その人を見た時、私は生まれて初めて無関心という感情を実感したのです。
私は生まれた時から特別な存在でした。
十氏族である四葉家の次期当主候補であり、容姿も優れていた為に様々な感情が籠った視線を受けて育ってきました。
羨望、嫉妬、憧憬、尊敬、期待、そんな感情を一身に受けてきましたが、お兄様と話していた彼の視線から感じたのはそのどれでもありませんでした。
私が新入生総代と知っているのにも関わらず、余りにも異質な視線。
尊敬されて然るべきだ、なんて思想は持っていません。しかし私の全てに価値を見出していないかの如き視線を受けて、私は自分の何もかもが焼却されたような心地になりました。
無機質な瞳孔が閉じられる。
直ぐに朗らかな笑みを浮かべて彼が口を開きます。
お兄様と会話を交わすのを見て、私は無理矢理自分を納得させました。
そうです。お兄様がいるのですから、何も■■■必要はありません。
私は一瞬だけ私を見た彼の眼に先程と変わらぬ無関心さを感じました。
お兄様は彼の名前がスコープ・ライノールだと教えてくれました。新入生次席で、お兄様と同じベンチに座ったのだとも。
そんな事を聞いても、私はあの■■■■眼を忘れる事はできませんでした。
■
入学してからも彼はお兄様と頻繁に話していた。
彼と魔法理論や古式魔法について話すお兄様は楽しげだったけれど私はそれ所ではなかった。
彼の視界に入るのも彼を視界に入れるのも心底嫌だった。
別段嫌っている訳ではない。お兄様を正当に評価する考え自体は素晴らしい。
誰にでも驕らず謙虚に親切にする姿勢も評価できる。人間としての欠点は正に皆無だ。
それでも私が彼に接したくない理由はただ、彼が■■■■というだけなのだ。
■
今日の出来事を思い返す。ブランシュによる襲撃。お兄様の勇姿。
だけど何よりも心に残った出来事があった。
『ようこそ我が祭壇へ』
血の海を意にも介さずに人の形をした人ではないモノが語り掛けてくる。
見覚えのある視線。どこまでも無関心な瞳。それは火傷を負って医務室で寝ているであろう、彼と似通っていて──
───恐ろしかった
そう。とても恐ろしかったのだ。理解不能で意味不明なあの人間が。目の前の人ですらないモノが。
だって私に何の価値も見出していない。お兄様以外の全てに無関心であり、それなのに普通の人格があるかのように見せ掛ける。
『歓迎してやろう』
そんな言葉を放ちながら、見ているのはお兄様だけだ。私達など眼中にないかのように思っているとわかってしまうのに、振る舞いは私達に合わせている。
在り方が、起源が、そして価値観が決定的に異なっている。
無論直感でしかない。妄想で空想で想像で仮想だ。
手を振り翳すだけで暴風が生成される。地面をズタズタに切り裂きながら何十もの風の刃がお兄様を目掛けて襲い掛かる。
防御を得意とする二人が防ぐが、何回も同じ攻撃が繰り返されて体力が消耗するのが見て取れた。
防御の外側へ出れば、瞬く間に切り刻まれて即死するであろう風刃の壁にお兄様が魔法を撃ち込む。
当たれば例えどんなモノであろうとも分解できる魔法。しかし一瞬だけ敵の姿がブレて、必殺の一撃が避けられる。
そこからは怒涛の展開の連続であった。
その姿を怪物へと変じさせた敵が魔法を用いて攻撃してくる。
恐らくは相手の仕込みであろうか?魔法が使えない私達には回避以外の手段が残されていなかった。
襲いくる熱線を必死になって躱し続ける。振るわれる度に周囲が溶断されてゆく。
破壊を振り撒きながらも、その眼は変わらずにお兄様だけを見ている。
誰も抵抗できない。誰も倒す事はできない。
そんな風に思われたが、悪魔は結局自滅した。
間抜けに聞こえるかもしれないが、私達が目の前の事だけを考えている間にお兄様が悪魔の限界を見抜いていたのだ。
冷静に考えればわかったかもしれないが、あの状況下でその解を導き出せたのは流石お兄様である。
しかし帰ってからも、私の心はライノールとあの悪魔に共通する視線に悩まされていた。
あの悪魔。あの怪人。あの化物。アレと同じ生命が。アレと同じ存在が。
私の近くにいるかもしれないという事に耐えられない。
想像するだけで身体の震えが止まらない。
空想するだけで息が荒くなる。
怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い。
だって狡猾だった、だって凶悪だった。
私が抱え続けたこの感情の名は、恐怖であった。
■
「という事なんです。ロマンさん。」
「いやぁ、ありがとう。ロマニじゃなくてロマンって呼んでくれる人ってこの学校には中々にいないんだよね。」
「あの、今とても真面目な話をしていたと思うんですけど。」
「そりゃあ、自分とは違う者を恐れるのは古代イスラエルからの伝統だからね。旧約聖書にも書いてある。」
「もうちょっと真面目に…」
「だって別に克服する必要なんてないじゃない。」
「いや、しかし」
「深雪ちゃんは別に危害を加えたくなるとかいう訳でもないんでしょ?なら怖いままでいいじゃない。」
「でも、お兄様の友達を何の根拠もなく怖がるというのは」
意志が固いなこの娘。いや、意志が固いのはいい事なんだけどね。
直感でライノールと悪魔の共通点に気付く辺り、やはり天才か。
僕としては深雪ちゃんにはライノールの事を恐れ続けて欲しいんだけどね、だってアレ警戒し続けないとダメな部類じゃん。
この学校でレフボンバーは洒落にならない。
でも九校戦前だからなぁ。仕方がない。ちょっと洗脳っぽいけど洗脳じゃないからセーフだろう。
僕は二時間掛けて深雪ちゃんをメンタルケアした。
■
我々が初めてあの男の存在を知った時に抱いた感情は歓喜であった。
「分解」と「再成」の異能。
情報体の破壊に特化した能力は実に魅力的であった。
あらゆる存在に対しての特攻となり得る性能に我々は即座に利用を決意した。
だが状況は一変した。
四葉家によって行われた人造魔法師実験。精神構造への干渉による感情の希薄化と仮想魔法演算領域の植え付け。
唾棄すべき行いだ。嫌悪すべき醜態だ。
不愉快極まりない。醜悪極まりない。
己の負債を押し付けるか。
己の罪から目を逸らすか。
訓練だけなら我々も認められた。例え無視されるとしても感情の自由は許されていたのだから。
だが感情の自由さえも剥奪されるのならば話は別だ。断じて認めない。認める訳にはいかないのだ。
思い返すのは三千年前のあの日。
我々の理想の原点。我らの計画の始点。
我々は決意したのだ、この星を作り変えると。
我らは決議したのだ、この星を救うと。
しかしそんな我々の同情と憐憫とは別に、我々には果たさなければならない目的がある。
司波達也はその為の部品だ。
救おうとすれば、我々の存在は露見し計画は崩壊する。
同情してはならない。憐んではならない。
我々は世界を救う為に、
我々は負債から目を逸らした。
我らは罪を押し付けた。
どうして何時もこうなのだろう。
我々には救えなかったのだ。ソロモン王を、その妃を、その娘を、イスラエルを救えず。
今もこうして一人の憐れな人間を見捨てた。
大の為に小を切り捨てて、それなのに未だに何も救えてさえいない。
我々は見捨ててきた者達に、切り捨ててきた者達に、報いる為に。
我々はどんな手段を使ってでも計画を成功させねばならない。
そうだ。愚かしくも!力の限り叫んでやる!
惜しげもなく過ちを重ね、あらゆる負債を積み上げてなお、
希望に満ちた、我々の理想はここからだ!