柱島泊地日記帳   作:まちた

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紹介③

 強く打ち付けてしまった腰に手を当て、熊谷少将は部屋を飛び交う無数の妖精に目を奪われた。自然と漏れ出す笑い声、戦場で感じたことの無かった鼓動の高鳴りに、かつて軍議にて一般人であると自白した男を見た。

 そう遠くない過去、まだ一年と経っていないのに彼は――海原鎮という軍人は――今や日本海軍で井之上元帥と肩を並べて戦場を支配せんとしている。

 

 この男を呼んで間違いはなかった、そう確信する光景だった。

 

 無数の妖精の中にいるいくらかは熊谷少将の周りを飛び、ひっくり返った格好のままでいるのを心配そうに見つめている。

 その他は無軌道かつ不規則な動きのようでいて、的確にキャビネットからファイルをいくつも取り出しては堂々と座した海原の前へ積み上げていく。

 熊谷少将は目を剥いた。言葉なくして妖精に指示を出しているのが明らかであったからだ。

 妖精達が海原の眼前に積み上げていくファイルは木曾達、大湊警備府における唯一の戦力たる水雷団の行動調書、その原本である。

 海原はゆっくりとした動作で一つを手に取り、開き、すらすらと読んでは、また別のファイルを開き、読むのを繰り返した。本当にゆったりとした動きなのに、熊谷少将があっけにとられながらもなんとか執務机に向かう間に既に多くを読み終えて、積み上げられた行動調書とは別けるよう机に置いている。

 

(速過ぎる……本当に全て読んで――いるの、だろうな……)

 

 一般人など嘘八百だ! と叫びたくなってしまう。

 しかし唖然とした熊谷少将の胸中とは裏腹に、海原は狼狽していた。

 

(あー! やめて! そんなに持ってこないで! ナニコレ艦これ!? 全部読めってこと!? これ読むの? おい答えろォッ! 誰でもいいからァッ!)

 

 妖精は海原の胸中を見透かして口を揃えて言う。

 

『あたりまえでしょ! まじめにして!』

 

「ふむ……」

 

 一息吐き出し、海原は妖精へ声を掛けた。

 

「これで全部か?」

 

 すると妖精の動きがぴたりと止まり、海原の前にざっと整列した。

 

『さいていでも、これはぜんぶみておいてね!』

『じゅーよーじこーです!』

『こんぺいとうもってる?』

『りゅーじょーさんがいるからだいじょうぶだけどね!』

『うごかないのはだめだからね』

『きいてんのまもる? ねえ?』

 

「んんっ……承知した。しばし待て」

 

 それから静寂。行動調書の頁を捲る音が執務室を満たし、その間妖精達は身じろぎの一つさえせず、じっと海原を見つめていた。

 これが、これこそが、この戦争という名の災禍の中心に現れ、日本海軍の闇を踏みつぶし、艦娘と共に大海原で戦う軍人の姿かと、熊谷少将は喉を鳴らす。

 

 非現実を非現実のままに、現実を現実のままに扱い、多くの軍人が狂気の満ちた戦争に理性を以て立ち向かっている。ただ一人、この狂気じみた男を除いて。

 

 ――と、熊谷少将が畏敬の念を抱いていることなど露知らず。

 海原はいつも通り、相も変わらず、ただ艦娘が好きだから、艦娘を愛しているから、どれだけ理不尽で嫌な仕事であろうがやるしかないと心で泣いていた。

 逃げ出したいのに逃げ出せない。妖精達が総出で監視している状態だ。

 ましてや柱島泊地に所属する軽巡洋艦木曾と同じ顔、同じ声でも全く違う存在である木曾であれ放っておくという選択肢が頭に浮かびすらしない。

 

 仕事が嫌で心の内で文句を垂れているだけの真面目な国畜なのだ。

 

(はー……読んで分かったら苦労しないってこんなの……行動調書ってこれ、柱島泊地でいつもあげてもらってる報告書とは違うやつっぽいし……もしかして大湊警備府だから行動調書って名前なだけで、実は同じ報告書の扱いなのか?)

 

 一枚、二枚と頁を捲り、ふと別のファイルを手に取って、見比べる海原。

 

(海原元帥は調書と報告書に何を見出だしておられるのだ……?)

 

 見出だしてはいない。海原はただ見比べているだけである。

 また別のファイルを取り出して開いた時、ぴたりと動きを止めた海原に、熊谷少将は身構えた。

 

(見つけたか……消費欄に書かれている点に言及されるのだろうな。言われて気づく龍驤も賢しいものだが、海原元帥には及ばんか……)

 

 しかし海原が考えているのは――絶望であった。

 

(うわ、これ行動調書じゃない……柱島泊地でも見た正式なひな形の報告書じゃんか……ってことは? 行動調書は別に必要だった、ってコト……!? あーッ! どうしよう! これまずいよな!? 随分前から、どころか柱島泊地に来てから一枚も書いた記憶ないよこんなのォッ! どどどどうしよう流石に井之上さんに言ったら怒られるじゃ済まないよな……だって一年くらい記録が無かったことになるもんな!? た、忠野に言って適当に作ってもら――っちゃあだめだよなぁ! 井之上さんに言い訳を用意するのに忠野を使うって、ダメだよまもるぅ……社畜でもやっていいことと悪いことくらいの区別しなきゃさぁ……! でも、これだけは分かる……マジでヤバイってことが)

 

 海原は大きな勘違いをしているのだが、その勘違いがさらなる勘違いを呼び、勘違いを勘違いと思わずそのままに扱って熊谷少将に問う。

 するとどうなるか? もちろん、彼らの間では会話が成立しようとも、現実は歪となってしまう。

 

「熊谷……」

 

 絶望の淵に立つ海原は熊谷少将を低い声で呼び捨てる。

 濃紺の軍服もあって、彼の威圧たるや、歴戦の猛者である熊谷少将が立ち上がる勢いで椅子を倒してしまうほど。

 

(じ、自分が見落としていたものがあったか……ッ!? いいや落ち着け、今、私がせねばならん事を忘れるな。海原元帥も言っていたではないか。私達軍人と、木曾達は極度のコミュニケーション不足であったと……いくら私が見落としていなかったとて、それは軍人たる私の視点での話だ。海原元帥には全く違うものが見えていたっておかしくない……)

 

「は、はっ!」

 

 敬礼してしまいそうな勢いと声量で返事する熊谷少将の鼓膜が、海原の重低音に揺れる。

 

「この、行動調書はなんだ?」

 

「と、申しますと……!」

 

「分からんか? そのままの意味で問うているのだ。これは、なんだと」

 

「っ……」

 

 ぱさ、と行動調書を振って示す海原に、熊谷少将は目に見えぬ巨大な手で全身を圧し潰される錯覚を覚えた。答える答えないの前に、呼吸すらままならない。

 

「そ、それ、それは……哨戒の、記録で、あります……」

 

 そんな事を聞きたいわけじゃないと分かっている熊谷少将。

 俺はそんな事すら出来ていなかったのかとさらに絶望する海原。

 

(消費欄への言及を恐れるなど、我ながら愚かな……海原元帥からすれば、行動調書そのものに違和感を抱いてもおかしくなかったのだ。考えずとも分かっただろうに……!)

 

 熊谷少将は奥歯を噛みしめながら、戦場でさえ震える事の無かった膝が笑っているのに気づき、力を込め何とか立ち続ける。

 

 まず、一つ。

 調書とは本来、文字通り《取り調べたものをまとめたもの》である。ならば哨戒についての行動調書とは、誰かが取り調べてまとめたもの、となる。保有艦隊が大湊水雷団と名のある木曾達四名しかいないため必然として木曾達の報告書と聴取を合わせたものが行動調書となるのだが……ここに、大きな勘違いがあった。

 

 大湊警備府は決して人員不足ではない。

 工廠班の他、沿岸警備のための軍人も多く在籍している。

 

 しかし、艦娘はたったの四名であり、彼女らは任務で海に出る以外まともな会話をしていないという事実。とすると――行動調書は、どうやって書かれたのだろうか。

 軍規違反でもなければ、取り調べる形式として明確な基準もないために誰もが気づかないでいる歪なもの。海原からすれば、これもまたブラックだと言い出しかねない常態化した勤務実態である。それは彼女ら自身が記したものだ。

 海原とて、気づかないだけで柱島泊地の艦娘に任せていること。

 艦娘全員が自身の行動を謹厳実直に記しているだけ。

 

 故に勘違い。

 

 木曾達からあげられた報告書をもとに熊谷少将が世間話でも交えて聴取し、行動調書を記していれば、龍驤が行動調書を見て溜息を吐くことも無かっただろうし、木曾が自らを消耗品のように扱っているのも、熊谷少将が聴取の時点で咎められたかもしれない。木曾から受け取った哨戒記録とて改竄して大本営に送らずに済んだかもしれない。

 

 いくつものたらればを押し退けて現実は絶望を突きつける。

 自業自得なのだが、誰一人として悪意を持っていないが故に、切なく悲しいものでもある。

 

 緊張と恐怖で背中を汗で濡らす熊谷少将に、海原はさらに言った。

 

「これが哨戒の記録だと?」

 

 問い質しているわけではない。海原は「間違いないね?」と再確認しているだけである。

 

「しゅ、習慣化、しており、じ、じじ自分も、是正せねばならんと、思っているところでありまして……」

 

 この場面における正しいベクトルは、行動調書は本来、木曾達と熊谷少将で書き上げねばならないものだと海原が叱責し、熊谷少将は習慣を改め、軍規になくとも慣習に従い馬鹿正直に時間をかけてでも軍務をこなすといったものだ。

 

 しかし実際は、行動調書を柱島泊地で書いた記憶がない海原が内心大慌てで熊谷少将に縋っており、縋られた本人は習慣化して木曾達に書かせていたが故に本人にはどうしようもないくらいに深く大きな溝となったのだろうがと責められている、という勘違いのシンフォニー。

 海原は消耗品として木曾が自分の損傷を別の欄に書いているなど、目にしようが関係ないのだ。それはどうしてか? 社畜であり、今や国畜と自分を認識する彼がそれに違和感を覚えるだろうか? そう、これが答えである。

 この場にはそれを指摘できる人物などおらず、蚊帳の内と外にまたがって存在する妖精だけが真実を知っているが、残念ながら、伝える術がない。

 

 海原に違うよと声を掛けても、きっと勘違いは解消されない。

 熊谷少将はどうか? そもそも声が聞こえない。

 

 勘違いを解消するには、どちらにも声を届けねばならない。だが、届けられない。

 で、あるならば、どうなるか――。

 当然、勘違いしたままに現実は進んでいく。

 

「習慣化しているのか……なるほどな。で、是正すべきでもあると」

 

 鸚鵡返しの海原の声。

 

「ぅ、ぐ……そのぉ……!」

 

「もし、これを書いていなかったならばどうなる」

 

 海原の言葉の意味は変わらず。

 認識する立場が違う熊谷少将も、変わらずに言葉を返す。

 

「人の手を煩わせるような事態に陥ることは、ない、です……」

 

「そうか。で、書いたら問題はないのか?」

 

 遅れても大丈夫? そんなニュアンスが込められた声。

 熊谷少将は生きた心地がしないまま、震える手で軍帽を脱いで机に置いた。

 離れた位置にいる海原から発せられる絶望の気配に、不動のままでは堪えられなかったのだ。どうにか呼吸するために水中で藻掻くが如き行動は、往々にして自助にならぬなど節理であるのも分かっていながら。

 

 書いたら問題はないのか? という言葉がこれほどに鋭利な刃物となることは、過去、未来、どちらにもなかっただろう。

 熊谷少将からすれば書かなければ問題にならなかったかもしれないという希望的観測を述べたのも墓穴、海原の言葉を否定するのも墓穴。

 前門の虎後門の狼とはよく言ったものだが、海原を前にしてはどちらも死に直結する地獄への大穴。

 

 かつて熊谷少将は深海棲艦そのものを前にして住民を背に無力にも立ち向かった経歴がある。深海棲艦が世に出現して日本沿岸を襲った際に、軽空母級の深海棲艦から放たれた艦載機が落とした爆弾で倒壊した建物から飛来した瓦礫で、顔に大きな傷を負ったのだ。

 あれに比べれば恐怖に値するものなどこの世に無しとまで言わしめる記憶が、今、海原鎮という存在によって塗り替えられた。

 

 海原が強面なわけではない。ただ、彼という存在を構成する一つ一つが奇跡的な組み合わせで想像を絶する威圧感を生み出している。

 血色がよくなっても消えぬ目元の隈は、寝不足なだけ。それが軍帽のつばが落とす影によって強調され、白目に縁取られた深海を彷彿とさせる黒い瞳が見る者を射抜く。口数が少なくない彼から発せられる言葉と現実の乖離は、深淵を掌握していると思わせるに十分なものだった。

 

 もちろんただの勘違いである。

 

 一般の社会人であった海原から見た艦娘の対応を除けば、熊谷少将は、井之上元帥や忠野中将、橘中将に並ぶ模範たる軍人である。彼が行動調書が必要と言えば、ああ、そういうルールなんだと疑いなく受け入れられるくらいに海原は彼を信用している。

 なにせ自分の正体を知ってなお大湊警備府に呼ぶような、度量もあり、素直に助けを求められる寛容な男だ。海原は言葉無くとも彼を尊敬し、尊重している。

 恐怖し、畏れられていることなど知らぬまま。

 

「……申し訳ありません」

 

「どこに謝るところがある」

 

「っ……」

 

 何度も言うが、決して、海原は熊谷少将を責めているわけではない。

 本当に不思議に思っているところである。

 

 行動調書は無ければ困るもの。なら遅れたらどうなる? という質問に対して謝罪をされたら、誰だってこうなるだろう。

 絶望の淵に唯一見た光である立場のある軍人、熊谷少将に助けを求めているだけなのだ。

 

 ともすれば、こうした新たな勘違いが生まれる。

 

(やっぱ自分でなんとかしなきゃだめかぁ。はぁ、これクビとかになったらどうすんだよ……龍驤に助けてもらうか? 大淀に日付を偽って書かせ……たくないしなぁぁぁ! あーあー! 八方塞がりってこういうことなのかなー! 帰りてぇなぁー! ……でもまあ、熊谷少将の手前、嘘吐くわけにはいかんか)

 

「言われるうちが花、か」

 

 その呟きに、はっとして海原を見る熊谷少将の瞳が熱を帯びる。

 

「海原、元帥……?」

 

(あなたは、私も艦娘も見捨てるようなことは、しないと……? 龍驤ならば所属していた艦娘であるから黙っているだろうと勝手に思い込んでいたが、海原元帥が黙っている道理など、どこにもないはず……私は艦娘のためだと言い張って、保身をしていたに過ぎないというのに……どうして、そう、叱ってくださるのですか……)

 

 しかし海原の胸中は全く違うことを考えていたりする。

 

(調書、調書なぁ……はー……大淀にも助けてもらおう。それで、謝る時は一人で井之上さんのとこに行って……帰りに大本営に報告をあげに戻るし、その時にでも打ち明けるしかないな……ゲロ吐きそうだ……)

 

 軍帽のつばから覗く諦めの瞳が、熊谷少将には、まるで子どもを窘める大人のように見えた。自分よりも随分と年下であるのに、父親に叱られた遠い昔を思い出すくらいに懐かしく優しい感情が湧き上がる。

 海原鎮という男は、どこまでも遠い雲の上の存在だ、と。

 

 因みに、海原は別に怒られるような要因など無かったりする。

 柱島泊地と大湊警備府の大きな違いは、艦娘の所属人数である。

 

 報告書も行動調書も目を通している海原だが、後から目を通すのは大淀なのだ。

 助けを求める以前に、行動調書は既にきっちりと処理されているのである。

 海原が過日の報告書に目を通している間にも、大淀は柱島泊地のあちらこちらへ足を運んで仕事をこなしている。工廠に行っては開発状況を聞き、遠征や演習から帰還して修理、入渠する艦娘達から報告書を受け取り、その時点で聴取してまとめている。最終的な仕事量は圧倒的に海原の方が多いが、連合艦隊旗艦たる大淀の仕事量もまた多いのだ。

 

 要するに、海原の杞憂である。

 

「誰にでも間違いはある。同じ轍を踏むこともあろう……が、重要なのは、仕事を投げ出さないことだ。そうだろう?」

 

「は、ぃ……はいっ……!」

 

「では、そのようにしようではないか。っと……すまんな、個人的な話をして」

 

「いえ……ありがとう、ございます……海原元帥……!」

 

「うん? なんだいきなり、私に礼など。おかしなやつだ」

 

 熊谷少将からしたら、海原に叱咤激励を受けたものとの認識。

 海原からしたら、個人的な話で仕事を放りだしかけているのにお礼を言われてしまった認識。

 

 噛み合わないが、噛み合っている。歯車とは得てして、巨大なもの同士であれば多少のズレが生じようとも問題無く回るものである。

 それに気付けるのは、果てしなく遠くから見ている誰かだけで、それが彼らや、彼女らに作用することなどない。なんとも、もどかしい。

 

「さて、熊谷少将。木曾達が哨戒に出るまで、あとどれくらい時間がある?」

 

 空気が切り替わったと同時に熊谷少将は軍帽を取り上げてしっかりと被り、壁に掛けられた時計をちらりと見て言った。

 

「はっ! もう準備のために木曾達は工廠へ足を運んでいるでしょう。海原元帥、着替えられた手前ですが、艦娘の様子を見に行かれますか?」

 

「……問題の本質は既に掴んでいるから隠す必要も無いが、哨戒前に木曾達を混乱させる必要もあるまい。そのまま任務に出発させてもいいだろう。龍驤と連絡を取っても構わんか?」

 

「私の許可など……海原元帥のご随意に」

 

 海原は軍服のポケットから携帯電話を取り出して操作し、暫くして声を上げる。

 

「龍驤、今いいか?」

 

《おお、司令官! っとと……》

 

 電話に出た龍驤は、すぐさま声を潜めた。

 

《今、工廠におんねんけど……皆が君の話しとる!》

 

「ああ、そうか」

 

《そうか、て……君なぁ……! 木曾の腕掴んだから言うて熊谷少将に呼び出されて説教されてるっちゅう話で持ち切りやけど、これが君の目論見やったんやな!》

 

「……うん?」

 

 工廠で何が起こっているかなど知る由も無い海原は、携帯電話を耳に当てた格好のまま熊谷少将に顔を向けた。

 

「熊谷少将、私を呼び出して説教しているという話題で工廠が持ち切りだそうだ」

 

(どうしてくれんだァッ! 新人なのにィッ!)

 

 当てつけがましく言うも、完全に自業自得である。

 さらに熊谷少将は龍驤と同じような勘違いをしながら、ニッコリを笑みを浮かべてしまう。

 その笑顔が海原の胸に突き刺さり、結果として、現実逃避させるのだった。

 

「少しは役に立てたでしょうか」

 

「う、むぅ……」

 

(嫌味か! く、熊谷少将、お、お前、ちょぉっと顔に傷があってもイケメンだからって調子に乗りやがって……木曾の哨戒を助けてやるのはうちのりゅーちゃんやぞ! 頭下げんかいコラァッ!)

 

 と、明後日の方向に八つ当たりする海原。妖精達からは大ブーイングである。

 

『まじめにしごとしないからだー』

『そうだそうだー』

『ぶーぶー』

『はたらけまもる!』

 

(うっせぇ! もう働いてるわ!)

 

 海原は咳払いした後に、龍驤へ詳しい状況を尋ねる。

 

「バレない程度に話してくれたらいいが、どのように言われているんだ」

 

《ちょ、ちょい待ってや――よっ、と》

 

 がさ、ごそごそ、がさり、と移動している物音が数秒。

 それから龍驤が改めて話した。

 

《杉村っちゅう班長さんが木曾の様子を気にしとるんや。手首痛くないかー言うて! ほんなら、木曾も、関係ないやろって言うてる癖に、久しぶりに話したんが気になるみたいでソワソワしとるわ! ははっ、前進ちゃうのこれ!》

 

「ふむ、話しているのか。ならば後は任せても良さそう、だが……」

 

 もう自分いらないんじゃん! と言いたいところをぐっと堪え、海原はしっかりと警戒して物を言う。

 こうして用心するところは社会人として見習うべき、そして然るべき行動なのだが、ちぐはぐな勘違いと無駄な行動力が場をかき乱す。

 

 話しているのか、という言葉に浮足立つ熊谷少将に、海原は顔を向けた。

 

「哨戒から戻るまでが任務だ。それ以降の様子も見ねばならんだろう?」

 

 そこに本来の仕事がある、と海原は言いたいのだが、一言であろうが言葉を交わしてくれたと見て取れる様子を目にした熊谷少将はどこまでも安心し、強気になった。

 ここに我らが海原元帥がいるのだ、何を心配することがある、と。

 

「自分に出来ることならば何だってやります。海原元帥のご命令であれば、私は――!」

 

「大袈裟な奴だ。私は熊谷少将の手伝いであることを失念するな。大湊警備府の問題は海軍の問題でもあるが、ここの責任者はお前なのだからな」

 

「はっ、全力で」

 

「全力で、か――ならば、その全力をしっかり見せてもらおう」

 

 そして、すまん、と一言置いて海原は龍驤へ言った。

 

「哨戒に際しての戦闘が多いのだったな?」

 

《お、おん、そやな。対馬暖流に乗って津軽海峡まで流れるはぐれがおるから……》

 

「……ふむ?」

 

 ぼんやりとしか意味を捉えられない海原の空返事に、龍驤は不安げな声をあげる。

 

《戦闘記録やと問題無さそうやけども……木曾達、平気よな?》

 

「そのために龍驤を呼んだのだ。見ているだけでも構わんだろう」

 

 この一言が、引き金となる。

 

《あー、やっぱそう、やんなぁ……相当な荒治療やで、こんなん……》

 

「荒治療など。ただの哨戒だろう?」

 

《それは柱島泊地やったらの話や! ったく、厳しいんか優しいんか分からん人やわ……熊谷少将、そこにおるんやろ?》

 

「う、うむ……代わるか?」

 

《ちょい代わって》

 

 携帯電話を熊谷少将に差し出すと、彼は受け取って怪訝な表情で耳に当てる。

 

「熊谷だ」

 

《ちょっくら話は聞いたけど、ウチはあの人の艦娘や、熊谷少将に頭下げて頼まれても、悪いけど蹴らしてもらうで。今回の哨戒に関しては、今の大湊水雷団がどんな戦い方するんかだけ見させてもらうわ。ウチが助けるんは――沈むギリギリ手前や》

 

「……試されているのだろうか、私は」

 

 呟く声は海原に届かず。

 

《口軽い女やって思われるかもしらんけど……山元大佐や清水中佐の一件は知っとるやろ。あれは全部、司令官の手腕があっての作戦やった。たかだか哨戒っちゅうてもこれは司令官が手出し無用やと明言しとる……っちゅうこたぁ、意味も分かるやろ》

 

「そうだな……海原元帥を大湊へ呼び出せただけで大金星だったのだ。ここまでお膳立てされて、手伝ってくださいなどとは口が裂けても言えん」

 

 小さな声で交わされる会話は勘違いが解消される糸口になりえるものだったが――残念ながら、海原はそれを聞いていなかった。

 正確には耳にしようが考えられなかったというべきだろう。

 

 妖精達に群がられ、金平糖を要求されていたのだ。

 困った表情をしながらもポケットから紙に包まれた金平糖を取り出し、ひとつひとつ妖精に手渡している様子が熊谷少将の目に映る。

 

(はは、私の弱気な言葉を聞いてなお、信頼してくださるか)

 

 ただ話を聞いていないだけとは映らない。この優しい歪さ。

 

「予定通り、警備府からの支援のていで頼む。それと木曾達の様子を逐一報告してもらえるか」

 

《……ん、分かった。熊谷少将、不安かもしれんけど頑張りや。そこには司令官がおるし、木曾らにはウチがついとる》

 

「……ああ。泣きつくことがないよう、やってみる」

 

《司令官の前じゃ、流石の熊谷少将も形無しやなあ》

 

 龍驤の笑い声に、熊谷少将も苦笑した。

 

「まったく、まるで子ども扱いだよ。では、代わるぞ」

 

 携帯電話を返されてようやく妖精の呪縛、ならぬ金平糖催促の行列から解放された海原。

 

「話はまとまったか?」

 

《おう。熊谷少将も頑張るらしいから、あんまいじめたらアカンで》

 

「い、いじめたりはしないが」

 

《ほーん……ま、厳しいのは変わらんやろから何も言わんといたるわ。ただし! 少しでええから手伝ってあげてや! ほんま少しでもええから!》

 

「……うむ」

 

 仕事が出来ぬなら手伝いくらいしろ、と言われたと思い込む海原。

 ここまで厳しさを強いるのだから手伝いくらいしろ、と言った龍驤に、電話から漏れ出る大声を聞いて、助けられてばかりだと溜息を吐く熊谷少将。

 

 もう滅茶苦茶である。

 

《お、そろそろ時間や。見送ってくるわ》

 

「分かった。ではまた後で」

 

《あいよ! 定時連絡の時にな!》

 

 携帯電話をしまいこんだ海原は、目の前に積まれた書類から一枚、適当に抜き取った。

 ただ本当に抜き取り、その書面に書かれたことを口にしただけである。

 

「……重巡リ級、か」

 

「海原元帥、それはいつの――」

 

 熊谷少将が問えば、海原は書類をぴらぴらと振って言う。

 

「随分と昔の記録だ。特殊個体ではないが、人型の深海棲艦は非常に強力だろう? それと戦闘して勝利したのだから、大したものだ」

 

 海原が思い浮かんだことをそのままに伝えれば、熊谷少将は眉根にしわを寄せた。

 

(過去に出現したはぐれ深海棲艦など、軽巡級か、駆逐級ばかりなのに、どうしてこのタイミングで敢えて重巡級が出現した記録を読み上げた――?)

 

 そうして、事態は進展する。

 

 

 

 

 

 

 

「艦娘がいれば、大丈夫だ」

 

 海原の重厚感ある声に、熊谷少将は胸騒ぎを覚えた。

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