目次の更新日時の横に(改)と書かれているのがそれなので、是非とも読み直していただけたりすると幸いです。
「スズカ、お前にとって早永トレーナーはどんな存在なんだ?」
唐突にエアグルーヴから投げかけられたその問いに、私は……すぐに答える事が出来なかった。
同席しているスペちゃんとフクキタルも、興味があるのか、私の回答を目を輝かせながら待っていた。
どんな存在、と聞かれても、私にとってのあの人は……私の心に、望みに、そして欲望に理解を示してくれた人で……それから……それから?
考え込めば考え込む程、思考のるつぼに陥ってしまう。
良い人、と形容するのは簡単だ。
あの人は、前のトレーナーさんと違って、私の思うがままに走らせてくれる。
最初は、以前の経験もあってか、自由に走る事に躊躇していた。
前のトレーナーさんも、意地悪がしたくて私にあのような走りをさせていた訳ではない。勝つ為に必要な事だからそうしていただけ。ただ、私とは致命的に合わなかっただけで。
でも、彼は違った。私の気持ち……勝つ事ではなく、先頭を走る事を求める気持ちを理解し、それに応えてくれた。
私に、自由を与えてくれた。
それがどんなに嬉しい事だったのかは、きっと言葉では言い表せない。
そんな彼を、『良い人』以外で言い表せる言葉は、今の私には思いつかなかった。
強いて言うなら……親、だろうか? 少なくとも、私の両親は私が走りたい時に走らせてくれたし。でも……それは違う気がする。
じゃあ、兄弟? お兄ちゃんかお兄さん? ……ううん、それも何かが違うような……。
「……待て待て、そんなに悩むような事か? 仮にも無敗で皐月賞を勝たせてくれた恩師だろうに」
そうは訊かれても、「良い人」以外に思いつく答えが何もない。少しばかり……いや、かなり私への態度が変ではあるけど。
「私にとってのあの人は、とても良い人よ。……それじゃ駄目なの?」
そうエアグルーヴに伝えると……何故かエアグルーヴは眉間を抑え、スペちゃんも目を丸くしてこちらを見てくる。
フクキタルは……どうやら二人よりかは分かるらしく、しかし「分かるような……でも……うーん……」と唸っていた。
「……それ
えぇ、と頷く。
「……お前、本気で言っているのか?」
「え、えぇと……えっ、これどういう反応すれば……!?」
2人の様子に困惑していると、エアグルーヴは大きくため息をつく。
「……さてはお前、自分のトレーナーとまともに話をしていないのではないだろうな?」
話は、する。一日のトレーニングについてだとか、次のレースの話だとか。
そう言うと、「そういう事ではない!」と睨まれた。解せない。
「……話というのはつまり、業務的なものだけではなく、プライベートな事も含めてだ。と言っても、そこまで深く話す必要はない。最近調子がどうとか、悩みはないかとか、そういう類のものだ。……なんだお前達、その目は」
エアグルーヴとはそれなりの付き合いだからこそ、彼女の口からそんな台詞が出てくるのが意外だった。元々、プライベートな事にあまり踏み入って欲しくなさそうにしていたし、私もそこまで踏み入りたいとも思っていなかったから、暗黙の了解のように触れないようにしていたのだけど。
それは、私の同期であるフクキタルも同じらしい。「ほえー」と声を上げている。
スペちゃんはそこまでエアグルーヴと親しくないからか、普通に感心しているようだった。
「わ、私の事はいい! それよりスズカ、お前の事だ! いいか、お前は仮にも無敗で皐月賞を制した強者なのだから――」
そこから、私はエアグルーヴにこんこんと説教をされてしまった。
正直、私の返答の何がいけなかったのか良く分からず、チラリとフクキタルやスペちゃんの方を見るが……彼女達は彼女達で、困ったように互いに顔を見合わせていた。
……どうしてこうなったんだっけ。
エアグルーヴの説教から逃れるように、私は記憶の中に探りを入れた……。
――数分前。
授業を終え、昼食を取る為に多くのウマ娘達はカフェテリアに集う。弁当を用意しているウマ娘もやって来る事があるらしいので、昼になればカフェテリアは大賑わいだ。
私はと言えば、混雑はあまり好きではないし、何よりビュッフェの列に並ぶという行為が嫌でたまらない――私よりも前に誰かがいるのがどうしても気になってしまう――から、授業が終わるとダッシュで此処にやって来る。
「おや、スズカちゃん! 今日も一番乗りだねぇ!」
ほぼ毎日そういう風に通っているからか、厨房の方とも今では顔見知りのようになってしまった。
そして、食べるメニューも大体一緒――つまり迅速に、かつ午後からのトレーニングで必要なエネルギーの分だけ食べられるもの―なので、厨房の人も気を利かせてくれているのか、デザートのバナナも含めて先に用意してくれている。ありがたい話だ。
「ありがとうございます、いつも助かります」
「いやぁ~良いってことよぉ。次、ダービーも走るんだろ? 頑張りなよ」
「はい」
手を振る厨房の方に軽く会釈をし、素早く席を確保する。そして、早口気味に「いただきます」と呟くと、料理に手を付ける。
普段であれば、そのまま食べ終えた後、時間が許す限り校内を走るつもり――エアグルーヴに聞いたところ、食後のランニングはあまり消化によくないらしいが、それはそれとして走りたいから、こっそりと軽めに走っている――だったのだが、その日は少し違った。
『――化け物め』
あの言葉が、妙に耳に残っていて、箸が進まない。
不快だとか、そういうのではない。ただ……考え込んでしまう。あの言葉は、どういう意味だったのかを。それが気になって、時々だが思い出して夜も少しだけ寝付けない事もある。
「――あ! スズカさーん!」
そんな時だった。明朗快活という言葉が似合いそうな明るい声を発しながら、同室の後輩であるスペちゃんことスペシャルウィークが笑顔でやって来たのは。
彼女と出会ったのは、今のトレーナーさんと初めて出会った日。私が、私の中の『星』を再確認できた、あの後の事だ。
河川敷を走り、少し休憩をしていたところ、唐突に私の前に現れたのが彼女だった。
『うわーッ! 本物のウマ娘さんだーッ!』
自分もウマ娘では……? という疑問が頭をもたげたが、彼女の境遇を知れば、それも仕方のない事だった。
元々、自分を産んでくれたという母を亡くし、人間の母親に育てられたという彼女の周囲には、そもそもウマ娘がいなかった。
いるのは、母を含めた人間に、野生の動物や鳥といった獣達ばかり。
そんな故郷の北海道の中でもかなり辺境らしい環境で育ったからか、まるで生まれたての鳥が刷り込みで初めて見た生き物を親だと思うように、スペちゃんも私の事を強く慕ってくれるようになっていた。
元々会話が苦手な方だった私だが、人付き合いに遠慮がないのか、もしくはウマ娘との距離感に慣れていないのか、積極的に話しかけてくる彼女と接する内に、少しずつ慣れていった。
最初こそ私も「スペシャルウィークさん」と呼び、(私の方が年上だけど)敬語で話していたけれど、今では「スペちゃん」と呼べる程度には親しい仲になった、と思う。
「相変わらず来るの速いですねぇスズカさん。それにその量。……お腹、空かないですか?」
そう言いながら、私のいるテーブルの正面の席に座るスペちゃん。そのトレーに乗った料理は、膨大だった。
「……ええ。ちょっとでも走りたいし。というか、普通はこれぐらい食べればトレーニングでも動けるんじゃ……?」
「ふぇ~、スズカさん、やっぱり
「それを言うなら
そう指摘すると、スペちゃんは「あうぅ」と恥ずかし気に顔を覆う。
「そ、そうだ! 私、ようやくチームに入れたんですよ!」
誤魔化すようにそう話すスペちゃんに「そうなの、良かったわね」と返しながら、白ご飯を口に運ぶ。炊き立て特有の温かさを超えた熱さが、口の中に広がる。
「はい! とっても良い人なんです! 私の夢を笑わずに、一緒に叶えようって言ってくれて!」
ニコニコと、心底嬉しそうに話すスペちゃん。
確かスペちゃんの夢は……『日本一のウマ娘』。
初めて聞いた時、「随分ぼんやりとしてるなぁ」と思ったものだけど……彼女の話を聞き、それが真剣な夢なのだと知った。
自身の二人の母親に捧げる、偉大なる称号。その為に、彼女はこのトレセン学園に入学した。
そう考えると、『日本一のウマ娘』という称号は、彼女にとって求めて止まない『星』なのだろうと、そう解釈した。
「あ、トレーナーさんだけじゃなくて、チームの皆さんも凄い人達ばかりで……あっ! でもでもっ、皆さん良い人で――」
コロコロと表情を変えながらそう語るスペちゃんは、心底嬉しそうで。
……そういえば、スペちゃん、私と一緒のチームに入りたいって言ってたっけ。
あ、けど、結局駄目だったんだ。いつだったか部屋に帰った時、酷くしょんぼりしたスペちゃんがベッドで項垂れていたのを思い出す。
『……ダメでした……』
いつも元気一杯なスペちゃんがこうなってしまうなんて、一体あの優しいトレーナーさんに何を言われたのかしら。
気にはなったけど……結局聞けずじまいだった。多分、今後も訊こうとは思わないかもしれない。それを知るのが、何故だか怖く感じてしまうから。
「……そう。これから大変でしょうけれど、頑張ってね」
「はい! 頑張りますっ!」
だから、せめて後輩の新しい門出を祝福する。そうした方がいい気がするから。
「目指せ、日本一!」と声高らかに叫び、しかし周囲の人の視線が向けられるのを感じ、「え、えへへ」と縮こまるスペちゃんを見ながら、私は微笑む。
「あっ、そうだ! スズカさん、スズカさんのチームのトレーナーさんに併走させてもらえないか訊いてもらえませんか!?」
唐突に早口気味に振られた話に、「えっ」と声を漏らしてしまう。
「別にいいけれど……トレーナーさんと走るの?」
「なして!? ……あ、そういう事か! えっと、スズカさんと並走させてもらえないか訊いて欲しいんですっ!」
一瞬トレーナーさんがスペちゃんと走る絵面を想像してしまったが……あの人は確か咳喘息を患っているのだという。流石にそんな人に走らせるのは酷だろう。
だから、そうじゃなかった事に安心しながら、別の疑問が浮かぶ。
「えっと、私は構わないけど……どうして私と?」
「え? えっと、それは……」
何故か顔を赤らめながらモジモジとしだすスペちゃんに、私は首を傾げてしまう。
何か、恥ずかしい理由でもあるのだろうか? でも、一緒に走る事に一体何の問題があるんだろう……。
私が不思議に思っていると、スペちゃんも決意を固めたらしい(なんで決意が必要なのかも分からないが)
「わっ、私! スズカさんに憧れてるんですっ!」
……………。
「……えっと、それが理由?」
「えっ、あっ、はいッ!」
何故か背筋をピンと伸ばしながら、スペちゃんは力強く返事をする。
「どうして、私に?」
「えっ!? どうしてって……スズカさん、自分の凄さを分かってない!?」
えぇーッ!? と絶叫を上げるスペちゃん。しかし、再び周囲の視線が突き刺さったのを感じたのか、再度縮こまる。
凄さ、と言われても……自分が速いのは分かるけど。しかし、凄いかどうかと聞かれると、よく分からない。
何故なら……これは感覚の話になるけど、自分の限界はまだまだ先にあって、だから自分はまだまだ速くなれる、そんな気がするから。
だから、そんな私が凄いと言われても、正直実感が湧かない。
「だ、だって、無敗で皐月賞を制したんですよ!? 凄すぎるじゃないですか!」
「そ、そう……なの?」
「そうですよ! ジュニア期から大活躍だったのに、クラシック期でも絶好調の快進撃で皐月賞制覇! 日本ダービーも一番人気間違いなし! トレーナーさんも「あの『怪物』マルゼンスキー先輩の再来だ」って言ってましたし、それにまだデビューしてない子でスズカさんに憧れない子なんていませんよ!」
そう断言されると……なんだか不思議な気分だ。
私はただ、『先頭の景色』を見る為に走っているだけなのに。
……そこまで考えて、私は気づく。私はまだ、このトレセン学園に来てから、本当の意味であの『景色』を見られていないという事に。G1と呼ばれているホープフルステークスや皐月賞でも、私の望む『景色』は見られなかった。
そう、幼少期に一度だけ見た、私だけの『景色』。
あの時見た『景色』は、今でもまざまざと思い出せる。
けれど……それ以外の記憶は色褪せていくもので、その時どういう走り方をしていたかとか、そういった細かい部分は思い出せない。
もしかしたら、そこにこそ『景色』を見る鍵があるかもしれないのに。
……けれど、今更それを悔やんでも仕方がない。『景色』と同じで、過去も後ろに過ぎ去るだけだ。
だから、これからの事を考える。いつもそうしてきたし、これからもそうする。
……それはそれとして、もう一つ引っ掛かるものがあった。
「……『怪物』」
「?」
スペちゃんの話していた内容にも出て来た、マルゼンスキー先輩。名前は聞いた事がある。私と同じ逃げを得意とするウマ娘。
それ以外で知っているのは……あまり言いたくはないが……速いらしい。
一度だけグラウンドで走っているのを見た事があったが、確かに速かった。だが、いずれ私の方が速くなる。根拠はないが、確信していた。
しかし、本題はそちらではない。マルゼンスキー先輩に付いた異名の方だ。
『怪物』。その言葉に抱く印象と言えば、昔保育園だったか幼稚園だったかで先生が読み聞かせてくれた童話に登場するそれか、もしくはトレーナーさんが好きなスターマンに登場するカイジュウと似たようなもののように思える。
聞けば、存在そのものが人間にとっての理不尽の塊なのが、カイジュウなのだという。
「スズカさん?」
額面通りに捉えるなら、怪物も化け物も似たような意味だ。……ならば、あの時あの子が私に言っていたあの言葉も、マルゼンスキー先輩に付けられたそれと同じような意味なのだろうか?
マルゼンスキー先輩も、私と同じように誰かに言われていたという事だろうか?
あの……私の事を恐れるかのような、敵として見ているかのような……それ以上の、なんとも言えない暗い感情を宿した瞳で見つめてきた、彼女のような誰かに。
それって――どんな気持ちがするものなんだろう?
「――ズカさん、あのー?」
分からない。あの言葉と感情を受けてから、私の心は変な感じだ。少なくとも、自分の走りが出来なくなったあの頃のような辛さは感じないけれど。
分からない。あの言葉と感情に、どう向き合えばいいのか、自分の事なのに分からない。
分からない、分からない、ワカラナイ――
「――おいスズカ! スペシャルウィークが呼んでいるぞ!」
怒りの感情が混じった声がメンコを貫通して耳の奥に突き刺さり、一瞬、キーンと頭の中で響く。
ハッとして向けば、私の事を心配そうに見つめるスペちゃんと……私の事を眉を顰めながら見ているエアグルーヴがそこにいた。
「あ、エアグルーヴ」
「あ、じゃない。全く、スペシャルウィークが何度も呼んでいたんだぞ? 何をそんなにボーッとしていたんだ……」
呆れたように溜息を吐きつつ、エアグルーヴはそう言う。
……正直、全く気付いていなかった。
「そう、だったの。ごめんなさいね、スペちゃん」
「い、いえ! 何か考え事をしてるんだったら、寧ろ私の方が悪いかなって……」
「スペシャルウィーク、気にするな。スズカは大抵、走る事しか考えてない」
それはそれで失礼じゃないかしら……と思ったけど、走る事ばかり考えてるのは正直否定しきれないし、口喧嘩でエアグルーヴに敵う気がしないから、大人しく黙っておく。速さなら負けるつもりはないけど。
「ほえー……やっぱりスズカさん、
「それを言うなら
「え? ……ああッ!? また間違えたーッ!?」
スペちゃんの相変わらずの反応に、思わず笑みが零れる。
同時に、少しだけスッキリとした気分になった。
「……ありがとう、二人とも」
「? なんだ突然」
「いえ、なんでも」
不思議そうな顔をする二人に、私は笑顔のまま首を横に振る。
「……って、私を置いていかないで下さいよぉ~!」
そこに追加でやって来たのは、同期のマチカネフクキタル。
どうやらエアグルーヴと連れたってやって来ていたらしい。全く存在に気付かなかったけど。
「なんだか珍しい組み合わせね。二人が一緒だなんて」
「……こいつがな、「学園内で占い屋を開きたい」などと、よりにもよって生徒会室にまで直談判しに来たんでな」
「だって目安箱に入れたのに却下したからじゃないですかぁ!」
「『全てのウマ娘が幸せになる為にもやはり占いは必要』などと、そんな怪しいものを通すわけなかろうが! たわけ!」
「むぐぐ……怪しいとはなんですか! 怪しいとは! 占いというのはウマ娘のモチベーションにとっても大事なんです! 特にシラオキ様の『お告げ』は――」
そこからフクキタルによる熱弁が始まりそうになり、エアグルーヴが「語る時間があるなら食事を取らんか!」と割って入ってくれたおかげでどうにか中断された。
私はそもそも占いに興味はないけれど、きっと私にとっての『星』があの『景色』であるように……あるいはスペちゃんにとっての『星』が『日本一のウマ娘』であるように、フクキタルにとっては占いこそが『星』、なのかもしれない。
……今更だけど、なんだか便利な言葉ね、『星』って。
夢や希望、そして輝き。それから、その他諸々の明るいもの。そういったものを全部、一纏めに出来る魔法の言葉だから。
私はあまり口が得意な方ではないから、『星』という言葉を教えてくれたトレーナーさんには、改めて感謝したいと思う。……今度お礼を言っておこうかな? でも唐突にお礼を言ったら、あのトレーナーさんの事だから凄く動揺しそうな気がする……前に私がトレーニングで良いタイムを出せた時も――
『良き……走りにございます……!』
――って、泣きそうになりながら笑ってたし。
そこまで考えて、どんどん思考が脱線していっているのを自覚し、私は小さく頭を振る。
「折角だから、二人も一緒に食べない? スペちゃんもいいわよね?」
「む、いいのか? スペシャルウィークはスズカを慕っているんだろう? 二人で色々と話したい事とかあるんじゃないのか?」
「いえ、大丈夫です! 寧ろトゥインクルシリーズで走ってる先輩とご一緒出来るなんて、感激です!」
嬉しそうに尻尾を振りながら笑顔を見せるスペちゃんを見ていると、なんだか微笑ましくなる。
「そ、そうか。では、お言葉に甘えて同席させてもらおうか」
「あわわ……スペシャルウィークさんの目がすっごい輝いてて……私、まだ目立った実績とか無いんですけど……」
「そうは言うけれど、調子がいい時は良い走りしてるって、ブルボンが言ってたわよ」
「エ゛ッ゛……あのサイボー……無敗二冠のお方が?」
「ええ」
「あわわわわ……そ、そんな方に褒めて頂けるなんて……これはやはりシラオキ様のお力があってこそ!」
「なんで最終的にそこに落ち着くんだ……」
「むっふっふー」と胸を張りながら、取ってきた料理を机に置くフクキタル。……しらおきさま? について話している時の彼女を見ていると、何故だかトレーナーさんの姿がダブってしまう。
なんというか、スターマンの事を話していた時は『子供の一面が見え隠れする大人』という印象があったのに、私と話している時、そして私について話している時は、丁度今のフクキタルのように『得意げな子供っぽさ』を前面に感じてしまうのだ。言葉遣いは丁寧なのに。
二人に共通しているものがあるとすれば……媚びるような感情の色が感じられない事、かしら。
私の感覚が正しければ、二人ともそれぞれに向ける感情が純粋なように思える。
「? どうかしましたか、スズカさん?」
じっとフクキタルの方を見ながら考え込んでいたからか、スペちゃんが首を傾げる。
「……なんでもないわ。ただフクキタルを見てると、なんだかトレーナーさんを思い出すなって思って」
「へ? ……あの、トレーナーさんを?」
……妙に訝し気だ。ジト目、というのかしら。普段から明るい性格のスペちゃんがこんな顔をするのは、ほとんど見た事が無い。
本当にトレーナーさんは、スペちゃんに何を言ったんだろう。
「……ああ、早永トレーナーか。
エアグルーヴも、どうやらトレーナーさんとフクキタルが結びつかないらしい。
眉をハの字にしながら、不思議そうな表情を浮かべている。
……そんなに?
「ほぇ~、私みたい、というと……その方も信奉している神がいる、もしくは占いが好き、とか?」
やけにキラキラした表情で私の方を見てくるフクキタル。
「……神を信じている、という類の人間には見えないし、占いなら猶更だ。ミホノブルボンへのトレーニングに関して一時問題視されていたから覚えているんだが、あれは……運に頼るタイプの人間にも見えん」
エアグルーヴの発言に、私は自分の目が自然と見開かれるのを自覚する。
あの人が、問題視されていた?
「……エアグルーヴ、その話、詳しく」
「は? お前、自分のトレーナーの事だろう? 知らないのか?」
私から問い掛けが来ると思っていなかったのか、心底意外そうな声を出し、目を丸くするエアグルーヴ。
彼女からの返答に、私は首を横に振って応える。
「……どういう事だ? もしやあの男、ミホノブルボンの怪我を受けて……?」
ボソリ、とエアグルーヴがそう呟く。
ブルボンの怪我についてはトレーナーさんに聞いた事がある。
次のレースに向けてのトレーニングの最中起きた出来事だとも。
「……あの男がミホノブルボンに行ったトレーニングは、端的に述べればハードだったそうだ。それこそ、普通のウマ娘には耐えられないような程度の。……まぁ、本人が三冠路線を目指していたとあれば、相応の努力が必要なのは確かだが」
そう言ってエアグルーヴは一息入れる。
「私も、デビュー前後の頃は……多少、そう多少だ。まぁとにかく私も理想を実現させる為に無茶をしていたから、三冠達成を成し遂げんとするミホノブルボンの気持ちも、分からんでもない」
「『スタミナは努力で補える。だから、三冠達成の為の相応の努力をしているに過ぎない』とは、ミホノブルボンの言っていた事だが……しかし、それで無理をさせて脚の負担を増やすのも本末転倒だろう」
「実際問題、怪我をした際に確認された彼女の足の状態は、相当酷かったそうだ。骨折こそ免れたが、医者からは引退も視野に入れるようにと言われていたんだぞ? あの男が課したトレーニングがどれだけハードだったのか、想像に難くないだろう。それこそ、周囲から冷徹な男だと、冷血漢だと思われるぐらいにな」
そう言って、エアグルーヴは大きなため息を吐いた。
……正直、今のトレーナーさんを見ていると、そんな事をしていたようには思えなかった。
私相手ならともかく、ブルボンに対しても特に厳しいメニューを課すような人じゃない……というか逆にブルボンの裁量に委ねてる部分が多いし……。
でも、決して不真面目というわけではない。寧ろ真面目な人だと思う。
私のトレーニング――という名のタイムトライアル――を見ながら、ちゃんとブルボンのトレーニングも見ているようだし。
それに、冷徹や冷血漢という言葉も、表情がコロコロ変わるあの人の顔を思い浮かべると、とてもじゃないけど似合わない。
「そんなわけで早永トレーナーは、学園の問題児の一人として名を連ねる事となった。……まぁ、ここら辺の噂話に関してはロクなものがないし、お前はそういうのに疎いだろうから気にしなくていい」
溜息交じりに話すエアグルーヴ。
……話を聞き終えて、やはり今のトレーナーさんと一致しない、というのが正直な感想で。
ブルボンに怪我をさせてしまったとは言うけど、トレーナーさんとブルボンの仲は悪いようには見えない。トレーナーさんがブルボンのトレーニングを半ば放任しているように、少なくとも私から見たブルボンも、トレーナーさんを信頼しているように見えた。
「……お前のその反応を見る限り、以前の早永トレーナーと今の早永トレーナーはまるで別人、という事か」
「ええ。……トレーナーさんは、そんな冷たい人じゃないわ。私に
「そうか……ちょっと待て。自由に、だと?」
私の言葉に、エアグルーヴが眉を吊り上げながら反応した。
……何かおかしな事言ったかしら?
「まぁ、移籍した直後のトレーニングは見ていたから分かる。あのペースもタイムも無視した走り……滅茶苦茶ではあったが、不思議と以前よりも脅威を感じたものだ」
しかし、とエアグルーヴは続ける。
「まさかとは思うが、「
……妙に目力の籠もったエアグルーヴの視線が私に突き刺さってくる。
そんな視線を向けられる理由に皆目見当がつかない。
でも、言い方はともかく内容は大体間違ってないから、素直に頷く他なかった。
「……それは、ホープフルや皐月賞でも、か?」
何故だろう。額に青筋が浮かんで見えるのは、私の気のせい?
けど、ここまでくれば幾ら他人との関わりに疎い私でも、これだけは分かる。エアグルーヴは、怒っていると。
言葉の裏の圧を感じ取ってか、スペちゃんとフクキタルは顔を青ざめさせながら、互いに抱き合っている。
「えぇ、まぁ」
「……成る程。確かに問題児らしいな」
それでも叫び散らしたりしない辺り、流石はエアグルーヴ。
怒りを抑えようとしているのか、額に手を当て、目を伏せる。その顔は、苦し気に歪んでいるが。
「ハードなトレーニングを課していたと思いきや、次に出来た担当には半ば放任状態、とは。一体どういう男なのだ、早永という男は……」
そして、深い溜息を一つ吐き――最初の問い掛け、つまり「私にとってトレーナーさんがどういう存在か」という問い掛けに至ったわけだ。
そこから、あれよあれよと会話が続き……エアグルーヴにこんこんと説教される今に至る。
「――確かにお前のトレーナーは既にクラシック二冠を取った経験もある。だから、お前の才能を見込んでそうした可能性も否めない。……だがしかし。若手であろうと実績のあるトレーナーだからこそ、他のウマ娘やトレーナーに対しても示しをつけなければならん。実績があるという事は、将来有望なウマ娘にとっては本格的な指導を受ける上での一種の指標となるし、これから学園にやってくる新人トレーナーにとっては見本となり得るという事だからな。……それなのに、本人はお前に対してヘコヘコとしていて、しかしミホノブルボンには普段通り、と? なんだそれは、ふざけているのか?」
余程腹を据えかねているのか、エアグルーヴの口が止まらない。
チラリとスペちゃんの方を見てみれば、自分が説教されているわけでもないのに、青い顔をしながら俯いている。料理も全然減っていない。
フクキタルも同様だ。「あわわわ」と声を漏らしながら、キョロキョロと私とエアグルーヴとを交互に見ている。
……でも、そこまで悪い事、なのかしら。
確かに私とブルボンとで態度が異なるのは変だとは思うけれど、でも別に邪険に扱っているとかそういうわけではないのだし。
それに……トレーナーさんはあれでこそ、あれだからこそ私に気持ち良く走らせる事が出来ているんじゃないかとも思う。
私に対して恭しく接してくるし、色々と気遣ってきたりするけれど、決して私の走りに過剰に干渉はして来ず、でもしっかりと私の事を見ている。
レースにおいては私なら大丈夫だという信頼があるからこそ、少しのアドバイスをするだけで後は自由裁量に任せてくれているのだと、私は思う。
多分それが、私の走りたいという欲求を満たす最適な方法だって分かっているから。
あの私に対する接し方にしても、私が走りに関して妥協できないように、何かあの人にとって妥協できないものがあるのだと思う。
……そう考えると、ふざけている、などと言われるのは些か心外だ。
「……エアグルーヴ。貴方の言いたい事も分かるけど……トレーナーさんを悪く言うのは止めてくれないかしら」
自然と口から出てきたのは、自分らしくもない、強い口調での反論で。
正直自分でも驚いたけれど……自分を自由にしてくれた恩人を悪く言われたのだから、当然と言えば当然だと思う。
「す、すまん。そんなつもりは無かった……とは言い切れないが、しかし気に障ったなら謝る。すまない」
私と同じようにエアグルーヴも驚いていたようだし、スペちゃんとフクキタルも、再び互いに抱きしめ合って、ブルブルと震えていた。
……友人だと思っている相手にそんな怖いものを見るような目で見られると、少しだけ罪悪感が湧いてしまう。
「……しかし、お前もお前だぞ、スズカ」
少し怯んでいたエアグルーヴだったけれど、そこは『女帝』と呼ばれるだけの事はある。
すぐに居住まいを正し、私の目を真っ直ぐ見つめてくる。
「さっき私が訊いただろう。まともに話をしていないのか、と。何故私がそんな事を訊いたと思う?」
「それは……」
分からない。エアグルーヴがそういう事を訊いてくるという事は、何か意味のあるものだとは思う。
でも、トレーニングについて話したり、次のレースについて話したりするだけでは駄目なのかしら?
首を傾げる私に、エアグルーヴは溜息を吐く。
それからまた眉間にシワを寄せて――何故か呆れた表情を浮かべた。
なんでそんな顔をするのだろうと不思議に思っていると、今度はフクキタルとスペちゃんに視線を向けた。
「お前達は分かるか?」
「……なんとなく、ですけど。私、元々他のウマ娘と会った事が無くて、接し方が分からなくて……それで一度、クラスメイトとちょっとした喧嘩になった事があって……その時、トレーナーさんが助けてくれたんです。って言っても、直接仲直りさせたとかじゃなくて、私に大事な事を思い出させてくれた、みたいな感じで……凄く、心が楽になれたんです。だから、そういう事なんじゃないかなって」
スペちゃんは、最初少し辛そうにしていたが、話が進むにつれて、徐々に元の明るさを取り戻しながら、そう語った。
「ふむ。良い交流が出来ているようだな。ではフクキタル、お前は?」
「ヴぇっ!? 私ですかぁ!? ……私にはスペシャルウィークさんのように劇的な話は無いですけど……でも! 私のトレーナーさんは、私の占いを凄く信じてくれる方なんですよ! ……大変不本意ではありますが、私の占いって、あんまり皆さんから信用されてないですからねぇ……占いの話をして純粋に喜んでくれるっていうだけで、なんだか嬉しくなっちゃうといいますか……」
最後は消え入るようになってしまったものの、その声からは隠しきれない喜びのようなものを感じる。
そして最後に、もう一度エアグルーヴは私の方をジッと見てきた。その目は、「ここまで言えば、流石に解るな?」と言っているようで。
「ええっと……トレーナーさんと色々話をした方がいいって事?」
「それは結論だ。私が言いたいのは、トレーナーと私的な話をする事にも、きちんとした意義があるという事だ」
「……?」
意義がある、というのがよく分からず、つい私は頭に疑問符を浮かべてしまう。
しかしエアグルーヴはそれに構わず、言葉を続けてきた。
「もし、スペシャルウィークが個人的な悩みをトレーナーに打ち明けずにいたら。もし、フクキタルが占いというモチベーションの源泉をトレーナーに受け入れられなかったら。……お前も、似たような経験があるんじゃないか?」
悩み。そして、モチベーション。確かにそれは、かつて私が抱えていた問題であり――
「……もう解決してるわ」
そう。あの時、トレーナーさんと話したからこそ、私は元の自分を取り戻す切っ掛けを掴めた。
それは、今エアグルーヴが言っている「話をする」という内容に沿ってはいるが……。
そう考えているのを見抜かれているのか、エアグルーヴが首を振った。
「違う。
……悩み、というと語弊があるけど、どうして分かるのかしら。
「お前、さっきスペシャルウィークが呼びかけていても何の反応も示さなかっただろう? 最初はまた走る事を考えているのかと思っていたが……早く走りたいから早く食事を済ませるのがお前だ。そんなお前の箸が全く進んでいないとなれば、自ずと察せられるさ」
エアグルーヴの観察眼の鋭さは私も知ってはいるけれど……そんなに私、走る事しか考えてないように思われているのかしら。……心外ね。私だって勉強の事を考えたり、それから……色々考えたりするのに。
……まぁ、いずれにせよ後で走る事を念頭に置いてるのだろうと問われれば、頷かざるを得ないけど。
「一応聞こう。お前の悩み、それは私が解決出来そうな類か?」
どうだろう。そもそもこれが悩みなのかすら分からない……言うなれば、分からない事が悩みではあるのかな。
「……今まで、レースで走ってて誰かに『化け物』とか『怪物』って呼ばれた事、ある?」
一応訊いておこうと思い、そう口にすると、エアグルーヴが珍しく困ったような表情を浮かべる。
「なんだそれは。異名か? お前、『緑の逃亡者』以外にも異名があったのか?」
寧ろそんな異名を付けられていた事を今初めて知った。なんだろう、自分の事の筈なのに、イマイチ実感が湧かない。
「あっ、私も新聞で見ました! カッコいいですよねっ、『緑の逃亡者』!」
「私もいつか……」と、スペちゃんがうっとりするような表情を浮かべている。
「異名、ではないと思うわ。……皐月賞の後に、ちょっとね」
そう口にして、また脳裏にあの時の光景がフラッシュバックする。
『――化け物め』
その言葉は、私の心を傷つけたわけじゃない。ただ……不思議なのだ。
私よりも後ろを走って、私よりも前を走れなかった。ただそれだけなのに、あの子はあんな――私の事を何か異様なもの……それこそ、言葉通りの化け物を見るかのような目で見てきて。それが、妙に印象に残っているというだけの話で。
最近も、走っていると度々その時の事を思い出してしまい、胸がざわつくようになってしまって。
苦しいのとはまた違う複雑な感覚が、ずっと心の奥に巣食っている。
走ればそれも無くなるかなと思い走っても、爽快感と共に歯の間に食べ物が詰まった時のような気持ち悪さも残っていて。
そんな事をエアグルーヴに言ってみると、「それを人は悩みと言うのだが……成る程、私では少々力不足になりそうな話だ」と苦笑した。
「悔しいが、私はお前程派手な勝ち方はしてこなかったからな。『女帝』と呼ばれる事はあれど、お前のように『怪物』やらなんやらと呼ばれた経験はないし、お前に向けられたような視線は味わった事も無かった」
「寧ろ慕われる方ですからねぇ、エアグルーヴさんは」
フクキタルの言葉に、私も頷く。
確かに、エアグルーヴは厳しい面もあるが、一方で他者への面倒見も良く、教官でないのにも関わらずトレーニングを見たり、勉強を教えたりしている事から、後輩からも慕われている。
私も、エアグルーヴに走りの理論について教えて貰った事があった。……まぁ、結局自分の走りの役に立ったとは言い難いけれど。
「えー、スズカさんの走り、素敵なのに……」
素面で私の走りを褒めてくるスペちゃんに照れそうになってしまうが、普段からトレーナーさんが褒めちぎってくるので、慣れでなんとか耐えられた、と思う。
そんなスペちゃんに、エアグルーヴは「仕方ないさ」と肩をすくめる。
「ファンとしては賞賛に値する走りなのだろうが……レースの相手としては、これ程相手したくない存在はそうおるまい」
そういうもの、なのかしら。
「……お前のその顔、何を考えてるのか丸分かりだぞ。大方、「そういうものなのか」とでも言いたいのだろう」
……つくづく恨めしくなるわ、その観察力。
「お前の事だ。ただ速くある事だけに拘って、それ以外は何も眼中にないのだろうが……普通はな、お前のように展開もペースも関係ないウマ娘の相手なんぞ想定しやしない」
そんな事を言われても……よく分からなくて首を傾げるしかない。
私からすれば、レースの最中に一々他人の事を意識する方が不思議だ。
最速でゴールまで走り切るのに、それは余計なものなんじゃないかと思ってしまう。
ただ、最速で走る。それだけに集中すればいいのに。
「……あのな。不思議そうにしているが、誰もがお前のように走れるのではないのだぞ」
またもや私の考えを見抜いてきたらしいエアグルーヴが、耳を絞り、目を細めながらこっちを睨んでくる。
……いや、私に憧れてるとまで言ってくれたスペちゃんなら分かってくれる筈。そう思い、スペちゃんへと視線を向けると――
「スズカさん、色々と凄いとは思いますけど、流石に私もそれはちょっと擁護出来ないです……あっ、スズカさんのトレーナーさんが言ってた「憧れだけで追いつける程、現実は甘くない」って、もしかしてそういう……」
……嘘でしょ……分からないの……? しかもスペちゃんはスペちゃんで何か納得してる……。
こうなったら、後はフクキタルしかいない。そう思い目を向ければ――
「何言ってるんですか! レースとはその者の運が試される場なのですよ! 日本ダービーだって、一番運が良いウマ娘が勝つと言うではありませんか!」
……一瞬でも期待した私がバカだった。そうよね。フクキタルはこういう子だったわ。
「……まぁ、フクキタルの意見は半分聞き流すとして、私達では解決できそうにないというのは分かっただろ?」
「なぁんで聞き流すんですかぁ~!」と泣くように叫ぶフクキタルをあえて無視し、私は頷く。
確かに、皆の反応を見る限り答えは出そうにない。
と、なると……
「……トレーナーさんに相談するしか、ない?」
「そうだな。なんだかんだ、お前には真摯に接しているらしいから、お前に悩みがあると聞けば耳を傾けてくれるだろう。……何か問題でもあるのか?」
「ない、けど……」
訊いても、いいのだろうか。訊けば、解決するのだろうか。そういう疑問が頭を過ぎる。
……そう考えて、私はハッとさせられる。
「……そっか。私、
「え?」
思わず口をついて出てしまったが、三人揃って不思議そうな顔をしていた。どうやら呟くような声で言ったからか、周囲の喧騒も相まって三人の耳には届かなかったらしい。
「スズカ、今何か――」
「なんでも、ないわ」
「……そうか? それならいいんだが……」
流石に、今の私が考えている事までは見抜けなかったらしい。見抜かれていたらまた説教をされていたような、そんな予感がする。
私の言葉を聞き引き下がったエアグルーヴは、「とにかく」と続けた。
「その悩みの事にしろ、お前はトレーナーと話をするべきだ。どんな話題でもいい。お前の好きな走る事でも。……傍から見ていて互いに信頼関係が築けていると思われないのは、お前達が良くても、トレーナーの評価の面ではあまりよろしくないからな」
それはつまり、トレーナーさんの仕事に影響が出る、という事なのかしら。それは……流石に、困る。
とはいえ、トレーナーさんと話すにしても、どう話すのがいいんだろう。……正直、私からトレーナーさんに対してはおろか、誰かに向かって話しかける事は殆どないから。
いきなり「もやもやしてる事があって」と切り出していいものなのかしら? なにか間に話題を挟んだ方がいいのかも。でも、どんな話がいいのか分からない。
トレーナーさんの好きなスターマンの話……は、私が詳しくないから出来ないし。
となると……やっぱり走りについて語るしかない?
「……って、ああーッ!? もうこんな時間!? っていうか、料理が冷めちゃいますよぉ~!」
そうして考えていると、唐突にスペちゃんが悲鳴のような叫び声を上げた。
その言葉に釣られ、カフェテリアに備えられた時計に目をやれば……昼休みが終わるまで後10分程しかない。
……とにかく、今はご飯を速く食べて、それからトレーナーさんと話す事を考えよう。
そう思い、私は白米に箸を伸ばす。
口に含んだ白米は、ぬるくなっていた。