柱島泊地日記帳   作:まちた

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後始末②

 大湊警備府、執務室にて。

 

「――はい、そのように伺っておりましたので、軽巡洋艦木曾の勤務態度を確認しました。その上で問題無しと判断したところです」

 

『ふむ、それで』

 

 濃紺の軍服に身を包んだ海原が、軍帽を小脇に抱えて電話をしていた。

 執務室には海原しかいないが、廊下と執務室を隔てる扉の向こうにはもう一人。

 

「それでですね……えー……大湊警備府の哨戒の件につきまして、大本営にあります資料をもとに実際に確認したところ……」

 

『資料と相違があったか』

 

「ええ、はい、そうですね」

 

 じっと扉の前で耳を澄ませるのは、海原に置いて行かれてしまった熊谷少将、その人である。

 彼は海原が大本営、井之上元帥と連絡を取っていることを察していた。

 物干場での一連の出来事以降、すぐさま海原を追ってせめて仕事の一端でも担わねばと意気込んでいたところ、執務室で電話をかけはじめてしまって入室のタイミングを逃してしまったのだった。

 熊谷少将には海原の声しか聞こえていないものの、明らかにただならぬ雰囲気であることは分かった。

 

 しかしこのまま盗み聞きしているわけにはいかない。

 いまだ、それいけ。さあ入るんだ。勢いをつけ何度もドアノブに手をかけるも、熊谷少将の頭の中では何度も海原の言葉が反芻され、どうしても力がこめられずにいた。

 

(海原元帥が別の世界からやってきた一般人など、既に承知しているはずなのに……何故だ……どうして、こうも及ばないのだ……私は少将にまで成り上がった軍人だぞ……!)

 

 熊谷少将の自負。間違いなく彼は豪傑である。

 

(これが前々から計画されていた事であったならば、私がただ利用されたに過ぎない話だ。それならばまだいい)

 

 再びドアノブに掛けられた手にぐっと力をこめる熊谷少将は考える。

 

(もしかすると、井之上元帥が計画していたことを前線指揮官たる海原元帥が実行しただけかもしれん。ならば得心がいく。元帥両名に及ばぬなど当然のことだ。だが、ああして井之上元帥に連絡している口振りは、どうも……)

 

 数秒から数十秒。熊谷少将が悩乱のうちに、さらに扉の向こう側で話は進んでいた。

 

「私が想定していた戦闘規模ではありませんでした」

 

 短く切られた言葉に、熊谷少将は無意識のうちに息を詰まらせた。

 研ぎ澄まされた五感がさらに鋭敏となって、ただ立っているだけなのに全身に痛みが走るようだった。

 

 もちろん――勘違いであり、すれ違いである。

 

 熊谷少将が勘違いしていれば、井之上元帥は海原とすれ違いを起こしているなどと、誰が考えようものか。

 

『想定していた戦闘規模ではない、と……ほぉ、言いよるわい。っくくく。海原、お前――これを読んでいたな?』

 

「……読んでいたとは、どういう意味でしょう」

 

 海原は井之上元帥にさえ事後処理を頼ろうとするどうしようもない社畜である。誠心誠意、海軍に勤めている彼であれ、やはり抱えきれる量、いわば許容量は決まっている。

 例えそれが成長するものであり、今後は今よりも多くを抱えられるようになるとしても、今しがたの海原は既にパンク寸前なのだ。

 

 木曾の横柄さを確かめるためにやってきた大湊警備府において、反射的に木曾の腕を握って「ご飯を残したら怒られるぞ」なんて小言を言った時点で、それを振り払われた時点で、いいや、もう少しだけ海原の意を汲んで言わば、工廠部で海原が初めて感じた普遍的な艦娘への感想を耳にした時点で心は表面張力を失って多くを零していた。

 

 さらに端的に言おう。

 

 海原が鸚鵡返しする言葉に対して、井之上元帥が笑って()()()()()ことにさえ、彼は気づいていないし、早く柱島泊地に帰してくれと懇願する要因にしかならなくなっている。

 

 要するに、逃げ出したいのである。

 

 海原はただ木曾の様子を見ただけ。そして、哨戒についてもきっとこれが大湊警備府の通常であり、海原が出しゃばってさえいなければそれで終わるものだとばかり思っていた。しかし木曾への思いやりと自分を優先する保身が混ざり合った結果、このような面倒を起こしてしまった、などと考えている。

 それもそのはず、故に彼は何度も口にしていた。全て自分の責任で、自分は邪魔をしてしまっただけだと。アメリカ海軍の支援を乞うたのもまた、自分の責任であり、大湊水雷団を救うためだと。

 海原は一言一句、おかしなことなど言っていない。

 

『このワシに駆け引きか? なるほど、食えん奴になってきたとは思っていたがここまでとはな。いいぞ、いい、素晴らしいぞ海原』

 

「駆け引き? あの、井之上元帥、ですから私は――」

 

『いつから読んでいた? それだけ教えてくれんか』

 

 日本海軍の頂点。日本国が持つ武力の象徴である井之上元帥がこうして海原に口を利くなど、井之上元帥と関わりを多くもつ政府の高官や軍部中枢の者らが聞けば卒倒するだろう。安心して欲しいが、もちろん勘違いである。

 井之上元帥自身、海原の言動はよく勘違いされてしまうと知っているが故に、これこそ偶然であるなどとは一切考えなかった。何故ならば、大湊警備府に送り込んだ本人であるからだ。勘違いを利用してやろうとした代償、とも言えよう。

 

 世界一優しく、世界一強烈で、どうしようもなく下らない勘違いの連鎖。

 それは日本海軍はおろか、アメリカ海軍、そして艦娘と妖精を巻き込み、海を渡る風のように吹き荒れる。

 

『よもや大本営に来る前、などとは言うまいな』

 

「読む読まない以前の問題です。私なりに考えた結果に過ぎません。現地にまで来ているのですよ? 大本営に来る前なんて井之上さんが送った人達までいて散々だったのに……」

 

 井之上元帥を親し気に呼び、こうして愚痴るように零したそれもまた、要因。

 

『っは、それを人は()()と言うんじゃよ。だがまさか、迎え(特警隊)を差し向けてほどなくしてここまで考え、実行に移したとは……っくく、くくく、面白い奴だ。お前が前の世界で使い潰されていた時間がこうも惜しく感じられるとは。しかし、様々に突飛なお前のことを御しきれんワシもまだまだ成長の見込みがある、とも言えよう。どうだ?』

 

「それ以上成長してどうするんです?」

 

 思わず素の感情を出して問うてしまった海原だが、すぐに咳払いして誤魔化し、ですから、と枕詞のように言う。

 

「井之上さ……んんっ、井之上元帥にお願いがありまして、こうして連絡をさせていただいた次第です」

 

『よかろう。言ってみろ』

 

 大湊と新宿、遠く離れた場所であるというのに井之上元帥は身構えた。

 

「大湊警備府における今回の哨戒は、通常通りであった、ということにしていただきたいのです」

 

『なに……?』

 

 低くなった声に海原は溜息を吐き出した。緊張の溜息である。

 しかし井之上元帥にとってそれは「それくらい考えられないのですか」と言葉無く示されたように感じられ、さらに思考を加速させるに至る。

 

『ま、待て、海原、少しでいい』

 

「はい。あの、申し訳ありません、本当……無茶を言っているのは、分かっているのですが……」

 

 海原は一連の出来事について責任を取るつもりであるが、彼は社会人としての常識を持ち合わせている。

 責任は負うが、体裁は保たねばならないと考えているだけだった。海原自身の体裁などではない。彼なりに、日本海軍、大湊警備府をかき乱してしまったと反省しているのである。表面上では何も無かったかのようにしてくれと懇願しているのだ。

 彼のように冗談めいて言わばアメリカ海軍の支援は渡りに船ならぬ渡りにアメリ艦。しかしだからと言って巻き込んでしまったのは海原の最大の汚点である。

 

 では、これらを井之上元帥が額面通りに受け取るだろうか?

 

 いいや、それは在り得ない。

 

『大湊警備府の哨戒を通常通りのものであったと記録して、理由は』

 

「先にも申し上げましたが、大湊警備府は哨戒に際する戦闘が多い拠点であると自分でも調べて承知していたつもりでした。しかし想定していた規模ではありませんでした」

 

『先にも聞いたが……ふむ。具体的には』

 

「重巡洋艦級の深海棲艦を指揮官とした敵勢力を確認しました。運よく警戒網をすり抜けて来たとは考えられません。件の木曾率いる大湊水雷団と龍驤で戦闘しておりましたが、木曾の能力が――」

 

 ここで一拍置いて、海原は言う。

 熊谷少将の思惑を汲み取って伝えねばと。

 これもまた、その通りなわけがない。

 

「……私の指示不足により、大湊水雷団に損害が出ました。ですので、今後こういったことのないように旗艦である木曾に妖精による改装を施しました」

 

 井之上元帥以外であれば、大声で喚き散らしていたことだろう。

 さらに詳しい話を教えろ、書面にまとめ、すぐに送れ、いいや、やはり私がそちらに行くから黙って待っていろ……井之上元帥の口からは、どれも飛び出なかった。

 井之上元帥の頭に流れ込む情報から導き出される海原の心は、大湊警備府に住まう妖精の責任をも抱え込もうという大それたもの。

 

 実態は妖精との共鳴が寸前で間に合ったに過ぎない。

 

『なるほど、なるほど……海原、お前の指示に不備があったというのだな?』

 

「……っは」

 

『分かった。木曾の改装についてはどうしようとも書類が必要になるが、それの準備は』

 

「出来ております」

 

『そうか。木曾は無事か』

 

「問題ありません。哨戒を終え、現在帰還している最中です」

 

 海原の口振りが徐々に明瞭になっていくにつれて、別の理由があると思い込んだ井之上元帥はさらに問う。ただ解決しそうで海原が安堵しているだけだなんて微塵も思っていない様子で。

 問題しかないのに「問題ありません」とはっきり口に出す愚か者がどこにいようものか。しかし悲しいかな、社畜はどのような問題を抱えていても解決に向けて一歩踏み出しながら気丈に問題などありはしないと答えねばならない存在である。

 ましてや社畜であり国畜ともなった海原のことだ。気丈どころか、それさえも手の内でしたと言わんばかりの雰囲気なものだから、井之上元帥に勘繰るなという方が無理な話だった。

 

 そうして、賢しい井之上元帥は偽りの答えを知る事となる。

 電話口の向こう側で膨大な資料に囲まれた軍人が、ぼんやりと見つめる壁に貼り付けられた海図を見て、これしかないと導き出した。

 まさか、いやいや、それでも、ここは確認せねば。

 

 焦りを滲ませないように至極落ち着き払ったかのような声音で、井之上元帥は言葉を紡いだ。

 

『北方の防衛ライン、か』

 

「……」

 

 海原は黙り込む。それもまた数秒。

 彼の頭の中は――

 

(あぁぁぁぁ! やっぱ北方の防衛ラインとやらに関係があるんですよねこの大湊警備府ってやつはぁぁッ! 邪魔した上に後始末を井之上さんに頼った時点でバレて当然だけどさぁぁああ! 突きつけられると何も言えないってもおおおおお! ごめんなさい! マジでごめんなさい! 木曾は問題無かったんで! 自分の仕事としては問題無しって報告が出来ただけで及第点ってことにしていただけませんか! オネシャス! オネシャス! お好み焼き奢るんで! オネシャス!!)

 

 ――酷いものである。

 

「防衛ラインの設置が急務であるとは存じております」

 

 かろうじて口にした当たり障りのない言葉。

 井之上元帥の耳には、こう聞こえた。

 

 だから動いてやったのだ、と。

 

『ああ、そう、か……ふぅぅ』

 

 井之上は返事をしながら机の引き出しから葉巻を取り出し、器用に片手で火を灯した。葉巻の片側を乱暴に噛み切り、葉が口に張り付いてもお構いなしに煙を吸い込み、深く吐き出す。

 

『……礼を言う』

 

「れ、礼など、私はやるべきことを何とかこなしただけで……」

 

 木曾の態度を確認しただけである。本当に見ただけだと本人は思い込んでいる。

 井之上元帥は電話の向こうにいる海原に見えないからと薄く笑みを浮かべた。

 

『大変だったか』

 

「その……」

 

『構わん』

 

「……多くを一人で担う限界を感じました」

 

 海原の消え入りそうな声に、井之上元帥はもどかしくなり、大声をあげてしまう。

 

『当然だ! こんの……! はぁぁ……すまん、今のは、忘れろ』

 

「申し訳、ありません……」

 

 謝罪され、さらに感情が高ぶりそうになった井之上元帥だったが、葉巻の吸い口を噛むことで堪えた。

 なんと不甲斐ない事か、と。

 本来、その感情は海原に向けられることが正しいのだろう。

 もちろんそのベクトルは現在、逆に向いていたが。

 

 全てを悟ったつもりでいる井之上元帥は、ぽつりと言った。

 

『いや、いや、素晴らしい戦果だ。それだけでいい。大湊警備府における哨戒についてもそのように処理をして構わん。作戦概要なども結構だ。ただ、そうだな……撃沈数に差異が出るだろう』

 

 多くを撃沈したために不自然な記録になることは必至である。

 海原はそれを、こう返してみせた。

 

「提案なのですが……そ、その、軍規上、戦果を分けることは違反にならないのですよね」

 

『……まさか、お前』

 

「え、えー……と……舞鶴鎮守府などに、数字を移動させるというのは、難しいでしょうか。現在、立て直しに多くを割いている状態でしょうから、対外的に維持できているように見せられるならばと思うのですが」

 

 海原がてんやわんやにしてしまった被災地……もとい、被害地である。

 井之上元帥はここまでくるとそれで手を打つしかなかった。ぱんぱんと何度も自身の太ももを掌で打って、言ってくれるじゃあないかと憂いすら忘れるくらいに笑った。

 

 はぐれの深海棲艦として処理するならば、数の増減が両拠点であるなら違和感など皆無。ここまで考えられていたのならば、まさしく海原こそ戦争を掌握せし護国の鬼神と言えよう。

 

 安心してほしいが、まったくそんなことはない。

 

『ワシに向かって堂々とそれを言うか。ははは! 長峰少佐にはどう説明するつもりだ? ええ?』

 

「私の不手際であると正直に言います」

 

『不手際か。そうか……っくく、お前らしい』

 

「……」

 

 海原は今にも泣きそうな顔をしていたが、小脇に抱えていた軍帽を被ることでそれを誤魔化した。胸中では「勘弁してください井之上さん」といったところ。

 

 このように複雑化した勘違いとすれ違いが何故上手く回り続けるのだろうか。

 それは間違いなく、海原の矮小な人間臭さと、有り余る誠実さ、そして彼の――

 

「井之上元帥。こまごまとした後始末はするつもりですので、こちらでも人員を割く許可をいただきたく思います。大湊警備府の軍人へ仕事を割り振るのはまずいでしょうか」

 

『後始末か、そうだな……そちらに丁度良い使い走りがもうじき到着するはずだ。その者らを使えばいい』

 

 ――常軌を逸した処理能力の高さが原因である。

 保身のためとは言え周囲の状況を的確に把握し、対処に必要な仕事を各員に振り分ける能力の高さは、奇しくも指揮官にとって不可欠のものだった。

 

「使い走り、ですか」

 

『戦艦アイオワ、空母サラトガを支援に送ったのはアメリカ海軍だが、それらは名目上、ソフィア女史の助手だ。ともすれば現場での命令権限はソフィア女史にある。彼女がお前が必要ならばと送ったのだ。その本人は福島で足止めを食らっておってなあ。それではいかんとワシが特警を派遣し、護衛と共に大湊警備府に向かわせておる最中なんじゃ。何かあればと幾人かがそちらに先んじておるから、それを使えと言うておるんじゃ。事足りねば増派もできる。そも、これが望みだろう?』

 

 海原はソフィア女史にも迷惑をかけていると自覚して地面に伏してしまいそうになりつつ、小声で「はい」と答えた。

 

「津軽海峡中央部における深海棲艦の出現で周辺地域に警報が発令されておりますので、住民への説明に人員を割かせていただきます。えー、それと……虚偽を説明するわけにはいきませんので、それとなく濁しますが……」

 

『敵戦力の撃滅は確認出来ているだろう?』

 

「はい、大湊水雷団が現地で確認をしております。龍驤やアイオワ達も同じく。哨戒ルートとなっている海域の警戒網に引っかかるような反応はありません」

 

『ならばよし。アメリカ海軍への報告についてはワシが受け持つ――そちらは任せた』

 

「……っは」

 

 そうして、時が来る。

 

 

 

* * *

 

 

 

 入室出来ず、こうなればもう電話が終わり次第入室しようと佇んでいた熊谷少将のもとに、赤い腕章の一行が現れた。正門からの連絡さえもなかったために熊谷少将は慌てて姿勢を正し、威を醸したが――総勢十数名の腕章をつけた軍人はたじろぎもせず、一糸乱れぬ歩みで熊谷少将の眼前まで来ると、ざっと最敬礼してみせた。

 その先頭で凛とした声を発した男の腕章にある文字を目で追った熊谷少将も、慌てて答礼する。

 

「海軍特別警察隊、第三方面分遣隊兵曹長、相川太一(あいかわ たいち)であります」

 

 鍛え抜かれた軍人らしい体躯に、キツイ一重の目元。

 今にも怒り出しそうな眉は相川兵曹長の性質を表しているかのようだった。

 

「何用か」

 

 熊谷少将の重低音のきいた声が空気を揺らす。大抵の者はそれだけで畏怖し、縮み上がったものだが、相川兵曹長は堂々としたままだった。

 

「――申し訳ありません」

 

 ただ謝罪するだけの相川兵曹長。それは階級が雲の上である熊谷少将であれ何用であるか答える必要があれど、答えられぬということ。

 言わずもがな、今もまだ執務室内で電話をしている海原元帥、並びに井之上元帥の直属であるという証左である。

 

 さらに明確にしめしてやろうとばかりに、相川兵曹長は熊谷少将へ機敏な動きで一礼したのちに、扉をノックしてみせた。

 

「誰だ」

 

 くぐもった海原の声に対して、先ほどより大きな声で名乗り上げた相川兵曹長。

 たっぷりと間を置いてから海原は重苦しく「入れ」と言った。

 

 扉が開かれたと同時に、熊谷少将を目にした海原は電話口に向かって言う。

 

「丁度来ました。では、あの、えー……」

 

 しばしの逡巡を見せ、海原は井之上元帥に向かって頼み込む。

 

「熊谷少将には、その」

 

『分かっておる。代わってもらえるか』

 

「はい。――熊谷少将、来て早々に悪いが、井之上元帥と話してもらえるか? 私は別の仕事を片付けてくる」

 

 呼びつけられた熊谷少将は小走りに海原へ近づいて、恭しく受話器を受け取って耳に当てた。

 

「熊谷であります」

 

『おお、すまないな熊谷少将。此度の哨戒ではご苦労だった』

 

「井之上元帥……これは――!」

 

 哨戒などではない! との言葉を呑み込む熊谷少将。それは何故か。

 熊谷少将の背後で繰り広げられる会話が、そうさせたのだ。

 

「相川兵曹長と言ったか。これから割り振る仕事を任せたいが、出来る限り迅速に行う必要があることを念頭に置いてほしい。諸君らも、だ」

 

「っは!」

 

 多くの返事が聞こえてきて、それが少なからずヒントになっていた。

 

「深海棲艦の出現で周辺地域に警報が発令されている。今の今まで対応出来なかったため避難している住民がいる可能性がある。そちらに出向き通常通りの哨戒だったが戦力増派によって手違いがあったと説明をしてほしいのだ。誤報の原因は……私であると言ってくれ」

 

「海原元帥閣下が原因であると?」

 

「そうだ。詳しい所は濁しておいてくれ」

 

「それは問題ありませんが……」

 

 相川兵曹長の視線が熊谷少将を捉えるも、一瞬で海原へと戻る。

 

「任務にはどれだけの期間を――」

 

「今日中だ」

 

「きょっ……!? ん、んんっ……了解」

 

 海原はただ単純に周辺地域に誤解を与えてしまったと説明してこいと言っているつもりだろうが――津軽海峡中央部に出現したと警報が発令されているのだから、その範囲は海峡を隔てて青森県の沿岸部のみならず、北海道は函館沿岸部も含まれている。

 知ってか知らずか、いや、知らないだろう。海原なのだから。

 

「現時刻を以て開始とする。頼んだ」

 

「っは! ヒトゴーフタフタ、行動を開始します!」

 

 そのまま執務室を走り出た特警隊を見送った海原もまた、執務室を後にする。

 彼にはまだ仕事が残っているのだ――アメリカ海軍の艦娘の対応をするという大仕事が。

 

 そうしてぽつんと一人残された熊谷少将は、あっけに取られて言う。

 

「申し訳、ありません、その、今」

 

『聞こえておったわい。それでだな、熊谷少将。此度は哨戒で方を付けることが決定した。お前がどう言おうが覆すことは叶わんぞ』

 

「しかし!」

 

『ならん。ならんのだ、熊谷少将』

 

「どうしてなのです、井之上元帥……」

 

『ワシらの立場を考えてのことだ。海原の気持ちも汲んでやってはくれんか』

 

「あれは間違いなく北方の防衛ラインの設置を妨害するための戦力でしょう。それを作戦にもまとめずどうして――!」

 

『故に、だ』

 

「如何な理由であれ承服しかねます! 私は大湊警備府の指揮官であり、防衛ラインを越えた最終地点でもあるのですよ! 妨害するための戦力であらば、それが本土の海峡に現れたなどと……ッ」

 

 熊谷少将の悲痛な叫びこそが答えだったと気づくのに、数秒も要さなかった。

 

「……ぁ」

 

『我々の目で見てどうあれ、国民や、いいや……日本を含む各国の政府からは防衛ラインの設置に失敗したと見られてしまうだろう。日本海軍がやっとのことで立て直した全てを失いかねん』

 

「そ、れは……ですが……っ」

 

『さらに言わせるつもりか?』

 

 熊谷少将は固唾を呑んだ。

 それを肯定と受け取った井之上元帥から紡がれる言葉に、熊谷少将は執務机の椅子に座る気力さえ失い、茫然とした。

 

『日本海軍随一と謳われる横須賀鎮守府を凌ぐ勢いである大湊警備府の戦力は、海原の作戦において不足だったのだ。大湊水雷団の戦闘能力――突破力、とでも言おうか。 それを海原の口から、役に立たなかったとでも言わせたかったのか? これはワシにも言えることだ。各国との調整に奔走するワシは大局を見ているつもりだった。所詮、つもりだったのだ。木を見て森を見ずとは、気合十分にから回っていた日本海軍そのものよ』

 

「ぐ、ぅ……」

 

 気遣われた――軍人の、男の、大湊警備府を守護する艦隊の指揮官たる矜持を踏みつけぬために。

 それを求めてしまったのは、熊谷少将にとって一生の不覚だった。

 もちろんそんなことはないのだが。

 

『報告書の必要はない。海原から粗方の話は聞いておるのでな。熊谷少将と海原、どちらの肩を持つつもりもないが、これだけは言える。慰めでもなくな』

 

「なんで、ありましょうか……」

 

『海原の手、妖精の力か……それによって、木曾に改装が施されたのだろう』

 

「……はい」

 

『柱島泊地を除く、初の改二、だ』

 

「――ッ!」

 

 茫然自失としていた熊谷少将の背筋が伸びた。

 

『確認しておくが、今回の哨戒がどのようなものであったかは、理解しているな』

 

「はい。防衛ラインの設置を妨害しようとした深海棲艦の撃滅が主となる作戦でしたが……秘匿作戦でもある、と」

 

『左様。海原の悪い癖とも言えるが、奴はワシをも気遣ったのだろう。外交のほか、政府と国民への説明義務はワシにあるのでな。はぐれに紛れて警戒網を抜けたわけでもなければ、潜伏しておりましたと説明してみろ。想像もしたくないわい』

 

「仰る通り、ですね……しかし規模については――」

 

『はは、それも先ほど、海原が言っておったよ。秘匿する理由はそこにある』

 

「秘匿理由が?」

 

 いくら考えようとも先を紡げずにいる熊谷少将の鼓膜を、井之上元帥の重たい声が震わせた。

 

『恐らくは、敢えて戦闘を避けて襲撃されるまで時間を稼ぐ算段だったんじゃろう』

 

「まさか、それで軽空母の龍驤を――!」

 

『うむ。奴は相手の動きを監視してギリギリまで時間を稼ぎ、一切の抵抗も許さずに方を付けるつもりだったのだ。それ相応の戦力を用意してな。そうすればワシは政府にも国民にも敵を見つけたり、と説明がつく。見えぬ敵でさえ見つけ出したと各国へ日本海軍の在り様も見せつけも出来たじゃろうな。しかし、想定よりも小規模であった――ならばソフィア女史の連れたアメリカ海軍の艦娘の二人を加え、大湊水雷団の水上打撃部隊、柱島泊地の龍驤とアメリカ海軍のサラトガの航空部隊に、大湊水雷団の戦力を底上げする戦艦アイオワで押し切ってしまえと、そういう話だ。奴は体裁を蔑ろにする男ではないが……第一に護国と考えたのだろう。国民へ無用な不安を与えぬようにと、たかが周辺住民に人員を割いて謝罪して回ろうというのだぞ?』

 

「なん、と……そんな事を、何故、私には話さずに……」

 

『ワシの耳にも痛いことを言うが、日々の哨戒を通して違和感を抱かなかった拠点がどうして相手の襲撃に対応できようか』

 

 全ての答えが出揃ったところで、熊谷少将に残されたのは――自身に対する失望だった。

 木曾が横柄だと書状を送って海原が大本営で資料を見た時点で気づいたとすれば、それよりも前にいくらでも時間のあった自分や井之上元帥は、無力であったと言わざるを得ない状況なのだ。耳が痛いなどという領域の話ではない。

 

 国家の存亡が危ぶまれる、その爪が本土に痕を残さんとする前に、海原はまさに神懸り的な察知力を以て阻止したのである。

 

『国家間の諍いは鳴りを潜めておるが、無くなったわけではない。多くのシーレーンを奪取したとは言え、日本国はいまだ大陸を通して各国との貿易を続けているなど、説明せねば分からないほどに阿呆なわけではないだろう』

 

「……はい」

 

『ワシらが十年という長い歳月存続出来ているのは、ある意味では攻撃を半ばあきらめたが故の結果。専守防衛はワシら人類の寿命を延ばしたが、その代わりに、多くの腐敗をもたらした。仮初の安全を錯覚させた結果になにが残った? 無謀な攻撃を敢行し、戦力を見誤って多くを失った。そうしてまた、今度は何を失うのだろうな』

 

「言葉も、ございません」

 

『腐ったミカンを取り除けばそれで解決すると言うなら、ワシは喜んで身を切ろう。じゃが、それは人や社会の話ではないだろう。ワシもまた、日本国を守護するためにと立ち上がったが……立ち上がればそれだけ、視野が広がり、疎かになることも増えるということを思い知ったところよ。はは、なんとも、情けない限り』

 

「井之上元帥……」

 

 今のは聞かなかったことにな、と乾いた笑い声をあげる井之上元帥に、熊谷少将は目頭をぐっと指で押さえて返事した。

 

『今できることはなんだ?』

 

「大湊水雷団……いえ、大湊警備府の戦力を向上し、全ての記録を精査しなおして現状の把握に努めます。今後、このような事が無いよう大本営にも()()()()()を送付しますので、そちらでもまた精査いただければ」

 

『うむ……承知した。して、艦娘への対応もあろう。忙殺されてしまうが、手は足りるか?』

 

「……そ、それにつきまして、井之上元帥に意見具申が」

 

『言ってみろ』

 

 ここで言わずしてどうする、と熊谷少将は大きく息を吸い込む。

 

「今後、大湊水雷団からの異動はないものとお考えください」

 

『……ほう?』

 

 大湊警備府は純粋な練度という戦力の指針を見れば井之上元帥直轄たる横須賀鎮守府に迫るものである。

 各拠点に配属される前に大湊水雷団で戦闘とはいかなるものかを実地で体感することは、艦娘にとっても決して悪い話ではなかった。

 

 今更になってそれを覆そうとしているのだから、熊谷少将であれ緊張してしまうが、井之上元帥の返事は、あっさりとしたものだった。

 

『わかった』

 

「ぇ、あ……よろしい、ので……?」

 

『よろしいもなにも、お前が言い出したのにおかしな奴じゃな。熊谷少将の考えも分かっておる。戦力の流出が続いては安定しないことも一理あるとして、今の艦娘は……そこにきて、どれくらいになる』

 

「三年になります」

 

『愛着の一つも湧こうものよ。純然たる海軍としては、甚だ納得できるものではないが――ワシが言ったことが理由であろう?』

 

 戦力の流出を防ぎ、大湊警備府を安定させるため――用意された理由であれ、縋らぬ理由など無かった熊谷少将は力強く返事した。

 

「はい。その通りであります」

 

 井之上元帥は、彼もまた変わり始めているのだと目を閉じて想い、吐息が漏れるような声を零す。

 

『理由付けの雑さは、海原のようじゃなあ』

 

「ざっ、雑でしたか……」

 

『ワシが言うた以外にも考えられように、それでいい、とばかりに頷かれてはな。しかし無駄なことを考えることも億劫じゃと、声に滲んでおる』

 

「失礼しました」

 

 熊谷少将は複雑そうな笑みを浮かべた。

 

『熊谷少将よ。海原を見て、何を学んだ?』

 

「……木曾が、笑ったんです」

 

 その告白を聞いて、井之上は破顔した。

 

『ふむ』

 

「もう大丈夫だと、今から帰ると、言ってくれたのです。私は……彼女らもまた、私と同じように生きているのだと深く学びました。軍人として足りぬものがまだまだあるのだとも痛感しました。それに、井之上元帥も人だったのだと安心したところであります」

 

 海原の仕事の成否を問うならば――

 

『こいつめ、ワシに向かって言いよるわい。しかし、それを聞けて満足したぞ。熊谷少将、時間を取らせたな』

 

「いえ、そのようなことは。では……」

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ、ガキ大将とその子分を迎えに行こうと思います」

 

『うむ。後始末については心配はするな』

 

 ――成功としても、よいだろう。

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