「早永信道よ、汝にとってウマ娘とは何ぞやか?」
そう問われたならば、以前までの僕なら……いや、今でも「『星』を追う者」と答えただろう。ただしサイレンススズカさんに関しては別だ。
「ウマ娘には走る事への欲求があると同時に、強い競争心がある」と、かつてトレーナーの勉強をしていた時に読んでいた参考書に載っていた。
競争心と言っても、あるウマ娘にとっては「勝ちたい相手がいる」という内容であったり、またあるウマ娘にとっては「1着を取りたい」というものであったりと、その内容は様々で。それらに共通するのは、自分以外の誰かを認識した上で、その誰かを超克したいという一種の対抗心がある事だろうか。
つまるところ、ウマ娘が互いにそれらの競争心をぶつけ合う場こそ、今でいうレースの世界なのだ。
そして、そこにはウマ娘にしか得られない、代えがたい栄光というものがある。一生に残る名誉がある。
ある者にとってそれは勲章という形となって、己の力を誇示するものとなり。
ある者にとってそれは燃料となって、更なる邁進の為の動力となる。
いずれにせよ、多くのウマ娘がそれらを求めているのは間違いなく。
同時に、その狭き門を潜り続けられる者も、また少なく。
……だからこそ、サイレンススズカさんの存在は、僕の中で燦然と輝いているのだ。
誰かと走りを競う事よりも、ただ先頭である事を望み。
輝かしい栄誉や万雷の喝采よりも、走りの先にある『静かな景色』を望む。
「大逃げは勝ちの常道ではない」という
例えG1という大舞台であろうとも、何者にも縛られぬ風のように自由であらせられる彼のお方の走りは、まだ未熟ながらも希望の光に満ち溢れていて。
その希望の光は、確かに人々に伝播したらしい。皐月賞を終えた次の日、新聞の一面には疾走する彼のお方の美しいお姿がでかでかと掲載されていたし、たまたま見た朝の報道番組では、サイレンススズカさんの走りに魅了されたらしいファンへのインタビューが行われていた。
『ホント、あの走り凄かったです! 感動しました!』
『大逃げって普通じゃ勝てないって聞いて、逆に勇気もらったっていうか!』
『これでダービー出たらどうなるんだって、今から楽しみです!』
次はどんな走りをするんだろう。
次はどれだけの着差を広げて勝つんだろう。
次はどれだけのタイムで走るんだろう。
誰も彼もが、サイレンススズカさんの走りに期待を寄せていた。
その光景を見て、僕は自分の直感が――つまり、サイレンススズカさんに神の存在を見たのは――間違いじゃなかったのだと確信した。
その活躍で人々の心に光を射し、心をお救いになられるお姿は、かつて僕が見た初代スターマンの放つ、異彩にして圧倒的な存在感と重なって見えていた。
初代スターマンの本来の姿は、煌々と輝く、燃える星そのものである。
宇宙の秩序を乱す者と戦う使命をもって宇宙中を飛び回っていた『彼』――そもそも性別が存在しないが、便宜上そう呼んでいる――は、偶然地球に宇宙怪獣が落下するのを目撃。
『彼』はそこで、未熟な科学力で宇宙怪獣に立ち向かう防衛組織と、宇宙怪獣の放つ思念波動――生命体が持つ根源的な恐怖を喚起させるという効力を持つそれを浴びてもなお、人々を救う為に命懸けで立ち向かう一人の隊員を見た。
隊員の命懸けの行動に興味を抱いた『彼』は、隊員と一体化を果たす事で彼の窮地を救う。
そして、『彼』が託したアイテム――ビーコンカプセルを点火。
こうして、人間と星が融合した巨人――
放映された1960年代後期に至るまで、日本では様々なヒーローが誕生していた。しかし、その多くは地球を由来とする、謂わばどことなく身近さを感じられるヒーローばかりであった。そんな中、地球人類にとっては未知なる世界である宇宙から飛来して来た宇宙人がヒーローになるのは、当時の子供達からすれば斬新で衝撃的な出来事だったという。
更に言えば、日本初の本格的怪獣映画『ガジュラ』や、スターマン放映前に縁谷プロが制作した怪奇特撮番組『アンバランス・スター』において、怪獣の魅力のみならず「人類の力の及ばない脅威」を描いていたからというのもある。
驚異的な破壊力を持つ膂力。放射能を含んだ灼熱の白熱光。あらゆるものを凍らせる絶対零度の吐息。あらゆるエネルギーを吸収する細胞。エトセトラ。
個性的で超常的な力を容赦なく振るう怪獣達に、子供達は興奮すると共に、真に迫った恐怖も感じていたという。
地底から、海の底から、宇宙から、あるいは別の次元から現れ人々を襲う怪獣の特撮映像は、テレビという壁で隔たれていたとしても子供達からすればリアリティを超えたリアルだったのだろう。
だからこそなのか、「人々に危機が迫ると何処からともなく現れ、その超能力をもって怪獣や侵略者を倒すスターマンは、当時の子供達にとって一番イメージしやすい救いの神であり、異邦人でありながら見返りを求める事無く、人々を脅かす悪と戦うその在り様は、紛れもなく理想のヒーローであった」と、当時を分析する書籍に書かれていた。実際、幼少期の僕にとってもそのように思えていたから、その分析は間違いないと思っているし、そうした性質があるからこそ今もなお根強い人気を誇っているのだ。
――それ故に、スターマンは僕にとっての『神』であり『ヒーロー』であり。
そんなスターマンと重なって見えたからこそ、サイレンススズカさんもまた『神』であり『ヒーロー』であり……遥か彼方で輝き、人々を照らし続ける『星』なのだ。
異なる点があるとすれば、放映当初のスターマンは『完成された正義の化身』として描かれていたのに対し、サイレンススズカさんはまだウマ娘としてまだ未熟であるという点だろうか。もっとも、設定上初代スターマンは今もなお成長しているらしいので、厳密に言えば異なるとは言い難い。
しかしここで重要なのは、未熟であると言う事は即ち、成長の余地があるという事だ。
これは僕がスターマンシリーズから学んだ事だが、人間という生き物は一生未熟なままなのだという。どれ程完全無欠の存在足り得ようとしても、永遠に完全なる存在でいられる事はない。肉体は絶えず変化していくし、精神もまた然り。それに伴い、一人の人間が学んでいった知識や技術等も、同様に変わりゆくものだ。それがより良い方向のものであれ、その真逆であれ。
しかし、それでもなお人間は、完璧を、完全を、不変の正しさを求める。
人はそれを理想と呼び、より優れたものとして求め続ける。
故にこそ、人間は成長しようとする。未熟である事から脱する為に。
そう考えると、なんとも不思議なものだ。一生未熟なのに、完成された存在を求めるなど。
しかし、きっと人間に……否、ウマ娘もそうだが、必要なのは『目的や目標』ではなく、『意志』なのだと思う。
多くの人々は一つ一つの行動に理由を求めたがるが、一重にそれは、自らを安心させたい為だ。不安定である事は恐ろしい事であり、安定にこそ価値を感じるという者は、現代では決して少なくないだろう。だからこそ、行動の理由たる指標、即ち目的や目標を設定する。まるで、道のない荒れた土地にアスファルトで舗装し、白いラインで区画分けし、目的地への標識を立てていくかのように。
その点に関して言えば、これまでサイレンススズカさんにお供させて頂き、その歩みを見させて頂いた限りでは、それらしい目標というものは無いように思える。何かG1を取りたいという望みも聞かなかったし、勝ちたいライバルがいるという話も無かった。
だが……その歩みに、迷いは一切無く。もっと言えば、例えそこに道が無かろうと、進めると思えたなら迷わず進んでいく。そこにあるのは、ただ「誰もいない先頭を気持ち良く走りたい」という想いだけ。それはまるで、獣道を最初に切り開く、自由奔放な獣のようで。
多くの人は、一見して無秩序なその歩みを、危ういものと捉えるだろう。
下手をすれば怪我をするかもしれないその歩みを、勇気ではなく蛮勇だと咎めるだろう。
「怪我をさせたくない、危ない目に会わせたくない」と、より安全な道を勧めるだろう。
それらをこそ、人は最善の選択だと自信を持って言うだろう。
……しかし、僕には彼のお方を止める術はなく。そも、止めようという気すら起きない。
己の意志で前に進まんとし、己の脚で踏破せんとするその『覚悟』を、どうして僕如きが止められようか。
彼のお方の走りには、道無き道を切り開く力がある。
その力がある限り、彼のお方に不可能は無く……寧ろ、未来への可能性が広がる。もしかすれば、ウマ娘特有の本格化のピークからの能力の衰退すらも乗り越え、無限に成長する可能性すらあるかもしれない。これに関しては僕の希望込みの誇大表現ではあるが。
そう考えれば、本来トレーナーという存在は、彼のお方にとってお荷物に過ぎないのかもしれない。僕がいなくとも……いや、寧ろ僕という存在に縛られない方が、自由に走っていけるだろうから。
しかし、トレーナー無くして――『杖』無くして、ウマ娘は万全であれない。トレーナーの役割は、彼女らをトレーニングするだけではない。その体調管理もまた仕事なのだ。
ならば、せめて『杖』らしく、彼のお方の歩みを支える事で貢献しようと、そう思うのだ。
その先にあるのが覇道なのか王道なのか、それとも別の何かなのか……それは定かではないが。
……長々と語ったが、まぁ、つまり。
「あに……先輩にとって、サイレンススズカさんはどんな存在なんです?」
訝し気にそう問いかけてきた後輩に、先程述べた内容をかいつまんで――伝わりにくいと思い、『神』や『星』といったワードは敢えて使わず――説明して。
「……その、不躾ながら質問させていただきます。先輩は、サイレンススズカさんとどういう会話をしたりするんですか?」
そう訊かれたから、僕は正直に……「必要な会話しかしていない」と答えて。
「……つまり、その、日常的な世間話とかは――」
段々と表情が曇っていく後輩の表情が気になりながらも、僕は答えた。
「していない。そもそも、お互いそんなタイプでもないだろうからな」
すると、後輩は分かりやすくしかめっ面をし――
「……流石にそれは……良くないかと……」
――珍しく呆れたように、そんな事を言った。
遡る事、数分前。正午丁度から少し過ぎるようにして、僕は学園のカフェテリアにやって来た。
いつもなら12時になってすぐに此処に来るようにしているのだが、さっき腹の立つ後輩――もう名前を忘れた――に絡まれたのが響いたのだろう。
正直、食欲もそんなに無かった。だから、普段よりも取る食事は少な目で。無理に食べようとして吐くのはまずいし、残すのもよろしくないだろうから。
しかし、白ご飯は欠かさない。後、焼き鮭の切り身。これを一緒に食べるのが旨いのだ。
それ以外にもサラダやら何やらを取り、目に付いた空席に持っていく。
……妙に周りから視線を感じる。恐らく、さっきの後輩とのやり取りの噂がもう広まっているのだろう。
意外と噂の回りが速いのがこのトレセン学園だ。誰がどのレースに出るかなどまだ優しい方で、トレーナー同士のちょっとした小競り合いも、いつの間にか生徒達の間で話題になっている事などざらに起こる。
……まぁ、どれだけ噂になろうと知った事ではないのだが。
僕は席に着くと、マスクを外し、真っ先にサラダに手を付ける。それから鮭をほぐし、白ご飯の上に乗せ、口に持っていく。
……うむ、今日も良い焼き加減だ。口の中で鮭の味わいが広がり、良い具合に白ご飯と混ざるのがいい。
「よう、いつにも増してシケた面してんな」
……折角味わって食べている時に、どうして横槍を入れるような真似が出来るのか、理解しがたい。
「何の用だ、桐島」
「俺ぁ用なんてねーよ。けどコイツがさ」
そう言いながら、桐島は背後に手をやり、小柄な身体の男を押し出す。
「ど、ども、です、兄貴!」
「……兄貴はよせといつも言っているだろう、
小柄な身体のその男――八手は、遠慮がちに、しかし機嫌良さげに、丸い眼鏡越しのクリッとした目で僕の事を見ていた。
「そ、そうはいかないですよ! 貴方は僕の恩人! 心の大先輩なんですから! 先輩リスペクトは大事な事なんですっ!」
そう熱弁する八手。何を隠そう、この男も特撮好きだ。
彼が愛好するのは、日本三大特撮作品の一角を為す超戦隊シリーズに名を連ねる『勇者戦隊セイケンジャー』。聖剣に選ばれし5人の勇者が、人の心の闇から抜き放たれる邪剣や魔剣、そしてそれを扱い悪事を働く邪剣士軍団と戦うというストーリーだ。その中でも、『勇者王』を自称するセイケンジャーのリーダー、レッドカリバーが好きらしく、八手は彼の影響をモロに受けていた。
何故そんな事を知っているのかと言えば……ちょっとした、つまらない話だ。
元々、伊出とは別ベクトル――あっちが子供っぽさのある大人なら、こっちは殆ど子供という意味――で幼い顔立ちに丸縁眼鏡、そして小柄な身体に引っ込み思案でビビりな性格が災いしてか、同期からナメられていた。
で、ある時些細な切っ掛けで笑われていたのを見て、少しばかり八手を笑う連中に腹が立ち、結果的に助け舟を出す形になってしまった。
別に大した事を言ったつもりはないのだが、その時の出来事が切っ掛けで僕の事を心の大先輩だから兄貴と呼ぶようになったと、そう八手が言っていた。
それから主に八手から絡んでくるようになり……なんやかんやでセイケンジャーを布教されて、僕もスターマンを布教したりと、そんな感じで付き合いが続き、今に至る。
ついでに言えば八手と桐島は、僕を介して知り合った仲だ。
「……ならせめて先輩に留めろ。兄貴なんて柄じゃない」
「うす! ありがとうございます!」
ニッコリ笑いながら、勢いよく頭を下げる八手。そんな八手を、困ったように眉を八の字にさせながら見やる桐島。
「毎度の事ながら、コイツのどこがいいのかねぇ」
「そりゃあもう! 特撮を愛してるところもそうだけど、何より誰が相手でも決して退かないところとかヒーローみたいでカッコいいし、それから――」
「あー、分かった分かった。お前にそれ語らせたら長ぇのを分かってて口にした俺が悪ぅござんした……」
両手を上げ、降参の意を示す桐島。
「……で? 天下の早永トレーナー様は、今度はなんて喧嘩吹っ掛けられたんだ?」
「そこまで知ってるなら、聞く必要あるのか?」
「それなりに相談には乗れる。人との付き合い方とかな」
歯に衣着せぬ物言いに、「あはは」と乾いた笑いを浮かべる八手。
「アレを相手にして、人間扱いが出来るとは。流石は若手で6人担当を抱え込んでるだけある」
「なんだ? そんな……アレな奴だったのか?」
「僕の事を、他人の弱みを握ってあれやこれやするような奴だと思ってるらしい」
「なッ、なんて失礼な!」
僕の言葉に何故か憤慨する八手。
「兄貴……じゃなかった、先輩の努力も知らないで!」
「おい落ち着けよ。なんでお前が怒ってんだ」
「だって桐島君! あんなにも凄い実績を残してる人が、そんな事するわけ――」
「八手」
僕が声を掛けると、八手は口を閉じた。
「……実績と人柄は関係ない。例えどんな性格だろうと、結果が全てだ。歴史において正義が、勝った奴を指すように」
「それは、そうかもですけど……!」
「それにな。『寝取り屋』なんぞとかいうあだ名が着けられて不本意ではあるが……他のトレーナーのウマ娘を横取りしたような形になったのは、事実だ」
そう言いながら、僕は水をあおる。
「……前にも言っただろう。誰かを盲目的に信じる事も、狂ったように信じる事も簡単だ。だが――」
「そうなった時点で、それは相手の事を何も信じてないのと同義だ……だっけか?」
僕の言葉を引き継ぐように桐島が言い、それに僕が頷く。
「盲信者や狂信者が信じているのは、結局自分に都合のいい、自分の中に存在する相手でしかない。そして、酷い時はそれを相手に押し付ける。嫌な物だろ? そんな奴になるのは。だから君にも、僕の事を信じてもいいが、そうゆう奴らになるなと言った。……僕は、君が考えているようなヒーローでも、善人でも、ましてや正義の味方でもない」
「…………」
黙って俯き、考え込む八手。やはりというか、納得がいかないところがあるのだろう。この幼い容貌の男は、良くも悪くも公正である事を重んじている節があり、正しくないと感じたものをどうにかしたいという、幼い正義感を持ち合わせているらしかった。
少し前まではそれを表に出す勇気すらなかったようなのだが……何故か僕と関わるようになってからは、こうして少しずつ変わっていった。
「あの男も似たようなものだ。俺の事をそういう奴だと勝手に自分の中で解釈して、それを押し付けて来る。……それでどうやって交渉を成立させようとしたのやら、分かったもんじゃないが」
「そいつ、なんて名前だ?」
「もう忘れた。取り巻きのような連中が、父親が元トレーナーだとかなんだとか言っていたような気がする」
「はぁん。成る程ね。親の七光りで威張り散らしてるのか、それとも親の偉大さが原因で捻くれたか」
桐島が、取ってきたオムライスを頬張りながら考え込む様子を見せる。
まぁ、どっちにしろどうでもいい事だ。この先、あの男と縁があるとは思えない。
「……そっ、それより! あに……先輩! 色々と訊きたい事があるんですが、いいですか!?」
「構わんが」
「じゃ、じゃあ……」と、自分の頭の中で喋る事を整理しているのか、しばらく間が空く。
「こっ、今度の春の天皇賞、ブルボンさんも出られるんですよね!?」
「ああ。そのつもりだ」
「そうなんだ……!」と、何故か感極まるような表情を浮かべる八手。
……ああ、そういえば八手はライスシャワーの担当だったか。八手はとあるチームでサブトレーナーをやりながら、メイントレーナーからの指示で担当を一人受け持っている、らしい。
というか、まだ若手の範疇を出ない同期連中は、大抵が八手のような働き方で、以前までの僕のような専属トレーナーだったり、桐島のようにチームを纏めている者は数少ない。時々桐島は僕をやっかむような事を言って来る事があるが、僕からすれば桐島の方がよっぽどおかしい。
……それはそれとして、ライスシャワーはブルボンと交友関係があると同時に、所謂ライバル関係に当たるウマ娘だ。
無敗三冠達成が掛かった最後の一戦である菊花賞、そこでステイヤーとしての才覚を見せたライスシャワーは、ブルボンを追い抜き優勝。ブルボンの無敗三冠を阻止したのだ。
それに関して、僕が思う事は何もない。ただ、一番強いウマ娘が勝つとされる菊花賞で、ライスシャワーが強かった。それだけの話だ。ブルボンも、一瞬3着まで落ちかけたのを抜き返し、2着にまで持っていったのだ。間違いなく、長距離を走れるだけの素質がある。
だから、菊花賞から200m伸びた天皇賞(春)でも走れると考え、本人の希望もあって出走を決めた。
「君のところも出るのか?」
「はい! ……ここ最近はちょっとスランプ気味みたいなんですけど、でも、やれば出来る子ですから。それに、去年は怪我で出られませんでしたし、何よりブルボンさんが出るって聞けば、ライスも喜ぶと思います!」
「……そうか」
心の底から、ライスシャワーの事を想っているのだろう。八手は笑顔で「はい!」と頷いた。
……その顔に、別の笑顔が重なって見えて。
『――信ちゃん。俺、トレーナーになって、夢叶えるよ』
――ああ、もうそろそろそんな季節か。
「? 先輩? どうしたんです?」
不思議そうにこっちを見てくる八手に、僕は首を振って応えた。
「……あっ、そうだ! もう一つ! 先輩、サイレンススズカさんの皐月賞勝利、おめでとうございます!」
「あ、ああ。ありが、とう」
……困った。あまり他人から賞賛された記憶が無い――桐島にも、だ――から、こう、真っすぐな目でそう言われると……反応に困ってしまう。
後、桐島。何をニヤついている。
「ホント凄い走りでした! 大逃げで先頭を走り切るのもそうですけど、レコードタイム更新も凄くて! あっ、そうだ! 新聞見ました!? サイレンススズカさん、『緑の逃亡者』って異名が付けられてたんですよ! この時期に異名が付くウマ娘ってそうそういないし、シンプルにカッコよくないですか!?」
「そう、だな。痺れるぐらいカッコいい……と思う」
一応、皐月賞後に発行された新聞の一面にそんな文言が躍っていたのを見てはいたし、異名が付くのもさもありなんとは思っていた。……あのお方はさして気にもしないだろうが。
「やっぱり、この後はダービーにも!?」
「……その予定では、ある」
僕がそう言えば、八手は顔に、ぱぁ、と大輪の花を咲かせる。
「わぁ……! やっぱり凄い走り、するんだろうなぁ……」
「当たり前だ。サイレンススズカさんだぞ」
そうは口にしたものの……不安が1%もない、という訳でもない。しかし、信じてはいる。必ず勝つと。
1%は信じていないのではない。99%しか信じていないのでもない。100%サイレンススズカさんの実力を信じる心と、己の心に由来する1%の不安が同居しているだけの話だ。
「しかしよぉ、今ん所は大逃げでなんとかなってっけど、実際のところ走れんのか? 2400」
その不安点を、桐島はスプーンで僕の方を指しながら指摘してくる。
「……スタミナそのものは申し分ない。あのお方であれば、十二分に走れる筈だ、とだけ言わせてもらおう」
「あのお方、ねぇ」
桐島が僕の言葉を反芻するように呟くと、何故か八手が目を丸くしながら僕の方をじっと見てくる。……何か変な事でも言っただろうか?
「……えっと、あのお方、というのは……?」
「? サイレンススズカさんの事だが?」
「えっ? ……えっ?」
一度目の「えっ」で僕の顔を見、二度目で桐島の顔を見やる八手。
桐島はそんな八手に、まるでアメリカ人のような仰々しいお手上げのジェスチャーを返す。
「……あの、あに……先輩? 失礼を承知でお聞きしたいんですけど……そんなキャラでしたっけ……?」
「わかる。お前さんの反応が普通だ。俺もコイツがサイレンススズカの走り見て号泣した時ぶっちゃけドン引きした」
「あの方の走りに感動しない君の感性の方が……ああ、すまない、気にしてるだろうに」
「オメーが異常なんだよおバカ!」
「何をもって異常とし、何をもって通常とするのか、それを君に決める権利はない」
「俺なんでお前と付き合いがあるのか分かんなくなってきたんだけど」
「腐れ縁とか言いながら付き合うぐらい良い性格してるからだろう」
「褒めてんのか皮肉なのか分かりづれぇ回答どーも!」
そう吠えながらオムライスを頬張る桐島。そして、困惑を隠しきれないらしい八手は、オロオロとしていた。
「え、えっと……なんでそんな、こう……サイレンススズカさんに対して、そんな感じなんです?」
なんで、と訊かれても……尊いと思った相手にそのように振舞う事が、何かおかしいのだろうか?
「何かおかしな事でも?」
別にムキになったわけではないが、つい口をついてそんな言葉が出てしまう。
「いや、おかしい、っていうか……ブルボンさんには普通に接してた感じなのに、急にそんな感じになるから……」
妙に遠慮がちに目を逸らす八手。
「だぁから俺ぁ言ったんだ、そうゆうのは人前じゃ止めとけって」
あちゃー、と言わんばかりに額に手を当てる桐島に少しばかりイラっとする。
「……確かに言ったな。だが、そんな事で曲げていい事ではない」
「いや妥協しろよちょっとぐらい! お前が他人からの評価気にしねぇの知ってっけど、加減しろバカ!」
「何故だ。寧ろあの方に不遜な態度を取る方が許されんだろうに」
「筋金入り過ぎてこえーよ! って、そーじゃなくて、俺はともかく八手に配慮しろっつってんの。コイツ、お前が周りから白い目で見られてるって分かっててお前の事慕ってんだからな」
「ちょ、桐島君!? 別にそれ言わなくてもいいよね!?」
恥ずかしそうに桐島に叫ぶ八手。しかし、それが逆に周囲にそれを事実として周知させる行為だと気付いたのか、「いや、あの、その……」と、口をモゴモゴさせながら俯いてしまった。
「無理をして僕と一緒にいる事はない。君が僕に何を見ているのかは知らないが、これが僕だ。だから――」
「この桐島のように付き合う必要もない」と、そう続けようとして、しかし八手が「いえっ!」と叫んだ事で遮られる。
「ぼっ、僕にとって兄貴は、心の恩人ですからッ! こっ、こんな事で曲げるようじゃ、男が廃るってもんですよ!」
喋りながら決心したのか、大きく頷きながら僕の目を真っ直ぐ見つめてくる。
――随分と慕われているようじゃないか、君。
「……物好きだな、君も」
へへっ、とはにかむ八手に、呆れ半分、自分を曲げないその心に称賛半分。
「だが、兄貴と呼ぶな」
「あっはい! 先輩!」
しかし、釘を刺すのを忘れない。勢いで誤魔化されかけたが、やはりそこは譲れないラインだ。
「……あー、オホン! で、だ。話逸れてっから元に戻すけどよ」
急にわざとらしく咳払いをしながら割り込んでくる桐島。
「結局なんでお前はサイレンススズカにそんな感じなんだよ」
「そ、そうですよ! 先輩はこう、クールっていうか、冷静沈着というか……そんな感じだったじゃないですか。それなのにサイレンススズカさんに対しては……なんて言えばいいのか分からないですけど、熱量が違う気がします」
……まぁ、クールかどうかは知らないが、確かに普段は努めて冷静であろうとはしている。だが……サイレンススズカさんに関しては別だ。
「あの方の走りは、僕の理想そのものだからな」
「……最初から全力で走ってるアレが、か?」
「そうでもあるし……そうでないとも言える」
「どうゆう事です?」
「あの方の走りはまだまだ成長する。あの方がそれをお望みならば」
「……サイレンススズカさんは、それを望んでいないと?」
「望んでいない、というのは語弊がある。今は、あの方自身の意欲だけで走るべき時期だと考えている」
「でも、それじゃ……」
八手の言わんとするところも分かる。
それでは間違いなく限界が来る。今のあの方は、走る最中にほぼ息を入れていない。まるでスプリンターの走りだ。そんな状態でありながら中距離を走れているのは、一重に鍛えたスタミナで押し切っているからに他ならない。スタミナがそこまで鍛えられているのは、元々向いていないとされていた中・長距離を走る為に徹底的にスタミナを鍛えていたブルボンという併走相手がいるからだ。
彼女の存在は、サイレンススズカさんのスタミナの向上に大いに貢献してくれている。
「……いずれ、あの方は己の限界を知るだろう。だが、それは僕が指摘することではない。その時にあの方がどうするのか、僕はただ……あの方が僕にお望みになられた時にだけ力をお貸しする。それだけだ」
僕はそう言い、再び水をあおる。
そして机に置くと、からん、と氷同士がぶつかり合う音がする。
僕はただ、あの方に求められるがままの役割を果たすだけだ。
「……つくづく思うが、お前、残酷なヤローだよ」
――全く、本当に残酷な男だよ、君は。
「トレーナーなんて皆そんなものだろう。ウマ娘想いの優しさだけではなれないものだ。……まさか、自分が残酷でないとでも?」
「……違ぇねぇ」
酷く不服そうだが、桐島は肯定した。
この男自身、スカウトするのは模擬レース等でも目立った成績を残せていないようなウマ娘が多く目立つが……しかし、いずれのウマ娘も磨けば光るものを持っていた。事実、重賞を幾つも勝たせているのがその証拠だ。
しかしそれは、逆に言えばそうゆうウマ娘を見抜けるだけの目をこの男は持っており……同時に、模擬レースで活躍できなかったウマ娘の中から上澄みを選んでスカウトしている、という風にも捉える事が出来る。
それを指摘する同僚は、いない。誰だってそうゆうウマ娘をスカウトしたいものだ。
……しかし、上澄みと見なされなかったウマ娘は?
桐島自身、そんな残酷な現実を理解している。その上でトレーナーを続けているのは、そんな現実から目を逸らす為か……それとも、こいつなりの考えがあっての事なのか。
まぁ、僕の知った事ではない。僕には僕の、桐島には桐島のやり方がある。どちらが正しくてどちらが間違っているのか、それを決めるのは自分達ではない。結果だけが教えてくれる。
「……あのぉ。ちょっと、いいですか?」
不意に、八手がおずおずと手を上げた。
「なんだ」
「……その、話を聞いてて思ったんですけど……えぇと……そのぅ……」
妙に歯切れが悪い。何か言いにくい事なのだろうか?
「構わない。正直に話せ」
「じゃ、じゃあ……えっと――」
そして八手は、僕にこう問うてきたのだ。「あに……先輩にとって、サイレンススズカさんはどんな存在なんです?」と。
それに答え、続く質問にも答えて……そして今、八手に呆れられているというわけだ。
この後輩がこんな顔をするのは初めて見たものだから、僕自身面食らっていた。
で、正直困ってしまったので桐島の方を見れば、目を閉じ、ただ顔を横に振るだけで。
「……あのですね、先輩。不躾ながら言わせていただくんですが、ウマ娘のメンタルケアもトレーナーの仕事の一つだと思ってるんです」
急に目を細め、こちらを鋭い目つきで見てくる八手に「あ、ああ」と、思わずたじろいでしまう。
「先輩がサイレンススズカさんの事をどう考えているかはともかく、彼女は……というか此処にいるウマ娘は、みんな思春期の女の子なんですよ」
「そう、だな」
「僕もライスさんと色々話をしてきたから分かるんですが、多感な時期なんですよ。しかもそんな子達が単なる学生スポーツの世界じゃない、社会人としての一側面を世間から求められるような、そんな世界に身を置いてるんですよ? その重圧が分からない貴方じゃないでしょう?」
「……」
八手の謎の圧に、無言で頷く事しか出来ない。
サイレンススズカさんがどうかと訊かれれば……特に気にしていないようにも見える。インタビューの時だとかはやや緊張した様子ではあるが、ご自身があまり喋るのが得意ではないというのを自覚なさっているのだと思っている。
だが……それは僕の主観の話でしかない、というのも事実ではある。
「……というか兄貴。思えばブルボンさんとは普通にやってたじゃないですか! なんでそれでサイレンススズカさんとは必要最低限の会話しかしていないんです!?」
……八手、痛いところを突いてくる。後流れで兄貴と呼んで来ているが、それを突っ込む暇は……無さそうだ。
まぁ、言われてみれば確かにブルボンとはそれなりに普通にやり取りしている……気はする。
趣味の話も、まぁ成り行きでだがやった事があるし。
……あ。
「……いや、待って欲しい。思い出した。一応趣味の話とかは、少しはした事は、ある」
「それっていつの話ですか?」
「…………」
「どうなんですか?」
「……その、初めて話をした日に、少し」
そう口にすると、八手はガクリと肩を落とし、桐島は天を仰いだ。
「し、仕方ないだろう。まさか、三大特撮を知らないような相手に、ディープな話は出来んだろうに」
「まぁそれがフツーだわな」
「でも兄貴のそれはそうゆうのじゃない気がするんですが……どうですか?」
……いい目をしている。全く。
「待て待て八手。そこまで聞くのは流石に酷ってもんだ」
桐島、お前……。
「こうゆうのは、担当に直接言うべきだろ?」
桐島、お前……!
ニヤニヤしながらそうほざく桐島に、殺意が湧きそうになる。
この男、面白がっている……!
「……それもそうですね。僕らが聞くのは野暮でした。すみません」
「あ、ああ……」
変なところで律儀だ。八手は頭を下げてきた。
「でも! ちゃんとサイレンススズカさんと話はして下さいね! 絶対ですよ!」
そう厳命してくる八手に、僕はただ、咳をする振りをして誤魔化す事しか出来なかった。
******
「あっ、トレーナー、さん」
「サイレンススズカ、さん」
食事を終え、食器を戻しに向かった丁度その時、僕らは彼女と出くわしてしまった。
彼女の周りには、三人のウマ娘。エアグルーヴに、この間僕のチームに入りたいと言ってきた――まぁ、結局断ったのだが――スペシャル……ウィークだったか、と、それから明るい色の髪をした……誰だ? サイレンススズカさんと一緒にいるという事は知り合いなのだろうが。
まぁそれはそれとして、あんな話をした矢先に出会ってしまい、何故だか僕は気まずい気分になってしまっていた。
そして……何故だか分からないが、それはサイレンススズカさんも同様、らしい。
「えっと」「その」と何かを言おうとしていらっしゃるが、上手く言葉を紡げられないようだ。
「おおっと、丁度いいじゃねぇの。あー、君、ちょっといい? 俺、コイツの同僚の桐島ってんだけども」
「えっ? あっ、はい」
何気安く話しかけてんだ貴様。
「コイツがよ、君と話がしたいってさ」
「あ、おい!」
「兄貴、ここで逃げるのはナシですよ! ……あ、自分は八手っていいます! 兄貴にはいつも良くしてもらってます!」
逃げ道を塞がれた……後八手、地味に僕の事をまだ兄貴って呼んでいるな……。
「ほう、丁度良かったではないか、スズカ」
すると、これ幸いと言わんばかりにエアグルーヴがサイレンススズカさんに声を掛けた。
「これを機に、じっくりと話し合うといい。悩みを抱えたままレースに出て、無様な走りをされても困る」
エアグルーヴの物言いに少しばかりカチンと来るものがあったが……それより気になったのは、サイレンススズカさんに悩みがあるという点だった。
「……何か、悩みがおありなのですか?」
「い、いえ、悩みという程の事では――」
「もうっ、スズカさん! スズカさんのそれは立派な悩みですよ!」
僕の問いに答えようとするサイレンススズカさんだったが、それを遮るようにスペシャルウィークが声を上げた。
「悔しいけど、私にはスズカさんの悩みをどう解決すればいいのか分かりませんし……でも、そのままにしておくのも良くないって思うんです!」
「そうですよスズカさん! いつか私とも真剣勝負してもらいたいと思ってるんですから! ……まぁ、手元に占い道具があれば話が違ったんですが――」
「フクキタル、お前の占いは当てにしていない」
「エェーッ!?」
……ああ、このウマ娘があのマチカネフクキタルか。念の為覚えておこう。
「……まぁ、そういう事だ。早永トレーナー。担当の悩みを聞くのも、トレーナーの職務だろう。よもや、その職務を放棄するような事はすまいな?」
エアグルーヴの言葉が、重く圧し掛かってくるように思えた。……まぁ、確かにそうだ。トレーナーたるもの、担当ウマ娘の悩みを聞く事が、出来ないなんて事は、無い。
……それに。
サイレンススズカさんは今……悩んでいるのだ。悩みの程度こそ計りかねるが、それを見抜けなかったのは、僕の不覚の至りだ。
もしや、自分の走りに? ……いや、練習を見ている限りでは、そのようには見えなかった。走り終わりに少し妙な挙動をする時はあったが……足元に不安がある、といった類のものではないように見えた。だとしたら一体……。
僕は覚悟を決め、ゆっくりと、しかしはっきりと、口を開いた。
「サイレンススズカさん」
「は、はい」
僕の声音が変わった事に気づいたのだろう。サイレンススズカさんは背筋を伸ばす。
「今日は話、しましょう。トレーニングは――」
ナシで、と言おうとして、それを察されたらしいサイレンススズカさんの目から光が失われていき――
「――いつもより短めにして、話す時間を多めに設けたいと思います」
流石にその流れはまずいと思い、急いで修正する。……危なかった。短めなだけに少し表情が曇ってしまわれたのが残念ではあるが……。
「いやそこはトレーニングせずにじっくり話するとこじゃねぇの?」
「流石にそれは干渉し過ぎだよ。……気にならないと言えば嘘になるけど」
後ろで何か言っているが、気にしないでおく。