私の音が聞こえない   作:深山瀬怜/浅谷てるる

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12.スイカ割り(すいか)

 八月になり、怒涛の試験期間が終わると二ヶ月近い夏休みになる。夏休みに入って最初の土曜日、私は額の汗を拭いながら坂道を登っていた。今日から合唱団との伴奏合わせが始まる。初回は顔合わせ程度だとは聞いているが、いきなり全曲通して練習すると言われても対応できるくらいには仕上げてきた。しかし暑さと坂道のせいで汗だくになってしまい、練習前から疲れてしまっていた。初回からこれではいけない。私は自分自身を叱咤して練習場所を目指した。

「ここ、だよな……」

 地図と建物を確認してから中に入ろうとしたとき、建物の横から賑やかな声が聞こえてきた。その声の中に純恋のものを見つけ、私は声のする方を覗き込む。

「あと十センチくらい右! あ、行き過ぎ行き過ぎ」

 目隠しをして棒を持った男子学生が一人。指示を出している人たちがその周りに数人。彼らの中心にはひとつの西瓜。いわゆるスイカ割りだ。今日は練習の日だったはずだが、なぜスイカ割りをしているのだろう。

「あ、遥希さん!」

 純恋が私に気が付いて声を上げる。目隠しをしていた彼が、少し目隠しをずらして私に会釈をした。

「はじめまして。僕は副指揮者の――」

「あ、忍スイカ見てる」

「ちょっと黙っててくれるかな、梨恵」

 純恋の隣にいたサイドテールの女子学生をたしなめてから、男子学生が自己紹介をやり直す。

「副指揮者の遠藤忍です。これからよろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします。それで……何でスイカ割りしてるんですか?」

「顧問がさっきおすそ分けしてくれて。早く来た人たちで切り分けて休憩中にみんなで食べようってことになったんですけど――意外にみんなスイカ割りってやったことないねってなって」

 樹里がここにいたら、ノリノリでスイカ割りに参加しただろう。私はそんな風に初めての人たちの中に飛び込むことは出来ない。

「今、部室誰もいないから鍵閉めてて……すぐ割るんで待っててください」

 忍は再び目隠しをしてスイカ割りに戻っていく。けれど先程指摘されていたとおり、一度場所を見てしまったため、さほど苦労することなく正しいところへ棒を振り下ろすことが出来ていた。

 しかし、力が圧倒的に足りなかった。

「忍、力なっ」

「だから言っただろ? 僕は高校までずっと将棋部のインドアメガネだって!」

 傷ひとつ無いスイカを前に合唱団員たちが言い合っている。さすがに歌をやっているだけあって声はよく響いている。蝉の声とその喧騒が混ざりあって、全ての音が遠くなり始める。

「そもそもコンタクトにしちゃったんだから、もうインドアしか残ってないじゃん」

「そう言うなら梨恵がやってみろよ」

「私の服見えてる? この服で仮にスイカが飛び散ったら軽い殺人現場だよ?」

 梨恵という女子生徒は白い服を着ていた。確かに汚れたら大変なことになりそうだ。仲の良い人たちだ。私には縁遠い世界。無関係を装って成り行きを見守っていると、急に純恋が私の前に立った。

「遥希さん、スイカ割りやったことある?」

「ないけど……」

「やってみない?」

 なぜ私に回ってきてしまうのか。遠慮しようと思ったが、純恋が目を輝かせて「一緒にやろう」と言うので、断りきれなくなってしまった。二人で目隠しをして一緒に棒を持つ。

「もうちょっと左! あ、ちょっと右!」

 口々に飛んでくる指示を聞きながら位置を調整する。暫く微調整を繰り返した末に正しい場所に止まり、私達は棒を振り上げた。

「お互いの呼吸を聞けば、タイミングは合うはずだから」

 純恋が難しいことを言う。けれど密着している状態だからこそ、その呼吸の店舗はよくわかった。狙いを定めて、重力を利用して腕を振り下ろすのは、鍵盤の上で強い和音を掴むときと少し似ている。余計な力が入ってしまうと、必要のないところにエネルギーが使われてしまう。

 一気に棒を振り下ろすと、歓声が聞こえた。目隠しをずらしてみれば、真っ二つに割れたスイカがビニールの上に転がっていた。

「じゃあ切り分けて、休憩のときに食べよっか」

 右半分の髪だけにブリーチをかけた、奇抜な格好した女子学生が言う。純恋が小声で「あの人がソプラノのパートリーダー」と教えてくれた。練習開始時間まであと五分に迫っていて、忍が片付けを急かす。

 楽しい空間だ。けれど私とその空間のあいだには一枚の見えない壁がある。再び遠くなっていく音を感じながら、私は誤魔化すように笑みを浮かべた。

 

 

 練習は和やかな雰囲気で始まった。けれど遥希がピアノを弾き始めた瞬間に空気が引き締まる。ただならぬ緊張感だ。私達歌い手よりも、指揮者の忍の方がそれを感じているかもしれない。練習室の貧相なピアノを弾かせるのが申し訳なくなるほどに遥希の演奏は洗練されていた。一曲目の「かなしみ」を通したあとで、忍は十秒ほど悩んで言った。

「本当は一曲目だけ練習するつもりだったんだけど……ちょっと五曲目やってみたいな」

「はい」

 遥希はすぐに楽譜をめくって準備を始める。良く言えば和やか、悪く言えば少し弛緩しているいつもの練習の雰囲気は、遥希ひとりの存在で塗り替えられていた。昨年、樹里が来たときはここまでではなかった。おそらく樹里は私達の雰囲気に合わせていたのだろう。樹里にはそういう器用なところがある。

 忍が遥希に合図をした。五曲目の「思い出すために」はジャズダンス風の独特のリズムを持っている。ピアノを入れないこれまでの練習では、そのリズムを掴むのに苦労していた。歌ってみると、ピアノが入るだけで全然違う。ピアノに引っ張られて音が飛び出していくような感覚だ。

 曲が終わる頃には、私は酷く疲れていた。遥希のピアノに乗せられて実力以上のものが出てしまっていたのだ。忍は腕組みをして私達を見回す。

「正直、合唱がピアノに全然追いついてないわ。てか僕も全然だめだわ」

 この中で、遥希の力だけが飛び抜けている状態だった。それでは合唱としては成立しない。私達の未熟さはさることながら、遥希は遥希でこちらのことには一切構わずに弾いているのだろう。

「あとは――、いや何でもない」

 忍が遥希に向かって一瞬何かを言おうとしてやめる。忍もきっと私と同じことに気が付いたのだろう。いや、指揮者として真ん中に立つ彼ならより強く感じているかもしれない。遥希のピアノは素晴らしい。けれど彼女は彼女だけの世界を作ってしまっている。本音を言えば、少しはこちらに合わせて欲しい。でも実力が遥かに劣っている私達がそれを言うことは出来なかった。私達が遥希に追いつく努力をする方が先だ。

「じゃあ頭から、女声が入ってくる前までをもう一回」

 思っていることを顔を出さずに、忍は普段通りの練習に入っていく。けれど彼が焦っているのが伝わってきてしまう。結局、終始遥希に引っ張られる形になったままその日の練習は終わった。

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