film STARS 作:葛篭
呼吸を、一つ。
瞬きを、二つ。
ゆっくりと周囲の輪郭が形を持つ。
小さな影が駆け回り、暖かな手が腕に触れている。
「──────ぁ…」
「! 目が覚めたのか!」
小さな獣が、掠れた吐息を目敏く聞きつけてこちらを覗き込んでくる。
驚きと安堵に満ちたその声が、揺蕩う意識の海に投げ込まれた《声》と同じもので、男はほうと心の底から息を吐いた。
ああ、おれはこの人に助けてもらったのだ。
「ぁ……ぁり、が、とぅ…」
「うん、いいんだ。医者として当然のことをしただけだからな。それよりどっか痛いとこあるか? 気持ち悪かったりしないか?」
「だい、じょう…ぶ」
目覚めた眼の前に“彼女たち”が居なかったことは、少しだけ残念だけど。
「意識ははっきりしているようだな。そのまま聞け。まずお前は十五年前に銃で撃たれて昏睡状態に陥っていた。このことは覚えているか? その前後については? …なるほど、記憶に混濁はないようだな。弾丸は計十五発。その内十四発は数日以内に取り除かれたが一発、背中に弾が残されていた。問題はその弾丸に使用されていた金属だ。朔淡鉛という鉛の一種で強い毒性がある。これがお前の体を長く蝕んでいた。今さっき弾丸は取り出したがまだその毒はお前の体内にある。これからはその毒を抜くための薬剤をしばらく投与することになる。あと水も飲めるなら飲め。ここまでで質問は?」
「トラ男! そんな一気に言っても分かんねぇだろ!」
腕に触れ点滴を操作していた目つきの悪い男もどうやら医者らしい。濁流のような説明をした男に小さな彼が文句を言っている。
その様子に少しだけ目を細めながら一番の気がかりを口にする。
「……かの、じょは? あのこ、は…ぶじ、ですか…?」
自分のことより何よりも、気になるのはあの二人のことだった。
ずっと自分のせいで泣かしてしまっていた二人に。
ずっと自分のことを心配させてしまっていた二人に。
ずっとずっと声をかけたかった大切な大切な、
ごめんなさいと、言いたかった。
「ステラという女とシリウスとかいう男なら上にいる。そろそろ麦わら屋たちに制圧されている頃だろう」
「せいあつ…?」
「うー…ごめんなぁ、おれ達も仲間を奪われちまってたから多分ルフィは容赦なくぶっ飛ばしちまってる…」
「え…、ぶっと…? かのじょに、なにを…!」
「あ! 大丈夫だぞ! ぶん殴るだけで皆んな命を奪ったりしねぇから! 気に食わないとぶん殴るだけだから!」
「おれ達を敵に回したステラが悪い」
聞き捨てならない言葉を聞いて、彼らに食って掛かかろうと身体を起こしたその時──
ドンッッ!!
部屋が、建物全てが、大きく揺れた。
「派手にやってるようだな」
「やりすぎてなきゃいいけど…」
慣れているのか落ち着いてる二人を横目に『上』へと意識を集中させる。
先ほどの二人の言葉通りなら、今ステラとシリウスは『上』で誰かと戦っている。
いくつもの床と壁と天井を通り抜けて、遠くへ遠くへと意識を飛ばす。
慣れ親しんだ《声》を。いつも聞こえていた《声》を。いつだって聞き逃さないようにしていた《声》を。
あの子を泣き声を、いつものように拾い上げる。
「いか、ないと…!」
痩せきった腕をついて重い体でベッドから這い出そうと動き出す。まだ動くなと押し留めようとする医者たちを鈍い腕で振り払って這うようにベッドから落下するが、打ち付けた身体の痛みなど二の次だ。そんなことより早くあの子の元へ行かないと!
あの子が泣いてる。
早く行って、抱きしめて、涙を拭ってあげないと。
「……はぁ。トニー屋、獣の状態で大人二人運べるか?」
「出来るぞ」
軽い荷物のように抱えられて、大きなトナカイの背に乗せられた。後ろには支えるためか目付きの悪い方の医者が腹に手を回して同乗している。
「いいか。我が儘を聞くのはコレっきりだ。上でステラたちと会ったら後は大人しく
「なるべく揺れねぇようにはするけど、気持ち悪くなったら言うんだぞ!」
ダッと走り出したトナカイの背に揺られながら、彼は宝箱からようやっと飛び出した。
★☆★☆★
音の出し方も忘れてしまったようなか細い吐息に、声を張り上げた喉はすぐに咳き込んでメロディを遮る。
掠れて歪んでひび割れた、酷い酷い歌声だった。
かつて天にすら望まれた、カナリアと呼ばれ囲われた美しい声とはかけ離れたそれが耳に届いて、ステラは自らの頭を真っ先に疑った。
幻聴か?
幻覚か?
ついに、自分の気が触れたのか?
だって、まさか、ずっとずっと奇跡を願って、幸運を求めて、得られなかったあの声が、彼の、こえが──
「てぞー、ろ…?」
「すてら、しりうす」
星の明かりの下に彼が居た。
四足の獣の背に乗って、トラファルガーに身体を支えられながら、ひどく痩せてやつれた容貌で。けれどその眼はしっかりと開いてこちらを向いていて。その口がそよ風よりも小さな声で自分たちの名を呼んだのが、確かに聞こえて。
次の瞬間、ステラは走り出していた。
ただひたすらがむしゃらに。縺れる足を叱咤して、縋るように手を伸ばして、見失わないように顔だけは彼に向けたまま。不格好に、ただ必死に。たった数十秒の距離を走って、走って……
「テゾーロッッ!!」
幻でない彼に、触れた。
「ステラ、ごめんね…ずっと、ずっと待たせて…」
「いいのっ、いいのよ、そんなっ…あなたが、あなたが無事で、目を覚ましてくれたっ、それだけで…!」
ただそれだけで、ステラたちの十五年は報われたのだから。
「…シリウス」
ステラを抱きしめたままテゾーロが青年の名を呼ぶ。
歪んだ形の不格好なドラゴンの彫刻を纏った彼は、その姿のまま動くでもなく沈黙している。
離れた場所に居る彼に、立ち止まっている彼に、手を伸ばす。両手を広げてもう一度名前を呼ぶ。
「シリウス」
テゾーロがあげたあの子の名。あの子だけのもの。
あの子が未だに持ち続けていてくれた、愛の証。
「ごめんね…ただいま。待っててくれて、ありがとう。…なあ、顔をみせて?」
それとも、おれの顔なんてもう見たくない?
…そんな風に悲しそうに言われてしまえば、もうシリウスの感傷や怯えなんて捨ててしまうしかない。
どろりと黄金が溶け出す。竜の姿が形を無くす。そうして一人、立ち尽くす男の姿が現れる。
そこに居たのは巨大カジノの総支配人でも、黄金を操る女王の腹心でも、人々を顔色も変えずに打ちのめす支配者でもない、歯を食いしばって迷子のように泣く二人の子供だった。
「テゾーロさま」
ごめんなさい。と彼は叫んだ。
ごめんなさい。おれのせいで。おれが居たから、あの時、気が付かなくて、庇われて、ずっとずっと、テゾーロ様は、傷ついて。ステラ様も、やっと会えたのに。やっと二人が会えたのに、おれのせいで、また離れ離れにして。おれがあの時、気づいてたら、ひとりで逃げれてたら、二人と一緒に居たいって思わなきゃ、おれが、ふたりに会わなきゃ、おれが代わりになってれば…おれが、もっと先に死んでたら…! ごめんなさい、ごめんなさい…っ!
「こら」
ステラに支えられながら歩いてきていたテゾーロは、土埃で汚れてしまった赤毛を撫でる。
もう本人すら何を言っているのか分からないのだろう支離滅裂な謝罪の言葉を遮って、赤くなった目元を撫でる。その奥で揺れるグリーンの目は昔と変わらない色をしていた。
「そんなこと言わないで。お前たちに心配をかけたことは悪かった。それでお前に嫌われたのなら仕方ない。…でもな、おれのために『出会わなければ良かった』なんて言わないでくれ。あの地獄で、確かにお前の存在はおれの生きる希望の一つだったんだから」
母親に売られて、商品として歌って、そこで出会ったステラの手を取ることは叶わずに。連れて行かれた【聖地】でまた意思も無く歌う人形だったテゾーロの手を、真実初めて握ったのはこの子だった。
笑うことも許されない地獄の中で、けれどテゾーロが小さく歌う歌をその時ばかりは目を輝かせて聞いてくれたのは、この子だけだった。誰も彼もが己の不幸を嘆き、自らを抱きしめ、死と解放を願っていたあの地獄でただ一人テゾーロに寄り添ってくれた。
まだ幼かったこの子にとっては刷り込みのようなものだったのかもしれない。ただ一番近くにいた人間がテゾーロだったから勘違いしてしまっただけなのかもしれない。けれど、それは何も持っていなかったテゾーロの唯一になり得た。親から与えられなかった愛情を、彼女から受け取った愛情を、その丸く幼かったグリーンの目に代わりに与えてしまった。それがこうしてこの子を縛ってしまっていたのなら、それはテゾーロの罪だろう。
…だが、十五年だ。十五年、この子はテゾーロを待っていた。そのために行動していた。それはもう刷り込みや無知や思い込みを理由には出来ないだろう。
テゾーロがシリウスに与えたものは、ステラがシリウスに注いだものは、シリウスがテゾーロとステラへと捧げたものは──それは確かに愛だった。
「……大きくなったね、シリウス」
いつの間にか、背丈が追いつかれている。
「ごめんね、ただいま…ありがとう、大好きだよ。
今度こそ、シリウスは声を上げて泣いた。
★☆★☆★
「あーあ、すっかり蚊帳の外ね。わたし達」
「ふふ…でも良かったわね。彼ら、大切な人を失わずにすんで」
「一件落着ですねぇ。いやー良かった良かった!」
「ちょっとナミー!? 今の内に逃げなくていいのー!?」
「感動の再会じゃねぇかー! オウオウオウ!」
「ったく人騒がせな連中だぜ」
「これ今の隙に黄金持って逃げたほうがよくねーか?」
「勝ったのはこっちなんだ。散々好き勝手した詫びを貰っても罰は当たんねぇだろ。酒」
「肉!!!」
「それよりアイツを休ませねぇと! まだ身体ん中に鉛が残ってるし、術後だし、栄養も足りてねぇし…」
「面倒だ。三人ともベッドにぶち込め」
「医務室の場所は把握してありますよー!」
「もうすぐうちの連中も道具持って合流出来るみたいです」
「そこらへんに落ちてる金って持ってったら換金できるかな?」
喧々囂々。
ステラたちを遠巻きにして海賊たちは好き勝手に話している。タナカとダイスも伸びている部下たちを叩き起こしては指示を飛ばしていた。もうすっかり争いの空気ではなくなっている。
そうしていればついにシリウスと抱き合っていたテゾーロがぶっ倒れたので、チョッパーとロー達はシリウスもついでに担いで医務室へと向かうこととなった。
ステラはそれを拒否してチョッパー達に頭を下げて二人を見送った後、ルフィ達の元へ歩み寄って来る。
綺麗にまとめられていた髪はとうに解けてしまっていて、頬は腫れているし泣いたせいで化粧だってグチャグチャだ。真っ白だったドレスも土と血で汚れ所々解れてしまっている。だが、その表情《かお》は星の瞬きのように晴れ晴れとしていた。
「負けたわ」
ふ、と彼女はそれでもなお美しい相好を崩す。
「コールド。完敗。言い訳のしようもなく、わたし達の負けだわ。さあ、何を望むのかしら? 勝者さん」
「肉!!」
「酒」
「黄金!!!」
「おーーーいッ!!」
ワンフレーズで簡潔な要求を叫ぶルフィ、ゾロ、ナミにウソップが突っ込んでそれに他の一味が笑う。
一度面食らったような顔をしたステラも気が抜けたように笑い出した。
「ふふふ…いいわ。少し片付けがあるから待って貰うことになるけれど、REOROのレストランを開放しましょう。好きに食べて行ってもらって構わないわ。それから黄金ね。後で宝物庫に案内しましょう。好きなだけ持っていけばいいわ」
「え…ホントに!? いいの!?」
勢いで要求したはいいが想像よりもあっさりと明け渡されてしまい、ナミは戸惑いの声を上げる。取り敢えず借りたチップ分をチャラにしてもらった後、治療費と迷惑料の名目でいくらか交渉する腹積もりだったのだが。
「構わないわ。あなた達の船くらいなら、同じ重量を払ったとしてもこの国で一夜に動く金額よりは安いもの」
「こ、これが世界の20%の黄金の所有者……!」
小首を傾げながら言われ、その強大さを改めて突きつけられてナミは地団駄を踏む。勝ったのに負けた気分だ。何となく悔しい。
きー! と唸るナミをロビン達が宥めているのを横目に今度はフランキーが手を挙げる。
「…………おれからも一ついいか」
「なんなりと」
「地下に押し込められてる奴ら…っつーか、ここで借金をカタに働かさられてる奴らの解放を望む」
「それは……ええ、どうしましょうか…? 無理とは言わないけれど…ああ、地下の連中は別にいいわ。奴らは労働力にもならないし」
うぅん…と頬に手を当てて悩ましげに眉を寄せるステラ。
別に、解放したって構わないのだ。この『国』はテゾーロを護るための宝箱。カジノは力をつけるための手段で、敗者を縛り付けるのは見せしめのためだし、医者共を地下に落としたのはテゾーロのことを外部に漏らさないためだった。
テゾーロが目覚めた今、この『国』は存在意義の大部分を喪失した。だから別に敗者たちを解放してもこれといって困りはしないのだ。ただ、一度に全てを解放するというのは無理だ。『国』という形を崩壊させてしまうことは出来ない。──ステラ達は派手にやりすぎた。敵を作り過ぎた。最大の目的を達成したとしてもこの『国』自体を消失させてしまう訳にはいかなくなった。
テゾーロの存在を外部に知らしめてなお、護るために。元奴隷がその存在を知られていながらも手を出せない堅牢なこの『国』を今更失う訳にはいかないのだ。
「……まあ、いいでしょう。近くの大きな島に寄るよう機関室に伝えておいて。そこで下りたい者は下りればいいと声明を出しておくわ。それでいい?」
派手に暴れられ壊れたステージの修繕もしなくてはいけない。しばらく島近くに停留して全体のメンテナンスや機材の入れ替えをして、人間だってもう何年も同じ顔ぶれだったのだしここらで一度入れ替えてみるというのもいいだろう。ここは世界一のカジノ船、乗りたいものはごまんと居る。技術者や技能者はキチンと雇うのだし、下層のウェイターがごっそり抜けたってすぐに補充されるだろう。
そんなステラの思惑まで察したのか、微妙な顔をして見下ろしてくる妙な体型の男を笑って見上げてやる。
「卑劣だなんて言わないでね、海賊さん。ここはグラン・ステッラ──勝てば栄光を手にし、負ければ全てを失う夢の島。こちらがするのは舞台の提供、手を伸ばすかは本人次第。騙され負けてもそれは仕様がないことよ、運がなかったと諦めて?
くるりと優雅に回りながら熱に浮かされたように口上を言い終えて、等々ステラの身体も限界を迎えた。
ひっくり返るように倒れた身体をフランキーが慌てて支える。その向こうに見えた空が朝焼けに白んでいくのを見留て、ステラは安心して目を閉じた。
十五年に渡る悪夢は終わりを迎えた。
次に目覚める朝が怖くないだなんて、初めてだ。
……起きたら、貴方の歌を聞かせてね、テゾーロ。
【END.】
これにて! 完結! です!!
長らくお待たせいたしました…待っていてくださった皆々様、本当にありがとうございます
なんかもうどう終わらせていいやらで悩みましたがこういう結末となりました
多分書きたいことは書ききったはず…元スレも落としちゃったから相談も出来ずに好きに書きましたが…まあまあいい出来ではないでしょうか
このの作品で書きたかったことととして『「おれは医者だ!」って助けようとする医者コンビ』『便利ワープ要員ではなく医者として仕事するロー』というのがあったので、そこだけでもちゃんと書けてよかったです
なんか疑問点やここどういうこと?って箇所があればコメントか何かでお知らせください
あと、ピクシブに加筆版(微量)を一応載せてます。私本人です
個人的目標として加筆修正してもうちょっと小説らしくして本として出したいな~…というのも考えていますのでもし良ければ…出来るの来年とかになりそうだけど…
【7/2追記】
同人誌出来ました!
A5/64P 1200円です!
そこそこ加筆修正手直しをしてあるので、結構違いを感じてもらえるのでは…
https://tudura.booth.pm/items/4902247