お嬢様博士ですわ!   作:じゅに

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お嬢様博士第8話です。
これ単品でもお読みいただけますが、他の話も読んでいただくと作者がウホウホダンスをします。

今回はアローラ地方のお話です。
いやー……難産でしたー……。
どんな話にしようかこねこねすること2週間。
書き直すこと計4回。
筆が進まなくて進まなくて……プライベートが忙しくなるとほんとに筆が止まります。ぴえん。

今までにいただいた感想を何度も読み直して頑張りました。

◾︎ラナンキュラス──主人公。今回初めて苦手なものがでてきます。
◾︎アイリス──イッシュのジムリーダー。ちっちゃくて可愛い。すき。
◾︎ククイ──アローラの博士。作中における彼への第一印象はまんま作者のSM初プレイ時の感想です。


8話/乗り物酔いはどんなに対策してもなっちまうんですわもう仕方ねーですわ呪いなんですわ!

 一

 タラップを降りたとたん照りつけてくる灼熱の太陽に、長い空旅を終えた乗客たちはこのうえない開放感を覚え、潮濃い風を胸いっぱいに吸いこんだ。

 暑いねえと言いあう顔も晴れやかだ。機内で何度も読み込んだパンフレットをもう一度開きながら、さあホテルに行こうとかどこの店で食事にしようとか賑々しく歩いていく。

 

 最後に降りてきた少女もその例に漏れず、満面の笑みを浮かべて思いっきり伸びをした。

 

「んんーっ! 青い空、白い雲! 初のアローラ旅行がお天気に恵まれてよかったわー!」

 

 嬉しそうにくるくると飛び跳ねる。

 年の頃は十代前半、多く見積っても十四にはなっていないだろう。背中を覆うたっぷりした黒髪にチョコレート色の肌の、南国の空気が良く似合う快活な少女であった。

 

「さーって! まずはどこにいこうかな〜……ん?」

 

 腰のベルトが揺れている。少女はくすっとして、ボールを天高く放った。

 

「おいでっ、オノノクス!」

 

 タマゴから孵した相棒を呼びだす。生まれて初めての海外の土を早く踏みたくて仕方なかったらしい。空を仰ぎ、楽しそうにぐあおうと吠えた。好奇心にまかせて周りを見渡していた眼が、少女の背後一点を見つめて動かなくなる。

 

「どしたの?」

 

 目線を追って気づく。自分が最後かと思ったが、まだひとり、降りていない客がいたのだ。

 

 波うつ金髪、人形のような顔立ち、麦わら帽子にタイダイ染めの袖なしワンピース。観光地に相応しい、頭のてっぺんから爪先まで浮かれた格好だが、頬がげっそりと痩け、足取りふらふらと頼りなく、顔色にいたっては死人のような土気色である。

 

「大変。急病人かも! オノノクス!」

 慌てて彼女の元に駆けつけ、オノノクスに抱えさせた。

 

「おねーさん苦しそう! 大丈夫? いま病院に連れて行ってあげるからね!」

「……あぁ……どうか、心配しないでくださいまし……なんでも……なんでもないんですのよ……」

「いまにも死にそーじゃん! 無理しちゃダメだって! なんか持病とかある? 薬は?」

「持病といえば、持病ですわね……わたくし……むかしから……」

「昔から……?」

 

 瞼をゆるゆると開き、彼女は小さく囁いた。

 

「乗り物に……お排泄物(クッソ)弱いんでしてよ……」

 

「────はえ?」

 

 少女の目が点になった。

 

 

 

 

 二

 

「んもー! ただの飛行機酔いじゃない! あんまり酷い顔してるから心配しちゃったわよ!」

 

 パラソルの下のベンチに横たわりながら、少女はけらけらと笑った。

 

 空港のすぐそばにある景勝地、ハウオリビーチの一角である。乗務員いわく、飛行機酔いはここで休むに限るらしい。

 たしかに気持ちのいい場所だった。眩しいほど輝く砂浜に火照った体を冷ます風、水平線まで広がるエメラルドグリーンの海原は息を呑むほど美しい。故郷(イッシュ)の海とはまるで違う風景である。

 オノノクスが喜び勇んで駆けていき、汀ではしゃぎはじめた。

 

「うぇう……おてすう……おかけしますわね……」

「いーんだよ! 旅は道連れっておじいちゃんがよく言うもん! あたしアイリス! あなたは?」

「ラナンキュラスですわ……どうぞラナンとおよびになって……えふぅ」

「よろしくね、ラナン。そうやって寝てればすぐ治るからね」

 

 ラナンが儚く頷いた。まだまだ元気とは言いがたいが、顔色が少しよくなっている。

 

「ほんとうに、なにからなにまで……。イッシュの最年少ジムリーダーに介抱されたなんて土産話、掴みとしてバッチリですわ……」

 

 アイリスは驚いて振り返った。

 

「知ってるの? あたしのこと」

「知ってるも何も!」

 

 やおらラナンは立ち上がり、ビシィッ! とポーズを決めた。

 

「かの老練なるベテラントレーナー、シャガ氏の薫陶を受けた若きジムリーダーの話は世界に遍く知れ渡っておりましてよ! いつかお会いしたいと思っていた折にこんなところで出逢えるとは、運命の神も罪なことをしますわね! おーっほっほっほっほへぇっ」

 

 高笑いの途中でラナンがぱたりと倒れた。

 

「こ、今度はどーしたの!?」

「いきなり立ち上がって……大笑いしたものですから……くらくらと……」

 

 アイリスは呆れた。

 

「もー! 無茶しちゃダメだよ! 子供じゃないんだから! 立つの禁止! 高笑いも禁止! ほら休んだ休んだ!」

 

 ラナンを寝かしつけ、アイリスはやれやれと立ち上がった。

 ──まあ、高笑いができるくらいには回復したみたいだから放っといても大丈夫だろう。

 せっかくのビーチだ、眺めているばかりじゃ勿体ない。おもいっきり泳ごうと駆けだした足が、ぴたりと止まった。

 

「……?」

 

 どこからか、不穏な気配がする。オノノクスも気づいたようで、きょろきょろと辺りを見回していた。

 

「グゥ……?」

「っ、伏せて、オノノクス!」

 

 アイリスの指示は間に合わなかった。海中から突如放たれた何かの塊が、オノノクスの頭部を直撃する! 

 オノノクスが悲痛な声を上げて倒れた。一拍遅れて、あたりに嫌な匂いが満ちる。胸がむかつくような激臭に、塊の正体を悟ったアイリスが歯噛みした。

 

「ヘドロ爆弾……!」

 

 毒タイプのなかでも高威力、高濃度の攻撃技だ。掠っただけで猛毒に侵される危険な代物が、どうしてなにもない海から飛んでくるのか。

 

 アイリスが険しい眼差しで大海を睨みつける。浅瀬からさほど離れていない海面が盛り上がり、一体のポケモンが姿を現した。

 藻屑が絡んだような禍々しい体躯に、妖しくぬめる紫の皮膚。

 

「ドラミドロですわ。なぜこんなところに」

 

 いつの間にか隣に立っていたラナンが呑気な声で呟く。

 ドラミドロは大きく仰け反ると、ヘドロ爆弾を何発も撃ち出した。

 毒の玉が降り注ぎ、和やかなビーチは阿鼻叫喚の地獄と化す! 

 

「や、やめなさい!」

 

 オノノクスをボールに避難させ、代わりにクリムガンを呼びだした。

 

「ドラゴンクロー!」

 

 凄まじい膂力で振るわれた爪はしかし、虚しく空を切った。当たる直前、ドラミドロの肉体がどろりと形を崩し、海水に紛れてしまったのだ。

 

「と、溶けた!?」

 

 そのとおり、"溶ける"という技だ。使えるポケモンは多くない。海上で孤立したクリムガンを囲うように何体ものドラミドロが立ちあがり、八方から龍の波動を発射した! 

 

「いけないっ! クリムガン、上に逃げて!」

 

 ──あれは恐らく影分身、本体はひとつきりのはず。たった一本の波動さえ避けられれば反撃できる! 

 

 しかし、クリムガンは辛うじて翼を羽ばたかせたものの、ドラミドロの執念深い波状攻撃に撃ち落とされ、苦悶の咆哮を上げた。

 

「あぁ……!」

 

 アイリスが口元を抑える。すっかり逆上した毒龍がアイリスを見据えた。

 粘つく殺気に当てられて、手足が痺れたように動かない。ドラミドロがすうと息を吸いこんだ。ヘドロ爆弾か、龍の波動か。どちらにしても、生身の人間じゃひとたまりもない……! 

 

 アイリスがぐっと身構えたその時。

 

「いまですわっ! ワーズワース!」

 

 ドラミドロの喉元に、水中から飛び上がったシャワーズが激しく噛みついた! 

 ドラミドロが甲高い叫びをあげ、ぶるぶると身悶える。シャワーズは相手の胴体を足場に飛び退ると、顔面にハイドロポンプを叩きつけた! 

 ドラミドロの標的がシャワーズに変わる。その隙を、アイリスは見逃さなかった。

 

「──っクリムガン!」

 

 がら空きになった背中を、今度こそ、クリムガンのドラゴンクローが切り裂いた! 

 ドラミドロが声もなく倒れ伏す。アイリスは安堵の息を吐き、ぺたんと座りこんだ。

 

「あっぶなかったあ」

「ええ。ナイスでしたわ、アイリス」

「そっちもね」

 

 振り向き、親指を立てる。シャワーズを撫でていたラナンは、輝くような笑顔で高笑いした。

 

 

 

 

 

 三

 

 浜辺はまだざわついていたが、元凶が退治されたことで少しずつ収まっていった。ひとまずドラミドロを捕獲して、最寄りのポケモンセンターに足を運ぶ。

 

「あんなに綺麗なところなのにヘドロまみれになっちゃったね……」

 

 アイリスがしゅんと俯く。毒ポケモンの放つ技はとにかく毒性が強い。あれほど強力な個体ならば、最悪数年間は立ち入り禁止になるかも……。

 そんな不安を、ラナンはあっさりと吹き飛ばした。

 

「夕方には綺麗になってますわよ?」

「えっ、どうやって!?」

「んふふ。この子達の力を借りるんですわ」

 

 そう言って、ドリームボールから緑色の大福のようなポケモンを登場させた。黄色い突起が計六本、体の上部から突き出ている。うにうにむにむにと蠢く様が可愛らしい。

 

「ナマコブシというアローラ特有のポケモンですわ。この子達は汚いものを吸い取って浄化する力を持つんですの。浜辺や海岸が汚れていると、どこからともなく現れてお掃除してくれるんですのよ」

「へえ……! でも、ヘドロを吸ったりして大丈夫なの?」

「心配には及びませんわ。彼らはとおっても耐性が強くて、ちょっとやそっとの毒ではびくともしませんの。あとは、アローラのベトベター族も優秀な除毒能力の持ち主ですわね。彼らのおかげでアローラ地方は世界一美しい島と呼ばれているのですわ」

 

「さすがはラナンだな」

 

 拍手の音に顔を上げると、見慣れない男が立っていた。アイリスが顔をひきつらせる。

 帽子に色つきサングラス、膝下までのハーフパンツ。ここまではいい。しかし上裸に白衣を纏うのは、アローラが常夏であることを差し引いても中々に攻めた服装ではなかろうか。正直、変質者にしか見えなかった。

 おそるおそる尋ねてみる。

 

「ええと……あなたは?」

「おっとこりゃ失敬。アローラで技の研究をやってるククイ博士ってもんだ。そちらのラナン博士とは昔からの研究仲間でね。よろしく」

「博士……ラナン、も?」

 

 驚くアイリスに、ラナンは「あら」と瞬きした。

 

「言ってませんでしたわね! すっかり言いそびれてましたわ〜! わたくし、色違いのポケモンを研究しておりますの! でもわたくしには博士とつけなくて結構ですのよ、今まで通りラナンとお呼びくださいまし! おーっほっほっほ!」

 

 ナマコブシを頭に乗っけて高笑うラナンをよそに、ククイは爽やかな仕草で隣のカフェを指さした。

 

「ビーチに現れたドラミドロについて聞きたくてね。エネココアでも飲みながら話さないか?」

 

 

 ◇◇◇

 

 カフェのマスターが淹れてくれたココアはほどよく甘く、アイリスの緊張をじんわりと解してくれた。

 

「美味しい!」

「美味いだろ? ボクは研究に行き詰まるとこれを飲むんだ。優しい甘さが心身を癒してくれる」

 

 はにかむアイリスにククイも笑った。格好こそアレだが、物腰や雰囲気が落ち着いていて、意外なほどに話しやすい。アイリスはするすると事のあらましを語った。

 

「ふぅむ……ヘドロを撒き散らすドラミドロ、か」

「それってよくあることなんですの?」

 

 ラナンの問いにククイは否と答えた。

 

「縄張りを荒らしたならまだしも、浜で遊んでいただけの人間に無差別攻撃を仕掛けるなんて普通じゃないな」

「オノノクスが波打ち際でばちゃばちゃしてたせいかな……? それで怒らせちゃったのかも……」

 

 アイリスが顔を曇らせた。だとすれば、オノノクスを野放図に遊ばせた自分のせいだ。

 だが、これにもククイは首を振った。

 

「それも関係ない。そもそもドラミドロの生息域はもっと沖合の、海底に近い場所だ。浜辺に出没したのがそもそも異常だよ」

「それプラス、積極的に攻撃してきたのも解せませんわね〜」

 

 いつの間にか注文していたチョコバナナサンデーを頬張りながらラナンが言う。

 

「ドラミドロの狩りは、いわゆる"張りこみ型"といわれる手法なんですの。小魚が通る辺りに毒の網を張り、獲物が掛かるのを待つ……っていうやつですわ。

 いざ網にかかったものには容赦しませんけれど、わざわざ遠出して自分から大技ぶっぱなすような性質(タチ)じゃないんですのよ」

 

 なべてポケモンというのは習性を色濃く受け継ぐ生き物だ。個体によってレベルの高い低いはあっても、狩りの仕方をまるっきり変えるというのはまず無いと言っていい。

 

 二人の博士は真剣な顔つきで目を見交わせた。

 

「……これは」

「ええ。調べる必要がありますわね」

 

 同時に立ち上がる。慌ててアイリスも後を追った。

 

「どこに行くの?」

「沖へ。本来のドラミドロの生息地を見てみよう。なにか異変があるかもしれない」

 

 海辺に急ぐククイの横顔は、固く強ばっていた。

 

 

 

 

 

 四

 

 毒の除去が終わるまでハウオリビーチは立ち入り禁止になっていたため、ククイ博士の研究所があるメレメレビーチから出発することになった。

 ごくこじんまりとした砂浜にやたら傷んだ研究所がある他は何も無い場所だった。あちらこちらで野生のヤングースやキャモメたちがのんびりくつろいでいる。このあたりのポケモンたちは人間を怖がるということがない。ちょっとでかいポケモンの一種とでも見なしているんだろうとククイは言った。

 

「アローラのポケモンは大なり小なりそういうところがある。おっとりというか、のんびりというか。警戒心が薄いんだ。だからこそ、ドラミドロの暴挙が信じられないんだよ。あんなことをする理由が必ずあるはずだ」

「それを見つけて解決するのがわたくしたちのミッションというわけですわね」

「そのとおり。──ライドオン! サメハダー!」

 

 手にしたライドギアを海に向けると、どこからともなくサメハダーが現れた。

 アイリスが目を輝かせる。

 

「なにこれ! ボールから出すんじゃなくてリモコンで呼ぶの?!」

「アローラが誇るライドシステムさ。カロスでも実験的に導入されているみたいだがね。ここじゃ、空を飛ぶのも海を渡るのも全部ライドポケモンたちに手伝ってもらうんだよ」

「わぁ、すごいすごい! アローラって面白いとこね!」

「アイリスはわたくしとライドしましょう。ライドオン! サメハダー!」

 

 ラナンが呼んだのはククイのとは異なり、鮮やかな赤紫色の鮫肌を持つ個体だった。

 

「それじゃ、カッ飛ばしますわよ」

「ゴーゴー!」

 

 後部座席のアイリスが拳を突き上げる。ラナンは不敵な笑みを浮かべ、前屈みに沈んだ。

 

「サメハダー、発進!」

 

 サメハダーの目がぎらりと光る。次の瞬間、すべての風景が置き去りにされた。

 

 

 ──ここでひとつ、余談を挟みたい。

 サメハダーは、別名を海のギャングという。狙った獲物を執拗に追い回し、ずたずたに噛みちぎる残虐さゆえだが、もうひとつ、他のポケモンには決して真似出来ない特徴があった。

 それが、俗に"サメジェット"と呼ばれる泳法である。

 

 泳いでいるうちに飲みこんだ海水を肛門から噴射して推進力とする。そのスピードはなんと時速120kmに達するというのだから驚きだ(さして長い時間使える技ではないのが欠点だが)。

 

 おまけにこのサメハダーは、かつてアローラに遊びに来たラナンが丹精こめて育てた個体である。鍛え抜かれた肉体と、負けず嫌いの性格が合致し、どのサメハダーよりも速く長いサメジェットを獲得するに到った。

 

 アイリスが笑っていられたのはほんの最初だけ、あとは物も言えないまま、必死にラナンにしがみつくことしか出来なかった。

 

 考えてもみてほしい。

 ジェットコースターを凌ぐ速度で海上を駆け抜ける感覚を。安全バーなど存在せず、己の肉体だけで命を繋ぎ止めねばならない恐ろしさを。

 

「ちょ、らな、と、とま」

「おーっほっほっほ!」

 

「とまって、おねがい、ちょっと、ねえ!」

「おーっほっほっほっほっほっほっほっほっほ!」

 

「お願いだからとまってぇえええ!」

「おーっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ!」

 

 制止の声を狂人の高笑いに掻き消され、アイリスは今日が命日かと覚悟した。

 

 

 

 

 

 五

 

 島の影も見えなくなった大海原の真ん中で、二頭のサメハダーは泳ぐのをやめた。

 太陽は中天から大きく傾き、水平線に沈み始めている。今宵は新月、急がねば帰ることも出来なくなる。

 

「ここらだな」

「ええ」

 

 ククイの言にラナンが頷く。

 ヨワシをルアーボールから呼びだした。特性が働き、みるみる巨大な魚群を形成する。

 

「お願いしますわね、ツヨシ」

「あー、そのまえに。アイリスは無事か?」

 

 ラナンはきょとんとした顔で背後を振り返った。若きジムリーダーが白目を剥きながらぐったりと座りこんでいる。ノンストップサメジェットの旅はなかなか刺激的だったようだ。

 

「アイリス。これから深海に潜りますけれど、準備はよろしくて?」

「……ぁー……」

 

 か細い声が漏れる。

 ラナンは自信満々に頷いた。

 

「いけそうですわね!」

「ダメだろ!」

 

 すかさずククイがライドギアでラプラスを招き、アイリスを移し替えた。

 

「こっちのほうが休めるだろ。ボクとラナンで潜ってくるから、少しの間留守を預かっててくれ」

 

 アイリスは弱々しく首肯した。

 同時に、頭の片隅で思う。

 ──なぜラナンは、サメジェット(あんなもの)が平気なくせに、飛行機ごときで酔うのか……と。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 巨大ヨワシ(ツヨシ)のダイビングで水底へと潜っていく。耳を圧する沈黙が痛い。大勢のポケモンがいそうなものなのに、ラブカス一匹見当たらなかった。

 

 上から射しこむ夕陽がどんどん届かなくなっていく。

 技の効果で張られた球状のバリアのなかで、ラナンが囁いた。

 

「やっぱり、おかしいですわ」

「ああ。野生が居なさすぎる」

「追い払われたか……それとも」

「食い荒らされたか、だな」

 

 それほどに貪婪なポケモンとはなにか。

 水タイプの名前を思いつくまま挙げてみる。

 

「あたり一面を捕食しちまうポケモンか……。一瞬ホエルオーかとも思ったが」

「彼らはプランクトンしか食べませんものね。群れていないヨワシならともかく、ドククラゲやランターンまで食べてしまうとは考えにくいですわ」

「ギャラドスは」

「だとするとわたくしたちが攻撃されていないのが不思議ですわ。すこぶる縄張り意識の強いポケモンですもの」

「ううん……ん?」

 

 どれもなんだかしっくりこない。

 首をひねっているうちに、バリアがぼふ、と着地した。ククイは、海底まで存外早かったなと思う反面、ある違和感を覚えた。

 "それ"は、大地にしては随分柔く、頼りなく思える。触れてみると、バリア越しにかさかさした感触が伝わってきた。

 

「これは……なんだ……?」

「ククイ、目を閉じていてくださいな。サキ!」

 

 ラナンがサンダース(サキ)を呼び、フラッシュを使わせた。真っ暗闇にパッと明かりが広がる。目元を手で覆っていたククイが少しずつ目を開くと、ようやく踏み場の正体が見えてきた。

 

 想像もしていなかった光景に絶句する。

 

「な……なんてこった……」

 

 それは地面などではなかった。

 二人は、からからに干からびたホエルオーの死体の上に立っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 六

 

 ククイは呆然と足元を見やった。

 こんな死に様があるだろうか。襲われたのだとすれば、いったいどんなポケモンがこんな芸当を可能にするというのだろう。

 

「ククイ」

 

 ラナンの声は下から聞こえた。いつの間にかヨワシのバリアから脱けだし、ホエルオーの口元に降りていたらしい。ククイが慌てて後を追う。

 

「おいおいおい! 無茶なことするなよ! ……って、ああ、群れからヨワシを連れていたのか」

 

 ラナンの肩口でヨワシが一匹、ぴちぴちと泳いでいた。ダイビングのバリアは魚群状態のそれに比べるとひと回り小さく、ラナン一人を囲むのでやっとのサイズである。

 

「おーっほっほっほ! さすがのわたくしも生身で深海にいたらちょっと息苦しくなってしまいますわ! それよりほら、ここをご覧になって」

 

 ラナンが指さしたのはホエルオーの右目の下あたりだった。得体の知れない穴が空いている。ククイが握りこぶしを当ててみると、ほぼ同じくらいの大きさだった。

 

「なんなんでしょう、これ?」

「うーん、分からん。ボクにはなんとなく、アゲハントが口吻を突き刺した跡のようにも見えるんだが……深海に虫ポケモンがいるはずもないしなあ」

 

 その言葉に、ラナンはハッと目を見開いた。

 

 蜜を吸う虫。海には一種だけ、それによく似た習性を持つポケモンがいやしなかったか。獲物の体に取りついて、相手がどんなに暴れても決して離さず、最後の一滴まで搾りとってしまうというポケモンが。

 

 もう一度、ホエルオーの肉体に触れる。この個体は死んでから随分経つようだ。

 きっと次の餌を求めて彷徨っている。限界まで腹を空かせて。

 

 ドラミドロの姿が脳裏に甦った。

 深海にいるはずのドラゴン。彼の住処はやはりここだったのではないだろうか? 

 勝負し、負けて、追われ追われて逃げるうちに、ハウオリビーチの近くまできてしまったのだとすれば。

 

 ラナンのなかで、全てのピースがぱちりと嵌った。

 

「──ククイ、一刻も早く戻りますわよ!」

「ラナン?」

「アイリスがあぶないですわ!」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 惜しかった。ああ悔しい。ああ勿体ない。

 長い尾鰭をくねらせながら、私は何度目かの悪態をついた。

 

 あとすこし。ほんの少しの差で、ドラミドロを吸ってやることができたのに。

 

 ずいぶんと浅い海のほうまで逃げられ、こっちが太陽に眩んでいるあいだにどこかに消えてしまった。

 超音波で混乱させたところまでは、うまくいっていたのだが。

 

 腹の虫が鳴る。

 ちくしょう、腹が減った。

 欲に任せて食い漁ったせいで、餌がみんないなくなってしまった。最後のご馳走──あのホエルオーを食べてから、もう何日経っただろう。

 ドラミドロ(あいつ)を逃がしたのがつくづく悔やまれる。あれの毒エキスは珍味だ。ゆっくりじっくり味わいたかったのに。

 

 ふと目をあげると、海上になにかがいた。

 それなりにデカい。あの影は──ラプラスだ。

 

 喉の奥で小さく笑った。

 私はつくづく運が良い。

 まだこのあたりに、あんな無防備なバカが残っていたとは。

 じっと観察してみると、ラプラスに何かが乗っているのが分かった。

 あれはたしか、ニンゲンという生き物だ。

 

 おもわず舌なめずりをする。

 ニンゲンはまだ食べたことがなかった。どんな味がするのだろう。未知の餌を前にするといつだって心が踊る。

 

 ああ、もう我慢できない。

 私はゆっくりと距離を詰めた────。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 アイリスはふと目を覚ました。ラプラスの上で待つあいだ、すっかり眠ってしまったらしい。夕陽は完全に没し、さざ波だけがそばにあった。

 頭上の星空に手を伸ばす。ぞっとするような美しさだ。月が出ていないせいか、星屑の一粒一粒がよく見えた。

 

「きれい……」

 

 独白に、ラプラスがきゅうと鳴く。賢い子だ、相槌をうってくれるのか。愛おしくなって首筋を撫でてやる。ラプラスが首を廻らせ、またきゅうと鳴いた。

 

「こんど、ラプラスも育ててみようかな」

 

 呟きに、ラプラスが目を細め。

 次の瞬間、気が触れたように暴れだした! 

 

「え、ら、ラプラスっ、どうしたの?!」

 

 止める暇もあらばこそ、アイリスは為す術なく振り落とされた。鼻に口に、塩辛い水がどっと流れこむ。浮き上がろうともがく手足が、なにかに絡め取られた。

 

(なにこれ……なに……!?)

 

 動けば動くほどきつく締めつけられていく。肺を圧迫されて、ひときわ大きな泡が漏れ出た。アイリスの瞳が絶望に染まる。

 

(しんじゃう、こわい、たすけて、しんじゃう、やだ、しにたくない! だれか……だれか……!)

 

 どれほど願っても、応えるものはどこにもいない。いよいよ死の足音が大きく響きはじめた瞬間、大きな力に引っ張られ、唐突に浮上した。恋い焦がれた酸素が鼻腔を満たす。

 ヨワシの群れの上で咳きこむアイリスを、柔らかい腕が抱きしめた。

 

「あっぶねぇとこでしたわ〜! 大丈夫ですの?」

 

 その声に、アイリスはおもわず涙した。

 

「げほ、ら……らなん……!」

 

 ラナンは慈愛に満ちた眼差しで、華やかに微笑んだ。

 

「ええ、わたくしでしてよ」

「ボクもいるぜ! ぅおおっと!」

「ククイさん……!」

 

 ククイはラプラスの背に跨り、じっと容態を観察した。呼吸が荒く、焦点も定まっていない。極度の混乱状態に陥っているのは誰の目にも明らかだった。

 

「超音波でも食らっちまったようだな。辛かったろ。ほら、もう大丈夫だ」

 

 口の端からラムの実を押しこむ。欠片を飲みこんだ途端、ラプラスがぴたりと大人しくなった。

 

「よーしよし。落ち着いたな。こっちはオーケーだ、ラナン!」

「感謝しますわククイ。そして、よく頑張りましたわね、アイリス。

 ──フィッツ、サイコキネシス!」

 

 ラナンの隣に座るエーフィが額の紅玉を輝かせると、アイリスを拘束していた何かがずるりと持ち上げられた。

 それは桃色の鱗を持ち、驚くほど大きく、長かった。

 暗く濁った目がアイリスを射すくめる。

 深海にのみ棲息し、滅多に人前に出ることの無いポケモン。その名は────

 

「サクラビス……?」

「ええ」

 

 ラナンが真剣な面持ちで睨めあげる。

 

「これが、ドラミドロやラプラスを狂わせ、ホエルオーを吸い尽くし、あたりを死の海に変えたポケモンですわ」

 

 サクラビスは、邪悪な声で低く嘲笑った。

 

 

 

 

 

 七

 

 アイリスはぐっと胸元を握りしめた。

 サクラビスを飼育するのは至難の業だ。深海と同等の環境を用意し、底なしの食欲を満たし続けてやらねばならない。一説によると、カビゴンに次ぐ大食漢だという。

 

 だから見るのはこれが初めてなのだが、それでもこの個体が異常種であるのは一目で分かった。

 

 三、いや四メートルはあるだろう、平均をゆうに越す体長。禍々しく尖った口吻。爛々と光る目つき。

 エーフィのサイコキネシスで浮かされていて尚、絶対的捕食者であるという自負と驕りが、全身から溢れ出ていた。

 

「油断大敵ですわよフィッツ。そのまま抑えていてくださいまし。いま捕獲いたしますわ」

 

 ラナンが空のボールを構える。サクラビスは眼を弧に歪ませた。

 挑発的な表情に、亀裂が走る。

 バキバキと異様な音を立て、サクラビスの体が()()()()()()()()()()()()

 

「な!?」

 

 ラナンの動揺がエーフィ(フィッツ)にも伝わり、ほんのわずか、念力が弛んだ。それだけで、サクラビスには充分だった。

 

 先程までの肉体を捨て、ひとまわり小さくなったサクラビスが躍り出る。長い尾鰭が空気を裂いてエーフィを打ち据えた! 

 エーフィが声もなく吹っ飛んでいく。嬉々として追おうとする背中に、アイリスが叫んだ。

 

「ダメぇっ! カイリュー、止めて!」

 

 アイリスのボールから放たれたカイリューが怒りの拳を振るう。だがサクラビスは余裕たっぷりに回避し、水中に沈んだ。

 

「くそ……!」

 

 ククイは歯を食いしばった。脳裏にはまだ、ホエルオーの哀れな姿が生々しく刻まれている。エーフィもああなってしまったら……。最悪な想像が止まらない。

 けれども、同じものを見たはずのラナンは一切怯まなかった。

 

「まさか殻を破ってくるとは、びっくりしましたわ〜」

 

 敵ながら天晴れとでも言いたげな顔で感心している。そして不敵な笑みを浮かべた。

 

「相手にとって不足なし! フィッツ、()()()()()()()()!」

 

 海に落ちていたエーフィがサイコキネシスで浮遊する。何をするのかと見守っていたククイとアイリスは、あんぐりと口を開けた。

 

 それはおよそありえない光景だった。

 濡れそぼったエーフィの毛が黄色く染まり、滑らかだった毛並みが刺々しい形に伸びていく。ぶるりと身震いする姿は、どこから見てもエーフィには見えなかった。瞬きほどのわずかな時間で、サンダースに変身したのである!

 

「さあ、サキ! パーティーのお時間ですわ!」

 

 ラナンが呼んだライドサメハダーの上に着地し、サンダース(サキ)が吠える。晴れた夜空に雷雲がかかり、局地的な豪雨が降り注いだ。

 

「変身した……!? 嘘だろ、それはメタモンしか使えない技のはず……!」ククイが呻くように言った。

 

 彼の驚きは正しい。まったく別のポケモンに変わってしまえるのは、世界広しといえどもメタモンだけなのだ。

 たとえ不安定な遺伝子を持つイーブイであっても、ひとたび進化してしまえば別の姿には成れない。

 そんな常識があっさりと破られて、ククイの心情は大いに乱された。

 

「放電で炙りだしますわよ〜! アイリスはライドポケモンを守ってあげてくださいまし!」

 

 呆けていたアイリスは慌ててカイリューを呼び戻し、ラプラスの近くでバリアを展開した。一瞬後、目も眩むような稲光が迸る! 

 

「ギュァアアァア!」

 

 たまらずサクラビスが飛び出してきた。電撃を食らって無防備な躰にダメ押しのミサイル針が突き刺さる!

 サクラビスは怒りに燃える目でハイドロポンプを撃ち放った。激流が当たるより直前、サンダースの姿が切り替わる。

 水柱が立ち昇り、収まったあとには、シャワーズが気持ちよさそうに飛沫を浴びていた。

 

「ワーズワースの特性は貯水……。水技はウェルカムですわ〜! おーっほっほっほ!」

 

「〜〜〜〜……っ!」

 

 サクラビスは激怒した。

 何十何百と敵を屠ってきた。自分より大きな相手すら、ただの馳走(エサ)でしか無かったのに! 

 

(こんな……こんなチビにぃ……っ!)

 

 憤怒に身が震える。

 なんとしても喰らってやらねば気が済まない。

 全身に力が漲った。

 幸い、雨が降っている。殻も破った。全力で泳げば、目にも止まらぬスピードで仕留めることが出来る……! 

 

 海中に沈んだ。シャワーズが追ってくればよし。追わずともよし。どちらにしても、一撃でサメハダー諸共貫いてやる。

 

 ぐっと身を縮め、フルパワーで伸び上がった。

 

 

 ──サクラビスの誤算は二つあった。

 

 ひとつは、己のダメージを計算に入れていなかったこと。先のミサイル針で尾鰭がずたずたに引き裂かれており、思うように泳ぐことが出来なくなっていた。

 怒りで痛みを忘れていなければ、もっと慎重に動いただろう。

 

 ふたつめは、サメハダーが少しずつ速くなっているのに気づかなかったことだ。彼らは泳げば泳ぐほど加速する特性をもっている。傷ついたサクラビスの突撃を躱すことなど、造作もない。

 

 サクラビスの攻撃をあっさりと避けたサメハダーの上で、シャワーズは再び変身した。

 

 闇夜に溶ける毛並み、円輪を描く金の紋様。研ぎ澄まされた鉤爪が、攻撃直後の伸び切った肉体を切り裂いた。

 

「ギュァアァアァア……!」

 

 断末魔の叫びが響き渡る。

 果たして、サクラビスはぐにゃりと脱力し、波間に漂った。

 

「──勝負あり、だな」

 ククイがやれやれと帽子を被り直す。

 

「お見事ですわ、クロード!」

 歓喜するラナンに、ブラッキーはふんと鼻を鳴らした。

 

 

 

 

 

 

 八

 

 ハウオリシティ・ハウオリホテルの一室。

 

「……これでよしっ、と」

 

 荷物と土産でぱんぱんのスーツケースを閉じ、ラナンはふうと額を拭った。

 遠い目で窓の外を見やる。アローラの空は今日も快晴、気持ちのいい風が吹いていた。

 

「一週間……過ぎてしまえばあっという間でしたわね……。さらばアローラ、さらばバカンス! わたくしはまた明日から研究の日々でしてよ……!」

 

 よよよ、とハンカチを噛み締め落涙する。芝居がかった仕草を、アイリスはハイハイと受け流した。

 

「ラナンのとこにもきれーな海あるんでしょ? そこで泳げばいいじゃない」

「さすがにアローラには負けましてよ〜。ああほんとうに、シュノーケリングもマンタインサーフもお排泄物(クッッッッソ)楽しかったですわ……。わたくしが死んだら遺灰はアローラの海に撒いてほしい……」

「それ、法律違反なんだって」

「……バレなきゃワンチャン……」

「ダメです。ほらもう行くよ! チェックアウトの時間過ぎてるんだから」

 

 ぐずるラナンを連れてホテルのロビーに降りると、ククイが妻のバーネット博士と共に待っていた。

 

「ハァイお二人さん! アローラは楽しかった?」

 

 バーネットの問いに、アイリスはぴょんぴょん飛び跳ねた。

 

「もう最高でした! 絶対絶対また来ます! 次はジムリーダー・アイリスじゃなくて、チャンピオン・アイリスとして!」

「ワァオ! 最高よあなた! 夢は高くでっかく持たなくちゃね!」

「ふっ。それならわたくしはただのラナンキュラス博士ではなく、ネオ・ラナンキュラス博士となって舞い戻ってきますわよ〜! おーっほっほっほ!」

「いいね! 最高! どういう意味かはビタイチ分かんないけど!」

 

 バーネットがサムズアップする。賑やかな三人を眺めていたククイは、少々わざとらしく咳払いをした。

 

「宴もたけなわってとこだが、フライトに間に合わなくなるぜ。さあ皆の衆、ボクの車に乗った乗った!」

 

 わいわいと喋りながらバンに乗りこむ。いつも通り助手席に乗ろうとするバーネットを目顔で押しとどめ、ラナンを座らせた。

 空港へは車で十分ほどの距離がある。ククイはなんとしても、この隙にイーブイの秘密を聞き出したかった。

 

 後部座席でバーネットとアイリスが話に花を咲かせているうちに、小声で囁き交わす。

 

「さあラナン。喋ってもらおうか」

「あら、何をですの?」

「とぼけるなよ。ボクが聞きたいことはわかるだろ?」

「……イーブイ(あの子)の秘密、ですわね?」

 

 交差点の信号が黄色く光る。いつもなら加速して行き過ぎるが、今回は丁寧にブレーキを踏んだ。後ろのバーネットが「あら珍しい」と目を丸くする。

 

「メタモン以外に"変身"は使えない。あのイーブイはなんなんだ? 突然変異か、それとも君の研究の賜物か?」

 

 後半はジョークのつもりだった。

 しかし、ラナンはついと視線を逸らし、遠くに広がるハウオリビーチを眺めた。

 不安になるほどの沈黙を置いて、ぽつりと答える。

 

「……研究の結果といえば、そうですわね」

「……!?」

 

 ククイは気色ばんだ。

 ポケモンの遺伝子に手を加えることは、ポケモン研究において最大の禁忌とされている。まさか色違いを量産しようとして、そんなものに手を染めたのか。

 だが、振り向いたラナンを見た途端、ククイは己の間違いを悟った。

 

 ラナンの顔からは、あらゆる表情が消えていた。

 いつもの天真爛漫な雰囲気はどこにもない。整った容姿もあいまって、血の通わない精巧な人形のようだった。

 ちいさな、ほんとうに小さな声で呟く。隣のククイだけに聞こえる声色で。

 

「ロケット団……」

「──え?」

「ロケット団と名乗るマフィアが、口にするのもおぞましい"研究"の果てに実らせた歪な結晶……それが」

 

 ちき、とヘビーボールを握る。中で、イーブイがすやすやと眠っていた。

 

「この子なんですわ。……お教えできるのはここまで。前をご覧なさいな」

 

 クラクションを鳴らされ、ククイは慌ててハンドルを切った。もう少しで危うく分離帯をはみ出るところだった。

 

「あぶないわよあなた!」

「すまんすまん! よそ見してた」

 

 バーネットの叱責に頭を下げる。ちらりと目を走らせると、もういつも通りのラナンに戻っていた。

 

(ロケット団、か)

 

 カントー地方を中心に暗躍する裏組織。名前だけはククイも聞いている。

 金のためなら何でもする非道な集団だとも。

 

(……調べてみよう)

 

 組織の規模と勢力ぐらいは把握しておきたい。もしもアローラに触手を伸ばしてこようものなら、芽が出る前に捩じ伏せてやる。アローラは生まれ育った愛すべき土地だ。おぞましい実験など絶対にさせたくはなかった。

 

 

 

 出発カウンター前。

 アイリスとバーネットが抱き合っている横で、ククイは飾り気のない紙袋を差し出した。

 

「ラッピングぐらいしろと言われそうだが、時間が無くてね。貰ってくれるとありがたい」

「まあ、プレゼントですの? 開けてみても?」

 

 ククイは手まねで促した。袋を覗きこんだラナンが、「まあ!」と大きな声を出す。

 中には、ラナンも見たことの無いボールが沢山入っていた。青地に白の紋様、スイッチ部分を四隅から囲うように入った金細工。

 

「エーテル財団が開発した新ボール、ウルトラボールさ。気に入ってくれたかな?」

 

 返事は聞くまでもなかった。喜色満面でククイに飛びつく。

 

「最っっっっ高のプレゼントでしてよ! 愛してますわククイ!!!!」

「おーっと! 情熱的だなラナン!」

「なになに? たのしそーなことしてんじゃない! アタシも混ぜなさいよ!」

「ならあたしもー!」

 

 バーネットとアイリスも抱きついて、四人はどっと笑った。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 数年後。

 朝食のコーヒーを楽しんでいたククイは、スマホロトムに入ってきた新着ニュースを見、頬を綻ばせた。

 

「おおい、ぼくの大事なひと!」

「なあにー、アタシの大事なあなた!」

「おいでよ、ボクらの大好きなお姫様がとうとうやったぞ!」

「ええ? ……あらぁ!」

 

 バーネットは大きなお腹をさすりながら、歓喜の声をあげた。

 

 

《速報 イッシュの新チャンピオン・アイリス誕生》

 

「今年はめでたいことだらけね、あなた!」

「ああ……!」

 

ククイは力強く拳を握り、彼方に霞むラナキラマウンテンを見つめた。

アローラ初のポケモンリーグは、もうすぐ竣工を迎える。

 

 

 

 




マイナーポケモンは数あれど、サクラビスは飛び抜けてマイナーなんじゃないでしょうか。
なにしろ野生で出ることがないし、モブトレーナーもほぼ使ってきません。
進化条件も分かりづらいという数え役満。
そのくせ図鑑説明がちょっと不気味というね。
個人的にはビジュアル含めて結構すきです。
からやぶバトンの数少ない使い手だし。
サクラビスファンの方、なんかおどろおどろしい描写が続いて申し訳ない。書いててめっちゃ楽しかったです。

イーブイの進化先に毎回悩む身として、チート級の設定を付けました。
いつでも何度でも任意の姿に変身できたらええやん!(ええやん!)
いちおうその能力を授かるにいたった経緯も考えてはいます。
書けるかは未定です(土下寝)。
ちなみにブイズのニックネームは名前の一部をもじった世界的な作家名で統一しています。
エーフィ→フィッツジェラルド、サンダース→サキ、シャワーズ→ワーズワース、ブラッキー→クロード(月光の作曲家クロード・ドビュッシーから)。
ブイズの名前ってなんか凝りたくありません? 僕だけ?

感想、評価いつもありがとうございます。ほんとにほんとに嬉しいです。
クソ暑い真夏のさなか、すこしでも楽しめる作品となっていれば幸いです。

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