柱島泊地日記帳   作:まちた

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彼女の再出発【阿賀野】

 東京の麻布にあるこぢんまりとした居酒屋で、公序良俗、などという堅苦しい四文字がカウンターを行き交い始めたところで、橘浩二(たちばなこうじ)は眉間に皺を寄せて喉を鳴らした。

 酒の肴にはちと堅かったか、と季節外れに呑んでいたぬる燗が残る徳利をちゃぷりと振った。

 店には橘の他には部下と店主の二人しかおらず、部下の男は声をひそめもせず声高に言った。

 

「橘閣下もご存じでしょう。我々海軍が為さねば成らない事は、得体の知れない化け物を駆逐し人類を守る事であり、それこそが自分らの正義であると!」

 

 そう熱弁をふるうのは、日本海軍広報部に所属する若き軍人、藤田茂(ふじたしげる)大佐である。

 彼は日本の自衛隊が海軍へと切り替わった頃に入隊した男だ。かつての混乱極まった日本においては、このような男が多かった。言い方は悪いが、ヒロイズムに満ちた者が多かったのだ。日常が破壊され、人々は恐れ、その中でも強き存在艦娘が現れて指揮出来る者が求められたあの頃、自分ならば出来ると立ち上がった人は多かった。

 橘は決してそれらを否定しない。人が何かを成そうとする時の原動力とは往々にして自らを満たすための欲であると知っているからだ。公序良俗と言い出したのは藤田大佐であって、彼の弁では海軍の身を切る改革に納得がいかんのだという。

 

 しかして既に実行されている最中のものであり、こうした分子を納得させるのが軍機を握る一人でもある橘の仕事であった。

 納得させるというのも、ていの良い言葉を並べて部下を()()()()()()のを言い換えたに過ぎないのに、橘は非常に後ろめたさを――感じたりはしていなかった。

 

 むしろ、藤田と自分の立場が違う事に安心を覚え、だまくらかして若き軍人をそのまま未来へ繋ぐべきであると思っていた。知らぬまま、分からぬまま、ある日ふと気づいた時、彼が頭を抱えて橘を思い出すのであろうと考えるだけで面白く、また低く喉が鳴る。

 藤田が改革を良しとしないのは、艦娘を指揮する人間があまりに多く失われたからだ。それを補完する手立てがあるとは公表しているものの、人事異動は半ば名前だけが動いただけであり、現場の指揮官が減っているのは厳然たる事実。

 海原元帥と井之上元帥の二人の司令塔で指揮官の減った前線が保てている現状が異常なのである。

 

 藤田は現実主義者で、この体制が長く続くとは思っていなかった。

 どこかで必ず手が足りなくなる、そう考えているのである。

 

「んん……」

 

「掌を返すような改革を元帥閣下が推し進める理由も分かりかねます……井之上元帥は人権派だったので?」

 

「どちらかと言えば、そうなる」

 

「確かに艦娘には感情がありましょう。人権を認めるべきであるという動きに自分も反する意見などありませんが――大戦果とは言え海原という男を海軍元帥に祭り上げて全艦娘の指揮官にするなど重責が過ぎます。僭越ながら、この改革はあんまりと言わざるを得ません」

 

「海原元帥をさして知らんだろうに、重責とは上からじゃあないか」

 

「そっそれはそうかもしれませんが……しかしですね……」

 

「あのお方だからこそ、全艦娘の指揮官が妥当であると軍部が判断したのだ。それについては異論は認められん。が、人員の大幅な異動と改革云々については一理ある」

 

「でしょう? なら――!」

 

「藤田は軍に入って今年で何年になる?」

 

「は、はい?」

 

 御猪口にぬる燗を注ぎながら問う橘に、軍帽でよれた髪をくしゃりと撫でながら藤田は訝し気に答えた。

 

「……十年と少しになります」

 

「艦娘が現れて随分経ったな。藤田も入隊時から考えられない出世をしたもんだ」

 

「話をそらさないでいただきたい!」

 

「まぁ、聞け。お前はどうして自衛隊から海軍と物々しい名となった組織に入ろうなどと思ったんだ? 面接の時は確か――」

 

 何を隠そう、藤田を広報部へと引き入れたのは彼であり、藤田もまた、彼と十年以上ともに仕事に取り組んできた。それがどうしてここまで階級に差が生まれたのかは、残酷なほどに単純な理由だった。

 

「世を平和にするためです」

 

「ああ、そうだったそうだった、ははは。今だから言うが、夢と現実の区別がつかん馬鹿が入って来たとあの時は笑ったもんだ」

 

 藤田は純粋だったのだ。現実主義者なのに純粋というのは変な話だが、言い換えれば、彼は常識という枠組みから出られない男なのだ。

 しかし橘は彼だからこそ育てねばならんとして、今もこうして居酒屋などに引っ張り出して話をしている。藤田にとってもこれはよくある事で、予定が合えば食事なり酒盛りなりに顔を合わせに来る。

 男同士のフランクな関係性でありながら、それよりもいくらか近しい間柄である。

 故に大佐と中将という壁を越えて――藤田は多少なりの礼儀は持ち合わせているが――親しく明け透けに話が出来る。

 

 だが今回に限っては、酒の量と比例して口から多く出てくる広報部のくだらない噂話など一切出てこず、橘は藤田個人へと言葉を紡いでいた。

 

「どうしたのです閣下、そんな。自分をからかうのに呼んだのですか」

 

「ああ、違う、馬鹿というのも親愛を込めたものだ。出世には邪魔になるものだが、決して失われるべきではない根幹であるべき思想だよそれは。まだ世の中を平和に出来ると考えているか?」

 

 諦観したような物言いに藤田は目じりを下げ、悲しそうな顔をして店主へぬる燗を二合ほど注文した。

 やってきたぬる燗の徳利を持ち橘へ示せば、御猪口をあおって空にして、それが差し出される。

 

「……()()()、嫌ですよ自分は。そんな事を聞くの」

 

「馬鹿。お前に聞いてるんだ。誰が世の平和を諦めるものか」

 

 歳は離れていようが、入隊時から十年付き合ってきた相手だ。

 妙な気を回した藤田に苦笑した橘は、注がれた酒を一気に飲んでから、既に冷めきったホッケを箸でつついてほぐした。

 

「国同士の争いは鳴りを潜め、今や手を取り合って化け物どもをやっつけようなんて世界中が奮起している。ある意味では平和だろう?」

 

「……」

 

 橘の言葉に言い返せず、藤田は塩気の強い枝豆を口に放り込んだ。

 

「言葉をこねくり回しても仕方が無いから単刀直入に言うが、この先、二年後か三年後か、お前には海軍でも特殊な椅子に座ってもらう事になる。お前にとって幸か不幸かは知らんが、これは非公式な事前通知だ」

 

「えっ、閣下、それは――」

 

「昇進、と言えば聞こえはいいが……今のお前にはまだ全てを知らせる事は出来ん。だが私は付き合いの長いお前の事を良く知っている。だから任せるならばお前しかいないと、真っ先に頭に浮かんだ。故に、事前通知だ」

 

 これを聞かせるために呼び出したのか。藤田は数時間前まで羽織っていた軍服のせいでよれたワイシャツのボタンを外しながら言った。

 

「その間、私はお前を見ている。変化が起こるかどうか。十年と変わらぬ心がこの世においてどう作用するのか」

 

 まるで謎かけのような言葉に、年季の入った徳利を御猪口に傾けていた藤田は唸った。

 橘はよく回りくどい言い方をするが、それは広報部特有と言うべき世間に対する言い換えの癖みたいなもので、少し不謹慎な例えをすれば、深海棲艦に押され不利な戦況を国民に知られ不安を煽らぬようにと、日本海軍は接戦し、防衛線を維持している……といった具合である。押されはしているが突破はされていないから嘘は言っていない。大本営発表とは昔からよく言ったもので、それが現代に持ち越されて皮肉られているのだから、海軍としてはきまりが悪い。

 

 世を平和にするためとは言え、入隊してから前線で戦うわけでも、艦娘を指揮するわけでもなく、世間に弁を弄する任務に従事するなど藤田の思想とは真逆である。

 それでも藤田が広報部に納まっている理由は、やはり橘という存在が大きかった。

 

 彼は銃を持たず、言葉という武器で心と戦っている。自分の心や、他人の心、さらには、世間という大きな括りが生む大衆の心と戦っている。

 海軍らしく別の表現をするならば、彼はそうやってかじ取りをしている。

 

 そこにはしっかりとした思いがある事を知っているからこそ、藤田は謎かけのような言葉もふざけるなと一蹴せずに、噛みしめて考えた。

 

「変化、ですか……自分は今まで通りですよ。これからも海軍のやり方には従いますし、今回のような無茶な改革があれば口出しします。通るか通らないかは察しておりますが」

 

「ならば安心だ」

 

 橘はニッコリと笑い、ホッケをもそもそと食む。

 

「――改革については、世間の目とお前の目は相違無い。身を切り過ぎているのではないかと政府も騒ぎ立てているよ。楠木少将の戦死に続き、八代少将と金森中将の裁判も控えている上に、各拠点から多くの軍人が引っ張られた。陸軍とて大騒ぎしている。特に、新任の松岡は方々を駆けずり回って、まるで番犬……いや、あれは猟犬だな。ある男に触発されてからというものの、松岡は鼻が敏感になった。ひとたび嗅ぎつけられたら地獄の果てまで追いかけられるぞ」

 

「陸の法務部中将でしたか。そのある男、というのは……海原元帥閣下で?」

 

「ああ。広島で会ったのが初めてだったらしいが、第二次大侵攻が始まる前まで色々とあったらしくてな。それと、海原閣下は正式には元帥だが、閣下の前では大将とお呼びするんだぞ。あのお方は一番上というのが苦手などという妙な人だからな」

 

 くく、と笑う橘に、藤田は目を細めて記者会見で見た顔を思い出す。

 どこにでも居そうなのに、その身に纏う異質な覇気と有無を言わさぬ重い空気――井之上元帥と並んでいても若くして元帥に遜色ないと本能に叩き込まれる雰囲気は、藤田から疑念を霧散させた。

 

「そのように気が小さい男には見えませんでしたがね」

 

「だろう? 私も未だに信じられんよ」

 

「自分もですが、閣下もその人の部下でしょうに」

 

 橘の笑顔を見て力が抜けたように冗談を返す藤田は、話の先を促した。

 

「それで……この改革には意味があるのですね?」

 

 場末の居酒屋とは言え、公衆の面前でこのような会話がなされる訳もない。

 藤田はちらりと店主を見た。すると、店主と目が合う。

 

 店主は口元だけ緩めると、すぐに料理をするために背を向けたが、藤田には一目でそれが軍関係者である事が分かった。このやり口から見るに、情報部が一枚嚙んでいるな、と橘へ視線を向ける。

 

「だいぶ目が鍛えられているようだな。十年も可愛がった甲斐がある」

 

 ニヤリとした橘に、食えない男め、という表情をしてわざとカウンターに頬杖をついた。

 

「しかし、せっかく鍛えたその目を取り出して洗わねばならん状況にある。海軍も変わるが、日本も世界も変わっていくぞ、藤田」

 

「なるほど?」

 

「時に、手品は好きか?」

 

「……閣下、もういい加減――」

 

 まぁまぁ、と御猪口を掲げた橘が、ぱっと手を離した。

 声を失って反射的にそれを受け止めようと手を伸ばしかけた藤田は――目を疑う。

 

 御猪口が、ぴったりと空中に固定されているではないか。

 

「え、えぇ!? 閣下、それ……お、おぉ……また、おかしな特技を……」

 

「はは、特技か」

 

 数秒もせず、橘は御猪口を指でつまんで、またカウンターへ置いた。

 そして、再び謎かけのような言葉を口にする。

 

「三年だ。三年の間、お前が純粋さを失わず、その目玉を洗って世界を見られたら、私はお前を後任に据える。それまでは一時的にお前に佐世保鎮守府を任せたく思う」

 

「……えっ!?」

 

 唐突な辞令だった。非公式の事前通知とは違う、近日の異動が確定しているような言葉、いいや、これはもう、確定しているのだと藤田は一気に酔いがさめた。

 

「軍部の殆どは見えているのだがな、徐々に、徐々に広げねばならん。お前は私の自慢の部下だ。ヒロイズムに侵され、しかして現実を受け止められる軍人だ。お前は言葉を武器に出来る男ではない、言葉()武器に出来る男だ。この任務には、お前の頭が必要になる」

 

「ま、待ってください閣下、どうして広報の自分が佐世保などという大きな拠点に据えられるのですか!」

 

「八代が消えて席が空いているからだ」

 

「そんな単純な――!」

 

「それ以上に理由が欲しくば、前述した通り。お前は私が自信をもってよそへ出せる軍人であると判断したからだ。井之上元帥にも海原元帥にも許可は取ってある。柱島泊地で発生した事故については把握しているな?」

 

「うっ……把握は、しておりますが……」

 

 先ほどまで酒を呑んでいたとは思えない雰囲気を纏った橘に気圧され、自然と姿勢を正してしまう。

 何も言っていないのに、カウンターの向こう側から店主が冷水を置いたのを見て、我慢できずに溜息を吐いた。これはもう、逃げ道など無いのだと。

 

艦本(かんほん)の調べによると、八代の奴が艦娘の艤装に深海棲艦の体液と思しきものを染み込ませた紙を仕込んでいたとの事だ。それを媒介に深海棲艦を呼び寄せたというのが実のところなのだが、その際に保護された――」

 

「ちょ、ちょちょちょ! 橘閣下! お待ちください!」

 

 もはや声を潜めようが意味も無いのに、掠れたような声で橘を制止する藤田だったが、店主は気にする風もなく料理を続けていて、勢いのまま声をかける。

 

「おい! 店主! 分かるな!?」

 

「はい?」

 

 なんでしょう、と振り返った店主に、藤田はもごもごと口を動かしていたが、ああ、もう、と声を荒げた。

 

「所属はどこだ! 情報部か!? 広報では無かろう、見たことも無いぞ!」

 

「減点一」

 

「っぐ……」

 

 橘の冷静な声に、椅子から浮いた腰が再び下ろされる。

 

「彼は海軍所属では無い。見て分かる通り今はただの居酒屋の店主だ」

 

 こういう時こそ落ち着いて、事細かな言葉尻さえ聞き逃すなと藤田は自身に言い聞かせる。

 

「……んんっ、今は、という事は、過去は軍人であったのですね。陸軍所属であった、と」

 

「そうだ。この居酒屋を選んだのにも理由がある」

 

「……」

 

 藤田は店内を見回す。自分と橘、そして店主以外には誰もいない。店内放送にBGMも流れていない。

 静かな店だとは思っていたが、どうにもそれだけではないと気づいたら、違和感は大きくなった。

 

「……防音が施されておりますな」

 

「よしよし、冷静になってきたな」

 

 橘の声を耳に受けながら、藤田はさらに店内をつぶさに見た。

 カウンターはよく拭き上げられているし、飲食店として普通に見えるが、床を見るに自分達以外の足跡がいくつかある。橘と藤田が来店するより前に客がいた証拠だ。

 しかしこれも引っ掛けかもしれない。来たのは本当に客か?

 

 椅子から立ち上がって地面にしゃがみ込み、じっと足跡を見つめ始める藤田に、橘は満足気にホッケをもう一口食べた。

 

「見立てを聞こうか」

 

 橘の声に顔も向けず、いくつかの足跡に指を這わせて、指先に付着したものを確認しながら藤田は言った。

 

「これは……街路樹の植えられたところを踏んだような土が混じっておりますが、砂も混じっているところから、一度濡れて乾いたものが街路樹の土と混じって剥がれているのかと。しかしそれも一部で、殆どは土埃ばかりですから、ここは陸軍の施設の一部……でしょうか」

 

 失礼、と言って口に含み、すぐさまカウンターに置かれたおしぼりにそれを吐き出した藤田は、改めて椅子に座ってから、うーん、と唸った。

 

「酒を呑む前に試していただきたかったものです。自分も若いとは言い切れん歳ですから、感覚など十年も前に置いてきたものを引っ張らねばなりません」

 

「十年で錆びる訓練ではなかろう。まだまだ若造よ。それで?」

 

「塩気があります。ここまで分かりやすく海を連想させたいのにも佐世保に理由があるのかと愚考しましたが、いかがでしょうか」

 

「……及第点といったところだ。私としては入店時から身構えてもらいたかったんだがな」

 

「手厳しいですね。まぁ……ここまで整えられているのですから、橘閣下に自分が逆らえるわけもありません。どのような任務なのですか」

 

 藤田の問いに、橘は店主へ「呼んでいただけるか」と声をかけた。

 すると、店主は奥に引っ込み――そちらから一人の女性を連れて来た。

 

「ぉ、あ……橘閣下、どうして、彼女が東京に……!?」

 

 それは――

 

「件の事故から、暫く休養させるために大本営で預かっていたのだ。海原元帥に預けようという話もあったが、井之上元帥が一時預かるとの事で話がついたのでな。しかし高練度たる彼女を長らく遊ばせておくわけにはいかん。よって、佐世保へと帰還させるために新たな提督が必要となった。そこで、私がお前を推薦したのだ」

 

 ――佐世保鎮守府所属、阿賀野型軽巡洋艦一番艦、阿賀野その人だった。

 

「さて、阿賀野。ここにいる私の部下、藤田という男が君の新たな提督となるのだが――どうだろうか」

 

「あ、あの、私は……えっと……命令なら、従い、ます……」

 

 不安そうに顔を伏せた状態で、ちらちらと店主や橘、藤田を見てはまた視線を下げる彼女。

 藤田は額を押さえて橘を見た。

 

「艦娘の指揮経験などない自分にどうして任せようなど……!」

 

「お前の目と鼻、頭を信頼しているからだ。知識が無いわけでもあるまい」

 

「知識はありますが! それとこれとは――!」

 

「なぁに、誰もが初めてなのは同じ事だ。お前は知識だけにあらず過酷な訓練にも耐え抜いた精神力がある。それに、何もかもを一人でやれと放り出そうなどとは考えておらん。佐世保鎮守府を運営するにあたって、新任のお前だけでは防衛に難ありと他の者に思われても仕方が無いため、郷田少将と清水中佐に協力するように通達してある。岩川基地、鹿屋基地、佐世保鎮守府の三拠点で防衛網をより強固に出来るよう、軍務に尽くす事を期待している」

 

「……はぁぁぁ」

 

 わざとらしい盛大な溜息を吐き出した藤田は、橘に「阿賀野に失礼だろう」と言われて、さらにもう一度溜息を吐き出してみせた。

 しかし、藤田の口から阿賀野に対して「君に対してじゃない、この無茶ぶりをしてくる男に対してだよ」という言葉が紡がれたところで、橘は破顔した。

 

「橘閣下、正式な辞令がおり次第、佐世保に行けばよろしいのですね?」

 

「身辺整理に時間が必要であろうから、一週間は見積もっている。その間、彼女にも大本営で待機してもらい、一緒に向かってもらう事になるだろう。質問は」

 

「久しぶりに飲み屋に来たのは、自分と食事をするためでは無かったのですか?」

 

「それもある。が、本命はこちらだな」

 

「で、ありますか……ではもう一つ」

 

「なんだ」

 

「先程の手品のタネは明かしてもらえないので?」

 

「――……っくく、三年以内に分かるだろう。それが分からねば、お前は広報部で飼い殺しにする」

 

「それはまた、随分な任務ですね」

 

 飼い殺しにする、という恐ろしい言葉が飛んで来ても、藤田は呆れた笑みを浮かべるばかり。

 そのやり取りを見た阿賀野の表情は曇った。

 

 しかし悪い人には見えない。信じても良いのだろうか。いいや、もう信じるべきではない。

 最初に信じて痛い目を見たじゃないか。痛い目どころか、柱島泊地の明石に救われなければ、今、自分は艦娘としてここに存在していない。

 だから、信じるのはもっともっと後でもいい。今は、藤田という男を見極めるべきだ。

 

 もやもやと考えている阿賀野を見て藤田は真っ直ぐな目を向けて言った。

 

「任務は必ずや遂行する。君の事は高練度の武勲艦であるという曖昧模糊な事しか分からんが、この一週間で出来る限り頭に叩き込んでくるから、心配しないでほしい」

 

「ぅ、あ、えと……私……」

 

 何か言葉を返さねばと口を開くも、すぐに閉じられ俯く阿賀野に、橘は、どうだ? と言わんばかりに顔を向けて来た。

 藤田は女性経験が無いわけではないし、扱いが得意とまではいかずとも苦手じゃない。

 

 しかし相手が若い女性で、しかも艦娘となれば話は別である。流行りの話を知っているような一般人でもないのだから、話題も限られてくる。

 八代少将が犯した重大な軍規違反、いや、国家への反逆行為の被害者たる彼女は多大な苦痛を経験しているはずだ。なら、当たり障りのない一手が必要か、と藤田は店主へ声をかけた。

 まずは自分を知ってもらう事から始めようと。

 

()()店主の方、メニューに無いものでも作ってもらえたりするか?」

 

 そんな八つ当たりみたいな言い方しないでもいいじゃないか、と橘が笑うと、藤田はまるですねた子どものように「自分が悪いわけじゃないので」と鼻を鳴らして席を一つ移動した。

 

「阿賀野、君もこちらに来て座るといい。立ちっぱなしなのも悪い」

 

「え、あぅ……はい……」

 

 藤田に言われてカウンターの向こう側からやってきた阿賀野は、気まずそうに先ほど藤田が座っていた椅子に腰をおろした。

 軍人二人に挟まれるのはさぞや居心地が悪いだろうに、それでも座ったのは、それを命令であると思い込んでいるからだろう。

 かすかに震える腕を見た藤田は、何度目か分からない溜息を吐き出してから御猪口へ酒を注ぎながら言った。

 

「チャーハンを食べたいのだが、作ってもらえるか? 明日はせっかくの非番だから、しこたま呑んで帰りたい。無論、橘閣下持ちで」

 

 店主は「はいよ、チャーハンね」とあっさり注文を受けた。

 

「はっはっは! そう不機嫌になるな藤田。広報部でマスコミ相手に美味くもない茶を挟んで話し続ける毎日よりは刺激的だろう?」

 

「でしょうね。ええ、そう思います。佐世保で何かあれば全て橘閣下に投げますのでそのつもりで」

 

「っくくく、気骨がある男に育って清々しい限りだ。阿賀野、こいつに何かされたらすぐに私に言えよ、すぐさま目の前で引きずり回してやるからな」

 

「あ、は、はい、えと、そんな、私は、うぅ……」

 

「訓練で一等ばかりの自分を広報に引っ張り込んだ閣下に言われるのは心外ですねえ? やれやれ、橘閣下の退陣も近いか……」

 

「私が耄碌し始めたと? こいつめ」

 

 阿賀野が毎日聞いていた刺々しい言葉なのに、そこに悪意は一片も無かった。

 それどころか――二人は先程よりも、笑顔になっているではないか。

 

「ああ、店主、チャーハンにはエビをいれないでくれ」

 

「うん? お前、エビが苦手だったか?」

 

「いえ、別に苦手ではありませんが――どうしてでしょうね、気分じゃないとでも言いましょうか」

 

「ほぉ、我儘な男だな。阿賀野、こいつの我儘を佐世保で矯正してやってくれ」

 

「これくらいはいいでしょう!」

 

 そんなやり取りに、阿賀野の震えがゆっくりと収まった。

 

「まったく……阿賀野は何か食べるか?」

 

「あの、私は……」

 

 阿賀野の小さな声は橘の声にかき消されてしまう。

 

「私は刺身の盛り合わせを貰えるか。あとぬる燗をもう二合」

 

「橘閣下! 阿賀野の注文が聞こえないですって! はぁぁ、この人だけは……すまん阿賀野、なんだ?」

 

「ぁ……」

 

 気遣っているわけでもなく、藤田は藤田のままに接してきているのだと気づいた阿賀野は――

 

「わ、私も、チャーハン、を……エビ、抜き、で……」

 

 遠慮がちな声で、藤田と同じものを頼んだ。

 

「お、エビ抜きか。店主、チャーハン二人前で頼む。どちらもエビはいらん」

 

「阿賀野は藤田の味方か、これは分が悪いな……」

 

「……あの」

 

 口を開いたはいいが、何を言おうとしたか忘れ頭が真っ白になった阿賀野は、やっぱり何でもないです、と顔を伏せた。

 事情を全て知っている橘は一瞬だけ眉をひそめたが、事情を知らぬ藤田は徳利に残った数滴の酒を御猪口にぽつぽつと落としながら言った。

 

「ここで何もかも済ませんでもいいだろう。今は飯を食おう、な?」

 

「……はい」

 

 あいよ、とあっという間に出来上がったチャーハンが二つカウンターに置かれた時、その香りと湯気の向こうに見えた藤田の顔を見た阿賀野の頬に、ぽろりと水滴がひとつ落ちた。

 

「阿賀野!? ど、どうして泣いて……――!」

 

「ご、ごめんな、さい、わ、わからないです、わからな……ぐすっ……すみません……申し訳、ありま……せ……」

 

「あ、あ、あぁ……ええ、と、店主! 何か甘いものを! 阿賀野、何が好きだ!? 何でもいいぞ、ここはもう経費で落とそう、ね、閣下、構わないでしょう!?」

 

「はっはっは」

 

「何笑ってるんですかちょっと! 店主、おしぼり! おしぼり一つ!」

 

 大の大人が阿賀野一人の涙に慌てふためく、そんな様相に橘は一層満足気に笑う。

 自分の選択は間違っていなかったと、軍部に自信をもって報告出来るぞ、と。

 惜しむらくは彼がまだ――手品のタネに気づけないことだ。

 

 しかし、それも時間の問題だろうな、と橘はカウンターの上に座ってホッケで頬をいっぱいにしている妖精を見て微笑んだ。

 

「どうだ、悪くはなかろう」

 

『――! ――!』

 

 その妖精は、ニコニコと頷くばかり。

 阿賀野は泣いていたが――それもまた、必要なものであろうと、あえて止めたりはしなかった。

 

「エ、エビ抜きが嫌だったか!? あー、エビ以外が欲しかったか!?」

 

「ち、違う、んで、すっ……一緒の、ご飯、食べます……食べさせて、くださいっ……ひぐっ……」

 

「そ、そうだな、食べような!? 橘閣下、ホッケに話しかけてないで酔いを醒ましてくださいって!」

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