《初期型なんて……もう、残ってないって聞いたぞ……!》
爆音の最中、通信が明瞭になっていくのを感じながら空を見上げる木曾。
同じようにして第六駆逐隊の三人もぽかんと空を見上げたまま、会話を聞いていた。
《誰から聞いたんや?》
《教官だよ! それに、大本営でもそういう風に――》
《そう教えられたんか? 残ってないっちゅうのは嘘やろ。確かに初期型の殆どは捨て艦作戦で沈んどるけど生き残った奴もおる》
《そ、そいつらは何してんだ!? 龍驤以外にどれだけいるんだ!》
混乱甚だしくも木曾の問いには意味があった。単純な好奇心や疑問ではない。龍驤のような十年も戦争を生き残った艦娘がいたとしたら、それは相当の戦力であるはずなのだ。たかが軽空母、されど軽空母――たった一人の艦娘によって絶望に塗りつぶされた戦場が覆されている現実を目の当たりにして言わずにはいられなかった。
《今それ聞くかぁ? まぁ秘匿されとるわけやないから、別にええけども……生き残っとるのはウチ以外に、吹雪っちゅう特型駆逐艦やな。それからぁ……ウチと同じ軽空母の、鳳翔》
《吹雪に、鳳翔……》
《勘違いされても困るから言うとくけど、初期型やから強いってわけじゃないで。色々な理由があって生き残っとるだけで、木曾が思っとるようなことが当てはまるんはウチだけや》
考えを読まれている。いや、読む以前に見透かされている。木曾が分かりやすいのではなく、龍驤と木曾の経験値が違い過ぎるのである。
戦場であるというのに、まるで気にも留めずつらつらと語る龍驤は大湊水雷団を落ち着かせるようでいて、語弊なく、異常という他ない。
まるで初めて戦場に出た時みたいだと感じたのは木曾のみならず、雷も電も、響も同様だった。
《にしてもえっらい多いな……駆逐級だけやなくて
《妖精にお願いってなんだよ!?》
《お願いはお願いやがな。ウチら標準の兵装じゃ結界から通信は届かへんで。撤退支援したるから早くしい》
《て、撤退だと!? この深海棲艦どもはどうすんだよ!》
《君らが戻って来るまで持たせるから問題あらへん。それに支援艦隊も向こうとる》
《支援艦隊が――!》
《とにもかくにも、君らはまず補給に戻らな継続戦闘は無理やろ。補給と応急修理の間に少しくらいは減らしといたるから、はよ行き!》
木曾が艤装のどこかにいるであろう妖精を探し始めると、電の声がした。
「木曾さんっ、妖精さんが、これを!」
視線をやると、電の掌の上に乗った妖精が目に入った。その妖精が持つ、羅針盤にも。
「羅針盤、だぁ……?」
《見つけたみたいやな。そんならちゃっちゃと移動や! 羅針盤に従って進みぃ!》
ざらついた音声に反応して「艦隊反転! ああもう意味わかんねえ!」と文句を垂れて妖精に手を伸ばす木曾。妖精はやる気に満ちた顔で木曾へ羅針盤を渡すと、そのまま電の艤装の中へと潜り込んだ。
《これに従えばいいんだな!? 北か!? 南か!?》
方向感覚を失っている大湊水雷団が頼れるものは羅針盤と龍驤の通信のみ。
龍驤がそうだと言えば、そちらに進むしかない状態である。
《それはただの羅針盤やないで。妖精印の特殊技術や。磁気が狂っとる結界の中でも動く代物やっちゅうたら伝わるか!》
「普通の磁気コンパスと同じように使えってか……艦隊! 南下するぞ! 平舘まで下がればあとは一直線だ!」
「了解なのですっ」
「わかった!」
電と響に続き、残弾ある雷が木曾から離れ後方へ。
「私が殿を! 木曾さん、急いで!」
「あ、あぁ! 艦隊、撤退開始!」
* * *
大湊警備府の通信室では熊谷少将がパイプ椅子から立ち上がったり座ったりと、スクワットでもしているのかというくらいに落ち着きのなさを見せていた。
一方の海原は腕を組んでどっしりと構えている――ように見えて、諦めの境地である。
(木曾が撤退してくるなど、あ、ありえるのか……しかし、そうしたら大湊警備府はどうなる……まだ深海棲艦は残っているはずだ。考えろ、考えろ……! 海原元帥の艦娘になった龍驤にも、示しがつかんぞ……!)
龍驤から撤退指示をさせたと通信を受けてしばらく。
ただの哨戒であるつもりで油断していたと露呈すれど、熊谷少将は取り繕うこともなくソワソワしっぱなしだった。
この海域において駆逐級であれ十隻を超える大規模な戦闘が起こったなど前代未聞。ともすればこの戦闘には意味もあり意義もある。答えを知っているであろう海原に直接問えば解決する問題だが――任せる――たった一言に集約された信頼と期待を裏切る選択肢は熊谷少将に存在しなかった。
一方、海原は諦めの境地の果てで無表情のまま考えた。
余計なことを聞いては無駄口を叩きかねないと自ら通信用ヘッドセットを外して後方待機である。
(妖精に邪魔するなって言われたし、する事がねェッ……。撤退指示を出したって言った時は流石に心臓が止まるかと思ったけど、龍驤は龍驤でただ補給しに戻すだけやで! とか言ってたしなあ……まあ任せれば問題ないんだろうけどさ。考えてもみろよ、龍驤だぞ? 龍驤。あのツッコミ一つで泊地を壊滅させられそうな気迫ある艦娘が言うんだから間違いない。問題などないのだ。だから落ち着けまもる)
とん、とん、とん、と腕組みをした指を動かす様は熊谷少将にさらなるプレッシャーを与える。無論、海原にそのような意図などあるはずもない。
互いに考えていることが異なるのだからすれ違いよりも酷い有様である。
「海原元帥……大湊水雷団が帰還したあと、補給ののちに戦線復帰させても、問題ないのでしょうか……」
己の無力を認めたうえでギリギリまで攻めた問いに、海原が伏せていた視線を持ち上げた。
視線に射抜かれた熊谷少将がごくりと喉を鳴らす。
「……問題ない、と思うか?」
「っ……!」
短い言葉で投げ返された問い。
(自分で考えろと……? 言わんとしておられることは分かる。だが、この大湊警備府にある戦力は水雷団の四人だけ……戦線復帰させない選択肢もないわけじゃない。海原元帥に単独で随伴している龍驤がいるのだ、戦力はあれでも十分に思える。それに大本営からアメリカ海軍の支援まで引っ張ってこられたのだ――如何に危険であるとは言え、水雷団を戦線復帰させ相手を撃滅できれば木曾達の手柄にもでき、る……っ!?)
海原の視線が鋭くなったのに気づき、息が止まる。
熊谷少将の額には脂汗が浮かび、余計な事を考えたのが瞬時に見抜かれたと悟らせた。
「どうした、熊谷少将。暑いか」
「い、え……」
(違う、違うだろうが! 何を考えているのだ私は! 危険? 手柄? そんな無駄な事を考えるための猶予を与えていただいたわけじゃないだろう……ッ!)
ただの一般人であると知っているはずなのに、熊谷少将の目に映るかの男は井之上元帥を彷彿とさせる異様な気配があった。
彼の祖父は軍人であり、かつての戦火を経験してなお、数奇な運命を辿ってやってきた別世界たるこの現実でも戦争へ迷わず飛び込んだという。それは、海原という名を持つ者の意思か、血筋か。
安心していただきたいが、勘違いである。
(試されている……? は、はは、ただの一般人が軍人を試すだと? それこそ何を考えているんだ私は、馬鹿馬鹿しい……しかし説明のつかん現状とこの威圧をどう表せばいい! これは人命と、艦娘の命運が左右される戦争なのだ……恐れるな、問え、問うのだ……!)
熊谷壮二郎――日本海軍、大湊警備府を預かる少将であるこの男も、やはり極めて高い能力を誇る。身体能力は年齢を加味しても体力の全盛期を迎える若者に劣らず、戦場での経験がさらに彼を強固な存在にしている。
さらには深海棲艦との戦争を十年続けた中で余計な諍いに囚われず自らを守る術を持ち、知恵もある。
故に、彼は人を決して侮らない。
だから、勘違いする。
「この哨戒で……いえ、私が書状を出した時から、これを見越しておられたのですか」
散らばった情報を瞬時に収束させ、共通項を見出し、隠れた真実を探し当てる。
言うは易く行うは難し。並の頭脳では到底思いつかないであろう突飛な事でさえ真実として受け止められる度量。凡百の人間では及ばぬ超常的事象に指をかけられるかもしれない知能は、まさに英傑と呼ぶに相応しいものだろう。
もちろん海原ではなく熊谷少将の話である。
海原は熊谷少将の言葉を耳にして、ふんと鼻を鳴らすだけ。泣きそうなのを隠しながら。
「木曾を含む大湊警備府の艦娘が人に害をなすなどあり得んと思っていた……それらは杞憂に終わったが、別の問題はそうではないらしい」
艦娘と軍人の仲を取り持つことが出来ればスキップでもして帰ることができる楽な仕事だったと思い込んでいた海原。現実はそう甘くない。
事実として熊谷少将をはじめとした大湊警備府と木曾達の軋轢は取り除かれようとしているが――余計な事をした海原のお陰で木曾達は大事に巻き込まれているのである。龍驤のみならずアメリカ海軍までもが、海原へと引き寄せられている。
「見越していたなど、あり得るわけもなかろう。私はただ邪魔をしただけだ」
木曾達に無駄な仕事をさせ危険な目に遭わせてしまった。
熊谷少将に心労をかけてしまった。
海原は今にも土下座したい気持ちでいっぱいになりながら、言葉を紡ぐ。
「私の行動一つとっても邪魔になるだろう。それを支えようと龍驤が動き、アメリカ海軍まで引き込んで……これ以上は、言わせるな」
事実を言葉にして現実を直視しては本当に泣き出してしまう、と海原は顔を伏せ、大きく溜息を吐き出した。
熊谷少将の頭の中に入り込んだ海原の言葉は――不快な音を立てて噛み合わぬ雑多な情報という歯車への潤滑剤となり、かちりと、回りだす。
「邪魔に、なる……ですか。その、言葉を選べぬ自分をお許しください。僭越ながら、海原元帥は木曾の哨戒にかこつけて……彼女と、いいえ、この大湊警備府を、使ったのですか」
「使った? 私を呼んだのは熊谷少将だろう。それに、私なりに準備をしてきたつもりだ。迷惑にならぬようにとわざわざ作業服や証明書まで作ったのだぞ」
噛み合っていない会話。だが不思議と、互いに違和感はない。
「どうしてそのような事をする必要があるのです。大湊警備府にそのままいらっしゃった所で海原元帥ならば解決など容易ではありませんか!」
「容易な問題がどこにある」
「っ……」
海原は胸中で叫んだ。
(一般人が軍務て! お前ら俺に期待し過ぎだァッ!! 書類仕事をさくさく片付けてることを知ってるんだな熊谷テメェも! 誰だ! それをチクったのは誰だ! どうせ忠野か橘あたりが、あの社畜使えるぜとか言ってんだろ! なぁ!? 柱島泊地に大量に仕事を送り込んでくるのは大体がその二人だからなァッ! クソァッ! 木曾達がいなけりゃ手伝ってねぇよ! その木曾にまで嫌われそうになってるかもしれんというのに! 俺が! 仕事を邪魔しちゃったから! ここで号泣してやろうかァッ!?)
「私にとってこの仕事は命よりも大切なものだ。いかなる内容とて容易などとは考えん。……この私が言うのもおかしな話だがな。熊谷少将の苦労とは比べるべくもなかろうが、だとしても私なりに努力はしている」
海原が腕組みを解き、軍服のポケットから一枚のカードを取り出す。
それは使うだろうと忠野に無理を言って作らせた証明書である。
「私が使うまでもなかったが」
(こんなものまで作って! 出来る限り穏便に済ませようとした結果がこれですよ! ほらぁ! 見なさいよこれ、ほらァッ!)
そして、高性能さが無駄になったプラスチックカードとなり果てたものでもある。
熊谷少将は海原が差し出してきたカードを恐々と受け取ってから、脳裏で繋がっていく情報が発する電気信号がパチパチと弾ける感覚を覚えた。
「これは……」
熊谷少将の頭の中で、ひときわ大きくバチンッと電流が走った。
多くの情報を共有している軍部中枢の人間であり、さらには海原という存在の真実を知っているが故に至った結論。
「防衛ライン設置による補給線は、間違いなく、我々大湊警備府になる……あ、あぁっ……!」
自らの口にすることでより鮮明になった予測は、その領域を超越して実現されてしまうのだと確信した。
彼は海軍内部で常識となったことを、思い出す。
深海棲艦は愚かではない。アレは知能を持つ、と。
「戦闘詳報も、行動調書も、防衛ラインのことも……あれらは戦力を見定められていたということですか!」
がたんと立ち上がった熊谷少将に内心で飛び上がりながら、表では飄々としたまま、海原は頷いた。
(戦力を見定めるってか、木曾達が何で横柄なのかを見てたのは間違いないけども……え、ええ、本当に遊びに来ただけとか勘違いしてないだろうな熊谷少将……。防衛ラインについては知らないけども、流石にただ仕事を見に来ただけじゃないよ……! まもるだって空気読めるし頑張ってるんだよ! 実際に現場に来て動いてるじゃないこうやってさぁ! ん、んんっ……それが役立ってるかは別でね、それはね。ちょっと事情が変わってきてるみたいだから)
「防衛ライン然り、見ねば分からんし会わねば分からん。ならばそうするしかないのは当然のことではないのか? 私はここに仕事をしに来たのだぞ」
「は、ははは……仰る、通りです……当然です、当然のことですよ、戦力の確認など――!」
哨戒中に出現するはぐれ深海棲艦は、漂流してきたものばかりではない。
それらの一部は大湊警備府を狙い続けていたのだ。いつからか不明にしろ、虎視眈々と。北方で活発になったと言われる深海棲艦の数々を対応している中で防衛ラインの設置が急がれるならば、深海棲艦がそれを察知して妨害行動に出てもおかしなことなどない。
この十年という長い戦争で、海軍内の抗争によって無駄に戦力を消耗し己が手で人類を衰退させかけていたところで持ち直した。その瞬間こそが、油断だった。
(彼は――海原鎮という軍人は、一片の油断も、していなかった――!)
そんな事はない。油断も何も、艦娘のことしか考えていない。
だが、艦娘のことしか考えていないからこそ、彼女らの潜在的な危険に立ちはだかる最大の障壁となりうる。
置き去りにされたヘッドセットを装着した熊谷少将が龍驤へ通信を試みる。
《こちらマルヒト、こちらマルヒト! 龍驤、聞こえるか!》
《聞こえるで。どないしたんや》
《ま、待たせた……やっと、分かった……!》
龍驤もまた賢しい艦娘である。彼女は熊谷少将の短い言葉のみならず、その声音や、空気を感じ取って、安堵したように息を吐いた。
《……なら、良かったわ。支援艦隊の方はもうすぐで到着するみたいや。木曾らも結界をそろそろ抜ける頃や――ほんで、どうする? もういっぺん出撃させて戦わせるんか?》
またも迫られる選択。熊谷少将は振り返り、海原をちらりと見た。
海原はその視線を受けて、ただ頷く。本当に頷いただけだが。
《浅慮だが、愚かではないつもりだ。龍驤と支援艦隊と合わせて……敵戦力は撃滅出来るだろうか》
《まったく問題あれへんな。こっちゃあ一方的にどついてるだけなんやで? 木曾を追いかけてる奴らから遡って深海魚どもを料理するだけや。大物でも重巡やし、戦艦と空母まで来るんやから過剰なくらいや。それまでどれだけ湧こうがウチが沈めたるわ》
《今の木曾達では、足手まといになるだろう。彼女らを帰還させて、殲滅を任せたい。防衛ラインの設置に兵站部の一つとなろう大湊警備府に被害が出ないことを優先させてほしい》
《わぁった……ほんまなら司令官の肩持ったりたいけど、今回のは別や! いつのも悪い癖が出とるからなぁ、振り回される身にもなって欲しいもんやで、もぉ!》
《悪い癖?》
《そ、悪い癖! なぁにが元サラリーマンやねんな、あのアホ! ま、ギリギリ間に合って良かったっちゅうとこやな……司令官な、熊谷少将の書状を見る前に、丁度、大本営から届いた北方の戦況報告書を処理しとったんや。それから、深海棲艦のことについても……》
熊谷少将の表情がみるみるうちに複雑なものになる。
自分の予想が当たっていた事による喜びに、背後に座る男への畏怖。一時期だけとはいえともに戦場に立った龍驤の、昔よりも飛び抜けた知性に対する驚愕。
《深海棲艦のこと?》
龍驤はいつでも木曾達を助けられるようにと離れた位置から艦載機を通して見ていた光景を語る。
《そうや。清水中佐のことは聞いたやろ?》
《清水中佐のこと? それは……あ、ああ、転落事故、の……》
そうして熊谷少将の中で一つ、また一つと絵図が出来上がる。
《結界の中やったから艦載機越しでもはっきり見えたで――四人が不自然に動きを止めた途端に、自分の足元撃ちぬいたのがな》
《そんな事があったのか!? あ、あいつらは! 大丈夫なのか!?》
《大丈夫や、航行可能な状態まで妖精が応急修理しとる。そのまま帰還せえっちゅうても言うことに従わんやろから、補給しに戻れって言うといたで》
《しかしそれでは、また同じように命令違反をしかねん》
《大丈夫や。あの子らも分かっとる》
《誰かが木曾達を見てやらねば――》
熊谷少将がちらりと海原を見た。
海原は丁度その瞬間に立ち上がって、一言。
「席を外すぞ。すぐに戻る」
「え、ぁ……はっ!」
《熊谷少将?》
通信室から出て行く海原を見送ってから、熊谷少将は訝し気な表情をしたまま口を開いた。
《いや、海原元帥が席を外す、と……》
《戻って来るのを工廠で待つんやろ。ここの指揮官は熊谷少将やから動かれへんと思ったんちゃうか》
《私の代わりに、木曾達を見に行ったと……?》
《本当なら熊谷少将の仕事やけどな。そんでもどうにかしてくれって頼んだのは君や、文句は言えんで》
《……》
戦場の全ては計にあり――まさに海原を表すにぴったりだと、熊谷少将は自嘲した。
《戦線復帰をさせても、させなくとも、両方に対応出来る術というわけか》
《見知った熊谷少将ならいざ知らず、流石の木曾も元帥相手に無茶は出来んやろからな。それに木曾らが初めて受け止めなアカン深海棲艦の事実を知ったのもある。動揺やら混乱を落ち着かせられるんは、ウチの司令官しかおらん》
《そ、そうだ、深海棲艦! 戦闘中だったろうに、何故木曾達は動きを止めたんだ!》
《多分、足を掴まれたんや》
《足を掴まれた……!? 清水中佐の、とは、それのことか――!》
《ウチも実際に目ぇにするまでは意味わからへんかったわ。でも、あれは深海棲艦やない。ウチらでいう妖精に近いもんかもしれん。深海棲艦ならただ掴むだけなわけあれへんしな。あの瞬間に確実に沈められたはずやのに、それをせえへんかったなら、そうとしか表現できへん。ウチら艦娘と深海棲艦っていう対の存在があるなら、妖精の対があっておかしくはないやろ?》
《しれん、とは……やはりまだ詳しくは分からないか》
《分かったら苦労せえへんて! でも、おもろいくらいに全部が噛み合っとるんは確かや。深海棲艦の研究員がこのタイミングで偶然にも引き込まれるか? それに木曾達が哨戒するのに今まで戦闘が多かったにしろこの瞬間にほいほいって動き出すんか? 恐らくはウチの航空支援に気づいて、戦力が増加される前に叩いたろって出て来たところを捕まえられてるんやで、相手は》
《しかし海原元帥はどうして敵の動きに気づけたのだ。資料から、どう読み取ったというのだ?》
《大本営で会談があったんや。後で報告があがるかもしれんけど、井之上元帥と一緒になって考えたっていうなら全てがこっちに傾いとるのも説明がつく。バケモン同士の戦略やで? 誰がそんなの予想出来るんや。それに……楠木少将と同じパターン、やったんかもしれん》
楠木、と鸚鵡返しに呟いた熊谷少将の腰が、すとんと椅子に落ちた。
《共鳴、というやつか》
《分からんけどな。ウチかて全部が全部考えられるわけやない。木曾も第六駆逐隊の子らも、戦わなアカンっちゅう気持ちがあった。それが先行してただけやったんや。だけっちゅうても変な感じやな……まんま言わしてもらったら、大湊水雷団の戦意を否定せずに司令官は利用したんやと思う。戦意を餌に相手を誘き出して、安全を期して手数だけは多いウチを選出したんかもしれん。相手からしたら艦載機だけじゃどれだけの戦力があるか推察しきらんやろからな。軍艦時代やったら予測できても、艦娘である今、練度によって統制力も変わってくるウチらを熟知してないとできひん戦術や――そんでアメリカ海軍までお出ましときたら、相手のことながら気の毒なもんやで。戦力把握どころの話じゃないんやから》
《そう、か……しかし、それならば説明できずとも、腑に落ちる》
《腑に落ちる? 何がや》
《深海棲艦が無限に湧き出る、その理屈だ》
龍驤の言葉を噛み砕き、熊谷少将は言った。
《妖精によって従来の何十倍という力を得る艦娘と同じく、深海棲艦も妖精のような存在によって無限に湧き出しているのかもしれんだろう》
《そうやって直接言われると、複雑なもんやが……それを解明するための人が、これからやって来るんやな》
切実な龍驤の声音の背後では、いくつもの風を切る音が聞こえて来た。
攻撃を終えて戻ったのであろう艦載機が、着艦し、また発艦していくような音だ。
器用に通信しながら戦線を維持できるのだから恐ろしいものだと考えながらも、熊谷少将は頼もしさの方が勝っている様子で、抑揚を取り戻した声で言う。
《龍驤は龍驤、艦娘は艦娘だ。そこに違いを求めたりはせん。私が言うまでもないが……意味なんてものは後からついてくるだろうからな。今はそれを胸に戦うしかないだろう。ただ、考える事が無駄だとは思わない》
《ほぉ? 言うやん。海原流を理解してきとるなあ》
ははんと茶化すように笑った龍驤に、熊谷少将は見えないだろうに首を横に振りながら言葉を返した。
《まだまだ、私は彼と並び立つ軍人ではないと思い知らされたよ。海原元帥がかような状況を作り出すなどあり得んと、疑ってしまった。だが考えれば考えるほど、思い出せば思い出すだけ、全て計略の内にあると実感させられる》
《大袈裟な表現、やないんやろなあ》
《龍驤。海原元帥が私になんて言ったか分かるか?》
《もっとシャキッとせえ! とか?》
《はは、それならば私も背筋が伸びるというものだが、残念ながら違う》
熊谷少将は机の上に集まってまるで軍議でも繰り広げているかのような海原の残していった妖精達を見つめて言った。
《一挙に仕事をこなそうとする私の愚かさを許してほしい……などと、謝られてしまったよ》
《は、はは、あははははっ! 謝られたて! あっはっはっはっはっは! ええなあ熊谷少将! 快挙やん!》
《か、快挙だと?》
《山元大佐も、清水中佐も、ほっとんどの人らは怒鳴られてんねんで? それが、謝罪の一つで任されてるて、はぁぁ、流石というか、なんというかやなぁ……》
頭上に疑問符を漂わせている熊谷少将に、龍驤は笑いをこらえながら言う。
《最初から君を当てにしとったんやて! 謝罪やない、嫌味や嫌味! くっくっく、なんや司令官、バケモンじみとる癖して妙なとこで我儘な人間味出しよるやんけ》
《い、嫌味ぃ!? そのような、私は確かに海原元帥に及ばなかったかもしれんが――!》
《せやから任されたんやがな! あの人は艦娘専門。戦場についてはいくら策略を練られても実地を知るんは君のが上や。最初から任せるつもりがワタワタしとったら、そら嫌味の一つくらい言われるがな! にしても、厳しいもんやな、あはは!》
はは、と力が抜けたように熊谷少将は笑う。
《き、厳しいどころか……厳し過ぎるではないか! 大湊警備府の全員の人命が掛かっている問題だぞ!》
《それがウチら軍人の仕事やろ? 異常に思えるけど、あの人はあれが毎日のことや。数百っちゅう艦娘を抱えとる人やで。君も状況は違えどそのはずやと思ったんやろうけど……そこらへん、どない?》
《っ……ああ、くそ! 自分の無能さをここまで知らしめられて尻拭いまでさせたとあっては大湊警備府の恥だ! 龍驤、残りの燃料は持ちそうか!》
《ふふふっ……艦載機飛ばしとるだけやから消費はそこそこやけど、まだいけるで。支援が到着する頃には丁度交代出来るくらいや》
熊谷少将は拳を握りしめて立ち上がり、妖精を見やる。
妖精はぴゅんと飛び上がって海図へ群がると、各々が手に持ったペンで海図へ線を引き始めた。一目で龍驤や木曾達、そして支援艦隊の予測航路であると見抜いた彼は一息に言う。
《支援艦隊と入れ替わりに全力で大湊警備府へ帰還しろ! 補給を済ませたら即時再出撃、全力で残存戦力を殲滅して津軽海峡、平舘海峡を一掃するぞ! 木曾達も修復材を使用して同時に出撃してもらう! これ以上、海原元帥にドヤされてはかなわんからな!》
《くくっ……あいよ、了解ッ! 帰還分だけ残して、あとは大盤振る舞いや! 艦載機のみんなぁ! お仕事お仕事ー!》
通信にさらに激しい風を切る音が入り込み、龍驤の楽し気な笑い声が響く。
熊谷少将の目には勝利への炎が燃え上がり、妖精達も気合十分といった表情で一糸乱れぬ隊列を組んで見せた。
「妖精よ、ここからが本番になるぞ――速戦即決といこうじゃないか――」
妖精達から最敬礼された熊谷少将は、にやりと不敵に笑う。
そして次の瞬間には、通信が復帰した。予定調和が如く。
《ザーッ……ザザッ、ザ……ちらマルフタ! こちらマルフタ! ちっくしょぉ……まだ復帰しねえのかよ……!》
《こちらマルヒト。通信の復帰を確認した。木曾、状況を報告しろ》
《熊谷少将……! やっとだ……津軽海峡中央部で深海棲艦が出現した! 駆逐艦ハ級が三隻と重巡リ級が一隻の小規模艦隊だ! それ以外にも――》
《全て龍驤から報告を受けている。早急に大湊警備府に帰還し、修理と補給を済ませてくれ。支援艦隊とともに敵深海棲艦を殲滅する》
《了解! すぐに戻る!》
「自称一般人、か……。はっ、無理がありますよ、海原元帥……」
ぷっつりと通信が切れたあと、熊谷少将はヘッドセットを外しながら呟いた。
そうして、大湊警備府のどこかで軍靴の音を立てているであろう護国の鬼神に向かって、精一杯の反骨心を示すのだった。
ただ、勘違いと知らぬままに。