「はぁ………はぁ………はぁ………」
疲れた…………さっきからずっと階段登りながら狼殺しまくってたからな。だが、不思議だ。何回攻撃を受けても、すぐに血は止まるし、傷口は塞がるし、気がつけば一番最初の傷は完治して、俺のいつもの白肌に戻っている。
「なにこれ、怖っ」
中叢家(おれ)が人間と鬼人の混血族なのは知っている。だが、鬼人っていうのはこんなにえげつない生命力を誇る生き物なのか?そして、混血にしても回復早すぎないか俺!?
「マジの鬼人がどれくらいの回復力あるのか知らねぇけど、俺、混血とは思えないくらいに回復早いな」
混血なら、人間の血も含んでいる。特に俺は反転も起こしたことがない。ならば俺は人間の血の方が多い筈だ。だからこそ、この回復速度に納得がいかないのだ。
「俺の髪が生まれつき朱いのって…………」
まぁ、どうでもいいや。俺がどれほど鬼人に近いかなんてどうでもいい。人間の理性があるのなら、どっちでもいいや。
八階のフロアに上がってみる。八階はこのホテルの部屋があるフロアでは最上階。この上は屋上。何か居るなら、ここだと俺の第六感が言っている。そして、そこには狼とは違うモノの気配がする。
「────なんだ、アイツ」
奥に、誰か居る。人間だ。狼に囲まれている。だが、襲われていない。そればかりか懐かれている。
獅子毛の男だ。獅子毛と言っても、歌舞伎とかにでてくる連獅子ほどの長さはないし、そんなに整っていない。なんならぼさぼさだ。色はクロエ先輩にもよく似た蒼色。だが、光っている。今の俺みたいにほのかに光を籠めている。クロエ先輩とは別の人物だ。服装は何かと厚着。まだ11月だと言うのに毛皮のコートなんざ羽織って。確かに、この冬は寒いけど。カーラとかいう人狼のせいでな。その微妙にみすぼらしい着こなしは北極の狩人によく似ている。
男は虚ろな目でこちらを見据えてくる。
男と目が合う。
「貴様、ここまで何をしに来た。どうやってここまで来た」
男はかなり低い声だ。だが、声は若いし、聞き取りやすい。見かけによらず、意外と俺と歳の近い若者なのか。
「……………?お前の方こそ、こんなところで何をしているんだ。あの狼たちはなんなんだ」
「【あの】狼………そうか、生き延びたのか、貴様」
「……………は?」
男の質問の意図がよくわからない。今さら気づいた、なんだコイツ?さっきから意味がわからない。気配もおかしいし、狼なんかとつるんでいるのもおかしい。そして、なんだ、あの男についている、狼のような耳と尻尾、そして牙は?
「成程、貴様、混血だな?」
「なんでそれが」
「混血は混血の気配に反応しやすい。混血は自分の血の中に異物があることを理解しているからこそ、他の血統に含まれる異物を感じ取れる。オレは人狼と人間の混血。そしてお前は、なんだ、人間と何だ。今までのオレの経験では読み取れない、不思議な血統だ。まるで、暗い洞窟の中で鍾乳洞を見ているようだ。そこだけが明るく、回りと大きく色が異なる」
「ぶつぶつ言ってんじゃねぇ………人狼ってなんだよ、まさか、お前が………カーラ・アウシェヴィッチか……!?」
「オレが…………か。───あぁ、貴様の言う通り、オレがカーラ・アウシェヴィッチだ。では、オレの家族(なかま)を虐殺したのは貴様で良いのだな───!」
そう言って。カーラは手を伸ばしてきた。手先から吹雪が溢れ出す。
「う───おおぉぉぉぉぉぉ!?」
廊下が氷漬けになる。摂氏が一気に低下する。辺りは一瞬にして、吹雪の中、辺り一面の氷海と化す。
気温の低下は大した問題ではない。俺はさっき自分の身体の構造を理解したことにより、血の使い方も理解した。血の流れを速めることで体温を上昇させる。最悪、日本(このくに)の環境までの気温であれば全裸でも問題ない。確かにその寒さは異常だ。北極にでも出ないと、このような寒さには出遭えないだろう。昔、槇久の旦那に連れられてロシアに行ったときと同じくらい寒い。しかも、これは体を暖めてなおこの寒さ。北極(あっち)の世界には行ったことがない俺はこの寒さには上手く対応できない。体感温度は摂氏マイナス30℃。生命や身体の機能に直接的な影響は与えないが、長居したいものでもない。数時間いない限り凍死することはないが、もし血が冷えたら一気に能力が低下する。スピード勝負というヤツか。
「上等、やってやるよ!!!」
雪原と化した廊下を疾走する。狙いは向こうに居る男、カーラ。アイツは混血。人間ではない。そして、やっていることも人間ではない。ヤツがどんな経緯で狼を持ち込んだのかは知らない。けれど、そのお陰で、このホテルにいた罪もない、ただそこにいただけの人々が犠牲になったのは確かだ。それは決して赦されない行為だ。混血であれば、尚更人間世界に干渉してはならない。人間が人間を殺すのは最低最悪の犯罪だ。だが、殺した方が混血なら言語道断。混血は混血らしく、人間社会に極力接しないようにするのが作法だ。人間社会を危険に晒すどころか、犠牲者を発生させた輩に救いの余地はない。気がつけば俺はナイフを構えて一直線にヤツに切りかかっていた。この先にどんな罠があるかも知らない。けれど、とにかく俺は直進、最短ルートで相手の首を取りたかった。
敵が手を突き出す。すると、雪の中から氷柱のような氷塊が現れる。氷柱(ツララ)と言うより、氷槍(ツララ)だ。
無数の氷塊が弾丸となって俺の向こうから俺に襲いかかってくる。
眼球に血を回す。動体視力、静止視力の向上。飛来する氷柱の姿を片っ端から捉えて、確実にナイフで叩き落とす──!!
「────はッ!!」
ナイフが空中を一閃する。刃の軌道を遮る氷の槍はたちまち真っ二つにへし折られる。
「───────」
その様子を見た敵は僅かに停止する。「この男は、自分に対抗する術がある」と確信する。
「行け」
男の後ろから、四匹の狼が現れ、俺に向けて一直線に走り出す。
真正面から飛ぶ、氷の雨と狼の群。殺傷能力は狼の方が上だが、数は氷塊が上回る。
優先順位を決める。到達速度と連射速度と狼の走力を観測。すべての条件を考慮した上で、最も生存率が高く、かつ、その中で最短のルートを決定する。飛来する氷塊に注意は払っていられない。眼球に流していた血を脚につぎ込む。敏捷性の強化、跳躍距離の倍加、氷塊を回避しながら狼を一匹ずつ狩る!
「ひとつ────」
真横をすり抜ける氷塊。氷塊の真横をすり抜ける赤い陰。赤い陰の前からやってくる4本脚の狼。合間を縫うように飛来する氷の雨を潜り抜け、狼の下に潜り込み、狼の胸にナイフを突き立てる。
「■■■■■■■!!!!」
止まらない。そのままナイフを刺したまま股下まで引き下ろし、狼を真っ二つに切り落とす。
「ふたつ────」
氷の雨に立ち向かう俺は何だ。機関銃に真正面から向かっているようなものだ。近づくほどにその攻撃は苛烈さを増していき、致死率も向上する。その危険のただ中を駆けていく一人の人影。
二匹目は跳ねながら俺に襲いかかる。生き物らしい、実に狼らしい獲物への肉薄。
前足で獲物を捕え、その顎で噛みつく。狼といった犬系統の獣の狩猟における基本スタイル。王道にして頂点、前足で抑えられれば、逃げる術はない。万能にして一撃必殺。それを、
「はぁぁぁぁ!!!」
正面から脳天を突き穿つ。生き物は心臓を打つより、脳を潰す方が早い。致死率も即死性も、こちらのほうが上手。堅牢な頭蓋があるために、効率が悪いが、その頭蓋をも貫く筋力を得た鬼人なら、話は別。
毛を切り落とし、皮膚を切り裂き、肉を抉り裂き、頭蓋を打ち砕き、脳を串刺しにする。
二匹目も絶命。
それでも止まらない。連続の攻撃に耐えながら、狼を仕留め、ラスト一体を仕留めたらその流れでカーラの首を絶つ!!
「みっつ────!!!」
順手に持っていたナイフをくるん、と回し、瞬間的に逆手に持ち変えてカーラめがけて疾走していく。
すれ違いざまに三匹目の狼を斬り倒し、そのままカーラに向かって走り抜く。
背後から四匹目の狼がやってきたが、関係ない。俺はただカーラだけを見つめる。俺を警戒しているカーラに呼吸を合わせる。ズレは許されない。血を回して、酸素を蓄える時間を伸ばす。
「ふぅ──────」
呼吸をする。一瞬で大気中の酸素を大量に取り込む。その状態で呼吸を止め、カーラの呼吸に合わせる。ここに誤差が発生した時点で死ぬことが予想される。
アスナは、カーラの脅威は三つあると言った。
一つ目。寒波は血を回して体温を上げるだけでなんとか生命維持を確保。二つ目。狼の群れはほぼ全て撃破。俺の真後ろに一頭存在しており、俺に噛みついて来ているが、関係ない。この個体は意識外。この個体に意識を固めず、カーラ一体に全てを費やす。そのためにこの一体に対する対応を放棄した。短い骨董品の銀ナイフ1本で敵を二体も相手にできない。
そして三つ目。これはアスナが真っ先に言った、カーラの戦闘能力の基準点ともなる特徴、【長い太刀を振り回す】。
集めた酸素で呼吸停止期間を増加させる。カーラの体を直視する。一瞬の身体の芯の緩み、全身の筋肉の弛緩、ここに呼吸行動の動きが集束されている。
今だ。呼吸を合わせる。筋肉弛緩のタイミングの合致。
カーラが手を引くと同時に俺も身体を捻る。呼吸の一瞬の筋肉弛緩を利用して僅かな一瞬だけ、身体の操作の自由度を底上げさせる。
体感の急制動。筋肉補強を解除して、回避行動に全てを費やす。ナイフと太刀。得物のリーチの差は全く異なる。この一発を掻い潜って初めて、俺は一撃を与えることができる。戦闘を【開始】するには、この一撃を回避する必要がある。
「っ──────!!!」
「は───────」
予想通りに突き出された太刀の存在を確認。無論、確認してからの回避行動は選択外。すでに俺は回避行動を取っており、カーラは俺が回避を始める前にいた箇所に向けて、2メートル近くあるその凶器を突き出した。
「おぉぉ─────!!!」
俺の真横を輝く鉄塊がすり抜けていく。俺の勝ちだ。背後から俺を襲った狼は、カーラの突き出した刀に串刺しにされているだろう。だから、俺はアレに注意を払う必要がなかったのだ。こうなる結果を、第六感として予測して、初めてこの行動を取れた。そうでなければ、俺は狼の方を相手にして、あの鉄にこの心臓を貫かれていただろう。
ヤツには対抗する手段がない。一撃で俺を殺すことを確信していた代償だ。まさか俺が回避をできるとは思わなかっただろう。油断した結果が、その緩み。その穴が、絶対の死因。
何事も、気の緩みが失敗に起因する。一瞬何かを見誤ると、事は終わってしまうものだ。
油断したその先が、死地。それに習い、俺も最後まで気を抜かなかった、それがこの結果。気を抜かなかいことが、【生存するための防衛的最優先事項】である。だから、俺は生き残れた。
意識を固めれば、落ち着いて物事に集中すれば、あるいは死地を脱出し得るということだ。
─────だが、ソレは、ヤツも同じだった。
ヤツも気を抜かなければ、死地を脱出し得るのだ。
「─────!?」
雪の積もった真っ白な床から氷の棘が突き出てくる。
「なん………えぇぇぇ────!?」
氷で出来た4本の円錐槍(ランス)は、カーラが刀で突いた箇所のその左右隣をめがけて突き出されていた。
まったく、思い上がっていたのはどっちだったか。詰めを見誤っていたのはどっちだったか。
そういえば、カーラは一歩も動いていなかったじゃないか。あの時点で、俺はヤツに甘く見られていたんだ。確かに、実力差が圧倒的じゃないか。俺は斬りかかるので精一杯だったのに、ヤツは待っているだけで良かった。相手に詰め寄ることでしか闘えない俺に対して、ヤツは、遠くから相手を寄せ付けないのが、強みだった。
とはいえ、少なくとも死ななかったのは助かった。ヤツの読みが正しければ、俺は刀を躱した時点で油断していただろう。それでも最後まで気を抜かなかったお陰で、この棘を防ぐことが出来た。脚と腕を擦ったが、それでも、致命的なダメージは受けていない。
だが、肉体のダメージとはまた別で、俺は致命的な状況に陥った。確かに、俺は迫る氷の槍を防ぎきり、狼を片っ端から倒し、カーラの刀を避け、その後を狙った追撃もナイフで防いだ。しかし、
────今ので、俺の武器であるナイフが折れた。