俺は街中を走り続けていた。住宅街を駆け抜け、坂道を降りて街に向かっていく。
我武者羅に、真っ直ぐに、風を切るように駆けていく。
駅前広場が見えてきた。
「着いた───!!!」
駅の入り口付近にたどり着いて、周りを見渡す。カーラは何処だ。駅の北には何もないため、駅の中を潜り抜けて南に出てみる。
「な──────っ!?」
駅前南広場は変貌していた。ここが駅であったことを忘れてしまいそうだ。
空を覆う灰色の巨大な積乱雲。吹き荒れる猛吹雪が視界を遮る。吹き荒れる強い突風で吹き飛ばされそうになる。
寒い。かなり寒い。ホテルとは比にならない極寒。
その奥に、カーラがいるはずだ。クロエ先輩が闘っているはずだ。俺は意を決して死地に脚を踏み入れて、
「うわぁっ!?」
転倒してしまった。見れば、路面は完全凍結しており、駅に連なる多数の線路も全て凍っており、駅も雪と霜を被って電車も停車してしまっている。
「な、いつの間にこんなことに………?」
とにかく、今は体を暖めることが大事だ。体に流す血の速さを変えて、体温を上昇させる。
これは鬼人だからできることだ。俺がもし生身の人間だったら、すぐに凍死してしまっていただろう。
「─────────」
じゃあ、今、生身の人間であるクロエ先輩はどうなっているんだ!?
「先輩!!」
俺は一もニも無く走り出した。駅前広場は一面銀世界だ。
雪と氷に覆い尽くされた永久凍土の楽園。
雪と氷に埋め尽くされた絶対零度の地獄。
雪と氷に張り尽くされた絶海凍土の魔境。
今にも滑ってしまいそうな地面を駆け抜けて、奥へと進んでいく。先輩はどこだ。先輩を助けに来たのに………俺は─────
「ふぅ……………」
この猛吹雪のせいで視界が悪い。直感で探り当てるしかない。神経を研ぎ澄まして、先輩の気配を探す。音、匂い、気配、空気感、気流の流れ。すべての情報から先輩の居場所を察知する。遠くで、誰かが立っている。その人は、がくり、と身体を弱らせて地面に片膝を着いた。
「クロエ先輩!!!」
先輩の居場所はこの先真っ直ぐだ。今までとは比べ物にならない速さで走る。氷原を突っ切る。雪原を駆け抜ける。
奥に、広い広い空間があった。ここは駅前広場の中でも特に低い場所だ。近くにある長い階段を降りていかなければならない。高さはだいたい建物5階ぶん。下には、ビル一棟ぶんの高さを誇る氷柱が何本も立っている。
飛び降りたら人間だと助からないだろう。
けど、今の俺は違う。この身は鬼人。そもそも、俺が今この瞬間だけ人間であったとしても、俺は飛び降りていた。階段を降りる時間がもったいない。一秒でも早く降りたい。
先輩の姿をとらえた。奥で片膝をついて弱っている。この寒波には、さすがに耐えきれなかったのか。
カーラの姿は見えないが、すぐ近くにいるのは確かだ。おそらく、カーラは俺がここにいるのが分かっているのだろう。
だから、正面からの突破は論外。律儀に階段を降りたりとか、あり得ない。マトモに行ったらやられる。飛び降りも選択外。カーラはおそらく、俺の飛び降りに対抗する策を用意してあると、直感が言っている。
よし、ルートは決めた。いずれのルートも通過しない、もっとも安全性の高いルート。
訂正しておこう。危険性は最大だ。だが、そのルートだとカーラの邪魔は入らないだろうし、カーラの意識外だろう。
「落ち着け白邪、俺ならできる。チャンスは一回だ。いいか白邪、死ぬんじゃねぇぞ………!!」
手すりの上に飛び乗り、そのまま一気に跳躍した。これは飛び降りルートと同様。だが、俺はこのまま真下に落下するのではなく、近くに立ち並ぶ、無数の樹氷を足場として利用する。このルートで決まりだ。道端の手すりから一気に樹氷に飛び乗り、つぎの物に乗り移る。
俺の脚力はかつてないほどに成長している。樹氷と樹氷の間の数十メートルなど、ひとつ跳びだ。雪に降られて風のように上空を駆け抜ける。体に吹き付ける風が非常に冷たい。体感温度摂氏マイナス40℃。精神的には問題ないが、問題は本来の気温だ。本来の気温は間違いなく、摂氏マイナス60℃を切っている。長居はできない。
跳べる限りの樹氷は目の前のものでラストだ。勢いよく跳び移る。見事に着地に成功した。先輩はここからすぐ近くだ。
すぐに、クロエ先輩のところへ行って、彼女の安全を確保してそれから─────
「来たか─────中村白邪!!!」
「ぐわぁぁぁぁあ!!!」
声と共に突如振るわれた気流の流れを察知して、体を後ろに反らす。
目の前を鉄の刃が通っていく。間一髪だ。ここで俺が気付くのがあと一秒遅かったら、俺はあの刃に首を弾き飛ばされていただろう。
「────カーラ・アウシェヴィッチ…………なのか?」
目の前にいる相手は、とてもじゃないが、俺の知っているカーラではなかった。いつもの何かに憎しげを抱いているような顔は相変わらずで、人間とは思えない牙と耳と尻尾も健在。だが、牙が前より長くなっている。耳と尻尾が前より大きくなっている。爪が鋭く長くなっている。爪の特徴は先程までなかったはずだ。目付きは前よりずっと悪くなっているし、そして、体勢が完全に狼だ。1本の腕で刀を握り、残った三本の手足を使って立っている。片手が塞がっているが、完全に四足歩行の体勢だ。ヤツは現在、限りなく人狼に近づいている。鬼人が超越種と幻想種を兼ねた存在なら、人狼は脅威的な幻想種といえる。
これではまるで人間ではない。
こんな情けない姿を、俺はよく知っている。カーラなんて人狼に興味はないし、人狼も初めて見た。だけど、こんな状態を、俺は知っている。今でも夢をみてうなされる。
「あ…………はぁ…………はぁ…………はぁ…………」
その姿を見せられると………あの日のことが………思い出される。
「あ………あ………あ………」
血。血。血。何度見ても血。人を殺したときのことを思い出す。俺は人殺し、俺は人殺しだ………俺は、親父を─────!!
「う、う────アァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!」
アタマ、アタマをカカえてボウソウしダす。ノウをクらいツくすフルいキオク、オレがオヤジをコロしたトキのキオクが、オレをオレでナくしてキている。オレは、ジブンがナンなのか、オレは、ジブンがダレ、なのか。オレは、ジブンさえも、ケしてしまいそうだ。
コワれたトキのことが、オモいダされる。アァ、そうだ。オレはフツウじゃないんだ。オレは、コンケツというシュゾクなんだ。イマはオレでいられているけど、いつかオレはオレでなくなってしまうんだ。なら、コワれてしまえばイい。いつかコワれるんなら、コワしてしまったらいいんだ。ジブンのカラは、ヤブれるマエにヤブってしまえばイいんだ。
「ハ、ハハ…………」
オモシレぇ。こんなフウにイてイいのかって。オレはオレじゃなくてもオレ。オレはオレだからオレじゃない。そうだ、オレは中村ハクヤだけど、ドウジに中叢ハクヤでもあるんだ。そうだろう?オレは中村は、キジンなんだから、オレもいつか、オヤジのように、なってしまうんだ、なら、ここでコウナッテモいいんだロ!?オレはハンテンはしないけれど、ムカシのトラウマでボウソウすることはヒンパンにあるんだ。なら────!!!
「ハハハ!!ハハハハハハハハハ!!アはハハハははは!!ははは!!ハハハ!!HAHAHAハハハ!!!!ソウダヨ、そうだろ!!オレはキジンなんだ!!イツカはコワレルのがトウゼンなんだよ!!そうだろう?カーラ!!」
ナンテ、オトコにイってみる。だが、ソイツはあきれたようにタめイキをつくだけだった。
「はぁ…………嘆かわしい者だ。この期に及んで発狂とはな。オレが意識を保っていられるのも残り僅か。対して貴様はまだ貴様でいられるというのに、それでも自身であることを放棄するとは」
「──────」
奴の言葉は、俺の正気を呼び覚ました。
「ヴ、げほ、げほ、げほ…………」
一時の暴走………いや、発狂から目覚める。
「だって…………俺もいつかは、お前みたいになるんだろ」
「当然だ、それが混血に産まれた代償だ。お前は人間である以上、すべからく魔に近づいていく。だが、それは一概に混血族全員を指すわけではない。有間という一族があってな。そこも混血だ。だが、血が薄く、反転を起こしていない。それは血の濃度の問題だ。血が薄ければ、反転を起こす必要もなく、人間の体になるのもまた道理。では、貴様はどうだ。反転を起こしていないのなら、それは貴様がより強い意志を持っているだけのこと。貴様の強烈な自我が、貴様を貴様足らしめているということに気付くがいい、世間知らずめ」
「お前────」
「貴様はな、強い意志がある。オレとは違う。それさえあれば、貴様は必ず、その飢え、その渇きを克服する。欠陥を晒さない混血など、この世におるまい。生粋でなければならないのだからな。だが、貴様ははそれに近い。いつか、貴様が生きているうちに、混血たちの立場が変わるはずだ。貴様の目指す、混血と人間が相容れ合い、互いにその価値を認め合う、そんな世界にな。オレも密かに、貴様のその意志には賛同していた。目的や価値観が合わなくても、オレは確かに、心のどこかで、その世界を夢見ていた時期もあった。それこそ、貴様のような、まだ世の厳しさも知らない雛鳥だったときのことだ。オレには貴様の苦しさがよくわかる。オレは貴様とは違って、定期的に反転も起こしている生き物だからな。混血の苦しさは、完成度の低い混血ほど理解できる。中途半端な産まれを持つと、オレのように、狂うようなモノになり下がる。それは当たり前のことだ。貴様に言えるのはただひとつ、もう少し希望を棄てるのを止めておけ、過去は変わらないが、明日はまだ変えられる。オレとは違って、貴様には未来がある。それが永遠(とわ)でもないし、久遠(くおん)でもない。しかし、その中に、貴様で言うところの幸せがあるのなら、貴様にとっては良い結果だろう。永遠だの久遠だのくだらない。限られた時間であるからこそ、人は輝くものだ。それは花火同じなのだろう。オレも、時間で言えばここまでだが、貴様が最後の相手でオレは満足だ。最後の相手が、己がの魂を賭けて激突するほどの強敵だったなど、人殺し(オレ)の最期にしては恵まれすぎている」
「ちょ、お前───!!!」
周囲の気温がさらに低下する。もう、俺ですら対応できない気温になってきた。
「おそらく、貴様に向けられる言葉など、これが最後だろうな。…………感謝するぞ、中叢白邪。貴様との闘いは、オレの最期に相応しいものだった。願わくば、オレがまだオレを保てるほどの強き意志があったのなら、貴様と共に創ってみたかったものだ。混血族と人間が、共に肩を並べて世を創るような、そんな星を手に取るような、雪結晶の様な妄想を…………それは見てみるには、十分な価値はあっただろうな」
カーラの最期の笑顔はとても穏やかだった。カーラとは思えない、緩やかで、氷が溶けるような。
「──────カーラ」
そうして、カーラは消えた。カーラは最期に俺との勝敗も知ることなく、この世から消え去ってしまった。ヤツはどう思っていたのだろう。俺との勝敗は、知りたかったのか。知りたくなかったのか。それとも、そんな些末ことなどどうでもよかったのか。
カーラ・アウシェヴィッチは間違いなく、死んだ。最期に見たのは吹雪の吹き荒れる、氷の大地。文字そのままの絶対零度。望郷と表現すればそれはカーラにとって丁度いいものだ。あとは────
「■■■■■■■─────!!!!」
あとは、その残骸。カーラ・アウシェヴィッチが遺していった、冷たい残響。鋭い残留。そこにいるのはカーラ・アウシェヴィッチという、一人の【人間】ではない。そこにいるのはただの【魔】。人狼という種類の、魔である。
「いいよ、ケリをつけよう、人狼」
ほっとした。これなら、人殺しではないな。こんなものを見ても、俺はあの日のことなんか思い出せない。そこにいるのはただの魔であり、人間ではない。カーラ・アウシェヴィッチという、一人の人間は、もう、この世にはいないのだから。
カーラにとって俺との勝敗の行方が知りたかったのかどうかはそれこそ、知ったことではない。だけど、人狼と俺との対決は、少なくとも俺にとってはこの上ないほどに重要だ。人々を守るためには、こいつを倒さないといけないのだから。絶対に、勝たなければならない。負けは許されない。
ヤツの生き様に、その末路の虚しさに、最期の瞬間に敬意を籠めて。
俺は自身の意志と、カーラ・アウシェヴィッチという、ある意味戦友と呼べるアイツの尊厳に懸けて、こいつと闘うことにした。くだらない闘いだ。けど、俺は、俺たちの街を食い尽くした、この人狼が赦せない────!!
「出ろ───!!」
血刀を手に取る。もう、何度目の握り直しか。もう後戻りはできない。
「行くぞ…………!!」
あとは、俺でこいつを倒すのみ。あばよ、戦友。始めようぜ、混血。
俺の血刀は、文字通り、俺の血から放たれる灼熱と豪炎で燃え盛っていた。氷の中に焔。真っ赤なソレは俺の刀身と一体化し、氷原を真っ赤に染め上げていた。