――三月上旬某日。中山レース場。
時刻は9時を回ったところ。
この日行われるメインレースは、『弥生賞』。クラシック三冠レースの初戦、『皐月賞』のトライアルレースの一つだ。
芝の2000mで争われるこのレースは、サイレンススズカさんにとって今年の初出走レースになる。
条件自体は、去年サイレンススズカさんが走ったホープフルステークスとほぼ同じだ。違うのは、バ場が良になっただけ。
そして皐月賞も此処が使われる事になる為、皐月賞を目指すウマ娘の多くは、三つあるトライアルの内、まずこのレースへの出走と勝利を目指す。
同条件で好走が出来れば、本番でも期待出来るからだ。
……とはいえ、同世代が相手なら、圧倒的にサイレンススズカさんの方が上手だとは思うが。
理由としては、これまで見て来た同世代のウマ娘の中で、実力で彼女に比肩しうるような存在がいないという事。
一応、阪神ジュベナイルフィリーズに出ていたメジロの……何と言ったか、彼女もジュニア期時点でかなりの実力者のようだが、しかし彼女は恐らくトリプルティアラに挑むと思われる為、度外視していい。
ジュニア期ラストを飾るホープフルステークスでは3馬身まで追い付いてきたウマ娘もいたが、しかしスタミナを鍛えた彼のお方に同じように迫れるかというと、怪しいところではある。
ブルボンが要警戒対象として進言してきたマチカネフクキタルも、模擬レースの内容からすればそれなりにやるようではあるが……戦績を見る限りだと、真の意味で実力が開花するのはまだ先のように思える。
ウマ娘には、その身体能力がレースに適応できる程に高まる『本格化』という現象がある。ウマ娘が思春期になると訪れるとされるこの現象により、ウマ娘の身体は一種の成長期に入る。
多くのウマ娘は、この『本格化』を一つの物差しとしてデビュー時期を推し量る事になるのだが、『本格化』の難しいところは、ウマ娘ごとにその成長の仕方にバラつきがあるところだ。
ある者は早い段階から高い能力を発揮するし、またある者は逆に緩やかな成長をしていたと思ったら、遅咲きで急に才能が目覚める事もある。
早い段階で優れた成績を残していると思ったら、年を越したら何故か成績が芳しくなくなる事だってザラにあるし、春は思うように走れていなかったのが、夏を越したら急成長した、なんていうパターンも珍しくない。
『本格化』の波に関しては、育成のプロたるトレーナーですら見極める事は困難を通り越して不可能に近く、頼りになるのはウマ娘本人の感覚だけと、非常に難解極まる要素なのだ。
それを含めて謎の多いウマ娘を真剣に研究する『ウマ娘学会』というのも存在するのだが……その内容はまぁまぁスピリチュアル寄りで、理解するのは難しいとだけ言っておこう。
閑話休題。
まぁ色々と思考したが、当のマチカネフクキタルは弥生賞に出走しないらしいので、今は気にするだけ無駄ではある。
ならば他のウマ娘はどうかと言われると……大逃げをするサイレンススズカさんに追い付けるイメージが湧いてこない。
油断、慢心は万人の敵だとは良く言われるが……それでも僕は信じて疑わないのだ。サイレンススズカさんが先頭のまま走り切るのを。
だから、僕が真に気にすべきなのは、サイレンススズカさんが良いコンディションで走れるかどうか、それに尽きるだろう。
――いやぁ、余裕たっぷりだねぇ。これで足元を掬われるような事があれば……君はどうなるんだろうね?
「……マスター」
思案しながら場内を歩いていると、隣を歩くブルボンが袖を引っ張りながら声を掛けて来た。
「どうしたブルボン?」
「いえ、人にぶつかりそうだったので」
「……ああ、すまない。ありがとう」
純粋に気付かなかった。視界の左端を、ぶつかりそうになっていた人が避けていくのが見える。
……改めて見渡すと、G1の時程ではないが、かなりの人数がやって来ているのが分かる。
トゥインクルシリーズは元々、国民的エンターテイメントとして人気がある。
ニュース等を見れば、多くの観客がレース場にやって来ているのが見て取れるだろう。
しかし、そういった映像は大抵の場合G1の時のもので、その他の重賞では比較的客の入りが落ち着いている方だとは思う。
しかし、この客の入りようは……まるでスーパーG2レベルだ。
「お前、誰応援する?」
「そりゃあ、スズカっしょ!」
不意に耳にそんな会話が入ってくる。
他にもちらほらと、サイレンススズカさんの名前を会話に出す人が散見される。
成る程、皆、サイレンススズカさんの雄姿を見に来たのか。まぁそれも当然と言えば当然か。
サイレンススズカさんは去年、ジュニア期において優秀な成績を収めた事で、最優秀ジュニアウマ娘に選出されている。
流石に年度代表ウマ娘等には劣るが、彼のお方を取材したいという声がトレセンの方に何件も入ってきていた。
その後、実際に行われた取材の結果は……サイレンススズカさんの名誉の為に、あまり口外しないでおきたい。
もし問われたならば、彼のお方はあまり取材が得意ではない、という情報だけで察して欲しい。
それはさておき。
サイレンススズカさんは既に控室に向かわれ、そこで調整を行われている。
ここで言う調整とは、自身の着用するレース用の体操服や蹄鉄に不備が無いかの確認であったり、レースに向けての精神面での集中であったり、レース展開の予想だったりと様々だ。最後の一つに関してはサイレンススズカさんには関係のない事ではあるが。
そして、彼のお方の出走される弥生賞まで、まだ時間は余裕がある。その間、僕達が何をするかと言えば――
「――お、いたいた!」
聞き覚えのある明るい男の声。
「早永センパーイ! こっちッス!」
視線をその声のする方に向ければ、やたらお洒落な服装に身を包んだ青年の姿。
ソフト帽の下に見える顔は、大人と呼ぶにはあまりにも童顔で、人懐っこそうな笑顔を浮かべている。
「おっ、ブルボンちゃんも一緒ッスか! ちわッス! 今日も無表情ながらカワイーね!」
「ちわ、です。伊出さん。恐縮です」
軽いノリが特徴的だが、弁えるべき時は弁えたりと、所謂空気が読める男。その独特の雰囲気と相まって不思議と人から好かれやすいタイプらしく、それはブルボンも例外ではなかったらしい。
ちなみに好きな特撮は『
僕が彼と再会したのもブルボンが皐月賞を勝利してからで、ブルボンと彼の付き合いもそこからだ。
「やー、人、いっぱいッスねぇ」
「そうだな」
「そうですね」
「おっ、この人混みの中でもその落ち着きよう。流石、G1を何度も勝ってらっしゃるトレーナーとウマ娘は違うなぁ~!」
「おだてるな」
へへっ、と鼻の下を擦る伊出。
本人も人懐っこい性格らしく、大学時代もすぐに周囲と打ち解けていた。
「しかし、カメラも何も持っていないようだが」
「ちょっとちょっと、僕言いましたよね? 今日は顔合わせだけだって」
「そうだったか」
「もーセンパイってば、相変わらず興味ない事には無頓着なんだから全く!」
怒気を感じない怒り方で僕を非難してくる伊出に、僕は素直に「すまん」と謝る。
「……ブルボン、今日はどういう流れだった?」
「はい。記憶を参照中……伊出さんと合流後、レース場内の見学、及びレースの観戦。その後、レースを終えた後のスズカさんと合流し、伊出さんと顔合わせをする、という流れです」
そう言えば、そんな感じだったような気がする。
確か切っ掛けは……今年に入ってからしばらくして、唐突に伊出から連絡を貰ったのが最初だったか。
『センパイ、お久ッス! サイレンススズカさんって、先輩の担当ッスよね!?』
『そうだが』
『あの、ウチの上司が雑誌でサイレンススズカさんの特集組みたいらしいんで、取材させて貰えないッスか!?』
そんな感じの流れだったと思う。
取材を苦手とするサイレンススズカさんにその申し出は……と思わないでもなかったが、この伊出という男、会話している内に相手をリラックスさせる事に長けており、彼の書く記事は実際、「その人の素の姿が見えるようだ」という事で読者から好評らしい。
あるいはもしかしたら……と思った僕は、渋々ではあるがそれを了承した。そんな感じだった筈だ。
「なんとなく、思い出した
「気がする、ッスか」
しょうがないだろう。担当が二人になって忙しいのだから。
「ま、いいや。先輩がそんな感じなのは、今に始まった事じゃないッスし」
「そうですね。マスターはその辺りスズカさんと同様に無頓着な点がありますから」
「おっ、スズカちゃんってそんな感じ系?」
「私の観測した限りでは、恐らく脳内容量のほとんどが『走る事』にリソースが割かれているように思われます」
流石にそれは言い過ぎ……でもない気がして来る。失礼な物言いなのは承知だが。
これが彼のお方の耳に入ってなくて良かった……。
後、ナチュラルにちゃん付けするとは……いや、別に「さんを付けろよデコ助野郎!」とか言うつもりはないんだが、その……な?
「へぇ、じゃあ先輩とスズカちゃんって似た者同士って感じなんスね」
「……そう、かもしれません。ただ、マスターの方が……大人っぽいところはありますが」
「ぽい、なのね」
「ぽい、です」
ぽい、とはどういう事だ。そう問いかけたかったが……何故だか聞くのは憚られた。
「……その辺にしろ。君とて、取材前に余計な情報を入れて偏見を持つのは良くないだろう」
「そースけどね。でも、自分以外の視点から見た取材対象がどんな感じなのかを聞き取りするのも大事ッスよ? もしかしたら、取材では見せてくれない一面があるかもなんスから」
「そういうものか」
「そういうもんス。それにブルボンちゃんの時だって、最初に事前に周りにどんな感じの子か聞いてたんスよ?」
「そうだったのか」
「そうだったのですか?」
確かブルボンが伊出の取材を受けていた頃は、周囲からは何故か『サイボーグ』だのなんだのと言われていた、気がする。恐らく普段の口調がそう印象付けさせたのだろうが……。
しかし、記事には特別変な点は無かったように記憶している。
不思議に思っている僕に気付いたのか、伊出は分かりやすく「チッチッチ」と指を振った。
「言っておくッスけど、その辺りは編集ともどもキッチリしてますから。僕、仮にもプロなんで」
胸を張る伊出。……こうゆう職人気質なところは、あの頃と変わらないな。
「それじゃ、早速案内して下さいよ! 僕、地元だから阪神のは家族と行った事あるんスけど、此処は初めてなんで!」
両手をパン、と合わせ、人の良さそうな笑みを浮かべながら伊出が促してくる。
それに対し、僕は頷くと、中山レース場の案内を始めた。
******
――時刻が15時を過ぎた頃。
「……僕、なんやかんやで自分でバ券買ったの、初めてな気がするッス。初めてレース場行ったの、マジで子供の頃だし」
パドックにて、天に透かすようにバ券を掲げる伊出は、酷く感慨深げにそう呟いた。
「1枚だけで良かったのか?」
「うーん、僕には「サイレンススズカちゃんって子が速くて可愛い!」って事以外、なーんも分かんないッスからねぇ」
「いや、抽選用の1枚に加えて記念にもう1枚買っておかないのかって意味だが」
「え゛っ、どーゆう事!?」
「なんだ、本当に知らないんだな。いいか――」
そうして、伊出にかいつまんで説明する。
バ券。正式名称は『
何故そのような名称なのかと言えば、数十年前までは『勝つウマ娘を予想して、金をかけて投票する』ものだったからである。そうして予想が当たれば、抽選で良い席に案内される、という仕組みだ。
しかし時流には逆らえないのか、世論から「それはギャンブルなのではないか」「ウマ娘をギャンブルの対象にするとは何事か」と紛糾が巻き起こり、現在の形態、所謂アイドルの人気投票のようなシステムへと変化した、という訳だ。ちなみにどう変わったかというと、それまで存在していた複雑な形式のバ券は全て単勝――要は自分の好きなウマ娘一人に対しての投票だ――のみに絞られている。
以前までは金を積めばその分当選確率が高まり、更に当時存在した3連単という形式――1着から3着までの全てを当てるという恐ろしく難易度の高い形式だ――を当てれば特等席に案内されるという話だったが、現在は公平性を重んじ、金額も一律100円で、一つのレースにつき最大3人が上限として定められている。何故3人なのかと言えば、「ウイニングライブでメインに立てるのが3人までだから」と言えば分かるだろうか。
どうやってそれを制御するかと言えば、レース場等で発行されている専用のカードの利用を前提とする事で、自動的に投票数をカウント、及び上限に達した時に投票できなくなるシステムになっているのだ。
故に、色んなウマ娘を追っているようなファンは常にこの投票で頭を悩ませる事になる訳だが……どの道僕はサイレンススズカさん以外に投票するつもりはないので関係ない。まぁ、ブルボンと一緒のレースとなれば、流石にブルボンにも投票するが。
そうした、所謂推しが一人しかいないような人は、代わりに同じウマ娘のバ券を3枚まで購入する事が出来るようになっているのだ。
ちなみに僕はこれまでのレース全てにおいてスズカさんのバ券を3枚購入している。目的? 勿論ライブ抽選用に保存用、それから観賞用だ。
「へぇ、記念にもう1枚ってゆうのはそーゆー事なんスねぇ……あれ、説明別にかいつまんでなくなかったッスか?」
「ああ。バ券は基本、1枚につき3人まで抽選に登録出来るからな。そうやってバ券をコレクションしたり、誰かにプレゼントしたりするファンも少なくない」
「楽しみ方も人それぞれッスねぇ……っていやいや、だから説明かいつまんでないって――」
ちなみにだが、勝ウマ投票券時代と違い、投票したウマ娘が負けたとしてもちゃんとライブの抽選には登録できる。というのも、昔は負けたウマ娘のバ券での抽選登録をすると、後ろの席に追いやられるというシステムだったから、それを踏まえて改善した、らしい。
「マスター、そろそろスズカさんがパドックに」
「おっと、そうか。助かるブルボン」
「いえ、当然の事です」
ブルボンはこの辺り気が利く、良い奴だ。
「あのー、先輩? なーんで無視なさるんスかね……?」
この男はこの辺り細かい。細かいからこそ真っ先に色んな事に良く気付くから、悪い奴ではないのだが。
『――さぁ、続いてパドックに登場するのは、このウマ娘!』
アナウンスと共に、パドック中央にあるステージの幕が上がり、中からサイレンススズカさんのお姿が露わになる。
『2枠2番、サイレンススズカ! 今回、圧倒的1番人気です!』
アナウンスに合わせて、サイレンススズカさんがジャージを放られた。
それを見た観客から歓声が上げる。
「やー、いつもながら飄々とした感じがね、たまらんというかね。それがレースになると先頭切って突っ走るってギャップがもう……いいよね」
「俺、ホープフルの時からスズカが好きになったんだけど、デビュー戦から追いかけたかったなぁって……」
観客からそんな声が漏れるのを聞き、「わかる、わかるぞ」と、心の中で頷く。
普段から何を考えているのか、まるで雲を掴むような感覚に陥りそうになるほどミステリアスで、まさにこの世ならざる天女が如し。
しかしレースとなれば、まるで雄々しき戦乙女のように、目の色を変えて突っ走る。
その美しさに気付けるとは、良い目をしているではないか――
「わっ、昔先輩が初代スターマン語ってた時並に輝いてら」
「一度聞いてみたかったのですが、どれ程明るかったのですか?」
「無表情で饒舌に喋り出すぐらいかな」
「成る程。現在のマスターと比較……昔の方が明るかった、という結果がでました」
隣で何事かを話しているのを無視し、サイレンススズカさんのお姿を目に焼き付ける。
普段からトレセン学園で見てはいるが、こうしてパドックで見る静謐なるお姿、そしてレースの時に見せる苛烈なるお姿は、ここでしか見られないのだ。
「でもさぁ、
そう、パドックでお見せになられるお姿は、謂わば嵐の前の静けさであり……ん?
「ああいう、早くから活躍するウマ娘ってケッコーいるらしいけどさぁ。そういうのってソージュクって言うんだろ?」
…………。
――おっと、面白そうな事話してるねぇ。
「なら、冷静に考えりゃ、こっからはあんまり期待できないって風にも考えられね? って思うワケ。もしくは世代のレベルが低い的な?」
……コイツ。
「あ、あー! 先輩、そろそろ場所確保しないと、皆スタンド前に集まるんじゃないッスか?」
「確認できる限りで47名の観客のスタンドへの移動を確認。早急なエリアの確保を推奨します」
「あ? あ、あぁ……」
――あーあ、余計なマネを。つまんない。
唐突に二人にそう促され、僕の意識が暗闇から引き戻されるような感覚を覚える。
……今、僕は何を……前にもこんな事が、あったような……。
「ほらっ、行くッスよ!」
「腕の方、失礼します」
伊出とブルボンに無理矢理両腕を引っ張られるような形で、僕はその場を後にした……。
******
『――さぁ、最終コーナーを最初に駆け抜けてきたのは、やはりこのウマ娘、サイレンススズカ!』
『これは凄い! 中山の直線は攻略済みと言わんばかりです!』
『サイレンススズカ、そのまま先頭でゴール!』
『タイムは――ホープフルステークスから約1.2秒更新! これは皐月賞本番も期待できます!』
******
「……凄かった、ッス」
「凄いだろう、素晴らしいだろう、サイレンススズカさんは」
「ダンス……」
「走りはどうした貴様」
「ひっ……い、も、勿論凄かったッス! 坂上がって来るところなんて、こっちに飛び込んで来るんじゃないかってぐらい迫力があって――」
相変わらず、分かりやすい男だ。
伊出という男は、どちらかと言えば軟派な方だ。
サークル時代、とある事情があり山のキャンプ場に向かった時も、自然な流れで他の女性客を引っ掛けようとしていたし。
本人曰く「エキストラとして参加してくれたりしないかなと思ってた」などと言っていたが……嘘はついていないが、本音も言っていないような、そんな感じがする。
……しかし、伊出の言わんとしている事も分かる。
サイレンススズカさんは、一見して全身の全てを『走る』事の一点に注がれておられるように見える。
現に、メイクデビューの後のウイニングライブは……僕は好きだが……世間からの評価はあまり芳しく無かった。
『ウイニングライブは、応援してくれたファンに向けての感謝の気持ちを表現する場』とは、偉いトレーナーの誰もが言っている事だが。
正直僕自身、あの頃はサイレンススズカさんに楽しく走って頂く事だけを考えていたから、ライブ方面の練習が疎かになっていたのは否めない。
だからその後は、時間を見つけてライブの練習をしたりしていたのだが……どうやら練習している間も、『走る事』で頭が一杯になっておられるらしかった。
と、いうより。走りから遠ざければ遠ざける程、彼のお方の走りに対する真摯で飽くなき欲求が膨らんでいくのだ。
そこで、僕は考え、そして一つのアドバイスを送った。それは――
「でも、でもなんスよ! なんスかあのライブ! あの……思春期の子とは思えない、色っぽ過ぎる雰囲気! あの上気した顔! 隣の子の印象を食わんばかりの躍動感溢れる激しいダンス!走った後だからなのか分かんねぇッスけど、熱が伝わってくるあの感じ! あれはフツーのアイドルじゃ出せない熱ッスわぁ……どーゆートレーニングしたらあんな風になるんだろ……」
なんという事は無い。ライブの練習だけに集中させようとするから身体と思考がチグハグになるのなら――
「『ランナーズハイを維持したまま、ライブの練習をさせる』。シンプルですが、マスターの目論見は成功した、と言えるのでしょうか」
伊出の疑問に、ブルボンが答える。
そう。常に走りへの欲求を抱えているというのなら、欲求の解消と昇華、両方をこなせばいいのではないか?
そう思い、ライブの練習に一日の時間を費やすのではなく、通常のトレーニングとの割合を決めて分割し、幾らか走って頂いた後にライブの練習をして頂いたところ……これが上手くハマった。
ランナーズハイによる多幸感をそのままに踊る彼のお方は、まるで熱に浮かされるようで。これが普通のウマ娘なら、走った後の疲労感でまともに踊れないだろうが、そこがサイレンススズカさんの凄いところだ。
しかも、ライブ本番では――本人は恐らく無意識で――例えば投げキッスのようなアドリブを組み込んだりと、ハラハラする反面、蠱惑的で酷く魅了されるファンがいるのもまた事実なわけで。当然自分もやられた。
熱を発散するように踊られるそのお姿は、太古の昔、天岩戸に閉じこもったアマテラスを外に引きずり出す為に裸になって力強く踊ったというアメノウズメを想起させた。
……念の為、サイレンススズカさんの名誉の為に言うが、サイレンススズカさんは脱いではいない。絶対に。
「うぅ~、この流れで顔合わせとかマジッスか? 俺、顔合わせられるかなぁ……」
「そうは言いながらウキウキな癖に」
「バレたッスか」
てへっ、と言わんばかりに舌をちろりと出す伊出。顔が所謂イケメンの類なだけに、地味に様になっているのが絶妙に腹立たしい。
「……会わせはするが、くれぐれも無礼のないように」
「なんか思ったんスけど、スズカちゃんの事になると固くなりません? ……ま、大丈夫ッス。流石に弁えるところは弁えますよ。自分、これでもプロなんで!」
そう言いながら、笑顔でサムズアップしてくる伊出。
ノリこそ軽いが、嘘はつかない辺り、僕と違い世渡りが上手いと言うべきか。
そういうところは、サークル時代から変わっていないなと、僕は……心の中だけで彼を称賛した。
――じゃあ、キミはどうなんだい?
「に、しても。先輩ホントにスズカちゃんの事好きなんスねぇ」
唐突に伊出がそんな事を言いだす。
……何を言い出すかと思えば。
「……好き、という言葉が正確なのかは分からない」
「? じゃあ、なんなんスか? 嫌いなんて言わないッスよね?」
当然だろう。この感情は――
「……敬意や憧憬、だと思う」
「だと思うて。昔、スターマンに対してはシンプルかつストレートに「好き」って言ってたじゃないッスか」
伊出が苦笑いとも何ともつかない、複雑そうな表情を向けてくる。
……僕が「好き」とだけ言ったのは、あの頃の僕は対人関係が苦手だったから、自分なりに簡潔に纏めようとしただけだ。本当はもっと……いや、よそう。
「……しょうがないだろう。スターマンはテレビの向こう側の、僕らからすれば
「ふぅん」と、納得したような、そうでもないような曖昧な表情を浮かべる伊出。
「ま、分からなくはないッスかね。俺も魔骸者のレイニズム全開のデザインとか好きっすけど、本物に会ったらチビるかもッスもん」
伊出の言う魔骸者とは、『魔骸戦記』に登場する存在で、所謂ヒーロー物に出てくる怪人だ。詳細を話すと長くなるからざっくり説明すると、戦争の為に特殊な改造を施された改造人間の事を指す。
そのデザインは監督兼デザイナーの趣味嗜好が大きく出ており、モチーフは『生物と機械』という等身大ヒーローでは良くありがちなミキシング怪人でありながら、その二つを何故かミキサーにかけて歪に成形したかのようなグロさがあるのだが、そのどことなく人間臭い愛嬌を感じさせる絶妙な塩梅から、伊出含め熱狂的なファンも多い。
ちなみに、これらの独特なデザインの事を、ファンは監督の名前をもじって『レイニズム』と呼称している。
「確かに、創作作品の中にしか存在しないものと現実には、明確な
そう言いながらブルボンが頷く。
そういえば彼女もSF作品が好きだったか。
彼女の纏う勝負服も、元は『宇宙を飛ぶ戦闘機』がモチーフになっている。
昔その話を聞いて、ふと思い出した縁谷特撮のSF作品『スペースウルフ』をオススメしたら、酷く気に入っていたのを思い出す。
そんな彼女は、『宇宙の戦闘機』に憧憬を抱いてはいるが……戦闘機とは、即ち兵器。
現代の平和なこの国に生きる人間にも、兵器等を愛好するミリタリー趣味というものがある。
しかし、「実際に動き、標的を破壊する兵器を見れば、想像以上のカッコよさに加えて、兵器だからこその真に迫った恐ろしさを感じる」と、自衛隊の総合火力演習を見たというサークル仲間が昔言っていた。
空想は現実に基づいた架空の世界には違いないが、そこには間違いなく、くっきりと分かつ
……しかし。だからこそ、現実に存在した『星』を見てしまえば――
「あ、そういや先輩。前々から聞こうと思ってたんスけど」
「……なんだ?」
僕の思考を唐突に遮るように、伊出が言葉を発する。
「ウイニングライブのダンスの指導って、基本トレーナーがやるって話らしいッスけど、まさかブルボンちゃんやスズカちゃんのダンスの指導って先輩が……」
「ああ、僕がやってる」
「な訳ないッスよねぇ~……って、え? マジ?」
「マジ、です」
「……まぁ運動音痴ではないけど、いつも仏頂面のあの先輩が?」
「踊っています。真顔で」
「ぶっ」
なんで吹いた。あとブルボン。余計な事は言わんでいい。
この後、顔合わせに加え、その後の取材予定の擦り合わせも問題なく無事に終えられたのだが……一つ、気掛かりな事があった。
あの男、ちゃっかりサイレンススズカさんと連絡先を交換しおった……!
******
(やー、上手く行ってよかったよかった)
伊出は帰りの電車の席にて軽く背伸びをしながら、そんなことを考えていた。
首尾は上々だ。コネを使いサイレンススズカに接近し、取材の約束を取り付ける。上司もきっと喜ぶだろう。
去年の活躍が活躍なだけに、既に彼女をマークしだしている記者もいるというのを知ってはいた為、上司から急にそのような
おまけに、以前既にミホノブルボン関連で取材を行っている為、記者とトレーナーという関係としても良い方ではあったから、突然の連絡でも通るだろうとは思っていた。
(スズカちゃんの私生活についての取材、この調子ならなんとかなりそう……かな?)
……一つ、伊出に誤算があるとすれば、彼女の私生活はある意味恐ろしく淡白だという点にあり、後にその事で頭を大いに悩ませる事になるのだが、それはまた別のお話。
「……それにしても、先輩は変わんないなぁ。
唐突に、伊出はそんな事を呟いた。
思い出されるのは、弥生賞のレース中。
周囲の熱気もあったのだろうが、走るサイレンススズカの姿に柄にもなく熱くなってしまった伊出は、思わず「頑張れー!」と叫んでしまったのだ。
その時、たまたまチラと隣を見た時だった。
……彼は、
思えば伊出は、これまで彼と付き合ってきた中で、
それこそ、サークル時代に活動の参考の為に見に行ったヒーローショーで、彼の好きな初代スターマンが登場した時ですら、彼は応援をしなかった。
最初は年齢的に恥ずかしいのかと思っていたが……彼と付き合う中で、それが違うのを知った。
(スズカちゃんに対しても、それだけ信頼してる、って事なんだろうけどなぁ……)
そう思いながら、伊出は漆黒の闇に染まった車窓の外を見やる。
車窓から映る景色には、街の灯りの影響からか、星が一つも見えなかった。
……そういえば、昔早永がサークルの代表と、取材の為にとある人物を訪ねた後。
その頃から、彼らのサークルの内輪である言葉が流行るようになった。
「……『星』、か」
『星』。好きや憧れ、それらのみならず言葉にならない複雑な想い、あるいは文字として出力できない感情を抱いた対象を、彼らはそう呼ぶようになった。
サークルメンバーは各々、その一文字に対して独自の解釈を組み込んでいたようだから、無論伊出の考えるそれも、早永が考えていたであろう『星』と違う事は分かっていた。
その上で、今日サイレンススズカのレースを見ていた早永を見て、分かった事がある。
「……先輩、
諦めた自分と違って。
そう自嘲しながら、伊出は静かに瞼を閉じた。
当然、そこに広がるのは暗闇だけだった。
今更ですが、今作を書くに当たって山口貴由先生の『劇光仮面』を参考にしていたりします。『覚悟のススメ』や『蛮勇引力』、『衛府の七忍』と違い流れは淡々としていながら、しかし確かな熱量を感じられる作品なのでおすすめです。