冷静――とはどういった状態なのだろうかと頭の片隅で木曾は考える。
「前方、新手が来てるわ! 響!」
「分かってる!」
雷と響がほんの少しずれたタイミングで魚雷を放つのを目にしながら、視界を埋め尽くすような深海棲艦の群れを各個撃破していく木曾は考える。
思考がある種の一つの塊であると仮定したのならば、頭の中に入る数には限界が生じるだろう。十か、二十か、賢しい者であれば三十や四十くらいは入るかもしれない。しかしそれ以上は考えられなくなり、きっとそれらが個人の限界値というもので、埒外の対応を迫られた際に困窮することとなる。
「てっー!」
「
であるならば、雷と響が放った魚雷の射線がどうして交錯しているのかを考えられている木曾は、冷静で、限界値はまだ先にあるのかもしれない。
放たれてから十数秒、前方の群れが赤い光と轟音に巻き込まれていく。その後方からぶわりと黒煙が上がって、多くの深海棲艦が魚雷同士の爆発に巻き込まれたのは狙って起こされたものだったのかと、自らの予想に反しない結果に木曾は目を細めた。
一隻ずつ狙っていては道も開けず、数も減らせず。効率的ではないと判断したのであろう。即興で彼女らは潮の流れを読み切り、ずれたタイミングで魚雷を衝突させ、爆発の波で多くを呑み込ませたのだ。
その間にも自分の意思と考えに従って木曾の身体は陣形を維持したままに、まるでその場で踊るように回転し、四方八方に湧き出る駆逐級の深海棲艦をあっという間に撃沈させていく。装填し、砲弾を放てばその分だけ確実に敵を撃破していた。
たかだか十四センチ単装砲、されど十四センチ単装砲。
真正面からぶつかるような砲雷撃戦となれば、頼りになると胸を張って言える兵装ではないと勝手に思い込んでいたが、なるほど、大湊水雷団の名の如く、熊谷少将の口から出た速戦即決の言葉の如く、今の自分にはこれこそが必要な兵装であると納得に至る。
自分の身軽さをも武器にして、ぬるりと湧き出す駆逐級に紛れている軽巡ホ級やヘ級を一撃さえ放つことを許さずに海上へ出現した途端に撃沈させていく木曾の反応速度と正確性は、もはや改装を施された艦娘の領域を逸脱していた。
アメリカ海軍の支援として津軽海峡中央部にて発生した結界の内部にまで足を踏み入れた戦艦アイオワが視界の端にちらりと映った。
有り余る膂力を存分に発揮して、決して深海棲艦を近寄らせず。
大湊水雷団、ひいては日本の艦娘たる彼女らの知るいくらかの戦艦とは違う三連装砲は、金剛型高速戦艦や長門型戦艦の装備とは違う。かつて聞いた砲撃の音よりも重厚で、海面そのものが揺れるかのようだった。
徐々に互いの領域を広げていく大湊水雷団と戦艦アイオワ。
指揮官として黒々とした波間に不気味に佇む重巡リ級は叫喚した。
木曾を逃したところで津軽海峡へやって来る戦力などたかが知れている、なんて油断がもたらした結果である。
深度四百メートルを超えんとする海峡で息を潜め、数ヵ月に渡ってはぐれ深海棲艦を利用して戦力を確認していたというのに、ここに来てアメリカ海軍の支援が来るなどと誰が予想出来ようものか! 幾ばくかある感情の残滓が発する微弱な電流がもたらした苛立ちと焦燥に灰色の脳を焼かれながら、重巡リ級は兵装とも生命体ともつかぬ左腕の独立した頭のようなそれを振り回し、自身の盾になろうとしていた駆逐級の深海棲艦を蹴散らして砲撃するも、どれも当たらず。
【邪魔ダ! 退ケ! アア、クソッ!】
ぎい、ぎい、と金属を擦り合わせたかのような不快な鳴き声を上げて道を開けた駆逐級の深海棲艦達の先に、大湊水雷団の面々が見える。
色彩の無い視界に映る彼女らの表情といったら、それはもう。
「木曾さん! まだいけるよ! 陣形を広げよう!」
「ああ、砲撃範囲内ならギリギリまで広げていいぞ。俺が援護する」
「ふふ、木曾さんが援護だなんてね……さっきの一撃が援護の範疇なのかい?」
「響、お前なあ……集中しろ、集中」
「集中してるとも。ほら、これは、そう……確認?」
「何を確認しようってんだ」
「援護がどこまで届くのか、とかさ。いつもは木曾さんについて回っていたから、これでも不安なんだよ私は。この行動が正しいのか、自分で考えたことなんて無かったから」
「自分を疑ってたらキリがねえなんて、言うまでもねえだろ。だから前を見てろ。お前らの判断を正しいと言わせるのは、旗艦である俺の役目だ」
「それじゃ、遠慮なくっ!」
重巡リ級が、ぎり、と奥歯を噛んだ。血だか油だか分からぬ液体が口内に満ちて、口の端から雫を垂らす。
どうして、どうして笑っているんだ。何がおかしい。
あの戦争を忘れたのか。あの惨劇を忘れたのか。
あの悲惨な悲鳴を。あの惨憺たる光景を。
お前達には責任がある――この怨恨満ちた海に沈まねばならない責任が――!
【圧シ潰セ――!】
重巡リ級の命令が下された瞬間、周囲の深海棲艦の動きに変化が起こった。
大口を開いて、そこから砲身を伸ばして砲雷撃戦に参加していた駆逐ハ級は閉口し、木曾の砲撃から運よく逃れられた軽巡級の深海棲艦さえも攻撃の手を止め、空を舞う艦載機の音を除き、静寂が訪れる。
再装填を済ませたアイオワが大湊水雷団と自分に向けられた憎悪の視線に気づいた時、まずい、伝えねばと通信を繋ぐも、言葉が出なかった。
出せなかった、という方が正しいだろう。彼女らにそのまま母国語で伝えようとも、伝わらないと思ったのだ。日本語ではどう言えばいいのだ、と考えたその数秒こそが命取りになるとも分かっていたのに。
ああ、だめだ、とにかく言わねば。
通信であるのに、アイオワは叫んだ。
木曾も同じように考え、同じ結論に至り、二人の声が重なった。
《Retreat――!》
《退避――!》
ただ一点を突破するが如き戦いを続けてきた木曾から飛び出た言葉とは思えず、雷達は脊髄反射で背を向けて全速力で後退した。
固定砲台のようにして周囲の深海棲艦を退けていたアイオワもその場から一気に離れる。
深海棲艦が動き出したのと殆ど同時だった。そうして、信じがたい地獄のような海上に絶望と驚愕を上塗りする光景が広がる。
【ァアァアアアア――】
【ァアアァァアアァアア】
【アアアァアアァアア】
アイオワにある個人的感情や感想は別としても、その光景は彼女にとって見慣れていると言ってよいものであった。
先ほどまで大湊水雷団の面々が居た場所へ、もしくはアイオワが居た場所に群がる深海棲艦達――そう、彼女らを我が身を以て沈めんと、特攻してきたのである。
重巡リ級の判断は間違っていない。火力でどうにも出来ないならば、物量で圧し潰せばいい。それは奇しくも、彼女らが経験したもの。
「マジかよ……ッ」
「電、こっちに来なさい! 早く!」
「はわわわぁっ!?」
「もっと下がって木曾さん!」
艦同士がぶつかればどうなることか。言わずもがな。
艦娘同士がぶつかるとなれば、相当な速度でない限り今や早々事故として処理せねばならない事態には陥らないが、それは艦娘であるが故である。
人の身を持ちながらも超常の頑丈さを誇る彼女らは、サイズと比例しない頑強さがあるため同じ艦娘同士の衝突程度であれば案外問題視するほどもない。もちろん、一定の条件はある。
しかし深海棲艦はどうだろうか。
彼女らと同じ頑強さを持つが、彼女らとは比較にならない巨大さだ。何倍、いや何十倍と巨大な体躯である。
重巡リ級や軽巡ホ級、ヘ級といった人体の一部が変質したような存在であれば艦娘と同程度のサイズであるが、どういった理屈か、彼女らは強くなればなるほどに艦娘に近い存在になる。ならば、その逆はどうだろうか。
航空支援に徹する龍驤やサラトガも艦載機越しに、それを見ていた。
生きた艦が、憎悪という感情で動く艦が互いに押し合いへし合い、爆炎を上げる。
これを地獄と言わずしてなんと言おうか。
重巡リ級の選択こそ間違っていない。
艦娘にとっての最悪、深海棲艦にとっての最善であった。
無限に等しく湧き出す深海棲艦を有効活用し艦娘達から戦意を削ぎ、絶望を与えて近寄らせず、確実に相手を疲弊させ、消耗させていく戦略。これもまた、嫌に馴染みあるもので、木曾達もアイオワも歯噛みした。
「クソ! こんなの近寄れたもんじゃねえッ……」
木曾が「魚雷の残りは!」と視線を重巡リ級に向けたまま怒鳴れば、雷から震えた声が返って来る。
「の、残りは多くないわ……これじゃ、足りない……!」
木曾は再び自問する。
冷静とはどういった状態なのだろうか。
きっと感情から発された熱で顔の表面を焼くようなことを指しているのではないだろうし、悔しさで拳を握りしめたり、照準の定まらない十四センチ単装砲をウロウロとさせることではないだろう。
雷達に指示を出せないことも違うし、平舘方面、方角で言わば南側に位置する自分達から北東の位置にいるアイオワを縋るように見ることでもない。
冷静とは、手詰まりだと諦めることではない。
しかしまだ、どうしてか、木曾は思考に余裕があった。
たった一つしか入る余地はないが、確かに考えられる部分が残っている。
(どうして俺は位置取りなんざ気にしてんだ……二、三、四、五……ああ、くそ、こんな数えるのも馬鹿馬鹿しい量をさばくなんざ、いくら戦艦がいたところで、湧く速度を超えて減らすなん、て……)
チリッ……と、木曾の耳に脳が焼ける音が届いた。
(速度……そう、だ……速度がある……損傷してるわけじゃねえ。なら、俺には
重巡リ級がニヤリと笑う。
これなら勝てると確信を得たような笑みで、さらに深海棲艦を出現させて突貫させた。
大湊水雷団とアイオワはどんどんと距離を離し、先ほどまでいた場所で爆炎が噴き上がった。
どれだけ深海棲艦が互いを潰しあいながら沈もうが、すぐさま新手が生まれて、希望を呑み込もうと海を埋め尽くした。
《Hey! キソ! あー……退避! 退避よ! これじゃあ近づけないわ!》
アイオワの言葉通り、下がるしかない場面。
言われた通りに大湊水雷団は深海棲艦を回避すべく後退を続けるが、木曾だけが器用に重巡リ級へ身体を向けたまま。
相手と、それから空を舞う艦載機を交互に見て、チリチリと脳が焼かれる音を聞き続けていた。
《木曾、曳航してくれるならウチが退路を確保するのに残りの燃料を――》
《ダメだ》
提案を即座に拒否した木曾に驚いた龍驤は、艦載機越しに彼女の表情を見た。
遠目からでも、ただ諦めたわけではないと分かって、さらに問う。
《どないするつもりや。指揮官の重巡には辿り着かれへんで。もしも届いたとして、確実に囲まれて終わりや》
《そうか?》
《なんや、君ぃ……怖い顔しとるで》
龍驤は言葉とは裏腹に、口角をにいと持ち上げていた。
なるほど、これが木曾、いや、木曾の名を持つ彼女の性質か、と。
《なあ、先輩よ。ちょっと俺の提案を聞いちゃくれねえか? それに、アメリカの空母さんもよ》
《おう、なんや言うてみい》
《私に出来ることなら》
ごくりと喉を鳴らし、乾いた口内に唾液を回すサラトガもまた、互いが見えぬ位置にいるために不安を感じ、ほんの一年も経たずして再び見る絶望の光景に言葉を待つしかなかった。
《弾着観測射撃の準備をしてくれ》
木曾の言葉に、アイオワがサラトガを呼ぶ。
いくらかの英語が飛び交って数秒、すぐにアイオワから大声が飛び出した。
《この数じゃ無理よ! それに標的なんて――》
《標的? そんなの、指揮官に決まってんだろうが》
《What a――!》
理論上、不可能ではない。偵察機ではない事を除けば確かに条件は揃っていた。
航空支援として攻撃に徹していた艦載機は味方しかおらず、制空権の確保は出来ている。しかし一方で、圧倒的に有利な状況にありながらも拮抗、今や押し返されている現状を顧みれば無謀であるとも言える。
アイオワが砲撃し、それを上空を埋め尽くさん勢いの航空機があらゆる角度から観測すればより正確な攻撃が可能だろう。
ただ、それは理論上である。
《これだけ数がいるんだ。確実に当てられるだろ?》
木曾の声に続くものは無かった。
当てたとて、指揮する重巡リ級の知能を見ただろう、と。
アレはその場で最適解を叩き出し、最善の方法をとることができる。
さらには不利な状況をものともせぬ絶望という原動力で無限に等しく深海棲艦を生み出し、無茶や無謀をそのまま体現せしめる相手だ。一撃で勝てぬなら数で押す、それでも足りぬなら心を摩耗させる。心理戦すらも仕掛けてくるような相手に、今更になって弾着観測射撃を行ったところで、何が出来るというんだ。
そう考えているのは木曾にも伝わったが、しかしながら彼女の目は、爛々と輝いていた。
快晴なはずなのに曇天の空の下で。青々としているはずなのに真っ黒な海上で。
冷たく、そして厳しくも凛としているはずなのに、真っ赤の視界の中。
《アイオワ。あんたの力でも足りねえか》
《……一撃は当てられるわ。でも》
必ずや味方を肉壁にしてくる。砲撃が届く前に、怨念を盾にするはずだ。
それを口にしようが、木曾は諦めていなかった。
《どうしてこんな数を相手に、大湊警備府唯一の戦力である俺達が最適なんだってずっと考えてたんだ》
彼女は語る。つらつらと。
まるで思考を整理するかのようで、それに伴って彼女の中から余計な考えが海へ流れ出て行くようだった。
「木曾、さん……?」
後退を続けるうちにそばまでやってきていた響が木曾を見つめた。
それでも木曾はまだ、前を見つめたままだった。
《大湊警備府の指揮官は熊谷少将だろ? 立場もある人だ、そりゃあ聞く耳をもたねえ俺達に色々な話をしてくれた。今になって、ああ、全部大事な話だったんだって気づいて、安心してるよ。間に合ったんだって。まあ、海原元帥からしたら間に合わなかったのかもしれねえけど……清水中佐の事故だって、熊谷少将がただの与太話に聞かせてくれたもんだと思ってたんだ》
木曾の乾いた笑い声に、龍驤が咳払いを一つ。
《清水中佐の事故については軍部中枢が既に知っとることやろ。なら、熊谷少将の指揮下にある君らが知っとって当たり前や》
《でも、俺が聞いたのは、ただ転落事故にあって深海棲艦の声を聞いた……くらいのもんだぜ? いくら自分の部下相手でも全容を言ってくれるわけねえだろ。その証拠に、俺が知る以外の情報もあったじゃねえか。必死過ぎて自然に流しちまったけどよ》
木曾が示すのは言うまでもなく、自分達を足止めした正体不明の手のことである。
龍驤はここにきてはっとした後、呆れて溜息を吐いた。
《はぁぁ……厄介な後輩や……口が滑ったウチもウチ、か……。そや、清水中佐は君らと同じ現象に遭うとる》
《ははは、一本いただきだな》
《っはん! 流したって自分で言うとるがな! 引き分けや!》
《……清水中佐を詰めなきゃならねえかもって言ったよな。もし俺達と同じ現象で、同じ状況だったなら――》
《詰めてへん理由はそこにあるんは、分かるやろ》
《じゃあ、同じ現象だけど……意味は違ったんだな。俺が陸奥湾で聞いたあの声みたいな》
「木曾さん! 敵が――」
電の声よりも早く木曾の十四センチ単装砲が唸った。
あっという間に迫りくる敵を沈めたのに、木曾の表情は変わらないままで、電はぎょっとしてしまうが、すぐに目元を柔らかに下げた。
「……いつもの、木曾さんのままなのです」
ぽつりとした呟きも、後退を続ける自分達が上げる水飛沫に消えていく。
《せやから言うたやろ。あれはウチらが背負っていかなアカン声やって》
《やっと分かったよ、それも》
《さよか。ならええんちゃうかな》
そして木曾の瞳から、完全に迷いが消えた時、
《――よっしゃ、観測にどでかいの一発頼むでアイオワ!》
龍驤の声が重なり、サラトガの不安なままであるが、希望を探す声が呼応する。
《……アイオワ、お願い》
アイオワは一連の流れにあてられたように、全身を包む熱を鬱陶しがって怒鳴った。
「なっ……ん、もぉおおおッ! 日本のフリートガールはどうかしてるわ! こんな危険な事! こんなっ、こんっ……ああっ、もぉッ!」
正確に、的確に、そして確実に撃滅をせんと狙って放たれたアイオワの一撃。
それは見る者をうっとりとさせるほどに綺麗な放物線を描いて重巡リ級へ迫った。
しかし、やはり予想通りに、
【無駄ダ――馬鹿メ――!】
湧き出た駆逐級の壁に阻まれる。
それが、深海棲艦にとって致命的な一撃になるなど、知らぬままに。
《アイオワ、位置情報を確認して!》
阻む壁を呑み込んだ爆炎の向こうからワイルドキャットと呼ばれるサラトガの艦載機が、エアショーが如き動きで深海棲艦の攻撃に巻き込まれないように離れた。
それらから送られて来る情報に続き、龍驤に随伴していた妖精の操る天山から送られて来た情報がアイオワに叩き込まれ、一つの道を示した。
これでも、また阻まれるかもしれない。
アイオワの不安が徐々に大きくなり、心を蝕もうとした。
だがそれらを打ち破る声が通信に響き渡る。
《雷、電、道を開いてくれ!》
《木曾さん、まさか……!》
《そのまさかだよ》
雷と電が、残り少ない魚雷を盛大に放ちながら、目元に浮かぶ涙を必死に拭った。
きっと木曾のしようとしている事は、絶望を打破するためのもので、自分を捨てるようなものではない。しかしどうしても、それは木曾の性質もあって、自沈に等しくも映るのだろうと予感して、涙が止まらなかった。
どんどんと黒煙が上がり、視界か煙る。
魚雷同士が衝突し、または魚雷が深海棲艦に命中して爆炎が噴き上がった。
《響、頼めるか》
《……嫌だって言っても、連れて行くつもりでしょう?》
《はは、当たり前だろ》
木曾と響が駆け出す。雷達が開いた一筋の道を。
アイオワは木曾達に反応して動いた深海棲艦を目にして、ああ、これならと全身に力を込めた。
この隙こそがチャンスだ、と。
「私の火力見せてあげるわ…Open fire!」
一際大きな轟音が海上を支配した。
アイオワの放った一撃は、今度は明確な威を以て飛来し――重巡リ級を捉える。
こちらに届かずとも脅威になり得る木曾達を沈めるか、それらを放置してでも自分を沈めるだけにとどまらない膂力をはらむ戦艦アイオワの攻撃を防ぐかの選択を突きつけられた重巡リ級。
深海棲艦を操る指揮官として最善を選ぶか、あるいは、怨念そのものを体現する己が存在を守ることを優先するか。一瞬の判断は――己にあり。
【グゥ、ァッ……カハッ……】
《Shit……沈め……きれなかった……ッ!》
重巡リ級は肉壁として深海棲艦をいくらか湧かせたが、その数は少なかった。
しかし駆逐級の巨大な船体、いや、体躯を利用して盾としたのである。
湧き出た深海棲艦は仲間である亡骸を自らが傷つくのもいとわずに重巡リ級の周囲へと押しやり、未だ生きる身の自分達を含めて盾としたのだ。
木曾達へ迫る駆逐級も、軽巡級の深海棲艦も緩慢な動きながら妨害に徹した。
重巡リ級の指揮官としての能力は、相当に高いと言えよう。
《キソ――Retreat――!》
《木曾さん、逃げて――!》
アイオワとサラトガの絶叫がこだまする。
【ハ、ハハ、ハハハッ……絶望ニ、溶ケテ、シズメ――】
爆風によって半身を焼かれ悍ましい姿となった重巡リ級が怨嗟の声を上げ前を見ると、そこには――
「木曾さん、全弾消費だ。もう、これで終わり」
「ありがとな、響」
――重巡リ級に突っ込んでくる勇ましい木曾の姿が。
深海棲艦をかきわけ突き進んできた大湊水雷団の旗艦たる艦娘の姿を見て、重巡リ級はとうとう恐怖し、絶句した。
【ハ、ァッ……!?】
「わりぃな。命令違反上等のガキ大将なんだわ」
危機的状況に陥った際、全てがスローモーションのように見えるとはどこの誰が一番最初に体験し、言葉にしたことなのだろうか。なんて、木曾は考える。
その傍らで、もう一つ思い浮かぶのは――自らの指揮官の顔だった。
『木曾、無理はするな』
いつか、そんな声を掛けられた。しかし、戦いこそが自分の存在意義であると木曾は無視をした。
『お前達が居れば、それでいいんだ』
いつか、そんな言葉を掛けられた。しかし、いつの日か自分達も大湊警備府を去るのだと、耳を貸さなかった。
『私達が、大湊を守るんだ』
毎日のように飽きもせずに口にしていた言葉が、大湊水雷団の中で跳ねまわる。
「熊谷少将に怒られるな、こりゃ」
駆け出した勢いをより増して突き進む木曾の艤装が、何度か深海棲艦の亡骸にぶつかって鈍い音を立てる。
へこませるな、塗装を落とすなと言われたばかりなのに、工廠の奴らにも怒られちまうと木曾は自嘲した。
それでも初めて感じる高揚に、身体を止めるべきではないと突き進んだ。
木曾の艤装のいたるところにいる妖精の光に視界がチラつくが、それさえも自分の力だと確信して。
「一緒に怒られてくれよ」
なんて妖精に向かって言う木曾の身体が淡く光る。
《サラ、あ、あれ、何、ねえ、サラ……!》
《あれは……っ》
アイオワは目を疑った。
サラトガはかつて自分を救ってくれた艦娘達を思いだした。
兵装はあれど残弾無し。重巡リ級に辿り着くために撃ち尽くした木曾に残っているのは己の身一つだけ。
木曾の脳裏に浮かぶのは、やはり熊谷少将の顔だった。
(熊谷少将なら、相手をぶん殴って沈めたりすんのかな)
そんな戯言に塗れた思考の最中、通信に割り込む声。
《木曾、いけるか》
そういえば定時報告をしてなかったか、と思考する間もなく、木曾の全てが熊谷少将の声に塗りつぶされた。
それから、より強い光が木曾を包んで、消えて――
《今から帰るよ、熊谷少将》
――木曾の折れぬ意志と、大湊水雷団の染まらぬ魂が具現化したように、ばさりと黒いマントが揺れた。
振りかぶった木曾の手にはどこかで見たようなサーベルが握られており、瞬く間に鋭い刃が重巡リ級をたやすく切り裂いた。
【ァ、ア……? ナン、デ……クソ、失敗、シ、タ……マタ、失敗……シ――】
重巡リ級が仰向けに倒れ、海上からずぶずぶと沈み姿を消していく。
そこから糸が断ち切られた人形のように、周囲の深海棲艦も動きを止め、その恰好のままに沈んでいくのを見ながら、木曾はいつの間にか纏っていたマントを翻して、通信を通して言った。
熊谷少将に対してか、龍驤に対してか。
大湊水雷団の仲間に対してか、アメリカ海軍の二人に向けてか。
《what a hack……サラ、あ、あれ、キソ、よね……!?》
《木曾さんだと、思うわ……でも、あの艤装に、マントは……見た事が、ない……》
あるいは、自分自身に向けての言葉だったのかもしれない。
《――もう、大丈夫だ》
ふっと消えた重い空気に気づいて全員が顔を上げると、そこには燦々と輝く陽光と、どこまでも続く水平線があった。