柱島泊地日記帳   作:まちた

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後始末④

 全員が入渠を終え修復が完了した頃、妖精が用意してくれた新たな制服の袖に腕を通す龍驤の横で、木曾はタオルで身体を隠すこともせず工員から制服を受け取りながら言った。

 

「それで、南方海域開放の後始末ってのは、討ち漏らしは無いって公言してた癖に散らばってた残党のことだったのかよ」

 

 工員も慣れたもので、木曾達はおろかアイオワ達にさえ目も合わせず、更衣室からそそくさと離れていった。その足取りがいつもより早かったのは、大湊水雷団のみならず他の艦娘もいるからといったところか。

 はたまた、彼らの目に、もう【彼女ら】として映っているのかは火を見るよりも明らかだった。

 

 龍驤はにやりと上がる口角をタオルで隠しながら木曾へ言葉を返す。

 

「言い訳やなく、事実として否定しとくで。南方海域に出現した深海魚どもは全部ウチら柱島の連中が沈めた。アレは完全な別動隊……として動く予定やったかもしれん奴らや」

 

「完全な別動隊?」

 

「南方からゾロゾロと大艦隊が突っ込んできたら戦力を集中せざるを得んやろ、そしたら自然と北はがら空きになる。日本海軍の戦力バランスを考えればそうとしか出来んのは深海魚どころか全世界が知ってのことや。例え秘密兵器があったとしても――」

 

「そんなのあるのか?」

 

「例えやがな!」

 

 すかさずツッコミを入れつつも、こうして素直に話を聞く木曾というのも悪くないと思いつつ龍驤は話を続けた。

 

「別の手段があるから手薄にしても構わんのやって思たら、どこに注目がいくと思う?」

 

「……ああ」

 

 察しのついた木曾の吐息のような声。

 件の渦中にいたサラトガさえ、着替える手を止めてしまうくらいの地獄の記憶。

 それらが奇跡に奇跡を重ね、その上に運命と必然をトッピングしたってまだ足りないくらいの神業であった事がいまだ信じられないのは、全員が同じだった。

 

 サラトガの表情に思うところがあってか、アイオワがすっと彼女に近づいて腕をこつんと当てた。

 

 言葉無く、大丈夫かと問われているような気がして、サラトガは寂し気に笑った。

 

「大丈夫、ありがとうアイオワ」

 

 その呟きに同じような笑みを返したアイオワに、帰ってきたばかりの頃のような快活さはなかった。それだけ大人としての理性や空気を読む能力があるとも言えようが、彼女のうちにある感情を推し量るような無粋な真似はしないという友人らしさとも言えよう。

 戦場とは、かくも難しい。

 

「すぐさま動きを見せなかったのは、あの深海棲艦が動きを見せなかったから……ってことか」

 

「そういうこっちゃ。難しい話のようでいて、俯瞰してみたら、まあ簡単な話やな。俯瞰すればするだけ、くそほど恐ろしい真似しとるっちゅうのも否定できへんけど」

 

 からからと笑う龍驤の言葉に一切の嘘は無かった。その代わり、真実もない。

 ただ、事実だけがある。

 

 難攻不落の魔の海域と化した南方海域――シーレーンの復活を目的とし、支配権を奪還するならば少なからず国家間での協力を必須とし、作戦期間は確実に数年を見積もらねばならないだろうとは柱島の艦娘筆頭、軽巡洋艦大淀の言葉である。

 あれらに()()()()()()()()()があったとて、龍驤からして今の海原の姿を考え、本当に全てがそうであったのか疑わしいのもまた言うまでもなく。

 

 ずっと飄々としていた龍驤の顔からすっと色が抜け落ちたのを横目に、木曾は真っすぐに言った。

 

「機密事項も多いだろうからな。俺ぁバカだが、それくらいは聞かずにおく分別くらいある」

 

 ふと龍驤が顔を上げた。それから、気遣うでもなく、木曾と同じく真っすぐに言う。

 

「あ、ああ、ちゃうねん。君らは少将の艦娘や、同じレベルで機密を知ってておかしいことはあらへん。何ならそこの二人やって深海棲艦の研究を共有しよう言うてわざわざ大湊まで来たわけやから、今更な話やろ」

 

 それ以外にも、という言葉を最後に龍驤はサラトガに視線をやるだけで、口を開かずにいた。

 サラトガは視線を受けて頷く。

 

()()()は弁えています」

 

「ほな安心やな」

 

 途端にニカっと笑った龍驤は、ようやく木曾に続きを話した。

 

「――司令官は、待ってたんや。相手が息をひそめて狩ったろと思ってほくそ笑んどるその後ろで、全部を知っとっても黙っとった……」

 

 すぅ、と場の空気が冷え込んでいく。

 

「狡猾で世界中の軍隊を数で、策で翻弄してきたような相手でさえあのバケモンにとっちゃただの魚と変わらへん」

 

「ま、待てよ龍驤、それ」

 

「一歩間違えば国家滅亡? いいや、人類の破滅やろな。それでも一切の間違いはない。あるわけがない。全部があの人の手の内や。寸分の狂いすらあれへん。置いとる網に勝手に突っ込んできてさばかれに来るアホが哀れにもなるっちゅうもんやで」

 

 そうして木曾どころか第六駆逐隊の面々さえ萎縮した。

 

「戦争も戦場も語る気は無いで? ほんでも、海を往くうちらがよぉくわかっとる事やろ。視界がひらけたらひらけただけ戦術が増えるし、手数も増やせる。その手札の一枚一枚が強かったら、針孔に糸を通すような作戦だろうが、箱にものを詰めるくらいに簡単になる――ウチが強いんやない。君らが極端に弱いわけでもない」

 

 龍驤はトレードマークであるサンバイザーのような艤装をきゅっと頭にかぶると、どこかの社畜が如き動きを見せた。

 指でくいっとつばを押し上げ、ふふん、と笑ったのだ。

 

 まるで自分のことを自慢するように。

 

「……戦争をまるごと仕事として片づけるような男に目ぇつけられたんが最後、っちゅう話やな」

 

 

* * *

 

 

 更衣室にてどのような会話が繰り広げられているかなどつゆ知らず。海原はいくらかの護衛を伴って大湊警備府に到着した深海棲艦研究者、ソフィア・クルーズを出迎えていた。

 彼女は慣れない国外での長距離移動と、護衛の者たちとの行動に緊張しきりであったのか、疲れた目元を指先で数度擦って大湊警備府の正門をくぐる。

 そうして視線を上げた先にいる海原を認めると、ぱあっと表情を明るくした。

 

『海原元帥……――!』

 

 海原はと言えば、妖精むつまるに情けないほど頼み込んで翻訳用の金平糖を出してもらっており、別の意味で疲れ果てた顔をしていた。

 正門前でいつ到着するかも分からずバカ正直に待っていたのは言わずもがな。さらに言うならば食堂で歓待の準備を整えてくれと主計科に言いつけてから、そう言えばこれ以外の仕事とかもう全部振ってるわやっべえどうしよう、と手持ち無沙汰になるという愚かオブ愚かな醜態を晒してしまったのである。こうなると熊谷少将や木曾、龍驤やむつまるどころか日本海軍に所属する全軍人へ申し訳が立たない。

 彼は仕事場にやってきて周囲をかき乱すだけかき乱して、やってやったぜ、という顔をしているだけの哀れな社畜なのだ。切ないが事実であるのだから仕方がない。

 

『かえったらほじゅーするんだよ? まもる、きいてる?』

 

 軍服の胸ポケットから頭を出してやいやいと言い続けるむつまるに、胸中で何度もため息を吐きながら小声で答える。

 

「わかっている。お前達の主食であることなど言わずともな。帰ったら間宮と伊良湖に頼んでおくから……」

 

 だから勘弁してもう……と、情けない声をソフィア女史に聞かれずに済んだのは、丁度駆け寄ってきた護衛の一人が最敬礼して大声を張り上げたからだった。

 

「フタマルヒトヒト、到着致しましたっ!! 目標移動中に異常はありませんでした!」

 

 作戦が終了してしばらく、宵の口とは言えど護衛の将兵たる男の声は耳に響き、海原は思わず顔をしかめた。

 もちろんただ「うるっさ……もっと静かにして……頭痛いから……」というくらいの意であるが、将兵の目には海原の不快で不満げな表情が如何にも恐ろしく映った。

 よもや遂行した任務に不備でもあったのだろうかと目を泳がせ、首だけで振り返って他の護衛を見る。すると、他の護衛はぶんぶんと首を横に振った。

 

 ここに来るまでに失敗などあろうはずもない。

 ただの護送と言えど彼らは重要人物を護衛するのに十二分の能力を持っているからだ。自覚もあり、油断もない。

 しかして海原の不満げな表情は一向に晴れる様子を見せず、たったの数秒であるのに時が止まっているのではと錯覚させる緊張感を生み出した。

 

「あ、え、えー……と……!?」

 

「……ああ」

 

 海原は眼前に立った将兵を一瞥し「ご苦労」とだけ言って横を素通りしていく。

 

「あ、あの、元帥閣下……?」

 

 ぽかんと口を半開きにしている将兵は、ソフィア女史の前に立って軍帽を軽く上げて挨拶を交わす海原の口から出た言葉にハッとした。

 もちろん海原は妖精の不可思議な力によって得た金平糖の英語力で話している。

 

 海原自身の言葉はまるで向こうの文化を知り尽くしているかのような流暢さがあった。

 安心してほしいが、海原の力ではなく妖精の力である。

 

 彼の力は艦娘にしか向けられない。というか向けようがない。艦隊これくしょんしか知らない社畜ならぬ国畜なのだから。

 

『待ちわびておりました、ソフィアさん』

 

『ま、待たせてしまってごめんなさい海原元帥……その、できる限り急いで向かってとはお願いしていて……』

 

 ソフィアがしどろもどろに答えると、海原は疲れた表情が嘘であったかのように微笑んでみせた。

 

『いいえ、待ってたのは私の意思ですので、お気になさらず。本当ならば観光する時間でも設けるべきでしたが……』

 

 え? と声を上げたのはソフィア女史のみならず、護衛の将兵たちも同じだった。

 

『仕事の杜撰さ故に事を急いてしまったのです。ソフィアさんの手を煩わせてしまい申し訳もない』

 

『私の手を? そんな、私はあなたの力になれるならとアイオワ達を――』

 

 もうお分かりだろうが、海原は言葉こそ濁しているが、素直に謝罪している。

 

(ほんっとごめんよソフィアさん……まもるがしっかりしてれば龍驤にも怒られずに済んだし、なんなら熊谷少将の仕事も邪魔せずに済んだってのによ……。おかげで普段なら問題ないような深海棲艦が出てきて警報まで鳴らしちゃう始末だよ……しかも謝罪にはまもるの部下が出向いてくれましたとさ……このあと大本営に戻って井之上さんに謝罪する予定なんだぜ? 笑えるだろ? ははっ……笑えねえ……仕事できない社畜でサーセンマジで……)

 

『あなたはお優しい人だ』

 

 それはソフィア女史にしか聞こえないような小声で、すぐさま姿勢を正して海原は続ける。

 

『戦艦アイオワ、正規空母サラトガともに損傷はありません。それで、移動中にご不便はありませんでしたか?』

 

 ただ言葉を繋ぐために投げかけられた問いに、ソフィア女史は答えられなかった。

 ぽーっと頬を染めて、ただ武骨にも見える海原の顔をじっと見つめる。

 

『ソフィアさん……?』

 

『えっ? あ! いえ、不便はなかったわ! 本当に、全然、ええ、大丈夫よ、とても快適で――!』

 

『足止めされたと聞いていたのですが……』

 

 口をついて出た言葉に、海原はすぐに『ああ、いえ、失礼。お忘れください』と言って視線をすうっと動かした。

 海原が背後にいる将兵とは別の、ソフィアのすぐ後ろに控えていた数名を見ると、全員がびくりと肩を震わせる。

 大湊警備府から一歩たりとも動いてないであろう海原が何故それを知っているのか、とでも言いたげな目をしていた。

 

 足止めを食らっているなどと誰が報告しようものか。

 それでは護送の意を問われかねない。だが間違いなく海原は口に出して言っていた。

 

 足止め云々は海原の事情からして、龍驤が口走ったことで全く無関係の作戦中の話である。

 

 しかし彼らにとっては()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という海原の神眼が如き言葉。

 

 すぐさま一人が一歩前に出て説明した。英会話であろうが理解しているあたり、優秀さが窺えるのだが、悲しいかな海原にその有能さはいまいち伝わらず。

 

「交通機関の麻痺ではありませんでした」

 

 それだけで海軍の軍人ならば意味を理解するだろう。麻痺でないのならば、事故でも工事でもない。別の要因があったと。

 さらには日本海軍の、それも特警を無茶に足止めできる存在は限られる。

 

 アイオワ達を先行させた事によりソフィア女史の水質調査は中断され、陸路へと変更となった。それは考えずとも、例え海原が口にせずとも理解するところだろう。

 

 問題は、その陸路での移動にいち早く気づき対応しうる者が居たという事実である。

 

 海原は重々しく頷いた。もちろん意味はよく分かっていない。麻痺じゃないならなんだよ! くらいに考えている。

 しかしたったそれだけで理解したのだと将兵たちは悟り、海原の不満げな顔の理由を理解するに至る。

 

 安心してほしいが、勘違いである。

 

「麻痺ではないのならば、諸君らは理解しているのか」

 

 海原の純粋な問いかけ。

 麻痺じゃないなら、なんで足止め食らってたんだい?

 

 彼らの耳にはこう聞こえていた。

 賢明な諸君らならば――まだ()()()()()が残っていると理解しているのだな、と。

 

「っは。現在、国内活動のため井上元帥閣下より群を分割し方面隊を編成する許可をいただきましたので、東西に分けて原因を――」

 

「待て」

 

 海原の静かな制止。

 ソフィア女史の前で答えるべきではなかったか、という将兵たちの心配は杞憂だった。

 

 海原が理解できていないだけである。

 

(いや足止め食らった原因をそこまで調べる必要ってないから!)

 

「方面隊だと? 大袈裟過ぎるぞ」

 

 遅れた原因を作り出したものを探すのに仕事のリソースを割くなという海原。

 

「……問題はありません、閣下」

 

 不敵にニヤリと笑みを浮かべて、既に原因は取り除く寸前であると能力の高さを見せる将兵の一人。

 

「井之上元帥閣下からそう云うであろうとも言付かっております。なので、こちらを」

 

 将兵が取り出したる書類には小難しい文字の羅列があった。

 海原はと言えば、中身をちらりと見ただけで愛想笑いを浮かべて誤魔化すことしきり。理由? 簡単である。分からないのだ。

 しかし愛想笑いは彼らの目にどう映るだろうか?

 

 ――最低限の仕事は出来るようだな。ならば結構。

 

 こう、映ってしまう。

 

「優秀なようで何より。これは私が確認してよかったのだな?」

 

 ようやく晴れた表情に将兵たちは心底安堵しつつも、やはりかの御仁は軍人として常に生きているのだと実感に至る。

 ソフィア女史に見せた流麗な英語や気遣いの全てもまた、ソフィア女史を安心させるためのものであったのだと気づいた時には、改めて身が引き締まった。

 

 細心の注意を払い、最大の緊張を保ち、その上で守るべき者を気遣う余裕を見せるなんて、どこまでも素晴らしい人だ――。

 

 全然そんな事はないのだが。

 

(何だこの新聞社の一部に繋がりがどうこうってよ……知らんよこんなの……後で忠野に投げちゃおう。ついでに困らないように事情だけ聞いておこう……)

 

 人に投げるまでの判断は海軍随一である。不名誉だが。

 海原は気を取り直して、とばかりに軍帽を被りなおしソフィア女史を誘うように警備府中枢までの道を示した。

 

『ささやかながらディナーを用意しております。お口に合えば良いのですが』

 

『しょ、食事を? あ、ありが、とう……でも、あの、その前に!』

 

 これが仕事着だとばかりに白衣に身を包んでいたソフィア女史がポケットに手を入れて、そおっと取り出されるそれ。

 その瞬間、みるみるうちに海原の顔から色が失われていく。

 

『アドミラルは、その、この子を、知って、るわよ、ね……?』

 

 恐る恐ると投げられかけた言葉に、海原は今にも卒倒してしまいそうだった。

 何とか地面に両足をつけている意識の糸がぷっつりと切れた時、どうなるか。

 

 社畜が仕事に追われキャパシティを超過してしまうと、どうなることか。

 

 人は――にっこりと、全てを諦めて笑うのである。

 

 海原の自愛と諦め――慈愛ではない、自愛である――のせめぎ合った末に表出した笑顔は、この世界の全てを許そうというほどに朗らかなものであった。

 ソフィア女史はその表情に目を奪われ、将兵たちから緊張という緊張が解け、抜け落ちていく。

 

(なんで……なんでソフィアさんも妖精を……? 待てよ、これ、まさか井之上さんの差し向けた刺客の一人じゃ……あぁ……)

 

 失礼極まりないことを考えるのもほんの瞬きの間だけ。

 

 ソフィア女史の柔らかな手のひらに包まれているのは金髪の妖精で、それは奇しくも海原のよく知るF4F-3という正規空母サラトガに標準装備されている兵装に乗っている妖精であった。

 瞬時にそれを見抜いた海原の艦娘愛もさることながら、どうしたって妖精というものは――

 

『……おなかへった。ごはんは?』

 

 ――自由なものである。

 

 手のひらの上で目元を擦りながら寝起きですといった様相を見た海原は、静かにソフィア女史に問うた。

 

『彼女の言葉が、聞こえますか?』

 

 するとソフィア女史は困ったように首を横に振るも、海原から続く言葉に、意味深に、それでいて真剣に重々しく頷いた。

 

『……あなたは幸運だ、ソフィアさん』

 

『それ、って、アドミラル、彼女たち妖精はやっぱり――!』

 

 海原は意図的に言葉を遮るように背を向けた。

 

『それでいいのです、聞いても意味はない』

 

(こいっつらほんとよぉ……第一声が腹減ったって、しかも俺を見ながら言うってもう、用意しろってことじゃんかよぉ……! 喜んでェッ!(ヤケクソ))

 

『……』

 

 ソフィア女史はここに来るまでの、それこそ新宿の大本営地下で起こった出来事を思い返しながら、ただ、瞳を焼くような熱い何かを抑え込むのに精一杯になってしまう。

 この戦争の本質を、彼は知っているのだと。

 

 もしも彼女らの声が聞こえるのならば、きっと私は耐えられない。

 海原という男が突き進む原動力なのか、はたまた、その声を振り切るために進み続けているのか分からず。

 どちらにせよ、圧倒的な智謀をも呑み込むどうしようもない感情の波に、彼は今も溺れないようもがいているのだと気づき、ソフィア女史は自らを恥じた。

 そしてその恥をかなぐり捨ててでも、妖精を見る者として、艦娘とともにある者として見過ごしてはならぬものだと勝手に足が動き出す。

 

 背を向けて歩いていく海原に追いすがったソフィア女史は何も言わないまま、ばしんとぶつかる勢いで背中から抱きしめた。

 驚いて声もあげられず数秒ほど固まった海原だが、転んでしまったのかとソフィア女史の手をそっと退けて振り返る。

 

『大丈夫ですか。足元にお気をつけて』

 

 海原は単純に「何やってんだ頼むぞソフィアさん」などと色気もへったくれもない事を考えていたが、ソフィア女史の耳に届くのは言葉だけ。

 

『わ、わた、私は、助けられて、お礼ばかりで、その、日本に来て色々と、起こりすぎて……でも……でもっ……!』

 

 ぐるぐるとソフィア女史の脳裏を巡る()()()()に、彼が重なる。

 ただ血にまみれても、地獄への道であっても進み続ける男の姿が。

 

 何度でも言うが、そんな事はない。

 

 海原は不安そうなソフィア女史の姿が単純に「見知らぬ土地に来て仕事して、しかもそれが恐ろしい深海棲艦が相手の研究なんだから不安だよなぁ……仕事は出来ないが艦娘と一緒に生きる提督として協力くらいはしてやるぜ! 忠野とか橘とか便利だから後で紹介してやっからな! アイツラに仕事丸投げしても構わんぞ!」と、遠い世にいる提督諸兄から囲まれてタコ殴りにしてもらうべき情けない発想をする始末。

 しかしながら、自分が手一杯でも艦娘のためになるならと立ち向かう愚かな姿はどうしてか儚く、ソフィア女史の目に水滴をさらに生む。

 

『私に協力できることがあれば、遠慮なく言ってください。まずは食事をしましょう』

 

 誤魔化しているかのような言葉。無論、海原は食事を済ませてとっとと帰りたいだけ。

 

 ソフィア女史はぐし、と袖で目元を拭ったあとに、妖精を壊れないようにポケットへ優しく戻して、何度も『大丈夫よ、大丈夫だから』と呟く。

 

 そうして、彼女の胸に、火が灯る。

 まるで艦娘が共鳴を起こしたかのような、それと酷似した強烈な感情だった。

 ソフィア女史の瞳に爛々とした光が揺れた。

 

『……食事ね、ありがとう。いただくわ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼を決して一人にしてはいけない、と。




追記:すみません途中の文章がいくらか抜けておりました……もちろんまもるのせいです……。
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