柱島泊地日記帳   作:まちた

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木曾 【艦娘side】

「くぅっ……()よりも酷いじゃねえか……こんなの、見た事ねぇっ……!」

 

「木曾さん! 前方、駆逐級が一隻来ます!」

 

 津軽海峡へ向けて航路を進む大湊水雷団は、たったの四隻。

 大荒れの海の中をひたすらに前進し、波にもまれながら雷の声で反射的に十四センチ単装砲を構えて、砲撃する。

 がおん、という音が波間に消えた数秒後にはさらに大きな爆発音がして、赤黒い空間の向こうに煙が噴き上がった。

 

「み、見えてたのかい……?」

 

 水飛沫を防ぐように片腕で顔を隠したままに砲撃したというのに、木曾の放った砲弾は駆逐級深海棲艦を撃沈に至らしめた。その光景をすぐ後方から見ていた響の愕然とした声が茫々たる赤色の海でノイズ交じりに届いた。

 ただ声を上げるだけでは会話すらままならない。通信で繋がることで意思の疎通がギリギリ可能な状態である。しかしながら外部への通信はおろか、救難信号すら出せず。

 先刻、龍驤の通信を最後に意思ある声と会話を構築できるのは、今しがた海を進む大湊水雷団のみである。

 

「勘だ、勘! 何が四隻だ……四隻以上いるじゃねえかよッ」

 

 クソッタレが。声を荒げようとも、悪態を投げつけたい相手には届かず。

 ただ目標を定められたならばそれを撃滅せねばならないと、木曾は言う。

 

「俺達はどうあがいたって海軍の軍艦なんだ。文句の一つくらい言ってやりてえが、これが大湊警備府の意向なら従うしかねえ。だから、絶対に沈めるぞ」

 

 言うや否や、さらに海中からずるりと姿を現す深海棲艦に電が叫んだ。

 

「左舷に敵艦見ゆ、なのですっ! 先ほどと同じ駆逐級……ハ級なのです!」

 

「龍驤が見つけた本隊から出張ってきやがっ――」

 

「二、三……違う! 木曾さん、こいつらは本隊から先遣してきた奴らじゃない! 五隻もいる!」

 

「あぁっ!?」

 

 舌打ちする暇すら無く、木曾が右腕を振って響に合図する。

 単縦陣から複縦陣となり、互いの位置をずらして射線を格子状になるようにすると、木曾が号令をかけた。

 

「合わせろっ! 砲撃用意!」

 

「なのですっ」

「了解よ!」

「わかった!」

 

 五隻のうち一隻でも確実に、いや三隻は落とすべきか。

 無駄に砲雷撃戦を繰り返せば本隊に到達する前に倒れてしまいかねない。せめて本隊に到達するまでは燃料も弾薬も温存し撃滅できずとも撃退までは持っていかねばならないと木曾は呻いた。

 

「正面に捉えろ! 艦隊旋回!」

 

 津軽海峡から太平洋側へと流れる潮は速く、意識せねばあっという間に距離がひらいてしまう。ならば相手側がこちらに近づいてくるように位置取りすれば――戦闘経験による即席の戦略は確実に相手を撃沈させるには最適解であったと言えよう。

 

「撃てェッ!」

 

 弾薬を温存すべきだとしても、本隊から先遣してきた敵ではないなら戦力を少しでも減らすべきである。何故ならば本隊として龍驤が通信で報告してきたのはたったの四隻。駆逐級三隻と重巡級一隻の構成のはずなのだ。もちろんそれを鵜呑みにするならば、だが。

 深海棲艦は無限に湧き出る――それは大湊警備府に向かおうとする戦力を道中で落とさねばそれだけの被害に繋がる可能性があるということ。

 

 艦娘がおらずとも大湊警備府には深海棲艦に対応出来る方策がある。正面きって戦えないにしろ、沿岸部、もとい陸奥湾周辺に被害が出ないように人の手によってつくられた兵器がゴロゴロと転がっているはずだ。物的被害があっても死人は出るまい。

 であれば木曾達、大湊水雷団に求められるのは物的被害を抑えることにある。本隊と衝突する前に脅威を排除し、最終的には本隊と――。

 

「木曾さん、も、もっと弾幕を! これじゃあ足りない!」

 

 響の大声にはっとして意識を持ち直し、木曾は十四センチ単装砲のみならず、二十五ミリ単装機銃を唸らせた。とにかく相手を落とせ、戦意のままに、と。

 

「邪魔だぁぁぁああッ!」

 

 耳に痛みが生じるほどの炸裂音が連続する。

 電と雷は敵艦を近づけようともその手は届かせまいとして残り少ない魚雷を放った。

 

「二隻撃沈を確認よ! 響、こっちも砲撃を――!」

 

「わかってる……よっ!」

 

 刻一刻と変化する戦場。大湊警備府における哨戒に激しい戦闘はつきものだ、そんな木曾の常識や日常ともとれるものが塗り替えられていく。

 明らかに作戦めいた艦隊行動――これは自分達を足止めする罠だ。

 

 第六駆逐隊が同等の三隻を撃沈に至らしめるすぐ横で、木曾は奮戦し辛くも二隻を撃沈する。だが、弾薬、燃料ともに消費は想定を上回った。

 

「感知は!」

 

「な、無しよ! もう、大丈夫……先へ行きましょう!」

 

 雷が周囲を見渡しながら木曾に言えば、大湊水雷団の航行速度がさらに増す。

 出来るだけ早く到着して本隊を、全員の頭で何度も何度も繰り返される思考。

 

「ああ。この消費じゃ……こりゃもたねえかもな」

 

 木曾の呟きは通信を通して第六駆逐隊にも伝わっていたが、それに対する声は上がらなかった。ただ全員が、同じように考え、そうだろうなと、未来を予感していた。

 

 

 

* * *

 

 

 

 津軽海峡の中央部に到達する頃には、短距離であるのにもかかわらず通信に酷いノイズが雑じり会話すら困難な状況になっていた。

 意思の疎通は互いの喉が裂けんばかりの大声という手立てしかなく、荒波に負けじと怒鳴り合う。

 

「電! どうだ! ここが結界の最深部だろ!?」

 

「わ、分からないのですっ! 感知どころか、電探が機能しないのですっ!」

 

「私もよ! このままじゃあどこから来るか……」

 

 互いの声が届く範囲まで、と無意識のうちに近づいてしまった電と雷に、離れた事によって不安が生じた様子の響も同じように近づこうと動いたところで木曾が憤怒する。

 

「近づきすぎるなッ! 俺達の行動範囲が狭まればそれだけ攻撃の的になっちまうことくらい分かるだろ!」

 

「でも――」

 

 響が言わんとすることは分かる。木曾も同じだった。

 ただ、不安なだけ。結界に呑まれた経験があれど木曾と第六駆逐隊では理解度が違う。周囲の景色が一変して波が荒れる。不穏な空気は潮風を消し去り、通信が妨害されているように繋がりにくくなる。その程度の認識である。

 その昔、大湊警備府に着任して間もない木曾が大破に追い込まれた戦闘も似たような結界に呑まれた時の事だった。あの時の彼女の判断は極めて危険だったが、死に歩むような先刻の戦闘と同様、最適解であったと今ならば言えるだろう。彼女は、第六駆逐隊を逃がしたのである。少なからず情報を持ち帰らせるため、そして無為に戦力を減らさないために。木曾があの時出現した重巡洋艦を倒せなければ、第六駆逐隊が持ち帰った情報は必ず役に立つと考えたのだ。

 敵深海棲艦を撃沈出来れば大湊水雷団の戦果となる。どちらに転んでも海軍にとって良い結果と言えよう。

 

 海軍にとって。それは海軍にだけ、である。

 

 第六駆逐隊はそれを是としなかった。木曾の命令に背き、彼女と共に戦うのだと海域に残り周囲に湧き出す深海棲艦と戦闘した。結果は言わずもがな、ここに木曾と第六駆逐隊がいるという事は、勝利した上で情報を持ち帰ることが出来たということである。彼女らは木曾を中心に奮闘したが、結界の中心地と外周では艦娘に及ぶ影響の強さは段違いだ。一口に結界と言えど、内と外の情報を得られたということだ。

 では、その情報はどうなったか。

 大湊警備府に戦闘詳報として、行動調書として残り、大本営に集積された。

 きちんとした経路で全拠点に共有される深海棲艦の情報の()()として残った。

 

 しかし、軍艦としての責務を果たせれど彼女らにそれ以上のものは残らなかった。

 

 響の行動を見るに、雷や電の表情を見るに、それらが活かされたかと問われたら、否と答えるしかない様相が戦場にあった。

 互いが情報を情報としてしか共有出来ていないのである。もちろん戦争における情報の比重からして間違った行動は何一つとして存在しない。ではどうして、彼女らは不安に駆られ足踏みしているのか。

 

 じじ、と通信に今までと違うノイズが雑じる。

 

《ジ、ジ……――支援艦隊の現在位置は! もっと早く合流できんのか!》

 

 木曾達に聞こえて来たのは、熊谷少将の声だった。

 通信が繋がったのだと応答を願う響の声が、海域に広がる。

 

「っ! マルヒト! マルヒト! こちら響! 応答を!」

 

 聞こえてくる熊谷少将の声に、つい昨日聞いたばかりの男の声。

 

《落ち着け熊谷少将。心配も分かるが、大湊水雷団の練度は平均して高いものだ。慌てることもなかろう》

 

《わかっております……それでもっ……!》

 

《龍驤からの報告でも心配はないとのことだ。万が一があれば彼女も向かわせる》

 

 それは海原と名乗った工員の声である。木曾はぽかんとして両腕をおろし、片耳に指を当てて俯いた。どういうことだ? と考える彼女の視界に、傘を広げたような不格好なアンテナを構える妖精が映る。

 

「こ、れ……お前が、傍受してんのか……でも、どうしてこっちの声が、聞こえねえんだ……」

 

 妖精はアンテナを構えたまま首を横に振ったり、片手をぶんぶんと振り回してみたりと意思疎通を図っているようだが、木曾には伝わらず。

 結界の影響なのか、と問えば、妖精は頷いた。

 

「そうか……熊谷少将は海原と何を話してんだ。それに、向かわせる、だとか……」

 

 当然の疑問に答えられる者がいるはずもない。電が木曾に同調した。

 

「電達が抜錨する前に、木曾さんの腕を掴んだからって呼び出されていたはずなのです」

 

「そりゃあ分かってるけど、おかしいだろ! 哨戒による戦闘中なんだぞ、新人工員の説教なんざ後回しにするに決まって――」

 

「木曾さん! 新手だ!」

 

 またも響の声。今度は反射などではなく意識的に、そして正確に響が示した方向を見て単装砲を構えた。ざぁ、と波間から湧き出る深海棲艦――それもまた、駆逐ハ級。今日だけで八隻は沈めたのにまだ湧きやがるのかと唾を吐く木曾の砲撃は、二発の挟叉を伴い、三発目で撃沈に至る。精度が落ちてきている。連戦による疲労だった。

 

「ちッ……複縦陣じゃ対応しきれねえ! 広がれ! 単横陣をとれッ!」

 

「了解!」

 

 一塊となっていた第六駆逐隊が木曾に呼応して相当の距離をひらく。

 待っていましたとばかりに湧き出す深海棲艦にそれぞれが砲雷撃戦を繰り広げるも、徐々に、徐々に押され始めた。

 

「だ、だめ……弾薬の残りも……!」

 

「電、魚雷の残りを! 私が援護する!」

 

 震える唇を噛みしめ、電は雷を見て頷いてから魚雷を放った。

 衝突、爆発、衝突、爆発。連続する轟音に、叫喚ともつかぬ耳障りな音を上げて沈んでいく深海棲艦。

 

 彼女らの表情は、それらを見つめて歪んだ。

 涙でぐしゃぐしゃな顔なのに、それすら互いに気づけぬまま戦闘は続く。

 

 黒に煙る視界は一帯の空を覆い、赤黒い空と海が上下の間隔を薄れさせていく。

 自分達が海の揺れの上に立っているのか、空に向かって打ち上げられているのか分からない程に激しい戦い。

 そこに場違いな通信の音声が混ざり合う。

 

《熊谷少将。話でもせんか》

 

《い、今ですか!? そんな悠長な――!》

 

《言ったろう。我々に出来ることなど、今やなにも無いのだ。問うが、熊谷少将がこの場で出来ることを教えてくれんか? 龍驤にさっさと殲滅して迎えに行けと急かすか? それとも、何とか通信を復帰させて木曾達に右だ左だと命令をするのか? 戦場の音しか届かぬこの通信室から》

 

《状況報告を受けて作戦を立てることくらい出来るはずです!》

 

《うむ、うむ……真面目で結構。ならもう一つ問わせてもらおうか。熊谷少将が木曾達から報告を受けてその場で作戦を立てようとしている間に、津軽海峡という場所で、彼女らは戦い続けているわけだが……戦況は変わる。なぁ?》

 

《それは、その、通りですが……》

 

《では、彼女らはその間にどうすべきだと考える? 遮蔽も無ければ、あるのはただ、海だけだ。相対する深海棲艦は機を窺っているぞ。彼女らをどう沈めてやろうかと。熊谷少将が考えている間も、コンマ一秒とて無駄にせず、あいつらは狡猾に考えて動くだろう。私ならば隙を見つけて飛びかかるかもしれん。熊谷少将の蓄積してきた知識、経験、それから見識は決して無駄ではないだろう。だが語弊を恐れずに私の考えを言わせてもらえば――そんなものは彼女らにとって邪魔なだけだ》

 

《……》

 

 工員の声だ。間違いない。でもどうして、とその先を考えようとした矢先に、飛来した砲弾が大湊水雷団の面々を掠った。

 

「きゃぁぁっ!?」

 

「雷!」

 

「雷ちゃんっ!」

 

「だ、大丈夫よ! 掠っただけ……まだ戦えるわ! 木曾さん、もう弾薬の残りは少ないわ! これ以上の交戦は――」

 

 ぎりりと歯を食いしばって、木曾は言う。

 

「……艦隊反転! 艦隊反転! 本隊に突撃する!」

 

 木曾はこれしかないと思った。

 奇襲にも等しい深海棲艦の出現に、哨戒班たる大湊水雷団の戦力が敵うはずもなかったなど、考えずとも分かったはずだ。それでも、効率的に相手を沈めて脅威を減らし、最後には敵艦もろとも轟沈させる。軍艦としてこれ以上ない効果的な戦い方だろう。

 

「と、とつ、げ……う、ぅぅっ……了解ッ!!」

 

 響が呻きながら返事をすると、雷と電も覚悟を決めて進み始めた木曾へ続く。

 恐らくは、これが最後になると。

 深海棲艦達が不気味な速度で背後から迫る。つかず離れず、木曾は絶望の中で敵に向かって気丈に笑った。

 

「置いていくぞお前ら!」

 

 ぜえぜえと必死に追いすがる第六駆逐隊に、ぽつりと言った言葉。

 

「悪ぃな……これじゃ、旗艦失格だ」

 

 それは続く木曾の届かぬ通信に消え、第六駆逐隊の覚悟をさらに固めた。

 

《ザ、ザザザッ……――こちらマルフタ、こちらマルフタ! 届いてるか!》

 

 通信の向こうからは、相変わらず熊谷少将と海原の声ばかり。

 しかしノイズが酷く激しいために内容すらも分からなくなっていた。

 

《届いてなくても記録には残るだろ! なあ!》

 

「木曾さん……」

 

 電の呼びかけをよそに、木曾は俯き、それからぐっと顔を持ち上げた。

 水飛沫なのか涙なのか分からぬ水気で頬を濡らしたまま。

 

《もう残弾を撃ちきるのも時間の問題だ! 龍驤が間に合うかも分からねえ! だから……大湊水雷団は出現した本隊へ突撃を敢行する! 繰り返す! 大湊水雷団は出現した本隊へ突撃を敢行する! 出来るだけ早く戦力を補充して対応してくれ! 俺達も出来るだけ足掻いてみるからよ! 頼むぜ!》

 

 はは、という木曾の声は喉を焼いた。

 最大戦速のまま進み続ける中で首だけを回して、横目に第六駆逐隊を見ながら木曾は問う。

 

「燃料は!」

 

 それに答えたのは、電である。

 彼女もまた木曾と同じような表情だった。

 逃げられぬならば戦ってやろうじゃないか、と。

 

「帰還分と少し……たっぷりとは言えないのですっ」

 

「そうか、十分だなあ! ()()()()()()だ!」

 

「っ……はい!」

 

 その意味が分からいでか。響と雷も涙ながらに不敵に笑ってみせた。

 

「木曾さん! 私はね!」

 

「なんだ響! 聞こえねえって!」

 

「木曾さん!! 私はねえ!!」

 

 君が旗艦で、大湊水雷団で、良かったと思うよ。

 その言葉を聞き取ったとほぼ同じくして、背後からの砲弾が木曾に衝突する。

 

「がぁっ!? く、そっ……」

 

「木曾さんを守るんだ皆! 木曾さんを先頭に単横陣で盾に――!」

 

「問題ねえッ! まだ往ける――そのまま止まらずに進めッ!」

 

 空の色が、さらに暗く、黒く、赤くなっていく。

 ()に沈んだ時も同じような色を見ていた気がするな、と木曾は思った。

 ずきずきと痛む身体をおして進みながらも、記録を残そうと声を必死に出した。

 

《こ、ちら、マルフタ……旗艦木曾……敵、駆逐ハ級の砲撃により装甲剥離……! 小破だ……装甲は剥離したが、まだ、進める……!》

 

 木曾は無意識に、ノイズの中に声を探し求めた。

 なんでもいいから命令をくれと、熊谷少将に呼びかける。

 

《もう、この際だろ……言えよ、熊谷少将……言ってくれよ……沈んででも、敵艦を仕留めてこいってよぉ……! 今度は、雷達も巻き込もうとしてんだぜ……なぁ……!》

 

 ざり、ざり、というノイズからの応答はない。

 なんて、虚しいのだろうと木曾は傷に痛む腕をあげ、片手で顔を覆った。

 眼帯をした目が痛む。

 

 彼女は、自分以外の木曾の片目には傷が無いと聞いたのを思い出していた。それは熊谷少将と出会ってしばらく、大破して戻った日のことだ。

 どうして幾度もあの日を思い出してしまうんだと木曾がかぶりを振れど、情景が浮かんできてしまう。

 

 入渠施設の修復液に半分以上身を沈めたまま、自分よりも先に修復が終わった第六駆逐隊を見送った後のことだった。

 夜半にもなって、風呂場のようになっている入渠施設のすりガラスの扉越しに姿を見せた熊谷少将が話してくれたことが、彼女にとって少しばかりの特別となっていることなど、未だ自覚出来ないまま。

 

 大湊水雷団旗艦、木曾の眼帯の下にある目に光は無い。そう、見えないのである。

 その他の木曾は眼帯を外せば通常通り視界を確保できるために揶揄われたりすることもあるとかないとか。中には傷を隠すために眼帯をしている木曾もいるから十把一絡げには出来ないが、それでも、見えぬ片目は彼女にとって、特別と言えるものに変わっていた。目が見えずとも戦える、片目でこれだけの戦果を挙げられる、光が無かろうが敵は逃がさない。三年もの間、大湊警備府を守って来た木曾の誇りとも言えるかもしれない。ただ彼女にその自覚がないだけだ。

 

 うるせえよ。どっか行け。

 

 そんな言葉を吐き捨ててしまったあの夜、木曾は初めて意識的に片目に触れた。

 どうせこの傷なんざ修復が終われば元通りになるんだろ、なんて。

 

 しかし驚くことに、その傷は治らず、光が戻ることはなかった。

 もちろん熊谷少将に報告をしたし、工廠班も原因は何だと頭を捻った。

 ついぞ答えが分からぬままに沈むのかと一抹の寂しさと後悔を胸に、木曾は眼帯の位置を直した。

 

《もう欠陥艦娘はいなくなる。最後の最後に第六駆逐隊を巻き込んで悪いな。許せなんて言わねえけど、まあ、悪くなかったよ、大湊は》

 

 これが最後かと通信を切りかけた時――とうとう、視線の先に本隊が現れた。

 

【アァアアアァア……】

 

「ぐぅぁっ!? なんだ、この、声……く、そ、さいってーな声してやがる……!」

 

「ひぅっ……」

「み、耳がっ……」

「じ、陣形を維持して、雷、電!」

 

 まるで泥の底から出て来たような重巡リ級。

 正面、そして左右に一隻ずつ駆逐ハ級が並んでいるが、不自然だった。

 動いていないのだ。いや、動こうとしていない、が正しいのかもしれない。

 

 どんどんと距離が近づいていく。それでも、動かない。

 

「く、そぉぉああああああッ! これが最後だッ! 全艦、とつげ――」

 

【ハ、ハハハッ……変ワラナイノネェ……アナタ……】

 

 木曾は猛った。うるせえ、黙れ、そんな言葉を吐き出しながら進む。

 

【イイワ、イイワヨソノ顔……水底ニ持ッテ帰ッテ飾ラナキャ……キャハハハハハハハッ!】

 

 ざわ、と海面が動いた。

 

「止まるな! 進めェッ!」

 

 それでも進もうとしたが、木曾の足が止まった。

 がくんとバランスを崩して前に倒れそうになるのを、痛みが生じるほどに足を踏ん張ることで耐えたが――止まった原因を見た時に、ああ、と声が漏れる。

 

「ただじゃ、攻撃させねえってか……くそ」

 

 木曾のみならず、雷も、電も、響も同じように顔を青くしてそれを見ていた。

 

 自分達の足を掴む、青白い手を。

 

「ひ、ひゃぁあああっ!?」

「きゃああああっ!!」

「うわぁぁあぁぁぁっ!!」

 

「ばっ――やめろ! 撃つなッ!」

 

 第六駆逐隊の面々は恐怖に顔を歪ませて十二.七センチ連装砲を足元に向かって放った。それが如何に愚かな行為であろうと、戦場で混乱し、正常な判断を失った今では言う方が無為で無駄である。

 己の攻撃によって青白い正体不明の手は消え失せたが、被害は甚大となる。

 

 足元に砲撃をすれば航行の続行不可能になるなど自明の理である。

 それが昔と同じように巨大な鉄の身体であれば、きっと為す術はいくらかあっただろう。しかしながら人の身体の今、常軌を逸した破壊力を持つ兵装を自らに放てば、如何に頑丈とて傷は免れない。

 

「ぁ、ぁあっ……」

 

 雷が正気の欠片を手にした時には、それがまさに大湊水雷団の向こうに笑う旗艦であろう重巡リ級の策中であったと気づく。

 深海棲艦は、愚かではない。

 

 木曾は瞬時に反転し、砲撃を受けて皮膚がずるりと剥けた腕の痛みに顔をしかめながら伸ばして、雷、電、最後に響の順で引っ張り寄せた。

 自ら一塊となった大湊水雷団。軍艦同士ならば衝突で沈没していてもおかしくない状態ながら、人の身を持つ今でなければ在り得ていない状況に心のどこかで笑いながら、木曾は全員に腕を回して抱きしめた状態で顔を寄せて言った。

 

「……ここが本当に、最後だ」

 

「ご、ごご、ごめん、なさい、木曾さん、わ、私っ」

 

 雷は責任感の強い艦娘である。混乱していたからと自分の足元に砲撃するなどと後悔しているのだろうと、木曾はぎこちなく笑みを浮かべてみせた。

 

「仕方がねえ。策に嵌ったのは俺の指示のせいでもある。俺もびびっちまったよ……ははは……悪いな皆。だがこの戦力差だ、少しでも相手を減らして、大湊を守ろうじゃねえか」

 

「……ん、うん……うんっ……わがっだ、のです……!」

 

 電が泣きながら頷くと、木曾は手を伸ばしてそれを拭う。

 

「俺達は、軍艦なんだ。だから――」

 

《あの子らは、軍艦ではないのですね》

 

 全員がはっとして、時が止まったような錯覚に陥る。

 通信が復帰したのか? なら今の状況を少しでも伝えねば。

 そんな事を考えられる木曾の冷静さもなく。

 私は助けになれたでしょうか? そう問いたい電の声もなく。 

 頼りになる存在だったかしら? いつも頼られたがった雷の声も。

 不死鳥のように戦えると思っていたけれど、難しかったね、なんて懺悔したがる響の声も、一つとして組み立てられなかった。

 

 頭の中に響く熊谷少将の否定の声に打ちひしがれそうになった。

 そうして、木曾は顔を上げて振り返る。

 

 未だに笑う深海棲艦。重巡リ級。

 万全の状態でも勝てるか分からない相手は、今や敵わないだろうと確信に至る絶望を纏っていた。不気味に蒼く光る視線が、木曾とかち合う。

 

《そうだ。あの子らは軍艦の記憶を持ち、魂を継ぎ、護国に生きる存在であると同時に――人の心を持つ少女なのだ》

 

 そうでなければ、彼女らが必死に戦う意味が分からんだろうが。

 新人工員から発せられたとは思えない力強い声に、木曾の目がさらに痛みを訴える。

 

《ならば……私は酷い指揮官ですね。少女を戦場に駆り出すばかりか、彼女らなりに戦って帰ったのに、命令違反をするなと頬を張ってしまった。いかなる理由であれ、私がすべきことは――》

 

「ぁ、あ……ち、違う、違うんだ、熊谷少将……違うんだよ……お、俺は……俺はただ、ただ……!」

 

 

 

 

 

 

 

《おかえりと、伝えることだったのですね》

 

 

 

 

 

 

 

 守りたかっただけなんだ。この身が燃え尽きようとも。

 深く関われば、きっと戦場での判断が鈍ってしまうからと、向き合うのを避けていただけ。

 自らを苦しめる深海棲艦の声をどうにかするには、戦うことしかないのだと、それだけに意識を向けていた。そうしなければきっと声から逃げ出してしまうと思った。

 

 人からも、深海棲艦の声からも逃げていただけなのだと気づいた時、木曾の目がさらに痛みを発したが――木曾は眼帯をむしり取って身体ごと振り返った。

 

「木曾、さん……?」

 

「突撃は中止だ……」

 

「どうして――このままじゃ、満足に戦闘も――!」

 

「それでも、中止だ……お前らは駆逐艦を集中して落とせ。重巡の攻撃は俺が引き付ける」

 

「そんなことさせられるわけがないじゃない!」

 

 雷の悲痛な叫びに顔だけ振り返った木曾の目を見た時、第六駆逐隊の面々は驚愕する。

 

「その、目……!?」

 

 対峙する重巡リ級の片目から放たれる蒼い光と同じようにして、木曾の片目が光っていた。それは眩い朝日が如く。

 

「気が変わったんだ……大湊水雷団の前で笑ってやがる敵だぞ、深海に叩き返してやろうじゃねえか」

 

 それに帰らなきゃ、今度こそ工廠の奴らに文句を言われちまう。

 木曾の言葉に第六駆逐隊が息を呑んだ。瞳が揺れ、光が灯る。

 

「でも、これじゃあ砲雷撃戦で一方的に……」

 

 電が言い切る前に、全員の艤装から妖精が飛び出した。

 驚く声もお構いなしに、飛び出した妖精達は第六駆逐隊の足元に集中して光を放ち、そして――

 

「あ、れ……動け、る……う、動けるよ! 木曾さん!」

 

「これなら航行出来るわ!」

 

 響と電の表情に色が戻った。木曾はと言えば、妖精が兵装にぴょんと飛び乗っただけ。

 

「……お、俺には?」

 

 妖精達は木曾を上から下まで見つめた後に、ぐっと親指を立てる。

 小さな小さな、それでいて自信ありげなサムズアップ。

 

「傷があっても航行できるから問題ねえってか……っは、贔屓してんなあ」

 

 だが、傷があって丁度いい。気丈にそう言った木曾は啖呵を切った。

 

「無傷で帰らせたりしねえぞてめぇらッ! 大湊水雷団程度、問題にもならねえって思ってたのか知らねえが……足止め食らったくらいじゃ止まったりしねえよ……!」

 

【ハ……? ナ、ゼ……光ガ、貴様、ドウシテ……ドウシテ笑ッテ――!】

 

「想定外ってやつか! 妖精に関しちゃ俺らも想定外だがな、ははっ!」

 

 通信から聞こえ続ける、我らが指揮官、熊谷少将の声に大湊水雷団を覆う絶望が消えていく。

 

《妖精もついているでしょうから――》

 

 話の前後がなくとも、これは熊谷少将の仕業なのだと確信した。

 そうして、彼女らが動き出す。

 

《――あのやんちゃな大湊水雷団に、任せるしかない、ですね》

 

 話を聞け。命令違反するな。哨戒とはいえ、どうしてお前達はそうやって危険なことを。いくつも投げかけられた言葉の真意。それは、距離があると理解できない憂慮の感情。

 自分達がどれだけ昔の記憶を持っていても、世に生を受けてたったの三年。

 今回は大人である熊谷少将が折れてくれたに過ぎないのだろうか、などと、本当にくだらないことを考えたのは――全員、同時のことだった。

 

 それは、大湊水雷団が初めて共鳴した瞬間である。

 

「帰ったら木曾さんに命令されたって言おう」

 

「ちょ、ちょっと響! だめよそんなこと! で、でも、無茶をしたのは、その、少しは……」

 

 恐る恐る視線を向けてくる雷に、木曾は心の底から笑った。

 

「は、はははははっ! ああ、いいぜ、俺のせいでいい。いいや、俺のせいだ。突撃なんてくだらねえこと考えたのも、俺だからな」

 

「い、電も同意したのです! だからっ……うぅ」

 

「ありがとよ、電。それで……どうして攻撃してこねえんだ? あァ……?」

 

 ぎろりと睨まれた重巡リ級。

 木曾の言葉通り、攻撃するチャンスはいくらでもあったはずなのに、駆逐ハ級ともども動きはしなかった。

 

【ク、クヒ……ヒヒッ……! 何度モ、何度モ、声ヲカケテアゲタノニ……ソウスレバ、前ノヨウニ……】

 

 声の正体、そして――

 

「てめぇが何度も俺を苦しめてくれやがったのか」

 

【今度コソ……水底ニ……モウ、二度ト、負ケタリ、シナイ――】

 

 荒い潮風によって持ち上げられたしなびた海藻のような髪の毛の向こうから覗く不気味な目。

 

「こちとら三年も休まず戦いっぱなしなんだぜ? ちっと情けねえとこを見せちまったが……本当の戦闘ってヤツを、教えてやるよ」

 

 最初に木曾が動いた。一塊になったままの第六駆逐隊が露わになり、重巡リ級がにやりとして囮である木曾を無視して先に沈めてやろうと駆逐ハ級に言葉無く指示する。

 

【オォオオオ……】

 

 三隻同時にがぱりと口を開いて砲塔を見せた。巨大な一つ目を光らせて、それぞれに照準を合わせようと動くも、第六駆逐隊は慌てず。

 ぱきん、と音がした。だが、何も起こらない。

 

【シズメロ――……ナ、ァ……!?】

 

 駆逐ハ級の側面から爆炎が噴き上がる。木曾の速過ぎる砲撃に間に合わなかった。

 それでもまだ二隻いると歯噛みしながら【撃テ――!】と言うも、さらに放たれた砲弾が水飛沫を上げ、視界を奪う。

 

 ならば貴様から沈めてやる! 残った二隻と重巡リ級が反転した瞬間、背後から連続した破裂音。

 

【クソッ、クソクソクソォォオオアアアアアアッ!! 艦娘風情ガァァアアッ!!】

 

「ハ級の撃沈を確認! 木曾さん、お願いっ!」

 

「あぁっ!」

 

【マダ、マダイルノヨォォ! イクラデモネェエエエ!】

 

「ちくしょう、マジかよ……!」

 

 先ほど大湊水雷団の足を掴んだ手と同じ数ほどの駆逐級の深海棲艦が海面へぞわぞわと姿を現し始める。流石に、これを全て沈めるのは無理だと悟るも、突撃しようなんて無謀な考えは浮かばなかった。誰一人として。

 

「最後の最後まで足掻いてやる……それが俺なんだからよ――!」

 

 音が響いた。それも、海ではない。

 空から、甲高い風を切る音が響いたのだ。

 

「あれは、天山――!」

 

「支援が来たのですっ!」

 

 支援などと生ぬるいものでは無かった。

 一機のみならず、その後方からいくつもの機影が現れ、通信が飛び込む。

 

《本隊だけなら行けるやろと思ったけど、こら無理やな! 木曾、君ぃ、えらい気張ったやんか! ええでええで、それが必要なんや!》

 

 場違いに明るい声。

 一言、もう一言発するたびに、空から夥しい攻撃が降り注いで重巡リ級は声すら上げられずぽかんとした。

 

 海面を埋め尽くさん勢いで出現していた駆逐級の深海棲艦は瞬く間に爆炎に呑み込まれ、沈んでいく。

 

《何、だよ、嘘だろこれ、龍驤、お、お前こんな力を――》

 

 木曾の声に、からからと笑う龍驤。

 

《あはは! そらウチは歴戦の軽空母、りゅーちゃんやからな! 周りより強い自覚はあるで? そんでもこれはウチだけやない――形は違うても、君にでも出来ることや。いつかな》

 

《でっ出来るわけねえだろこんな無茶なこと!! ったく、こんなことなら、早く支援に来いってんだ……!》

 

 震える木曾の声を敢えて指摘するような野暮な真似をせず、龍驤は言う。

 

《文句は司令官に言うてや! でも君も分かったやろ。声が何なのかも、その深海魚どもが何を狙ってんのかも》

 

《……》

 

 戦場でしか知ることのできない、深海棲艦の憎悪。

 それはかつての――自分達の無念。

 

《誰のせいなんだろうな、この、戦い》

 

《誰かのせいにしたら、ウチらは自分らの手ぇで世界を壊さなあかんくなるで》

 

《……わかってるよ》

 

《向き合おうや。軍艦やなく、艦娘として》

 

《……まだ分かんねえことがある》

 

《おう、なんや。今なら答えたるわ。しっかし君、絨毯爆撃しとる中でよう平気な顔して突っ立ってられるなあ!》

 

《そりゃどうしようもねえからだよ! 動いたらあぶねえだろ!?》

 

《はは、悪い悪い! まあじっとしとき、ウチが終わらしたる。ほんで?》

 

 大湊水雷団の前にはあり得ない光景が広がる。

 ただ立っているだけで、夢とも悪夢ともつかぬ光景だ。

 いつかの記憶と重なる、艦載機が淡々と敵を沈めていく景色は、木曾の心を動かした。

 

《どうして、熊谷少将は……俺を飛ばさねえんだ》

 

《異動、ちゅうことか?》

 

《ああ》

 

《さぁなぁ……体制の前後があるから、そのせいやとも言えるやろうし……大湊水雷団として活動の長い君らを手放したくないんかもしらん。それか……》

 

 君らが大事なんやろ。

 

 たった一言を聞き終え、木曾は俯いた。

 

《命令違反するような艦娘だぞ……第六駆逐隊のチビどもを連れて、軍人どもにあてつけるような……そんな……》

 

《熊谷少将も歳やしなあ、ガキ大将見てるみたいなもんやろ。愛着も湧いたんちゃうんか。知らんけど》

 

《ガキ大将って、はっ、この木曾をか?》

 

《まあ、ウチから見てもガキんちょやで。戦力も含めてな》

 

《これを見ちゃ文句も出ねえが、言うじゃねえかよ》

 

《そらそうや。十年も戦ってたら強くもなるわな》

 

《……は?》

 

 木曾だけではなく、第六駆逐隊の全員も空を見上げた。

 不規則ながら的確に敵を撃沈に至らしめる高練度を思わせる艦載機の群れに、気の抜けた龍驤の顔が浮かぶ。

 

《ま、待てよ、お前、は? どう、いう……十年? まさか、お前――》

 

《信じてないんか? なら君らが帰ったら見せたるわ》

 

 

 

 

 

 

 

《初期型艦娘、軽空母りゅーちゃんの登録証》

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