「ふぅ…………酷い目に遭った…………」
さっき姉さんにぶちギレられたところだ。姉さんがどれほどの大声を出していたのか、携帯電話越しに何を言っているのかまったく聞き取れなかった。
多分どっかでFuc○ You的なことを叫んでいたのは聞こえた。
どうしよう、このまま先輩の家に居候しようかな。
まぁ、そんなことしたら俺は100%ヒモニートになる気しかしないし、何より、性に対して健全な関わりを持つべき男子高校生としての生活を放棄する可能性があるため、それは選択外として。
「まったく、何で俺ばっかり…………」
姉さんがなんであの異常な速度で電話に出れたのか不思議でしょうがない。
もう日付は変わっているのに、深夜12時半に電話に出る夜更かし当主とはなんだ。自分は起きてもいいのに俺は駄目だとか、なんだいそら。
ちなみに、夜更かししたことについてめちゃ怒られたものの、泊まることについてはぶちギレられなかった。さすがに車軸が如し雨の中、数キロ離れた屋敷まで歩いて帰れというほど、うちの姉は鬼ではない。
なので、どこに泊まるかは言わなかった。多分帰ったら訊かれるから、その時は紀庵の家に泊まったということにしておこう。
「────────」
んで、今は一息ついてお風呂を借りたのだが、二番風呂というだけあって、さっきからまったく落ち着けない。
残り湯、使用後のバスタオル、なんなら脱ぎたての下着。
かろうじて理性を保っているのが奇跡としか言いようがない。さっきからずっとドキドキしている。こんな感情を持ってはいけないとわかっている。
俺はあくまで、雨が酷いから泊まることになっただけなのに。ただ、これは先輩の思いやりっていうだけなのに。
「はぁ………………ぜんっぜん駄目だな、俺」
抑えなきゃってわかっているのに、溢れる感情が抑えられない。
そうだ。俺にとって、これは珍しいことなんだ。誰かを愛するなんてことは、中村白邪には今までなかったことなんだから。
「─────づっ……………!!」
首筋が軋む。発汗が止まらない。呼吸が荒くなり、体熱が放たれて、とにかく溶けるように熱い。だが、止めている場合ではない。
「はぁ………はぁ………はぁ………ッ!!」
かれこれこれで三回目の射精か。
ようやく、朦朧としていた意識が復帰してきた。
「あぁ………つっかれた…………」
脱力感が半端じゃない。ここ1ヶ月ぐらいコレが来なかったから、身体が慣れていない。
俺がこうして自慰行為をしていたのは性欲の発散ではなく、反転の予防だ。
俺はこうして、定期的に渇いてくる。この渇きを潤すために、鬼人の血を調節してそしてこうして抑えるかわりに他のものを吐き出して俺は理性を保っていた。
なにかを抑えるためには、なにかを使わないといけない。俺にとってそれが鬼人の力だ。
俺がさっき、廃工場を破壊したのは、俺の理性が焼け切れたとき、それを抑えるために使っていた鬼人の力が解放されて本気が出せたんだと思う。本来はあれが普通で、俺は自我を保つためにあの強大な力のほとんどを自己保存のために消費していたわけだ。
俺は血も必要なんだが、今回は足りなかった。最近は身体を酷使しすぎたからか、今まで以上に理性が保ちにくくなっていた。だからこうして最後の手段、自慰行為を利用して余分なものを吐き出していた。
「けれど」
この渇きは、どこから来るのだろう。
どうして俺は渇きを潤すために射精するのだろう。まるで意味がない。
なんで取り入れたいがために外に出すのだろう。行為がまるで矛盾している。
俺は、何をしているんだろうか。どうして、自慰行為を渇きを潤すために。
先輩の家は水道も通っている。お茶もある。風呂から上がれば飲めばいい。なのに。
欲が溜まった………?いや、そんな筈はない。あまりにも説得力に欠ける説明だが、そんなことでできるなら、俺はあの夢をみた今朝早速やってたはずだ。説得力皆無だけど。
鬼人の力を使っても足りない、もしかしたら、俺は鬼人の反転をこっちで防いで、まだ抑えられない【他のなにか】に鬼人の力を使っているのだろうか。
「いや、まさか」
そんなこと、考えたくもない。今はただ、風呂に浸かることだけを考えよう。こんな胡乱な頭で考察なんかしても時間の無駄だ。
「────まず、こっちが
教会の奥の部屋には、一人の女がいた。
言うまでもない、金髪のシスター、ルージュ・アスナロ。
真夜中の教会は驚くほどに真っ暗で、破壊されたことによって吹き抜けになっている天井から射し込む月明かりだけがそこを照らす。
はずだが、今日は生憎の雷雨。月が見えるはずもなかった。
礼拝堂に吹き込む雨風。ギリギリ屋根が崩壊していない場所でアスナロは作業を続けていた。自身が追い続けている吸血鬼、ロアを倒すために。
「────────」
ふと、礼拝堂の入り口が開かれた。外から人が帰ってきたようだ。
「あら、おかえり。ずいぶん時間掛かったのね。相当今日は忙しかったのかしら」
その主は答えない。ただ、無感情に、腰から吊るした剣を抜き、構える。
その様子を見てもアスナロは動じない。むしろ、「やっと来たか」と、抵抗の意志とら別の意味ですっ、と身構える。
その様子は上品で、淑やかな、花が咲くような動作だった。
「そう、ようやくその気になったのね。アナタの狙いは私でしょ?にしても、随分と面倒ばかり作ってくれたわね。まさかあの【ロアを庇う】なんて。自分が何してるのかわかってるの?ホントはロアを仕留めるのに2日と掛からない予定だったのに、アナタがロアを逃がし続けてくれたお陰で、半年以上もロアを探す羽目になったわ」
アスナロは武器ももたず、その両腕を構える。ロアと対峙したときの、その華奢な身体から放たれるとはとても思えない豪快な豪腕を振り回す気で満ちている。
「けれど、それももう終わり。アナタが自ら首を差し出して来たんだから。半年もよく隠し通したわね。お陰で、現界時間が長くなったせいで私もだいぶ弱体化しちゃったから。アナタの企みに気づいたのが一週間前なのよ、私もかなり鈍ったものね。自分の服に纏わりついた火の粉にすら気づかなかったのだから。それより、その血を一滴残さず埃のように撒き散らす前に、訊いておきたいの。アナタ、なんで私を狙ったの?ロアの差し金でもないんだから、ロアを守るためでもないんでしょう?」
「───簡単なことさ。君を封印すれば、これからの死徒殲滅が楽になるからさ。君を捕らえ、封印したあと、聖堂教会が誇る最強の対死徒兵器として仕立て上げる。その程度の能力が、【俺】にはあるんだ。ロアのことに興味はない。あんなヤツ、放っておいても死ぬシマリスだ。君を捕らえたら、ささっと潰しておくよ。君を連れるためには、ロアの存在が必要だっただけさ。だって君、ロアを倒すためにしか動かないんだろう?ロアを殺したら、君はもう一度、その身をあの城に封じて、二度とこの世に降りてこない。ならば、チャンスはロアが生きている間だけ。ならば、必然的にロアは守らないといけない。ロアを守っておけば、君と接触する機会ができて、そして君も弱体化していく。ロアは君をおびき寄せる餌でしかないんだよ。あんなものは後で適当な代行者に潰してもらうよ」
「─────────」
「俺は君を封印したあと、俺の兵器になってもらう。いわゆる、使い魔とマスターの関係性だ。最強の使い魔である真祖を手にした時、俺は真の意味で最強の代行者となる。いや、それはどうでもいい。とにかく、君を手にする目的は俺の一方的な企みじゃあない。ただ、この世の吸血種を消し去るための武器にしたいだけさ。悪い話じゃあないだろう?」
「いいえ、お断りよ。アナタなんかにこの身体は渡さない。ロアを仕留めて私は消えるわ。人間の世界に興味はないの。──私は、システムでしかない。吸血鬼を処断するための
アスナロは機械的に、言い切った。
花らしさは一気に枯れ、そこにいるのは、朱い無感情な瞳を掲げた、ただの機械。
「そうかい、それでこそ、それでこそさ!君に必要なのは人間性じゃあない、その存在意義に固執する、れっきとした
「────呆れた、埋葬機関には、ろくなヤツが居ないのね、エセキエル。いや、今となってはヨエル。もう死んでいるというのに元気なのね、あの日からずっと」
アスナロは、若草色のストラマントをかけたライム色の髪の男に言う。
「───名前、覚えていてくれたんだね。俺が眠いと偽って永遠の眠りについたあの日から、名前を変えて、姿を変えて、一人称も変えて生きていたのに、君はまだその名前を使ってくれるんだね。俺はまだ君に感謝している。あの日、俺が弱りに弱って、死にそうなときに「眠い、寝る」と言ったときに、君は優しく俺を死の床に寝かしつけてくれた。あの時は、正直殺意が薄れた、とだけ言っておくよ。…………どうせなら、君はルージュ・アスナロのままでいて欲しかったんだけど」
エセキエルは笑いながらも、悲しそうな顔をする。
「さぁ、天気は最悪だが始めようか、これぐらいの時間が経てば俺らはほぼ互角。最新の錬金術師として引導をあげよう、尋常に勝負だ、【アルクェイド・ブリュンスタッド】!!」
エセキエルはその手に持った装飾剣を振りかざし、一直線にアルクェイドへと斬りかかる。
「来なさい、エセキエル、元埋葬機関第七位───!!」
アルクェイドもその鋭い爪を振りかざして、走ってくるエセキエルを迎え撃つ。
俊足で迫る
嵐に揉まれる礼拝堂。雨にさらされ、風に吹かれ、雷に覆われ。
翠と金の疾風迅雷。
───方や死して尚もまだ生き続けた元埋葬機関の代行者。
───方や死する事を知らず生ける無敵たる真祖の吸血鬼。
「そおぉらぁぁぁぁぁ!!!!」
「うおぉりゃぁぁぁぁ!!!!」
刃と爪が、けたたましい激鐵音を立てて、火華と共にぶつかり合う。
その世界滅亡を告げる災害どうしの激突による衝撃で、礼拝堂に残っていたベンチが一斉に吹き飛び、ステンドグラスが一斉に砕け散った。
女神像に亀裂が入り、真正面に倒れた。二人が立つ地面は一瞬にして陥没し、ただでさえ倒壊寸前だった礼拝堂はより一層その痛ましさを極める。
もはや礼拝堂は原型を止めていない。そこは教会というより、魔王の城の最上階。勇者と魔王が1対1でぶつかり合うあのシーンを彷彿とさせるその一瞬の始まり。
暴風と大雨吹き荒れる中で二人がぶつかった瞬間、外では確かに、巨大な落雷が起きた。
白く光る外の景色。吹き抜けになって、さらに壁もほぼ壊れたために、その落雷による明かりは一番の灯りとなった。
────その中で彼等は確かに笑っていたはずだが、雷を背に浮かぶその顔は、どちらも笑顔ではなく、敵に向かう戦士が叫ぶ顔だった。
けれど、それは、とても楽しそうだった。
世界最小の混沌、此処に在り。
最強の代行者と最強の吸血鬼の闘いの火蓋が切って落ちた。