白邪「知るかんなもん1日遅れやがって」
ヨエル「だって昨日作者がメルブラの大会見ててさ」
白邪「そりゃ、締め切りとかないけど」
ヨエル「しょうがないじゃん(怒)」
白邪「一人で逆ギレすんな」
人狼の寒波によって絶対零度の世界となった駅前付近一帯は、一気に通常の気温に引き戻される。
その気温こそ冬なので別段暖かいものではないが、これまでこの吹雪に立たされた者たちからすればこれ以上ない春だろう。
「──────消えた」
その中に、その男はいた。白邪とクロエが疲れて倒れているその遠くに、一人の男は立ち続けていた。
「暖かい。あの1分、オレは何をしていたのか」
彼も、いち人間として、過去はあった。
────彼は混血に生まれて以来、人間の血肉を喰らわなければ生きては行けなかった。それは、生き物として、人狼の混血として、必要なシステムだった。だが、彼にはそれは出来なかった。それが何故かは、彼にも解らないが、とにかく、初めは人の肉を喰いたくないと、彼は思っていた。
だが、やはり栄養は必然と必要になってくるし、適度に摂取しなければ、失調症を起こす。彼も、生き物として生きるために、今日を、明日を、生きるために、なにかを口にしなければならない。呼吸をしなければ死ぬし、食事を摂らなければ死ぬし、水を飲まなければ死ぬ。
彼は散々悩んだ挙げ句、生きるために食べることにした。
そうして、彼は人々から離れる。そうして、彼は自身の行く道から、愉しみを失った。
ただ、より強い相手を求めて、その戦利品として肉を喰らうようになり、強者と戦うことだけを楽しみとして。
「だが────」
今の一瞬は、彼の持つ記憶にはなかったものだ。これまでに、人を見てその生き方に感嘆するなど、彼にはなかった感情だった。
あの男は、人と混血が、互いに解り合える世界を創るだなんて、叶いもしない夢物語を口走っていた。
とんだ綺麗事、余計なお世話だと思っていたが、彼の眼は本物だった。あの男は、本気で混血と人間が協力し合う世界を創ろうとしていた。今にも走り出しそうな眼差しで、やってみせると言っていた。その様子に、彼はなんとなく、心の何処かで憧れを持っていた。
「この心が、オレが忘れた記憶か───」
男は亡霊のように、そこにいる。燃え尽きる最後の炎のように、薄れていく影。
男はその最期を悔やむでもなく、宛のない未練を憶えるでもなく、世の苦しさに嘆くこともなく、ただ一人余韻に浸っている。
「なんとも、温(ぬく)い感情か───」
男はただ空を仰いで、ただ、時が流れるのを待つ。
カーラ・アウシェヴィッチは、最期の聲を遺して、最期の思い出の欠片と共に、雪のように溶けていった。
「あぁ、つっかれたぁ──────」
唐突な脱力感に襲われて、俺は地面の上で仰向けに寝っ転がった。
空に浮かぶのは星と雲。月は雲に隠れて見えない。
とりあえず、なんとか終わらせることができたというのはわかる。嬉しいのは嬉しいが、今はとにかく、休みたかった。
一息ついて、ようやく身体は動くことを許してくれた。血刀を仕舞うと、俺の身体はだいぶ楽になった。
血刀は俺の血から生成されるだけあって、造って取り出すのも結構辛い。それだけの血が不足するからだ。戻せばこの通り、さっきよりかは元気が出てきた。
「中村くん、大丈夫ですか?」
となりで先輩の声がする。先輩はあんな激闘を繰り広げた直後にも関わらず、元気に立っていて、俺の背中を持ち上げて心配してくれている。
「まぁ、なんとか」
しかし、よく俺生きていたもんだ。折角死ぬ覚悟で来たのに。
「俺、全然普通のままだな」
俺は人間を捨てて反転を起こしたはずだ。
だが、俺の理性と知性は最後まで焼ききれることはなく、結局、俺の人格にはなんのマイナスも起きなかった。
やはり、俺は鬼人の力を巧いこと制御できるのか。これほどにまで、鬼人に近付いて、俺の理性はよく生きているものだ。まぁ、少なくとも寿命はかなり縮まったかもしれないが。
「────じゃあ、帰ろうか、先輩」
「はい、帰りましょう、中村くん」
立ち上がって、俺は重たい身体を引きずって、先輩と並んで家路についた。
「これか─────」
俺は少々、とある家系の文図を辿っていたところだ。
遠野、鬼種の末裔と聞いているが、未だこれといって大幅な反転を起こした報せはない。まぁ、仮に反転したところで、俺であれば直ぐに潰すことは容易いのだが。
そして、これはその遠野の家系図だ。
遠野、軋間、斉木、有間、刀崎、そして久我峰………
どれも混血の家系か。では、この家はどの家系なのか。もう少し、家系図を眺めてみると、古い古い家系から現代まで続いている家系を一つ見つけた。
「中叢………?これは鬼との混血ではない分類か。遠野が鬼と交わる前の時代の分家。なるほど、その後、鬼人と交わって鬼人との混血か」
中叢は寿命が短い。やはり魔が宿ると言うだけあって、人間として生き長らえることができる期間が短いのか。三代前なんて、なんと30代で死亡している。
先代である中村桐柳(なかむら きりゅう)は先祖返り、紅赤主の状態になったがために身内に殺害されている。その日にその件に巻き込まれたか、妻である汐音(しおね)も死亡している。
そしてこの先代桐柳とその妻である中村汐音の間に出来たこの3名の子供が、今代の者か。
戸籍上では、養子として伊賀見家の五人姉妹も引き取られているのか。………な、伊賀見?なぜ、伊賀見がこんなところに?
「なんだ、この頭の可笑しい戸籍は」
遠野も大概呪われているが、中村はとても家系図とは思えない形を取っている。
伊賀見が養子なのはまだいいが、伊賀見の戸籍を見てみるととんでもないことになっている。伊賀見の子供と中村の子供が同じ名前?この伊賀見範安、中村範安という人物は誰だ?
「まったく、なかなか特殊で読めない名前だな、のりやす?のりあん?」
ページを捲っても今のを超える謎は見当たらない。
ふと、ページの間から、鍵が出てきた。古く、酷く錆びた黄土色の鍵だ。もともとはもう少し綺麗な色をしていたのだろうが。
すぐそこに、埃をかぶった机があった。そこの引き出しは1ヵ所だけ鍵が掛かっている。まさか、この引き出しの鍵をこんなところに隠しているとは。鍵を穴に差し込んでみる。古くなっているものの、かなりすんなりと鍵は入った。鍵を開けて引き出しを引っ張ってみる。
「なんだ、これは」
中に入っていたのは──────
「あら、こんな夜更けに父の部屋に何の御用ですか?」
「──────!?」
顔を上げると、そこに少女がいた。少女とはいっても、もうすぐ成人するのだろう。この風格からすると、この女がこの家の主なのか。
「まずいな、ここは、逃げたほうが賢いか────」
俺は今回ばかりは混血の殲滅に来たわけではない。襲撃の際ならばここで容赦なく殺していたが、生憎と今日は暗殺するのはナシなため、武器を持ってきていない。そうなれば素手で潰すか…………?
「しかし、変わった御方ですね。玄関のノックも呼び鈴も鳴らさず、そもそも玄関も裏の勝手口も通らずに押し入ってきたかと思えば、そこの窓から入ってきたのですか?ここは三階の筈ですが」
「失礼。少し気になることがあっただけだ。だが、用は済んだ。俺は帰る。」
「いいえ、お客様に何のおもてなしも無しにお帰りになられては困ります。気になることは、わざわざ資料など読まずとも、私に直接お訊きになればよかったのですよ。事細かにお教えさせていただきます。それより、私からも一つ、貴方にも質問がございます」
「なんだ」
「何のためにこんな所へわざわざいらしてくださったのですか?」
女は冷たい目で俺を見つめる。まずいな、これ以上放っておくと命の危険に繋がり兼ねない。武器を置いてきたのが失態か。この女、見た目可弱いが、恐らく非常に強力な混血だ。人間の血を多く含むものの、その血の質は最高。混血の答えとも言える存在だろう。こんなモノを武器無しで相手するのはやや後手を踏むことになるかもしれない。俺は生粋の魔に近いほど不利になる。そも、俺は暗殺を生業とする。魔と真っ向からやり合うことは厳しい。
────かくなる上には。
「─────くっ!」
窓ガラスを突き破って外に飛び降りる。高さ三階。常人ならば飛び降りれば重傷。だが、近くにあった木の幹に脚を添えて落下の勢いを軽減させ、1.5階分の高さから着地する。そのまま俺は風のように走り出し、この広い屋敷からの脱出を図る。
「お待ちなさい」
前方から声がしたかと思えば、先程の女が俺の前方にいた。馬鹿な。俺の逃げ先を暴いた挙げ句、俺の疾走に先回りしたというのか。
女の髪が赤く光る。まずい、魔の力を行使する気だ。その前に止めなければ。
「一風(ひとかぜ)───!!」
俺は脚を伸ばして女を遠くへ蹴り飛ばした。これで距離が稼げたはずだ。他のルートを通って外に出よう。進む道を変える。屋敷の建物から森を通って外に出るのは不可能だ。屋敷の前を通るルートで行こう。後ろにはたしか、白い屋敷があって────
「なに───?」
後ろに見えるはずの屋敷が、無い?向こうに見えるのは、相変わらずの木々ばかり。方向を間違えたのかと、辺りを見渡すが、何も見えない。全てが、木々。ただ、木しかない、永遠の森。
「皮肉ね。貴方はこの森に逃げ込んだ時点で一貫の終わりだったのよ。この「彷徨(まよい)の森」を訪れた者は、誰一人として私の目からは逃れられない。そして、何人たりとも、この森からは抜け出せない。出口を探したところでそれは無駄なことです。何故なら、この森の出口は【私が消してしまった】のだから」
「──────馬鹿な」
消した、だと?この女は、この屋敷の領域であれば、自由に空間の操作ができるというのか?そんな、魔術師でもないただの混血に、そんなことができるというのか?
血の能力の規模が恐ろしい。今まで血で火を炊く者や、血を刃とする者は見てきたが、血でこの空間を操作するなど、こんな大物は初めて見た。
否、関係ない。あの女を倒せば、力が解除され、この森は元に戻る筈だ。奇跡的にも、いつもの棍棒は持ってないが、短刀だけは持っていた。あの女を仕留めるには容易い。鬼の力など、この程度────
「これが、鬼人の血の力です。お分かりになりましたか?」
「鬼、人─────?」
それでは、ここは─────
「当主として歓迎致します。ようこそ、中村邸へ」
「中村くん……?急にこんな所へ連れてきて、どうしたんですか?」
俺と先輩は、二人で人気のない路地裏までやってきた。ここなら、一目に付くことはないだろう。
「中村くん………?」
「先輩、これ」
俺はそう言って、先輩に血刀を手渡した。
先輩は握るのは握るが、自分が何をすればよいのか、俺が何をするのかが分かっていないようだ。
「─────先輩」
言えない。言いたくない。今から、言うことは、俺と先輩の距離を遠く、遠く遥か彼方その向こうに引き離すだろう。
先輩との日々を終わらせたくなくて、俺は言えない。
けれど、言わなければならない。そうじゃないと、俺は先輩を救えないから。
力になりたい、けど、俺は、終わらせたく、ない。
「先輩は、俺を殺しに、この街へやってきたんですよね」
「───────」
先輩の身体が、揺れた。そう、だよな。その為に、ここへ来たのなら、俺がそれを言ってはいけないのだから。
「中村くん、それは」
「俺、気づいていたんです。初めて会ったときから、なんとなく先輩が、俺のことを知っているような気がして」
そう。あの鳥小屋の一件のとき、先輩は俺の噂を聞き付けたと言っていたが、そんな筈はない。
昨日お昼ごはんを食べていた時も、俺がアスナ経由とはいえ、借金取りをやらされていることを知っていたし、何より、
「俺が鬼人だって、知ってたんでしょう?」
あの発言、俺はいつまでも覚えている。「吸血鬼は鬼人と同じ、いてはならない」と。何もかも、なんとなくだ。けれど、その「なんとなく」は、意外とそこらじゅうにあるもので、そして、その全ては、矛盾や前提の食い違いを引き起こす。
隠していたって、いつかはそうして丸裸になってしまうのだ。
「俺は、先輩の力になりたいんです。けれど、もし俺が先輩の力になれるとしたら、カーラを倒す手伝いをすることなんかよりも、きっと、俺自ら首を出さなきゃいけないんだって思ったんです」
さっきは鬼人になって一人で死のうと思ったら、運良く死に損なってしまった。ほんとは先輩の手間すらも省こうとしていたが、それは出来なかった。となると、あとは先輩にやってもらうしかない。
「──────」
先輩はただ無言で俯いている。この行動が見られる以上、本当に俺の予想は図星だったようだ。まぁ、だからといって俺の心境がどうこう変わるわけでもないが。
「────いいえ」
先輩は俯いたまま、首を横に振る。その仕草はなんとも弱々しくて、俺はなんか自分がやらかした錯覚に陥った。
「────いいえ。そんなこと、できません」
先輩の声は震えている。まぁ、確かにターゲットが自首してきたら動揺は隠せないだろう。しかし、その声は、驚きでも、戸惑いでもなかった。
「どうして、どうして先輩は俺を殺さないんですか。どうして、先輩は、泣いているんですか。こんなこと、手慣れているんじゃないんですか」
俯いているから、先輩の顔は見えない。けれど、その顔からは、小さな雫がほろほろと滴っている。今の先輩と闘ったら俺は圧勝できる気がする。それくらい、今の彼女は、可弱いただの女の子にしか見えなかった。
「───できません。わたしは、そんなこと、したくないんです」
震える声は、振り絞るように出されている。いつものしっとりとした声はいつの間にか、なにかを堪えるようながらがらとした詰まった声になっている。
「どうしてですか。これは、先輩の仕事じゃないんですか。先輩は────」
その泣いている少女を慰める余裕はない。そしてその必要はない。だって、彼女は。
「先輩は、人を殺すことが仕事なんでしょう?」
俺には到底わからなかった感情だ。どうして、たくさんの人を殺しておいて、あんなに平然とした態度でいられるのか。どうして、俺の前であんなに笑えたのか。わからなかった。人を殺したら、俺のように、一生涯の自暴自棄に苛まれるはずだ。なのに、この人は、人を殺すのが当たり前すぎて、人を殺すことになんの感慨も持たない。
「人を殺すのが、先輩の仕事なんだろ。人を護るのが先輩の仕事なんだろ」
「はい。わたしは、街の人々を、守る、ために、ここに……………」
残念ながら俺は誰にでも優しい訳ではない。なんなら、俺は今、相当我慢している。怒りを堪えるのに精一杯だ。目の前にいる殺し屋、その顔面を今すぐこの右腕で殴りつけてやりたい。今まで彼女に殺されてきた人間の分を。
【消費】されていった人の命。その尊い命は、全てが先輩のお給料として消費されていった。【犠牲】ではない。【消費】なんだ。カーラは最後まで人であり続けた。俺がカーラを殺せなかった理由はカーラが強すぎたからじゃない。俺が弱すぎただけじゃない。カーラが【人】だったからだ。でも、人狼は、俺たちの力を合わせれば、圧倒できた。それは、対象が人間かどうかだったんだ。最初、俺はカーラを殺してやりたいと思っていた。けれど、知らず知らずの内に、俺は、カーラに対する殺意が消えていった。
人狼を殺すのと、人間を殺すのは、全然違う。それを、彼女は、ただ混血だっただけの、人間たちを葬り去ってきた。あのカーラに対する態度を見てみろ。あの勢い、先輩が強ければ、カーラを殺していたのかもしれない。
「先輩、それは違う。先輩は、街の人々を守るためなんて嘘だ。先輩は、カーラ、あいつらの命のことが全く分かっていない。カーラも、俺も、血だけは、人じゃない。だけど、俺たちだって、人並みに生きていこうと願っていたんだ。そのために、努力し続けていたんだ。たくさんの時間を裂いて、たくさんの思い出を得て、たくさんの人に会ったんだ」
それを、この人は─────何でもないように。ゴミのように切り捨てていった。
「もし、皆を護りたいんなら、他人の血をぶちまけるんじゃねぇ!!!!」
これまでにない叫び声を上げた気がする。思わず頭がきぃぃんと痛む。
「だ………だって…………」
「だってじゃねぇよ馬鹿野郎!!アンタはなんにも分かってない!!人の命の大切さを、自分達のやってることの非道さを!!アンタが混血殺してどれだけ稼いでるのかは知らねぇけど、混血はアンタらの銀行じゃねぇんだよ!!」
怒りの矛先が分からなくなって、とりあえず何かを殴りつけたくなって近くにあった室外機を勢い良く殴りつけた。べこん、と音を立てて室外機の蓋が凹む。
先輩が身体を抱えて俺から離れていくずるずると後ろに後退していく。俺が怖いのか。知るかそんなこと。彼女が命の大切さを理解するまで、俺は幾らでも暴れ続ける。ちなみに言うと、俺は鬼人の状態で暴れまわっている。こっちの方が、雰囲気があるから。死ぬかもしれないぐらいに思わせておけばいいだろう。
「人間はな、色んな種類がいる。アンタにも言い分はあるんだろう。でも、理由がなんだって、人殺しはいけないことなんだ。どんな人種でも、人権だけは保証されているんだ。混血だから人権がないなんて、そんな腑抜けた冗談要らねぇ。もし、それでも分からないんだったら、相手が先輩でも、俺は絶対に許さないからな」
先輩に詰め寄る。その両腕を掴んで壁に抑え着けて逃げ場を完全に封鎖する。
俺は今、自分がどんな顔をしているのかはわからない。けれど、俺は過去一番怒っている。それこそ自分が何をしているのかを忘れてしまうくらいに。俺は先輩に介錯を求めていた筈なのに、いつの間にか、俺が先輩を諭すだけになっている。
「アンタは厚かまし過ぎるんだ。それこそ人をゴミのように扱っておいて、いざ殺せと言われたら思い出したように首を振る。あのな、今だけ猫を被ったって、中から狸が出てきたらイミがねぇんだ。本性が変わんねぇんだったら、何したってなんにも変われねぇ。イチから考え直せ。自分があいつらだったらどんな気分になる?自分の周りの大切な人が、【生きているという罪】で、ゴミのように扱われて、資源としてただ人間らしく扱われずに消費されたら。生きていることに罪なんてないんだ。そんなものがあるなら、俺たちは産まれてなんていない。俺はな、罪のない人が犠牲になるのが大嫌いなんだ。勘違いで冤罪になったりとか、魔女狩りを受けたりとか、ヘイトを受けたりとかな。俺はそんなのを見つけたら片っ端からブン殴ってきた。俺は良くアンタを殴らずに済んでいるよな。それはな、俺はアンタを信じていたからだ。俺は、先輩に、そんな風にいて欲しくないから、まだ、先輩がそんな人じゃないって、信じているから。先輩はまだやり直せる。罪は消えなくても、今から心を入れ換えれば、まだ先輩は俺の知っているクロエ先輩、善人になれるはずだ。俺なんかよりも、未来が有望だからな。誰かが、きっと、変えてくれる。でも、今じゃないとダメだ。そうじゃないと、先輩は、また罪を背負うことになる。また、間違ったことをしてしまう。俺を殺すなら、勝手にしてくれ。けれど、その代わり、これからは、心を入れ換えて、二度と、混血だからといって人でなしのような扱いをしたりしないでくれ。そのために、先輩の力になれるなら、俺は喜んで死んでやる」
先輩から手を離して、俺は何もしなくなった。先輩は壁から離れて、止まったかと思えば、いきなり骨が全部抜かれたように、前のめりに倒れる。
「────────」
倒れる身体を支えておく。先輩はただ、俺の腕にしがみついてくる。
「う…………ううぅぅ…………」
嗚咽を堪える声は未だに残り続ける。
とりあえず俺は怒るのを止めたが、止まってみたら罪悪感らしきものが残る。いや、俺は間違ったことはなにもしていない。けれど、女の子を怒鳴り付けて泣かせるとか、如何な理由があろうと俺が悪者だ。その、あれ、立場とか論理の問題じゃなくって、構図の問題。
言い過ぎたかな、と今さら考え直す。知らない内に暴言吐いたりしてないかな、と自分の頭のなかで俺の台詞を反復する。いや、口調が荒くなっただけで、多分、問題ない。いや、馬鹿野郎は、アリだよね。流石にいいよねそれはな。
「う、うぅ──うぁぁぁぁぁぁ…………」
だからソレやめてくれよ!?俺が悪いみたいになっちゃうじゃん!?
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…………!」
「いいや、解ればいいんですよ、先輩」
泣いている女の子を慰めるのは苦手なんだけど、やっぱり俺、家で唯一の男だし?優しくしてやることも覚えておかないといけないのか。自分が泣かせたら、後始末はつけなきゃいけないよな。
ひとまず、泣いている先輩を優しく抱き締めて慰めておく。
どうしよ、俺嫌われたかもしれない。
「先輩、もう俺怒ってないから。大丈夫だよ」
「はい…………」
俺は自分に身体を預けてくる先輩の体温を感じながら、安堵していた。
これなら、きっと、先輩は過ちを繰り返すことはないだろう。俺は、先輩の力になれたんだ。こうして、先輩に生命の大切さを教えてやれたのだから。
「中村くん。」
「何ですか?」
「わたし、中村くんのことは、殺せません」
「またその話ですか」
「はい。だって中村くんは、大切なひとですから」
先輩は急に俺の顔をみたかと思えば、にっこり笑ってそんなことを言ってきた。
「──────っ!!」
今のは、ダメだよ。俺の理性が焼き切れる。その、反転とかじゃなくて、普通に欲が理性を壊しちゃうから。
「…………今のはずるいですよ」
俺たちは気が付けば、さっきのことなんか全て忘れて、またいつものように笑い合っていた。だから、命っていうのは尊いんだよ。こうして、誰にでも、等しく幸せはあるのだから。
俺たちは、この一瞬こそ、ほんとうに何もかもを忘れてしまっていた。
もちろん、同じ時を過ごす互いが愛しくて、今が夜遅くなのもすっかり意識の外だった。