【三年前】
トレーニング用のグラウンドに併設されたスタンドには人間、ウマ娘問わず人だかりが出来ており、皆の視線はグラウンドに注がれていた。
そこを走るのは、まだデビューしていない、青さの残るウマ娘達。
今は選抜レースの真っ最中。ウマ娘達はいち早くトゥインクルシリーズで輝くべく、トレーナーへのアピールも兼ねて勝ちに行く。
そしてトレーナーは、そんな彼女達の中から光るものを感じる原石を見つけ、スカウトする。
学園内に騒がしさがやってくるこの時期が、僕は苦手だった。
「……………」
喧騒を避けるように、人だかりから一定の距離を取り、一人だけマスクを着けて立っているのが僕だ。
レースにしても、他のトレーナーのように冷静ながら熱の籠もった視線を送る訳でもなく。
僕を見ている人がいたとしたら、酷くつまらなさそうだと思われるに違いない。
「なんだなんだ、つまらなさそうに見てんなぁ」
……実際いた。僕を見ている奴が。
「探してんじゃねぇのか? お前にとっての第二のヒーローを、よ」
「……語弊のある言い方をするな、
朗らかに僕に声を掛けてきた恰幅の良い男――桐島を、僕は軽く睨みつける。
だが、桐島はまるで意にも介さず、馴れ馴れしく肩を組んでくる。
……勘違いしないで欲しいが、僕は彼を嫌悪しているわけではない。ただ、好きでもないというだけで。
桐島とは、トレーナーとして同期というのもあり、所謂腐れ縁だった。
根が明るく、社交的な桐島の性格は、トレーナーとしては持ってこいの資質だろう。
ただ、基本的なトレーニング方針に関しては「1に努力、2に根性、3に熱血!」といった具合で、理屈や理論よりもとにかく身体を動かし、感覚で鍛える、というのが彼のやり方である。
実際、それで重賞で良いところまでは行くレベルだが、しかしそこまでだ。
G1にも出走させた経験こそあるが、そこでの成績はあまり振るわず、周囲からの彼の評価としては「今一歩足りない」といった具合だ。
……まぁ、その分多くのウマ娘を抱えるチームのトレーナーとして頑張っている為か、僕よりかは遥かに懐は暖かい。
一方の僕は、信条、あるいは信念とも言うべき考えがある為に、チームというものを結成していない、所謂専属トレーナーとしてやっている。
専属と聞くと聞こえはいいが、単純にウマ娘を育てるという点において、僕に難があるだけだ。
一時の栄光で何とか食い扶持を繋いではいるが、しかしそれもどこまで持つか分からないし、そもそも今の担当も怪我で戦線離脱を余儀なくされている。
だから、気が進まないながらもこうして選抜レースを見に来ている訳だが……。
「で、どーよ? いい子見つかったか?」
「いや」
「即答ッスか」
事実なのだからしょうがない。どのウマ娘も、今担当しているウマ娘と比較するとイマイチ足りない。特に逃げ。
そう、僕が最低条件として求めているのは、逃げウマ娘だ。
それも、今の担当をもいずれ超え得るような。
しかし、そんなウマ娘はそうそう見当たらない。
理由としては二つ。一つは、今まで行われてきた選抜レース、そのいずれにおいても、先行や差しといった脚質のウマ娘が勝っている事。
新しくトレセン学園に入学してきたウマ娘もそれなりに脚質などについての勉強はしているのか、いっちょ前に脚を溜めるスタイルを取ったり、強そうなウマ娘をマークしたりと、見ているトレーナーに対してのアピールを欠かさない。
それを見たトレーナーが「このウマ娘には才能がある!」とか「抜群のレースセンスだ!」とか考え、スカウトしに行くわけだ。
そしてもう一つの理由。それは、逃げて勝ったウマ娘の多くは、その後別の脚質に矯正されがちだという事。
この時期の新入りウマ娘で逃げて勝つというのは、才能のごり押しで勝っている部分が大きい。
そして大抵の場合、そういうウマ娘にトレーナーが就くと、まず戦略を教え込まれる。
その後、適性を測る意味で別の脚質で走らせる。多くのウマ娘はその結果、その脚質に馴染み活躍できるようになる。
馴染めない時は……その時は、色々と運が悪かったとしか言えない。しかし、トレーナーとてウマ娘を勝たせようと必死だ。
ついでに言えば、並のウマ娘では逃げの戦法を取ってもスタミナが切れて垂れるのがオチだ。その為に逃げ以外の脚質があり、作戦がある。
海外ではそれを見越して、ペースメーカーとして逃げウマ娘を登用するトレーナーもいるらしいが……真偽は定かではない。事実だとしたら腹立たしい事この上ないが。
まぁとにかく、才能だけで逃げ勝つタイプというのは、何となくだが見れば分かる。
同時に、そのウマ娘に逃げが向いているかどうかというのも。
これでも僕は、逃げウマ娘を育成している身だ。それぐらい分からないと、トレーナーとして勤まらないというのもある。
つまるところ、僕が求める最低条件……元から逃げに適性のあるウマ娘は、現状では見当たらなかったのだ。
「拘るねぇ、早永クン。何がそこまでお前さんを駆り立てるんだ?」
「……言っても、分からないよ」
そう、僕は理想のウマ娘を探している。
有り体に言えば、かつて僕が見たあのウマ娘のように……ただ逃げるのではない、最高の逃げをして、誰よりも早く最終コーナーを曲がり、そして最速でゴールへと突っ走る。他のウマ娘なんて目もくれない。そんなウマ娘を求めているのだ。
だが……悲しいかな。現実にそこまでの走りが出来るウマ娘は、早々いない。
僕が今担当しているウマ娘はクラシック二冠を達成しているが……その域には届いていない。
現役で一番近いのは、マルゼンスキーだろうか。しかし、彼女の走りも僕の心を満たすには至らない。
「……高望みし過ぎている、のかもしれない」
「あん?」
思わず口に出してしまったそれに、桐島が反応し、咄嗟に僕は顔を背けた。
……ああ、分かっている。現実的に考えて、僕のそれはまるで、世の男が考える理想の美女を追い求めるのに等しい。
……誤解しないでもらいたいが、あくまでも例だ。僕にはそんな下卑た考えはない、つもりだ。
(……けど)
理想を追い求めるのが……彼方の星を追い続ける事が、悪い事だろうか?
「『……星は確かにそこにある。だからこそ、諦めない心がある限り、いつか必ず辿り着く』」
「なんそれ?」
「スターマンドリフターに登場する防衛隊の隊長の台詞。どうせ知らないだろうけど」
「ふーん……タイトル聞くとなんか聞き覚えがある気がすんな」
世代的には僕や桐島が子供の頃に現役だったヒーローだ。そりゃ、聞き覚えはあるだろう。
「よく分かんねぇけど、良い台詞だってのは分かるぜ」
「当然だろ。これは……おっと」
いかん。今ネタバレをしてしまうところだった。
だってこれ、最終回で主人公が異次元の裂け目に吸い込まれて消息不明になった後の台詞だから。
「あんだよ、気になる切り方すんなぁ」
「僕は特撮ファンとしての良識は捨てたくないんでね」
「ふーん。そうかい」
「そうだ」
まぁ、桐島にネタバレをブチかましてやりたい気持ちは無くもないが、それはまた今度の楽しみに取っておこう。
『――間もなく第四レースが始まります。これが本日の選抜レースの最終回になります』
「おっと、もうラストかよ。ま、オオトリでいい子、見つかるといいな!」
「あまり期待しないでおくよ」
嘘だ。本当は少し、ほんの少し期待している。
『今回のレースは、芝、距離1600m。バ場状態は変わらず良バ場です』
そうアナウンスがされ、ターフにウマ娘達がやってくる。
……見える限りでは、これといってピンとくるウマ娘はいない。
そう思っていた時だった。
「……………!」
サラリと風にたなびく栗毛が視界に映ったのは。
「あれは……」
「ん? なんか見つけたのか?」
桐島が僕の視線を追う。
「……あの緑のメンコの子か?」
「ああ」
「えぇと、確かあの子は……この子だな」
そう言いながら、桐島は手元の資料をパラパラと捲り、目当てのページを見つけたようで、それを読み上げる。
「名前はサイレンススズカ。学力の方はともかく、脚の方は結構注目度が高いらしい」
「そうなのか」
サイレンススズカ。どこか静謐な響きを感じさせる名だ。
資料を覗き込むと、顔写真も載っていた。栗毛色の髪にメンコ、カチューシャと黄色と緑の髪飾りを着けたそのウマ娘は、名前に負けない程に清楚そうで。
しかしその目は……此処とは違う、何処か遠くを見ているような、そんな色をしている。
ウマ娘というのは総じて美少女で生まれてくるというのは有名な話だが、彼女は写真では伝わらない何かを持っているような、そんな気がしてならなかった。
「……いやさ。お前もトレーナーならこうゆうの目ェ通しとけよな」
「善処はする」
勿論、嘘だ。本当は「百聞は一見に如かず」を実践しているだけに過ぎない。
文章で良い事が書かれていたとしても、決して望み通りのウマ娘であるとは限らないのだから。
それにしても、だ。サイレンススズカというウマ娘。何故だか分からないが、彼女から目が離せない。それに彼女を見ていると、胸騒ぎのようなものがしてくる。
しかし、決して不快なものではない。これは寧ろ――
『各バ、ゲートインして、態勢整いました』
そうこうしている内に、サイレンススズカは既にゲートの中に収まっていたらしい。
僕は首に下げた双眼鏡を手に取り、覗き込む。
「桐島、彼女何番だって?」
「お、おう。9人立ての8番だけど……」
桐島の言葉に従い、僕は順繰りに拡大された視界をスライドさせる。
――いた。他の皆がどこかソワソワした様子を隠しきれていないのに対し、サイレンススズカは非常に落ち着いているように見える。
視線は真っすぐ前へと注がれており、緊張で呼吸が乱れているという事も無さそうだ。
そして――
『――スタートしました! おっと、早速8番サイレンススズカが上がっていきます!』
勢いよく、かつゲートが開く瞬間を見逃さず、ポンと飛び出したサイレンススズカ。
ゲートの出の良さもそうだが、何より驚きなのは――
「……なッ、大逃げだと!? 正気か!?」
スタート後数秒にして、先頭を走る彼女と彼女以外のウマ娘の差がどんどん開いていく。あまりにも後方グループとのスピードに差が有り過ぎるのだ。
そう、サイレンススズカが取った戦法はただの逃げではなく、大逃げと呼ばれるもの。
普通の逃げが後続を引っ張るような形になるのに対し、大逃げは寧ろその逆。後続など知った事ではないと言わんばかりに、最初から最後まで自分のペースで走るのだ。
つまり、常にトップスピードでゴールまで駆け抜けようというのである、サイレンススズカは。
「馬鹿な、自殺行為だ!」
「持つのか、脚が!?」
当然のように、観戦しているトレーナー陣に動揺が走る。
いや、トレーナーだけではない。選抜レースを見に来たウマ娘や、選抜レースに出ていたウマ娘もまた然りだ。
「嘘でしょ、何あの速さ!?」
「で、でもあんな調子じゃ、いつかは……」
まるで、後方を走っているウマ娘達の気持ちを代弁するかのように、観客席のウマ娘達がそう口にする。
そう、大逃げは成功させられれば確かに強い。
何せリードをキープし続けるのだから、それを後半まで維持できれば後ろのウマ娘達は早々届かない。
だが、そこには大きなリスクがある。最たるものは、スタミナが持つかどうかという問題。ペース配分を考えず、常に全力疾走で走り続けるなんて、並大抵の事では成し遂げられない。事実、大逃げに果敢に挑戦したウマ娘は何人かいるが、そのほとんどは途中であえなく沈むか、もしくは後方のウマ娘に捉えらえるかのどちらかだ。
しかし……不思議な事に、僕は彼女が最後まで先頭で走り切れると、そう確信していた。
スピードが段違いだから。それもある。
だがそれ以上に確信せざるを得ない理由が一つ。
「こりゃ、普通のハイペースどころじゃないな……」
「ああ。こんなんじゃ、後ろの連中はおしまいだぞ」
「お、おい! タイム計ってるか!?」
「計ってますけど……タイムヤバいッスよ!?」
トレーナー達はそのスピードから来るハイペースなレース展開や、3
――ふふ、と。微笑みを浮かべながら走っているのだ、彼女は。
聞こえる筈がない。此処から彼女まで、どれだけ距離を隔てているのか。
でも……分かる。伝わってくる。そして、それに釣られるように僕の心も昂りだす。
そうだ。彼女は、心の底から――
「――永、おい! 早永って!」
隣から僕の肩を揺さぶってくる者がいる。
なんだ、僕は今、神聖な時を――
「なんで泣いてんだよ、お前」
――は?
そう聞き、僕はレースから目を離さずに、目元を拭う。
はたして、そこには確かに水分が付着していた。
そしてフラッシュバックする、あの時の思い出。
『僕』の目の前を駆け抜けたあのウマ娘と、サイレンススズカの姿が、重なる。
そうだ。これは、あの時と同じだ。まだまだ粗削りではあるが……だが、あの走り。あの走りこそは――
『――8番サイレンススズカ! 先頭でゴォール! 後方のウマ娘との差は4馬身差! 圧倒的な走りでした!』
気付けば、レースは終わっていた。
そして、気づいたのだ。
――僕は再び、
「……って、此処で崩れ落ちんな! そんなに感動したのかよ!?」
気付かぬ内に、僕は膝をついていた。打ち震える心に、身体が着いてこれないのを感じる。
というか、何故桐島はそうならないのだ? あんなレースを見せられて、何故感動しない?
「……えっとよ、お前、目当てはあのサイレンススズカか?」
当たり前だろう。僕は彼女の走りに、涙が出る程感動させられた。
こんなに泣いたのは、あの時のレースを見た時と、初代スターマンの最終回を見た時、それから……最近になると結構あるな。年のせいだろうか?
それはともかく。今、目の前に単なる逃げウマ娘ではない、理想のウマ娘が現れたのだ。こんなに嬉しい事はない。
――混迷極まるこの星に、遂に救世主が降り立った。
これは、スターマンの海外展開作品であるスターマン
「……こりゃ、僕らはスカウトできそうに無いッスねぇ、先輩」
「ああ。ウチにも欲しい程だが……あんだけいちゃ、俺らはもう無理だろ」
不意に聞こえてきた誰か――恐らくは別のトレーナーの言葉に、僕はハッとして周りを見渡す。
僅かに残ったトレーナーとウマ娘が、僕を変な物を見るような目で見てきている。
それに対し、僕は誤魔化すように立ち上がると、ロクに涙も拭わずに振り返り、駆け出した。
「あっ、ちょ――」
迂闊だった。僕はなんて馬鹿なんだ。皆が動く事ぐらい、予想ぐらい出来ただろうに!
あんな才能の塊を引き込みたいと考えるような連中がそこら中にいるのが、トレセン学園だ。
僕は無我夢中で駆け、ターフに続く階段を下りる。
まずは、彼女に会って、彼女の走りに感動した事を伝えて、それから――それから?
不意に疑問が頭をもたげたと思った時には、僕はターフに出ていた。
……遅かった。そこには既に人だかりが出来ていて、サイレンススズカ……いや、敬意を込めてサイレンススズカ様……これは何か違う……なら、サイレンススズカさんと呼ぼう……サイレンススズカさんの姿は見えない。
人だかりの中心にあのお方がいるであろう事は、最早明白で。
「とっ、通して下さい!」
瞬時に意を決した僕は、人だかりに飛び込んだ!
だが、悲しいかな。皆が皆、譲らない。サイレンススズカという才媛を諦めない。
それでも、なんとか前へ、前へと身体を押し込める。
そして、遂に彼女の姿が見えた――その瞬間。
「……ゲブッ、がっ、グっ」
僕の肺が、限界を迎えだした。
咳を抑えようと、僕は口に力を籠め、片手で口を――より正確にはマスクを――抑える。だが、僕の意に反し、身体は咳と同時に胃の中のものまでせり上げんとしていた。
それをも止めようと呼吸しようとし、ゼェ、ゼェという息が漏れる。
こういう時にこうなってしまう、自分の身体の弱さが憎い。
「だーっ! 言わんこっちゃねぇ!」
唐突に桐島の声が聞こえたかと思うと、僕の身体が後方へと引きずられる。
彼女の姿が、遠ざかっていく。
「無策で突っ込む馬鹿があるかよ!」
「ま、待て、桐し――がふっ」
うまく、頭が回らなくなってきた。
しかし、それでも僕は懸命に手を伸ばす。
僕の頭を支配していたのは、サイレンススズカさんに拝謁する事。その一点だけで。
「あ、ア――」
やがて、僕の口からは呻き声のような音しか漏れなくなり――僕の意識と記憶は、一旦そこで途切れる事となった。
僕の視界に最後に映ったサイレンススズカさんの目が、僕の目と合ったような、気がした。
「……あの人……」
「どうかした? スズカ」
「あっ、いえ。なんでも……ないです」