La vie en rose 作:T・Y・ムンチャクッパス
前回から3年近く経っていることに改めて月日の速さを感じ恐怖しました。
「カット!」
監督の低い声が響くと張りつめていた場の空気がようやく和らいだ。それに伴い周りのスタッフたちの安堵の声が漏れ、所々で声が上がる。
「ふぅー」
思わず大きな息が出た。監督名から覚悟はしていたが今日の撮影は本当にハードだったから。
「お疲れ一花ちゃん」
「あ、はいお疲れ様です」
マネージャーが水を片手にねぎらいの表情で近づいてくる。
「大丈夫?やっぱりハードな現場だったねー」
「そうですね。ちょっと疲れちゃいました」
「でも難しい役なのにきちんと演じてたじゃない」
「いえ。何度かNG出しちゃいましたし。反省しなきゃ」
「確かに今日はちょっと多かったね。どうしたの?調子でも悪かった?」
「……ええまぁ。ちょっと考えることがあってかあまり眠れなくて」
「駄目だよ。忙しい身なんだから睡眠をとれるときはとっておかないと」
「そうですね。すみません、監督やスタッフに迷惑かけたし謝りに行った方がいいですか?」
「いやいやいいよ。そもそもあの監督さんが厳しすぎるんだよ。充分良い演技してたって。女優として更に磨きがかかってきたんじゃないかな。私も鼻が高いよ」
「あはは。ありがとうございます」
おそらくは半分おべっかであろうマネージャーの言葉を受け流す。
もう慣れっこだ。こんな上っ面な言葉も態度も。
……そして大人がこういう態度を取る時は相応にして何かあるってことも。
「それでさ一花ちゃん……その、もう日付変わっちゃってるけど、明日も朝7時からだから……」
「えっ?それって次の現場のやつですよね。確か開始は昼前のはずでしたよね?」
「実は主演の子がねぇ……どうも時間があわないってことで急遽時間変更のお達しがきてさぁ。まぁこっちも一応抗議はしたけど、それでも相手は大手の事務所でしかも今人気の子だし、なかなか強くは……ねぇ?」
「……そうですね。分かりました」
「助かるよ」
「いえ」
そうだ。本当に慣れっこなんだ。こんなのは。
事務所の力関係。次々に現れる新鋭。凄まじい才能を持った天才。
……そして些細なきっかけで振り落とされていく子たち。
この世界で生き残るのがどれほど大変か身に染みて分かってきたつもりだ。
「じゃあ帰ろうか。車まわしてくるね」
「お願いします」
本格的に女優を目指し一人故郷を離れてからもうすぐ2年。
もう純粋で煌びやかな夢を見続ける女の子だなんていられない。
「疲れた……」
マンションに入り、自室に戻った頃には午前一時半をまわっていた。
あちらの都合で一方的に急遽変更になった早朝からの撮影を思うとうんざりする。
「畜生……ふざけんな」
スタッフたちには聞かせられない汚い言葉を吐き出し、私はソファーに身体を沈めた。
現場までの距離、化粧などの準備を考えると最低でも5時過ぎには起きて準備をしないといけない。早くに現場に入り、スタッフに挨拶し、笑顔で主演の子を迎い入れるため。遅刻は許されない。
虚ろな目で私は時計を見上げる。
僅かでも貴重な睡眠時間だ。身体も疲れている。眠らなければいけない。でもなぜかそんな気になれない。
理由は分かってる。
一昨日久しぶりにかかって来た妹からの、末っ子からの電話。そのせいだ。
『あんまりです。彼はどうしちゃったんでしょうか』
明日からの撮影に備えホテルで休んでいる時に久しぶりにかかってきた妹からの電話。驚いて電話に出てみれば今現在私と同じ東京に来ているという。仕事の為会えないことを詫びると共に、それでも久しぶりに可愛い妹と楽しくおしゃべりが出来ると浮き立った私の心は、五月ちゃんの電話越しの怒気を含んだ暗い声で一気に霧散した。
「まぁまぁ五月ちゃん落ち着いて……」
『後から割り込んできたあの子といちゃいちゃと……私なんてまるでいないかのように』
「でもあのフータロー君に限ってそんな」
『一花は知らないんです!もう私の……私たちの知る彼じゃありません!』
「また大袈裟な」
『彼がデリカシー皆無なのはよーく分かってましたよ。それでも……あんまりです』
「だってフータロー君だよ?女の子と親密になんて……」
『だから違うんですよ!髪型や格好もすっかりあか抜けて。女の子の扱いにも慣れてる感じで……!』
「へーそれ本当? あのフータロー君が?」
『髪なんか僅かにメッシュすら入ってて、なんなんですか一体』
「えっ? うそ、超見たい」
『一花!』
「あ、はい」
『もうあんな人知りません。せっかくわざわざ東京まで来たっていうのに』
「まぁまぁよく分からないけどそんなに怒らないの。そもそも彼には四葉がいるんだし、五月ちゃんが心配するような変なことは何も起こらないよ」
『あっ……それは、あの……』
「それでさ聞きそびれてたけどそもそもなんでこっちに来たの? やっぱり私に会いに来てくれたとか?」
『えっと……その……』
「五月ちゃん?」
『……うー』
「ちょっとどうしたの?」
『あの……いずれ一花の耳にも入ることでしょうから言いますけど』
「なになに? もったいぶらないでお姉ちゃんに教えて」
『実は彼と四葉は……』
一昨日の妹との会話を思い浮かべ、ソファーから身体を起こすと私はスマホを手に取った。
待ち受けにしている妹たちとの写真。何よりも大切な五つ子の写真。その中の一人を見る。
「ふーん。四葉とフータロー君がねぇ」
あの時五月ちゃんが話してくれたことを聞いても私は何故か驚きもしなかった。
他姉妹はそれは大事になっているらしいが、私はそれに対し不思議なほど冷静だった。
「四葉……捨てられちゃった?」
答えの返ってくるはずのない画面の妹に問いかける。
そして目を閉じた。思い浮かぶは彼との思い出と……かつて犯した私の罪。
あんなことをしてしまった私には、もう彼との「もしも」を夢想する資格はない。そう思っていた。
自らの為に彼の気持ちも信頼も、そして何より大切な妹さえ裏切った。そんな私にはもう資格がない、そう思っていた。
申し訳ない。謝りたい。後悔。
あの日からそんな気持ちは確かにある。だけど今はそれ以上に思ってしまうこともある。
『私のしたことはそんなにいけないことだったのだろうか』
私は、私なりに必死に行動しようとしただけだ。
彼を手に入れる為、欲しいものを手にするために行動しようとした。
その結果私は『失敗』した。でもその行動自体全てが間違っていたというのは……。
何もせず物事が望み通りに上手くいくなんてそんなのはご都合主義のフィクションの世界だけだ。
ただ待っているだけでは誰かに・何かに全て奪われていく。失ってから後悔しても遅いというのに。
行動だ。行動しなきゃ何も欲しいものは手に入らない。
何もせず愛しの王子様は都合よく愛を囁いてはくれない。
何もせず愛の言葉と共に色とりどりの薔薇を差し出してはくれない。
都合良い魔法使いなんていない。現実はそんなお伽話のようにはいかない。
誰もがシンデレラにはなれない。
「ねぇ?四葉。あなたは行動したの?」
写真のあの子に問いかける。
あの頃と同じようにあの子はただ待っていたのだろうか。ただ彼からの愛を享受していただけなのだろうか。
「ふ…ふふ……ふふふ」
何故か笑い声が漏れた。自分でも分からない。何が可笑しいのか自分でも分からない。
自分自身がよく分からない。当然だ。だって私は女優だから。周りを欺き、自分を欺き、芝居をする。それが現在の私なのだから。
嘘をつくのが私なのだから。
スマホの電話帳を開く。
彼と二人で話したのはもうどれだけ前だろう。私の方からはかけたこともない。
操作して彼の番号を表示する。
仕方ないが愛しの妹の為だ。一肌脱いであげよう。彼と話して説得じみたことをしてあげようか。
こんな時間にまだ起きているとは思えないし、急な私からの電話に出るとも思えないが。まぁ出なければそれでもいい。とにかく四葉の為に、やきもきしている可愛い妹たちの為に行動してあげることが大事だ。
だって私はお姉ちゃんなのだから。
化粧用の鏡が目に入る。そこに映る私は笑みを浮かべていた。
「ウソツキ」
私はワタシに向けて言う。
「知ってるよ」
ワタシは薄い笑みと共に私にそう言った。
ブッシュする。
呼び出し音が鳴る。
『……もしもし』
不機嫌そうな彼の声が耳に届く。
自分の口の端が吊り上がるのが分かる。
眠気はもう収まっていた。