火曜日の未だ部活の朝練すら来ていない早朝、いや夜明け前……大輝達は勘太郎の壺中乃天のそれぞれにあてがわれた個室で眼を醒ました
中華をベースに洋風要素の合い混じった造形の豪奢な部屋のこれまた意匠を凝らした天蓋付きの寝台から起き上がり、寝台隣りに据え付けられたサイドテーブルの卓上にあるクリスタルガラス製だと思う水差しから水をコップに移してひと息に飲み干す……寝起きには飲みやすい温度に保たれているのでするする飲める
清水でひと心地ついたら直ぐに備え付けのシャワーを浴びて夜戦服ではなく制服に着替えてから手早く荷物を纏めてその荷物ごと……殆ど全てカードに納めてカードホルダーに入れるだけで済むが。部屋から出て皆が待つ食堂に向かう
どうやら大輝自身がが一番最初に来たらしく……いや、ほぼ同タイミングで勘太郎、それから浩介、幸利、ハジメの順で出てきたが全員時間丁度に来たと言って良い
今日の(早)朝食は鶏粥と油条(中華式揚げパン)、それとおかずとデザートを兼ねたちょっとした点心という中華式朝食だった
中華スパイスの効いている鶏一羽を全て使い切った鶏粥や点心はそのまま食べるものだが油条は基本的に味が無いので鶏粥に浸し入れてクルトンか何かみたいに食べるもの……であるが、これは砂糖を入れた豆乳に浸して食べるも良いし、そのまま食べたいのなら砂糖やシナモンを塗して食べるのもまた給食の揚げパンみたいで良いだろう
味はしっかりしているのに何気にするする入って行くので気が付けば五人で直ぐに食べ尽くしていた……大輝達間借り組は給仕役を務めてくれていた壺中乃天にこの数日分の礼として魔石を幾つかチップとしてテーブルの上にそれぞれ置いてゆく。基本的にはやらなくても良い行為ではあるが……礼儀や気分の問題なのでその辺りは個人差だろう。少なくとも魔石を貰って喜ばないカードは居ない
勘太郎が壺中乃天を仕舞えば後は帰るだけ……しかし既に最深層の出口は閉じているし新しく発生したボスを倒しても報酬は迷宮のルールで大輝達パーティーには今は決して出ない。このCランク迷宮の最深層からあと三、四時間くらいでどう出るか?帰路の為に火曜日の予備日はあるのか?
しかし其処はご安心である……大輝がこういう時に非常に役立つ魔道具を持っている
アリアドネーの糸
カードから戻したこの麻紐の毛糸玉みたいな物体こそ大輝が初めてあの忌まわしい
この非常に稀少な永続使用可能な空間移動型魔道具は安全地帯で使えばその迷宮の出口まで一瞬で移動出来るという効果を持った非常に役立つ魔道具の一種である
他にも空間移動型魔道具は色々あるが……大概一度きりの使い捨てだったり、一度起動したら二度と動かせなかったり、特殊な条件を満たした者だけが使用可能だったりと様々な制約がある。その中でもこのアリアドネーの糸は使い勝手の良い逸品として非常に人気が高い代物である
この美城学園でこの魔道具を所有する者はそれだけで『学内傭兵』としてかなり厚遇されるだろう。そう容易く見つかるものでも無いし、何よりこの魔道具さえ有ればちゃんと安全地帯を確保出来てさえいれば帰路は安全かつ時間もかからない……その帰る手間を更なるCランク階層での狩りに専念出来るのは美味しい話だろう
数日前にゲットしたサッパン・スックーンや大輝のバーバヤガーみたいな逃走用カードや、やはり大輝が使っていたり今も使っている送り狼や不知火、後は妖狐みたいに帰路用に使えるナビゲート能力持ちはこういう深い迷宮だと『万が一の際』に備えて更に有用になってくるものだ
プロ冒険者でもワンポイント要員として最低でも送り狼……いや送り狼を使う際には走れないから妖狐ぐらいは必ず一枚持っておくものといった不文律さえ存在するし、親が学生冒険者に買い与えたいカードと言えばだいたい送り狼が来るが大概は予算の都合でオークやホブゴブリンといった奨学カードになるものだ、送り狼を買える値段で普通品質の奨学カードなら二枚買って冒険者登録したり最低限必須の装備を整えても未だお釣りが出るぐらいのお値段故に仕方ない
大輝の場合はイレギュラーとの遭遇以外ならほぼ確実にどんな危機からでも逃げられる一回こっきりの切り札……先に挙げた空間移動系魔道具の一種である緊急避難のマジックカードが最初から渡されていた。大輝の両親も大輝に『冒険者の資質』が無いならこのカードを使った事をタテに冒険者ライセンスを没収する腹積もりもあったから緊急キットに緊急避難のカードを入れておいたとか
ちなみにこの緊急避難のカードは一枚でも最低一億……しかも『万が一の保険』としてこのカードを求める冒険者達によるオークションで値段は果てしなく釣り上がる為非常に稀少な逸品である
しかし大輝の冒険者適性は……皆様もご存知の通りなので大輝に与えられた緊急キットは今も『万が一の備え』でしかなくまた幸いにも使う機会もなく大切に保管され続けている
四つの緊急キットツールのうち『緊急避難のカード』と『アムリタ』は大輝自身が既に自力で入手しているので後は『魔人のランプ』と『カラドリウスの糞』さえ入手出来ればもう一つ緊急キットが作れるだろう……両親から貰った緊急キットに手を付けずに大切に保管出来るかも知れない
……話が逸れたが、大輝の持つその
「皆、早く糸の何処かに触ってくれ」
大輝のに声応じて急いで糸に触って待機する冒険者やカード達。このまま糸に触らずにいると置いてけぼりになってしまう……カード達の場合はそれこそ『迷子状態』になってしまう
迷子状態とは……様々な理由でマスターとカードの繋がりが切れた状態を示す。例えばマスターとカードが別物の階層に行ってしまったりすると起きる。マスターとの繋がりを失ったカードは殆ど幽霊みたいな状態になり、このままマスターに見つけて貰えないとロストも同然の状態になってしまう。これは『名付け』したカードでも同じなので冒険者はそういう事態を引き起こさない様に細心の注意を必要とされている
Cランク迷宮の罠の中には所謂『おおっとテレポーター』みたいな非常に危険な罠もあるし、迂闊に『遭難のカード』を使ったりすると起きる緊急事態である
その為、このアリアドネーの糸を使う際にはちゃんと自分のカード達に注意を払ってから使わないとカード達を『置いてけぼり』にしてしまう
『ならば全てのカードを戻してマスターだけで使えば良い』という意見も出る、確かに行き先は出口ではあるが……忘れてはいけない
迷宮内部ではカード達を出さないでいる事は……最早『自殺志願』だと言っている様なものだ。例え安全地帯だろうと出口付近だろうとカードは実体化して側に置く事は最低限必須事項である
……それこそ、ごく稀にではあるが『冒険者狩り』を行う犯罪者だって存在する。色々碌でもない理由ではあるが様々な理由や動機でやらかすので迷宮内部では防犯の意図を込めてカードは必ず実体化させておく必要があるのだ
大輝達みたいに主力がCランクの高額カード使いならばそうそう容易く倒せはしないし……何より、その犯罪者らにとって倒さなくてはならないカードこそ『獲物最大の財産』である
まぁ、こと日本で冒険者ライセンス持ちが犯罪行為……それも『冒険者狩り』なぞやれば普通に所有カードや魔道具全没収の上で冒険者ライセンス永久剥奪から重い実刑判決と莫大な賠償金請求が来るので先ずまともな者ならやらないだろうが
ちなみに……犯罪冒険者が『名付け』したカードを持っている場合は一度そのカードを殺害した後に『ソウルカード』と呼ばれる状態にした上で出所後に返してくれるらしい……模範囚かつ初犯のみの温情措置らしいが
他所の国ではどうかは知らないが……少なくとも日本で冒険者狩りなぞしようものならほぼ大概は上手く行って一度ぐらいだろう。二度目に成功したケースなぞ先ず聞かない話だ。これは日本の警察が何だかんだ言われていても間違いなく優秀で職務に忠実だからだろう
ちなみに……稀にその没収したカードや魔道具は被害者への弁済などの為に警察主体のオークションにかけられてかなり安価に入手出来たりするらしいが、非常に稀かつ限られた要コネなイベントなのであまり期待しない方が良いだろう
大輝がアリアドネーの糸の機能を解放した。するとその鎌首をもたげた蛇……にも見える糸は空間の裂け目に飛び込んでゆく、そしてその鎌首が
裂け目に入った瞬間光の奔流が冒険者やカード達の眼にはいる
その一瞬の間を経過して光が消えた瞬間……眼を開けば既に大輝達はこの迷宮の出入り口の前で立っていた
大輝の手の中でしゅるしゅると元の姿に戻ってゆくアリアドネーの糸。それを尻目に護衛役であるカード達の点呼を取る冒険者達、大輝も少し遅れて点呼に参加する……皆ちゃんと戻って来れた様だ
カード達にちゃんと魔石を報酬として与えて苦労を労ってから帰還準備に入る……昨日のうちに作った目録の写しと一緒に所持禁止類魔道具やギルド売却が確定している魔道具を勘太郎の持っている小型コンテナに入れて残り四人がそれぞれ持ち込んだ巨大な南京錠をかけて封をする。これは放課後直ぐにでもギルドに引き取って貰わなくてはならない所持禁止類魔道具の封印の為の処置だ
そしてゲートを潜ってしまえばだいたい四日ぶりの娑婆……学園内部のダンジョンマート内部のゲートである。無人コンビニエンスストアの人工的な灯りを見ていると『帰って来た』と何となく思ってしまう
先ずはゲート内部にある百円ロッカーからスマホ、冒険者ライセンス、電化製品や人工魔道具を入れたカードなどを回収しておく……機械破壊系迷宮には間違っても持ち込めない代物ばかりだ
スマホの連絡……家族や友人、恋人などからのそれに『今帰った』と返信してそれを確認したら後は放課後一番でギルドに向かう必要があるので大輝が代表でメアリーさんに連絡を入れておく
そして……ダンジョンマートから出て外を見れば夜明けが来ていた
廃坑の暗闇の中で数日生活していた為か朝日の眩さは眼に堪えるが冒険者的には日常的なものなので其処は慣れるしかない。それこそ場所に拠っては常に昼間の『迷宮白夜』だって普通にあるのだから
大輝達は授業が始まるまでの時間をどう過ごすかを考える……とりあえずはダンジョンマートで摘むものとドリンクを買ってから大輝が冒険に出るつい数日前に受領した『部室』があるので暫くは其処で時間を潰す事になった
前にも言ったが、美城学園では目覚ましい功績を挙げた学生冒険者を優遇するシステムが存在する。所持する『冒険者としての星の数』で公休権の付与や特待制度、迷宮や冒険者に関する一線級企業への口利きや斡旋、購買部である程度のカードや魔道具の売買、それと学費の減額や免除など……その中には『部室授与』というシステムも存在する
例えば……三つ星資格を獲得した上で迷宮士資格を得たり実技試験を攻略したりイレギュラーを単騎撃破したり学内迷宮を攻略する資格のあるチームを結成するなどの功績を挙げて申請すれば在学中に使える学内での専用空間である『部室』が授与されるという仕組みである
大輝の場合は基本的にソロ……半年後に確実に合流するメンバーは居るがそれでも二人の少人数チームなので最小規模の部室を与えられている。八畳一間の畳敷きで小さな流しの付いた小部屋である。一応はちゃぶ台と座布団に小さなロッカーが三つと何故か大きな電子式秤が一つ、ついでに旧式ではあるがエアコンと小さな冷蔵庫付きではあるが他に物は未だ無いので非常に殺風景な状態なので後で何か必要な機材が有れば持ち込む必要があるだろう
ちなみにトイレやシャワーは共用のものがあるので其処を利用する事になるが『掃除当番』もあるのでちゃんとその義務は果たさなくてはならない辺りは要注意である
実はいらないカードで誰かを雇って代わりに掃除当番をして貰うという手段も有ったりする……大輝も学生部に依頼を出して奨学カード一枚で半年契約という型でトイレやシャワー室、それと部室の管理、清掃員を雇用している
拘束期間一年とはいえ週一度のトイレやシャワー室の簡単な清掃で奨学カード一枚……非常にボロ儲けな気もするが、これはこれで大輝達にとっても必要な事である
多少の時間と手間暇はかかる……その手間をいらないカード一枚で雇用で代用するだけではない。その雇用する者の仕事への誠意次第ではチームメンバーとしての雇用だってあり得る話ではある
この仕事を受ける権利のある者は基本的に家庭の経済事情が宜しくないが一定以上の成績を持つ真面目な冒険者志願者に優先的に斡旋される事になっている。要はこれも奨学冒険者支援サービスの一種である
この仕事をちゃんと一年か其処ら頑張って一番費用のかかるカード代をこれで節約してからの冒険者デビュー、そしてもしかすると下働き時代の縁で学内チームからのスカウトという幸運だってあり得る話である。『この仕事を斡旋される』という事は学園も『この生徒は人格や勤勉さはオススメ出来ます』というお墨付き故に
そんな理由もあるので『部室持ち』は清掃員を積極的に雇用する。縁とフィーリングが合えば見習いとしてスカウトするかも知れないし、少なくとも不真面目な輩は先ず居ない……仮に居たら直ぐに他の清掃員達から報告されて調査から直ぐにクビになる
そんな訳で古いがそれなりではあるが綺麗に掃除されている部室内で大輝達はちゃぶ台を囲みながら雑談……いや、ある意味ではこの探索の仕上げに該当する対話を行い始める事にした
「……とりあえず、イレギュラーの討伐報酬と所持禁止類魔道具の大まかな換算は一人二億五千万円で良いよな?」
「だいたいそのぐらいだと俺も見積もっているよ」
「ならば……予算は一人二億五千万円からな?」
「いらないカードや魔道具は?」
「何時も通り購買部行きだな、多少安くはなるが学園への貢献だって大切だしな……魔道具は頭割り出来そうだからいらないCランクカードだけ購買行きだな」
「……魔石とカーバンクルガーネット、迷宮金貨と迷宮食材は普通に頭割りだな」
勘太郎が取り出した小さな巾着袋……要は魔石袋から段ボールが一つは軽く埋まる程の魔石を引っ張り出す。全てCランクモンスターの魔石だからか非常に大ぶりなものばかりだ
ちなみにDランク階層で得た魔石は全てカード達に報酬として与えておいたからもう無い
大輝達はこの魔石を備え付けの電子式秤で均等に重さを測って四つに分ける。黒魔石は基本的に重さでだいたいの値段が決まる、だからこうやって重さを測れば分配は簡単に出来る……ギルドに売って代金分けが一番簡単ではあるが魔石はむしろ自分達で持っていた方が良い。魔石払いだってあるし
ちなみにカード達ならば重さではなく『内蔵されている魔力』を一目見て分かるらしい。これはカードなら誰にでも出来る基本能力だとか?
後は
既に総Cランク迷宮食材は四等分済みだ。これについては一番揉める米が均等に割れる数だったのが幸いした……もし出来なければ全て売却するか迷宮で消費するかのどちらかしか無かったし
米を筆頭に肉や野菜、果物を詰め込んだそれ用のお道具箱(クーラーボックス)にあらかじめ詰め込んでいるので問題なくその辺りは全てが済んでいる
……他にも通常の金銀財宝に採掘して精錬した迷宮鉱石もあるが迷宮鉱石は実は全員それなり以上に需要があるので今回は取っておく、そして後で一番鍛えられた『ハジメの非常に特異なドワーフ』に均等に分けて貰う予定である。勿論金銀財宝はギルド行きだ
さて……これで『切り分けられるケーキ』は切り分けた訳だが。それでも未だ『切り分けられない御馳走』もあるだろう
メイン収穫品のカードと稀少な魔道具達である
先ずは触りだけでも取り決めを行わなくてはならない。大輝にも欲しいカードは何枚かあるし幾つか目を付けている魔道具だってある……他の面子も皆同じだろうが
さて……どう話し合うべきか?
【Tips】帰還手段
低難易度の迷宮ならいざ知らず……Cランク迷宮ともなると数日で攻略は余程楽な迷宮でもない限りまず不可能だろう。それこそ噂に名高い超イージーCランク迷宮こと『美城学園迷宮』か何かでもなければ
普通のCランク迷宮ではプロでも下手を打てば即座に撤退を余儀なくされる場合だって数多い……主力カードのロストとか仲間と逸れたとか様々な理由が挙げられるだろう
一番良いのは安全地帯で帰還用魔道具の代名詞である『アリアドネーの糸』を使う事だろう。本当に緊急事態ならば『緊急避難のカード』を使っても良い……モンスターが脅威ならば最悪安全地帯に引きこもっているのも一つの手段ではあるが救出は来たとしてもかなり時間がかかるだろうしCランク迷宮からの救助は要求される金額がクソほどえげつない値段になるだろう(推定十億ぐらい?)。異空間カードや食糧系カードを持っているとか備蓄食糧が豊富だとか様々な長期生還手段必須ではあるが
移動系魔道具を入手出来なくても、自分一人だけである程度逃げる余裕があるならばバーバヤガーやサッパン・スックーン、Bランクのセエレみたいな逃走能力の高いカードと送り狼や妖狐、Cランクの不知火みたいなナビゲート能力持ちを用意して撤退するのも良い……少なくとも自力で脱出出来るから救助料金などは不要になるからもう少し立て直しがし易くなるだろう
……しかし、それでも最深層に出たのがイレギュラーである場合は必ずそれを撃破しなくては生還出来ないのでその場合だけは逃げは完全な悪手になるから要注意である
【Tips】迷宮金貨
迷宮内部で偶に見つかる謎の金貨、基本的に日本の十万円記念金貨と同じサイズの金無垢であり十万円相当の価値で取り引きされている
魔石やカーバンクルガーネットと同じく冒険者達同士の取り引きにも使われている。勿論偽金貨や削り金貨(金貨を削ってすり減らす行為、勿論詐欺行として扱われる)には注意が必要ではあるから比較的マイナーな通貨ではあるのが難点だろうか?
その為金貨払いは基本的に魔石払いよりも更に信用が必要であり、その為金貨払いが出来る知己は大切にするべきだと冒険者界隈では常に謂れている
実はこの金貨も『迷宮金』という魔道具の素材になる特殊な力の秘められた貴金属なのでギルドや企業はこの金貨やガッカリ箱から出る貴金属を常に求めているから必ず一定以上の値段保証で買い取りをしてくれたりする
まだまだ家には帰れません……後始末とリザルトが未だですから
あと、学生として果たすべき義務もありますしね?