だって楽しいんだもん。
ここは、何処だ、ろう。
俺は何を、してるのだろう。
ここは、真っ暗で、何もなくて、少し暖かくて。
メラメラと燃えたぎる地面。イギリスにあるような石畳の道路の脇が、炎で燃えている。先にばかり道は続いていて、後ろには何も見えない、ただの闇。空を見上げても闇。在るのは、この果てしなく続いている道路と、炎だけ。
不気味なのは当たり前だ。けれど、この先に行かなくてはならないのはわかる。ここは、現実ではない。この世とあの世を繋ぐ三途の川でもない。
ただ、道が先に続いていて、なんだか不気味だ。俺には、カラダがない。俺は、眼は見えるし、耳も働いている。匂いもするし、暑さも感じている。
「なんだ、ここ」
この通り、口も動いている。
何もない道を歩いていく。
俺が人間から鬼人になったことに影響しているのだろうか。俺はいつの間にかこんな空間に飛ばされていた。此処には、此処という意味のある場所ではない。此処には、時間すらも存在しない。天国への階段のような、全てが止まっている、幻想世界ですらない、秘密の空間。空間も果たして相応しい表現といえるのか。
何もない道は、歩いてもなにも変わらない。先に進んでも、火柱と道が続くだけだ。つまらない空間だ。
「あれっ」
空間が、カチリ、とスイッチが入れ替わったように、テレビのチャンネルを変えたように切り替わった。
「ここは………」
城?日本の城だ。俺はいま、城の門に立たされている。
天守閣を構えた戦国城というより、沖縄にある首里城みたいな形の城だ。
急にこんな荘厳な空間に飛ばされて、戸惑いを隠せない。空は相変わらず真っ暗だ。
「中に入れってか」
門をくぐって、寄り道せずに、奥にある一番大きな建物に直行する。
広い空間だ。だが、これは所詮、幻想にすぎない。ひとときの悪夢でしかない。俺は、ちっとも関心を示さない。
建物の中身は予想通り。中華風の城、三國志とかによく出てきたアレを彷彿とさせる大広間。
─────その奥に、ソレはいた。
「おやおや、いらっしゃい、お客さんかな」
朱い髪をしていて、瞳も真っ赤なその青年。白と黒の装束に身を纏った、丸でまっとうな宗教信者のように見える。
その男は、俺が鏡を見るたびに見る男、そう、中叢白邪だ。
「お前、なんなんだお前は」
「決まってるだろう、吾(オレ)が誰かなんて、御前(オマエ)さんが一番解っているだろうに、」
妙に時代掛かった発言の男だ。とても自分とは思えない。俺はこんなにも厨二くさい人間だったのか?
「お前は、俺の鬼人としての側なのか」
「いいや、御前さんと吾は同一人物だ。別に、解離性同一性障害における陰陽の差分ではない。強いて云えば、御前さんが鬼人として覚醒仕切った姿と云えばいいか。御前さんを【人間性に従った】中村白邪に例えるなら、吾は【鬼人性に従った】中叢白邪といったところか」
「あっそ。それで?ここはどこなんだ」
「此処は御前さんが勝手に描いた【迷い】だ。御前さんが鬼人と為る覚悟を決して、それでも尚まだ未練を世に残している状態だ。…………まぁ、要は、最後の決断というヤツだ」
中叢の発言に怪しさは含まれないし、確証が持てる。それはそうだ。あくまでも【俺】がしゃべっているのだから。これも下らない自問自答の延長にすぎない。
「俺はもう決めたんだ、俺は何だってやってやる!だから鬼人の力を寄越してくれ、ソレがないと、俺は闘えない」
「吾は御前さんに反対する意志はない。併し、其れは御前さんの周囲の人間への別れを意味している、という事に、吾は僅かな引っ掛かりを憶えただけだ。念の為、訊いておきたいと思ってな」
「俺は、先輩を護りたいだけだ。俺は彼女のためなら、自分のを捨てるのも厭わない。理由は十分か?」
「否、納得できんな。彼女を護りたいのなら、自分を棄てるのは如何なものか。御前さんは、彼女の事を好いている。ならば、何故、傍に居るチャンスを放棄するのだ。叶うのなら、街を捨てれば良いと言うのに。街の主である御前さんの家だ。おそらく街全土が凍結する前に避難ぐらいは出来よう。御前さんは周囲の損得は顧みないのが主義だった筈だ。ならば、何故、街を捨てない。それが、御前さんも、黒依先輩も救える手、しかも身内の犠牲も回避できる手だと言うのに」
「─────────」
そうかもしれない。こいつの言う通り、俺は周囲の損得に関係なく、やりたいことを真っ直ぐにやるのがモットーだ。社会よりもたった一人の人間を優先する俺にとって、街を救うなんていうスーパーマン的思想は、俺にはない。そんな絵空事を吐いている暇はない。救える数は限られている。世界には、何かにつけて容量の限界がある。それを超過してしまうと、かえって破滅になってしまう。
俺に守れるものは、二つまで(この場合、逃亡可能と仮定できる姉さんたちは例外とする)。俺とクロエ先輩と街。この中から二つ、守れるのなら、俺は何を守れるのか。
俺はもちろん死にたくない。だから、俺は俺のことも守りたい。当然だ。当然ながら、生き物ならば自衛本能が存在する。そうしたら、俺はあと一つ、守れるものがある。俺は迷わずクロエ先輩を選ぶだろう。そうしたら、選べなかった街は?
このとき取るべき手段は、ヤツの言ったように、街を捨てて逃亡すること。放っておけば、あの人狼も自滅するだろう。日本全土が凍結することはあり得ない。せいぜいこの街が氷漬けになるだけに留まる。
「けれど─────」
俺が、俺たちが暮らしてきたこの街を、棄てるのも、また違う。
クロエ先輩はきっとこの街を愛していた筈だ。クロエ先輩に残されたものは自分と、殺すべき相手、だなんて。
「俺は、自分を捨てるのは構わない。どうせ、彼女に殺されるのは解っている。俺はな、彼女の力になりたいんだ。それは、カーラを倒すことでも、彼女の傍に居てやることでもない」
──────もし、俺が本当に、先輩の力になりたいのなら……………
「俺自身が首を差し出さなければならないんだ」
人殺しはいけない。それは俺が誰よりも解っている。だから、今まで混血を殺してきただろう先輩の苦しさも解る。先輩だって、好きで混血を殺してる訳ではない筈だ。殺しただけ心が痛むだろうし、何より、彼女はそれだけの罪を背負っている。相手が如何なるものであれ、人殺しをしたら重い罪が課せられる。その足枷は生涯死ぬまで外れない。
少しでも、彼女が手にかける人間の数を減らすことが、彼女への最大の手助け。もし、俺がそうしようと思えば、俺が自身の意志で死ななければならない。
「フ─────」
導師は一笑する。
「良いだろう、ならば、鬼人として生まれ変わるが良い、中叢白邪。御前さんの意志、必ず果たして見せよ………!!見ておいてやろう。御前さんの勇姿を」
導師はパチン、と指を鳴らした瞬間、この世界は崩壊を見せた。
辺りは一瞬にして現実世界に引きもどされた。相変わらずの、凍りつくような猛吹雪。向こうからゆっくり歩み寄ってくる人狼。
俺は、鬼人に切り替わった。人間だった中村白邪はもういない。カーラと同じように、俺は───
さっきまでの恐怖は感じない。寧ろ、余裕に思えてきた。朱を通り越して、紅に染まった血刀。俺の髪も瞳も、朱から紅に切り替わる。紅に輝く刀身と俺の髪。
風がざわつく。右腕が疼く。血が昂る。
「こっからが勝負だ────!!」
血刀の輝きが限界を超える。血刀が唸りを上げて、真っ赤な炎を噴き上げる。
焔を纏った刀身が、雪原を明るく照らす。鬼人として覚醒した今、鬼人の真の力が解き放たれる………!!
「───────」
人狼は俺の気配の急変に気付き、氷の槍を乱射する。正面から迫る機関銃の砲撃。しかも弾丸は弾道ミサイル並み。
「────はぁっ!!」
左右に高速移動して、砲撃を回避する。
俺の真後ろに消えていく氷の槍。
俺が避けたその先を狙った攻撃を確認。
「…………行くぞ」
焔に燃える刀身を振りかざして、俺は自ら氷塊に突進した。
俺の刃は、焔の断層となって、氷塊を切り払う。バラバラに砕けた氷塊の中から高速で人狼に迫る三つの影が現れる。
一つは俺自身。そして、残り二つが俺が放った円盤型の攻撃。焔を集束させた、文字通りの火炎車。
空を切るその速度、電車よりも速い。その神速に追い付ける筈もなく、人狼はその攻撃をまともに食らった。
円盤と同じ速度で人狼へと肉薄する俺は円盤の直撃に怯んだ狼に向かって走りだし、すれ違いざまにこの血刀で斬りつけた。
「■■■■■■!!!」
響く狼の苦悶。その程度で終わらせるものか。俺たちの街をこんなんにしておいて、ただで済むと思うなよ。これほど甘い結末で済むなら、誰も死傷者など出ない。
「無に還れ────!!」
狼の背後に回って、血刀を掲げて力を集束させる。豪炎は刃となって俺の剣を紅く染め上げ、俺に力を分け与える。刀身に溜まった焔を一気に振り下ろす。
「どりゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
斬撃から放たれる炎の刃。爆発を起こすように吹き出た炎が狼を直撃する。
炎は爆発を伴いながら地面を粉砕しながら狼を吹き飛ばしていく。
「■■■!!!」
人狼はさっき俺が飛び乗った低いフェンスを破壊しながら吹き飛ばされ、俺の飛び越えたあの低くなっている空間へと落下していった。
「逃(の)がさねぇ───」
俺も続いて跡形もなく粉砕されたフェンスの跨いで段差から飛び降りる。
人狼は吹雪の奥で苦しそうに踠いている。
この猛吹雪ときて、視界こそ最悪だが、直感が利いているのか、俺の視界は吹雪まみれでも、俺の脳裏には、その吹雪がない、クリアな映像が映っている。
視界はあくまでも目が読み取る映像ではなく、脳が認識する映像だ。目が吹雪を認識していても、直感がその吹雪の先を千里眼のように見通していれば、脳は吹雪のない視界を観測し、映し出す。
「行くぞこの野郎!!」
容赦ない詰め寄り。怯んでいる人狼に近づくべく走り出す。
「■………■■■………■■■■!!!」
しかし、狼も黙ってはいられない。人狼は雄叫びを上げながら、氷の槍を片っ端から打ち出す。1メートルを超える超巨大な弾丸。
俺の正面を穿つ前の氷柱。その逃げ道を断つ左右の氷柱。そして俺を確実に仕留めるための下からの氷柱。そして、下からの氷柱を回避するルートを阻害するための上の氷柱。
俺を狙う氷柱は氷のトンネルのような形を形成し、俺を取り囲むつもりのようだ。
俺を氷の檻に閉じこめて今度こそ墜とす気か。
「クソがぁぁぁぁぁぁ!!!」
だが、今さらそのような障害物、時間稼ぎにもならない。火のついた俺を止めることはできない。油を注ぐことは出来ても、水を流すことは出来ない。
俺を全力で迎え撃つつもりなら、こちらもそれに死力を尽くして応えよう。
「う────おぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
螺旋を紡ぐように横回転しながら燃える刀を振り回す。焔を纏った刃は、俺の描く螺旋に伴って回転する火の環となり、氷柱のトンネルを跡形もなく破壊していく。
「■■■■■!!!」
突然の出来事に反応できていない人狼。
それもそうか。数秒前とは別人のようだろう。何せ、相手にしている生物が違う。ヤツが相手にしていた人間は、今や鬼人。今の俺は人狼と同等の闘級を誇っている。
これが、生き物として変わった結果だ。
「てやぁぁぁぁ!!!」
一瞬にして人狼の目の前に到達し、空中から勢いよく袈裟斬りを繰り出す。
直前で人狼は俺の攻撃をバックステップで回避したようだ。
だが、ここで逃がすほど、俺は甘くない。ここまできて、そう簡単に逃がしてやるものか………!!
「うおりゃああああぁぁぁ!!!!」
後ろに撤退していく人狼をしつこく追い回す。人狼は連続でバックステップを繰り返しながら、俺に氷の槍を浴びせる。俺はそれを追いかけながら、氷の槍を打ち落としていく。
「はぁっ!せやぁ!」
「────!!」
左胸に氷塊が直撃する。
「づっ────!!」
まだだ。これしきのことで、そう簡単にやられている場合じゃない………!!俺は、そのために、人間を辞めたんだから──!!
目の前に氷の壁が立ちふさがる。厚さでいえば過去一番の氷塊。あのときの俺では越えられなかった壁、その何倍もの厚さを誇る氷の盾。それを、
「そりゃぁぁぁぁ!!!」
一撃で真っ二つに切り落とす。
不意を突かれ、なお防御策を叩かれた人狼に、氷の壁を貫いて現れた鬼人に対応する術などない。
「カーラ───────!!!!!」
「く………オォォォォォ!!!!!」
カーラは最後の希望である太刀を振りかざして、俺の一撃を弾き返した。見事だ、どれ程に血に呑まれたとしても、その魂を蝕まれたとしても、その生前の業は、反転した今でも引き継がれていた。カーラはまだ生きている。いや、死んでいる。けれど、生きてはいないが、活きてはいる。そうでなければ、この状況に説明がつかない。ヤツは、最後に、自分の力でその太刀を振りかざしたのだ。たった今、ヤツの口から漏れた叫びは、狼の遠吠えではない。昂る戦士の咆哮。
「中叢─────!!!」
「カーラ─────!!!」
正真正銘、これがラストだ。これが、俺たちの、最後の激突だ。
勝負は一発。攻撃は一回。時間は一秒。
それは刹那の一刀。それは光陰の出逢い。
俺は、街と先輩を護る、カーラは、このまま生永らえる。あの時と同じように、両者の立場は正しい。それぞれの主張は、理にかなっている。
それぞれの利害や目的は変わったが、それでも、その延長線上と、俺たちの立つ土俵は、変わらない。だから───!!!
「負けられねぇんだよ───!!!」
「敗けてはいられない───!!!」
攻撃は同時だった。振り下ろされる2本の刀の動きも、速さも、力強さも、全てが同等だった。
鬼人の振るう炎の剣と、人狼の振るう氷の刀。
天焔(アルマゲドン)と、冥河(コキュートス)。
余計な打ち合いなどは存在せず、剣と剣のぶつかる音は一度だけだった。
金属が炸裂する、ギィィン、という、爽快な破裂音。
それと同時に、1本の刀身が空高く舞い上がった。雪に揉まれて風に曝されて、優麗鮮やかに落下するほうき星。幽玄そのまま、輝く白い刃。
ざくり、と雪原に突き刺さる残り刃。
──── 一刀のもとに両断された刃、その正体は間違いなく、カーラ・アウシェヴィッチの太刀だった。