シン・サイレンススズカ   作:K氏

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 今回でスズカさんとの出会い編終了です。


第5話 ネバー・セイ・ネバー

「……すいません、助けに入った筈が、お見苦しいところを……」

「いえ……」

 

 学内のベンチに腰掛けた僕とサイレンススズカさんの間に、微妙な空気が流れる。

 

 

 

 

 あの後、自分が泣いていた事に気付いた僕は、咄嗟に彼女から顔を逸らし、涙を拭った。だが、それでも涙はとめどなく溢れてくる。

 

『あの……これで良ければ、使ってください』

 

 そう言って、サイレンススズカさんはタオルを僕に差し出された。

 

 明らかにご自身が使われるであろうそれを、僕は素直に受け取れなかった。

 

『い、いえ、流石にそんな……』

『大丈夫です。タオルなら、幾らでもありますから』

 

 サイレンススズカさんの言葉には、力が籠もっていなくて。

 けれどそこには……確かな優しさがあった。

 

 それをふいにするのは、それこそ不敬だ。僕は恐る恐る、サイレンススズカさんの手からタオルを受け取る。

 まだ未使用らしいそれは、しかしサイレンススズカさんの手から伝わる温もりがほんの少し残っていて。

 

『…………!』

 

 僕はサイレンススズカさんに背を向け、タオルで拭う……フリをして、腕で拭った。

 そして、今に至る。

 

 

 

 

「……あの、タオル、ありがとうございました」

 

 本当は使っていないが、それでも言わなければならない。それが礼儀というものだ。

 しかし、まだ涙が微かに残っているのを感じたし、声も若干鼻声で、出来ればバレて欲しくなかった。

 

「いえ。……あの」

 

 サイレンススズカさんが僕の方を見やる。

 

 その瞳は、震えていた。感情を無理矢理読み取るとしたら、不信感、だろうか。

 無理もない。急に現れて号泣する男が相手だ。そう思われても、仕方がない。

 

「……どうして、泣いてらしたんですか?」

 

 当然、そこは聞かれるだろうと思っていた。

 しかし……僕はその正しい答えは持ち合わせていなかった。

 僕自身も、分かっていなかったのだ。

 

「……自分でも、分かりません。ただ、貴方が苦しそうだったから、無我夢中で……」

 

 だから、僕の感じた事を、ありのまま答えた。

 

「……苦しそう……私が?」

 

 だが、その答えにサイレンススズカさんは……呆然としていた。

 まるで、自分の苦しみなど知らないかのように。……いや、違う。これは――

 

「……そう、なのかもしれません。こんな、胸が詰まるような気分に……感覚になったのは、初めての事ですから」

 

 そもそも、苦しむという経験をした事がないのだ、このお方は。

 

 サイレンススズカさんは瞳を閉じ、己の胸に手を当て、そして口を開いた。

 

「……変なんです、私。模擬レースの後から。鎖がついているみたいに、脚が重くて……」

 

「いつもなら、走れば気分が良くなってくるんです。でも……今は走れば走る程、逆にどんどん脚が重たくなっていって……気分も、沈んでいって……目の前も真っ暗になって……」

 

 言葉を紡ぐ度に、その美しい声が震えていく。

 

「……無理をなさらないで下さい。今は、休むべきだと――」

「無理なんて、してません」

 

 僕の言葉を、サイレンススズカさんは一瞬にして遮った。

 

「……そう。無理なんて、していません。走る事は、私にとって全てだから。……だけど……」

 

 その時垣間見た彼女の瞳の輝きは、とても弱々しく、悲しみで潤んでいた。

 今にも涙が溢れてしまいそうで、しかしサイレンススズカさんは、決して涙を零さない。

 

「……だけど、初めて、なんです……走りたくない、なんて思ったのは……!」

 

 サイレンススズカさんは、苦しみに耐えるように胸を抑え、歯を食いしばる。

 僕にその苦しみは……分からない。

 僕は、サイレンススズカさんではないから。

 けれど……その苦しみの根源を、理解したいとは思う。

 

「……やはり、トレーナーに言われた事が切っ掛け、なんですか」

 

 恐る恐る、僕はそう尋ねた。

 それに対し、サイレンススズカさんの答えは……無言の首肯だった。

 

 その時、僕の中に煮えたぎるマグマの如き感情が生まれたのを感じた。

 

 ……許すまじ。許すまじ!

 

 今の僕の中には、悲しみと怒りが混在し、ぐちゃぐちゃになってしまっていた。

 サイレンススズカさんをここまで追い込んだあのトレーナーへの憎悪が、僕の心を支配しようとしていた。

 

 ――そうだ。あの時のように……いや、あの時以上に、君の本能の牙を剥け!

 

 だが……その時だった。

 

「……あの、大丈夫、ですか? 凄く、怖い顔されてますよ?」

 

 ……温かな手の感触が、僕の握り締められた拳の上に重ねられたのは。

 

 肺に溜まった二酸化炭素が抜けていく。まるで、僕の中の陰気が抜けるかのように。

 

 ゆっくりと、僕はその手の持ち主を……サイレンススズカさんを見た。

 

 相変わらず、その目は悲しそうな目をしていたが……そこには、怯えの感情もあるように思えた。

 何故なら、その瞳に映る僕の顔は、それはもう酷いもので。

 眉間に皺を寄せた僕の顔は、鬼気迫るものとなっていた。

 

「すっ、すみません! その……これは……」

 

 思わず僕は、手を除けてしまう。

 温もりが無くなっていくのを惜しいと思うのと同時に、僕の中の怒りの感情が急速に冷めていくのを感じた。

 なんて、無様を。よりにもよって、サイレンススズカさんの前で!

 

「あっ……ち、違うんです、その……」

 

 しかし、咄嗟にやってしまったとはいえ、流石に急に手を除けたのはまずかったと思う。

 僕は、嫌われるかもしれないという恐怖心をなんとか押し殺しながら、しかし恐る恐る、サイレンススズカさんの顔を見やった。

 

 はたして、彼女は儚げながらも、薄い笑みを浮かべていた。

 

「……貴方も、私と一緒なんですね」

 

 そう言葉を掛けられた僕は……一瞬の間を置いて、勢いよく首を横に振った。

 

「そ、そんな! 僕如きの悩みなど、貴方に比べれば……」

「いいんです。……なんだか、苦しいのは私一人だけじゃないって思うと、少し、安心してしまって」

 

 伏し目がちにそう呟くサイレンススズカさんの横顔は……場違いな事を言うようだが、美しかった。

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 ――少し、外に出ませんか。

 

 学内にいても解決策が思い浮かばなかった僕は、サイレンススズカさんを伴い、とりあえず学園の外で解決策を模索する事にした。

 今僕らがやって来ているのは、学園からそれなりの距離にある公園。そこで僕らは、少し間を空けて、並んで歩いている。

 

 不思議な感覚だった。心臓のポンプ活動は一層激しくなっているのに、頭はどこか冷めていて。そんな矛盾した状態になっているのに、我が事ながら驚いていた。

 

 少し、隣を見やる。

 ……サイレンススズカさんは、相変わらず暗い顔をしたままだ。

 

 気分転換を、と思いやってきたが……そうそう上手くはいかないようだ。

 元より、サイレンススズカさんのようなタイプのウマ娘……というか、担当以外のウマ娘との交流経験がないのが、此処に来て響いていた。

 僕の担当の場合、並のウマ娘より少々癖があったというのもあるが。

 

「………………」

「………………」

 

 嫌な沈黙だけが、僕らの間を包み込んでいた。

 正直、サイレンススズカさんにとっても気まずいというか、お辛い事この上ないだろう。

 僕の方はと言えば、サイレンススズカさんとお近づきになれた……どころか、色々過程をすっ飛ばして会話しているものだから、今更ながらそれどころじゃない。

 しかし、それはそれとして、なんとかしなくては。僕はそう思い、とりあえず口を開く事にした。

 

「そ、その。この辺りに来られた事は……?」

「え、えぇ。よく走りに来ますよ」

「そう、なんですね。学園の外、よく走られてるんですか?」

「そうです、ね。この周辺は粗方……」

 

 ぎこちないキャッチボールだ。

 いや、そもそも投げ合っているのかすら怪しいレベルだろう。

 それでも、僕とサイレンススズカさんの間に交わされた会話は、それだけで途切れてしまった。

 また、二人の間に沈黙が訪れる。

 

「……………………」

「……………………」

 

 元より他者との会話に苦手意識は持っていたが、こういう時に限って何も話題が思い浮かばない自分自身が恨めしかった。

 

 何か、何かないかと思い、辺りを見渡し――偶然、自販機を見つけた。

 

「……あの、喉、乾いてませんか」

「え? えぇ、少しだけ……」

「僕、ちょっと買ってきます。すぐ戻ります」

 

 そう、有無を言わせない勢いで、その場を離れた。

 

 ……少し強引過ぎたのは反省せねば。

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 初対面の印象は、不思議な人、としか言いようがなかった。

 この時期にマスクをしているのもそうだが、何せ、出会い頭に号泣しているのだ。

 胸の中を蠢いていた暗い何かが、彼の顔を見た瞬間、その不快な動きを止めた。

 それが、どういった感情から来たものなのかは、分からない。

 

 けれど……私を気遣ってくれているという想いは、痛い程伝わってきた。

 同時に……こんな私に関わらせている事への、罪悪感も。

 

 そうだ。今の私には……何もない。何も。

 あれだけ走る事が好きだったのに、今では「走りたくない」とすら思ってしまっている。

 だからなのか、私の脚はずっしりと重いし、走る上で脚と同じぐらい重要な腕にも力が入らない。

 胸の中、あるいは心を暗い何かが支配していて、元々そこにある筈のものが感じられない、そんな感覚があった。

 こういうのを、空虚、というのかもしれない。

 分からないのだ。こんな事になったのは、生まれて初めてだったから。

 

 だから……走れなくなった私に何が残るのか、それを考えるだけでも恐ろしい。

 

 でも……そんな自分に寄り添おうとしてくれる人がいるというのは、少しばかり、心強かった。

 今のトレーナーは理屈や理論を重んじるところがあるというか、あまりウマ娘の感情に寄り添わないタイプのようだから。

 

「……そういえば」

 

 あの泣き顔が印象的過ぎて忘れていたが、あの人は一体何者なのだろう。

 多分、胸のバッジから察するにトレーナーだとは思うのだけど。もしそうでなかったら――つまり、偽のバッジを持っているだけの人だったら――その時は、なんとかして逃げて、通報しよう。

 

 ……けれど、悪い人ではなさそうな雰囲気なのが、逆に罪悪感を煽られる。

 

「うーん……」

 

 そうして考え込んでいると、何故か景色が動いているのが分かった。

 

 ……またやってしまった。癖の左旋回を。

 

 誰にも見られていないかと思い、少し辺りを見渡す……と。

 

「うわー!」

「ぎゃおぉぉ!」

 

 砂場や遊具のある方で、三人の子供達が大人の男性一人――多分、三人の内の誰かの父親だと思う――と、何やら遊んでいた。

 一人の少年が逃げ惑うように走り回り、男の人が砂の山を蹴り上げ崩す。

 そして――

 

「とぅあ!」

 

 何やら星のようなお面を被った最後の一人が、滑り台を立ちながら滑り降り、そのままジャンプして、砂を崩していた少年の前に立ちはだかった。

 ……微妙に今危なくなかっただろうか? 最近の子供は結構過激な事をするらしい。

 

「現れたな、スターマン!」

「いくぞ、かいじゅうダゴン!」

 

 そう言い合うなり、彼らは取っ組み合い出した……かと思いきや、一瞬離れてポーズを取り、何やら効果音らしきものを口で喋りながらやり取りをしている。

 

「ふははは、お前の攻撃は効かないぞぉ!」

「くそー! こうなったら!」

 

 そう叫ぶと、スターマンと呼ばれていた少年は、腕を天高く振り上げ、両手を頭上で重ねたかと思うと、それをダゴンと呼んでいた男の人に向かって突き出した。

 

「スターフラッシュ! ビビビーッ!」

 

 何か、必殺技、のようなものなのだろうか。こういうのには疎いから分からないが……。

 

「ぐふふ、無駄無駄!星辰が並んだことで復活した邪神クトゥルゥから得られた邪神パワーのおかげで、今の俺様にそんな攻撃、通じんぞ!」

 

 何か新しい設定みたいなのが生えてきた……嘘でしょ……と思ったけれど、これが今時の子供達の遊びなのかしら。

 スターマンと呼ばれていた少年も「ちくしょー!」と叫ぶだけで何も突っ込まないし、そういうもの、なんだろう。

 そもそも私は幼い頃から遊ぶ事よりも走る事の方が楽しくて仕方なかったから、そういう事に関する知識がまるでないのだ。

 

「気になりますか? スターマンごっこ」

 

 唐突に掛けられた声に、思わず「ひゃっ」という声が出てしまう。

 

「す、すみません! 驚かせるつもりでは……」

 

 そんな私の様子を見た彼は、飲料の缶を両手に持ち、顔を青ざめさせながらヘコヘコと頭を下げてきた。

 

「い、いえ! あの、大丈夫ですから、そんなに頭を下げなくても!」

「いえ、しかし……」

 

 ……思えば、こういうところも変わっているというか、不思議だ。

 

 なんというか、距離感がおかしいのだ。近すぎるという訳ではない。寧ろ遠いと感じるぐらいに。

 しかしその割には、こちらに近づこうという意志を感じるのだが……私が彼を気にすると、彼は一瞬にしてその距離感を開くのだ。

 目に見える距離ではなく、心の距離とでも言うべきだろうか。彼との間に見えない壁……いや、深い溝のようなものがあるように感じられた。

 

「そ、それよりその、スターマンごっこ、というのは?」

 

 流石に大の大人の彼にヘコヘコさせてばかりというのはあまりよろしくない気がするので、私は気を逸らそうと話題を振る。

 すると……こちらを見た彼の目が、爛々と輝いた。

 

「えぇと、スターマンはご存知です、よね?」

「いえ、知らないです……」

 

 そう答えた私に、彼は目を見開いた。何かおかしなことでも言っただろうか?

 

「スターマンを、ご存知ないんですか? 幾つもシリーズ作品を持つ長寿作品で、日本で一番有名な特撮ヒーローと言っても過言ではないスターマンを!?」

「は、はい……」

 

 彼の言葉から発せられる圧に、私は思わず後ずさってしまう。

 それに気付いたのか、彼も慌てて一歩下がった。

 

「す、すいません。その、好きな作品なものですから、つい……」

 

 そう言いながら、再び頭を下げる彼。

 しかし、その気持ちは分からなくもない。私も、「走る事の何が楽しいのか」などと訊かれた日には、走る事の楽しさ、素晴らしさを何時間もかけて説くだろう……今はそういう気分になれないのだけれど。

 

「えぇと、何処から話せばいいかな……あ、その前に」

 

 すると、ハッとしたような表情を浮かべた彼は、右手に持ったジュースの缶を、何故か恭しく私に差し出した。

 

「すいません、ちょっと舞い上がってたみたいで、何が好みか聞くのを忘れていました。こちらでよろしかったですか?」

「え、えぇ。ありがとう、ございます」

 

 そんな風に渡され、私は少し驚きながら、ジュースを受け取った。

 そして、立ち話もなんだからとベンチの方へと向かい、そこに腰を落ち着けた。

 

「えぇとですね。そもそもスターマンっていうのは――」

 

 それから、彼はスターマンについて色々と簡単に説明してくれた。

 

 曰く、スターマンは昔からやってるヒーロー物の番組らしい。

 曰く、スターマンは宇宙の彼方からやってきたヒーローらしい。

 曰く、スターマンは人類の為、地球の為にカイジュウと戦うらしい。

 

「……大雑把に説明するとこんな感じでしょうか」

 

 そう言って話を終えた彼の顔は、まだまだ語り足りないといった様子で。

 分かる。私も走りの事を簡単に纏めろって言われたら困るから。

 

「……それで、その。貴方はその、スターマン? の何が好きなんですか?」

 

 なので、私は彼に話の続きを促した。

 興味がある、というと嘘になるが、少しは気が紛れるような気がしたから。

 多分、彼もそういう意図で話してくれているのだと思う。

 

 続きを促された彼は、少し恥ずかし気にしながらも口を開いた。

 

「……僕にとって『()』だから、ですかね」

「星、ですか?」

 

 私達がそう話し合う間にも、少年達の戦いはまだまだ続いていた。

 少年達が三人がかりで男の人に立ち向かうが、男の人はびくともしない。

 

「……自分語りをするようでアレなんですが、小さい頃の僕は内気で、友達なんて全然できなくて」

 

「親は……事情があって家を空けがちで。だから、家でも外でも一人ぼっちで」

 

「そんな僕にあったのは、初代スターマンのビデオと、初代スターマンのソフビだけだったんです。それが、僕の世界の全てだった」

 

 そう話す彼の横顔は――何故か少し寂し気で。

 

 そんな彼の視線は、目の前で繰り広げられるスターマンごっこに注がれていた。

 

「ああして、誰かとスターマンごっこをした事なんて一度も無かったし、しようとも思わなかった。……自慢じゃないですが、当時の子供の中では、多分僕は一番、初代スターマンについて詳しかったですから、設定の齟齬とか、そういうのが気になっちゃう年頃だったというか。まぁ、子供なりに背伸びしたかったと言えばそれまでなんですが」

「……何となく、分かります。その気持ち」

 

 私も幼い頃から走る事は好きだったけれど、誰かと競おうと思った事は無かった。何故なら、自分が一番速いと確信していたから。

 誰かと競う世界、つまりレースの世界に入ったのは、両親が勧めてくれたからだ。

 それまでの私は、走る事さえ出来ていれば、他には何もいらなくて。

 

 ――胸の内の暗い何かに、ほんの小さな穴が開いた。

 

「……でもね。段々と成長するにつれて、気づくんです。スターマンは心の支えにはなってくれるけど……スターマンは、僕を救ってはくれないんだ、って……まぁ、色々あったんです。そう思うだけの事が」

 

 そう言っていると、「うわぁ!」と声を上げて、スターマンのお面を被っていた少年が仰向けに転げた。

 男の人は、さも「やり過ぎた」と言わんばかりの反応をしながら、心配そうに少年を見つめる。

 

「スターマンはね、さっきも話した通り、宇宙の彼方の存在なんです。色んな星で悪さをする奴を退治して、次の星へ飛んでいく。そして彼らは、人々にとって憧れの存在でもある。それって、まるで星みたいじゃないですか」

 

「人類はかつて、星と星を繋いで色んなものを描き出したと聞きます。無機物や怪物……そして当然、そこには英雄(ヒーロー)の姿もあって、そして彼らに纏わる物語もあって……」

 

「スターマンも、同じだと思うんです。星を見た人々が描き出した、星を繋ぐ浪漫の物語」

 

「……けれど、それは何処まで行っても空想でしかない。届かない星に手を伸ばすようなものだって、思ったんです」

 

 そう言いながら、彼は空を見上げた。……私にはそれが、目の前のスターマンごっこからあえて目を逸らしているように見えた。

 

 ……『星』に手を伸ばす、その行為自体が無駄なのだと言わんばかりに。

 

「まぁ、それでも憧れちゃうのが男の子って生き物なんですけどね……それで、貴方はどうです?」

 

 唐突に話を振られ、私は思わず「えっ」と声を上げてしまった。

 

「ありませんか? 貴方にとっての『星』は」

 

 そう言いながらこちらを見てきたその顔。

 マスクで目しか見えないが、その目にはうっすらとした好奇心を。

 

 そして……濃厚な悲しみを湛えていた。

 

 それに対し、私は――

 

「……私にとっての『星』に、心当たりはあります。……けれど」

 

 けれど――

 

「私は……決して届かないものだとは思いません」

 

 本当はそんな事を言うつもりは無かったのに、気づけばそう言っていた。

 

 ――暗い何かが、徐々に剝がれていく。

 

 そうだ。あの『景色』は私にとって星のように輝いているけれど、決して届かないものではないと、そう確信している。

 

「あの『星』は……あの『()()』は、確かにあるんです。それは決して、遠いものなんかじゃ――」

 

 そこまで喋った時、私はようやく気付けた。

 胸の内に灯る、熱いものに。

 それは、胸の中を覆っていた暗い何かを、徐々にだが燃やしていく。

 

「……まけない」

 

 その時、倒れていた少年が起き上がった。

 

「『スターマン』は、ぜったいに、ぜったいにあきらめない!」

 

 そう言いながら、再びファイティングポーズを取る。

 

「ば、馬鹿な! お前のエネルギーはもはや尽き果てた筈!」

 

 それを見た男の人は、安心したのか、演技を続行する。

 

「おれたちには、まだまだこのほしでみたいものがある! ゆめがある!」

 

「それがあるかぎり、おれたちのこころの『ほし』は、ずっとかがやきつづけるんだ!」

 

「かがやくほしがあるかぎり、おれたちはみんなで、スターマンなんだ!」

 

 そう叫びながら、今度は両腕で渦を描くように回し、両腕を左右に広げる。

 そして、前方で両手首を交差させ――

 

「ギャラクシア・フラーッシュ!」

「ぐうわぁぁぁ!!! ば、馬鹿な、この私がぁぁぁ……クトゥルゥ様復活の、夢がぁ……」

 

 見えない攻撃を喰らった男の人は、迫真の演技で崩れ落ちていく。

 それを見た少年達は、「やったー!」と喜びを分かち合う。

 

「……スターマン・ギャラクシー、第11話、『僕らの心に星は輝く』」

「え?」

 

 気付けば再びスターマンごっこを見ていたらしい彼が、ぼそりとそんな事を呟いたのを聞いた。

 

「……なんでもありません。それより」

 

 そう言いながら、再びこちらを向いた彼の目は――

 

「……やはり、貴方は思った通り、強い人だ」

 

 今度は悲しみではなく、確かな希望の色を湛えていた。

 

「私が、強い?」

 

 首を傾げる私に、彼は深く頷いた。

 マスクで隠れて見えないが、多分彼は、微笑んでいると思う。

 

「……その疑問に答える前に、まず貴方に謝らないといけない。申し訳ありませんでした」

「え――」

 

 どういう事なのか、それを問おうとするより先に、彼は既に口を開いていた。

 

「先程グラウンドで貴方をお見かけした時、僕は貴方に……憐れみの感情を抱いてしまったのです」

 

「あまりにも――貴方の苦しむ姿が、可哀想で仕方が無かった」

 

「……貴方を助けようとしたのに下心が無かったとは、言い切れません。元々、貴方の事は選抜レースの時から見ていましたから」

 

 まるでたまたま見たテレビでやってた映画にあった神に対し告解するシーンのように、しかし目は真っすぐこちらを見つめながら、彼は言葉を紡ぐ。

 

「けれど……そうですね。それは出過ぎた真似、だったのかもしれません」

 

「何故なら貴方は、あれだけ絶望していたのに、泣きそうだったのに――一度も涙を流さなかった」

 

「正直驚いていたんですが……貴方の言葉を聞いて、その理由が分かった気がするんです」

 

 そう口にした彼の目は、いつの間にか真剣な眼差しへと変わっていて。

 

「貴方はさっき、走りたくないと思ったと言った。けれど、貴方の心の中には、まだ『星』が輝いている」

 

「それはきっと、貴方が強い方だからだと、そう思ったんです」

 

 『星』。私にとってのそれは、先頭で走り続ける事でしか辿り着けない、静かで、どこまでも綺麗な、私だけの『景色』。

 

 さっきまで私は、胸の中が空っぽになったようだと思っていた。

 でも――違った。「先頭を走れない」という絶望が生んだ黒い闇、あるいは影が、夜空に浮かぶ雲のように『星』を覆い隠していたんだ。

 黒いものは、ほんの僅かだけれど今もなお私の胸の内で燻っている。

 けれど――私の中にまだ『星』があるというのなら。

 この胸の内で黒いものを静かに、しかし確かに燃やしているそれが『星』だというのなら。

 

 私は――

 

「……私は、強くなんてありません」

 

 「え」と彼の口から声が漏れた。

 

「私はただ……そう、欲張って、意地を張っているだけです。この『星』を手放したくないって」

 

 確かに、今は走る事へのモチベーションが限りなく低い。

 けれど、けれども……

 

「……そう。先頭の『景色』は、誰にも譲らない。決して」

 

 譲りたくないのではない。絶対に、譲らない。

 

 ――例え、()()()()()()()()()()

 

 そんな決意を込めた視線を、彼に送る。

 

 それに対し、彼は少し驚くように目を見開くと、やがて瞼が弧を描いた。

 

「……うつくしい」

「え?」

「あ、いえ、なんでも」

 

 何か言ったような気がするが、彼はそれを誤魔化すように顔を逸らした。

 

 彼の態度は少々……というかかなり変なところはあるが、しかし感謝しなければならない。

 彼の言葉のおかげで、私は自分の中にある『星』と向き合う事ができたのだから。

 

「……ありがとうございます。なんだか、ちょっと走りたい気分になってきました」

 

 ちょっと、と。そう言いながら、私の脚はすっくと立ち上がっていた。

 

「少し、走ってきますね」

 

 そう私が言うと、彼は微笑んだまま、無言で頷いてくれた。

 

「怪我だけはなさらないように。……怪我をされるのは、悲しいですから」

「はい」

 

 彼の忠告に、私はそう返すとすぐ、走り出した。

 

 そこに広がるのは、トレセン学園に来てから何度も走り尽くし、見慣れた景色ばかりで。

 人間よりも良く聞こえる耳には、街の雑踏が生む音や車のエンジン音、街頭モニターやビル風の音が流れ込んで来て。

 そんな中を走る私の脚は、まだ少し重いままで。

 

 ……けれど――

 

「……これで、いいんだわ」

 

 別に、障害があればあるほど燃えるというタイプではない。寧ろ私は、そんな障害など突き抜けて、何もない世界を走りたいタイプだ。

 けれど、現実はそうもいかない。

 私にはその意識は薄いけれど……ウマ娘という生き物は、勝ちたくて仕方がない。

 だから、皆は()()()()()()()()()()をしようとする。

 トレーナーも、ウマ娘に()()()()()()を教えようとする。

 

 ……なら、私は?

 

 答えは、分かりきっていた。

 

 私は、()()()()()()()()()()()()()。ただ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 その点で今のトレーナーとは……あまり言いたくないが、明らかに認識の齟齬が起きていた。

 そして恐らく、トレーナーは私が逃げ……否、大逃げをする事に、良い顔はしないだろう。

 

 そうなったら、最早道は一つしかない。

 

 ――丁度その時、私の頭の中に、ある顔が浮かんできた。

 

「……ふぅ」

 

 気付けば私は、河川敷の方までやって来ていた。

 少し疲れてきた脚を止め、息を整える。

 

 それと同時に――

 

「……あの人、なんて名前だったかしら」

 

 ……私は、彼の名前を訊くのを忘れていたのを思い出した。

 

 

 

 

 その後、私は彼……早永さんと正式にトレーナー契約を結ぶ事になるのだが、その時の話は……トレーナーさんの名誉の為という建前と、私だけが知る彼の姿という事で、私の心の中だけに留めておこうと思う。





 ちなみに河川敷で北海道から上京してきた某ウマ娘と遭遇する事になったりしたらしい。

 Q.スズカさんサイドの描写の時、早永さん何考えてたん?

 A.それまではスズカさんを前にして滅茶苦茶ドギマギしてたけど、スターマンの話になるとそちらに半分ぐらい意識を割かれるので、なんやかんやで(ちょっとだけ)冷静だった。
 けどスズカさんがその場から消えると、色々と自己嫌悪とかに陥って勝手に絶望しだしてた。
 そして、あの後改めてスズカさんがトレーナー契約を持ちかけたところ、立ちながら涙流して失神した。




【幕間予告】

 シン・スズカファイト、公開予定!
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