お嬢様博士ですわ!   作:じゅに

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お嬢様博士第4話。
いつも以上に捏造大噴火。
フクジさんとエリカさんが親族だったら面白くね?という発想を膨らまして書き上げました。
エリカさん幼少期も描きたかったので一石二鳥。

▫️ラナンキュラス──主人公。お嬢様。今回は出番薄め。
▫️エリカ──タマムシシティジムリーダー。今回はロリ。
▫️フクジ──ヒヨクシテイジムリーダー。ずーっとジジイ。


4話/草木も人も一日にして成らず、ですわ!

 一

 物心ついたときから、人と話すのが苦手でした。

 相手が大人であれば、大きな身体に怯え。

 相手が子供であれば、乱暴な仕草に怯え。

 一生懸命話そうとすればするほどもつれる舌と絡まる思考をなんとか解いてようやく一言目を発した時には、とっくに話題が変わっている──そんなことが日常茶飯事でした。ですからしょっちゅう、

 

「もっとハキハキできないの?」

 

「とろいな、お前」

 

「おはなししててもつまんなーい」

 

 そう言われて育ちました。

 言われるたびに、胸の奥がずきんと痛みました。こらえようとしても涙が溢れて止まりません。するとまた、お相手の方は面倒くさそうな顔をして、哀しい言葉を投げてくるのです。

 八歳になる時分には、すでに筋金入りの人嫌いになっていました。

 

 

「おじいちゃんのところに行ってみない?」

 

 母の提案は雪解け間近、繁華なタマムシシティにもようやく桜が芽吹きはじめたころのことです。

 

「おじいちゃん……」

 

 口の中で転がる言葉は、まったく馴染みのない音でした。私に祖父がいることを、この時初めて知ったのです。

 母はしゃがんで私に目線を合わせました。

 

「そう。まだ貴方は会ったことがなかったわね。おじいちゃんはね、遠い地方にいらっしゃるの。カロスというところよ。あちらはもう春爛漫なんですって」

 

 ハルランマンとはなんでしょう。母の顔を見るに良いことらしいのですが、よく分かりませんでした。

 俯いたまま無言でいる私の黒髪を、やさしい、けれどどこか惑うような手つきで撫でながら、母は己に言い聞かせるように囁きました。

 

「だいじょうぶ。怖いことなんてなにもないわ。きっと楽しいことがたくさん待ってるわよ」

 

「……」

 

 私は小さく頷きました。

 行きたくなんてありません。でも断る余地もまた、ありませんでした。

 なぜなら、我が家にもうすぐ"いもうと"がくるからです。

 

 母の大きくふくらんだお腹のなかには、大人たちが"あかちゃん"とか"いもうとちゃん"と呼ぶものがいるそうです。"いもうと"が外に出てくるまで、母の身体はとても"せんさい"で"かよわい"のだから、あまり抱きついてはいけないよと、父にしょっちゅう聞かされていました。だから私は、本当はぎゅっとして欲しかったけれど、お気に入りのぬいぐるみと一緒に眠り、父と母と自分の三人しかいない家でずっと過ごしたかったけれども、頑張って諦めました。どんなに寂しくてもこらえなければいけないのです。

 私は"おねえちゃん"になるのですから。

 

 やりとりを黙って見ていた父が言います。

 

「カロスには素敵な花畑があるそうだ。写真をいっぱい撮ろうな、エリカ」

 

「……うん」

 

 うん、とは言いましたが、写真も花もどうでもいいことでした。

 部屋に戻り、ふかふかのぬいぐるみのお腹に顔を埋めて、声が出ないように泣きました。

 泣き声を聞くと母が心配して、その心配が"いもうと"にも移ってしまうから善くないのだそうです。これも父が言っていました。

 そのうち泣き疲れて眠りました。

 

 人もポケモンも、何もかもがこわかった頃の、土筆のようにほろ苦い思い出です。

 

 

 二

 

「せっかくカロスに行くのだから、お洒落しなくちゃね」

 

 裁縫上手な母は、張り切って何着も可愛らしいドレスを仕立ててくれました。

 図書館に通い、たくさんの文献を紐解いてカロス風のデザインや造りを学びながら、連日楽しげにミシンを踏んでいました。

 それを聞くたび、私は憂鬱になりました。あの音が止んだときが、旅立たねばならない時だからです。

 無情にも時間はあっという間に過ぎて、すぐに出発の日になりました。

 空港まで見送りに来た母は何度もなんども私を抱きしめました。

 

「おとうさんの言うことをよく聞いて、独りでどこかに行っちゃだめよ。甘いものを食べたらちゃんと歯磨きすること。夜更かしはしないこと。ぬいぐるみを持って出かける時は、なくさないようにしっかり抱いてあげてね」

「はい、おかあさん」

「おかあさんも一緒にいきたいけど、もうすぐあなたの妹が産まれるから行けないの。寂しい思いをさせてごめんね」

 

「……だいじょうぶだよ」

 

 ここでもまた、"いもうと"が出てきます。

 私は、大丈夫と言う時、唇がカラカラに乾いているのに気付かないふりをしました。

 なんにも大丈夫ではありません。

 でもそう言わないと、父も母も悲しい顔をするでしょう。

 それは誰かに酷いことを言われるより、もっと胸が苦しくなるから、言えませんでした。

 ボンネットのつばを握りしめます。母が作ってくれた衣装の中で、このボンネットが一番好きでした。

 こうしてぎゅっと握って深く被ってしまえば、まわりの怖いものがほとんど見えなくなりましたし、泣きそうな顔を隠すこともできましたから。

 

「そろそろ、飛行機の時間だ。心配いらないよ。一週間なんてあっという間さ」

「そうね。そうね……。お願いね、あなた。エリカをまもってあげてね。約束よ」

「勿論だよ。帰ってきたときには四人家族だ。すぐに写真を撮りに行こう」

 

 父が母の頬に口づけました。母はひっきりなしにハンカチを目元に押し当てながら、いつまでも手を振っていました。

 

 

 祖父のところへは気が遠くなるほど長い旅でした。

 飛行機を乗り継ぎ、汽車を乗り継いで、ようやくヒヨクシティにたどり着いたとき、乗り物酔いと人酔いで息をするのもやっとの有り様でした。

 よたよたと歩いていると、突然ひょいと持ち上げられました。

 

「おうおう、お人形さんのようにめんこい子が来たのう」

 

 優しく落ち着いた声色が疲れきった心に染み渡ります。私を見上げる顔は日焼けと皺でくちゃくちゃでした。目を糸のように細くしてにっこり笑っています。

 私に逢えたのが嬉しくて堪らない、そう思っているのがはっきり伝わってきて、私はぐじぐじしていた心がぐうんと温かくなるのを感じました。

 

「はじめまして。わしがフクジじゃ。よろしくなあ、エリカ坊」

「はじめ、まして……」

 

 私はびっくりしました。

 初対面なのにちっとも怖くないんです! これは生まれて初めての経験でした。

 

「うむ! いい子だ、いい子だなあ、エリカ! わっはっは!」

 

 祖父の笑顔は、向日葵のように明るく爽やかでした。

 

 

 三

 祖父は、リヤカーの荷台に私を乗せ、逞しく曳いて歩きながら、色々な話をとてもゆったりとした調子で話してくださいました。

 カロスにはたくさんの花があること。それを育てたり、見つけるのが趣味であること。上手に咲いてくれたとき、踊りたくなるほど嬉しくなること。実際に踊ることもあること。

 

「おどるの?」

 

 びっくりして聞き返すと、祖父はどんと胸を叩きました。

 

「踊るぞぉ! マダツボミと一緒にくねくねと、こう、な! あとで見せてやろうのう!」

 

 肩や腰をくねらせる動きは凄く愉快でしたが、私は笑えませんでした。

 マダツボミ、という名前を聞いて、背筋が強ばってしまったからです。

 

 私は、ポケモンが苦手でした。

 いまよりも小さい頃、近所のガーディに追いかけられたことがあるのですが、それがあまりにも怖くて、以来すべてのポケモンが恐ろしく感じられるようになってしまったのです。

 祖父は知ってか知らずか、道行く人やポケモンに屈託なく挨拶していきます。私はというと、ボンネットを突き破りそうなくらい深く被って、物言わぬ荷物のひとつであるかのように振る舞いました。そうしていても、通り過ぎる人の視線や、横を歩く父が吐くため息を感じずにはいられませんでした。

 

「エリカや。あっちをみてごらん」

 

 祖父が示したのは町外れにあるすごく広い牧場でした。目の届くところまで、果てしなく続く草原。奥にはこんもりと茂った森があり、左手には澄みきった泉があります。そして、至るところにポケモンたちが生きていました。私は肩を竦めてリヤカーに伏せようとしましたが、そのとき、さあっとそよ風が吹きました。

 ほんのり冷たくて、甘い香りのする風でした。無意識に深呼吸したくなるほど、

 

「空気が……おいしい……」と感じました。

 人や車で溢れかえったタマムシシティでは一度も味わったことのない感覚でした。

 

 祖父がうんうん頷いています。

 明日の朝いちばんにここへ連れてきてあげようとウィンクされました。

 

「牧場の連中はみんな気のいいやつばかりだよ。きっとエリカもここが大好きになる」

「……なれるかな」

 

 ポケモンは怖い生き物です。その気持ちが無くなったわけではないけれど、すごく嫌というほどでもないなと思いました。

 とうとう私は、大きな樹で出来たお家に運ばれていきました。

 

 

 祖父はこの街の有名人でした。ジムリーダーとしてバトルをするかたわら、街中の草花の世話をし、トレーナーの相談にのってあげるのだそうです。すごく忙しいはずなのですが、祖父は私を膝の上に乗せてニコニコしっぱなしでした。

 

「すまんなあ。本当ならお前さんが産まれた時に何もかも放りだして駆けつけたかったんじゃが、手の離せない仕事が山積みでのう。会いに行こう会いに行こうと思ううちにこんなに大きくなってしもうた! 

 遠かったろう、疲れたろう。ヒヨクまで来てくれてありがとう。ありがとうなあ」

 

 そう言って私の頭を撫でてくれますが、掌は分厚くごつごつしていて、母とは大違いです。木の枝を伐りとったり、重い鉢植えを動かしたりするとこういう手になるのだと教えてくれました。

 柔らかい母の手も大好きですが、大きな祖父の手も大好きになりました。

 

 撫でられていると少しずつ眠くなってきました。祖父は大切なものを抱えるように抱っこをして私をベッドに運んでくれました。

 ベッドはふかふかで、嗅ぎなれない香りがしました。新しい藁を敷き詰めて作った藁ベッドだそうです。私はこのベッドも大好きになりました。

 

「おやすみ、エリカ。明日もいい日になるようにな」

「おやすみなさい、おじいちゃん」

 

 祖父はもう一度撫でてくれ、静かに扉を閉めていきました。

 

 ◇◇◇

 

「……あまり甘やかさないでください、お義父さん」

 

 苦笑しながら言われた言葉に、フクジは目を丸くした。

 

「なんじゃ藪から棒に」

 

「エリカは今年で八歳になりますが、人もポケモンも怖がって近づこうとしません。家にひきこもって本ばかり……そんな弱い人間ではこの先やっていけないでしょう。僕はあの子に、自立心のある強い子になってほしいんですよ」

 

 フクジは娘婿の顔をじっと見つめた。

 

「──自立心、か。お前さん、朝顔をどうやって育てるか知っておるか?」

「朝顔?」

「あれはな、やわい茎を持つせいでひとりでは伸びることが出来ん。支えとなる棒を傍に挿してやってはじめて、すくすくと生長することができるんじゃよ。それは生きるために必要なことで、甘やかしとは言わん。子供とて同じではないかな?」

「……」

 

「あの子の茎がどんなもんか、どんな花を咲かせたがっておるか。とっくりと見定めねばなるまい。甘やかすの、甘やかさないのと、そんなものは二の次じゃよ」

 

 

 四

 約束どおり、朝起きてすぐに牧場に連れて行ってもらいました。父はまだ眠っていたのでそっとしておきました。

 祖父の姿を見たワタッコやミルタンクたちが嬉しそうに近づいてきます。腰が引ける私を、祖父がぽんぽんと励ましてくれました。

 

「大丈夫じゃ。見ていてご覧」

 

 言われたとおり、おそるおそる見てみると、ワタッコはふわふわ浮いているだけですし、ミルタンクはモゥと鳴くだけです。マダツボミはくねくねとヘンテコな踊りを踊っていました。祖父いわく、歓迎の舞なんだそうです。

 私を追いかけたりする子は誰もいませんでした。

 

「こわく、ない……?」

「ああそうじゃ。噛んだりもせんし、怒ったりもせん。お前さんが攻撃したりしなければ、こやつらものんびりしているだけじゃ。どうかね? すこし印象が変わったのじゃないか?」

 

 こっくりします。

 まだいきなり触ったりはできませんが、見ている分には、だんだん怖くなくなってきました。

 

「そうじゃろう? なんにも怯えることはないんじゃ。ここでは、エリカの好きなことをして過ごしなさい。

 ……おお、そうだ。お前さんに紹介しとこう。おお──い!」

 

 祖父が張りのある声で呼ぶと、遠くの方から小さい点が近づいてきました。それはみるみる大きくなり、ゴーゴートに乗った人影に変わります。

 彼女は柵の内側で止まると、きらきらする笑顔を浮かべました。

 

「お呼びかしら、フクジ翁!」

「うむ。カントーはタマムシシティから、愛しい孫がきてくれてのう。ぜひとも仲良くなってほしいんじゃ」

「まあ〜! とっても素敵じゃございませんこと? はじめまして、わたくしラナンキュラスと申しましてよ! どうぞラナンとお呼びになって! おーっほっほっほ!」

 

 ラナンは喜色満面に片手を差し出しましたが、私はただただ、握手を返すのも忘れて彼女に見惚れるばかりでした。

 

 風に靡く長い金髪。ふさふさの睫毛に、桃色の瞳。美しさもさることながら、驚いたのは彼女の出で立ちです。深緑の二尺袖に紺の袴、上に重ねた黒絽の羽織り。

 ジョウトの装いを着こなす姿に、私は衝撃と感動を覚えました。

 

 ようやく我に返った私が手を握り返すと、ゴーゴートが額をラナンに擦りつけています。

 

「撫でて欲しいんですの? 甘えんぼうですわね〜! そーれわしゃわしゃわしゃ〜っ! ですわ!」

 

 ゴーゴートはうっとりと目を閉じて気持ちよさそうにしています。それを見ていたら私もやってみたくなりましたが、手を伸ばす勇気がでません。祖父が私の頭を撫でながら小さな声で言いました。

 

「やってごらん」

 

 私は、びくびくしながらそおっと手を伸ばして、ちょん、と毛皮に触れました。ゴーゴートの毛は太陽をいっぱい浴びていて、想像していたよりも柔らかく長い毛でした。

 さふ、さふと上下に撫でてみます。掌がくすぐったくなりました。

 

「こちょこちょする……」

 

 私がくすくす笑うと、祖父もラナンも楽しそうに笑います。

 ゴーゴートは満足したらしく、ぶるりと身体を震わせました。そして、足元から一輪のたんぽぽを咥えると、私に差し出しました。

 

「えっ?」

「撫でてくれたお礼、だそうですわ」

 

 手を器のようにすると、ぽとりと落としてくれました。たんぽぽは信じられないくらい濃い黄色で、眩しいほどでした。

 

「あ、ありがとう……!」

 

 ゴーゴートは優しく目を瞑り、私のお腹に額を擦りつけました。

 私はそれが、ちっとも嫌ではありませんでした。むしろ、祖父が駅で私を抱き上げてくれたときと同じくらい、心がぐうんと温かくなったのです。

 母が私にそうするように、ゴーゴートをぎゅうっと抱きしめました。

 

 

 五

 私たちは連れ立ってお家に帰り、朝ごはんをいただきました。

 父はラナンを見て大層驚いていましたが、きっと外国の方が着物を着ているのにびっくりしたのだと思います。

 バナナトーストを頬張りながら、私はたくさん質問しました。

 

「あなたはどこから来たの?」

「とおーいところですわ!」

 言いながら、オムレツにケチャップでプリンを描いてくれました。とても上手でした。

 

「どうしてお着物を着ているの?」

「ジョウトのエンジュシティというところに行った時、舞妓さんに着付けてもらったんですのよ! 以来お着物の大ファンですの! エリカは舞妓さんをご存知かしら?」

 

 私は首を縦に振りました。家族旅行でエンジュに行った時、美しく舞い踊る舞妓さんたちを見たことがあります。

 ブラッキーやエーフィたちと一緒に舞台をつくりあげていく様は、本当に見事でした。

 

「でも、今度はドレスもいいですわね! 

 エリカが着ているようなフリルたくさんのスカートをぜひ履いてみたいですわ!」

 

 私は顔が赤くなるのを感じました。

 母が作ってくれたふわふわのスカート。リボンとフリルが沢山ついていて、私も大好きです。

 ラナンが好きと言ってくれて、心がぽわぽわしました。

 一緒の格好で歩けたら……そんな空想が広がるうちに、いつのまにか苦手なにんじんもぺろりと食べてしまっていました。

 

 

 朝ごはんを食べ終わったので、二人で牧場を散策することにしました。父も一緒に来るそうです。父は写真を撮るのが趣味なので、母にいっぱい送ってあげようと言いました。

 

 牧場にはシロツメクサが数え切れないくらい咲いていました。ラナンは手際よく花冠を作ると、私の頭に被せてくれました。

 久しぶりにボンネットを取ったので、頭がすうすうします。でも、怖いとか、隠したいとは、思いませんでした。

 花冠の作り方を教わり、ラナンに被せてあげました。彼女のそれと比べると、ちょっと歪んでいましたが、とっても喜んでくれました。それからマダツボミと一緒にダンスしました。父が写真に撮り、みんなで笑いました。

 

「短い時間で、すごく仲良しになったんだね」

 

 父が感心半分、驚き半分といった感じで私に言いました。

 でも、この後父はもっとびっくりしました。私がポケモンバトルをしたからです。

 

 ラナンは色違いポケモンの研究で博士号取得を目指すかたわら、トレーナーとしての腕も磨こうと、あちこちを旅して回っているのだそうです。目標はオーキド博士ですわ! と拳を握って熱く語りました。

 

「あなたのおじいさまはとっっっても強かったですわ〜! わたくし三回も負けてしまいましたもの!」

「負けることもあるのに……バトルするの……こわくない、の?」

 

 私にとってバトルとは、自分も相手も傷つけあう、悲しくて辛いものでしかありませんでした。勝てれば嬉しいでしょうが、負けたらとっても辛いはず。なぜこんなに大勢の人がのめりこむのか、まったく理解できなかったのです。

 それを聞いて、ラナンは微笑みました。

 

「百聞は一見にしかず、ですわよ」

「え?」

「さあお立ちあそばせ! ポケモンバトルのおもしろさ、存分に味わってもらいますわよ〜!」

「えっ、えっ!」

 

 彼女は有無を言わさず私を立たせると、翠色のボールを握らせました。

 

「フレンドボールというボールですわ。ジョウトに行った時、ガンテツさんという方から作り方を教わりましたの。

 そのなかにはポケモンが入っておりますわ。スイッチを入れて、放ってご覧なさいまし」

 

 私は生まれて初めて掴むボールの感触に胸がドキドキしました。恐れと、不安と、ほんの少しのワクワク。かちり、とスイッチが凹む音に、鼓動がますます高まります。

 

「え、えいっ!」

 

 ぽおんとボールを放り投げると、中から真緑のポケモンが飛び出しました。

 

「色違いのモンジャラ、名前はもんじゃですわ〜!」

「も、もんじゃ?」

「モジャモジャ」

 

 美味しそうな名前を呼ぶと、モンジャラがぴょんぴょん飛び跳ねました。お靴を履いたような足といい、仕草といい、なんだか不思議な魅力があります。

 対するラナンは、空に向かって桃色のボールを放りました。

 

「こちらはラブラブボールに入った色違いのワタッコでしてよ〜! 名前はわたあめですわ!」

「きゅーんっ」

「また美味しそうな名前……」

 

 愛称をつけるとき、お腹が空いていたのでしょうか。

 ラナンはびしぃっ! とポーズを決め、バトル開始を告げました。

 

「それではっ! 楽しいバトルの始まりですわ〜! エリカ、その子は蔓の鞭と、体当たりという技が使えましてよ! まずはこちらのわたあめに当ててご覧なさいまし!」

「え、えと、じゃあ……もんじゃ、つるのむちっ!」

 

 モンジャラは指示に応え、二本の触手を伸ばしてワタッコを攻撃しました。ですがワタッコはふわふわと軽やかに避けてしまいます。続けて体当たりも命じてみましたが、これも躱されてしまいました。

 

「あ、あれ、当たらない……!」

「うふふ、今度はこっちの番でしてよ〜! わたあめ、たいあたりっ!」

 

 風に乗ったワタッコが、ぽこんと体当たりをしてきました。モンジャラがひっくり返ってしまいます。私が駆け寄ると、モンジャラはすぐに起き上がり、ふんふんと鼻息を荒くしました。

 

「その子は意地っ張りの負けず嫌いなんですわ〜! 攻撃されればされるほど、動きのキレが増すんですの! さあさあっ、二撃目いきますわよ〜っ!」

 

 再びワタッコが体当たりをしかけてきます。そんな攻防が二、三続くうち、私はふと気づきました。

 こちらの攻撃が当たらないのは、距離が開きすぎているからではないでしょうか? だから技を繰り出しても、相手は充分避ける余裕があった……。

 なら、向こうから近づいてくる瞬間を狙えば──! 

 

「もんじゃ! 引きつけてからつるのむちで捕まえて!」

「モジャ!」

「きゅっ!?」

 

 モンジャラの蔓がしっかりとワタッコの身体を捉えます! この機を逃さず指を突きつけました。

 

「たいあたりっ!!」

 

 モンジャラの体当たりが成功し、ワタッコがぽ──んと吹き飛ばされてしまいました。

 

「とおっ!」

 

 ラナンが見事空中でキャッチします。ワタッコは目を回していましたが、父が拍手する音ではっと気がつきました。

 

「そこまで〜! この勝負、エリカともんじゃの勝ちですわ! 万歳万歳万々歳〜っ!」

「すごいよエリカ、初めての勝負で勝つだなんて!」

 

 ラナンと父が交互に褒め称えます。私は嬉しいのと照れくさいので顔を真っ赤にしながら、頬が緩むのを抑えられませんでした。

 

 

 六

「素晴らしい才能ですわ! 普通に攻撃したのでは当たらないから、わざと相手が近づくのを誘うなんて、末はジムリーダーか四天王、いえチャンピオンだって夢じゃありませんわよ!」

 

 ラナンの褒め言葉は留まるところを知りません。私はあんまり気恥ずかしくて、またボンネットが欲しくなってしまいました。

 

「い、いいすぎだよお」

「いーえっ、言いすぎということはありませんわよ!」

 

 ラナンの瞳が激しくキラキラしています。

 

「あなたは強くなる! 断言しますわ! 誰もが最初は初心者ですけれど、初戦でここまでの機転を働かせられるのは滅多にいませんわよ! ああ今から楽しみですわ! 強くなったあなたと戦える日が!」

 

 私はその言葉に違和感を覚えました。

 強い人というのは、最初から強いのではないのでしょうか? 

 そう訊ねると、ラナンはきっぱりと首を振りました。

 

「とんでもない! 産まれた時からなんでもできる人はいないように、みんな少しずつ失敗と敗北を繰り返しながら強くなるんですのよ! わたくしも、それはもう負けに負けましたわ〜!」

「みんな、少しずつ……」

 

 最初からできる人はいない。

 口のなかで反芻します。

 

 ──もしも、それがあらゆることに当てはまるなら。

 最初から"おねえちゃん"が出来る人もいないということになるのでしょうか。

 

 私は思わず沈黙してしまいました。ラナンは、釣りがしたくなりましたわ! 

 といって、落ちている木の枝を削りはじめました。

 父は飲み物を買ってくるよと言って、街の方に行きました。

 

 簡単な釣竿を振るい、チューリップの咲く泉に糸を垂らします。さわさわさわ、と過ぎゆく風が、ぐるぐる考えてしまう頭を慰めてくれるようでした。水面はさざ波ひとつありません。無理にしゃべらせようとしないラナンが、ひどく有り難かったです。

 

 やがて、言葉がぽつりぽつりと口をついて出ます。

 

「私ね……さいきんひどいことを考えてしまうの……」

 

「ひどいこと、ですの?」

 

「うん……わたし、わたしね……」

 

 竿を握る手に力がこもります。この話をするのは、とても勇気が要りました。

 

「わたし、いもうとなんていらないの……おとうさんもおかあさんも、いもうとのことばかり言うんだもの……わたしのことなんてだれもみてない……」

 

 手の甲に涙が零れます。

 私はずっと、これを誰かに言いたかった。

 でも話すのが下手ですし、言える相手もいませんでした。

 

 "おねえちゃん"にならなきゃいけないのに。

 "いもうと"が欲しくないなんて、なんて酷い人間なんだろう。

 

 怒られるかもしれない。

 嫌われるかもしれない。

 

 でももう、我慢することができなかったのです。

 ラナンは、ただ静かに耳を傾けてくれ、しゃくりあげる私を優しく抱きしめてくれました。

 

「……よく、話してくださいましたわ」

 

 柔らかい声に私を責めるような気配は微塵もありませんでした。

 

「いきなりお姉ちゃんになれって言われてもそりゃ無理ですわよね。エリカの悩みは当然ですわ。

 ──大丈夫。あなたは酷いことなんて言ってないし、酷い人間でもありませんわよ」

 

 私はラナンの身体に縋りつきました。

 心の底からわきあがる安堵に、涙がとろとろと流れます。

 ちょんちょん、と膝をつつかれる感触に顔を上げると、ナゾノクサが心配そうな眼差しで覗きこんでいました。

 

「あなたを気遣ってらっしゃるのね。優しい子ですわ」

 

 私は「ありがとう。大丈夫だよ」と言って葉っぱを撫でてあげました。

 ナゾノクサはよかったと言いたげに頷きました。

 

 ラナンは細い指で私の目尻の涙をすくいながら、にっこりと微笑みました。

 

「実はね、あなたのお父様も、最初からお父様だったわけではないんですのよ?」

「ほんとう……?」

「ええ! 嘘だと思うなら、今日寝る前にこう聞いてご覧なさい。

『ねえお父さん、お父さんは────』」

 

 

「釣れてるかい?」

 街から戻ってきた父が冷たいサイコソーダを渡しながら訊きました。

 私たちは揃って竿を持ち上げました。

 父はおや、と言って隣のナゾノクサを指差しました。

 

「その子はラナンさんの子かい? 色違いではないようだけど」

「牧場に入りこんだ野生の子みたいですわね。識別票がついていませんから。すっごくエリカに懐いていますのよ」

「ほんとうだ……」

 

 父はしばらく考えてから、私の前にしゃがみこみました。

 

「どうだいエリカ。その子を捕まえてみないか?」

「……いいの?」

 

 思ってもみなかった提案に目を丸くします。

 

「うん。もうエリカも大きくなってきたからね、なにかポケモンを持たせたいと思ってたんだ。

 でも、ポケモンを育てるのは大変だよ。命を預かるということだからね。できるかい?」

 

 私はナゾノクサをじっと見つめました。

 つい昨日まで怖かったポケモン。祖父のところに来てから、私の心は目まぐるしく変わりました。

 

「……」

 

 無言のまま両腕を伸ばすと、ナゾノクサがぴょんと飛んで腕の中に収まりました。

 

「……ちゃんと、ちゃんとそだてます!」

 

 父は嬉しそうに頷きました。

 

 

 七

 祖父は父以上に喜びました。

 自分とおなじ草タイプを捕まえたからでしょうか、私がポケモンを好きになったからでしょうか。たぶん、その両方だと思います。祖父自慢のマダツボミダンスをみせてくれました。

 晩御飯のテーブルはマカロニグラタンにチキンの丸焼き、しゃきしゃきのサラダ、ミネストローネと大きなホールケーキで埋まりました。どれもみんな美味しくて、ラナンは一口食べる度に「美味しいですわ〜!」と叫んでいました。

 

 楽しい時はあっという間にすぎて、ベッドに行く時間になりました。私は父を呼んで、枕元に来てもらいました。

 

「寝る前のお話かい? 何がいいかな、本を読もうか?」

「ううん。……わたしね、おとうさんに聞きたいことがあるの」

「なんだい?」

 

 私は二回深呼吸をしてから、昼間ラナンに教わった質問を投げかけます。

 

「おとうさんは、最初からおとうさんになれた?」

 

 父は一瞬意味がわからなそうな顔をしましたが、すぐにはっとして、私の目を見つめました。

 そうして、手近な椅子を引き寄せ、ゆっくりと腰を下ろします。

 

「……いいや。全然、そんなことはなかったよ」

 

 父の声はいままで聞いたことがないくらい深く落ち着いていました。

 私はラナンがそうしてくれたように、黙って耳を傾けます。

 

「お父さんはね、エリカがお腹の中にできたとき、夢のような話だと思ったんだ。このなかに命が宿っていて、おかあさんと二人で育てていかなきゃいけないということが、どうも実感できなかったんだな」

 

「だけどおかあさんが頑張ってくれて、エリカが産まれて……毎日が戦争だった。ご飯の支度もおむつの替え方も何一つ分からなかったから、そのたびに調べたよ。初めてボールを握った新人トレーナーみたいにね」

 

「なのに、エリカは全然笑ってくれなくて、泣いてばかりだった。どうすればいいか分からなくて、お父さんはお父さんの資格がないのかもしれないと思ったよ。

 正直いうとね、そのとき、少しだけ泣いたんだ」

 

 私は驚きました。大人でも泣くことがあるなんて。

 ラナンの言葉が甦ります。

『最初から強いひとなんていないんですわ』

 少しずつ強くなる。失敗を繰り返しながら。

 布団の裾から手を出すと、父が握ってくれました。

 

「でもある日、抱っこをしていたら不意に笑ったんだよ。にこーって、ね。

 それを見た瞬間、疲れもなにもかも吹っ飛んで、ああ、俺は父親なんだ、この子のたった一人の父親なんだって思えたんだ」

 

「いまでも迷うよ。正しく育てられているか、エリカを悲しませてはいないかって。……エリカは、あかちゃんが産まれてくるのが怖いかい?」

 

 私はこくりと頷き、自分の気持ちを正直に打ち明けました。

 赤ちゃんが出来てから母に抱きしめて貰えなくなったこと。父から怒られることが増えたこと。寂しいと言いたいけれど言えなかったことを、一生懸命伝えました。

 父は最後まで聞いて、私の頭を撫でました。

 

「……苦しかったよな。つらかったよな。ごめんな、お父さんだって上手くいかなかったのに、エリカには最初からお姉ちゃんでいることを求めすぎちゃってたな」

 

「カントーに帰るまであと四日ある。たくさん話して、いっぱい遊ぼう。お父さん、エリカのことをもっと知りたいんだ」

 

「……うん!」

 

 そのとき、扉が開いてナゾノクサが入ってきました。ベッドに登ろうと飛び跳ねています。父が抱き上げて私のそばに下ろしてくれました。

 

「一緒に寝たい?」

「ぷう!」

 

 元気よく返事して毛布の中に潜りこんでいきます。すぐに寝息が聞こえてきました。

 

「それじゃ、おとうさんはもう行くよ。おやすみ、エリカ」

「おやすみなさい、おとうさん。……あのね」

「うん?」

「だいすきだよ」

「……父さんも、世界でいちばん愛しているよ」

 

 扉がぱたんと閉じました。

 ナゾノクサの寝息を聞いているうちに、私も眠くなっていきました。

 

 

 夢を見ました。

 夢の中で、私と母と父とナゾノクサと、もうひとり小さな誰かが一緒に笑っています。

 この子がきっとわたしの"妹"なのでしょう。

 私はシロツメクサの花冠をプレゼントしました。

 

 起きたら、母に手紙を書きます。

 どんな素敵なことがあったか、全部書いて送るのです。

 最後に、ひとつだけお願いも書きましょう。母は驚くかもしれませんね。

 文章は、こうです。

 

『わたし、お着物がきてみたいです』

 

 

 ◇◇◇

 

「……お義父さんの言う通りでした」

「うん?」

「子供にはそれぞれのペースがあって、支え方がある……今日一日でそれを学びましたよ」

「……」

 

 フクジは静かにキッチンに行き、酒瓶を持ってくると、磨かれたグラスと一緒にテーブルに置いた。

 

「こんないい夜にはいい酒が必要だ。そう思わんかね」

「……ぜひ、ご相伴に預からせてください」

「おうともよ。語ろう。男二人でな」

 

 琥珀色の液体がなみなみと注がれる。

 フクジは一息に盃を干した。

 人生で、一番美味い酒だった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 木陰の下で眠っていた少女が、ぱちりと目を開けた。

 赤いカチューシャに萌黄の振袖、柄を染め抜いた赤袴。寝起きすらたおやかな振る舞いは、ジムトレーナーは無論のこと、カントー女性トレーナー憧れの的である。

 

「お目覚めですか、エリカ様」

「ふわぁ……。ええ、とても懐かしい夢を見ていましたわ……」

 

 天窓から差すうららかな日差しが心地よい。そういえば、あの日もこんな天気だった。

 

「春爛漫、ですわねえ……」

「ええ、今日はほんとうにいい天気ですよ」

 

 エリカはぱちんと手を合わせた。

 

「そうだ、みんなで花冠をつくりません? プレゼントして被せあうの。きっと楽しいですわ」

「素敵ですね! みんなを呼んできます!」

 

 ジムトレーナーが全員を呼んで回るあいだ、エリカはラフレシアの花弁をそっと撫でた。

 

 いつかまた、逢えるだろうか。

 私の人生を変えてくれた彼女に。

 その日が来たら、ぜひ手合わせを願おう。

 勝ち負けを超えた素晴らしい勝負ができるはずだ。

 

 ……出入口がにわかに騒がしくなった。チャレンジャーが来たらしい。

 残念ながら花冠はまた今度だ。

 

「準備なさって、ラフレシア」

 

 ラフレシアはやる気満々に花弁を揺らした。




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