小さい頃、誘拐されかけたことがある。
友達と遊んでいたら、知らないおじさんに口を塞がれて抱えられて。マクスとサングラスと帽子で隠された顔はどんな顔をしていたのか、ちっとも分からなかったけど、車に連れ込まれる前に偶然通りかかった刑事さんに助けられて事なきを得たことだけはよく覚えてる。この時、警察官にはなるまいと思った。私はきっと緊急時、あんなに迅速には動けない。
現実として、拉致られかけた私は呆然としたまま、泣き喚くことすらしなかったらしい。実は全く覚えてないので、全ては父と母と友達からの伝聞だ。ショックだったのよと両親は慰めてくれたけど、友達は白けた目でお前絶対自分の状況理解出来てなかっただろと詰った。
一緒に遊んでた君が泣き喚いたことは覚えてるぞと言わなかった私、英断である。自分のことをしっかり考えろとさらに怒られるに決まってる。
ともかく、この時に私の将来の夢から警察官は消えた。なりたいと思ったことも、そもそもなかったけどね。
中学生の時、銀行強盗に巻き込まれた。
生まれて初めて見た拳銃に抱いた感想は黒いなということだけだった。ばかすか撃って札束やペンやガラスが飛び散りまくっていたので、たぶん現実逃避してたと思う。大人しくしていれば意外となんとかなるもんだと、私は誘拐されかけた時に学んでいたのだ。
触らぬ神に祟りなし、せめてぶち抜くなら私以外の人にしてくれと隅っこで大人しくしていたら、その内警察の人がやってきてなんやかんやで銀行強盗はドナドナされていった。この町のお巡りさんは忙しすぎる。改めて警察官にはなりたくないと思ったし、今日この日、銀行員にもなりたくないなと思った。
そうだよね、こんだけお金が集約してる場所だもん、襲われるよね。
同じ理由で、この日に私の夢から警備会社と大型デパート勤務も除外された。売り上げが大きいところ、および、その売り上げを守る立場は死んでしまう。嫌です。
小さい時からの友達は、むしろ俺が安全を守ると勇ましく警察官になることを宣言した。強く生きろよ。陰ながら見守ってるから。
高校生の時、お隣さんで殺人事件が起きた。
いわゆる痴情のもつれというやつで、昼ドラもびっくりな浮気愛人事情があったそうだ。全部ワイドショーで聞いたことなのでどこまで本当か分かったものではない。直接聞きたいとは露ほども思わなかったが、パパラッチがとても品がない質問をたかがお隣さんの我が家に明るい顔で聞きに来るので、ハゲタカっているんだなと目が死んだ。
メディア系の仕事には就きたくないと心の底から思ったし、愛憎劇場の果てに死んでしまうくらいなら生涯独身でいたいと本気で願った。願うまでもなく、相手がいたことなど一度もなかったし、特定の誰かに相手になってほしいと思ったこともなかったことに気付くのには、二週間ほどかかった。
友達は災難だったなと背中を撫でてくれたが、君は将来あんな奴ばかり相手にするんだなと逆に背中を撫でてやった。本心だったのだが、友達は物凄くしょっぱい顔をしていた。
大学生の時、いよいよ私は進路に困り果てた。色々なことがありすぎて、私は選択できる職業はほとんど残っていない。なんということだ。
高卒で立派に警官になった友達にそろそろ白い目で見られてしまう。
いや、思い返せばだいたい白い目で見られていたような気もするな。彼はいつも、私の言うことは極論過ぎると呆れていた。
でも命の危機に何度も何度も何度も何度も晒されて、犬も歩けば棒に当たるようなノリで人がポロポロ死んでいくのだから、そういう考え方にもなると思う。私死にたくないんだもん。
もっとも、生きててこう、具体的にしたいことがあるわけでもないんだが。なんならしたくないことばかり積み上がってきた。卒論もほぼ完了して、あとは就職先だけだというのに困ってしまう。私が何をしたというのか。理不尽極まりないのでは?
と、ここまで考えて、私は急に気付いてしまったのである。悪くないことなど全くしていないのに災難に見舞われるのなら、もういっそ、悪い方に転がってしまえばいいのではと。
就職先が決まらない大学四年の精神のぐらつき具合はとんでもないなぁとツッコんでくれる私は未来にしかいなかったし、だからどうしてお前は極論に走るんだと怒ってくれる友達も側にいなかったのは、たぶん、一生で一番不幸なことだったんだと後になって思った。
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人の一生というのは、上へ上へと登ろうとするととても大変なものなのだが、下へ下へと落ちていく分にはとても簡単だ。落ちぶれる時のブレーキというものは本当に全くない。気付いたら一番下まで落ちている。なんなら自覚もないままに。悲しいね。でも落ちるところまで落ちたらその下はあんまりないし、緩やかでいいなら登るのも苦痛ではないので案外居心地は悪くなかったりする。
そんな感じで私は最下層の人間になっていた。後ろの方では、同じ最下層の連中が俺が俺がと分け前を如何にして多くぶん取ろうかと揉めている。元気がいいなぁ。私が最高にハイテンションだったのはいつぐらいだろう。もういっそ犯罪者側にいれば安泰では? と謎の閃きと啓示を元に銃の所持免許なんてノリと勢いだけで取ってしまった時だから、えーと、まだ一年だった。気持ちだけは三十代に入ってるのに、まだ二十三歳とかそんな馬鹿な。
揉め事を綺麗な一般人に見られるととても面倒くさいという真っ当ではない理由で見張りをしながら、そんな過去の愚かな私に思いを馳せていると、ズガァンと元気な音が背後で響いた。私が見張りをしていた意味が完全になくなる発砲音だ。
騒がしい声も同時に途絶えてしまったので、更なる横槍が入ったのか、最下層のくせにと目をつけられてしまったのかどっちだろう。振り返るのも嫌なので、せめて人を近寄らせないようにと無心で見張りを続けていると、背中に硬い何かを押し付けられた。全然性的じゃないのが今は悲しい。まだ下ネタの方がマシだった。私がどんぐりころころして一番下まで落っこちた意味は今なくなった。悲しいね。
「おい」
「はい、なんでしょう」
「あそこにいる奴らはてめぇの仲間か?」
「仲間……、どうでしょう。知らぬ仲ではなかった、ぐらいのもんです」
「今回のヤクの取引に関して知ってることは?」
「銭ゲバ拗らせてお薬に手ぇ出してたんですね……どうりで羽振りがいいと思いました。やり取りしてた相手とかは知りませんよ。ただ、現物なら彼らが根城にしてた廃墟の天井裏とかにあるんじゃないですかね? だいたい全部そこに隠すんですよ、彼ら」
「……案内しろ」
素直にご要望にお応えして、件の廃墟に案内する。だいたいこの辺りに全部隠すんだよなーと、天井裏にいちいち回るのも面倒くさいし、肝心の彼らも死んでしまったようだしもういいか、と開き直って、その辺りに転がっていたコンクリート片を天井に投げつけて崩落させる。
風化してかなり脆くなってるのと、隠し財産がそこそこ重たかったのと相成って呆気なくお目当てのブツは姿を現した。お目当てのブツって表現ピッタリすぎてやばいね。
全身まっくろくろすけさんに、これですか? と指差して問いかければ、無言で白い粉を拾い上げてどこかに電話をかけた。電話するなら席外しますよ、と気を利かせて背中を向けて部屋から出て行こうとしたら、容赦なく足元すれすれに弾丸一発もらったので大人しくした。電話相手がびっくりするからそういうことはやめた方がいいと思います。死ぬかと思った。
せめて何も聞かないようにしよう、と意識をどっかに吹き飛ばしていると、まっくろくろすけさんの会話は終了したらしい。迎えが来る、とだけ言葉を発してすぐ黙ってしまったので私は困った。
えっ、だから何? 待ってればいいの? それまでに帰ればいい? 流れ的に待ってるのが正解なんだと思うけど、なぜそうなるのかぐらい教えてくれよ、と心の中だけでツッコミまくっていると、兄貴、とガタイのいいグラサンお兄さんがやってきた。
えっ、早すぎでは? 迎え呼んで十秒で到着って何事だ。セコムもびっくりの駆け付け警護。すごい。SPっぽいね、ガタイいいし。
「こいつはどうするんですか?」
「ベルモットにやる」
「ああ、そういやそんなこと言ってやしたね」
「あいつに貸し作っとくのも悪くねえ」
最下層から人身売買かぁ、と切ない気持ちで迎えを待っていると、なんとやってきたのは世界的大女優のクリス・ヴィンヤードだったので、人生とは何が起こるかわからないんだなぁとしみじみした。
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ベル様に売られて早三年。有り難いことに大層可愛がっていただき、どうせどうしようもなく理不尽な目に遭ってしまうなら理不尽な目に遭うのが至極当然な最底辺の人間になってしまえというやけっぱちから突き進んだ人生とは思えないくらい、まともに衣食住が完備されている。やってること犯罪だけどね。
まあ天国の両親は泣いているだろうし、警察官の友達に見つかれば豚箱待ったなしだけど、私は私なりに人生楽しんでいるのでこれではこれで結果オーライと思うことにした。私はベル様のお世話と給仕で忙しいんですよ、アッシーくんと呼んでくれたまえ。
そんなアッシーくんにしか過ぎない私なのだけど、ファーストコンタクトがジンさんだったせいでたまにとんでもない依頼を投げ飛ばされることがある。一番多いのが誰それ殺してこいってやつ。断ってるけど。
そして断るとすぐ拳銃眉間に押し付けて脅してくるからたちが悪い。ウォッカさんを見習ってほしい。あなたに着いていけるのウォッカさんだけですからね、もっと労ってあげた方がいいですよ。
因みにジンさんはすぐに眉間ゴリゴリしてくるが、ビビらせるのが趣味なので平然とした顔で論破してやるとすぐ舌打ちして拳銃降ろすので私は心の中でこっそりポンコツかな? と首を傾げている。ウォッカさんのがたぶん有能だよ。中間管理職感が強すぎるけど。
そして今日の無茶振りは今世紀最大に無茶。冗談はよしこちゃんですよ。
「今日から幹部になった三人だ、てきとうに面倒みろ」
「いや無理ですよ」
「いいからやれ」
「ジンさんはすぐ拳銃突きつけて脅してくるけど論破に弱いから舌戦強いなら諦めずに脅し返してね」
「そういうことじゃねえ」
「ほらすぐ脅す」
「あの、失礼ですが、あなたは?」
新米幹部様の一人が白の手袋で覆われた手を軽く挙げて口を開く。とてもお顔がいい。というか三人とも顔がいい。ここにベル様連れてきて黒の組織ホストクラブ開催したい。あーでも長髪の人接待下手くそそうだな。ご機嫌を損ねると結構根に持つタイプだから是非近付かないでいただきたい。残り二人はその辺大丈夫そう。勘だけど。
問いかけに返事もせずに、たぶん気の抜けた顔で三人を眺めていると白手袋さんが失礼しました、先に名乗るべきでしたね。と謝罪を述べたのち、挨拶をしてくれた。いや、私、下っ端の下っ端の下っ端くらいの立ち位置なんで挨拶なんてしなくていいですよ。ただの心の声なので、もちろん白手袋さんは綺麗な笑顔を浮かべながら朗らかに挨拶をしてくれた。
「改めて、バーボンです」
「スコッチだ」
「……ライ」
「ご挨拶ありがとうございます。私はベル様のペットみたいなもので、幹部とか、優秀な構成員とかそういうことは一切ないので特に覚えてもらわなくても結構です。だいたいミケって呼ばれてます」
あとライさん、普通に態度悪いからそこは人として直した方が色々円滑に進めることが出来ると思いますよ、とは言ってやらない。言ったところで直さなさそうだ。もう少し自分の感情をオブラートに包んだ方がいい。
私の友達なんて数年ぶりにこんなところで会ったというのに、最初にギョッと目を見開いた以外何の反応もしてないぞ。驚かせてしまったのはとてもすまない、そうだよね、君は警察官になったんだもんな。こんなところで友達見つけたら目ん玉飛び出そうになるよね。
こんなところで警察官であるはずの君を見た私もおんなじ気持ちだよ。何やってるの景光くん。