とあるトレーナーがジムリーダーになるまでのお話。
捏造てんこ盛りです。
ジョウト地方のトレーナー好きな方向け。
人物紹介
◾︎ラナンキュラス──主人公。お嬢様。色違いを研究している博士。
◾︎???──ジムリーダーの息子。鳥使い。
◾︎???──ジムリーダー。イケメン。
一
空気は淀み、濁っていた。
険しい山の奥深く、鉱物系のポケモンによって掘られた洞窟は、真夏の陽射しすら固く拒み、一寸先も見えない闇を抱いて侵入者を睥睨している。おそるおそる踏みだすも、ズバットやコラッタらの糞の臭いが鼻をつき、顔を顰めて仰け反らずにはいられなかった。
「本当にここなのか……?」答える声は無論ない。己の他に誰も居ないのだから。
流れる汗を拭う。テッカニンの鳴き声が喧しい。背中に当たる陽は暴力的なほど熱いのに、体の芯はうそ寒かった。
本当にできるだろうか。
たったひとりで、この難題を。
────いや。
羽織りに忍ばせたボールがかたかたと震えている。相棒の抗議に笑みが零れた。
そうだ。俺は独りじゃない。いつだって、こいつと共に生きてきたんだ。
「行こう」
己に、そして相棒に言い切る。ボールの震えはぴたりと止んだ。
ジムリーダーの息子として、自我が芽生えるより早くボールを握らされ、ポケモンの世話を命じられた。バトルの訓練が始まったのは五歳の時だ。
生まれを恨んだことは無い。他の生き方は知らないが、知る気もなかった。きつい修行も泣くほど悔しい敗北も、勝った時の喜びを知れば耐えられた。
「ホーすけ。フラッシュを頼む」
肩に乗せた
「ドーすけ!」
ドードリオを呼び出す。手持ちの中で二番目に古い仲間だ。
「ギャルル」
三つ首それぞれが喉を鳴らし、撫でてくれと頭を寄せた。力加減も回数も均等に撫でてやる。ほんのすこしでも差があると喧嘩が勃発するものだから、慣れるまでは随分骨が折れたものだった。
「立てるか? ……よし。頭はぶつけずに済みそうだな」
お世辞にも長居したいとは言えない場所だが、大事な仲間が俯きながら歩かずに済むほど天井が高いのはありがたかった。
出入口に穴抜けの紐を巻きつけたペグを打ちこむ。片端を握り、ドーすけに跨って、いよいよ探索が始まった。
左に曲がり、右に折れ、坂をくだり、また曲がって……いくつ方向を変えたかとても覚えていられない。手の中の紐がなければ遭難確実の複雑さである。
懐中時計の蓋を開くと、もう小一時間も経っていた。
「まだ着かないのか……」
そのとき、肩のホーすけが短く鳴いた。間を置いて一度、その後に二度。警戒を告げる鳴き方に緊張が走る。
「……何かいるんだな、ホーすけ」
「ホゥ」
ホーすけは、前方に延びる三叉路のうち、最も死角の多い左側をじっと見つめていた。生来備わった鋭い目が、闇に潜む何かを見透かしたのだ。
「ドーすけ、気合いだめだ」
「ギャウ!」
「そこにいる者! でてこい! 出てこなければ敵とみなし攻撃する!」
宣告は洞窟中に反響し、驚いたズバットたちが慌てて飛び去っていった。その羽音が聞こえなくなってもなお、闇の中の何かが動く気配はなかった。
「……っ、警告はしたぞ! ドーすけトライアタック! ホーすけは念力で軌道を修正するんだ!」
赤青黄、三条の光が螺旋を描いて飛翔する。ホーホーの思念によって、狙いは逸れることなく命中する──はずだった。
しかし、対象の目の前に突如現れた光る壁が、トライアタックを遮り、粉々に砕け散った。
「なっ……!?」
狼狽えたのは技が止められたからではない。凝った闇の奥から思いもよらない人物が出てきたからだ。
紫のバンダナにマフラーを巻いた姿。おっとりとした眼差し。見間違えようはずも無い。ジョウト地方でも群を抜いて有名なジムリーダーなのだから。
「マツバさん!」
「……やあ。奇遇だね」
片手をあげ、マツバは薄く微笑んだ。
二
「申し訳ありません! マツバさんに無礼な真似を……!」
平謝りするハヤトをマツバは笑って宥めた。
「気にするなよ。すぐに応えなかった僕が悪い。恥ずかしい話だが、少々足を挫いてね。難儀していたところだったんだ」
ハヤトははっと息を飲んだ。たしかに、ズボンの裾から覗く右足首が痛々しく腫れている。これでは立つのも辛かろう。迷うことなくドードリオの手綱を差し出した。
「どうぞ、ドーすけに乗ってください。歩くより楽なはずです。出口まで案内しますよ」
「ドーすけ……?」
マツバがきょとんとする。ハヤトは己の失言にみるみる顔を赤くした。
(しまった……人前ではニックネームで呼ばないようにしていたのに……!)
ジムリーダーたるものトレーナーの手本たるべし。いついかなる時も毅然とするべし。父親から耳にタコができるほど聞かされた言葉だ。その一環として、他人の前では愛称で呼ぶことを控えていたのだが、つい漏れてしまった。
「こ、こいつのニックネームです……。そ、そんなことよりっ、さあ、どうぞ!」
半ばヤケクソで促すと、マツバが困った顔で頬を掻いた。
「ううん……。申し出はありがたいんだが、そういうわけにもいかないんだ。この奥に用があるんだよ」
「奥、ですか?」
ハヤトは目を丸くした。
「うん。この洞窟の名前を知ってるかい?」
「は、はい。たしか、ぬばたまの洞穴、でしたよね」
「そのとおり。では、ぬばたまの意味を?」
「……すみません、わかりません」
父からここに行けと言われたとき、洞窟の場所や生息するポケモンの調査にかかりきりになって、名前の由来までは手が回らなかった。マツバは「無理もない」と首を振るう。
「大昔の言葉だからね。"まほろば"や"たおやめ"なんかと同じ、いわゆる古語ってやつさ。現代っ子の君が知らないのも当然だよ。
ぬばたまというのは、"月のない夜のように暗い"という意味を持つ。だからいま風に言い替えるなら、暗月の洞窟とでも呼ぶのが相応しいだろうね」
「暗月の……洞窟……」
まさにぴったりの名前だ。ホーホーのフラッシュがなければ己の手すら見えない暗闇に惑わされ、ここに辿り着くこともできなかっただろう。
「こういうところにはね……」壁に手を這わせながらマツバが言う。
「光を嫌うゴーストたちが多く棲みつくんだ。新たな出逢いを求めて意気揚々とやってきてみれば、奥の方で手強い相手に足をやられるわ、逃げる時に形見の指輪を落とすわで、もう散々だったよ。せめて指輪だけでも回収したいが、さてこの足でどうしたもんかと考えていたら……」形のいい指がハヤトを指さす。「……君が現れたってわけだ」
「なるほど……。そういうことでしたか」
ハヤトは得心した。同時に、感心せずにはいられなかった。
マツバはジョウト中のジムリーダーのなかでも上位の実力を誇る。数少ないゴーストタイプの専門家として、テレビやラジオに呼ばれることも少なくない。彼の地元、エンジュシティに聳える〈すずの塔〉の管理も任されているというから、その忙しさは想像を絶する。それでもなお修練を怠らない姿勢に、ジムリーダーのあるべき姿を見せられた気分だった。
ハヤトは力強く頷いた。
「そういうことなら一緒に行きましょう。俺も、この先に行きたいんです」
「やー、ありがとう。本当に助かるよ。まさに渡りに船ってやつだ。……ところで……君は何しに行くんだい?」
問いに、ハヤトはしばし黙した。マツバに語らせた以上、己も答えるのが筋というもの。掌をじっと見つめ、かたく握りしめた。
ここまで来たんだ。もう、後戻りはできない。
「修行、です。父に課せられた、最後の課題。俺はこれを、なんとしても達成しなくてはならないんです」
「……そうか」ハヤトの瞳に宿る強い光を見てとり、マツバは優しく目を伏せた。
「そうと決まれば善は急げ、だ。いやぁ、ドーすけの背中もふわふわで気持ちいいし、得したなあ」
「そ、その名前は聞かなかったことにしてください……」
赤い顔で俯くハヤトを、ドーすけが楽しそうにつついた。
三
洞窟を進むほどに水気は引き、じめついた空気もなくなった。歩きやすくなった反面、ますます闇が濃くなっていく。野生のポケモンとの戦闘も格段に増えた。マツバはホーホーのフラッシュが届かない暗黒をも見通せるらしく、時折「向こうは行き止まりだよ」とか「もうすこし左に寄るといい、岩にぶつかるぜ」「ワンリキーが狙ってるぞ、気をつけて」などさり気ない助言を与え、ハヤトをよく導いた。
(流石はゴーストタイプの専門家だ……闇に慣れてる)
ハヤトは舌を巻く思いだった。
そうして歩くこと更に一時間。唐突に道が切れた。
「うわ……!」
ハヤトが慌てて後退する。あと一歩踏みこんでいたら、ぽっかり空いた奈落に真っ逆さまに落ちていたところだ。
「地盤が崩れたのか? 見事な縦穴だな」
「向こうの道まで五メートルはあります。迂回しましょう」
こういうときこそ鳥ポケモンの見せ場なのだが、生憎人を抱えて飛ぶには穴が狭すぎた。ホーすけの念力で……とも考えたが、発動者の体重より重いものは浮かせられない。上位技のサイコキネシスも習得できていないから、結局戻るのが一番早そうだった。
だがマツバの見解は違った。
「それはどうかな」
「え?」
難色を示すマツバにハヤトは虚をつかれる。
「三叉路で出逢ってからずっと一本道だったろ? 迂回するとなればあそこまで戻らなくちゃならないが、君もきみのポケモンもそこまで体力は残ってないんじゃないのかい」
「あ……」
「なおかつ、迂回路があるとも限らない。ここは危険を承知でこの穴を下るべきだと思う」
「で、でも、マツバさんは足が……」
マツバは苦笑して、肩を竦めた。
「残念ながら、僕の冒険はここでいったんおしまいだな。なに、洞窟は逃げないさ。また日を改めて挑戦するよ。足の痛みもマシになってきたし、一人で帰れるだろ」
背にしたリュックから太いザイルを取り出し、ハヤトに差し出す。
ハヤトは悩んだ。ここまでこれたのはマツバのおかげだ。彼のサポートがなければハヤトこそ途中で引き返す羽目になっただろう。恩義ある怪我人を、本人の希望とはいえ置いていっていいものか。ためらう後輩に、エンジュのジムリーダーはきっぱりと言った。
「それ以上の情けは無用だ。……それとも、君の覚悟は、その程度の軽さなのかい」
「……!」
脳裏に父の姿が甦る。鳥ポケモン使いとして一生を捧げた背中を、幼い頃からずっと追いかけてきた。
死の間際、掠れた声で与えられた試練。涙をこらえて、必ずやり遂げると誓った。
軽いわけが、ない。
ザイルを掴み、頭を下げた。
「俺は行きます。……ありがとう、マツバさん」
マツバは微笑んだ。「もしも道中で赤い石のついた指輪を見つけたら拾っておいてくれ。──幸運を祈る」
身体にザイルを巻きつけ、壁を蹴りながら慎重に降下していく。緊張で滲む手汗が鬱陶しい。何度太綱を握り損ねて肝を冷やしたかしれない。顎先を大粒の汗が滴り落ちた。
「はぁ……はぁ……」
息が上がる。懸垂下降など生まれて初めてだ。間近で羽ばたくホーすけが心配そうに見つめているのがわかる。
「大丈夫……きっと降りてみせるからな……」
ホーすけに、というより自分に言い聞かせたその瞬間。
ふつり、とザイルが軽くなった。
「え」
ぐら、と身体が傾ぐ。世界の全てがスローになった。
叫ぶホーホーの嘴がやけにはっきりと見える。己の体が水平になり、頭が下になり、うつ伏せになって──ようやく、ハヤトは自分が落下していることを認識した。
「あぁああああああああ!」
絶叫は、虚空に呑まれて消えた。
四
父は寡黙なひとだった。
何を考えているのか、何に喜ぶのか。子供の頃は全く見当もつかず、近寄りがたいものを感じていた。
それを母に話すと、彼女は笑ってこう言った。
「目を見てご覧なさい。あのひとはね、口こそ重たいけれど、おめめはとってもおしゃべりなのよ────……」
「…………う」
鈍い痛みに耐えかねて目を開く。重い頭をなんとか起こすと、ホーホーが欣喜雀躍して頬ずりしてきた。
「ホーすけ……そうか……おれ、おちたんだ……」
直前の記憶が怒涛の勢いで思い出された。どれだけの深さを落下したのか定かでないが、かすり傷で済んだのは僥倖である。
ひとまず立ち上がろうとついた右手が、やけに柔らかいものに触れた。
「……ん?」
それは柔らかくて、温かかった。まるで、人の身体のように……。
「上の人〜? よかったらどいてくださいまし〜。わたくしそろそろお煎餅になってしまいそうですわ〜」
「うっ、うわぁあああ!」
ハヤトは飛び起きた。ハヤトの下にあったのは、正真正銘の生きた人だったのだ。
ホーすけが慌ててフラッシュを点ける。うつ伏せに倒れた少女は目にも止まらぬ速さで立ち上がると、ビシィッ! とポーズを決めてやにわに高笑いを始めた。
「おーっほっほっほ! 珍しい鉱石を見つけようと飛びこんだ洞窟でお昼寝をしていたら上から殿方が降ってくるとは! 世の中まだまだ不思議なことがたくさんありますわね〜! 事実は小説よりも奇なり! 愉快痛快万々歳ですわ〜! おーっほっほっほっほ!」
「な……な……」
ハヤトは声もでなかった。あまりの出来事に、完全に脳が考えることをやめていた。
少女はくるりと振り向くと、優雅な仕草で一礼する。
「あらためましてわたくし、色違いの研究をしておりますラナンキュラスですわ〜! どうぞラナンとお呼びくださいまし」
「ら、らなん、さん」
「はい! あなたのお名前はなんとおっしゃるの?」
「は、ハヤト、です」
「ハヤト! 素敵なお名前ですわ〜! ……あら? あらあら〜? なんて可愛らしいホーホーなんでしょう! あなたのポケモンですの?」
「あ、ああ……」
「ん〜つやつやの毛並みにふくふくのお身体……とっても愛されているのがわかりましてよ〜! あなた素晴らしいトレーナーですのね! ぜひわたくしのネイティもご覧になって!」
ぽん、と軽い音を立てて、コンペボールからネイティが飛び出してきた。特徴的な眼差しに長い冠羽。翼が黄色いのは色違いの個体だからか。「トゥ」と囀る声に、ようやくハヤトの意識がクリアになってきた。
少女──ラナンはおよそ現実離れした格好をしていた。長裾の白衣にフリルのついたスカート、赤いリボンで纏めた豊かな金髪。奇行に目を瞑れば文句なしの美少女である。
ともあれ、下敷きにしてしまった非礼を詫びようとするハヤトの耳に、上方からの風切音が飛びこんできた。
「危ない!」ラナンを突き飛ばし、その反動で右に飛ぶ。
間一髪、二人の間を空気の刃が切り裂いた。
「あら、ゴルバットの群れですわ! ひーふーみー……まあクッソ多いですこと!」
「くそ……厄介な……!」
ハヤトが苦々しげに言う。続々と集まったゴルバットたち、その数およそ十数匹が四方八方から一斉にエアカッターを繰り出してきた。当たれば痛いでは済まされない、危険極まる風刃の乱舞。そのなかを器用にすり抜けて、ラナンがハヤトの手を掴み、横の坑道へと駆けだした。
「ここにいたんじゃおミンチになりましてよ〜! 三十六計逃げるに如かずですわ〜!」
「だっ、だが! 逃げても追ってくるぞ!」
「それでいいんですわ!」
「なに……!?」
坑道に飛びこんだ瞬間、ラナンの指示が響き渡った。
「ネイマールっ! リフレクターっ!」
入口を塞ぐように展開した盾が、今まさに強襲せんとしたゴルバットを見事防いだ。後続は回避もできず、仲間を巻き込んで次々に激突し、ぱたぱたと地面に落ちていく。二、三匹は辛くも逃れたが、味方の姿に戦意喪失したと見え、脇目も振らず逃げ帰っていった。
「……凄いな」
ハヤトは呆然と呟いた。
もしも正面切って戦ったなら、こちらも無傷では済まなかったろう。多勢に無勢で切り刻まれるか、毒を喰らって死んでいたかもしれない。
そこをラナンは敢えて狭い道にいくことで相手の選択を狭め、一方向からの突撃を誘ったのだ。
ネイティもまた凄まじい。大量のゴルバットにぶつかられても、僅かなヒビすら入らない強靭な〈壁〉をいともたやすく作り出してみせるとは。
ラナンの度胸とネイティの技量、双方あって初めて成立する荒業である。興奮と戦慄で背筋がぞくぞくした。
(すこし、父さんの戦い方にも似てたな……)
相手の攻撃を躱し、受け流して利用する。父が最も得意とした戦法が重なり、ハヤトはなんとなく胸が締めつけられるような心地がした。
気絶したゴルバットの群れを乗り越え、縦穴を見上げたハヤトは眉間に深い皺を寄せた。
天井は気が遠くなるほど遠い。登るのも飛ぶのも現実的ではないだろう。とくれば別の道を探すしかないが、食料も薬も乏しい中で、果たしていつまで頑張れるか……。
何の気なしに首を巡らせると、地面に落ちたザイルを見つけた。
「マツバさん、無事に帰れているだろうか……」呟くハヤトの口がぴたりと閉じた。
背後から覗きこんだラナンが「まぁ」と声を上げる。
「先端がすっぱり切れてますわ〜! 見事な断面ですわね〜! 〈エアカッター〉で斬られちゃったのかしら!」
「……そうでしょうね」
ハヤトはそれ以上語らず、袂に仕舞いこんだ。
「行きましょう。目的地は近いはずです」
「ええ! 臨時の探検隊、出発進行ですわ〜!」ラナンがにこやかに拳を突き上げ、張り切って先頭を歩きだした。
大丈夫。きっと大丈夫だ。
マツバは自分よりずっと強い。たとえ足をくじいてたって、ゴルバットぐらい蹴散らして出口に向かっているはずだ。
大丈夫さ……きっと……
ハヤトは何度も自分にそう言い聞かせながら、ラナンの後を追った。
五
ラナンはとにかく不思議な少女だった。
歳の頃は変わらないのに既に博士号を取得し、世界各地を旅しているという。見つけたポケモンはすべて手描きで記録しているというので、研究手帳を見せてもらったハヤトは目を丸くした。
緻密なタッチで描かれた数々のポケモンたち。それはそのまま画集として販売できるほど完成度の高いものだった。
なにより驚いたのは、それほどに質の高い絵を歩きながら描くところである。
いまも、先の戦いで捕獲した色違いのゴルバットを模写していたが、凄まじい速さで筆を走らせつつ、同時に足と口も動かすのだから、並外れた器用ぶりだった。
「才能の塊だな、君は」
心からの賛辞にラナンはふふんと胸を張った。
「これしきのこと当然ですわ! でも褒められるのはいつだって気分が良くなるもの! もっとお褒めいただいても一向に構いませんのよ〜! おーっほっほ……あら?」
大笑いしかけていたラナンが小首を傾げる。
「なんでしょう、奥の方からなにかの鳴き声が聞こえましたわ」
「またゴルバットたちか?」
「いえ、もっと太くて大きい声ですわね」
「──まさか!」
ハヤトが駆けだす。隘路を走り抜けるとぽっかりと空いたホールに辿り着いた。おそらく、この洞窟を掘り抜いたポケモンの住処だったのだろう。しかしその姿は見当たらない。代わりに──……
「ようやく見つけたぞ……」
ハヤトが拳を握りしめる。
何年も追い求めた。父の死後、ずっと。
「今度こそお前を捕まえてやる! プテラ!」
一段高い岩の上、闖入者を睨みつけていたプテラが声高く咆哮した。
遥か昔に絶滅したはずのポケモンが、化石となって発見、復元されることがある。
プテラはそうした種のひとつだ。
ハヤトの父・ハヤテは、修行の一環で訪れたこのぬばたまの洞穴でプテラに出逢い、三日三晩の死闘を演じた末、結局捕獲することは叶わなかった。
その時の怪我がもとで世を去ったのだが、彼は死の間際までプテラを好敵手と呼び、その強さと美しさを語り続けていた。
そして息子に命じた。かのプテラに会ってこい、と。
『お前は充分強い。いつだってジムリーダーになれるだろう。だがふとしたときにやってくる気の迷いを打ち払う術を身につけておらん。
あのプテラと戦え。そうすれば、お前は単なるバトルの腕だけではない、ジムリーダーとして、人として、一番大切なものを得ることが出来る……』
何百何千と反芻した、父の最期の言葉。正直、大切なものがなんなのか、未だはっきりとは分かっていない。
(それを今日、ここで掴む!)
ハヤトの瞳に焔が宿る。片足を開き、おおきく振りかぶってボールを投げた。
「まずはお前だ、ドーすけ!」
意気軒昂とドードリオが踊りでる。敵を認めたプテラは悠々と翼を広げ、無造作に振るった。強い突風が周りの小岩を浮かせ、礫となって襲い来る!
「高速移動!」
六対の眼が礫ひとつひとつの弾道を見極め、容易に安全地帯を見出した。スピードを落とすことなく駆け抜ける。最後の一足でプテラの頭上に跳躍した。
「飛び蹴り!」
鳥ポケモン随一の脚力を誇るドードリオの蹴りを、プテラは僅かに体を反らすだけで躱した。大きく裂けた口がにんまりと歪む。
(こいつ……笑っている……!)
ハヤトの頭に血が上った。
何が愉しい。何が可笑しい。
お前が負わせた傷のせいで、父さんは……!
「畳みかけろ! ドリル嘴!」
高速回転する嘴が三方向から飛んできても、やはりプテラは余裕の笑みを崩さなかった。足場の岩から動かぬまま、翼を固くして防ぎきる。
地上戦では埒が明かないと見て、ハヤトはドードリオを引かせた。代わりにぺリッパーとエアームドを繰り出す。
「岩タイプのお前には辛いだろう! 喰らえハイドロポンプ!」
怒涛の勢いで噴射された水流がプテラを射抜く! ──しかし当たったと思ったのも束の間、何もいない虚空を虚しく貫いたに過ぎなかった。
「ギャッギャッギャッ」
天井付近を飛んでいたプテラが哄笑する。やつもまた、〈高速移動〉を覚えているらしい。エアームドが懸命に追いつこうとするが、プテラのほうが遥かに速かった。せせら笑うようにエアームドの背や翼を叩き落とし、じわじわとダメージを与えてくる。
ハヤトは奥歯を噛み締めた。半端な物理技は通じない。遠距離の大技も役に立たない。
どうする、どうすればいい。
焦りばかりが募り、胸の中に暗雲が垂れこむ。
あれほど強かった父が勝てなかった相手。
自分に勝てるのか?
……無理だ。
諦めるな! 父さんとの約束を反故にする気か!
でもどうする! どうすれば勝てる!
技を出しても当たらない! 当たってもまったく効いていない!
ならどうすれば!
……わからない……
しょせん、俺には無理なのか……
こんな強敵を、倒すなんて……
そう、惑う間に。
プテラの突進をモロにくらって、ぺリッパーが気絶した。
「ぺりすけ!」
続いてエアームドも、容赦なく噛み砕かれ地に伏せる。
「ムーすけ!」
血の匂いを嗅ぎ、興奮したプテラが牙を剥いてハヤトに飛びかかった。
「ギャァアアアアア!」
耳を劈く轟音に身が竦む。膝から力が抜け、尻もちをついた。
「ひ……!」
(もうダメだ……!)
体を丸め、目を閉じる。さながらお化けに怯える子供が布団の中でそうするように。けれども、痛みはいつまでもこなかった。おそるおそる目を開くと、ハヤトの目の前で小さな鳥が羽ばたいていた。
「……ホー……すけ……」
手持ちで最も若く、最も弱いポケモンが、震える身体で精一杯リフレクターを展開し、ハヤトを守っていたのだ。
プテラは牙を立て、爪で抉りながら壁を突破しようと足掻く。壁はみるみるヒビが入り、もういつ壊れたっておかしくない。
なのにホーすけは一歩も引かなかった。
「おまえ……どうして……」
「──簡単なことですわよ」
ネイティ──ラナンのネイマールがリフレクターを貼り直す。死力を尽くしたホーホーが倒れるのを、ハヤトは慌てて受け止めた。
「あなたのことが大好きで、信じているから頑張れるんですわ」
「信じる……?」
「ええ」
振り向いたラナンがきっぱりと頷く。
「プテラを倒し、生きて帰る! そう信じているから、ホーすけは飛び出したんですのよ」
ハヤトはゆっくりと手の中のホーホーを見やった。
「ホーすけ……おまえ……」
か細い呼吸を繰り返しながら、ホーすけは僅かに目を開き、鳴いた。
「……ホゥ……」
ハヤトの目から熱いものが滴り落ちる。
どうしてこんなにも真っ直ぐに信じてくれるのだろう。
なぜこんなにも愛してくれるのだろう。
俺はこんなに弱くて、頼りないのに。
「……だったら、強くなればいいんですのよ」
「ラナン……」
見上げた少女は煌めいて、一片の揺らぎもなかった。
「あなたが自分を信じれなくても、ポケモンたちはいつだってあなたを信じていますわ。ならば貴方がなすべきは一つ! 己を信じて、信じて、信じ抜く! その先に勝利があるんですの、よっ!」
ネイマールのナイトヘッドがプテラを弾き飛ばす。同時に、リフレクターが霧散した。
信じ抜く。
仲間を、己を。
絶対に、勝つと。
「……ありがとう、ラナン」
ゆっくりと立ち上がる。
ラナンは微笑み、一歩下がった。代わりにハヤトが前へ出る。
「もう迷わない。疑わない。俺たちは勝ってここを出る。──そうだな、相棒」
ボールを放る。出てきたポケモンを見た瞬間、プテラが喉の奥を鳴らし、距離を置いた。さきほどまでの余裕は失せ、緊張と警戒が浮かんでいる。
「行くぞ、ピジョット」
ピジョットは翼を広げ、高く鳴いた。
六
戦闘は熾烈を極めた。
プテラもピジョットも、全く互角にやりあっている。鋼の翼で叩きあい、暴風をぶつけあって、わずかな隙を見つけては羽休めで回復する。
一進一退の攻防を、ハヤトもラナンも固唾を飲んで見守った。
「ゴァアァア!」
終わらない戦いに痺れを切らしたプテラが吼え猛る。音波の衝撃で、一抱えもある岩が次々に降り注いだ!
「岩雪崩ですわ!」
「避けろピジョット!」
「キュルルルルァアァアァア!」
縦横無尽に飛び回り、辛くも岩の雨から逃れでる。しかし体勢を崩した瞬間を、狡猾なプテラは見逃さなかった。
大きく開けた口から放った破壊光線が避ける暇も与えず直撃する!
「ピジョット!」
ところどころ焦げた身体がひゅるりと落ちていく。地面にぶつかる直前、意識を取り戻したピジョットはなんとか着地した。
「大丈夫か!?」
「キュルルッ」ピジョットが小さく頷く。
ハヤトはここまで追いこまれながらも、冷静に状況を観察していた。
こちらの体力は残り少ない。今の機会は間違いなく絶好のチャンスだった。なのに追いうちをかけなかったのは、プテラももう限界だからだ。
──ならば、限界の更に上を行く。
「あれをやるぞ、いけるな?」
ハヤトの囁きに、ピジョットは不敵に笑った。
袂から出した指輪を右手の中指に嵌める。台座の宝玉がきらりと光った。
「ピジョットよ! いまこそ限界を超えて羽ばたけ! 俺の思いを乗せて飛べ! メガシンカ!」
ピジョットの全身が眩い光に包まれ、弾け飛ぶ!
刹那。
プテラの巨躯が踏ん張りも効かず吹き飛ばされた。
「ギャァウッ」
初めて聞く、苦悶の呻き。
体勢を立て直すより早く、ハヤトの声が響き渡った。
「決めろ必殺! ブレイブバードォ!」
全身全霊をこめた一撃がプテラを襲う! 砕けた岩が砂埃を舞いあげた!
永遠にも思える数秒の後、砂塵から一匹のポケモンが飛び上がる。それは翼を広げ、勝者の雄叫びを上げた。
ハヤトが両の拳を握りしめる。
「よくやったぞ……ピジョット……!」
ピジョットは勝利を誇るがごとく、二度旋回してから、ゆっくりと主の隣へ舞い降りた。
七
仰向けに倒れたプテラは完全に気を失っていた。
捕獲用の空ボールを握りながら、ハヤトはじっとその姿を見つめた。
強かった。間違いなく人生で最も強い敵だった。バトルの間、ひやりとした瞬間が何度もあった。メガストーンがなければ、負けていたのはこちらだったかもしれない。
父の最期が甦る。
なぜあの人がずっとこのポケモンに拘ったのか。戦った今なら分かる気がした。
拳を己の胸に当て、目を閉じる。鼓動は強く、勇ましい。
本当の強者とのバトルは、こんなにも心躍るものなのだ。父への想いとか、焦りで満たされたままではきっと感じ取れなかったろう。ただ己を信じ、仲間を信じてバトルに打ちこんだからこそ、この境地に至れたのだ。
ゆっくりと振り向く。ラナンはメガピジョットが珍しいとみて、ネイティと一緒に羽毛に顔を埋めていた。
「……ありがとう、ラナン」
君の助言がなければ、きっと勝てなかった。
呟き、ボールを放る。プテラ捕獲の合図が鳴った。
「おまたせ。こっちの用事は済んだよ」
「大冒険でしたわね〜。よろしければ、ネイマールのテレポートで出入口まで送ってさしあげましてよ!」
「それはありがたい。ぜひお願いします」
「承知しましたわ! ネイマール!」
「トゥトゥ」
ぐにゃりと景色が歪む。二、三度瞬くと、既にそこは洞窟の外だった。
「こんなにあっさり……便利だな、エスパーの技は」
「冒険するなら必須の技でしてよ! あ〜お外の空気が美味しいですわ〜!」
気持ちよさそうに伸びをするラナンの背後、倒木に腰掛けていたマツバが見えて、ハヤトは安堵の息をついた。
よかった、無事に出られたのか。慌てて駆け寄る。
「マツバさん! 無事に出てこれたんですね!」
しかしマツバは目を丸くし、小首を傾げた。
「や、ハヤトくん。えーっと、どういうことだい? 僕はいま来たばかりだけど」
「え?」
ハヤトが面食らう。
「い、いやいや。ご冗談でしょう? だって俺、あの中であなたと一緒に居たじゃないですか! ザイルだってこうして……あ、あれ……」
懐に入れていたはずのザイルが見当たらない。荷物もすべてひっくり返したが、あんなに太い縄が霞のごとく消えてしまっていた。
「……ああ、そういうことか」
困惑しきりのハヤトにマツバが苦笑する。
「あの洞窟にはいったね? あの中にはイタズラ好きのゴーストポケモンがうようよいるんだ。プテラが住み着いてからしばらく大人しくしていたみたいだが、時々入ってきたトレーナーの姿を真似ては驚かすんだよ。きみ、やられたね」
「え、ええぇえ……」
ハヤトは顎が外れんばかりに驚いた。
あの『マツバ』が霊のいたずらだなんて。
「タチの悪いのだとわざと危険な道を歩かせたりして仲間にしようとするんだ。命があって良かったな? 次期ジムリーダーくん」
「な、仲間に……」
縁起でもない話にハヤトの肌が粟立つ。
では、あのザイルが切れたのも、つまり──……
本物のマツバは笑いながらハヤトの肩をぽんと叩いた。
「ま、それはともかく。僕はもう行くよ。気が向いたらまたこの洞窟においで。街に居ないときは大抵ここに籠っているから」
ひらひらと手を振りながら洞窟に消えていく背中を、ハヤトは釈然としない思いで見送った。
二人の会話を聞いていたラナンが興味深そうに書き留めている。
「ゴーストポケモンは誰かに化けて人を驚かせたりあの世に導く者がいる……とっても面白いですわね〜! ねえハヤト、いまからまた潜りませんこと? 次は誰の姿になるかワクワクしますわ〜!」
「絶対にいやだっ! 断固拒否する!」
「ああんそんなこと仰らずに〜!」
「いーやーだっ!」
「後生ですから〜!」
街に向かって逃げる青年を、金髪の少女が追いかける。
洞窟の中で、くすくす笑う声がした。
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