にいる妖精が心配だな。いつか笑い過ぎて倒れてしまうかもしれん」

 

「熊谷少将……やっとウチのおもろさに気づいたんやなあ……」

 

「皮肉だったんだが」

 

「分かってて返したったんや!」

 

「ははは、そうか」

 

 微笑みあう二人に妖精も訳も分からずといった様子のままだが、ニッコリと笑みを浮かべた。

 しかし次の瞬間には、妖精の表情が曇り、隠れたがるように熊谷少将の掌の上から軍服の袖の中へ入って行こうとする。

 

 熊谷少将はくすぐったさを感じる前に妖精の気持ちを察して開けっ放しの引き出しの中へ妖精を放した。

 

「……妖精は不思議だな。私が考えた瞬間に感じ取って、逃げてしまう」

 

「なんや、逃げてしまうて」

 

 壁に掛けられた時計を見て、木曾がここに来るまでもう少し時間があるか、と呟いた熊谷少将は静かに引き出しを閉じた。

 

「大湊警備府に妖精が居ないのは、知っているな」

 

 切り出された言葉に龍驤が頷く。

 

「私の前では姿を現してくれるのだが……今、妖精を見せたのは確認の意味もあったんだ」

 

「……ウチを見て妖精が逃げ出すかどうか、か」

 

「察しの良さに磨きがかかっているようで、元上官として誇らしいな」

 

「今でも上官やろ」

 

「上官に対しての態度にしては砕けているが?」

 

「ウチがこんな態度なん誰でも知ってるやろ。慇懃にすんのはほんまに知らん人にだけ」

 

「海原閣下には甘えてそうだと思っていたのだがなあ」

 

「んなっ……あ、甘えてへんよ!」

 

「冗談だよ。声を荒げるなど龍驤らしくもない。変わったのは本当のようだ。海原閣下のもとでしっかりと可愛がってもらえているようで安心したぞ」

 

「こんの……!」

 

 わなわなと震える龍驤は、歴戦の艦娘であるのは言わずもがな。

 勝てる勝てないなど考えるまでもなく、大抵の相手には強気に出られる。

 例外を挙げるとすれば、海原と、この熊谷少将である。

 

「揶揄い過ぎたな。妖精に関して、大方、龍驤の考えている通りだと言っておこう」

 

 切り替えの早さもどこぞの一般人と似ているな、と溜息を吐く龍驤。

 

「艦娘相手に妖精が逃げ出すてなんやねんな。木曾やら、さっきの響を見ても逃げ出すんか?」

 

「私が見た限り、出撃していない今の状態――龍驤が煽る前の状態であれば、姿を堂々と見せたりはしないものの、少なくとも逃げ出したりはしない」

 

 引き出しの中から様子を窺っていたということか、と龍驤が問えば、熊谷少将は浅く頷いた。

 

「恐らくな。出撃前になると、木曾達は雰囲気が一変する。戦意として見るならば上々だ。しかし妖精が恐れ逃げ出すような姿が本当に上々であるかは、疑問の残るところと言えよう」

 

「艦載機に乗ってたら深海棲艦相手に突っ込んでいくような妖精がビビッて逃げるて、とんでもないやんか」

 

「故に、海原閣下を頼れないかと書状を出したのだ」

 

「はー……こら一癖も二癖もありそうな任務や」

 

「忠野中将から調査方法について聞いている。海原閣下は直接艦娘から話を聞くよりも、彼女らと深く関わっている工廠班の者達から聴取すると。慎重に事を進めていただけるのならば私としても助かる」

 

 頼むから、煽り過ぎるな。

 熊谷少将の視線はそう語っていた。

 

「わぁった。ちっとどんなもんか見てみたかっただけやし、あれ以上の事は控えるようにしとくわ。そんでも熊谷少将、あれはどうなんやろうな? 大湊警備府の司令長官に対しての意見具申、とは誰がどう見ても言われへんやろ」

 

「無茶や無謀を抑え込むのに、ああして言い含める毎日だ。彼女らは大湊警備府に来て二年……いや、もう三年目になるが、来てからずっとだ」

 

 キャビネットから書類を数枚取り出して龍驤に差し出した熊谷少将は、書類の内、一つを指し示した。

 

「大湊警備府は大小問わず作戦海域に出撃することなど殆どと言って良いほどない。行動調書も現行の哨戒ルートのものばかりだが……ここを見てくれ」

 

 哨戒ルートばかり、というのは龍驤も知ってのこと。

 龍驤が所属していた頃の大湊警備府はいくつかの殲滅作戦に際して戦力増派に協力した拠点でもあるが、それを除けば柱島泊地と同じく本土防衛が主な任務である。

 柱島泊地が第二次大侵攻にて海を駆け抜けたのは例外としても、今や遠征以外で遠洋まで赴くことは稀も稀。現在の大湊警備府と同じく、日々の哨戒ルートに多少の変更があれど本土に近づく深海棲艦を沈めるにとどまっている。

 

 その他の拠点がそれぞれで深海棲艦の棲地を慎重に調査している今、どこかがバランスを崩すような大きな動きをしてはならないのは、熊谷少将も龍驤も痛感しているところである。

 

 有り体に言わば、海軍の新体制が馴染むのを待っている状態なのだ。

 十年以上戦争を続けている異様とも呼べる現実が成す、息を殺すべき時間である。

 

「……被害無し、被害無し、どれも全部被害無しやん」

 

 龍驤は行動調書に記される丸みを帯びた文字を指でなぞる。

 

「行動調書における被害の定義を述べられるか?」

 

「おう、流石に馬鹿にしすぎやろ」

 

 反射的にそう返した龍驤だが、続けざまに言う。

 

「被害は被害、そのままの意味やんか。大湊警備府(ここ)の要地であれ、ただの浜辺であれ、深海棲艦の攻撃を受けた時点で被害に相当するやろ。曲解するなら、ウチらが戦闘したとして、弾薬、燃料、諸々が消費されたら損害として換算出来るかもしれへんな。まあ、そこはこの行動調書の消費の欄に書くことやから曲解っちゅうのも変な話やけども」

 

「では、消費の欄にはどう書かれているように見える?」

 

 まるで熊谷少将は龍驤に否定してもらいたいようだった。

 

「軽巡洋艦木曾、主砲中度破損。砲身の歪みにより砲撃困難となる」

 

「……続けてくれ」

 

 ああ、と龍驤は声に出してしまう。

 これは大本営に提出していない行動調書だと分かってしまった。

 

 同じ日付で、修正されたものを海原が見ていたのを龍驤も見ていたから、熊谷少将が遠回しに伝えたいことを理解した。

 

「駆逐艦雷、艤装軽度破損。航行可能、旋回に難あり。駆逐艦響、艤装軽度破損。同上、旋回に難あり。駆逐艦電、機銃軽度破損――全部、消費の欄に書かれとるな」

 

「木曾達の頬を張ったのは言い訳などするつもりはない。だが、その理由も理解してもらえたらと思う」

 

「熊谷少将が司令官で良かったんとちゃう?」

 

 龍驤は行動調書をめくりながら、消費欄に書かれた文字を読み続ける。

 

「こんなん前の体制やったら一発で解体処分や。下手したら不穏分子やー! 言うて他の司令官なら雷撃処分にしとるかもしれんで。憂さ晴らしにでもなるってな。言うこと聞く分、喜ぶボケもおるかもしらんけど……」

 

「……」

 

「でも、熊谷少将はそうせぇへんかった。それだけでここにおった時のきっつい戦闘もええ思い出やって言い切れるわ」

 

 理解の代わりに思い出として語る龍驤の言葉に、熊谷少将は小さく礼を言った。

 

「そう言ってもらえると、少しは心が救われるよ」

 

「ただ一つ」

 

 龍驤は読み終わった行動調書を差し出して熊谷少将の目を見た。

 

「再教育施設に行かせるしか手が無かったんかもしれんけど、悪手やったかもしれん。あそこで突きつけられる現実を、きっとこの子らは知っとる」

 

「否定は、出来んな」

 

 行動調書をキャビネットへおさめた熊谷少将は、執務机に戻って腰を下ろすと、龍驤と少し距離がある状態で話した。

 

「あそこは艦娘の意識を更生、改善する目的の施設だと私は考えているが、既にそれらを理解している艦娘に見せたところで確かに意味はないだろう」

 

「無駄な時間やと思われるだけやろな……人を守ろうと思っとるなら、やけど」

 

「木曾達は間違いなく、人に被害が及ぶことを良しとしていない。艦娘として深海棲艦を沈めることこそ本分であると弁えているつもりなのだ」

 

「自分は兵器やから、消耗品として戦っとるとでも言いたいんか」

 

「私が言ったことではない。寧ろ彼女らを軍人として扱っているからこそ、私は己の不甲斐なさを棚に上げて頬を張ったのだ。貴様らがいなくなったら誰が大湊水雷団としてこの地を守るのだとな」

 

「木曾達の処分を保留にして長引かせて、いざとなれば再教育施設……戦力が流れていくのが前提の警備府じゃなく、戦力を保有して無駄にしたがらん鎮守府に所属させられたら解体を避けられるかもしれへん、と……今までもそうしてきたんか」

 

「そうだ」

 

 熊谷少将のやり方に納得を示さない上級将校もいるだろう。

 それらをかいくぐる術は限られており、その中でも最善を選択した、とも言える彼の行動に、龍驤は残酷なことを突きつけねばならないのかと歯噛みした。

 

「今までの艦娘はそれで助かったんかいな」

 

「……」

 

「助かったんかって聞いてんねや」

 

「多くの艦娘は、別の鎮守府で、別の傷を増やしただけ、だった」

 

「どこも腐ったみかんの海軍で、逃がすもクソもないやろが」

 

「……ああ。龍驤の言う通りだ」

 

「まあ、言うてもウチかて簡単に方法を考えられるほど賢いわけちゃうから、熊谷少将を責められる立場でもないんやけどさ……そんでも、別の人からしたら、てい良く責任逃れしただけやって言われるかもしらんで」

 

「……」

 

「熊谷少将は艦娘に優しい人権派の軍人やけど、傷つくのを見てられへんからって自分の手元から艦娘をほっぽり出すような奴や! ただのビビりで責任逃れする卑怯者や! ……そんなんばっかり言う、世の中なんやで」

 

 口にせずとも分かっているであろうに、どうして敢えて口にしたのか。

 龍驤はこうして突きつけることで熊谷少将の考えの、さらに奥にあるものを見てみたかったのかもしれない。

 

 人は、いや、そこに人もなにも関係無いのかもしれないと龍驤は考えた。

 艦娘も含め、他人は当事者の立場になって考えられると言えど、それは虚偽、虚勢、言わば偽善。自分のことしか考えられないなど、当たり前のこと。

 しかし一方で龍驤にはここまでのやり取りで妙な自信があった。

 

 ただ所属し、ただ戦い、通り過ぎただけの大湊警備府で、いくつかの思い出があるからだ。

 誰も覚えていないかもしれない、龍驤にとっての小さな思い出。

 

「いくら熊谷少将に方法が残されてなかったとしても、他の人らは――」

 

「構わん」

 

「あ……?」

 

「私がどう言われようが、何を言われようが、一向に構わん。本土を守り抜き、彼女らが満足するのであれば私はそれでいい。消耗品だから沈んで良いなどという暴論よりもよっぽどマシだ」

 

「ほぉん……あ、そ」

 

 龍驤は頭の後ろで手を組み、上体を反らして伸びをした。

 

「ええやん、海原流や」

 

「う、海原流……? なんだそれは」

 

「ウチらが最優先、みたいな軟派者の考え方や」

 

「軟派者とは何だ、軟派者とは!」

 

 先ほどまでの空気はどこへやら。龍驤はニコニコとして言った。

 

「しっかり悪者演じたるから、命令違反はきっちり指摘してや。哨戒の時はその百倍くらい言い返して木曾達に同調したる。ま、手始めに嫌味の一つでもかましたるけどな」

 

「どっ同調など……哨戒で深海棲艦との戦闘になったら取り返しがつかなくなるかもしれんだろう……!」

 

「そこは信用してや。ウチはあの司令官のとこでアホほどきっつい訓練と哨戒しとんのやで」

 

「なに……? 海原閣下は、艦娘にそんなにつらい任務を――」

 

「にしし、残念やけど違うで」

 

 熊谷少将は眉を歪ませて訳を訊く。

 それから龍驤の口から飛び出た言葉に、思わず目を剥いた。

 

「絶対のない世界で、あの人は絶対を持っとるんや。ウチらがどんだけバケモンやっちゅうても、自分の艦娘やと言い張る絶対をな。そしたら、それに見合うくらいにバケモンじみた強さをもっとかなアカンやろ」

 

「龍驤、どうしてそんな後ろ向きな事を」

 

「後ろ向き? どこがやねんな」

 

「バケモノという所だ! 決してお前達はバケモノではないだろう」

 

 立派な軍人だ、と熊谷少将は言う。

 しかし龍驤は違った。

 

「バケモノや。艤装を展開した状態なら、熊谷少将はウチを一歩も動かされへんやろ。でもウチは指一本でどうとでもできる……木曾も、響もウチと一緒や」

 

「だが、しかしっ……」

 

「艤装を解いたら、どうやろな」

 

 言わんとすることを理解出来ず唸る熊谷少将に、今はここまで、と言って時計に目を向ける龍驤。

 

「うーん、木曾けえへんやんか」

 

「お、おぉ、確かに、そうだな……私が見に――」

 

 ごんごん、と重たいノックの音。

 丁度良いタイミングで執務室に到着したらしい木曾が入室してくると、龍驤の雰囲気が一変する。

 

「おー、さっきは案内ありがとうな、木曾」

 

「挨拶は済んだみたいだな。それで……編成の件だな?」

 

 木曾は熊谷少将に顔を向けるも、すぐに龍驤へ視線を引っ張られてしまうこととなる。

 

「大湊水雷団の旗艦、木曾の教育がなってへんっちゅうて文句言うてたところや。響ちゃんが熊谷少将にえらい噛みついてん。どっかのボケがウチと出撃したら連携取られへんとかビビり散らかしとるらしい」

 

「あぁ……?」

 

 熊谷少将は静かに「龍驤、言葉に気を付けろ」とだけ言うも、明らかにただ形だけの注意だった。

 大本営から来たとされる龍驤の振る舞いに木曾は不快さを露わにし、入り口からずかずかと龍驤の前まで来ると、じとりと見下して言う。

 

「大本営でどんな活躍をしたのかは知らんが、ここの旗艦はこの俺だ。俺の命令に従えないのなら戦闘には参加させない。貴様の不手際で被害を被るなどごめんだからな」

 

「はは、別に木曾の命令なんてここで聞く必要はないやろ。熊谷少将がどう言うかちゃうの?」

 

「貴様……」

 

「木曾、それに龍驤も、落ち着け」

 

「はーいはい」

 

「ちっ……!」

 

「木曾には悪いが、これは大本営の意向だ。一時的に大湊水雷団に組み込み、旗艦は木曾のまま運用する。哨戒ルートに随伴させるのに問題があると響から聞いているが、そうなのか?」

 

 熊谷少将の問いに木曾は不機嫌そうに頷いた。

 

「ああ、大アリだな。はぐれの少なかった去年か一昨年くらいなら連れまわしてやったろうが、今は毎日と言っていいくらいに戦闘がある。軽空母を守りながらの戦闘は戦力の増加かもしれないが、俺にとっちゃただの負担だ。特定海域は海流だって荒いんだぞ、実力も分からん空母のお守りなんざしてられん」

 

 煽られたことで逆上するよりも理性の働いた木曾は、どうすれば龍驤を連れまわさずに済むかを冷静に考えて、そう口にした。

 確かに木曾の言にも一理ある。実力を測るにしたって大湊警備府で演習をする時間など無く、発艦の一つでもさせてみようが、それを実力として見るには不安が残るだろう。ならば素直に負担であると言えばいい。

 そんな木曾の言葉には、龍驤を侮る感情が込められていた。

 

「不和や連携ではなく、負担、か。響にも言ったが、航空戦力として支援を主軸に運用したならば、どうだ」

 

「……戦闘海域でこいつを守る必要はないんだな」

 

「ああ、警備府から直掩機を出すにとどめよう」

 

「なら……それでいい。だがな龍驤」

 

 ギロリと木曾の目が龍驤へ向けられる。

 

「貴様の艦載機が無駄にならないようにしろ。大本営のお偉方に文句を言われるのだけは勘弁願いたい。資源だって限られているんだ」

 

「心配せんでもそう簡単に墜とされへんて、素人ちゃうんやから。君らよりも戦果あげたろやないの」

 

「っは、そりゃ期待しちまうな。話はそれだけかよ」

 

「以上だ。木曾、呼び立ててすまなかったな、戻ってよし」

 

「ああ、それじゃあな」

 

 そうして、響よりも乱暴に扉を閉めて出て行った木曾の足音が遠ざかると、熊谷少将は大きく溜息を吐いた。

 

「えらいあっさり引き下がったやん」

 

「今回は、な。龍驤がいなければもっと言い合いになっていた可能性の方が高い。煽るというのも相手の理性を利用する良い手立てかもしれん。私には向かんが」

 

「これ、毎回なん?」

 

「まぁ、言及は控えよう。厳しくしようが今のように接しようが一切変わらん」

 

「けったいな任務やで……」

 

「すまんが、言った通り哨戒の際には直掩機のみで支援を頼む。木曾達の様子はそれでも分かるのだろう?」

 

「分かるで。ほんまに危なくなったら、熊谷少将の指示でもって直接戦闘に参加させてもらう形でええんか。遠距離から全力で追っても微妙なとこやから、大湊警備府にべったりってわけにもいかんで?」

 

「ああ……大湊警備府に寄った海域から周囲の哨戒をしてもらえたら問題無い。願わくば、あいつらに安全な戦闘を教えてやってほしいものだが」

 

 戦闘に安全もなにも無いか、と自嘲する熊谷少将に、当たり前やんと言ってからからと笑う龍驤。

 

「でも拍子抜けやな。もう少し言い合いになるんかと思ったわ」

 

「ああして直接話せば、多少なりとも言う事は聞いてくれるのだ。不満があろうが、帰還命令を無視することもない。理性を失うのは戦場だけだ。帰還は帰還でも、先に言った通り――」

 

「工廠前で立ち往生、やな。工廠には司令官もおるし大丈夫やろ!」

 

「だといいがな……今日は持ち回りの任務もおおよそ終わっているから、休んでくれていいぞ。そうそう、龍驤の部屋なんだがな」

 

 前と同じだ、とだけ言って自分の額を撫で、引き出しを開く熊谷少将。

 そこに、妖精の姿は無かった。

 

「……やっぱり、か」

 

「妖精は?」

 

「消えたよ。暫くすれば戻るだろう」

 

「消える妖精に、自分を消耗品扱いする艦娘……下手すりゃ暴力沙汰、かぁ」

 

「どちらが先に手を出したかと問われると、微妙なとこだがな」

 

「熊谷少将を抜きにしても、工廠の人らかて止めようとしただけちゃうんか。それを手出しって言うたら酷やで」

 

「そうとも言える、というだけの話だ。そうしたら木曾達だって手を出したわけではあるまい」

 

「相手が怪我してへんかったらな。血が流れたんやったら、どう理屈つけたってアカン」

 

「……」

 

「ま、ここで話をこねくり回してもしゃあないから、明日になったらしっかり見とくわ! で、熊谷少将。大本営で聞いたんやけどさ、ここってコンビニ出来たってほんま?」

 

 急に俗な話を始める龍驤に、ああ、やはり彼女は変わったのだと前の面影を探しつつ、熊谷少将は立ち上がる。

 

「案内しよう。ここは普通のコンビニとは少し品揃えも違うのだ。主に任務に使う雑貨が多く置いてあってな」

 

「おもろそうやん。後で司令官にも教えたろ。お菓子とか食べるやろし買っといてあげよかな」

 

「……本当に甘えん坊になってしまって」

 

「あぁっ!? せやから違うて!!」

 

「海原閣下に後でしっかりとお礼を――」

 

「やめて! いやほんま! ほんまにやめてよ!?」

 

「昔の龍驤の話をするのも良いかもしれん。勇ましい話の一つでもすれば、きっと喜んでもらえるぞ」

 

「せんでええて! ほんまにせんといてよ!? したら怒るで! めっちゃ怒る!」

 

「ははは」

 

「ははは、やないて! なあ、ちょぉ、もう、熊谷少将!」

 

 二人の声は、かろうじて扉の外へ届いてはいなかった。

 そんな執務室の窓の向こうで、いくつかの光が、ちらりと動いた。

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