学校終わりの帰り道。
「げほげほ、お疲れさまです、クロエ、げほげほ、先輩」
「大丈夫ですか中村くん…………喉カラカラじゃないですか…………」
あぁ。散々歌って、もう喉が、掠れて………砂漠化現象を起こしてしまっている。
「はい、これ飲みますか?」
先輩がほうじ茶の入ったペットボトルを差し出してくる。日本茶好きな俺にとってそれは最高の餌。
「いただ………きます………」
ペットボトルをキャップ粉砕するくらいの勢いで開ける。喉へと一気に流し込むほうじ茶。
「あー、美味しい!ありがとう先輩、喉無事治りました!」
「はい、よかったです」
先輩もほうじ茶飲みながら言う。
それ以降は、二人静かに黙って歩き続ける。
「……………………………」
「……………………………」
いやぁ、気まずいな。一緒に帰るときに話さないとか、幾らなんでも気まずすぎる。なんか話さないといけないのかと思ってしまえば、あんまり話しかけないほうがいいのか。怒っているのか、悲しいのか、別に何もないのか。
「中村くん、今日はおうちに居ますか?」
「そうですけど、先輩はアレですか?また夜の徘徊?」
「はい、今日も死者を倒し、吸血鬼、ロアを追うために街に出る予定です」
先輩は退魔組織だからか、街に出なければならないようだ。
あれ?先輩の狙いは俺なんだから、街に出る必要も、ロアを追う必要もないはずじゃ………?そんな素朴な疑問は、すぐに俺の頭の中から消えていった。
それよりも。
「先輩、俺、一緒に徘徊していいですか?」
「え?」
先輩が耳を疑う。
「俺、先輩のお手伝いがしたいです。先輩が見逃してくれたんだから、今度は俺が先輩のためになりたい」
そう。この身は昨日死んでいたはずの体。
先輩から貰った命を、俺は先輩のために使わなければならない。
何より、俺はできるだけ、先輩の傍にいてやりたい。
たまたま見逃された俺。この死刑には執行猶予がある。その猶予、俺が生きていられる間は、やっぱり人生のうちで大切だと思った、俺のやりたいことをやっておきたい。
俺にとって、それは先輩と一緒に居ることなんだ。
「お、お手伝いだなんて、中村くんには、戦う理由がないじゃないですか!」
「ある。理由なんて十分にある。俺は先輩と一緒で、吸血鬼が許せないんだ。吸血鬼を倒して街を救うまで、俺は戦い続ける」
「───────」
先輩はそれっきり、若干切なそうな顔をして黙ってしまった。
時は容赦なく過ぎていく。夕焼けはゆっくり沈んでいき、通行人の一人もいない道を俺たちはただ歩いていく。
まぁ、それもそうか。昨日の件もあったし、話しかけづらいのかな。そうだ、ふとこんな話題を振ってみよう。
「先輩、結局、なんで俺を見逃したんですか?」
そういえば、あんなことは言ったものの、俺は一応、死は受け入れていた。だけど、先輩は結局俺を殺すことはしなかった。あんなことの後だからやりづらかったのか、いや、先輩はそんな人ではない。やることはやるタイプだ。
「────────」
先輩は昨日のように俯くこともせず、ただ黙って考えている。
先輩は夕日を背に考え込んでいる。その姿が、何となく美しかった。
さて、暫く黙って考え込んだあと、先輩はゆっくり口を開いた。
「中村くんのことが大切だから、じゃ理由にならないですか?」
先輩はただ、にっこりと笑いながら、それだけ言ってまた黙ってしまった。
「────なんだい、それ」
思わず呆れてしまう。大切だから見逃すだなんて、俺にはない考え方だ。
俺は、人は殺さない。だけど、先輩は必要とあれば人を殺すことも辞さない。
先輩は、大切な人を傷つけない。けれど、俺は大切な人であっても、目的のためなら怒る。
人間とは、不思議な生き物だ。正義だ正義だ言ったところで、最後は自分達の都合で決めてしまう。相手に同情を掛けてしまう。すぐに周囲のことばかり考える。
そんなものの何が正義だっていうんだ。確かに悪ではないが、寧ろまっすぐな悪のほうがよっぽどたちが良い。
歪んだ正義だなんて、そんなものが社会の何に役立つっていうんだ。
人間の社会には、いろいろな不条理と不合理で満ちている。理屈でも倫理でも説明できない、そんな矛盾が蔓延っている。単純に生きている生き物でない人間には複座な事情で溢れている。
あぁ、嘆かわしい。人の世と相容れない生き物が、人の世を顧みるなど。人間の世界はこんなにも醜くて、それだけ言葉では言い表せない何かがあったなんて。
それこそ数えきれないほどの紆余曲折を経て、この濁った世界が生み出されたのか。
けれど、言っている俺も、ただ先輩と居たいという自分勝手を街のためだと正当化して、方便の如く嘘を吐く。
「……………………………」
───つまるところ、人間の正義っていうのは、自分らが勝手に正当化しただけの、そんな宛もない信念という訳なのだろう。
帰ってきて、俺は屋敷の門を潜り抜けた。
門から玄関へと続く屋敷の中の一本道。正確には途中道のど真ん中にでかい噴水があるからそこは迂回しないといけないのだが。
とにかく、その噴水までの50メートルを歩いていく。
道の脇にはたくさんの庭木アート。どれもクオリティはプロの域を越えている。現役のプロ庭師がこれを見たら思わず後ろに尻餅をつくだろう。
「凄いな………これ」
毎日見る光景なのだが、今や甜瓜さんの趣味と化しているため、結構頻繁に新作を見ることができる。
今日もその延長か、天高く昇っていく麒麟が堂々と置かれている。
葉っぱ一枚の乱れもない。必要な葉だけを使い、余分なものは一枚足りとも余さない。如何なる手を使ってこれを作り出したものか。
「白邪さま~!!!」
「うわぁっ!?」
だぁん、と後ろから人間の体重全部がのし掛かり、俺は勢い良く地面に転げた。
甜瓜さん…………ホントに元気だな。
「痛た………何してるんですか、甜瓜さ…………」
「白邪さまぁ~お帰りなさいませ~♡」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
仰向けに倒れる俺の上には甜瓜さんが。
そして、その右手にはなんたる恐怖か、鎌が握られていた。
まさか、山姥(やまんば)がこの屋敷に現れた!?
「あ、ごめんなさ~い。ちょっとはしゃぎすぎちゃいました」
てへ、と甜瓜さんは俺の腹からぴょんと飛び退く。
「いや、そんなモノ持ちながら止めてくれ………危ないだろう。ひょっとして、何か作業していた最中だったかな?」
「はい!草刈りアートに挑戦してみたんです!まだまだへたっぴですけど、お時間がありましたら是非ご覧になってください!」
甜瓜さんはてくてくと向こうに歩いていく。俺も興味を持ったからついていく。
すぐそこの何もない広い空間に、ぽつんと背の高い脚立が置いてあった。
「─────?」
いくらなんでも不自然過ぎる。乗れってか。脚立に脚を掛けて、その頂に登ってみると。
「げ───────」
マジか。滅茶苦茶クオリティ高い草刈りアートだ。しかも滅茶苦茶広い。具体的には体育館1個分の広さを誇る草刈りアート。
描かれているのは─────
「─────なにこれ」
変な形の模様、いや、マーク?だ。なんだこれ。下で座っている甜瓜さんに訊いてみる。
「甜瓜さん、何これ」
「あぁ、ボスニアヘルツェゴビナの国土です」
いや、わかるか!!!!!てかよくそんなの知ってるなこの人。地理が最大の得意分野の俺でもちょっと斜めなおおよそ三角の形をしていることしか知らないからな。それをこんなリアル地図みたいに描けるなんて凄いな。凹凸ひとつの歪みもない。
俺が脚立から降りたら、甜瓜さんは画用紙を持ちながら脚立に登っていく。そして紙を見てからそのアートを一望。
「なんか違うかなぁ、アドリア海付近が少し膨らみ過ぎているかなぁ」
滅茶苦茶難しいこと言うじゃん。まだやるんだこの人。
「おや、こんにちは白邪くん」
「げ、槇久の旦那……………」
帰ったら居間のソファに槇久の旦那が脚を組みながら偉そうに腰かけていた。この24歳モンキーそろそろ殴りたい。
「また仕事の話か?旦那」
「いや、そういうわけではないんだ。そうそう、君のお姉さんにも話したんだが君にも関連する事だ。念のため話しておく」
そう言って、旦那は組んでいた脚をまっすぐに戻して、真剣そうな態度を作った。
「君は、昨日夜の街を徘徊していたらしいから知らないとは思うんだけど、昨日この屋敷に侵入者が出たらしいんだ」
「侵入者?」
なんだよそんな馬鹿なこと。うちのセキリュティは確かにガバガバかもしんねぇけど、逆に入ろうとするヤツいないだろ。こんな荘厳なお屋敷に。
来るなら相当な物好きか、あるいはこの屋敷で盗みが働けると思った馬鹿か。
「ただの侵入者ならまだ良し、問題はここからだ。その人物は、君のお父さんの部屋に侵入し、その後君のお姉さんと対峙して撤退したそうだ」
「……………親父の、部屋?」
「そう。西館三階の隅にあるあの部屋。あそこに侵入してきたんだ。よりによってあの部屋が狙いとはね。どういう目的なのか。とにかく、そういう危険な人物が何かしらの目的で中村家をマーキングしていることが明らかになっているんだ。くれぐれも気をつけてくれ。頼むから、巻き込まれるなんてことがないようにしろ」
「おうよ、死んでも親父の部屋なんかには入らねぇさ。【あんな】不気味な部屋、二度と入ってやるもんか。それより槇久の旦那、この家、俺含めて何人居たっけ?」
「白邪くんとお姉さんと五つ子使用人の七人だけど、他に誰かいたかい?」
「────いや、いないならいいや」
ほんの気の迷いだったが、俺の間違いだったようだ。ひょっとしたら、もう一人の家族がいて、そいつがロアなんじゃないかなと思っただけだ。
旦那の言ってた、親父の部屋にある戸籍を見てみたいところだが、あの部屋にいくのはお断りだ。俺が行きたくない。
「────────」
ロアの転生先………俺は吸血鬼ではないし、メイド五つ子は論外。姉さんが吸血鬼なのは地球が裂けてもあり得ない。
「…………………………」
それじゃあ、白なのか。この家は。だとしたら、ロアは何処へ転生したんだ。
───青毛、教会を粉砕するほどの恐ろしいほどの破壊力、裕福な家柄、優れた血統、器そのものの力。
まるで方向性が読めない。これが中村以外で、どこの家柄の条件に当てはまっているのか。
(吸血鬼はいてはならない怪物です。鬼人と同じ、いてはならないんです)
「────まだ何か隠してるな、あの女」
なぜ吸血鬼を追うのか。その理由はわからないが、彼女がまだ、何かこの事件の秘密を握っているのは確かなことだ。
まさか、あの人がロア?いや、でも、アレは男だったし、俺たちがカーラと戦っていたのはアスナとヨエルがロアと戦っていた時だ。
わからない。昔から残っている永遠の違和感と、吸血鬼事件との関連性が一致しない。吸血鬼事件と、俺の過去は、また別なのだろうか。
──────だけど。
「アイツ、どっかで」
あの吸血鬼、俺はどこかで見たことがあるような。
……………歩いてくる黒い影。炎の中から現れる青毛の男。白い建物を覆う赤い炎。俺と一緒にいた、名前も知らない黒髪の少女。
二人で山奥にある病院の廊下を駆け抜ける。燃えている床の中、ありもしない出口を求めて走り回る。
後ろから、黒い影の集団が迫ってくる。ゾンビのように、せわしなく、そしてぎこちない動きで俺たちを追い回してくる。
俺たちを囲む黒い影。俺たち二人は終わりを確信していたところ、近くの部屋の中から、青毛の少女が現れて、俺たちを逃がしてくれた。
彼女のその後は、俺も知らない。
とにかく、黒髪の少女とともに走り続けた。出口を求めて一階に降りる。
待合室を見つけた。その先に、病院の入り口、出口が。
俺たちはやっと解放されると、歓喜のままに走り続けた。黒髪の少女は、真っ先にその出口へと飛び出していった。すたたたたたた、という軽快な動作。何も考えていない、単純な一直線。ただ、出口を目指した一方通行。それに続いて俺も走り出したところ、それが、死へと続く道だということを理解した。
少女の背後、出口の向かい側のもっともっと向こうに、青毛の男、この病院を黒い影たちで巻き込んだ犯人が、立ち尽くしていて、その様子を見ている。男はその雷霆を帯びた右手を掲げる。
同時に俺は、少女に何も言わずに、ただ、何も気がつかず、出口の外へと出ていく少女の背中に立ち、
その身体に自然の摂理を越えた雷鎚を受けた。
「───────っ!!」
突然、不可思議な痛みに襲われて、床に座り込む。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ────」
今のは、何だ。何の記憶だ。病院?何で俺は病院なんかに。俺は、いつ病院でそんな経験をしてきた?
「づ…………………ぅ………………!!」
気がつけば、俺は床で寝ていた。夢を見ていたのか。なるほど、今の変な夢は、そういうことだったのか。
「白邪さま!?」
突然、林檎が悲鳴を上げた。
「ん、林檎?」
林檎は震えながら、半狂乱になりながら、俺の左肩を見つめている。
「葡萄姉さん!白邪さまの傷が………!!」
林檎は猛ダッシュで廊下を駆け抜け、葡萄を呼びに行く。
──────見れば。俺のシャツのボタンは外れていて、俺の左肩から、朱色の血が垂れていた。
血を指でなぞってみると、血はすぐに取れたが、新しく血が流れることはなかった。もう血は止まっているみたいだ。
「─────なんだこれ」
俺の左肩には、酷い火傷を負ったようなアザがある。
これは昔からあったヤツで、確か、親父と闘った時に粉砕されたときの怪我だった筈だ。とにかく、これは俺が幼いときからあったものだ。
こんな、今となってはなんとも思わない傷が、どうして今さら開いたのだろう。
古傷は開くものなのか。こんなこと、今までなかったというのに。
「俺は─────」
俺は、一体。
何に生まれて、何に育ったのだろう。
あの記憶は、どこまでが現実で、どこまでが夢想だったのか。夢うつつな心持ちは晴れることはなく、俺はしばらくこの疑問を払拭できなかった。
左肩に、もう塞がったはずの傷を背負いながら。
中村長男を支える寡黙な使用人
林檎
性別 女性
身長 158cm
体重 49㎏
誕生日 6月8日
血液型 O型
好きなもの 書庫の整理、酸っぱいもの
嫌いなもの 不潔、辛いもの
専門 中村邸の清掃全般
苦手 裁縫
中村邸に使える五人の使用人のひとり。
中村メイド五つ子姉妹の四番目であり、姉である葡萄、蜜柑、甜瓜のことを、姉としても使用人としても慕っている。
中村邸では彼女の得意とする清掃全般を任されており、同時に白邪の専属のお世話係でもある。屋敷唯一の常識人であるため、客人を迎える際は緊急出動案件となる。
寡黙でクールな一面が多いが、意外とおしゃべりさんであり、白邪のことを気にかけてよく声をかけている。
生真面目な性格であり、使用人としての心構えは一番のもの。雇用主である絢世よりもあくまでも主である白邪の方を優先しており、白邪のためなら、時に絢世の命令に反することも辞さない、忠実な仕事人間。
堅いイメージが強いからか、白邪からは逆に心配されており、白邪からは無理をしないように言われているが、もはや気にも留めていないようだ。
清掃専門とはいえ、一応料理ができるようであり、カレーやシチューといった、工程が覚えやすい料理を作ることには長けているようだ。炊事担当である蜜柑が体調不良などのどうしようもない理由の際は、彼女の出番となる。…………のだが、料理は白邪のほうが手慣れているため、結局白邪が炊事を担当することになるらしい。
白邪の専属というだけあって、何かにつけて色々と抜けている白邪の身の回りの世話を行っている。特に、朝に弱い白邪を起こすことに関しては彼女も手を焼いており、毎日7回近く白邪を起こしているらしい。
なかなか起きない白邪を精一杯起こそうとする一方で、彼の死人のような安らかな寝顔を独り占めしているのは秘密の話だ。
赤い髪に赤い瞳、それから赤いエプロンが特徴の、遠くからでも分かる出で立ちの少女で、華奢な身体が何とも妹の印象を与えてくる。白邪の普段の様子を見るため、白邪の異変には真っ先に気付くことが多い。主の心配をする彼女の思いは、白邪の運命を変える…………かもしれない。
無論、白邪の運命はクロエに左右されているため、それはあくまでも【あったかもしれない可能性】の話だ。