菊の栄冠を捧げ、私はあの子に出来るだけの償いをした。
もう、足は動かない。人間社会における日常生活には付き合えても、ウマ娘としてターフを駆けることはおそらくもうと出来ない。
それでよかった。私は私の代わりに死んだあの子のためにウマ娘として生きてきたのだから。
……けど最後に。新月の夜にもうあの子が満足してくれたことを確認しよう。そう思って、病院を抜け出した。松葉杖を付きゆっくりと、町明かりの消えた新月の夜空を見るために。
「アヤベさん、こんばんは。カワイイカレンチャンです!」
一人きりの夜道を元同室のウマ娘に話しかけられて、かなり驚いた。菊花賞の後病院に運ばれてからはLANEで最低限のことしか伝えていなかったし、会いに来るなんて聞いてない。黒いドレスを着て、月のない夜にいるのに、彼女の笑顔はよく見える。
「どうしてこんなところに……偶然?」
「いいえ、運命ですよ。アヤベさん、きっと病院の人にも黙って出てきてますよね?私が止めても走り続けたみたいに」
図星。言われた通りまだ一人での外出許可は出ていないし、止められても今日はあの子の元へ行くと決めていた。……そういえば彼女とは菊花賞前、夜に走りに行くことを咎められて一度口論になったことを思い出す。
「忠告を無視した私を笑い……は、貴女はしないだろうけど。やっぱり怒ってるかしら」
「……怒ってないとは言いません。でも、カレンはすっごく悲しかったんです」
「そう。申し訳ないことをしたわ」
我ながら誠意が籠っていない。けど、あの時の私にはだれが何を言っても無駄だった。菊の栄冠を手にし、私はこうなる。そういう運命だったとさえ今は思える。
「『もう死んじゃってもいい』みたいな態度で、走り続けるアヤベさんを止められなかったこと。カレン、とっても後悔してるんですよ?」
「ごめんなさい。でも、気にしないで。これは私の運命だから」
「妹さんの為に運命を果たして、じゃあこれからアヤベさんはどうするんですか?」
なんでそれを。
「……正直、今日ここに来るかは迷いました。アヤベさんのことはお姉ちゃんみたいに思っていたし、ウマ娘としてのストイックさも尊敬してたから。カワイイカレンの世界の中の一人にはしたくないって、今まで思ってたんです」
「カレンのいる世界にようこそ、よくいろんな人に言っていたあれ?」
彼女のファンや話した人が、まるで彼女の事しか考えられなくなったような顔で『カワイイカレンチャン!!』と叫んでいるのはよく見かけた。今までは、私に対しては敢えてそうしなかったと?
「悪いけど。あなたが私をどう思おうと、私にとってあなたは只のルームメイトよ。ファンを増やしたいなら他をあたりなさい、それじゃ」
松葉杖をつく私が足で振り切るのは不可能だ。だけどカレンさんが力ずくで私を止めるようなことはしないから。言葉で突き放して、横を通り過ぎようとする。これでお別れねと最後に言おうとして。
「……この衣装の名前は『朔月のマ・シェリ』。わかりやすく言えば、『新月の愛しい貴女』。運命的だと思いませんか?」
思わず、振り返って。新月の夜の景色に溶け込んでなお可憐さが引き立つ彼女の顔を見る。
「……カレンに、アヤベさんの妹さんの代わりは出来ません。だけど、妹さんがいなくなって走ることもなくなったアヤベさんの世界を、カレンで満たしてあげることはできます。ううん、そうしないと……ずっと、カレンは後悔しちゃいます。なんでもっと必死に止めなかったんだろうって。アヤベさんは、私の大事な人なのに」
ふわり、という音が似合うほど優しく。彼女が私の体を抱きしめる。
「カレンのワガママだってわかってます。でもこんなお別れなんて、カレンはイヤ」
……ああ、なんて賢く。甘え上手な人。それがあなたのためだと言っても私が決して頷かないことをわかって言っている。
「毎日会えなくなっても。新月の夜の日だけでも。カワイイカレンのために、元気に生きてくれるって、約束してくれませんか……? うる、うる」
新月の夜に溶ける漆黒のドレスも、潤んだ眼差しも、ほんの少し赤みの差した頬も。完璧すぎるくらいカワイくて。だけどその完璧な演技を自撮りもせずわざわざ私一人に向けている意味を考えるなら。なら、せめて私のせいで彼女が苦しまないように。この言葉を捧げましょう。
「いいわよ。別に私も身を投げるつもりなんかないし。それであなたの気が晴れるなら……カワイイカレンの事、見ててあげるわ」
「アヤベさん!」
勢いよく、だけど触れるときは私の体を気遣って腕にそっと抱き着いて、病院の方に歩き始める。仕方なく私もそれについていく。
「良かった……じゃあこれからアヤベさんの新月の夜は、全部カレンのものっ!」
「そこまでは……いえ、それでいいわ。」
……アスリートとしての命を終えて、あの子とはお別れした。やりたいことはもうない。なら、私の身を案じたこの可憐で強かな子のために生きるのも悪くはないと。安心しきった横顔を見るとそう思う。
「えへへ。カレンのこの衣装、カワイイですか?」
「とってもカワイイわよ」
「カワイイカレンを、健やかなるときも~病めるときも~ずっと見ていてくださいね、アヤベさん」
「……そうね、新月の夜くらいは見ててあげるわ」
やったー。と愛嬌を振りまく彼女は、会ったこともない妹を確かに思わせる。気づけば私は、呟いていた。
「……カワイイカレンチャン」
「はーい!カワイイカレンチャンです!」
……それから、半年後。正式にURAから引退し、トレーナーとはもう契約を解消した。オペラオーから『緊急の連絡』もこなくなった。ドトウやトップロードさんはたまに連絡してくるけど……あくまで、かつての馴染みだから。ただそれだけ。
だけど月の一度……新月の夜の日だけは。彼女が、会いに来てくれる。『朔月のマシェリ』を纏って。アヤベさんの新月の愛しい貴女は私ですよと。
「アヤベさん、こんばんは!今日もカレン、いっ~ちばんカワイイですか?」
あの日以降、彼女はこの衣装をウマスタに上げなくなった。私と会う日以外、着ていないらしい。宇宙一カワイイ私になるための服と言っていたのに、独り占めしているような気分。……それも悪くないと。
「……カワイイカレンチャン。今日もあなたが私の一番よ」