十五才の微熱   作:風吹18号

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「………ねえ、ひよりちゃん。海を見に、行こうか」

 

 『The End』とエンドマークが表示され、映画が終わる。真隣で寝転んでいた小春が、そうささやいた。

 

「………うん。わたしは………ここから、出てみたい」

 

「………もう外は暗くて寒いだろうから、ちゃんと着込んで行こう」

 

 小春の言う通り、外はすっかり帳が下りていて、ひさしぶりに外気を感じたわたしは、ぴゅうと吹く横風に、思わず両腕で身体を抱いた。

 

「少しずつでいいから、ゆっくり向かおう」

 

 小春の左手が伸びる。自然とわたしは腕を解いて、自分の右手と重ね合わせた。二週間ぶりの世界は、思ったよりわたしには厳しくないように思えた。それは、映画のおかげだろうか。それとも、横にいる彼女の。

 

 それからしばらくはお互い無言だった。小春がこのときなにを考えていたかはわからない。でも、わたしたちの歩幅はぴったり同じで、一歩一歩、着実に求める場所に向かっていた。

 

 あ、潮の香りがしてきた。なつかしい。

 

「——着いたね」

 

 薄暗くてひと気のない海岸は、わたしの五感を最大限に働かせる。さざめく波の音や、少し荒れっぽい陸風の感触など、質のある情報がわたしのこころのなかを循環する。あれほど恐れていた情報の渦潮も、いまはむしろ爽快に感じる。ひきこもって閉ざされていたドアがゆっくりと開いて、淡い多幸感で満たされていく。

 

 しかし、いや、やはりと言うべきか、反動的に『なにか』がまたうごめきだすのを感じる。軽く微笑んでいた顔が、キュッと引き締まる。小春と握っていた手にも力が入る。

 

「ひよりちゃん?」

 

「っ……!ご、ごめん。痛かった……?」

 

「ううん、大丈夫だよ。それより、ひよりちゃんは大丈夫なの?」

 

「うん………」

 

「よかった」

 

「……………」

 

「……………」

 

「……………ねえ、小春——これから、ヘンなことを言うかもしれないけど、聞いてくれる?」

 

「……………もちろんだよ。ちゃんと聴く」

 

「ありがとう。………あのね、どう表現したらいいかわからないんだけど、わたしのなかには自分自身を根本から揺るがす『なにか』があって、それがわたしのこころという海をずっと泳ぎ回ってるの。きっと、お父さんが死んでから『なにか』はうまれて、成長しつづけている。『なにか』が海面に近づくと、すごい恐怖に駆られる。怖くて怖くてたまらなくて、わたしが小春や家族に対してしてしまった、態度や——症状が出る」

 

「………うん」

 

「それでね、怒らないでほしいんだけど、その『なにか』は、小春にもあるんじゃないかと思ってるの。わたしの精神の視界からは、小春の海にも『なにか』の魚影がチラチラ見えていて、なんというか——それが魅力的で、目が離せないんだ」

 

「………すぐに理解できることではないけど、たしかに、わたしのなかにもひよりちゃんが言うところの『なにか』はあるかもしれない。お父さんの死でひよりちゃんのなかに『なにか』ができたのだとしたら、わたしにとっての『なにか』は、弟とお母さんの死で醸成されたのかな?」

 

「共通するとしたら、そうかもしれない………ごめん、それを『魅力的』って言ってしまって。でも、小春は明るい性格が目立つけど、あなたはもっと多面的で、深みがあって、それは『なにか』によるからだと思うんだ。けれど、魅力的に見える反面、ときおりかなしみのオーラも放つ小春を、わたしはずっと助けたかった。小春の『なにか』を『釣りたい』と思った」

 

「………ぷっ」

 

「え………?」

 

「く、くふふ………あはははっ!」

 

「ど、どうしたの小春?あっ、ご、ごめん、失礼なことをわたしは——」

 

「ち、ちがうのひよりちゃんっ。だって、『釣りたい』って言うからっ。『わたしのこころという海』もそうだけど、なんでも釣り人視点で表現するひよりちゃんがおもしろくって………!」

 

「そ、それは………認めるけど」

 

「ふふっ………でも、あながち間違いじゃないね。わたしも、あなたをずっと救いたいと思っていた。『症状』が出る前から——あなたにはじめて会ってから。ひよりちゃんも『なにか』ゆえに魅力的な人間なんだって、いまならそう表現できる。でも、『なにか』を泳がせつづけるわけにはいかない。そうだよね?」

 

「………うん」

 

「じゃあさ………ここでほんとうに釣り上げちゃおう!——それでね、はじめて会ったときみたいに、ここでわたしたちの『なにか』をさばいて……食べちゃおうよ」

 

「えっ………?」

 

「せっかく釣るんだからさ、味わっちゃおうよ。食べて、消化させて……わたしたちの身体の一部にしよう。お互いの『なにか』を食べあって、共有するの。釣り上げても、ずっとそれを持っておくわけにはいかないでしょ?ひよりちゃんがわたしにとって、わたしがひよりちゃんにとって魅力的な要素を取り除くだけなのは、もったいないよ」

 

「………そうしたら、わたしたちはどうなるのかな?」

 

「わからない。でも、いろんなことを受容しやすくなるかもしれない。こんなにかなしい世のなかだけど、清も濁も内包しながら生きる人間は、きっとチャーミングで、やさしいよ」

 

「………そうだね。わたしももっと、外に出て、なんとか、生きてみたい」

 

「………『がんばって』とは言いたくない。もうひよりちゃんは戦っているからね。だからわたしにできるのは、あなたといっしょに『なにか』を食べて、ネガティブもポジティブもぜんぶ消化させて、身体に染み込ませながら、これからも人生を並走することかな」

 

「………お願い、できる?」

 

「もちろん」

 

 中途半端でも、不完全でも、かなしくてもいいから、生きていたい。外に出たい。わたしは、今度はやさしく、小春とつないだ手に力を込めた。

 

 * * *

 

 それからは、学校にも再び通えるようになった。一ヶ月と少しぶりの登校日、玄関では恋ちゃんが待ってくれていて、わたしの顔を見るや、ぽろぽろと、やさしい涙を流した。わたしはいろんなひとに助けられてきたことをひしひしと感じながら、これからどう恩を返していこうか、考えていた。

 

 一誠さんとの関係も、少しずつではあるが、良い方向に変わってきていると思う。『お父さん』ではない『お父さん』を、一人の親として、『人間』として、受け入れていきたい。二人で話すことも最近は増えてきており、むずがゆさを感じながらも、会話をたのしんでいる。

 

 症状が完治したわけではない。わたしの手は、『お父さんの手』とリンクしていて、その感覚がなくなることはない。苦しさは波のようにやってくるけど、あるがままに受容するようになると、不思議と、この手は、お父さんとわたしを結ぶ不変的な『絆』である気がしてくるのだ。ならばいっそ、亡くなったお父さんが、わたしの手をひしと握りしめながら、生前によく見たあのやさしい顔で微笑んでくれているのだと、『あたらしい曲解』をもって考えるようになった。——夜空に輝く星々がわたしを眺めているように、この手をつないだお父さんが、わたしを見守ってくれているのだ。

 

 * * *

 

 きょうもフライロッドを持って、海に出かける。もちろん、彼女といっしょに。

 

「ひよりちゃん〜!お魚、いっぱい釣ろうね!!」

 

 ゆっくりと、ループを描いて、キャストする。

 

 ——海は常に動きつづける。きのうの海ときょうの海は、ちょっとちがう。少しずつ、悠々と、ときには躍動的に、変化する。わたし、わたしのこころ、小春、彼女のこころ、二人の関係性、それらはつまり『海』だ。そして、その海に棲まう魚たちは、すべてうつくしく蟲惑的で、釣り人のわたしを『釣りたい』気持ちにさせる。また、釣った魚は、命に感謝しつつさばいて食べることもある。そうして咀嚼した魚は『わたしたち』のなかで消化され、強さと弱さがともに内包された深い『経験』となる。

 

 あの夜、二人で釣り上げていっしょに食べた『なにか』の味は、わたしと小春だけの秘密だ。

 

           ——The

               End——

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