夢を見た。遥希の夢だ。
夢の中でも遥希はピアノを弾いていた。けれどどこか苦しそうな顔をしている。闇の中を必死にもがいているような音を奏でている遥希は、私が聴いていることには気付いていないようだった。
その心の頑なさを示すように、その音は硬い。今すぐ遥希の傍に駆け寄って、その手に触れられたらいいのに。力を抜いていいのだと、遥希の好きなように弾けばいいのだと伝えたい。けれど夢だとわかっていても体は自由には動かなかった。私はただ孤独に舞台に立つ遥希を見ていることしかできなかった。
合唱のときは横にたくさんの仲間がいる状態で舞台に立つ。けれど自分の体よりも大きなグランドピアノに向き合うピアニストは、たった一人で舞台に立つ。遥希は味方など誰もいないと思っているのだろうか。舞台の上では確かに孤立無縁だ。けれど私は遥希に寄り添いたい。その音を、遥希の横でずっと聴き続けたい。それに私の音を重ねることができたら最高なのだ。誰に認められなくたって、私たちの答えは音楽の中にあるのではないのか。
ああ、私の体は今動かなくていつ動くのか。
どうせ夢の中なのだから、今すぐ駆け出して行って、ステージによじ登ってしまえばいいのだ。私が私の夢の中ですらそれができないなら、現実で何かができるはずもない。心を閉ざして遠くへ行こうとする遥希を止めることはできない。私は動かない体に鞭を打って足を進める。
その瞬間に、周囲の風景が一変した。
コンサートホールは荒野に変わり、強い向かい風が吹きつけてくる。私が歩むのを阻もうとする砂嵐は、遥希が作り出す音の世界にも見えた。何かを必死に守ろうとしていて、そのためには誰も近づけてはならないと思っている。それは誰かと声を重ねることで自分の音が消えてしまうと思っていた遥希そのものにも感じられる。
でも、遥希は変わったはずだ。あのとき声を重ねた喜びを忘れたとは言わせない。たとえ触れることで遥希が守っているものが壊れてしまうとしても、私はそれに手を伸ばさなければならないと思った。たとえ今のこの世界が私の夢に過ぎないとしても、夢ですらできないことを現実でできるとは思えない。
「――遥希!」
彼女に私の声は届いていないようだ。そうでなくても砂嵐が音を掻き消してしまっている。それなら私は手が届くところまで進むしかない。風の抵抗を受けながらも私は確実に前に進む。
どうして私はこんなにこだわっているのか。遥希とはまだ出会ってからそれほど経っていないのに、どうして好きだと自信を持って言えるのか。答えは遥希の音の中にある。私はその音に自分の音を重ねたかった。ただそれだけのこのなのだ。難しく考える必要なんてない。理由になっていないと言われようが、この世界にはいくらでも理由のない好きが溢れているだろう。だから細かいことは考えなくてもいいのだ。
「遥希!」
あと一歩で、私の手が遥希に届くというところだった。遥希が私の声に気付いて手を止める。その瞬間に目の前の景色が暗転し――私は現実の朝に引き戻された。
夢だとはわかっている。けれど必死だった気持ちは鮮明に残っていた。私は布団の中で強く手を組む。このままでいいわけがない。遥希が何を思おうと、私は遥希に触れたい。遥希の傍にいたい。それだけは伝えなければならないと思った。