「やっぱり私の見立てに間違いはなかった」
浴衣に着替えた遥希を見て、樹里が笑う。私が椿の浴衣、遥希が金魚の浴衣。小物類は持っていたものと買ってきたものを合わせて、夏祭りの準備は完璧だった。
「樹里は行かないの?」
「カップルのお邪魔虫になるのは嫌。私はひとり悲しく酒でも飲んでるから」
「カップルって……」
遥希が呆れたように言うが、カップルであるのは間違いない。私達は着替え場所に使っていた樹里の部屋を出て、狭くて古いエレベーターに乗り込んだ。
*
「お神輿が来るまでもう少し時間あるみたいだから、先に屋台見て回ろうか」
「うん。でも思ったより混んでるね」
「久しぶりの祭だもんね」
今年は何とか中止にならずに開催された祭。祭を心待ちにしていた人たちも多いだろう。特に子供たちは祭が好きだ。私達ははぐれないように、どちらからともなく手をつないだ。
「遥希?」
屋台を色々見ながら歩いていると、遥希がある屋台の前で足を止めた。アクセサリーを売っている店だ。アクセサリーと言っても子供向けの、五百円くらいのものばかりだ。
「あ、あの指輪」
遥希の視線の先を探していた私は、その屋台のテーブルの上にある藍色のハートがついた指輪に目を留めた。温度によって色が変わる指輪だ。子供の頃はこれが好きで、祭の度に親にねだっていた。
「昔、これすごく好きだったなぁ」
「そうなんだ。私はこういうのあんまり買ってもらえなかったから。そもそも祭の日に遊びに行くこともそんなにはなかったけど」
遥希は他のネックレスやイヤリングを見ている。普段の遥希はアクセサリーの類は全く身につけていないけれど、もしかして好きなのだろうか。
「遥希の家ってやっぱり厳しいんだね」
「厳しいっていうか……『こんな安っぽいもの』って言われて」
「ああ、それは買う気なくすやつだ」
子供にとっては、キラキラして綺麗なものなら、百均で売っているおもちゃですら宝物だ。自分を物語の中のプリンセスになぞらえながらティアラをつけてみたり、背伸びしてネックレスをつけてみたり、そんなことが楽しかった思い出が私にはある。けれど遥希にはあまりそれがないのだ。本物を買えるくらいの年齢になりつつあるけれど、おもちゃの輝きはそれとイコールにはなりえないのだ。
「二人で何かお揃いで買おうか」
「でも子供向けだよ?」
「対象年齢七歳以上なんだから、七歳超えてたら誰でもいいってことでしょ?」
遥希は納得したのか、真剣に商品を見てから、十字架のネックレスと透明なアクリルの石がはめられたバングルを手に取った。私はその隣に置いてあった、同じデザインの色違いのバングルを取る。
「お揃いにしよ?」
「うん」
はにかんだような遥希の笑み。柔らかなその表情をかわいいと思った。もっともっとその顔を見ていたい。私達は更に屋台を巡っていった。金魚はすくえても飼えないから、代わりに水風船すくいに挑戦したけれど、二人とも一個も取れずに、店のおじさんが参加賞として一つずつ水風船をくれた。遥希は射的に意外な才能を発揮していたけれど、難しい景品に執着してしまったために結局一つも取れなかった。冷凍パインを食べた遥希は知覚過敏で暫く悶えていたし、私はかき氷で舌を緑色にした。子供のように祭を楽しんで、ベビーカステラを食べながら神輿の行列を見送って、私達は帰路につくことにした。
「ありがと、今日は楽しかった。いい気晴らしにもなったよ」
「よかった。コンクール前だから邪魔しちゃったかなってちょっと思ってたんだけど」
「息抜きも必要だよ。それにもう……一位である必要はないかなって」
遥希が月を見上げる。祭の会場からは遥希の家の方が近かったから、私は遥希を送っていって、そこからタクシーで帰るつもりだった。もう少しで遥希の家に到着してしまう。また会えるだろうけれど、離れ難い。ずっと一緒にいられたらいいのに――とまで考えてしまった。
「瑞希さんに追いつきたいっていうのはもういいの?」
空を見上げる遥希の、ほっそりとした首筋に見とれながら私は尋ねる。沢山話をして、少しでも家までの距離が長くなることを願っていた。
「負けっぱなしは悔しいってのはあるけど、今はそれよりも……感情がちゃんと伝えられるように弾ければなって思ってる」
「そっか。遥希なら出来ると思うよ」
「私も、純恋がいるならきっと出来ると思ってるよ」
誰もいない道の片隅で立ち止まり、遥希が私を見る。真剣な表情で私の頬に手を伸ばし、顔を近づけた。
「純恋に聴いて欲しい。これからも、私の音楽を」
「うん、ずっと、一番に聴くから」
ゆっくりと唇を合わせていく。二回目のキスは最後に二人で食べたベビーカステラの甘さが残っていた。心はふわふわした暖かいもので満たされていて、きっとこのまま全部上手くいくと、私は根拠もなく思っていた。
――けれど甘いひとときは冷たい声で壊された。
「何してるの、遥希」
その声が響いた瞬間に、遥希が体を硬くする。その人の顔を今まで見たことはなかったけれど、遥希や瑞希によく似ているその顔を見れば、その人が誰なのかはおおよそ見当がついた。
「大事な時期に遊び歩いてるだけじゃなく、こんな――」
「私のこと放っておいて瑞希を探しに行ったくせに」
私にしか聞こえないくらいの小声で、遥希が言う。やはりこの人が遥希の母親なのだ。天才である姉の方に執着して、遥希を置いて瑞希を探しに行ってしまった人。そのおかげで遥希が合宿に参加できたというのはあるが、あまりいい印象はない。
「こんなみっともないことするなんて。あなたは人一倍練習しなければ人並みの演奏もできないのに」
「……みっともないって何?」
「みっともないじゃない。路上で女の子とこんな――噂になったらどうするの?」
「別に噂になって困るような関係じゃない。不倫してるわけじゃないんだし」
遥希は堂々と言い返していた。私達の関係は隠すようなものではないと、毅然とした態度で示していた。けれど遥希の母親はその態度に苛立ったのか右手を振り上げる。
重く湿った風が吹く夜に、その手が遥希の頬を打つ音が響いた。
「恋愛するなら結果を出してからにしなさい。遊んでる暇はないのよ?」
頬を押さえる遥希の代わりに反論しようとする私を、遥希が軽く制した。ここで私が話に入っていけば事態をややこしくするだけだ。遥希が目でそう訴えてくる。私はそれに従って口をつぐむしかなかった。
「――出せばいいんでしょ、結果」
冷えた口調で遥希が言う。ついさっきまで「一位である必要はない」と言っていたのに。再び殻の中に遥希が閉じこもっていくような気がした。けれど今、私に何が出来るというのだろう。
「ごめん、純恋。今日はもう」
「……わかった。気をつけて帰ってね、遥希」
当たり障りのない言葉を告げて、私は遥希に背を向ける。ここで立ち止まっても遥希に迷惑をかけてしまうだけだ。私は急いで曲がり角まで歩いていって、左折する直前に少しだけ振り返った。
そこにはもう、遥希の姿はなかった。