私の音が聞こえない   作:深山瀬怜/浅谷てるる

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30.浴衣を選ぶ(貼紙)

 合宿を終えて名古屋に帰ってきた私は、暑すぎる夏に溶けそうになりながら日々を過ごしていた。合宿のあとは一週間休みがあって、来週から練習が再開される。

 今日はバイトもない日だ。暑いけれど家でずっと過ごしていても退屈だ。私は完璧な熱中症対策をしてから外に出ることにした。特に用事はないが、矢場町や栄に行けばそれなりに時間も潰せる。

 外に出ようとエレベーターを待っていると、その横に貼紙がしてあるのが見えた。近くの商店街の夏祭りのお知らせだ。昨年までは中止になっていたけれど、今年は規模を縮小しながらも開催すると書いてあった。

「夏祭りかぁ」

 祭りは好きだ。地元では街全部が盛り上がる大きな祭りがあったのだが、昨年の名古屋の祭りはほとんどが中止になってしまった。名古屋にどんな祭りがあるかも、その雰囲気もわからないままだ。

「……遥希、暇かなぁ」

 暇ではないだろう。コンクールの本選が近いというのに、私達の合宿に参加してくれたのだ。家に帰ったらずっと練習だと言っていた。しかも遥希はあまり人に連絡をしない方らしく、名古屋に帰ってきてから遥希の方からLINEをくれたことは一度もない。樹里によると、コンクール前の遥希はそれが普通だから気にしなくていいそうだ。私が連絡するとすぐに返してくれるだけましらしい。

「まあ、駄目元で聞いてみようか」

 貼紙の写真を取り、メッセージを送る。既読はすぐにはつかなかった。練習中なんだろうと結論づけて、私は上階から降りてきたエレベーターに乗り込んだ。

 夏祭りがあるなら、浴衣でも買ってしまおうか。デパートで売っている浴衣は可愛いけれど高すぎて手が出ない。そういうときは大須に行くと掘り出し物が手に入ると樹里が前に言っていた気がする。樹里にどの店に行けばいいか聞くメッセージを送り、マンションの近くのバス停からバスに乗った。

 

 

「純恋は大須で迷子になりそうだから来てやったわよ」

 駅に到着して鶴舞線を待っていると、後ろから樹里に声をかけられた。リクルートスーツに身を包んでいる樹里の姿を初めて見た。新鮮な姿だ。でも髪の毛の白いメッシュはそのままなので、服装と見た目がちぐはぐに見える。

「そういえば樹里って、髪の毛そのままで就活してるの?」

「うん。案外いけるもんだよ。……って、まだ本格的な面接とかをやってるわけじゃないからね」

「そっか。本格的に始まるのは四年生になってからだもんね」

「そ。今日はインターン帰り。といっても半日だけの簡単なやつね」

 樹里がどんな道を選ぼうとしているのかは聞いていないが、樹里に焦りのようなものは全く見えないので、おそらく大丈夫だろう。そもそも就活に余裕がない人は髪の毛を黒く染め直すはずだ。

 不思議なメロディーのチャイムと共に到着した電車に乗り込み、樹里と二人で大須を目指す。

「そういえば夏祭りのことって遥希から返事あった?」

「まだ既読すらついてない」

「この時間だとレッスン中かもなぁ。コンクール前だから結構根詰めてるみたい」

「そっか……じゃあ難しいかな」

 恋人になったはずなのだが、名古屋に戻ってきてから一度も会っていない。忙しいのは仕方がないことだし、遥希も私も恋人が何をするのかもよくわからないままだし、友達と何が違うのかという状態だ。

「んー、でもわりと祭りとかそういうのは好きだったと思うよ」

「そうなの?」

「昨年、学祭ではしゃいでたし。本当はもっと派手な祭りなんだけど、縮小版でも楽しいって」

 意外な姿だ。でも私が知らない遥希の姿を樹里が知っているのはあまり面白くない。私が唇を尖らせていると、樹里が笑った。

「かわいい浴衣で悩殺してやんなよ。あのタイプは今風の派手な浴衣じゃなくて、古風な浴衣を着こなす美人にコロッとやられるタイプ」

「言ってることがおっさんみたいだよ、樹里」

「まぁまぁ。とりあえずいいのが見つかるといいね。本当はオフシーズンに買いに行ったほうが安く掘り出し物が買えるんだけどさ」

 話している間に上前津に到着し、私は樹里の案内に従って商店街の中に入っていった。

 

 

「とりあえず三つまでは絞れたんだけど……」

「椿と花火と金魚か……私はその椿のやつがいいと思うけど」

「やっぱり? でもこの金魚のも可愛くない?」

 どれも捨てがたくて迷ってしまう。樹里は私の顔と浴衣を何度も見比べてから、腕組みをした。

「その金魚のやつ、遥希の方が似合いそうなんだよな」

「……確かに」

「よしわかった。私が両方買ってあげよう。で、こっちの金魚は遥希に」

「え? いいの?」

 それほど安い買い物ではないのだが。樹里は怪しげな笑みを浮かべて、財布を取り出した。

「実はね、この店はどうもこれが使えるようなんだよ」

「何の変哲もないギフトカードだ……」

「親から誕生日プレゼントだって送られてきて……」

「合理的ではあるね」

 娘を音大に行かせられるような親は、大抵がお金持ちだ。樹里の実家もその例に漏れず、部屋が余るほど広い家に住んでいる。そのギフトカードも元々は何万円分あったのかわからない。

「まあ、あとは純恋にお礼も兼ねてね。あ、でも小物とかは出せないから純恋が何とかしてね」

「お礼ってどういうこと? 私なんかしたっけ?」

「遥希のこと。純恋のおかげでいい方向に進んでる気がするから」

 遥希を紹介してくれたのは樹里だ。もしかして遥希を伴奏者に選んだのには何か別の理由があったのだろうか。

「ワンチャンなんかあるかもしれない、程度だったんだけどね。でも今は……ちょっとした復讐も兼ねて」

「復讐?」

 突然飛び出した物騒な言葉に、私は首を傾げた。私と遥希が出会ったことで何の、誰に対しての復讐になるというのだろうか。樹里は二つの浴衣をレジに持っていきながら私の疑問に答えた。

「瑞希のこと、好きだったんだよ。でもあの人は急にいなくなるわ戻ってきたと思ったら女連れてるわ……しかも自分に才能あることは全然疑ってないし。一回くらいあの人の度肝を抜いてやりたいなと思って」

「それを他人にやらせるってどうなのよ……」

「それを言われると耳が痛いけど……遥希は瑞希の妹として生まれてきてなかったら、絶対天才少女と言われてた類の人間なわけだよ。遥希の全てを引き出す方法が見つかれば、瑞希の鼻を明かすことだってできる」

 それは純恋も薄々気が付いていた。頑なになってしまっていただけで、音に感情を乗せる方法は誰よりも熟知している。自由な気持ちで弾きさえすれば、その実力の全てを出すことができる。おそらく瑞希の妹でなければ、既にそれが出来ていただろう。思いを込めたとしても、あそこまで一瞬で音を変えるには、技術と感覚が必要不可欠なのだ。

「――まあ、まだ問題が全部解決したわけではないけどね」

「え?」

「そのうちわかると思うよ。多分、そっちの方が根が深い」

 樹里は不穏な言葉を残したまま、浴衣を詰めた紙袋を受け取って店を出ていく。どういう意味なのかを問い質そうとする純恋に対し、樹里は意味有りげな笑みを浮かべた。

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