「はっ……」
揺れの止まった列車の中、一夏は息を吐いた。とりあえずではあるが、万里の百鬼夜行忌譚回廊の第一譚〝如月〟は越えた。
だが、ここからが問題だ。
正面から斬り伏せられるのは、〝如月〟〝蛇巫〟〝故神〟のみ。
残る〝牛首〟〝山怪〟〝曖昧〟〝禁后〟〝 〟は、正面から襲い掛かってくるものではなく、概念的な存在が仕掛けてくる現象を乗り越えるものだ。
今見えている村、〝牛首〟は特に厄介だ。〝牛首〟は単一の怪異ではない。人里離れた山村が怪異化したもので、これを突破するには村人を全員斬るか、村のどこかに居る万里を見付けなくてはならない。
「降りるか」
猿の残骸を踏み越え、降りた駅には名前は無い。
夕陽は既に落ち、辺りには月明かりだけが頼りの夜闇だけが広がる。
虫の音に耳を傾け、遠くから響く祭り囃子から背を向ける。
真名開帳が為された万里のワンオフアビリティは、何時か何処かで万里が見てきた世界で構成されている。
──万里
世界の終末装置、終焉概念、名前はおろか姿形すら保てなくなった怪異達が、最後の足掻きと顕現させた大怪異。
それが化野万里という人間。
それが織斑一夏達の友人。
終末を望まぬ終末装置、終焉を否定する終焉概念、ただ唯一名も姿形を保ち続けた大怪異。
山道を歩きながら、一夏は刀の鯉口をきった。
何故、ここに来て真名開帳を為したのか。
その理由は解っている。
「今更試すなよ」
万里はこちらを試している。
あの日、万里は化野万里ではなく〝空亡〟として、この世界に顕現した。
そして、〝空亡〟としての自分を否定した。
「お前が何を望んでいるか、俺にはまだ判らない。だが、答えはここに在るんだな」
駅から見える山道、その先に点々と列を為した灯りが揺れていた。
「……〝牛首〟、いやこれは……!」
一夏は刀を振った。
鈍い音と共に落ちたのは、人の首だった。
体は両手に金槌を持ち、顔は何故か分からない。
暗がりで見えないという訳ではない。何故か、顔を認識出来ない。
──編集〝鮫島事件〟──
背が冷え凍る様な万里の声が、脳内に響いた。
「やりやがったな」
一夏の頬に冷たいものが流れた。
〝鮫島事件〟〝牛首〟、被害者も加害者も内容すら誰も知らない事件。それもそうだ。この事件は現実に発生していない。
誰も知らない。なのに、世界には確かに刻まれた名前。
世に残る怪異達が世界に刻み付けた忌むべき現実。
ただ陰惨で残酷な事件があったとされたこれを、世界は刻み付けられたが忘れ去った。
そして、名前すら残らず消えたこの二つは、今この世界に顕現する。
「〝牛首〟と来て〝鮫島事件〟、となると……!!」
一夏の刀を振る手は止まらない。
否、止まれば呑まれる。
『ボ ボ ボ』
「〝故神〟か」
背の高いというには過ぎた女、いや女の姿形に似せた何か。古来より、人は自分達に似て非なるものに恐怖した。
故に、その恐怖を乗り越える為に姿形を与え、まやかしの名を刻み崇め奉り、本来の姿から別の姿へと昇華した。
それが神だ。
しかし、永い永い月日の内に人は恐怖を解読し、克服していった。
人ならざる神は忘れられ、落ちぶれた。
本来の姿も、神としての姿も忘れ、落ちぶれた神々は語る者すら居なくなり、やがて虚ろな怪異となる。
嘗て神であり、しかし今は語る者無き虚ろな怪異の群れ。
それが〝百鬼夜行忌譚回廊〟の正体であり、化野万里の本質だ。
『ボ ボ ボボ ボ ボ』
「まつろわぬ神よ、今一度指南賜る!」
一夏に出来るのは、手にある刀を振るうだけだ。
ただひたすらに、ただ懸命に、一刀の元に斬り伏せる。
大和冠者、万里はあの日そう呼んだ。
この名の意味は、一夏にはよく分からない。きっと、失われ忘れ去られた歴史の中にあった名なのだろう。
この名を呼んだあの日の万里の顔は、二度と戻らぬ日々に想いを馳せていた。
漢字にすればたった四文字の呼び名、だがこの名の重さは手にする刀の様に解る。
『ボ ボボ ボボ ボ』
「……指南、感謝する」
この名は万里を、〝空亡〟を討ち果たす者の名だ。
永い歴史の中で忘れ去られた大切な名前。
それを万里は一夏に与えた。
「次は〝蛇巫〟か……!!」
つんざく様な怪音、蛇の下半身を持つ六本腕の巫女が一夏の刀を掴む。
人智から外れた剛力、しかし一夏には通じない。
この世界は現実でありながら、その実は現実ではない。
万里が作り出した精神世界、だから一夏が強くそう思えば非現実は現実となる。
「名刀の使い捨て! やってやれるもんじゃねえな……!」
古今東西、ありとあらゆる名刀名剣の類いが次々と一夏の手に現れる。
ここは万里の精神世界、だからこの世界に負けなければ刀剣の類いを自由に呼び出す事は難しくない。
「……俺の勝ちだ」
折れ砕け曲がり、ありとあらゆる名刀名剣が地に散らばる。
〝牛首〟〝鮫島事件〟〝故神〟〝蛇巫〟は、ひとまず越えた。
残る怪異だが、〝山怪〟は女性特効で〝曖昧〟が出るには山道は向かない。あれは、拓けた土地にポツンと存在するから効力を発揮する。〝禁后〟についても、環境を整えなければあれは発生せず、発生しても段階を踏まずに斬り伏せてしまえばいい。
「なら、残りは……」
〝 〟だけだ。
そう思った一夏は、ふとある事に気付いた。
山道がおかしい。
一夏が進んでいた山道は、万里が居るであろう村に続いていた筈だ。
しかし、今の山道は山頂に向かっている。
──やられた……!──
〝山怪〟は無いと踏んでいたのが仇となった。
〝山怪〟、山道に迷った男女の前に現れる首と片足の無い異形。奴が現れる直前、必ず山道で迷う。
〝山怪〟は迷わせる怪異と、取り憑き正気を奪う怪異の両面を持つ。
まさか、迷いの怪異としてだけ使うとは予想外だ。
急変する辺り一帯を突き進んだ。
月明かりのみが照らす山道は、既に通常からかけ離れていた。
〝禁后〟だ。辺り一帯は黒髪と爪に埋まり、現れた鏡台の鏡には万里の後ろ姿が写っている。
「万里……!!」
黒髪の波に呑まれる直前、月明かりの下に一夏の叫びが木した。